1-2
奇跡の偶然か。運命か。
告白しちゃった太郎。告白されたと勘違いの遥。
親しくなりたいと悶々する太郎。
告白されたことに悶々とする遥。
レースエンジン並みのスピードで、勘違いは加速する?!
「はーぁ」
用を足しながら、太郎は考えた。考えたが、いい案は一向に思いつかない。
愛らしい。噛み噛みの妖精弓月遥。
美少女から妖精に進化してるのは、太郎の想像……妄想がアレなせいだ。
「どうやったら、弓月と親しくなれる?」
『席後ろでしょ?仲良くなれる機会なんていくらでもあるよ!』
「機会がないから、悩んでるんだよ」
『まずは顔みて挨拶しなきゃ。会話は目でするもんだよ』
「そんなことできるなら、とっくにしてるって」
『……』
「……」
「『機会を待とうか』」
脳内の太郎会議は、両者の意見一致で閉会した。
「はぁ」
洗面台で手を洗いながら、太郎は二回目のため息をついた。
鏡にうつった自分を見る。見目はそう悪くはないはずだ。多分悪くない。
悪くないんじゃないかな? まぁちょっと不細工な覚悟はしておこう。
「あー……」
せめて、陸郎のように……。所謂イケメンであれば、こんなにも悩まなかったかもしれない。
思春期真っ盛りな年頃の切実な想いである。自分へのコンプレックス。
自分とは違う、他人への憧れ。もう少し大人になれば、きっとこんなことで悩んだりはしないだろう。
早く大人になりたい。格好いい大人に。誰もに胸を張れる……。そんな大人になりたい。
漠然とした、未来への願い。それと相反する今の自分へのコンプレックス。
そんなモヤモヤとしたものが、自分の中には確かにある。だから。
だからこそ、太郎は、自分を変えたいと思っている。高校生活の三年間で。
そうやって意気込んでいたのに、入学早々躓いてしまった。落ち込みは激しい。
何度目かのため息と同時に、予鈴のチャイムが校内に響き渡る。
太郎は、落ち込みを振り落とすように頭を振り、教室へ続く廊下を歩き出した。
午後のロングホームルームは各委員の決定や、入学最初のイベントである生徒会長選挙の説明だった。着々と各委員が決まる中、太郎は落ち込んでいた。
教室へと戻る最中に切り替えたはずの気分は、直るどころかさらに落ちていた。
より激しい落ち込みは、愛らしい噛み噛みの妖精が、届けてくださった。
哀れな子羊である太郎は、妖精が届けてくださった言葉で落ち込んでしまったのである。
心待ちした機会は、意外な容で訪れた。
それは太郎が教室に戻り、席につく時だった。
弓月は自分の席で、机に肘をつきぼんやりと窓の外をみていた。その姿は、とても綺麗で絵にもなっていて人形のようにも思えた。物憂げな表情は、どこまでも美しかった。
ドギマギしながら自分の席のイスを引いた時、後ろからため息が聞こえた。
周囲には気取られないようなごくごく小さなため息。すぐ前にいる太郎でも、弓月を意識していなければ聞き取れなかっただろう。
聞こえてしまった。弓月は何か悩んでるんだろうか。ただ疲れてるだけなのか。
さっきまで自分もため息を吐いていた。小さな悩みかもしれないが、自分はそれなりに苦しんでもいる。そして、それを変えていきたいとも思っている。
「弓月もそうかもしれない」
自分とは、全く違う悩みなのかもしれない。本当に疲れているだけかもしれない。
でも、聞いてしまった。聞こえてしまった。
太郎自身自覚のない持ち前の心配性、なんとかしてやりたい性を発揮させた。
単にお節介なだけなのだが、太郎は放って置けないのだ。聞けばなんとかできるかもしれない。その悩みの少しだけ、ほんのちょっとの重さでも軽くできるかもしれない。
そんな太郎だから中学時代は、行列のできる人間相談所として頼られていた。
自覚のない長所だから、頼られる。自覚のない長所だから、踏み込める。
自覚のない長所だからこそ、太郎は自分を過小評価している。そんな長所だ。
お節介モードの太郎には、親しくなりたいという願望は消えていた。
ただ弓月が心配だった。だから気安く後ろを振り向き声もかけられた。
「なぁ、弓月。お前はなにか委員やるのか?」
突然声をかけられた弓月は、ビクと体を震わせ視線を外から太郎へと向けた。
「おれは、委員はパスなんだけどさ。弓月はどうなのかなって」
唯でさえ大きい瞳は、見開かれさらに大きくなっている。
「いい、委員は……」
「ゃや……やらない……と……思ぅ…」
「そっか。なんだかんだで、面倒そうだもんな」
やらないと思う。弓月は俯いて消え入りそうな、小さな小さな声で答えてくれた。
それにしてもと思う。なんて可愛い声なんだ。愛らしい顔にピッタリの高めの声。
