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旋律の無い歌  作者: 唱伽なみ
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価値観と独断と偏見

ごめんなさい。

詩やポエムぽくないです。


頭の中がごちゃごちゃで。

矛盾してたりするかもしれません。



(くる)しくて、(にが)い。

理解を求めることが言い訳と言われ、説明の言葉は拒否された。


人は誰でも自分の物差しを持っている。

長かったり、短かったり、歪だったり、伸び縮みしたり。

自分以外の人を自分の持っている物差しで計ろうとするから、偏見が生まれそれを他の人に押し付け、不理解が起こる


「普通は~」「~出来て当たり前」そんな言葉をぶつけられ、自分の物差しで相手を計って、物差しからはみ出た部分は否定して、形が足りない部分は理解しない。


親は子供を心配して言う。

物差しで計りながら言う。

仕方ないかもしれない。

自分の物差しが長かったり、短かったりは自分ではほとんど気が付けないから。

他の人の話をきいたり、話したり、本で読んだり、インターネットで調べたりして、時々自分の物差しを伸ばせたり形を変えたり出来ることがある。

でも、自分の物差しは自分の物差しで計ってもぴったりだから形や長さはわからない。


親に理解されないのは、物差しが違うから。

親であっても、自分とは違う生き物だから、理解されない部分があっても仕方ないのかもしれない。

それでも、何より自分を産み育ててくれた親に自分を否定されたり、パートナーのことを否定されたりすると、ホントにつらい。

世話になってるから、言われても仕方ない。

でも、つらい。


兄弟だって、友達だって、自分が信用したり、心を開いた人に理解されないのはつらく悲しい。


だから、私は思う。

物差しを広げてどんな形でも計れる人間になりたいと。


これ哲学ですかね。


物差しで計るのはいいんですよ。

ただ、倫理的や道徳的なこと以外は自分と違う部分を否定して自分が正しいと押し付けたりしないでほしいんですよね。


これ以上突き詰めると頭がおかしくなりそうなのでやめます。

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