転ばぬ先に
昨夜、外の仕事を終えて帰宅すると鞄の底にダンゴムシがついていました。久しぶりにじっくり見ましたが、衛生害虫でもないし、農業害虫としてもそれほど厄介な存在でもないので。比較的忌避感の弱い虫だと思います。
部屋に入ってすぐに呪の重ね掛けをされているのを理解した。去年少し緩和した呪いとは別の物がくっついている。元からあるものに比べて大雑把というか、元からあるのが絡まった釣り糸の玉なら、こちらの呪いは買ってきたばかりの毛糸玉の様な感じだ。急ぎ新しい方を解呪していくが、そこで少し気になる事があり、解呪しながらドリスに問いかけてみる
「完全に解呪しない?呪いが二つあるというのにも驚きなのですが、それより理由を聞いても?」
誰が呪いをかけたのかは解からないが、ベバリーちゃんがこの別荘から帰り元気を取り戻しているのをみたから、慌てて新たな術を掛けたのだろう。この別荘には来ていないが身近な人物が関与しているのは間違いない。このまま解呪すると新たな呪を掛けられる恐れがある。今回はさほど高度な術ではないが次は周到な準備をしている術を行使するだろう。
「新たな呪の可能性と術者が身内にいる可能性は解かりますが、それと解呪するしないは別なのでは」
魔法に関する認識の差をドリスの発言から認識する。よくよく考えると僕はこの世界の人間として生きたことが無い。人からみて魔法はどういう認識か確認してみる事にする。その結果、基本的に操作量と感知量の二種類があるのは人間でもわかっている様だ。一度に操作できる魔力の量と、感知できる魔力の量は個人差があり、前者の説明は簡単で多いほど大規模な術式が展開できる。後者については術式の繊細な構築が可能になる。魔力における馬力と器用さという所だろうか。使用する側については認識は変わらないが術を受ける側についての認識に少し齟齬があった。魔法に属性があり、それぞれ耐性に個人差があるのは変わらないが、受け入れる容量について人間側に認識が無かった。人間がいう神の祝福も神格の属性による呪と同種であり、その下位互換に身体強化術式が存在する。そしてそれらを受け入れる耐性にには使用される魔力の量だけでなく、属性の数や、術式の数も存在する事を人は認識していなかった。ベバリーちゃんに限らず呪いの様な術式に対する耐性として数が少ない。複数掛ける事が困難なのだ。たとえ掛かっても効果は軽減される。このまま簡易な方を解呪し、用意された高等な術式を受けるより、効力を弱めた簡易な術を残して工事の呪いを受けた方が負担は低いことが予想される。
「そういう理論があることは聞いていましたが、それを検証できる程感知力に優れた人が居らず未だに結論がでていないですね」
人間の研究が遅れているのでなく、ドリスの言う通りなのだろう。人間には嗅ぎ取れない匂い、聞き取れない音か猫や犬が感知できるように人に感知できない魔力を感知できる魔獣ははいる。今のダンゴムシは最たる例だし、過去の転生先の動物も僕が魔力を持っていたので広義では魔獣であり、人間とは異なる感知能力を持っていた。そういった経緯があって僕の魔法に対する解釈が少しドリスと齟齬があったようだった。
意思疎通の魔法は習熟すると今の内容を一瞬で相手に伝えられて非常に便利である。
「情報量がぁ」
と、頭を抱えるドリス医師を尻目に解呪を続ける。新しい呪いは干渉してもこちらを攻撃してこないので一緒に部屋に来た彼女を危険にさらさないので気楽である。宣言通り完全な解呪はせず、その日はそこでドリスの魔力が尽きたので打ち切った。これからは去年の様に午前中はこの作業が入る。来年はベバリーの呪いが増えず、術者が判明し事態の悪化を防げていることを願うばかりである。
ベバリーちゃんの来訪で朝から昼にかけての予定が埋まってしまったが、午後は良い意味で虫けらとしての
生活である。美食探しの散策も続けてはいるが、春先に見つけた魔草が満足のいく物でそこまで真剣ではない。夏になりベリーが実をつけだして、それをミザリィちゃんと、歩ける程度に回復したベバリーちゃんが届けてくれるのも真剣味を薄める要員だろう。
今年の変化として脱皮した僕の殻を彼女が食べられるようになった。なんというか人間との感覚の違いなのだけれど凄く嬉しいんだ。交尾するより一体感があるというか、脱皮の頻度も年に数回あるので発情期以外で一つになる感覚を得られるというか、とにかく嬉しいので、固そうに僕の殻を咀嚼する彼女に食べ終わるまでずっと寄り添っていた。
彼女も成長している一方で僕の方はあまり変化は感じられない。現状で生きる分には充分な能力があるので成長の必要も無いし、たとえしていてもそれを実感する機会が訪れない。百足や肉食甲虫が薪置き場に侵入することはあったが、問題なく駆除出来た。僕の持つ神格の祝福の御蔭かミザリィちゃん一家も災禍に見舞われることなく健やかな時を送っている。そして季節が過ぎ冬が訪れる。
