3:リリアンのこれから
ふかふかのベッドに皺一つないシーツ。豪奢な調度品に高級な絨毯と家具。そして花瓶に生けられたロイヤルガーデンの薔薇。
部屋に戻ったリリアンは、実家の公爵邸にある自室の3倍はある皇城の客室を眺めて、小さく息を吐き出した。
「この部屋ともお別れね」
『もうすぐ成婚だし、そろそろ城においでよ!』という皇帝の軽い一言で1年ほど前から城に住むことになったが、第一皇子の婚約者でなくなった今、彼女がこの部屋にいる理由はない。
リリアンはベッドに飛び込むと、特に名残惜しむこともなく、それはそれは驚くほどアッサリと、荷物をまとめるように侍女のケイト・シュナイダー伯爵夫人に伝えた。
「お嬢様! そんな、荷物をまとめるだなんて、どうしてっ!?」
「家に帰るのよ」
「か、帰る!? 何故!?」
「ヨハネス殿下と婚約を解消することになりそうなの。正式な通達はまだだけど、ほぼ決定事項だわ」
「こ、ここここ婚約……、解消……?」
『今日の晩御飯は何?』くらいの軽さで婚約を解消すると告げられ、ケイトは固まってしまった。
「信じられませんわ……」
二人は成婚間近だった。確かにヨハネスは少し女好きのきらいがあるし、リリアンは冷めた性格をしているが、それでも2人一緒にいる時は仲睦まじい姿しか見せていなかった。
(ヨハネス殿下と喧嘩でもしたのかしら……)
しかし乳母としてリリアンが幼い頃からお世話をしてきたが、彼女が怒ったところなど、ケイトは見たことがない。
そんな方が皇城を出て行くほど怒っているということは……。
(ヨハネス殿下が何かやらかしたのだろう。間違いない)
ケイトはそう結論づけて、袖を捲ってぐっと拳を握った。
「殺りますか?」
「はい?」
「浮気ですか?」
「ん?」
「浮気男はその相手もろとも、このシュナイダー伯爵家の名にかけて根絶やしにします。さあ、お嬢様。お命じください。殺れと」
「おまちなさい、ケイト。なんの話?」
「婚約の解消だなんて。どうせ、ヨハネス殿下が浮気でもしたんでしょう」
「不敬よ、ケイト」
「いつかはやると思っていました。殿下は皇帝陛下に似て無類の女好きですもの」
「不敬罪で死にたいの? 皇帝陛下もヨハネス殿下も、女性に歯の浮くようなセリフを吐いて黄色い声援を浴びたいだけで、実際は浮気なんてできるような方々じゃないわ」
実際にキザで寒いセリフを吐いて『きゃー!素敵ー!』と言われることはあれど、ヨハネスが浮気したことは一度もない。
また、皇帝もなんだかんだと病に伏せる皇后に尽くしている。
リリアンは変な妄想は良しなさいとケイトを諌めた。
「普通に婚約を解消するだけよ」
「普通にって、来年の春には成婚の儀が……」
「なんかね、エルデンブルグ公国のお姫様を娶るらしいわよ」
「……やはり浮気でしたか。どうせ子どもでもできたんでしょう」
「だから違うって。本当に政略的なことよ。とりあえず、急ぐ必要はないけど、出ていけと言われた時に直ぐに出ていけるようにしておくべきだと思うの」
「納得できませんが、かしこまりました。こんな所、すぐに出ていけるよう、夜までには荷造りを完了させてみせます」
「いや、だから急がなくて良いってば」
全く納得していない様子のケイトに、リリアンは思わず笑ってしまった。
乳母であった彼女はきっと、娘が結婚間際に捨てられたような気分なのだろう。
だが、ケイトの怒りとは裏腹に当の本人はむしろ肩の荷が降りたように清々しい気分だった。
(何しようかなぁ)
リリアンはゴロンと仰向けになり、天井を見上げる。
6年前のあの婚約式から、やりたい事は全部我慢した。
本当はジェレミーのように魔獣の討伐に参加したかったし、せっかく魔力持ちとして産まれたのだから魔塔に入ってもっと魔法の研究もしたかった。
他にも同年代の貴族子女のように、観劇に行ってお友達と好きな役者について語り合ったり、お忍びで街のお祭りに行ったりしたかった。
けれど、安全面もそうだし、何よりその行動は皇后として相応しくないからとずっと我慢してきた。
(….…でも、これからは違う)
別にヨハネスとの婚約に不満はなかったが、ここにきてまさかの自由になれるチャンスを得た今、この機会を逃すわけにはいかない。
これからは目一杯やりたいことは全部やろうと、彼女は心に決めた。
「あ、ケイト」
「はい、なんでございましょう」
「とりあえず、一旦公爵邸に帰らないと」
「ご報告なさるのですか?」
「一応ね。陛下から連絡がいくらしいけど、お父様が今回のことをどのくらいご存知かはわからないし。それに何より、久しぶりにあなたの息子にも会いたいし」
「……ベルンハルトですか?」
「あの引きこもりのベルンが、珍しく領地から出てきたのでしょう?どうせなら城下を連れ回してやろうかと思って」
乳兄妹である伯爵家の次男ベルンハルトは、ずっと領地にこもって公爵家の臣下として食物の研究をしていたが、何故か最近になって首都に出てきたらしい。
その話を聞いていたリリアンはむくりを起き上がると、いたずらな笑みを浮かべた。
「お忍びで屋台を食べ歩きしてみたかったの。連れ回してもいい?」
「あー……。確かに首都に出てきてはおりますが、今日から数日、留守にすると聞いています」
「えー。つまんないの!」
「申し訳ありません」
「まあ、いいや。ケイト、準備してくれる?」
「かしこまりました。明日の朝の出立でよろしいですか?」
「ええ、それでお願い」
「では、お屋敷に遣いを出しておきます」
小さくため息をついたケイトが、パンパンと手を叩くと、どこからともなく現れた忍びのようなメイドたちがそそくさとトランクに2、3日分の荷物を詰め込みはじめた。
皇城のメイドは隠密の訓練を受けているのかと思うくらいに、隙がなく足音もない。
リリアンは大変な仕事だなぁと感心しながら、彼女たちの手際の良い仕事を眺めていた。
「……あーあ。誰とお忍び食べ歩きツアーしようかなぁ」




