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お金がないっ!

買い物しようと街まで出かけたら・・・財布を忘れたドタバタ短編

「お姉ちゃん、まだあ」

 先に外に出た妹の若菜の声がした。もう五分も待たせてしまっている。

 ようやく出かける支度を終えた私は、慌てて玄関にやってきた。持っていた手提げを脇の下駄箱の上に置き、下駄箱からスニーカーを出して玄関に音を立てて置いた。

 その音と同時に今度は背後から弟の敏夫に声をかけられた。

「姉さん、お金!」

「お金って何よ」

 ぶしつけな弟に、私はスニーカーに片足に入れながら答えた。

「だから昨日言ったじゃない、那鹿島たちと自由研究をするために水族館に行くって」

 そう言われてみれば、そうだった。昨夜夕食のときに、確かクラスメートたちと一緒に行く、って言ってたっけ。すっかり忘れていたわ。

「ああ、そうだったわね。気をつけて行ってくるのよ」

 靴紐が少しきつくて足がすんなり入らなかった。半分入れたところで靴のかかと部分を踏まないように靴の中でつま先立ちをしながら、下駄箱に引っかけてある木製の長い靴べらを手に取り、かかとに差し込んだ。

「そうじゃなくて! 僕、お金持ってないから、ちょうだいよ」

 敏夫は手の平を、上に向けてまっすぐこっちに突き出してきた。

「お小遣いはどうしたの?」

 靴を履く作業をいったん止めて、弟の顔を見た。少し怒っていた。

「電車に乗って行くんだよ。小学六年生のお小遣いだけじゃ足りないに決まっているじゃないか」

 そういえば、昨日そんなことを言っていたわね。イマドキの小学生は結構な額のお小遣いをもらっているらしいけど、うちは父の方針でお小遣いはかなり少額。電車に乗って水族館に行くには足りないはず。

 「お姉ちゃん、まだあ」

 外にいる妹が再び声をかけてきた。急がなくっちゃ。

「もうしょうがないわね」

 そう言って手提げから財布を取り出した。そして財布を開けて五千円札を敏夫に渡した。

「いまこれしかないから。使い切るんじゃないわよ」

「ありがとう」

 敏夫の声に被せるように「ねえー、まだあ」と再び若菜の声がした。もうだめだ、これ以上待たせるわけにはいかない。

 私は財布を下駄箱の上に置いた。

「じゃあ、買い物しに街まで行ってくるから。ちゃんと玄関の鍵をかけていくのよ」

 もう片方のスニーカーを履きながらそう言った。まだかかとが入っていなかったが、手提げ袋を手に取り、靴のつま先を地面にトントンさせながら慌てて外へ出た。

「わかってるよ。うるさいなあ、姉さんは。もう子どもじゃないんだから」

 背後から敏夫の声を聞きながら妹に「お待たせ」と声をかけた。

「早く行こう。セール品、売り切れちゃうよ」

「そうね、行きましょう」

 そうして私は若菜と一緒に歩き始めた。




「今日の晩ご飯は何にするの?」

 家を出てしばらく歩いてから、若菜が聞いてきた。

「今日も暑いからカレーでいい?」

 私が言うと、若菜は「えー、カレー」と言って嫌そうな顔をした。

 先週から夕ご飯をカレーにしたのがすでに三回……。確かにちょっと多すぎるかしら。でも小学校の夏休み中は、厳しい残暑で台所に立つのが嫌になってしまう。簡単に作れるものがいい。

「そうよ。こうも暑いと台所に立つのも大変なのよ」

「ひょっとしてお昼はまたそうめん?」

「そうよ」

「またそうめんなの」

 そうめんは、先週から七日連続だった。

「しょうがないでしょう。お中元でいっぱい届いたんだから」

 実際、家には父の勤務先の関係者と、私の夫の勤務先の関係者からいくつもお中元が届いていた。去年はビールと清涼飲料水の詰め合わせが多かったが、今年は何故かそうめんが多かった。

