魔王軍
「それはあの如何わしい、サキュバス達のせいです」
眉をひそめてしまい、せっかくの美人が台無しである。
「サキュバスはご存じですか?」
「もちろん」
この業界では押しも押されぬ有名人(?)である。なにしろあの容姿と露出度の高さ、そして次々と男性と関係をもつ奔放な性癖ゆえあちこちのアニメ・漫画・ゲームで引っ張りだこだからな。
「ご存じの通り、彼女たちは夜、就寝中の男性の夢に現れ、交わり、そして……」
性的な内容も含むのに淡々と語るリーチェ。恥じらう姿もそそられるだろうが、このシリアスな空気ではそんな素振りは見られないし、見せられたらこちらもどう反応していいのか困ってしまう。
「そして、男性の精と魔力を吸引し」
「魔力?」
『魔力?』
なんだ、それは。そんな話聞いたことないぞ。
「え? 魔力を吸引しないのですか?」
「しない……はず?」
こんな想定外なことを聞かれると首をかしげてしまう。
『あー、そもそもこちらには魔力を持った人間なんて一人もいないですから、正確なことは分からないです』
たしかにそうなのだ。そうなると別の疑問が湧いてくる。
「逆に聞くけど、こちらの人は魔力なんてあるの」
「はい。多分この世界で魔力を持っていない人間は真二だけです」
「つまり、元々魔力を吸引する能力があったけど、こちらには誰も魔力を持った人間がいないから分からなかったということ……いや早計かな」
何しろ判断材料が少ないからな。
『その可能性も一応ありますが、何か腑に落ちないですね』
「例えばこちらの世界に転移するとき何か能力が上がる特典なんてないですか」
『いえ、それはないですね。能力は地球にいたころそのままです。ただこちらの世界の言語が分からないと不便なので、転移魔法だけでなく、会話が出来るようになる魔法も一緒にかけるのが普通です。まあ、ただのオマケですけど』
そんな出血大サービスを’オマケ’なんて軽々しく評するとはさすが神様だ。
言葉が通じるのと通じないのでは天と地ほど差があるからな。リーチェと会話が出来るのもそのおかげだし。本当、助かるよな。
——まてよ。
能力を付与する魔法……。
「じゃあ、サタンかルシファーがそんな能力を付与したとか」
これならあり得そうな気がする。
『彼らにそんな力があったら天界が把握しているでしょう』
そして高天原に伝わっている、と。
「そりゃそうかー」
『ただ』
「ただ?」
『私はその、サタニスト・テレマという男性が気になります。彼がその能力を付与したという可能性なら、無い事も無いです』
「その根拠は何ですか」
もし、そんなことが出来るとしたらかなり魔法に優れた人間である。
『まず、彼の呼びかけにサタンが応じたことです。並大抵の相手でなければサタンは相手にしません。つまり、相当戦闘能力が高いか、魔法などでサタンが一目置くほどの能力の持ち主である可能性が高いです。
それに転移したルシファーが彼を生かしていることからも、相当の実力者であることがうかがい知れます。
いくらサタンの紹介とはいえ、転移先で待ち構えていた相手が人間と知ったら、ルシファーなら余程の人間でない限り塵一つ残らず灰にしてますよ』
「なるほど」
リーチェが納得の表情を見せる。
「それで、もしテレマによってサキュバスが魔力を吸引できるようになったとして、それが魔王軍にとってどんな影響があるの」
それじゃ、サキュバスしか得をしないようだ。
「サキュバスが吸収した魔力はテレマに送られ、それから魔王軍配下の魔族に分配されるらしいのです。
この世界に元々生息していた魔族は人間を食べて生きています。ただ、人間の肉ではなく体内を駆け巡る魔力を糧として生きているそうです。魔王軍の受け売りですけど」
——おいおい
