第三話 おやつあげないわよ
チョッチ短いです。
『へいらっしぇい!』
威勢のいい声が、二人を出迎えました。
「あれえ?奈美ちゃん。」
「おう、鉄っちゃん。あんたが釣ってきたんだって?下総サジ。」
「なんとまあ、おまえ・透吾さんと知り合いだったのか?」
「まあね、あんたこそ、へんな知り合いだねえ。」
「そうか?おお、なんだよ今日は美人の友達もいっしょかあ?」
「そうだよ。こちらよしこちゃん。よっちゃん、魚屋の鉄っちゃんだよ。」
「あの、よろしく。」
よしこは、おずおずと頭を下げました。
「あ、へへ、よろしく。」
「なにテレてるんだか?さあ、突き出しはなんだい?」
奈美子は、靴を脱ぎながら、鉄に聞きました。
「ああ、とりあえず枝豆。」
「かー、茗荷ミソくらい、出ないのかねえ?この店は。」
そこへ、店の女将さんがやってきました。
「ウチは飲み屋じゃないんですけど。」
「あ・秋子さん、なんかさあ、こう秋らしいもの・ない?」
「そうねえ、透吾さんのお持たせのなすの漬け物ならあるわよ。」
「お・それいいねえ。秋なすは嫁に食わせるなってね。」
「これから嫁になろうってヒトが、ナニ言ってるんだか。」
秋子は、口元に手のひらをあてて、ころころと笑いました。
「そんな予定はござんせんっと。」
座布団に座って、グラスに手を伸ばしながら言う奈美子を、むちゃくちゃ情けない顔で見つめる鉄男の顔がありました。
「あれ?鉄っちゃん、ビール飲まないの?」
「あ・ああ、もらうよ…」
(かわいそうに、魚屋さん。奈美子さんはニブいから…)
鉄は、グラスにお迎えに行きながら、横目で奈美子を盗み見ていました。
「おまちどおさまー。」
秋子の威勢のいい声とともに、ウナギは白焼き・肝焼き・肝吸い・蒲焼きとぞくぞくやってきました。
「うひょ~!これこれ。まってましたあ。」
奈美子は喜び勇んで箸を出します。
「江戸っ子って言うかさあ、日本人に産まれてよかったよねえ。」
「奈美子はんって、ホンマにうれしそうにあがらはるねえ。」
「ふぇ?ふぉんはほほひひゃっへ、ほひひひものふぁほひひいひゃひゃいひょ。」
「食ってから言え!」
鉄は、ぴしりと叱りつけました。
「あはは、なんだかなあ。」
「ほんと。なんだかウナギの方から、奈美子さんの口に入っていくみたい。」
翌日、事務所の改装は完了しました。
「すっかりきれいになったねえ。」
「じゃあ、これが完成図書です。受け取りにサインお願いします。」
「え?棟梁、あたしのサインでいいの?」
「いいんじゃないですか?この一週間、ずっと監督していたのは、甚目寺さんなんだから。」
「はあ…」
半信半疑で奈美子は書類にサインしました。
だって、事務所の中には、奈美子しか居ないのだし、サインがもらえないと棟梁も帰ることができませんから。
棟梁が退場して、改めて事務所を見回すと、真新しい壁・真新しい床・真新しいデスク…
みんなぴかぴかしています。
「すごいな、最新型の機械が三台も入ってる。カラーレーザーにスキャナかあ、いったい何を扱うつもりなんだろう。」
重い樫材のドアから、ノックの音が聞こえてきました。
「はい、どうぞ。」
奈美子が振り返ると、そっとドアを開けて透吾が入ってきました。
「やあ、来たね。完成したよ。」
「そうみたいやな。どう?」
「いい出来だねえ。見てよこの床、ぴっかぴか。」
「はは、ホンマや。さて、それじゃあ始めよか。」
透吾は、一台のパソコンの前に座ると、二枚のCDを取り出しました。
「なにするの?」
「ちょっとソフトを走らせるんや。」
