椿咲いたら
さくり、さくり。軽い音を立てて、彼女は鋏で僕の髪を切ってくれた。
背の中ほどまであった髪を、元の通りに肩口でそろえる。身体がとても軽くなった気がする。涼しくなった背に感じるのは、新しい風。
始まりの一歩は、さよならの気配がした。
幼い頃、僕はひどく病弱な子供だった。そして女の子の格好をしていた。女の子のほうが病魔に取りつかれにくくて丈夫に育つから、病弱な子には女の子の格好をさせるという風習なのだそうだ。一日の大半を寝て過ごし、調子の良い日は庭で一人で遊んでいた。あまり外に出ない僕には仲の良い友人などいなかったし、家の人も忙しくて僕にかまうことはなかった。
たまにこっそり抜け出して神社へ行った。坂道を上るとすぐだったから、見つかってもあまり怒られなかった。僕も怒られないように、ちゃんと黙っていたのだ。僕の友達のことは。
神社にはたくさん、友達がいた。僕は彼らの好きなものをみんな言える。お祭りのお面をかぶった子はお揚げが好きで、尻尾の生えている子は灯油が好きだ。水筒を持っている子はキュウリやトマトをよく食べる。一番仲の良かった着物の子は、花が好きだった。
その子のあだ名は椿ちゃん。僕はさっちゃんと呼ばれていた。僕らはお互いの名前を知らなかった。神社では、名前を言っちゃいけないんだそうだ。
渾名を教えてといわれて、いつもお母さんが呼ぶから、そう答えた。
椿ちゃんは花が好きだ。花びらをむしって食べる。赤い花が好きで、一番好きなのは椿なのだ。だから、椿ちゃんと呼んでいる。
僕の友達はみんな物知りで、僕にいろんなことを教えてくれた。夕焼けが綺麗だったら明日は晴れだとか、宮司さんは本当は狐で、尻尾が4本あるのだとか。
椿ちゃんは、僕にとってもいいことを教えてくれた。
「髪の毛には神様が宿るの。だから、お願いごとをして、髪を伸ばしておくとね、お願いごとに釣りあう長さになった時に、その髪と引き換えに叶えてくれるのよ。だから私もずっと伸ばしてるのよ、途中で切っちゃうと叶わなくなっちゃうの」
椿ちゃんの髪はとっても長いから、遊ぶ時はくるくる巻いて髪留めで止めるのだ。そんな理由があるなんて知らなかった。
「じゃあ僕も、ずっと椿ちゃんといられますようにってお願いしよう」
僕はそういった。椿ちゃんはびっくりした顔をしていた。
「ああ、そうね」
しばらくして、ぽつりとそういった。僕はとてもがっかりした。椿ちゃんは喜んでくれると思ったのに。
あれは12月だったと思う、とても寒い日だった。椿ちゃんが遊びに来た。椿ちゃんは神社から出たことがないと言っていたのに、どうして僕の家を知っていたのかは謎だ。
「さっちゃんにお願いがあるの」
椿ちゃんは言った。
「もう丁度いい長さだから、髪を切ったらどうかしら」
そうなのか、と思った。僕にはよくわからないけど、椿ちゃんにはわかったんだろう。
「うん、切るよ」
数えで7つになった年に、僕は髪を切った。
それから、椿ちゃんには会っていない。
椿ちゃんにだけ、会っていない。
神社へ遊びに行くと、尻尾のある宮司さんがお話をしてくれた。
椿ちゃんは嘘をついてしまったから、溶けてしまったんだそうだ。
僕のお願いは半分だけ叶った。途中で髪を切ってしまったからだ。僕には人には見えないものがずっと見えるのだと教えてもらった。お面の子も、尻尾の子も、人じゃないんだって。
だから僕はまたお願い事をした。見えなくなってもいいから、椿ちゃんに会いたいって。
髪を伸ばすには、7年もかかった。
「さっちゃん」
あの日と同じように僕の家の庭で椿ちゃんは笑った。笑いながら泣いた。
僕は彼女に髪を切ってもらった。彼女は僕に、さようならと言った。
僕はあれから、誰にも会っていない。坂の上の神社は何年も人の手が入っていなくて、立ち入り禁止になっていた。狐の宮司さんは引っ越したそうだ。椿ちゃんが言っていた。
椿ちゃんは僕と同い年の女の子になった。長かった髪はばっさりと切ってしまって、今は可愛らしいショートヘアだ。
「お願いごと、叶ったのよ」
学生鞄を振り回し、彼女は笑った。