龍鱗
翌日、私はいつもより早起きした。
村に戻ろうと思うからだ。
忘れ物を早めに届けねばならないからな。
いつもより早いせいで、龍はぐっすり眠っている。
カンカンカンカンカン。私は鐘を撞くように鍋を叩く。
「な、何事であるか!?」
奴は飛び起きた。だが、勢い余って足を滑らせ、頭を地面に打ち付けた。
「痛いのである……」
痣瘤を擦るように頭を撫でている。
私はそんな事よりも目を驚かせる物を見た。
地面が凹んでいたのだ。
龍はとんでもない石頭のようだ。
「お主は石頭か!」
そう言い、奴に地面を見るよう促す。
奴も窪みを見ると、自分の方を心配して欲しいと言わんばかりに主張してくる。
「我の頭は石頭ではないのだ。硬いのは鱗であって、中身は繊細である! もっと労って欲しいのだ!」
鱗越しにでも肌触りはきちんと伝わるらしい。
要望に応え、私は奴の背中の鱗を撫でる。
「分かるのか?」
「擽ったいのである」
体を少しくねらせて、照れくさそうにしている。どうやら本当のようだ。
「こんな硬い物を付けておって、よくもまあ敏感でいられるもんじゃの」
「当たり前なのだ。鱗は鉱石とも金属ともとれる、非常に素晴らしい物なのだ。
我の神が、鱗を作るのは大変だと仰っていた程だ」
何でも、鱗から脳に感触が伝わるらしい。
鱗は硬いが、それでいて繊細なのはそういう事だと言う。
「ところで、お主は本当にその神とやらに作られたのだな?」
「当然である!」
この体を見よ! 解るだろう?
脳内が透けて見えるようだった。
「判らぬわ」
何処をどう見たら解るのかを教えて欲しい程だ。
「我の神は我を……」と、意味不明な事を述べており……。
「分かった分かった。その神は凄いのう。それで良いか?」
「流石は我が友である!」
ガハハハハーと、大笑いである。
そんな滑稽な様子が大笑いなのだが、取り敢えず空笑いしておいた。
「そうじゃ。お主を起こしたのは、こんな戯れ言を言うためではない」
私は作り笑いをやめて問いかけた。
「うむ。まだ陽も出ておらぬ。何事か?」
辺りはまだ暗い。だが、相手の顔は見えるくらいには明るくなった。
「昨日、若い男が来ておったじゃろ?」
「我を無視して逃げた者か?」
「そうじゃ」
私は軽く頷く仕草をする。
「何故あの者はあのような行動に出たのか?我に失礼であるぞ」
ぷんぷん!そんな感じで鼻息を飛ばす。
「龍を見るのは初めてじゃったから、驚いただけじゃ」
「ふむー」
納得がいかないようだ。
「その者の事は今はどうでもよい。お主は、男が忘れて行った荷台と野菜を運べるかの?」
そう言うと、家の脇に佇むそれを指差した。
「勿論。簡単であるぞ」
何か考えがあるのだろう。余裕といった感じだ。
「流石にあれを持っては飛べまい。どうするんじゃ?」
「これである!」
じゃじゃーん!という文字と効果音が見えた。
幻聴と幻覚なのだが、それらは腰に巻いた鞄を差している。
「それに入れて大丈夫なんじゃな? 取り出した時に散乱しておったりはせぬな?」
「マジックアイテムであるが故に、そのような事は決して無いのだ!」
鞄を撫でている。赤子を撫でるように優しく。
「やはり心配じゃ」
「ならば、お主も入ればよかろう?」
一瞬言われた事を想像できずに立ち尽くしてしまった。
ふっと我に返り、それだ!と閃きの如く脳裏を過る。
「村の場所は分かるかの?」
「当然!」
分かるのかと思ったら、
「分からぬ!」
自信満々の否定であった。
軽く、方角と目印だけを伝えた。
「決して村に降りるんじゃないぞ? あくまで近くにある林に降りるんじゃぞ」
「了解である」
「では中へ入れてくれ」
「うむ。中は散らかっておるが故、あまり触らないで欲しいのだ」
「それは構わん」
奴は鞄の中に荷台を野菜ごと入れる。
吸い込まれるかのように滑らかに入っていった。
連続的に大きさを変えて、口の辺りでは小物のようになっていた。
「中は散らかっておるが故、あまり触らないで欲しいのだ」