そう言うと、無造作に電源を入れ、OSが立ち上がるのを待って、CDをマワします。
きゅきゅっと音がして、パソコンはCDを読み始めました。
やがて、インストール画面が立ち上がって、膨大な量のデーターが転送し始めました。
「CD二枚分もあるソフトなの?」
「そうや、これがメインで動くソフトやからな。」
「ふうん、よくわからないや。」
「まあ、見ててみ。僕の友人の自信作やからな、ほぼ完璧なはずや。」
インストール時間は、実に四十五分を要して、やっと収まりました。
「すごい量だね。」
「ホンマやなあ。あいつ、凝りに凝ったなあ。その分・期待できるわ。」
透吾のインストールした、胡散臭いソフトは、起動させると、すぐさまランを通して、外部にアクセスを始めました。
「あれ?外にデータ読みに行ってる?」
「あれま、わかる?」
「うん、なんか危ないこと、してるんじゃないでしょうね。」
「ん~ちょっちヤバいかも。」
「こ・こまるよ、ここでそんなことされちゃあ。」
「ええんや、ここは僕が借りてるんやから。機材も含めて、みーんな僕が出してるんやから。」
「へ?」
「そやから、この会社は、僕が社長で、社員はキミだ。」
「そ・そうなの?」
「いや?」
「そうじゃないけど、なにをする会社なのさ、説明してよ。」
「そしたら、後で食事でもしながら話すわ。」
「そうしてくれるとありがたいね。」
二人がビルの廊下に出ると、よしこが立っていました。
「ああ、ちょうどええ時間やったね。」
「ええ、手配はできてるわ。」
「けっこう。ほなら行こうか。」
「ええ、奈美子さん、行きましょ。」
よしこに促されて、奈美子は思わず頷いていました。
三人は、タクシーに乗り込んで、一路築地に向かいました。
「あれ?このまま行くと、木場の「渚」界隈に出るんじゃないの?」
「そうよ。」
「あそこらへんは、ぶっそうだよ?」
「そうね、そのスジの方たちが、いっぱいたむろ屯しているものね。」
「それでも行くの?」
「ここでええわ。」
ぽつりと透吾が言いました。
止まったタクシーは、三人を吐き出すと、すっ飛んで帰っていきました。
透吾は、一軒の料亭の前に立っていました。
「ここ?」
奈美子が聞くと、透吾は軽く頷きました。
「食事だけにしては、ものものしいねえ。」
「あはは、ええやん、うまいもの食べさせてあげるよって。」
「そう?」
華乃と言う名のそのお店は、たいそう古い造りで、出てくる料理も気の利いたものでした。
「うん、おいしかった。どやった?奈美子はん。」
「ああ、いい味だったよ。」
「ほんとに、こんな場所でなかったら、もっとはやっていてもいいでしょうにね。」
「それは言わぬが華やよ。さて、呑みに行こうかな。」
「あそこ?」
「そう、今日は騒々しい店には行かへん。」
「はあ、そう。」
よしこは、ちょっと鼻白んだようすで、透吾の言葉を聞き流していました。
宵闇が濃くなってきたころ、一軒のクラブの前に着きました。
店の入り口には、人相の悪い若い衆が三人ばかり、直立して張り番をしていました。
透吾がその脇を抜けて店に入ろうとすると、その肩に手をかけて、ぐっと押し戻しました。
「勝手に入るんじゃねぇよ。」
「はあ?おまえ、ここの店の若い衆やないやろ。」
「それがどうした。」
若い衆は精一杯凄んで見せましたが、透吾は一向にこたえた様子もなく、ひょいっと若い衆の手をはずしました。
「あほ、ようヒトを見るんやな。」
「なんだとぉ!」
いきなり殴りかかる若い衆を、軽くかわして透吾さん。
「ようヒトを見ろと言ったやろ?」
たん!
