如雨露
奴は毎日毎日、楽しそうに水やりをする。
如雨露を傾け、るんるんと陽気に、ニコニコと爽やかに。
だが一向に芽生える気配がない。奴曰く、パパっと芽吹くと言っていたのだが。
そもそも植物がそんな直ぐに芽吹くはずがなかろう?
如雨露も如雨露で可怪しい。
汲まないにも関わらず、際限なく水が出てくるのだ。
「ツィルニトラや。その種は本当に植物だったんじゃな?」
「勿論である。神が仰ったのであるからして、間違いはない」
彼が神と呼ぶ存在の言うことは、彼にとっては絶対なのだろう。
「所で、その如雨露は何処から水が出ておるんじゃ?」
「これか?」
奴は水やりを中断し、如雨露を指差す。
「そうじゃ」
「これも我が神が、我に下さった至高の逸品である。水は際限なく湧き出し、枯れる事は無いのだ」
どうやら相当すごいものらしい。
伝説に出てくるような財宝なのだろうか。
だが、この如雨露は、一瞬見ただけでは財宝のようには思えない。
非常に簡単な作りの金属製だからである。
しかし、一変の曇りもなく、傷一つ無い点だけがそうである事を誇示している。
「もう十分水はやったじゃろう? そろそろ畑仕事を手伝ってもらおうかの」
「おう、もうそんな時間であるか」
悪い悪い、と獰猛な歯を笑う口から覗かせる。
獰猛なはずの歯はその笑顔に打ち消され、何の脅威も感じさせない。
やはり憎めない奴だ。
「そんなに水をやっておるから育たんのじゃ。本当は枯れてしまったんではなかろうな?」
「そ、そんなはずはないのだ! 我の信じる神は絶対であるからして……」
と、慌てながらも奴の長い演説が始まってしまった。
頭をぶん殴り、今日もいつものように、しかしいつもと違う奴を連れて畑仕事へと向かう。
手が痛い。
龍を殴ったせいなのは間違いないのだが……想像以上に硬かった。
金属より硬いのではないだろうか?
「今日は野菜の種を植えるんじゃが……」
「土を耕せばいいのだな?」
物分りが早くて助かる。
「そうだ。だからこれを……」
と桑を渡そうと一瞬目を離した隙に事件が起こった。
土が雨のように降ってくる。
「ツィルニトラ!? 息ができぬ! 前も見えぬわ!」
土砂降りの土砂は止んだ。
「おう、すまんなったな」
かかった土を払い、奴の足元を見ると、大きな穴が開いていた。
「何したんじゃ?」
「耕したのだ」
堂々とした態度で言い放つ。間違っているとは微塵も思っていないようだ。
しかし、どう見ても穴だ。それも巨大な。
「これはどう見ても穴じゃろ? 私を馬鹿にしておるのか?」
「土を掘って種を植えるのであろう? それも沢山。ならば、穴は大きい方が良かろう!」
奴の言い分は分かった。
「じゃがな、だからといってそこまで掘ったら芽が出ぬわ」
「そういうものであるか?」
「そうじゃ。それにじゃ、耕す時は満遍なくやるんじゃよ。ふわっふわにするんじゃ」
「成る程……。ならば!」
納得したようで、再び土が舞う。
「言った側からお主は何をやっておるのじゃ!」
近寄れない。仕方ないので離れて見ていた。
どうやら終わったようだ。
「耕すのは楽しいぞ!」
まるで子供のようだ。お気に召したようだが……土だらけである。
どれ……。
軽く触ってみたが、素晴らしいふかふか加減であった。
「やることは極端じゃが、お主。才能はあるのう!」
「そうであろう、そうであろう! もっと褒めるが良い!」
物凄く天狗になっている。背が反っているのだ。
「次は種を植える。1つずつ丁寧にじゃ」
私がやってみせると、分かったと言いやり始めた。
最近は腰が痛くて畑全域を耕せないので収穫は少なかったが、奴のお陰で沢山植えられそうだ。
その広い畑に黙々と種を植えているのだが、大胆さに欠ける作業なためか、奴の顔は真顔だった。
目が死んでいるようだとも言う。
案外これはこれで可愛いな。
「少し休憩するかの?」
そう言うとこっちを見て笑顔になった。
生き返ったかのような落差であった。
「ガハハハハ。飯だな?楽しみにしておったぞ!」
「先に水浴びじゃよ」
ガッカリしたのか口が大きく開いていた。
龍に付いた土を洗い流すのは大変だった。
巨躯なのもそうだが、私の背では届かない。
「お前さん、大きすぎじゃ……」
井戸で組んだ水の量が足りず、まだ背中を少し洗うに留まった。
「水が足りないのだな? ならば!」
そう言うや否や、如雨露をひっくり返す。
いつもは注ぎ口からのみ水が出ていたのだが、逆さになることで上面にある大きな穴からも水が吹き出す。
滝のように流れ出、強烈な水流によって私は転ぶ。
転んだ先は既に如雨露の水で溢れかえっており、息ができない。
泳ぐ力も無いため流されていく。
そんな私が目に入ったのか、流れが止まった。
起き上がり、咳き込む私の下に奴が駆けて来る。
「だ、大丈夫であったか!?」
「げほっ。一応はな」
奴は私の小さな背中を擦る。
巨体の割には優しい。
背中には奴の手の温もりが服を通じて伝わってきた。
「すまんかった。悪気はないのだ……」
「そんなことは分かっておるわ」
そういうと、奴の手を退け立ち上がる。
見渡すと、辺り一帯水浸しになっていた。
「何故こうなったんじゃ?」
「少し待つのだ。今より説明書を探すが故に」
そう言うと腰に巻いてあるウェストバッグを物色する。
大きな紙を取り出して広げ、何やらブツブツ呟いている。
偶に首を傾げる。
よく見ると、奴から汚れが取れて綺麗になっていた。
光が反射し鱗がキラキラしている。
「そんなもんがあるなら、初めから読んどかんか!」
ついつい大声になってしまった。怒ったわけでは決して無い。
「うぬぅ……。しかし、我は使って覚えるタイプなのだ」
ワイルドなようだ。行き過ぎてるのが残念である。
「どれ。見せてみなさい」
説明書と呼ばれる紙を取ると、沢山の言葉で書かれている。
中には私の知る言葉もあったので、無事読む事が出来た。
説明書によると……
水は際限なく出てくる。
途轍もない量が吹き出すので、ひっくり返してはいけない。
中に水を戻すことは出来ない。
などが書かれていた。
「次からはひっくり返すでないぞ?」
「勿論である!」
元気な返事だ。よく分からない仕草付きで。