二〇二二年五月二十三日
SFが書きたい、ということを以前に書いたが、実はもう一つ、書きたいが書ける気がしないジャンルがある。それは推理ものだ。それも本格推理もの。不可能犯罪。巧妙に仕掛けられたアリバイトリック。密室の謎。怪しい登場人物たち。憧れるよねぇ。こう、ビシッとすべてが嵌まった感じとか、ちょっとずつ見えてくる真相とか。犯人はあなただ! みたいな。
しかし書けない。密室トリックとかまったく思いつかない。私が思いつくのはせいぜい屋根がないとかそういうくらいのものだ。犯人忍者。そして何より致命的なのは、私は作中で人が死ぬのが好きじゃない。密室殺人未遂事件。被害者の証言で犯人即逮捕。文字通りお話にならねぇ。
でも、書きたいのよ、いつか。誰も死なない推理もの。奇想天外な密室トリック、実行されれば完全犯罪。それを、実行される前に解き明かす名探偵の話。
十年前に大切な人を失い、復讐のためだけに生きてきた青年が、計画を練り、時を待ち、ようやく実行の機会を手に入れた。さあ、復讐の時は今! しかしその計画は、たまたま居合わせた探偵によって実行を阻止される。トリックは見破られ、仕込んでいた仕掛けは全て解体され、青年は誰一人殺すことができない。
「十年、待ったんだ!」
そう叫ぶ青年に、探偵は真摯な目を向ける。
「それでも、あんたは人を殺しちゃぁダメなんだよ」
泣き崩れる青年に背を向け、探偵はその場を去る。
後日、復讐を果たせず無気力に過ごす青年の耳に、一つのニュースが飛び込んでくる。迷宮入りとなっていた十年前の事件、その犯人が捕まった。青年はテレビに駆け寄る。彼の大切な人を奪ったあの外道どもが、自分たちだけのうのうと幸福を謳歌していたあの鬼畜どもが裁かれ、その報いを受けるのだ。青年は誰も殺せなかった。青年は、人殺しではない。
テレビが伝えるニュースを見つめながら、青年はただ、泣き続けた。
警視庁から出て、探偵は空を見上げる。夕暮れの光が眩しい。後を着いてきた一課の刑事が気安げに声を掛ける。
「しかしまあ、ご苦労なこったな。金にもならんことを」
手柄が増えてオレは嬉しいがね、と笑う刑事に鼻を鳴らし、探偵は歩き始める。彼の一日はまだ終わらない。ペット探しと浮気調査は日が落ちてからが本番だ。よれよれのコートのポケットに手を突っ込み、少し背を丸めて、探偵は雑踏の中に姿を消した。
こんなんが書きたいのよ。誰も死なせない探偵の話。誰にも殺させない名探偵のお話。だってさ、誰かを殺さなくていいなら、それが一番いいに決まってるんだから。