火袋
丘に着くと芽が光り輝いていた。
眩しいというものではなく、そこにあるぞと判るくらいのものだ。
「我の世話が実ったのだ!」
事ある毎に褒めを要求する奴だな。
「よしよし。よく頑張った」
私は、芽を見るために下ろしてある奴の頭を撫でる。
「それで、芽が出ると何があるんじゃ?」
「分からぬ」
「分からんまま育てておったのか?」
私は目を白黒させた。奴は、そんな私を見上げ、不思議そうに見つめる。
「何しろ初めてであるが故」
「それはそうじゃが……。そういえば、説明書というのはその種には付いておらんかったんじゃな?」
「少し待って欲しいのだ」
そそくさと探しだした。どうやらそこまで思い至っていなかったようだな。
「なんと!あったのである!!」
大歓喜!のような喜びようだ。
どれどれ? 奴から説明書を奪い取って読む。
『ユグドラシルの説明書』
分類:神樹(であると期待する)
必要な物:大量の土、大量の水、大量の空気、大量の魔力、大量の愛、大量の命
初期状態:光の種
最終目標:(恐らく)世界樹
最高樹高:1光年(理論値)
最長寿命:1兆年(理論値)
第1段階:芽吹き
第2段階:成長
第3段階:吸……
破れていた。
破れていない部分は推論ばかりだった。まるでこれから検証するかのような……。
「なんじゃこれは。全く使い物にならんではないか」
「我は悪くないのである!」
開き直り共取れる責任転嫁をし始めた。正にそれが妥当な程の堂々とした態度で。
「これはお主の神が作ったんじゃろう? お主はその神のせいにでもする気かの?」
「ち、違うのだ!我はただ、……」
言い訳が思いつかず、地面に這い蹲っている。目を押さえていじけながら。
「ところで、今日は何か食べたい物はあるか?」
話題を変えて、気を逸らしてやった。
「肉が食べたいのである」
私は肉は未だ出していないから、そのせいだろうか?
期待に胸膨らませる子供のようだ。
「すまんが私には狩りはできんぞ?」
「自分で捕ってくるのである!」
今すぐにでも飛んでいきそうだったのだが、絶対に場所は分かっていないだろう。
「狩場は分かるんじゃな?」
「当然分からん!」
そこまで堂々と知らないと言い切れるとは、良い育ちのようで。
「やれやれ、私もついて行こう」
そのまま2人で狩りに行く事になった。
狩りをしに、ナナカマドの森へとやって来た。
名前の通り、紅葉したり紅い木の実を実らせるナナカマドの木が生い茂る森だ。
この森には鹿が沢山いる。今日はこの森の鹿を捕らえようと思うのだ。
「ツィルニトラ。この森じゃ」
「普通の森なのだな」
「たわけが。寧ろ普通じゃない森などあるか!」
「我は知っておるぞ?」
私のツッコミを軽くあしらい、森に着陸する。
「我の故郷にあった森には白く輝く樹が沢山あったのだ。
青く光る木霊も舞っている、それはもう素晴らしい森なのだ!」
と、感慨に耽っている。確かに普通ではないな。それは異常と呼ぶに相応しい森だ。
「日が暮れるわ。さっさと鹿を捉えるぞ」
私は催促した。
奴は私を降ろして、これから準備にとりかかるのだろうか?
「お主。どうやって狩るんじゃ?」
「教えてもらうのである!」
そう言うと奴はナナカマドの木に耳を当てる。壁に耳あり、といった様子だ。
「分かったのである!」
龍には木の声が聞こえるのだろうか? まぁ行ってみればすぐ分かるだろう。
「では案内するんじゃ」
奴は森を歩けないため、私の少し前を飛ぶ。
抱えて飛ぼうか?と言われたが、近いだろうから遠慮しておいたためだ。
奴について行くと、開けた場所には池のような広さの小さな水溜りがあった。
女神が今にも現れそうな澄みきった水面には、いろんな生き物が泳いでいる。
鹿も何匹か水浴びのように啜っているな。
「あれを捕まえるのだな?」
「その通りである。だが、静かにして欲しいのだ」
「そのくらい分かっておるわ。何しろお爺さんと一緒に何度も狩っておったからの」
旦那と一緒に狩りに行く日もあったな。
「そのお爺さんというのはお主の祖父であるか?」
「阿呆抜かせ。私の旦那じゃ」
「おう、そうであったか。それはすまんかったのだ」
そう言うと申し訳無さそうにしつつも鹿を狩りに、飛び立って行った。
本当に済まなく思っているのかは全くもって不明だ。
狩りは一瞬だった。
空から滑空して水面擦れ擦れを滑るように飛び、急停止したのだ。
その刹那の中で私は沢山の光景を見た。
龍の翼は空気のように同化して、滑らかに滑る。
その目は獲物を捉え離さない。邪眼であるかのように。
彼の尾は真っ直ぐに靡きもしない。進行方向と逆を向いて。
奴は口を開け牙を剥き出し、手を広げ、足も前へと出す。
水はまるで氷のように見えた。停止したそれの上を龍が波風立てずに進むのだから。
水溜りには既に鹿の姿はなく、邪眼に見られて石化したように静かなものだった。
翼の羽ばたく音色、空を切る響き、鹿の逃げ惑う雑音、泣き声、何1つ無かった。
龍の手には腹を抱かれ、龍の足には背中を捕まれ、口には脇腹を挟まれ、3頭の鹿が居た。
抵抗はしていない。死を覚悟したかのようだ。
目は尚も黒い。逃げるチャンスだけは伺っているのだろうか?
