金槌
2日程様子を見たが、誰も来なかった。
今日は更に奴の仕事ぶりが良くなり、午前中も自由時間が増えたので何処かに行こうかと思う。
「何処か遊びにでも行くかの?」
「水浴びがしたいのである!」
水をかけるような仕草をしている。
水場は井戸か、例の水溜りか、川くらいしか知らない。
まだ行っていない川にでも行くかの。
「じゃあ川はどうじゃ? ちと小さいかもしれんがの」
「了解である!」
奴は何やら鞄から得体の知れないものを出してきた。
透明な輪っか、河童の水掻き、折れ曲がった筒、鮮やかなボール、サメのような板、透明な飯盒の蓋、テカる布切れなど。
それはもう知らない物が多いこと多いこと……。
奴は布と水掻きを履き、蓋を目に当て、筒をしゃぶりり始めた。
「何をしておるのだ」
「水遊びに行くのだ。その準備である!」
子供のように陽気に燥いでいる。
「兎に角じゃ。着替えは向こうに行ってからせんか!」
少しきつめに言ったお陰か、奴は真顔でコクリと頷き、出した物を仕舞った。
綺麗な小川に来た。この小川が井戸の水源だとお爺さんが言っていたかな。
私は靴を脱ぎ、ズボンを捲って片足を水にゆっくりと突っ込む。
最初の一歩が要注意だ。心臓発作を起こそうものなら大変だ。
ピチャっと片足に気持ち良い冷たさが伝わってくる。
次に両足を水に漬け、軽く歩く。
腰を下ろしバタバタと足だけ泳ぐ事をやってみる。
最後は手で軽く奴に水を掛けた。
奴は海水パンツという謎な程撥水する滑々(すべすべ)と、同時にザラザラともする布を履いている。
龍は最初から裸だったのだ。わざわざ履く必要はなかろう?
そう問うと、奴は笑いながら「そういうものなのだ」の一言で片付けてきた。
水遊びをする時の必須アイテムだそうだ。
ということはあのパンツはマジックアイテムとやらに違いないな。
水を掛けられた奴はこっちを見ている。
巨大な輪っかにお尻を沈めて浮かびながら。
「何をする!」
少し流されている気がする。
「泳がなくて良いのか?」
「我は泳げないのである!」
なんと金槌であった。
「そんなでよく龍と名乗れたものだの」
「龍は皆泳げないのだ。泳げる者は竜である」
発音が同じだったためよく分からなかった。
「泳げる泳げないに関係なく龍なのだな?」
「?」
察しの悪い龍は間抜けな顔をしている。
「龍とリュウは何が違うのだ? 発音が同じでは分からぬわ」
私の丁寧な問いかけでやっと解ったようだ。
「龍は翼を持ち空を飛ぶのである。竜は翼のない龍や蛇のような者を指すのだ」
「それで?」
「うむ。我ら龍は泳げぬのだ。
何故ならば、泳ぐ事を捨て、空へ飛び立ち、巨大な力を得てドラゴンの頂点となった種だからである」
龍と竜を総称する呼び方がドラゴンと言うそうだ。
龍と竜は近縁種で、竜は更に4つに分割されるとの事。
蜃竜:気を吐いて蜃気楼を見せる竜。
虹竜:羽ばたかずに空を泳ぎ、虹色を発する幻想的な竜。
蛟竜:龍の翼の代わりに鰭を持ち、泳ぎが得意な大蛇。
蟠竜:最下位の竜で、天にも昇れない蛇。
一般的な蛇は蟠竜よりも下だという。
ここには居らんだろうがな!と、蛇足が付け加えられた。
つまりは奴の妄想であったらしい。
「兎に角だ。我は泳げぬ。しかし水中を進む事は出来るのだ。
何故ならば、我は魔法が使えるからである!」
魔法万歳!万能!万象!と一人でお祭り騒ぎである。
そのまま流れていったが、ひっくり返って溺れていた。
突然の事には酷く慌てふためくようだ。
その夜、奴は庭で、私は家の中の布団で寝ていた。
奴と一緒に寝るのは気持ち良いのだが、次の日が辛いのだ。
明日の朝は何を作ろうか。奴とは何を話そうか。
そういう些細な幸せに浸っているのだ。
お爺さんと最後まで幸せに暮らせたが、いつまで奴と暮らせるやら。
ただ、孤独死はなくなったなと少しホッとしている。
奴には悪いが、私の最期を看取って欲しいものだ。
穏やかに眠りにつく。次は起きれないのじゃないかという不安は無理やり隅に追いやって。