少し鼻のかかった、舌足らずで、甘い声。緊張しているのか、その声は微かに震えている。
妖精が鳴らす鈴はこんな感じの音色なんだろうか。アレな妄想も加速する。
噛み噛みの自己紹介は、裏声になってしまってたからな。
思い出すとなんだか可笑しくて、ふっと笑ってしまった。
それに気付いたのか、弓月は不思議そうに太郎を見上げて、目が合ってしまい、また俯く。
今まで横目でしか見たことがなかった弓月は、本当に美しかった。
なんて表現すればいいのか…可愛らしくも愛らしくもある。大人びた綺麗さもある。
目が合った。心臓が飛び出るくらい跳ね上がった。良かった、俯いてくれて。
でなければ、自分が俯いてた。弓月は見慣れたはずの綺麗な女子に圧倒されていた。
お節介モードは続行中だったが、着けた仮面は剥れ太郎はとうに弓月を前にして緊張の局地にいた。
「弓月あのさ。あのー、さっきため息ついてたろ?」
「どうか、したのか?」
「悩みでもあるのか?」
「ほら、おれが席につく時偶然聞こえて。それでどうしたのかなって」
太郎は焦って早口でまくし立てる。弓月からは何も返ってこない。
「いや、余計なお世話だろうけど、何か助けになれるかもしれないと思って」
「ああ、そっか。男には言えない話だったらいいよ。言いたくないこととかさ」
弓月から返事がない分、太郎は余計に焦り自分で何を言ってるのか分からなくなっていた。
「……」
弓月は黙って俯いたままだ。
「えっと、その……心配だからさ?」
「良かったらでいいんだ……。……どうだ?」
返事を待った。時間にすれば、ほんの数秒だろう。その数秒は太郎に永遠を感じさせていた。
太郎が声をかけたことを後悔し始めた時。弓月は顔を上げた。
少し迷うような素振りを見せて、こう答えた。
「だ、大丈夫だから……放っておいて」
声は震えているものの、さっきの消え入りそうな声ではなかった。
はっきりと。
きっぱりと。
私のことは放っておけ
そう言い放たれた。
放たれた言葉は、矢となり見事、太郎を撃ち抜いた。ど真ん中、ストライクだ。
恋の矢がハートを射抜いたのではない。撃ち抜かれたハートは今やズタズタである。
太郎は、落ちた。どこまでもどこまでも、暗いところへ。
親しくなるどころではないじゃないか。これは嫌われたのか。
知り合ってもないのに。友達にもなってないのに。何も始まっていないのに。
一方的に話し掛けただけだが、初めて会話らしい会話をした結果がこれだ。
初めてまともに話して、嫌われるとかってアリかよ。
力になれたらって、そう思ったんだ。
あの時は本当にそうだ。親しくなりたいとは思ってたけど、弓月が心配だったんだ。
どうして……、どうして放って置いてなんだよ。
傷つきやすい思春期のガラスのハートである。
もはや、太郎は暗黒府の大統領に任ぜられるくらいの負のオーラを放っていた。
対して弓月にすれば、それは放って置いて欲しいと思っても当然のことだった。
昼休みに突然告白されてどうしようかと思っていた。
しかも入学間もない時期で、朝と放課後に挨拶を交わす程度の仲。そんな気持ちになるものだろうか。
自分にはない感覚。しかし男女共学であればそんなものなのかもしれない。
でも自分は…高校に入学するまで、男子と教室を共にすることもなかった。
今まで接してきた男子は家族と近所の子供時代の遊び相手くらいなものだ。
その遊び相手の一人に憧れのようなものも抱いたが、それが何なのか分かる前に遠くへ行ってしまった。
この学校にきて、やろうと決めたこともあった。その説明が今日のこの時間だった。
新入生の最初のイベント。生徒会長選挙。
その説明を聞いて、どうすればいいのか分からないが、頑張ろうと思っていた。
頑張って自分を、もっと自身の持てる自分に変えたいと思っていた。
協力を頼めるような友達は、このクラスにはまだいない。が、一人でも頑張ると決めた。
そう、弓月は。噛み噛みの妖精こと弓月遥は…
自分がやろうと決めたことの大変さに悩んでいたところ、太郎に告白されパンク状態だったのだ。
告白をしてきた相手。山田太郎は告白したのに。
してきたのに。そんなことなかったように話し掛けてきた。
ほんとに心配して尋ねてくれたのは、彼の表情を見れば分かる。
分かるけど…分かるけど、告白した相手にそんなあっさりできるものなの?
ため息の理由の一つに自分も含められてるなんて、想像もできないの?
告白っ……、告白してきたのに!
心配してくれたのは分かるけど、告白の返事も聞かないで?!
それってどういうこと!? 聞く必要もないってこと?!
ただの遊び? もしかして罰ゲームとか?!
そうだったら許さない……。許さないから!