「せっかく買い物に行くんだから、もっとおいしいもの食べたい。颯馬兄さんのお給料も出たんでしょう」

 お給料? 確かに言われてみれば、今日は夫の会社のお給料振込日だった。いつもは節約ばかりだけど、そういうことなら、奮発してもいいかもしれない。

「そうねえ……。それ、いいかもしれないわね」

「でしょう。そうしようそうしよう」

 若菜が笑顔になってそう言った。

「そうね、そうしましょう」

 私は鼻歌を歌いながら妹とスーパーに向かった。




 スーパーにやってきた。観音開きのガラス製の自動ドアが左右に開くと、中からひんやりとした空気が出てきて肌に触れて涼しかった。湿度と気温の高い、うだるような暑さの外とは大違いだ。

「んー、すずしいわねえ」

「うちにもエアコン入れようよ」

「そうね、そうしたいのもやまやまだけど、父さんが許さないわ。昔気質の人だから」

 そう言いながら入口入ってすぐのところに積まれていた買い物カゴを引っぱり上げた。

 そしてまず野菜コーナーから回る。キャベツ、もやし、にんじん、玉ねぎ……、必要な物をカゴに入れていく。そして鮮魚コーナーや日配品コーナーを軽く見つつ、精肉コーナーへ。

 壁際の冷蔵ケースの中に並べられている肉のパックを端からチェックする。確か今朝見た新聞に入っていた折り込みチラシでは今日は豚肉の特売日とあったのだ。どれがそれなのか確認しなくっちゃ。

 先に売り場の先の方まで行っていた若菜が戻ってきて「お姉ちゃん、あったわよ」と教えてくれた。

 二人で豚肉のコーナーへきてパックを見た。パックのラップの上には黄色地にオレンジ色の文字で「広告の品」と書かれたシールが貼られていた。

「あったあった、これだわ」

 さっそくパックを一つ二つと取り上げて中身をまじまじと見る。金額は一〇〇gあたり八八円だった。豚肉は輸入品も国産品もだいたい同じくらいの値段だ。そして八八円は、いつもより一〇円ほど安い。だから手に取った両方ともカゴに入れた。

「よかった。うちは人数が多いから特売の日じゃないとお肉は買えないからね」

 うちの家族は私と妹、弟。両親と私の夫の全部で六人家族だ。育ち盛りの子どももいるので、結構食べるのだ。だから少しでも安い値段で少しでも量が多くなるように買わなければいけない。そうなるとお肉のチョイスは鶏肉か豚肉の二択になる。

「ねえねえ。お給料入ったんだから、こっちはどう」

 若菜が隣の牛肉コーナーから、厚切りステーキ肉のパックを持ってきた。

「ステーキ? そんなの上等過ぎよ。みんなで食べるんですもの。それなら……」

 私は牛肉コーナーを一度往復してから牛肉の細切れパックを手に取った。

「こっちの方がいいわ」

 ステーキ用は高いので、こっちのほうがいい。




 そのほか、妹と弟が食べる分の菓子や、昼食で食べるそうめんのタレ用に使う出汁用の昆布や削り節をカゴに入れてレジ待ちの列に並ぶ。

 平日にもかかわらず、昼前であるせいか、レジ待ち客が長い列を作っていた。

 並んだ場所はちょうどお菓子売り場の目の前だった。

 すかさず、若菜がポテトチップスの袋を見せて言った。

「お姉ちゃん、コレ買っていい?」

「ダメよ」

 私はすぐに言った。今日と明日のおやつは既にカゴの中に入っている。かごの中にせんべいのお徳用が二袋入っている。

 カゴの中を一通り確認しながら、何か足りない気がした。……そう、お味噌。お味噌がなかった。うちは大人数なので味噌の消費が多いのだ。あと醤油もそろそろ買わないといけなかった。

「若菜、お味噌を買うのを忘れていたわ。ちょっと取ってきてくれない。あ、あとお醤油も」

「はーい。味噌とお醤油ね」

 若菜は言い終わらないうちに駆けだして行った。


 列は進み、会計まであと三人となったところで若菜が戻ってきて、カゴに味噌と醤油を入れた。

「すぐに見つかった?」

「うん、大丈夫だったよ。でもこれって美川屋さんにお願いしても良かったんじゃない」

「いつもだったらそうするところだけれども、今日は若菜もいるし、重い物も持って帰れそうな気がしたから」

「そうなんだ」

 そう言っているうちにレジの順番がいよいよ回ってきた。

 レジ係の中年女性が金額を読み上げながら素早い動作で会計済みカゴに物を入れていく。

 綺麗に流れるように物が左側のカゴから右側のカゴに流れる様子をつい眺めてしまう。その流暢さにいつもうっかり見とれてしまうのだ。

 すると、レジ係の女性が「三三五四円です」と声を上げた。

 ハッとして慌てて手提げに手を突っ込んで財布を探す。右へ左へ、奥へ手前へ。大した物は入っていないので大きい財布はすぐに見つかるはずなのだが……、肝心な物の感触が手に当たってこない。