首筋に受けた一撃で、若い衆は昏倒してしまいました。
「野郎!」
残りの二人もあわてて殴りかかりますが、二人ともその場でのびてしまいました。
透吾は、さっさとドアを開けて中に入ります。
よしこと奈美子はあわてて後を追いました。
だって、こんな所に立っているわけには行きませんもの。
「よう、おまえんとこの若い衆、しつけがなってぇへんぞ。」
透吾は、店に入るなり、中の一番偉そうなヒトに声をかけました。
「あ?なんでぇ、透吾じゃねぇか。」
「こんばんは、透吾さん。」
奥まったボックスの席に、だらしなく座った男と、その隣には・きりっとスーツを着た男が居ました。
「外で張り番させるんなら、もうちっと頭のよさそうなん選ばんと、カシラの器が知れてまうえ。」
「へ、そうかい?」
そのとき、がたがたと音を立てながら、先ほどの若い衆がなだれ込んできました。
「ちくしょう!どこのもんだてめぇ!」
まあこわい、プロの持つ迫力です。
「ばかやろう!こいつぁでぇじなお客さんだ!ちゃんと挨拶しろぃ」
三人は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしています。
「ああ、もういい、そとでガードしてろ。」
スーツを着た方の男の人が言うと、三人は素直に外に出ました。
「それで?きれいなお姉さんつれて、こんな所に何の用かな?」
「矢崎と飲みたかったんや。」
「なんでぇそりゃ、俺は蚊帳の外か?」
「あはは、妬いてはるわ陣ちゃん。」
「ばかやろうてめぇ。」
「ああ、そうやな、紹介するわ、こんどウチの事務所にきた、甚目寺奈美子はん。矢崎と連絡とるのは、明日からはこの子やさかい。」
「ほう、美人だねえ。ちょっとつき合わねぇか?」
「やめとき、陣ちゃん。まっとうなシロウトさんやよ。」
「ちぇっ、そちらさんは?」
「この子は小野寺よしこちゃん、まあ、僕の秘書みたいなことしてくれてる。」
「お・小野寺よしこでございます。」
「か~、透吾ぉ、おめぇだけいい子をひとりじめかあ?」
「まあまあ、陣・それじゃあ明日、小百合と会うのはどっちだ?」
「奈美子はんや。」
「そうか、甚目寺さん、俺は矢崎義郎。これからよろしくね。」
「ははい、よろしく。」
「おうい、ママ・新しいボトル開けてや。」
「おいおい、いいのかい?ここは高いやん。」
「あら、透吾ちゃん、聞き捨てならないわね。そんなに高い?」
「わはは、聞こえてしもたん?ほならなんぞつまむもんもとって。」
「はいはい、うんとお安いものをね。」
(ママ、機嫌がええやん、義郎昼に会った?)
(ああ、少しな。)
透吾は、小声で矢崎さんと話しています。
場末のクラブの割には、ママも女の子も話題が豊富で、意外といい店でした。
ただ、陣と呼ばれる人は、見るからにやくざな仕事に手を染めている感じです。
「そう言えば、陣ちゃん、今度理事長さんやて?出世したなあ。」
「ちぇっ、ギリばっかり高くてよう。ロクなもんじゃねぇよ。」
「月いくら?」
「三〇〇〇」
「ほえー、高いイスやなあ。」
「そうだろ?俺なんか副理事長でも高いって言うのによ、こいつが理事長じゃなきゃだめだって言うもんだからよぅ。」
「陣に天辺とらせるためには、少しでも高いところを狙わなきゃね。」
「まあ、そうやね。どうせ痛くも痒くもないやん、そのくらい。」
「気楽に言ってくれるぜ、若けぇやつらのシノギだって、楽じゃねぇのによ。」
「若い衆からシボってないやん。」
「まあな、お前に聞いて始めたパソコン屋・けっこう繁盛してるぜ。」
「アダルトばっかなんやろ。」
「あったりめぇよ、こちとらヤクザだぜ。」
「あはは、ホンマや。」
「これからは、DVDが主力の時代だしね。」
「こらタマりませんわ。笑いがとまらへん商売やね。」
「その巨乳の子なんか、出てくれると大儲けなんだけどな。」
よしこは青くなって透吾の腕にしがみつきました。
「大丈夫やて、そんなこと陣ちゃんがするわけあらへん。」
「そりゃそうだ、透吾の女と知ってて、そんなことした日にゃ、俺ゃコロされるぞ。」
「まあね、少なくともシノギは全部パァにされるな、明日から無一文の丸裸だ。」
透吾さんって、そんなにすごいの?