弓月も思春期真っ只中の乙女なのである。太郎の告白が気になって仕様がないのだ。
昼休みにもたらされた大いなる奇跡の勘違い。これも抗えぬ宿命か。
今やその効力は、弓月の冷静メーターの最大値を振り切って、若干オーバーヒート気味。
そんな互いの悩みも考えも関係ないと、チャイムはロングホームルームは終わりを告げた。
放課後、午後のロングホームルームで暗黒府の大統領に就任した太郎は、負のオーラを撒き散らしつつ、トイレにいた。
なにもトイレを大統領官邸にするつもりはない。ただ掃除当番なだけである。
しかしその掃除っぷりは、極めて素晴らしいものであった。
さすがは暗黒大統領!ではなく、自分の胸のモヤモヤを汚れと一緒に洗い流したかった。
傷ついたハートをブラシで擦って、ツルツルにしたかった。
一心不乱に掃除する太郎は近寄りがたいオーラーを放っていて(さすが暗黒大統領!)
クラスメートは、ほどほどになとだけ声をかけ、トイレを後にした。
力一杯、ブラシを動かし続けた腕はプルプル震え、握り締めた手の握力もなくなっていた。
額からは汗の粒が流れ落ち、拭こうにも上手く手が動かない。ザッと汗を拭い立ち上がる。
ピカピカになったトイレをボーっと眺め、太郎は独りごちた。
「いやいや、これからだろ高校生活。今日みたいにすれ違うことだってあるさ」
今日の痛手を糧に、太郎は明日から!とズタズタのハートに包帯をそっと巻いてやった。
「よし! 帰ろう!」
帰りに姉の晩酌用ビールでも買って帰ってやるかなんて、考えながら人気のない廊下を歩く。
考えは的中。着信に気付かなかったが、受信箱には姉からのメール。
ただ短く、『ビール三本とつまみ』とだけあった。
「我ながら、いい判断だ」
太郎は苦笑した。この上姉の説教まで喰らうのは御免だ。
ロングホームルームでの出来事と、今の心境のギャップにまた苦笑する。
なんだかんだ人間は上手く出来てるのかもしれないな。出来てると思いたいな。
笑いながら、教室の扉を開けた。
そして、固まった。
さっきまでの愉快な気持ちは、霧散してしまった。
足も動かない。
このまま閉めて帰れたら、どんなに楽だろう。今すぐここから居なくなりたい。
ああ。やっぱり人間は上手く出来てない。ついで言うと、人生もそんなもんなのかも。
わずか30秒足らずで、自分の甘い考えを打ち消せたのは僥倖と言えよう。
太郎はわずか数時間で、少しだけ大人になれたのだから。
しかし状況は変わらない。当然気付いている。こちらを見ている。
弓月がいる。もう終礼してから随分と経つのに。なぜか弓月が教室にいる。
席に座って、こちらを見ている。
誰か、一旦CMーとか言って考える時間をくれっ!
どうすんだこの状況。気まずいにも程があるだろ。
心の中で頭を抱え絶叫する。なんじゃあこりゃああああぁぁぁぁぁぁ……。
ここで逃げたら決定的なダメージを負ってしまう。学校にも来れなくなる。
緊張を意地という蓑に隠して。意を決して顔を上げた、その時。
「どうしたの?」
震えてはいない、弓月の声が聞こえた。その声は少し固いような気がした。
「い、いや、さっきまでトイレ掃除しててさ」
慌てて返事を返す。弓月がさらに重ねる。
「こんな時間まで?」
「けっこう汚れててさ。なんかムキになっちまった。ハハ……」
「そう」
「ああ。それで鞄取りに戻っただよ。弓月は、なんで残ってるんだ?」
言って、しまった! と後悔した。また放って置いてって言われたら…。き、緊張する。
「生徒会選挙の書類……」
はいはい。すいません。放って置きますよ。って、え? 今なんて?
「私、立候補しようと思ってるの。それで……」
「そ、そうなのか。すごいじゃないか。そりゃ委員なんてできないよな」
嫌われた訳じゃなさそうだ。よな?答えてくれたことに心底ホッとしつつ、自分の席に向かう。
「あ…うん」
「おれは鞄取りに来ただけだから。邪魔しちゃ悪いし、帰るな」
「うん」
自分の席から鞄を引っ張り上げ、肩に引っ掛ける。鞄はなぜか、壁と机に挟まれていた。
校庭に面した窓からは運動部が声張り上げ、練習に励んでいるのが見える。
すぐ隣には、弓月。なんだかすごくロマンチックな情景ではあるが、太郎には耐え切れなかった。
「じゃあ行くわ。弓月もあんま遅くならないようにな」
いつものように、さよならが返って来るかと思った。さよなら、じゃあな、かと思った。
そうではなかった。弓月は、予想外の言葉を投げかけてきた。
そのおかげで、ビールとつまみはすっかり頭から抜け落ちて、エライ目にも合わされた。姉に。
このやり取りで、さらに勘違いはスピードアップ。レースエンジン並の加速で走り抜ける。
全ては、昼の。この放課後の。このやり取りから生まれることになる。
さよならではなく、弓月は
「あ、あの……」
「ん?なに?」
「ぁ、あのね。お昼の……ことなんだけどね……」
昼のロングホームルームのことを話し始めた。
2話目でした。
語彙が乏しいなりにも、コツコツやっていきたいです。
またお読みいただけたら幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!