42:空の青(2)
「い」
「い?」
「い、いいいい医者を呼べぇ!!」
キースは廊下に顔を出して、思い切り叫んだ。
数少ない第二皇子宮の使用人たちが一斉に振り返る。ジェレミーは彼の首根っこを掴むと室内に放り投げ、廊下にいた使用人をひと睨みして扉を閉めた。
触らぬ神に祟りなし。
使用人たちは何ごともなかったかのように、仕事を再開した。
「阿呆か」
「申し訳ございません、あまりの衝撃に取り乱しました」
主人の足元にひれ伏し、最高位の謝罪をするキース。
しかし、内心では仕方がないだろうとも思っていたりする。
だって長い間ずっと主人を悩ませていた色がなくなったのだ。歓喜と困惑で取り乱しても何らおかしいことじゃない。
「み、見えていますか?」
「視界は良好だ。問題ない」
「でも、何で……」
顔を上げたキースは主人の顔を見上げて眉根を寄せた。
何がどうなっているのか全く持って理解できないが、間違いなく言えるのは瞳の色が変わるなど普通ではないということ。
するとジェレミーはふと、何かを思い出したように『ああ』と呟いた。
「な、何か心当たりでも!?」
「いや、浄化されたかなーっと」
「はい?浄化?」
「そういや、リリアンに浄化の術式を打ち込まれそうになったから、それが原因かも。うん、きっとそうだ。リリアンが俺のこの忌々しい黄金を浄化してくれたんだ」
「……何でそんな嬉しそうなんすか。それ、普通に死ぬやつですよ」
リリアンは魔法師の中でも特に魔力量が多い部類の術者だ。力のコントロールが上手いため、ちゃんと加減したんだろうが、それでも下手をすれば死ぬ。
しかしジェレミーは『死んでないから問題ない』と笑った。
「……それは結果論であり問題大有りなんですが。さっきの部屋の惨状の理由はそういうことだったんですね」
「ま、俺はリリアンになら殺されても構わないけどな。むしろ死ぬならそういう最期を迎えたい」
「婚約者を犯罪者にしようとするのやめてください」
ジェレミーを殺したらもれなくリリアンも死刑になってあの世行きだが、それはつまり心中したいということだろうか。
死後も離さぬつもりらしい。キースはこれ以上聞くと、その愛の重さが怖くなると咳払いをして話題を元に戻した。
「わかりました。浄化のことは伏せましょう。でも、一応診察は受けてもらいます」
「わかったよ。でも本当に何ともないぞ?」
むしろ前より世界が明るく見えるくらいだ。
リリアンの心まで全て手に入れたせいかとも思っていたが、どうやら本当に視界が開けていたらしい。今までたまに視界が霞むことがあったが、それが丸っ切り無くなった感じがする。
視力の検査をすれば、きっと今なら両目ともに南東の遊牧民族(50メートル先の人物が手に持っているパスタの本数を数えられるくらいの視力を持つ民族)くらいの結果が出せそう。
「ところで殿下は何用でこちらまで?」
「リリアンの方にも迎えが来たと伝えに」
「残念ながら、本宮の方へ行かれましたけど。なんか戦士の背中でした」
「戦士の?よくわからんが、わかった。探しに行くついでに侍医のところに行ってくる」
「了解です」
「あ、オリビア嬢もお父君が待っていたぞ?急いだ方がいい」
ジェレミーはそういえば居たかと、まるでその存在を忘れていたかのように冷めた目でオリビアを見下ろした。心底どうでも良いというような目だ。間違っても紳士のように馬車まで送ってやる気など、サラサラないのがよくわかる絶対零度の視線。
そんな視線を向けられたオリビアは怯えるでもなく、ただ呆然とジェレミーを見上げていた。未だジェレミーの瞳の色の変化が信じられないらしい。
ジェレミーはフン、と彼女を鼻で笑うと部屋を出ようと背を向けた。そして彼が一歩、扉の方に踏み出したところでオリビアは不意に口を開いた。
「その群青。もしかしてジェレミー殿下は、不義の子ではないのですか?」
「ちょっ!?オリビア嬢!?」
ど直球にも程がある。キースはオリビアのその質問に肝を冷やした。
しかしジェレミーは足を止め、面倒くさそうに振り返ると仕方なく返事をしてやった。
「さあな?お前はどう思う?」
「私は、不義の子であって欲しいと思います」
「ほう?何故だ?」
「不義の子でないのなら、陛下の、皇后さまの今までの苦悩は何だったのでしょう」
オリビアの母であるルウェリン・グレイス侯爵夫人は心を病んだ皇后にずっと寄り添ってきた。それこそ、結婚して侯爵夫人という高貴な身分になってからも侍女を辞めず、片時も彼女から離れずに世話を焼くほどに。
そんな母を見てきたからこそ、ジェレミーが不義の子であって欲しいと願う。
そうでなければ、皇后はこれまでの16年間。ただの思い込みで取り乱していたことになる。
そんなもの、まるでピエロだ。愚か者すぎるではないか。皇后も、彼女に寄り添いジェレミーを拒絶してきた母も。
そしてずっとジェレミーを不義の子だからと毛嫌いしてきた自分も。馬鹿みたいだ。
そんなことを淡々と語るオリビア。ジェレミーは彼女のその身勝手な、自己中心的な独白を鼻で笑った。
それは完全なる嘲笑。自分の身勝手さも理解していない薄っぺらい人間が薄っぺらい忠誠心を持って主君を心配する薄っぺらい思いやり。
今ここにリリアンがいれば、きっと彼女はオリビアを軽蔑するだろう。
「瞳の色が変わったからという理由だけで、あの母上が俺を自分の息子扱いするわけがないだろう。くだらない心配をするな。気分が悪い」
「……申し訳ございません」
瞳の色が変わった程度で皇族認定されるのなら、多分初めからこんなことにはなっていない。
ジェレミーは『不快だから帰ってもらえ』と、オリビアを送るようキースに命じると、とりあえずリリアンを探しに本宮へと向かった。
……そう、瞳の色が変わったからといって、何も変わらない。
でもふと、ジェレミーは不安になった。
そういえばリリアンは自分の黄金の瞳を好きだと言ってくれたが、この色を見て同じようにそう言ってくれるだろうか、と。




