豊穣の舞
今日は良い天気だ。しっかり水やりをせねばなるまい。
「おーい、ツィルニトラやー」
私はベランダからそう呼びかけるが、返事は無い。
龍は野晒でも平気らしく、外で寝かせている。
そもそも巨体を収納できる家が作れない。
作れたとしても私には使えない。
気持ちよさそうに、むにゃむにゃと大きな寝言が聞こえてくる。
どうやらまだ夢の中らしい。
猫のように包まり、尾と片方の翼で脚を隠し、上品に寝ている。
殴り起こしたい所だが、前回の失敗があるので出来ない。
賢い私は、鍋の底に杓文字を打つけ、轟音を立てた。奴の耳元で。
「な、何事であるか!?」
奴は飛び起きたが自分の尻尾を踏み、足を滑らせ転けた。凄まじい地響きと共に。
「何をやっておるか!もう朝じゃぞ?」
「そ、そうであったか」
腹を曝け出したままそう言うと、ゆっくり起き上がって朝食を催促してきた。
「飯はまだなのか?」
「お主が遅いから、食べてしもうたわ」
「それは、あんまりである……」
ちょっと揶揄いすぎただろうか?
奴は目が潤ませ、涙は零れ落ちそうで何故か落ちない、大きな雫を作っている。
「冗談じゃよ。ほれ、今朝はサラダと昨日のパンじゃ」
そう言い、隠してあった食事を見せると、奴は笑顔に戻った。
「あんまりである!」
右手で目をガシガシ擦り涙を拭う。
その口は嬉しそうに、綺麗な白を覗かせて。
サラダも例の如くフォークで食べる。
今回はナイフも使い、歯に引っかからないようにある程度切っているようだ。
どうやら歯は大切なのだろう。
だから、隣の家から買ってきた牛乳を飲み物として出してやった。
「ぷはー!生き返るのである!」
口元に牛乳の跡を付け、それを舌でぺろりと舐める。
「お主はさっき死んでおったのか?」
「我は死んだ事など無いぞ?」
「たわけ! 例えじゃ例え。この大馬鹿者が」
再びしょぼーんとしている奴を見ながら、後片付けをしたのだった。
奴は大きくなったお腹を撫でながら、ゲップを出し、ご満悦である。
「ほれ。腹も膨れたんじゃから、しっかりと働かんか!」
「うむ。今日は何をすればよいのだ?」
相も変わらず腹を撫でている。それにしてもよく食べる奴だ。
収穫量が増えないときついだろうな。
「畑の水やりじゃ」
「終われば、丘に水やりに行っても良いのか?」
「それは構わん。しっかりと水をやれば、の」
奴は目を輝かせて、勢い良く立ち上がる。
何処からとも無く如雨露を出し、そのまま羽ばたいた。
楽しそうに水をやっている。遠くから見れば蝿が飛んでいるように見えるかもしれない。
満遍なく水をやっている。植物を育てる事が好きなのだろう。
次第に気分が乗ってきたのだろうか。
回転しながら水をやっている。スプリンクラーのように。
手を突っ込み水をやっている。花咲か爺さんのように。
それを、洗濯しながら見ていた。
「おーい。ツィルニトラ!」
余り大声は出さなかったが、聞こえたようだ。
水やりをやめて、こっちに飛んで来る。
「何かあったのか?」
静かに着陸しつつ、そう言った。
「水やりおつかれさん」
「当然である!」
えっへんという文字が、奴の周囲に見えた気がする。
「そろそろええじゃろ。行っておいで」
「では行ってくるのである!」
無邪気に飛び立とうとするが、念の為に注意しておこう。
「今日は時間になったら必ず戻ってくるんじゃぞ?」
「勿論である!」
早く行きたくてしょうがない様子であった。
戻って来ない気がする。まぁまた呼び戻せばいいか。
そう思い、これ以上引き止めるのはやめた。
「ほら行った行った」
しっしと追いやると、奴は飛んでいってしまう。
見えなくなるまで尻尾が波打つのがしっかりと見えた。
本当に一日中水をやっているのだろうか? 気になる所ではある。
洗濯、掃除、昼飯作りを終え、私は一息つく。
昼食は一人で家で取っている。
奴曰く、龍は1日2食なのだとか。
二度手間なので、昼と夜のご飯は同時に処理してある。温めるだけでいいように。
冷やすための快適な物はないが、井戸に吊るしておけば半日程度ならば問題はない。
午後からはする事が無いな。
寧ろ、私には出来ないことしか残っていないと言うべきか。
なので、奴の様子でも見に行こうと思う。
念の為に水分だけ持参してきた。
彼に贈くられ、旦那が使い、お爺さんが大切にした、私手作りの瓢箪。
あの人の匂いが今もする。大切な私の思い出だ。
それを両手で大事に抱え、丘まで来た。
可憐な私には短く、だが老体な私には遠い道のりだった。
奴はと言うと……、楽しそうに見える。
まだ時間ではないので、好きにさせておくか。
何よりも、私が疲れたのだ。木陰で休みつつ龍を観察する。
ある時は水を撒く。ちょびちょびと。
ある時は飛び回る。くるくると。
ある時は踊り回る。るんるんと。
そろそろだろうか?
