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雑記  作者: 曲尾 仁庵
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二〇二三年七月二十九日

 創作の悩みは尽きない。ある日突然書けなくなったりする。どうして書けないのか。ヤン・ウェンリーの知恵の泉もついに枯れ果てたか。そんなときどうしよう、なんてことをね。つらつら語っていきたい。無責任に語りたい。


 まず結論を言うとね。書けない時は寝たほうがいいよ。スパッと諦めて寝る。寝不足で書いた文章はだいたいがひどいもんだから、そのひどさを狙っていないなら寝るのが最適解。思いもよらない謎文章を楽しみたいなら逆に疲れ果てて朦朧としたときに書くとよい。泥酔したときとかでもいいかもね。正気に戻って読んだらほぼ間違いなく意味不明だが新たなインスピレーションは得られるかもしれない。


 というわけで結論は出たので、あとは適当に語っていくよ。結局解決してねぇじゃねぇかぁーーっ! というお怒りは華麗にスルーしてノーリーズンでゴートゥーヘブンリィジャッジメント。


 曲尾仁庵の創作スタイルをまずは開示しよう。私は厳格に以下のスタイルで創作しています。


 妄想する。

 妄想する。

 妄想する。

 書く。

 にやける。


 ……


 参考になるかぁーーーいっ!!


 いや、まあそう怒らないで。私はプロットも書かないしあらすじも最後に書くしタイトルも投稿するときに決めるから書き方の具体的なメソッドなんて持ってないんすよ。じゃあなぜ書けない時の対処法なんて書こうと思ったのかって話だけどエッセイでそんなの見つけたから。便・乗・です! 世界の片隅で書いた私のこのデジタルウェイストがいつかご本人に届くといい。テレパシーか何かで。


 まあ、あんまりふざけてっと怒りのトールハンマーが飛んできそうなのでちょっと真面目に話しましょうか。もっとも私の真面目は三分が限度なので悪しからずご了承くださいませ。


 書けなくなるってことはね、『熟してない』ってことかなって思うのね。物語がね。『まだそのときじゃない』ってことね。それはすなわち、妄想が足りてない。その物語に割くべき時間を満たしていない。物語という器があって、我々はそれに妄想を満たしていく。器に比べて注ぐ妄想が足りなければ、それは書けなくなるよ。キャンバスの大きさに対して絵の具が足りないようなもんだ。


 具体的な方策は二つ。器を縮小するか、注ぐ妄想を増やすかだ。私の『書きたい』をすべて注いだ時に用意できる妄想の量は器の大きさと合っている? そこが一致していないと、私の『書きたい』が尽きた時に器の容量が余ってスカスカな物語になったり、『書きたい』が器から溢れてグダグダになる。


 器、と表現されているものが何か、というと、いわゆる『設定』『世界観』という類のものだ。それらを作り込めば込むほど、そして詳細に描写すればするほど、器は広がる。作り込めば作者の認識する物語の器が広がり、描写すれば読者の認識する物語の器が広がる。作者と読者で器の認識が異なりうる、ということは頭の隅に置いておくと役に立つかもしれない。立たないかもしれない。どうだろう。まあいいや。


 プロットを作る、あらすじを最初に決める、といった作業は執筆を効率化するが、それに拘泥しすぎると物語を縛る枷になる、ということは意識したらいいかもしれない。プロットもあらすじも、なくても物語は作れる。そしてプロットもあらすじも、最初に作ったものは書いているうちに全部破棄してしまっていい。プロットに従って物語の自然な展開を歪める方が害悪だ。『これが書きたい』と思って始めた物語であっても、書き進めていくうちにそれを入れ込むのが不自然になったのであれば諦めるべきだ。それはまた別の物語で実現すればいい。『このシーンにつなげないといけないんだけどうまくいかない』と悩んで筆が止まるなら、つなげないといけないそのシーンを捨てましょう。そして今、自然につながるシーンを書きましょう。


 そんなことをしていたら物語が漂流するって? ホンマや。どうしよう。どうしたらいい? 流されてしまっていいじゃない。私たち、そんなに強くないよ。あ、いかん、真面目力が尽きてきた。もうちょっとがんばれ私。この雑記は、果てしなく無意味な文章を皆様にお届けする使命を帯びているのだ!


