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自分本位の熱意はいらない

作者: 弘美

 モヤモヤさせられたある過去の経験を通して、自己啓発本について自分が思ったことを書いてみました。

 今から十年程前、こんなことがあった。

「この本読んでみて」

 と言って、私の前に一冊の本を置いたある友人がいた。彼女の口調には相手を断らせない強い響きがあった。本の題名は忘れてしまったのだが、おそらく「自分を変えて最高の人生にする」というような感じの本だったと記憶している。いわゆる自己啓発本だ。

「これ、何の本ですか?」

 私は瞬時に沸き出た苛立ちを困惑という仮面で隠して彼女に尋ねた。尋ねなくても既にわかっているのだが、私はあえてわからない振りをした。何故、彼女は突然私にこんな本を読めと言うのか、その真意がわからない。

「これにはね、自分を変える方法が書いてあるの。私ね、弘美さんはもっと変わった方がいいと思うの」

 彼女は濃いピンクのマニキュアが綺麗に塗られた指先でぽんぽんと本を叩きながら熱心に言う。

 大きなお世話だ。私は今の自分を変えたいとは思わないし、自分のことを彼女に相談したことは只の一度も無い。だいたい自己啓発本というものは、悩みを抱えている人が自分から読みたいと望んで読んで初めて意味があるものであって、他人から指図されて読むものではないのではないか。

「そうですか。わかりました、読んでみます」

 これ以上この話題に触れていたくなかった私は、早々に終わらせるように話を持っていく。治まるどころかますます増幅する苛立ちを、私は無理矢理胸の奥に仕舞い込んだ。

 もちろん読む気など更々無い。当たり前だ。誰がわざわざ自分の時間を割いてまで、読みたくもない本を読むだろう。しかも、自己啓発本というところが大いに気に入らない。だが、押しの強い彼女をうまくかわすには、少々遠回りだが、一旦素直に借りておき、あたかも読んだかのように適当に感想を添えて数日後に返せばいいだろうと安易に考えたのだ。そして、それが大人のやり方だとも思った。

 私は一刻も早く目の前に置かれた本を自分の視界から追い払うように、素早くそれをバッグに入れた。


 友人は私が以前勤めていた会社の元同僚で、会社を辞めてからもなにかと縁があり、彼女とはたまに会ってお茶をする仲だ。

 一回り近く歳上の彼女は、一度結婚に失敗している。そして、二度目の結婚もうまくいっているとは言えないらしい。

 そんな彼女にこの本を読めと言われても、全く説得力が無いのだ。むしろ、私よりも彼女が読むべきなのではないか。いや、おそらく読んだのだろう。おそらく彼女自身が変わりたいと願ったから何処かの書店でこの本を手に取ったのだろう。

 だが、人間そんなに簡単に変わるものではない。彼女とは数年の付き合いだが、押しの強いところは会ったばかりの頃のまま健在だ。彼女は自分の押しの強さを「熱意」という言葉によく置き換えるのだが、彼女を知るある人はそれを「自分本位の熱意」だと言う。「熱意」の前に「自分本位の」が入るのだ。

 私はそれを聞いた時、初めて彼女を正面からまっすぐとらえたような気持ちになったものだ。相手の心情や都合を少しも慮ることの無い「自分本位の熱意」を、彼女はこれまでもいろんな人にいろんな形で撒き散らしてきたのだろう。よく考えてみると、おそらくそのせいで痛い目にあったり、苦い思いをしたこと等、彼女の愚痴に付き合ったのは一度や二度ではない。

 少し冷静になった頭で、何故私が変わった方がいいと思ったのかを後で尋ねてみたのだが、彼女の返答は私には理解するのに数秒を要するような、意外なものだった。

 どうやら私はもどかしいらしい。彼女は私に面向かって、「なんかね、もどかしいんだよね」と言ったのだ。私は彼女の思い通りにいかない人間ということらしい。そんな私に、例の自己啓発本を読んで幸せになってもらいたいと思ったのだと言う。

 正直なところ、私はこれを聞いて嬉しいとは思わなかった。いくら自分の為を思って言ってくれてるとは言えども、自己啓発本を読んで変わった方がいいなどといきなり言われたら、誰でも微妙な気持ちになるのではないだろうか。人によっては、侮辱されたと怒り出すかもしれない。

 彼女のその辺りの考え方は私にはよくわからないが、根本的に彼女はそう悪い人間ではないと私は思っている。自己啓発本を読めと言うのも、おそらく悪気は無いのだ。だが、その他のいろんな小さなことが積み重なって、数年後、結局私は彼女との付き合いを自分からやめてしまった。


 話は変わるが、私が丁度二十歳位の頃、私にもそういう本を好んで読んでいた時期がある。今思えば、あの頃が一番人生に対してやる気に溢れていた。

 私が読んでいたのは、どちらかというと自己啓発本というよりは、有名な女流作家が書くエッセイだったのだが、繰り返し繰り返し何度も貪るように読んだのが懐かしい。それを読みながら、自分が充実した人生を歩むには今から何をすればいいのかを、あれこれ考えたり妄想したりするのが楽しかった。

 だが、実際は妄想するだけで行動していない。精々参考にする程度だ。ここまでの自分の人生は紆余曲折のある道のりだったが、それでも楽しくやれている。


 この世の中に自己啓発本に書いてあるように行動して成功し、幸せになったという人は一体どれだけいるのだろう。

 ここまで読んで頂いて、誤解される方もいるかもしれないが、私は別に自己啓発本を悪く言いたいわけではないのだ。

 もし、これから他人に自己啓発本を薦めようと思っている人がいたら、その前に一度でいいから胸に手を当ててよく考えて欲しい。それは本当にその人の為ですか?本当はほんの少しの嫌味が含まれていたりするのではないですか?それを薦められる時のその人の気持ちを想像してみて欲しい。そして、これが私が一番声を大にして言いたいことなのだが、自分はどうなのか、自分を振り返ってみて欲しいのだ。

 最初の方にも書いたが、自己啓発本は、自分から読みたいと望んで読んで初めて意味のあるものであって、他人から指図されて読むものではない。

 例えば、何かの悩みを相談されて、こんな本があるけど読んでみる?と薦めるのは、この場合は嫌味などではなく本当にその人の為を思ってのことだろう。そうではなく、相談されてることなんか何も無いのに突然自己啓発本を渡して読むように薦めたりするのは、はっきり言って私には嫌味にしか思えない。

 私の古い元友人みたいな「自分本位の熱意」も正直いらない。大きなお世話なのと同時に、今の自分を酷く否定された気持ちにしかならない。

 薦められて仮に読んだとしでも、全てはその人次第だ。人間そんなに簡単に変わるものではない。共感したことだけ取り入れたり、参考程度にしたり、自己啓発本とはそういうものなのではないだろうか。


 

 

 自己啓発本は、他人に薦めるよりも、自分がもう一度最初から最後まで読んでみるべし。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 自己啓発本…… 真に受けてドルをレート134円で数百万円買って未だに塩漬けしてますぅ……ぐふぅ 著者の堺屋さん…… 今年の最初に亡くなられましたね。 後は別本に触発されて、近場の国立大に数…
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