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盟約の竜  作者: こうあま
9/12

盟約の竜 9

 夜明けが遠い夢を見て、その混沌の中で様々な語りかけを耳にする。

 疾風のごとく吹き抜けていくものの一つひとつが、業火にあぶられてはどろどろと溶け、聖水に清められては研ぎ澄まされるような夢だった。

 ぱちんと弾け、混沌を振り払うように目を覚ました時。

 ケレスは、夢のさざなみが一瞬で引き、心がしんと静まり冴えているように感じた。

 妙なる感覚に、目を見開き辺りを見回す。陽は既に高いようだった。

 おかしいな。

 続く言葉も、心の内で呟いた。

 ――竜が落ちる音を聞いて目覚めた気がしたのに、あまりに静かだ。

 世界は、陽の下にあって、されどまるで夜明けを迎えていないかのような沈黙の中にあった。


 ケレスは家の中を見て、静けさの意味をすぐに知った。

 カノがいなくなっていた。荷物など元より無かったが、レインとともに名残さえ残さず消えていた。

 何故か、それは簡単に胸の深くにまで落ちる。

 ケレスは深くため息を洩らしてから、上着を着るだけの身支度をして、中身の変わらない鞄を手に家を後にする。


 昨日と同じ場所に足を踏み入れ、ケレスは薄く微笑みを浮かべた。

「おまえはここにいるだろうと思っていたよ」

 ノア、と呟く。

 名を呼ばれた緑の竜は小さく声を発した。

 単なる相槌ではなく、もっと深い意味を含んだ肯定と支持の声だ。ケレスには確信があった。

 水の色が治める空間に足を踏み入れ、ノアに近寄りながらケレスは言う。

「おまえもわかっていて、ここにいるんだろう? ……本当に俺のことはお見通しか」

 身をかがめ、おとなしくケレスの手を待つノアに、望む通りのものを与える。それ以上に、愛しい竜に顔を寄せて。永く心の奥底に、氷で固めて閉じ込めていた想いを吐き出した。

「……もう俺は、おまえの死を待つことはない。死を待って、おまえを欺こうとした俺の負けだ」

 竜の目を覗き込む。

「すまなかった」

 竜は、心底愛おしく啼いた。

 ノアから顔を離すとともに、父の墓を見据えた。数瞬目を瞑ってから、傍らの剣を掴んだ。一瞬気合いを入れて引き抜く。

「……こんなに軽かったか」

 拍子抜けだよな、という顔でノアに苦笑を向けた。ノアは再び肯定の意を表現する。

 鞄を漁り、剣を布でくるむ。それから紐やらベルトやらで何とか背中に括り付けた。

「よし……行くか」

 聖域のような小さな森を去る時、父であり、師であるその人に、わずかにそっと祈る。ノアもそうしたように見えた。


 白い竜は、ひとと交わらず、されどひとたび逢えばひとを食らい、絶え無き孤高にその身を置く。

 ――馬鹿馬鹿しい伝承だ。

 ノアと、生活圏以外を飛ぶのははじめてだった。その昂揚がケレスに、伝承を一笑に付す勇気を与えていた。

 それに。他の誰が口をそろえようとも、父は一度たりとも言わなかった。

「海が見えてきたな、ノア」

 様子を見ながら声をかける。狂気や傷などないかのように、ノアの飛翔は確かだった。

「あの向こうは大陸なんだと。この地は、半島に過ぎないそうだ」

 どこから陸続きになっているのかさえケレスにはわからなかった。大陸がどれほど広いのかも。

 ただ一つ、父から聞いて知っていることを呟いた。

「大陸には……竜はいないらしい」

 ノアがかすかに反応を返す。

 竜は何を表現しただろう。どんなに通じているつもりでもその問いが頭に張り付くのはきっと調教師の性。そう言い聞かせて、それを追い出すように言葉を継いだ。

「なあノア……この地は竜のためにあるのかもしれないな。ほら、見えてるだろう。あれがこの半島の中心だ」

 枯れた山々ばかりの半島の中央、そびえる巨岩をケレスは睨んだ。

 どこを見回しても一辺倒に枯れた色だというのに、その岩の接する周辺だけは緑が広がっているのが見える。

 山とは明らかに異なる隆起も、その色彩も、ひどく怪奇で異常だ。

「父さんが言ってた、あれはやぐらなんだ」

 今の距離ではただ一つの塊にしか見えない。それでもケレスは父の言葉の正しさを確信していた。

「あの場所に……カノは行ったはずだ、レインもな」

 そして白い竜も。

 あの場所に求めるもののすべてがある。それから。あるいは――。

 ケレスの心は一瞬だけ、時を止めたような感覚を内包した。どこか外側にあるものが問いかける。

 求めようのないものを追いかけて、いないか。

 ケレスはそれをすぐに棄てる。背中に負う剣が重みを増していた。実存の重みを意識するとむしろ救われた。父の手はこんなに硬質ではない、温度を持たず背中に張り付くような、こんなものではない。今追いかけているものは確かに、今この世に存在するものだ。

 ――これ以上失って堪るか。

 風切りの音と、伝わる振動が心を研ぎ澄ましてくれた。

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