 思わず「あら?」と声を上げて手提げの口を大きく開いて中身を見てみた。

「どうしたの?」

 若菜が言った。

「ない……」

「何が?」

「ないのよ……」

「ないって……、まさか」

「若菜」

「なあに?」

「あなた……、私の財布を持っていたりする?」

 私の顔をじっと見ている若菜の方を見て言った。

「そんなわけないじゃない」

「それもそうよね」

 私はもう一度、手提げ袋の中を探った。上下左右にそして円を描くように手を動かした。手提げの口を大きく開いて中も見た。ない、確かにない。ないのだ。お財布が。

「あのう……」

 退屈そうに余所に視線を投げていたレジの中年女性に、静かに言った。

「はい。何ですか」

「そのう……、実は財布忘れちゃったので、今取りに行ってきてもいいですか」


 私は走っていた。手提げと買い物かごを若菜に預けて走っていた。

 スーパーの入口の自動ドアが左右に開ききる前に、わずかに出来た隙間からすり抜けて外に出た。熱された気圧に押されるような感じを受けながら、走った。

 商店街の人混みをかき分けて走って行った。時々人にぶつかりながら、走って行った。

 顔なじみの知り合いの主婦が別の主婦が、路上で立ったままおしゃべりをしているのが見えた。走ってその二人にグングン近づいていくと、あちらもこちらに気づいたみたいだった。

「あら、紗枝さん、そんなに急いでどこへいらっしゃるんですか」

「ええ、ちょっと」

 私は息を切らしながらその姿を片目で視線をやりながら走って通り過ぎた。

 直後、二人の笑い声が聞こえた。


 何度か交差点を曲がってようやく家にたどり着いた。息は上がり、額はもちろん前身から汗がびっしょりであった。気温の高さと直射日光があたり、腕や顔がかなり熱くなっているのがわかった。しかし、買う物と若菜をスーパーに置いたまま来てしまったので、すぐにもどらなければならない。

 そうして私は玄関までやってきて、ドアに手をかけてスライド式のドアを引っ張った。

 しかしドアは開かなかった。

「あら?」

 なんで開かないのかしら。何度もドアを横にスライドさせようとしたが、ドアはぴくりとも動かない。やはり、鍵が掛かっているのだ!

「なんで開かないのよ!」

 ドアに向かって思わず大声を上げてしまった。落ち着け落ち着け。怒鳴ってもドアは開かないわ。自分を落ち着かせて、私はスカートのポケットに手を入れて鍵がないか確認した。もちろん鍵は入っていなかった。そう、でも出かけるときは手提げを持っていた。その中に入っているはず……。

 そして自分の手を見てみた。手提げはもちろん持っていない。

 そういえば……、手提げはスーパーで買う物と一緒に若菜に預けたのだった。

「やだ、もう、勘弁してよ」

 そう呟いてから私は玄関ドアを叩いた。

 父と夫は仕事、母は朝早くからお友達と会いに出かけてしまった。だから家には私と若菜と敏夫がいるはず。そして私と若菜はスーパーに買い物に出た。それなら敏夫がまだ残っているはず。