グラスに手を伸ばしながら、頭の中でゆっくりと情報を反芻する。
「つまり、魔族からすれば魔力がサキュバスからテレマを経て自分のところに送られてくる」
『魔王軍の配下になれば、何もしなくても』
アメノウズメ様が俺に続いた。多分同じ結論にたどり着いたのだろう。
「はい。魔族からしても、人間を襲うのは命がけです。そんな危険を冒さなくても済むなら、配下になりますよね。
しかも人間を食べたら魔力を得られるのは一度きり。人間を食べずにサキュバスが集めれば毎日食事にありつける。だから人間を食べるのは禁止。そうなると人間は身の安全が保障される。
魔王軍のおかげで以前よりはるかに安全な生活が送れるなんて、皮肉もいいところです」
ふうっと大きいため息が小さな口から零れた。
——魔族と人間がWIN-WINか
「それならどうして戦うの」
魔王軍と聞いて、最初はすわ侵略かと思いこんだが、こうして聞いてみると別に戦う理由がなさそうな、いやむしろ戦わない方がいいのではないかと思う。
少なくともセイント・ペンタゴン教団と両方相手にするのは無謀のような気がする。
「サキュバスと関係を持つとまず、魔力がほぼなくなり魔法使いは魔法がまともに使えません。厳密には、夜中に魔力を吸われ、朝起きるまでに少しは回復するようですが、スズメの涙程度です。
最初は「そのぐらい、魔物の餌になるよりははるかにマシ」と、高をくくっていたのです。
ですが、日にちが経つにつれ体力が衰えて来たのです。狩をする時間が徐々に短くなり、釣り竿を持つ手に力が入らなくなり漁獲が徐々に減る。畑仕事もだんだん進捗が悪くなったそうです。
これではいつか餓死者が出るでしょう。一年後か二年後ならまだしも、五十年後百年後に生き残っている人がいるとは到底……」
たしかに戦った方がマシだな。それも体力を奪われる前に。
「他のコミュニティーの方々は気づくのが遅かったのです。いえ、魔王軍から一番遠かった王都ミラニアが運が良かっただけかも知れません」
ここに魔王軍が来る前に,前例を知ることが出来たのは大きかった。
「問題がまだあるのです。その、男性が子作りするのに差支えがあるようです」
——ああ⁉ オレはリーチェ相手ならいくらでも頑張れるぞ!
と、意気込んでも言葉には出さない。
「子孫を残せない。それはすなわち国の滅亡を意味します」
「……」
言葉が出ないほどの重大な事実を突きつけられた。考え方によっては奴隷以下かもしれないのだ。
『それにいつの時代でもどの世界でも子供は宝です。その宝を奪われるなんて許せません』
「それなのにサキュバス達ときたら……」
真剣な表情を見ていると軽薄なことを考えた自分に嫌悪感を抱いてしまう。
「それに、夫や恋人が夢の中とはいえ他の女性の相手をすることを女性達は許さないです」
重たい空気が部屋全体を包み込む。
多分数十秒の沈黙だったと思うが、この時間はオレにとって先ほどの命のやり取りよりもはるかに長く感じられた。
その空気を破ったのは重厚な扉を申し訳なさそうに2回ノックする音だった。
「ああ、そういえば、夕食の時間ですね」
ハッとした表情をみせたものの、すぐにキリッと引き締まった面持ちで「どうぞ」と声をかけた。配下の人に思い悩んだ表情を見せないのは姫としての矜持だろうか。
「失礼します。お二人ともお食事の用意が出来ました」
見た目20歳くらいであろうか。金髪の白人が背筋を伸ばした、体幹のぶれない優雅な身のこなしで歩み寄ってくる。
そしてスカートの端をつまんでのカーテシー。アニメでも稀にしかお目にかかったことのない高貴な挨拶。しかも手足が長いのでよく映えた。
「始めまして真二様」
これから異世界での初めての食事の瞬間が訪れる。その食事が今後の命運を左右するとはこの時誰も思わなかった。