「まあ、そんな話はあとでいいや。透吾、飲めよ。」
「ああ、おおきに。」
出てきたボトルはヘネシーでした。
「ま・銀座とまでは言わないけど、ここもけっこう遊べるようになったろう?」
「そうやね、もうちっとシロウトさんが、入りやすい通りにせなね。」
「なんでぇ、この通りはヤクザ専門ってか?そりゃねぇぜ。」
「そう思ったら、街灯の一本も増やしたらどうや?けっこう暗いえ。」
「そうかなあ?どうでぇ兄弟?」
「そうだな、たしかにこの辺りは暗いな。この店のネオンくらいしか見えないよ。」
「わかった、明日っから十本くれぇ増やしてやるよ。」
「それがええわ。シロウトさんあってのシノギやもんな。先代のおやっさんなんか、この一本向こうを、いっちょまえの繁華街に育てはったやん。」
なんだかコワい話になってきた様子です。
それでも、紅林陣と名乗った親分は、ときおり優しそうな目で二人を見るので、よしこも奈美子も少しずつうち解けていったのでした。
「あ・わかった、あのソフトを作ったのは、矢崎さんですね?」
奈美子はそっと聞いてみました。
「ああ・そうだよ。そうか、動き出したか。」
「あれ、どういうソフトなんですか?」
「あれ?あれはいろんなパソコンに潜り込んで、必要なデータを持ってくるのさ。」
「とんでもないものですねえ。」
「構造は簡単だよ。」
「CD二枚分で?」
「まあね。バクチも喧嘩も、勝てるように細工してからするのさ。もっとも、これはビジネスだから、負けちゃこまるんだよ。」
「う~ん、なんか違うような気がする。」
「あはは!ばれたかい?」
「そりゃそうですね。」
「事務所開いた早々に、負け戦じゃ透吾さんも形無しだからね。少し手伝っておこうと思ってね。昔助けてもらったお礼にさ。」
「ふうん…」
この人は、少なくとも透吾のことを、本気で心配していると、奈美子は思いました。
そう言う関係は、欲しいと思ってもなかなか手に入らないものです。
そう言う得難い友人を持っている、片岡透吾と言う人物を、改めて見直した奈美子でした。「で・今後は陶器の輸入もするんや。」
「焼き物ぉ?あんまりワリがよくねぇんじゃねぇのかい?」
「そうでもない、いいものをたくさん仕入れて、それなりに売ればええんやもん。」
「まあ、欲しがるヤツはたくさん居るか。」
「そうどす、ま・見ててみ、半年くらいで事務所代くらいペイしてみせるよって。」
「へへ、お手並み拝見ってとこだな。」
透吾は、うれしそうな顔をして、二人をまっすぐ見つめていました。
「まったくおめぇときたらよ、俺たちの顔を真っ向から見やがる。近頃いやしねぇぞ、そんなヤツ。」
「そうか?陣ちゃんなんか、ええヒトやん。」
「またまた、おりゃヤクザのオヤブンだぜ。」
「あはは、ホンマやなぁ。」
気の置けない仲間と呑んでいる透吾は、少年のように楽しそうでした。
「そしたら、また。」
「あんまりここへは来るんじゃねぇぞ、カタギなんだからよ。」
「あはは、僕を殺したかったら、バズーカでも持ってくるんやな。」
笑いながらドアを開けると、通りの向こうから一人の男が駆けてきました。
「くぅればぁやしいいい!往生せいやあ!」
「ひ!」
よしこも奈美子も、その場ですくみ込んでしまいました。
「あほ。」
短くそう言って、透吾は男の手に持った刃物を、軽く蹴り上げていました。
ちいんと音がして、鋼のかたまりは路上に横に落ちました。
「ちゃんと顔を確認せなあかんやろ?」
蹴り上げられた手は、バンザイの形になって、透吾の前で立ちすくんでいます。
「お休み。」
正面からの正拳突きは、見事にみぞおちにめり込みました。
「ぐう。」
一声うめくと、おとこはその場に崩れ落ちました。
「ほな、あとはよろしゅうね。」
透吾は、そのまますたすたと歩き出そうとしました。
「ま・待って透吾さん、足が…」
よしこは、ドアにもたれて、その場から動けなくなっています。
奈美子も御同様で、腰が抜けてしまって、歩けません。
「あらまあ、義郎はん、タクシー呼んでくれはる?」
「あ・ああ、そうだな。すぐに呼ぼう。」
「相変わらず、緊張感なしに修羅場をくぐるヤツだぜ。」
陣さんは、感心したように腕を組んで言いました。
そう言う問題かぁ?
「ウチに欲しいよなあ。」
「そうだな、そしたら全国制覇も夢じゃないよな。」
「ああ・そうなったら、俺ゃああいつの下でいいや。」
またまた物騒なことを話していますね。
程なくやってきたタクシーに乗って、三人は渚を後にしたのでした。
ニューイケダホテルのロイヤルスイートに河岸を替えて、さらに呑もうという透吾の様子に、よしこは完全にグロッキーとなってしまいました。
お付き合いいただきまして、ありがとうございます❤