 そこで私はドアを何度も叩いて「敏夫! 敏夫! 開けて! 開けなさい!」と大声で言った。

 何度、叩いても家の中から反応がない。

「敏夫ー! 開けて!」

「ねえ敏夫、いるんでしょう! ちょっと開けて!」

「ねえってば、敏夫ー! 開けてってば!」

 ドアを叩きながら何度も叫んだが、家の中からは何も反応がなかった。

「もうどこへ行っちゃったのかしら」

 私はそう言いながらその場でしゃがみこんでしまった。

 すると背後から、凜とした若い女性の声で「紗枝さん」と呼ばれた。

 後ろを振り向くと、犬を散歩させている雪枝さんが立っていた。隣の音楽家のおうちの娘さんだ。

「どうしたんですか」

 雪枝さんが言った。

「いや、ちょっと。買い物に出かけたらお財布を忘れちゃって……」

「敏夫君ならさっき那鹿島君が迎えに来て一緒にどこかへ行きましたよ」

「あ、そういえば……」

 そうだ、買い物に出る前にそんなこと言ってたっけ。しかもその時、お金を渡したわ。その時、確かに財布は持っていたけど、そういえば、あれ、下駄箱の上に置いたんだった。

「うちでお茶でも飲んでいきませんか。敏夫君が帰るまで。どうでしょう」

「ありがとう。お言葉は嬉しいんだけど、今は急がないといけないので……」

 私がそういうと雪枝は「そうですか」と会釈をして立ち去っていった。


 私は玄関先から道路へ出ると、再び走り出した。

 途中、顔見知りの奥さんに再び声をかけられたが、そばを走り抜けるときに愛想笑いをするのが精一杯だった。

 そうして商店街のスーパーに戻ってきた。店の入口のすぐ近くのサービスカウンターに若菜が立っていた。お店の人と何やら話をしているようだった。

 私は若菜に近づいて、手提げを手に取った。

「お姉ちゃん早かったね」

 私は息を切らしていたので、「鍵、鍵」と言うのが精一杯だった。

 そして手提げの口を思いっきり広げてみてみた。財布はもちろんなかったが、鍵もなかった。手を突っ込んで左右に動かしてもみてもそんな感触はなかった。

「うそ、鍵も忘れた……」

 私は足の力が抜けてその場でへたり込んでしまった。

「裏から入れば?」

 若菜が言った。

「うち、裏はいつも開いているじゃない」

 そう言われて、ハッとした。そういえばそうだった! 母がいつもそうしていたのだ。私は泥棒が入るからそんなこと止めてって何度も言ったけど、母はそのたびに「いいのよ」とだけ言っていたっけ。

 私はすぐに立ち上がり、「これ!」と言って手提げを若菜に押し付けて再び走り出した。




 顔見知りの奥さんに「大変ねえ」と声をかけられたが、挨拶する余裕もなく、そばを走り抜けて、汗だくになって家に戻った。

 すぐに玄関の脇から敷地に入り、勝手口に回った。

 勝手口まで来るとすぐにドアノブを掴んで回した。ドアノブは手の動きと同時に回った。

「やった!」

 思わず声を上げながらドアを開けて中に入った。

 台所から廊下に出て、まっすぐ行った先の玄関までやってきた。

 腰の高さまである下駄箱の上の玄関に近い方に、財布が置かれていた。

「これよこれ。やっぱりここだったのね。これは絶対、敏夫にお金を渡したときだわ」

 財布を掴んで私はすぐに勝手口から外に出て、ドアを閉めた。

「早く戻らなきゃ」

 そう言って玄関口へ回り路上に出て、今度は財布を握りしめたまま走り出した。


 途中の顔見知りの奥さんはもうすでにいなくなっていた。

 そうして財布を右手に掴んだまま、私はスーパーの中に入った。そして若菜を連れて再びレジに並んだ。さっきまでの混雑はだいぶ解消しており、並んだときには二人しか待っていなかった。

「もう、おねえちゃんったら、そそっかしいんだから」

「えへへ、ごめんね」

 少し照れ笑いしながら答えた。エアコン聞いた室内が、火照った体を急激に冷やしてくれて気持ちよかった。二往復も走ってしまったけど、これできちんと会計ができると思うと、なおさら気持ちよかった。

 会計の順番が回ってきて、レジ係の中年女性が、「三三五四円です」と言った。

 私は財布を開けた。中身を見た。あれ……、おかしい。

「お姉ちゃん?」

 若菜が声をかけてくれたみたいだけど、私の頭は真っ白になてしまい、妹の声が全く聞こえなかった。。

 二〇センチほどのサイズで、お札も入れることのできる厚手の財布だ。中は左右の仕切りがあった。その片方にお札を入れ、もう片方に小銭を入れていた。そういう使い方をしていた。していたはずだった。しかし、いま中を見ると、右の方には確かに小銭が入っているのだが、左の方に入っているハズのお札が入っていない。

「ねえ、お姉ちゃんってば」

「ゴメンね、若菜。またここで待っててくれるかしら……」

「どうしたの、お姉ちゃん?」

「財布の中に、お金が……、お金が……、入ってなーい!」

 私はそう叫びながら、レジから走り出していた。


(了)

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