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雑記  作者: 曲尾 仁庵
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二〇二五年十月十二日

なんだか蔵出し祭りみたいになってきたなぁ

ペンジャミンはモノ申す ~人魚姫異聞~


 深い深い海の底には、海を治める王様のおわします宮殿がございます。海の王様は身の丈よりも長い大きな三叉の鉾を携え、立派なお髭を蓄えていらして、碧色にキラキラと輝く美しい鱗の力強い尻尾をお持ちになった人魚でございます。その御威光は遍く海を照らし、海の生き物たちを従えて立派にお導きになり、海の世界は永く平和でございました。

海の王様には美しいお妃様と、これまた美しい七人の姫様がいらっしゃいます。お妃様はたおやかで慈愛に満ちたお方で、海の生き物たちから、まるで母のように慕われておいでです。七人の姫様方も皆、優しく、あるいは聡明で、あるいは利発で、それぞれに違いはありますけれども、やはり海の生き物たちから大変に好かれておいででした。特に一番末の姫様は、他に並ぶ者のないほどの美しい歌声をお持ちで、まだ泳ぎもおぼつかない時分から、誰に教わるでもなくお歌いになっておられて、海の生き物たちはそれをいつもうっとりと聞いておりました。末の姫様は皆からとても可愛がられ、おひぃさま、おひぃさまと呼ばれて、大事に大事に慈しまれてお育ちあそばされておりました。

さて、海の王様は海を平和に治めるために、様々な決まりをお作りなさいましたが、その一つに、『人魚は十五歳になるまで海の上に出てはいけない』というものがございます。海から顔を出しますと、海の水の届かぬ『陸』と呼ばれる大きな土の塊がございまして、その『陸』なるところには『人間』という名の、鱗も尻尾もヒレもエラもない、奇妙な生き物が棲んでおります。『人間』なる者どもは、海の中では小魚の子供にすら追いつけぬ無様な生き物でございますが、たいそう悪知恵が働くようで、『舟』なる板切れを海に浮かべては海の生き物たちをさらって食べる、悪鬼羅刹の類にございます。かつて人魚の仔が幾人もこの悪鬼どもにさらわれ、二度と帰って来ぬという痛ましくもはらわたの煮えくり返る事件が起きたことがございまして、海の王様は決して悲劇を繰り返さぬと強く決意され、先ほど申し上げた『人魚は十五歳になるまで海の上に出てはいけない』という決まりをお作りになったのでございます。人魚の皆様は海の生き物の中でも一番に泳ぎの上手でございますから、小さなお仔の時分ならいざ知らず、十五を越えてしまえば、海の中では息もできぬ『人間』に捕まることなどあり得ぬことでございます。わたくしとしては、そのような恐ろしき者どもに関わるなど止めて、ゆったりと海の中でお過ごしいただくのがよいと思うのでございますが、人魚の皆様、特に王族の皆様は、海の生き物たちを守るという責任を負うておられることもあり、『人間』を知り、『人間』と戦う術を身に着けるために、危険を厭わず海の上へと赴かれるのでございます。なんと尊きお心にございましょう。わたくし、このように貴き方々にお仕えできることを心より誇りに思うておるのでございます。

申し遅れました。わたくし、ペンジャミンと申すイワトビペンギンにございます。長らくペンギン騎士団の騎士団長として、海の王様と我が祖国にクチバシを捧げてまいりましたが、口惜しくも歳を取ってしまいました。今は騎士団長の座を退き、おひぃさまの教育係を仰せつかっております。おひぃさまはまだまだ幼くあらせられますゆえ、少々向こう見ずと申しますか、怖いもの知らずと申しますか、後先考えぬところがございます。わたくしはおひぃさまの教育係として、厳しくご指導申し上げ……


「まあ、ペンジャミン。私のことをそんな風に思っていたの?」


 ぅぉう!? お、おひぃさま、いつの間にいらっしゃったのですか? 来たなら来たとおっしゃってくださりませ! わたくし、心の臓が止まるかと思いましたぞ。


「来たのはついさっきよ。ペンジャミンが私の悪口を言っているような気がして来たのだけれど、案の定ね」


 おひぃさまが不満げに口を尖らせて、わたくしを軽く睨んでいらっしゃいます。魚聞きの悪いことを。わたくし、悪口など言うてはおりませぬ。おひぃさまが子供にあらせられるのは事実にございます。


「ペンジャミンに比べたら誰だって子供だわ。私は自分で自分の面倒を見ることができるくらいには、もう大人よ」


 またその話でございますか。なりませぬ。


「いいえ、今日でもう『なりませぬ』はなしよ」


 ふふん、と言わんばかりの勝ち誇った笑みを浮かべて、おひぃさまがこちらを見ておいでです。いったいどういうことでございましょうか? 怪訝な顔で首をかしげるわたくしに、おひぃさまはクイズのヒントを与えるかのようにこうおっしゃいました。


「さて、今日は何の日でしょうか?」


 はて、今日は何の日、でございますか。ゴミの日、は昨日でございましたな。スーパー『カジキ』の総菜コーナーの特売日は明日でございますし……


「……意外と主婦ね、ペンジャミン。そうじゃなくて、もっとこう、記念日っていうか、お祝い?」


 記念日、お祝い、でございますか? ……ああっ!