奴は鹿の首を容易く圧し折り、私に差し出してきた。
「簡単だったであろう?」
ゲラゲラ笑う。そう見えたが、実際はガハハハと笑っていたようにも思う。
「私にそんな事が出来るはずなかろうが」
私は自力で飛べもしなければ、鹿を持ち上げることすらも出来ない。
奴の冗談を受け流し、家へと帰った。
龍の背中に乗って。
帰ると早速鹿の解体を始めた。
流石に一人で3匹を解体するには、時間にも体にも余裕が無い。
「お主。明かりは出せぬのか?」
奴なら何か持っているかもしれないと言う期待があったのだ。
「出せるぞ?」
そう疑問形で返答すると、奴は火の玉を出した。
とても明るく温かい。にも関わらず、眩しくなく熱くもない。
「これで解体できるの。流石に一人では辛い。お主も手伝うんじゃ」
奴にも働いてもらおうと思ったのだ。
「何をすれば良いのだ?」
「どんなのが食べたいんじゃ?」
茹でるのか、焼くのか、煮こむのか。色々あるが答えは違った。
「生が良いのである!」
「生じゃと……?」
予想外過ぎて、驚きを隠せない。
「お主は、生を腹に収めても平気なのか?」
「腹に収めるのは平気ではないぞ?」
意味が分からない。
「どういうことだ?」
奴は私の疑問に疑問を感じ、首を捻る。
その姿勢のまま奴は考えを巡らす。
暫くの靜寂の後、奴は漸く口を開いた。
どうやら理解できたらしく、あー!というような声と共に笑顔を向けて。
「分かったのである!」
「何がじゃ?」
「我の腹の中にある火袋の事なのだ」
「火を噴けぬと言うておったではないか」
そう。火を噴けないと奴は断言していたのだ。
「火は噴けぬが火袋は持っているのである」
火は噴かない、それでも火の灯る臓器でもあるのだろうか?
「詳しく説明せんか」
説明がないと私にはさっぱり解らないのだ。
あっても理解できるかは保証できないが、無いよりは幾分気持ちの問題でマシであろうな。
「我ら龍は必ず火袋を持つのだ。何故ならば、龍は爬虫類なのだ」
爬虫類は本来、変温動物に属すらしい。
変温動物。それは外部の温度により体温が変化する動物の事だ。
「火袋がなければ我の体は夜には冷えてしまうだろうな」
火袋はどうやら体温調整器官のようだ。
「じゃが火の龍は存在するのであろう?」
「うむ。存在するのだ」
「ならば其奴達はどうやって火を噴くんじゃ?」
矛盾しているのだ。だから聞かねば私が納得出来ないのだ。
「単純な事なのである。もう一つ袋があるのだ」
火炎袋。それがもう一つの袋だそうだ。
こちらは火を生成し吐き出す事も出来るらしい。
「じゃが未だ可怪しいぞ? 温める程度の火袋でどうやって肉を焼くと言うのじゃ?」
「火は出ぬ。だが熱は十分あるのだ。肉ならば容易く熱せるのである!」
自分の体が誇らしいようで、腹のあたりを指差し強調する。
生肉の味を味わい、体内の火袋で焼いて胃に収めるのだろう。
「成る程の。ではお主には、火炎袋に相当する所に何があるんじゃ?」
「我には神気袋があるのだ」
「なんじゃそれは?」
私の疑問に嬉しそうに答え始めた。
マナやらエーテルやら訳の分からん用語を連発させて。
このままでは料理が進まないので、奴が楽しく話す音楽を聞きながら食べられない部位を取り除き、自分の分を料理した。
出来た生肉を奴はぺろりと飲み込み、満足気にゲップをする。
噴射された気体はベランダに居た私に直撃した。
口から出た匂いは確かに焼き肉のそれだった。
私は奴の不思議な体を見つめながら、肉サラダを食べ、今日も穏やかに一日が終わったのだ。