ベバリーちゃんが実家へ戻り気温の低下を感じて、ようやく冬の家造りに取り組むことにした。魔法で土を隆起させてその中に空洞を作る。床面は地面から少し上に作る。空洞を作る際に掘り出した土を圧縮し焼きレンガのようにしてから空洞の中に壁や床として敷き詰める。余った分は入り口に敷き詰める。入り口からは魔草の畑が見えるようにする。そして家の中から魔法で摘み取って手元にもってこれることを確認する。採光は考えなくて良いのでそのまま床に排泄物やごみを捨てる排出口をつける。そこにゴミを入れて風の魔法なり彼女の結界なりで押し出せば外に出せるように作る。大まかな所はこれで完成である。
その家を枯れ葉埋める。昨年の寝床の中に土の家がある状態だ。基本的に家の周りの枯れ葉を魔法で家の中に引っ張り込み、それで足りなければ畑から魔草を毟ってくるという計画性も何もない話だが、それ以上を望むような生物でもないので満足である。
「キラキラ虫さん、冬眠しちゃうの?」
去年と同様薪置き場の隅に枯れ葉の山が出来ているのを見つけたミザリィちゃんが寂しそうな顔で問いかけて来た。折角冬眠せずに過ごすのだから、偶に姿を見せてあげても良いかもしれない。そんなことを思いは下が冬眠すると答えて置く。そうしてその冬は冬眠せずに家の中で過ごしていた。特に特別な事があるわけでもない。ただ、傍らに安心できる存在が居る状態で過ごす時というのは、飽きる事も無く永遠にこうしていられる気がした。狭い空間で寄り添ったまま冬を過ごし、家の周りの枯れ葉を食べつくす前に春が訪れた。
新たな年の挨拶を済ませて朝のお披露目を再開する。初夏にベバリーちゃんとその双子の兄が家族とドリス医師と共に訪れ、解呪日課が加わる。呪をかけていた相手が分かったので新たな呪をかけられる前に対処したと知らされ、二つ目の呪いも解呪されていた。あとは最初の厄介な物を残すだけだが4年後の洗礼の儀式にまで生き永らえればそこで完全に解呪されるということなのでそれまで持つよう、症状の緩和を行うだけだ。洗礼の儀式は神格から祝福を授かる儀式で有り、その時に一度あらゆる祝福も呪いの洗い流し、改めて神格から祝福を戴くとのこと。単純に良いも悪いも力技で洗い流すのだ。分かり易い事だと思った。
この頃になると僕と彼女を観てはしゃいでいた子どもたちも落ち着きを得ていた。それでも毎朝薪置き場にやってくるのは習慣なのか、はたまた僕が持つ周囲に幸運をもたらす神格の祝負の事を感じ取っているからだろうか。朝、身に来ないと調子が出ないって程度には影響あるかもしれない。そうして平穏な時間は流れていく。大きなトラブルも無く、冒険も無い。それでも少し湿気たこの場所で彼女と過ごすゆっくりとした時間に代えられるものは無いと思えた。
時間が過ぎるのも早いもので
「今までありがとうございます。次の春に洗礼を受けてベバリー様はこの呪縛から解き放たれるでしょう。」
その年の秋の終わり、寒さを感じ始めた頃にドリス医師が感謝の言葉を口にした。
「あなた方の協力は父も感謝しています。私からもお礼を言わせてください。」
すっかり成長し作法を身に着けたベバリーがベッド上から上品に微笑みかける。
「来年にはミザリィにも元気になった私を見せられると思うと、今から洗礼の時が楽しみです。」
「ですが、それまでは御自愛くださいね、これまでの私とキラ虫殿の尽力を無駄にしてくださいますな」
そう忠告するドリス医師の表情も柔らかい。洗礼の年を過ぎれば翌年からミザリィとベバリーは王都の貴族学校に入学する。貴族の直系であるベバリーと双子の兄は勿論、その遠い親戚筋のミザリィも彼女たちの御付として入学するのだ。その為ミザリィは今から予習に追われている。お転婆な彼女には座学はなかなか苦役の様だが、しっかりに身に付けているようだ。
この世界に転生して5回目の生活は全ての解決を目指さず、出来る事を出来る範囲で無理なく過ごすことで順調に過ごせている。ミザリィ達管理人一家は勿論、避暑に訪れていたベバリー一行も、苦労はあるものの大きな災禍に見舞われる事も無く、抱えていた問題も時間が解決してくれた。今回こそは神格の望む天寿の全うというのも叶うだろう。ダンゴムシの寿命を僕は知らないがそこまで長くないだろう。あとどれだけの時間、隣でベバリーが来年には解呪されことを喜んでいる彼女といられるのか。この世界に来るきっかけは精神の疲弊から衝動的な自殺だったわけだが今は少しでも長く生きたいと思っている自分が居る。
そんな風に思える様になった事、そうさせてくれた彼女の存在には感謝してもしきれない。人に生まれて、転生して本当にいろいろあった末に僕は幸せになった。
次、最終回予定