31:恋の自覚(1)
「ヨハネス殿下!」
「え? シュナイダー卿?」
剣の鍛錬を終えたヨハネスは、自室に帰ろうとしていたところをベルンハルト・シュナイダーに呼び止められた。
走ってきたのだろうか。肩で息をしている。
ベルンハルトはダニエルに軽く会釈すると、ヨハネスに話があると切り出した。あまりにも神妙な面持ちでこちらをジッと見つめてくるものだから、ヨハネスは近くの部屋に彼を案内するようダニエルに命じた。
イライザの弟子でリリアンの乳兄弟というだけで、ヨハネスの中の彼の印象はかなり良い。
「少し落ち着いたか?」
ソファだけが置いてある小さな部屋に通されたベルンハルトは、出された水を一気に飲み干すとふぅっと息を吐き出した。
「すみません。ありがとうございます」
「どうしたんだ?急に」
「あの、リリアン・ハイネの事で……」
「リリアンのこと? 何だ?」
「はい。リリアンから、ヨハネス殿下の元に戻りたいと相談を受けまして……」
「……え?リリアンが?」
ヨハネスは予想外の言葉に大きく目を見開いた。
二人は上手くいっていると思っていたし、昨日だって、彼女はジェレミーを庇うような行動を見せていた。正直、信じられない。
しかし、ベルンハルトはリリアンと本当の兄弟のように育ってきたからこそ、彼女は自分にだけは本心を話してくれるのだと言う。
曰く、ジェレミーの重すぎる愛にリリアンが辟易しているのだそうだ。
すぐに嫉妬して束縛は激しいし、暇さえあれば会いに来いと言うし……。それでもリリアンは彼を受け入れようと努力した。しかし、ついに彼のリリアンコレクションの存在を知ってしまい、彼女は怖くなったのだとか。
そのコレクションについてはよく知っているヨハネスとダニエルは、何とも複雑な表情で『ああ……』と声を漏らした。
確かに、普通の令嬢はあのコレクションを見てしまえばドン引きするだろう。強い恐怖さえ感じるはずだ。
「先程偶然会った時、複雑な心情を吐露してくれました。僕とはずっと手紙のやりとりをしていたからか、話しやすかったのかもしれません」
「彼女にそんな素振りはなかったように思うが?」
「きっと、一度は婚約の解消を受け入れてしまった手前、殿下の前では見せないようにしていたのではないでしょうか。リリアンは責任感の強い人ですから」
「まあ、リリアンならあり得るかもな……」
リリアンは自分の決めたことにはちゃんと責任を持つタイプだ。ジェレミーのことを好きになると宣言までした彼女が引くに引けずに、困っていると言われれば確かにその通りなのかもしれない。
ジェレミーの愛の重さを知るダニエルも、『確かに』と納得してしまった。
「リリアンはヨハネス殿下の元に戻ることを考えてるといてました。責任感の強い彼女が自分で決めたことを覆すなんて、よっぽどですよ!」
「……」
「僕は、リリアンには幸せになって欲しいんです。重い愛情を押し付けるだけのジェレミー殿下に彼女を幸せにできるとは思えません……」
ベルンハルトは懇願するように、リリアンを幸せにして欲しいと言う。
元々、ヨハネスとリリアンの婚約解消に反対していたダニエルは彼の言葉に賛同した。
「殿下。ハイネ嬢が大切なら、どうか……」
「おい、こら。そう簡単に言うな、ダニエル。もう公国には私と公女の婚約が通達されている。私は、ジェレミーの恋を応援すると決めたんだ」
「しかし、ジェレミー殿下の一方的な思いで、ハイネ嬢が苦しんでいるのならそれを見過ごすわけにはまいりませんよね!?」
「一方的、か」
一方的と言われたら、多分そうだろう。
ジェレミーはリリアンに思いを告げた日、彼女に『婚約を受け入れさせた』と報告してきた。その事からも、その翌日に自分の元を訪れたリリアンの反応からも、強引に婚約したのだということは容易に想像できる。
ヨハネスはジェレミーが幸せになれるのなら、それで良いと思っていた。
それにリリアンなら、きっとジェレミーを受け入れてくれると思っていた。彼女はそのように努力すると言っていたから。
「……努力したけど、受け入れられないということか」
「ヨハネス殿下!いま一度お考え直しください!殿下だって、ずっとハイネ嬢がお好きだったのでしょう!?」
「ダニエル。お前は少し落ち着け。私は別にリリアンの事は……」
「嘘です。それは嘘ですよ、殿下!不運な弟君へと負い目からご自分の気持ちを抑え込んでおられるだけです!」
ダニエルはそう主人を焚きつけた。
ヨハネスが弟思いなのは知っている。けれど彼が弟の幸せを願うように、ダニエルだって主人の幸せを願っている。
リリアン・ハイネという娘は、ヨハネスが素顔を見せられる数少ない人間だ。癒しをくれる存在。おそらく将来、皇帝となる彼には必要な人物だとダニエルはずっと思っている。
ダニエルに強く説得されたヨハネスは頭を掻きむしり、『考えておく』とだけ答えた。
「ありがとうございます、殿下」
ベルンハルトは嬉しそうに微笑み、深々と頭を下げて踵を返した。
第二皇子宮への帰り道、彼が不敵な笑みを浮かべていた事を、ヨハネスは知らない。