「気が付いた?」


 今日は王様がお妃様と初めてお会いになった記念日でございましたな。


「えっ? そうなの?」


 はい。もう何年前のことになりますか。当時まだ王太子であった陛下は、女学生であったお妃様を見初められ、初対面にもかかわらずその場で結婚を申し込まれ、見事玉砕なさったのでございます。


「玉砕!? お父様、振られちゃったの?」


 それはもう。バッサリと。小気味良いほどに。その後陛下は、都合七十六回お妃様に振られておいでですぞ。


「すごい数字ね。むしろどうしてその後、お母様は結婚を承諾したのかしら?」


 お妃様に直接聞いたわけではありませぬゆえ、これはわたくしの、当時囁かれたさまざまな噂を踏まえたうえでの、推測に過ぎませぬが、おそらくは……


「おそらくは?」


 財力、であろうかと存じます。


「……すごく聞きたくなかったわ、その話」


 何をおっしゃいます。経済力は大事でございますぞ。どれほどうわべで愛だの恋だの並べたてたところで、結婚は生活であり、現実なのです。愛で腹は膨れませぬ。


「やめて。私はもう少し愛に夢を見ていたいの。それに、お父様の振られ記念日なんてどうでもいいのよ。もっと大事なことがあるでしょう? 私に関すること」


 おひぃさまに関すること、でございますか。……あっ! そういえば、今日は家庭教師の先生方から出された宿題の提出日でございますぞ!


「違うわよ! いや、違わないけど、そうじゃないの! 私が求めてるのは!」


 もう終わらせておられるので?


「……終わってないけど」


 おひぃさまがわたくしからスッと目をそらしあそばしました。まったく、おひぃさまにも困ったものにございます。ささ、今すぐお部屋に戻られませ。ペンジャミンもお手伝いいたしますゆえ。


「待って! 違うの、確かに宿題は終わってないけど、っていうか手も付けてないけど、そこはもういいの。気付かなくていいの。気にしないで」


 そういうわけにはまいりませぬ。王族として、おひぃさまには様々な知識教養を


「わかってる。わかってるけど、それは今日じゃないの。いい、聞いてねペンジャミン。今日はね、私の、誕生日なの」


 ……お?


「今日は、私の、十五の誕生日。オーケー?」


 おおおおおおぉぉぉぉっ! ペンジャミン一生の不覚! おひぃさまのお誕生日を忘れるとは! 申し訳ございませぬ! さっそく祝いの宴の準備をせねば! それでは、失礼いたしますぞ!


「待ってペンジャミン」


 慌てて部屋を出ようとしたわたくしの頭を、おひぃさまがむんずとお掴みになられました。お、おやめくださいませ! 自慢の髪が乱れまする!


「うすうす気が付いていたけれど、わざとやってるわよね?」


 な、何のことでございますかな? わたくしにはさっぱり。ぴーぴぴーぴーぴー。


「わかりやすく動揺しないで。口笛なんか普段吹かないでしょ。私は今日、十五歳になった。掟に則って、海の上に出ることができる年齢になったのよ。そうよね?」


 それは、そうにございますが、だからといって何も今日行かずともよいではございませぬか。夜には祝いの宴もあることですし、海の上にはいつでも行けるのですから、そう急かずとも、百年後くらいになされば。


「嫌よ! 百年後に生きてるか分からないし、生きててもカラカラのおばあちゃんだわ! 私は海の外の世界が見たいの! 今すぐに!」


 おひぃさまは真剣な表情でわたくしを見つめていらっしゃいます。わたくしの頭を掴んだままで。これは、アレでございましょうか? ノーと言えば頭を握りつぶすぞ的な。


「お願いペンジャミン。あなたには分ってほしいの」


 お、おひぃさま、少々手の力が強うございませんか? 『お願い』というのは、「私にペンギン殺しをさせないで」という最後通牒ぁだだだだつぶれる! ほんとにつぶれる!


「ご、ごめんなさい! 大丈夫ペンジャミン!?」


 おお、頭に五指の形のへこみが。そして向こうに見えるはおじいさまではありませぬか。お懐かしい。手を振っておられる。おぉい! わたくしはここにおりますぞー!


「行かないでペンジャミン! あなたのおじいさまはとっくに天国よ!」


 ……冗談でございますよ。わたくし、まだあの世に行くつもりはございませぬ。


「も、もう! 驚かせないで! ペンジャミンはもうおじいちゃんなんだから、そういう冗談は冗談にならないのよ! 本当、やめてちょうだい!」


 そこまで心配されると内心複雑な気も致しますが、おひぃさまのお気遣いはありがたく受け取っておきましょうぞ。……まあ、おひぃさまが外を見たいと最初におっしゃられたのはもう十年近く前のことですからな。それほど心待ちにしておられたものを、理由もなく『ならぬ』とは言えませぬ。


「ペンジャミン、じゃあ……!」


 このペンジャミンがおそばにおりますれば、大事ありますまい。ただし、わたくしから決して離れぬこと。お約束していただけますかな?


「する、約束するわ! ありがとう! 大好きよ、ペンジャミン!」


 おひぃさまがわたくしを抱え上げ、その細い腕でぎゅっと抱きしめてくださいました。ほほ、あの小さかったおひぃさまが、もうこれほどにご立派になりあそばされたのだなぁ。わたくし、おひぃさまの教育係として、とてもうれしゅうございますぞ。


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