二〇二三年一月二十二日
先日、二十万字を超える連載を書き終えたんです。でも、完結設定はしてないの。作品の性質上、完結設定をすると意味がなくなるのね。当初はそれに気付いてなかったんだけど、ある日それに気付いたときの絶望感よ。だって完結ブーストが狙えないんだぜ? それだけが希望だったのに。まあ、完結設定したらブーストしたのかってぇと、たぶんしなかったけどね。
ま、それは私のドロドロした欲望の話なのでどうでもいいのだけれど、それとは別に、自分自身の中でちょっと面白い変化があったのさ。今回はそんな話。共感されるかどうかは微妙かな。きょうかん、って入力して変換したら叫喚ってでたわ。パソコンの辞書にどんな学習させとんねんワシ。
実は、十万字を超える物語を書きあげた(というと語弊があるんだけど)のは初めてなんですが、投稿を終えてしばらく経つと、ある想いが込み上げてきたんですよ。
作品解説がしたい!
……さくひんかいせつがしたいを変換したら作品解説が死体と当然のように出てきたんだがそれは置いておいて、自作の解説がしたいという欲求がふつふつとね。湧いてきたわけですわ。あ、ちなみにこの作品は、二〇二二年九月二十七日の雑記で「ちょっと書きたくない」と言っていたものです。ちゃんと書きましたよ、葛藤を乗り越えて。普通にハッピーエンドにすればよかったかと今でも悩んでいるけどね。
この作品は何を描いたものだったのか。
この作品は何のために書かれたものだったのか。
何をしようとしていたのか。
なぜこうでなければならなかったのか。
解説してぇ。ちょっと自慢げな顔で解説してぇ。鼻につくわぁ。帰れって言われそう。
でね、ちょっと冷静になって、どうして解説したくなったのか考えてみたわけ。そうすると、まあこの作品がかなり実験的な取組だったとか、いろいろあるんだけど、最終的にはまるっと一つの結論に収まりました。つまり、
言い訳
がしたかったんだろうと。読み手の方に伝わっている自信がなかったから、解説したいと思ったんだろうな、ということが見えてきて落ち込む。
作品は基本的に作品内の情報のみで完結しているべきで、作者の解説がないと分からないものはよろしくないであろうと思います。あえてやってるのなら別ですが。なんだけども、この作品はそれができていないかもしれないという私自身の疑念が、解説したい欲求を生んだのです。情けねぇなぁ。自作を信じない作者ってなによ? 面白いと思って書いたんでしょうが。
というわけで、言い訳したい気持ちをぐっと抑えて、作品解説は封印します。まあ興醒めだろうし、作者の解説なんて。読み手の自由な解釈を制限するという意味でも解説は害悪な気がします。私は自由に書いているんだから、皆様が自由に読むことを間違いとしてはならないはずです。このモヤモヤした気持ちを、次作にぶつけてやるぜ! 次作のあてはまだないけどな!
しかし、封印はいつか綻ぶものであるということもまた、歴史の証明するところなのでございます。