日が大分落ちてきた。
「おーい。ツィルニトラやー」
踊りの最中だったが、そのままの姿勢でこっちを見てきた。
両腕に力瘤を見せながら腕を上げ、股を開きながら片足を上げている。
直ぐに姿勢を正し、飛んできた。
「どうしたのだ?」
「そろそろ帰るぞ」
「まだ時間はあるのである!」
そう言うと太陽を指差した。
私には眩しくて直視は出来ないのだが、奴はできるらしく、陽を見つめている。
「たわけ。帰り道の距離を考えぬか!」
私の歩く速度を考えての事だった。
「それならば、我がお主を抱えて行けばよいのである」
私とした事が、うっかりしていた。
いや、奴を当てにし過ぎるのは良くないと思っていたのだろう。
飛ぶ事を考慮していなかった。
「それじゃ、もう少しだけじゃぞ」
「うぬ!」
奴は飛んでいった。先ほどの場所まで。
今度は私も種の様子を見に行った。
種を植えたと思われる場所の周囲で奴は踊るのだが、そこには巨大な光る絵がが書かれていた。
その巨大な絵は二重円を持ち、中には1点飛ばしの11芒星(密度2の星型正十一角形)が描かれていた。
更に内側には小さな円があり、計3重の円であった。
外周を成す二重円の間には読めない文字が書かれ、それは波打つように揺らめいている。
内にある11芒星はそれとは逆周りで回転している。
よく見ると、11の三角形の中にも何かの記号が書かれていた。
判らないながらも魅了されてしまった私は、うっとりとそれを眺めていた。
龍もその絵の一部として、当然であるかのようにそこに居る。
流れた時は幾許か?
抜け殻の私は、奴に声をかけられ、再び針は進みだす。
「そろそろ時間ではないのか?」
我に返ると、夕焼けが終了しかかっていた。
暗くなった丘には更に幻想的なそれがある。
「これは何じゃ?酷く綺麗じゃの」
私は尚もうっとりと眺める。
「この魔方陣であるか?」
龍には見慣れたものなのだろう。
何なのか判らない私の事が解らないといった様子だ。
「そうじゃ」
「これは種に力を与える物である。芽吹くには大量の力が必要であるが故に此処に描いてあるのだ」
「まぁ大事なものなんじゃな?」
「その通りである!」
理解されて嬉しいといったような態度ではあるが、自慢気に胸を張っている。
「そろそろ帰るかの」
「うぬ」
奴は私を抱き抱え、飛び立つ。
私は奴に獅噛みつき、空を舞う。
龍の腹から伝わる温もりを感じながら、私はもう一度丘を見た。
先程までは遥か彼方まで届く程輝いていた図形は、もう輝いてはいなかった。
巨大な円環が辛うじて見えるのみである。
家へ帰ると、食事は簡単に済ませた。
今日は奴と一緒に寝たい。何だかそんな気分だったのだ。
「食べ終わったかの?ツィルニトラ」
「うぬ! 今日も美味しかったのである!」
奴は今日も満足気だ。もう何も残っていない鍋を舐め回している。
「今日は一緒に寝ても良いかの?」
どういうことだ?と、目をパチクリさせながら、そんな顔をしている。
当然ながら口は開いているのだが。
「何じゃ。不満でもあるのか?」
「無いのである。だが、どうやってするのだ?」
奴はそれが疑問だったのだろう。
「決まっておろう。お前の腹の辺りで、じゃ」
私は奴の腹を指す。奴は自分の腹を見下ろし、再び私を見る。
「そうであるか。ではそうしよう!」
曖昧なまま、一緒に寝る事になった。
寝る事に成功した。この方が近いかもしれない。
奴は普段通りに包まり眠る。私がその中心に居る事を除いて。
同衾する……とまではいかない。何しろ、寝具が無いのだから。
共寝する、が正解か? 勿論、如何わしい事は何もない。
私は奴の抱きまくらとして。
奴は私の寝袋として。
奴の温かい腹に挟まれ、奴の尾を枕にして寝た。
腹は、思いの外柔らかかった。
そうであるにも拘わらず、丈夫で傷一つ付きそうにない。
良い匂いがする。しっかり手入れされているようだ。
尻尾の鱗は硬く丈夫だが、靭やかだった。
表面は滑々(すべすべ)と、しかしザラザラとした得体の知れない感触だった。
凄く気持ち良い。その幸福の中で眠りに就いた。