 自然な展開を追っていくと物語が漂流するのであれば、主題とキャラと設定が整合していない可能性を考えるべきだ。自然な展開、とは、各キャラクターが各々の立場や信条に従って行動したときに不自然でない、ということを意味するとしたら、それによって物語が漂流するということは、物語のメインストリームがキャラと無関係に配置されているということを意味しないだろうか? 主題とキャラと設定がそれぞれ別に考えられていると、キャラを世界やストーリーに配置したときに不整合が起こる。そのギャップを埋めるのに腐心すると物語は歪む。キャラに合わせればストーリーが歪み、ストーリーに合わせればキャラが歪む。


 じゃあどうしろって? どうしたらいいんだろうねぇ。現在進行形で迷走中の私にそれを聞くのかい? いいかね? 今日、ここで私が語ったことはすべて、何一つ信じてはいけないよ? 疑う力こそ作家には必要なんだからね。


 解決策は、現時点の私の、という前提で、『ひたすら妄想する』しかないって思ってますよ。同じシーンをひたすら何度も妄想する。そのシーンの前のシーンを改めて妄想し、そのシーンの後のシーンを妄想する。それを何度も繰り返す。泥団子を磨いてピカピカにするみたいにね。そのシーンだけを妄想するんじゃうまくいかないよ。前後、そして全体をひたすら、何度も妄想する。そうするとね、ある日突然、今まで『いい』と思っていたシーンの不自然さに気付く。キャラの行動が、会話が『作者にとって都合がいいものになっている』ことに気付くのさ。


 妄想が終わったら、今度は書き始めるよ。妄想は溢れんばかりになっているから、この時点では展開に悩んで筆が止まることはなくなっているはずだ。筆が止まるとしたら、じゃあ具体的にどう描写するかってことになろうかと思う。これはね、『四の五の言わずに書く』しかないね。悩むより書く。一字でも書く。主語を書けば、その続きに書くのはその主語の様子や行動だ、ということがはっきりするよね。主語が物なら状況を書けばいいし、キャラクターなら意志や行動になるかな。主語、述語、会話文。その繰り返し。全体を見渡すから途方に暮れる。足元の一歩だけを見つめましょうよ。


 個人的な意見だけど、会話文が書きやすいからと言って会話文だけ先に書くのはお勧めしない。私も一時そういう書き方をしていたのだけれど、今はやめた。会話文は確かに書きやすいが、会話文だけを先に書くと、本来地の文で説明すべき内容が会話文に入り込んでしまうことが多い。そうでなければ後から見返した時に状況が分からなくなりやすい。この会話なんだっけ、となるか、不自然に説明の多い会話文になるか、どちらかになってしまいがち。私の場合は、だけどね。さらに、会話文をざっと書いてしまうと物語は進んでしまうように見えるので、地の文を書くのがますます億劫になってかえって執筆意欲が失せる。会話文を書いた時点で満足してしまうのだ。満足するというのは思う以上に厄介で、苦しくてもきちんと冒頭から地の文付きで書いていく方が結果的に完成は早まると感じる。


 書けない、と思っても、一字ずつぽちぽち書いていくと案外書ける。そういうときはシーン全体を書くなどの欲は捨て、たとえば五百字書く、というように数値目標を設定してみたらいいかもしれない。品質は問わない。とにかく字数を規定量まで書く。なんなら規定量に達したら文章の途中で止めてもいい。それは「今日も書くべきシーンが書き終わらなかった」という記憶を「今日は五百字書いた」という記憶で上書きするのだ。今日の終わりの記憶が「書けなかった」から「書けた」に変わる意味は大きいと思う。「書けた」の意味が変わっているとしてもね。


 まあ、そもそも無理して書かなくていいよ。職業作家なら別でしょうけども。今日は寝なさい寝なさい。明日になったらいいアイディアが浮かぶって。


 あ、あと、現実的に役に立つアドバイスができるとしたら、


 音楽を聴く


 といいよ。好きな曲聞くとはかどるよ。あとアイディアも膨らむよ。気がついたら手が止まって歌ってるって弊害を除けばね。

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