念を押すようにもう一度言ってきた。
「諄いぞ」
私は一蹴し、中へと入る。
入れられる時、すごい体験だった。
周囲の世界が大きく広がり、もとい私が小さくなったのだが、奴の手もみるみる内に大きくなった。
溝から溢れ落とされないか心配だったが、杞憂に終わる。
中に収納されると、先に到着していた野菜たちが出迎えてくれた。
鞄の中は無限に広がる白の世界だった。
足元にはタイルのように小さな溝が正方形を模している。
見渡すかぎりの白。
その中に遠く近くを問わず、様々な物が溢れかえっていた。
1つは剣のような、1つはステッキのような、1つは箱のような。
そんな知っているような物ですら明らかに違うと思わせる何かがあった。
この全てが財宝なのだろう。
奴に取り出されるまでの間、遠目で眺めていた。
空から巨大な手が降りてきた。
まるで私がここに居ると分かっているように迷いなく。
私は豆粒となって天へと昇る。
爪で傷つけないように慎重に、指で押し潰さないように丁寧に、急加速で破裂しないようにゆっくりと。
空の切れ目からはフォーマルハウト(※)が覗いている。
パチクリパチクリと瞬かせて、その星は私を捉える。
外に出ると、注文通りの場所だった。
「人には見られてはおらんじゃろうな?」
「勿論である!我に任せよ!」
その態度が非常に心配なのだが……。
まぁ、よくやったのは確かだ。褒めておこう。
「当然である! ガーッハッハッハ」と、威厳など微塵もない笑顔である。
奴は笑いながら野菜を取り出そうとしている。
無駄に褒めてしまったせいか、私の時とは違って雑に取り出している。
笑いを止めればいいものを、不注意に取り出したせいで、野菜が1、2個転げ落ちた。
「お主は此処で待っておれ。そうじゃのう……その木の影にでも隠れてな」
「何故隠れる必要があるのだ?」
「何ででもじゃ」
「うぬう……」
不満あり気な様子だが、ごリ押した。
私は野菜を載せて、村に向けて歩き出す。
林は門からは見えにくい場所にある。それが好都合だったのだが、ちゃんとした道がないため、慎重に行かねばひっくり返ってしまう。小さな小石1つとっても侮れない。
移動がゆっくり過ぎたせいだろうか? 村から沢山の声が聞こえる。
門のあたりが騒がしいのだ。起きてきたというより、起こされたような……。
何をしているのだろう? そう思いつつもガタンゴトンと荷台を引く。
角度的に、漸く門から村の中が見えるようになった。
門の近くは黒山の人だかりだったのだ。
「おーい、どうしたんじゃ?」
私の声を聞き、何人かが退いた。
その輪の中心には、ノイノと……妹が居た。
しかしノイノは驚愕とした表情を見せる。
「なぜお婆さんが此処に!?」
「ほれ、忘れ物を届けに来たんじゃよ」
野菜を積んだ荷台をトントンと、注意を引くように軽く叩く。
「うちの子がお手数かけました」
ノグランデだったか?が、申し訳無さそうにお辞儀をする。そう言えばノイノの母だったな。
妹は相変わらず私を侮蔑的な態度を取っている。
「俺は一日中走って漸くここまで来たんだ。どうやって追いついたって言うんだ?」
しまった。そこまで考えていなかった。
昔の旦那なら行けただろうが、私が、それも老体でこれは流石にまずかった。
「それにあの黒い龍は何なんだ?」
「何の事じゃ?」
私は恍けた。
「疲れておったのじゃろう。私は日課の畑仕事をやらねばなるまい。
この辺でお暇させてもらおうかの」
そう言い残し、そそくさと立ち去った。
話せば話す程ややこしくなりそうで、足早に村から逃げてきた。
何人かの視線を感じたが、取り敢えずごまかせただろうか?
奴にさえこれ以上遭遇しなければ問題はなかろう。
奴は他の人とお喋りしたそうだったが、我慢してもらおう。
残念そうな顔をする奴と共に、家へと帰った。今度は腕の中で。
(※)『フォーマルハウト』
ダストリングを周囲に持つ恒星で、それらは蛇眼のように見える。