盟約の竜 5
「そういえば」
ケレスが懐を探る。
「町へ降りる途中で拾った。おまえのか?」
小さな飾りを取り出し、カノに見せるように手に掲げた。黒と白の薄いかけらが組み合わされた髪飾りだった。それを目に認めた瞬間にカノの表情は凍りついた。
「それ……は」カノの呼吸が乱れる。拒否するように視線を逸らして首を振った。哭するように震えた言葉を漏らす。「だめ、やめて……!」
カノの様子が目に見えて変わったことに、ケレスも動揺した。飾りを反射的に後ろ手に隠す。それからカノに見せないよう、そっと懐に戻した。
頭を抱え込んで頽れたカノに近寄って、肩に手をあてた。
「悪い。……おまえのもの、みたいだな」
カノは俯いたまま、僅かに肯首する。
「黒と白の鱗……レインのと、……あの竜の……」
ぼそぼそと小さくつぶやくと、息を細く吐いてカノは立ち上がった。ケレスからそっと離れる。
「その飾りが竜の鱗で出来ているから、私に見せたんですよね」
「そうだ」
カノは苦しそうに眉を顰めたままケレスを見つめた。不安げに目が揺れる。
「それ……それを持っていたら私、また『寝言』を言ってしまう」
「なんだと!」
「だから、見せないでください」
カノの懇願する声色に、ケレスは言いよどんだ。是とも否とも言えず、口が音を伴わずに動いた。
唇を噛んで答えないままのケレスに、カノは力なく微笑む。
「あの、ケレスさん」
カノの笑みに、ケレスがはっとする。弱々しい笑みは動揺した心の内側に入り込んだ。
「あのときケレスさんが無理にでも調教をしてくれて、ほんとうに幸運だったの」
「どういう、ことだ」
「たぶんレインが落ちたときに、その髪飾りがとれて。だから『寝言』に今は支配されずに済みます。けどその飾りはレインの鱗で出来ているから、私はあのままレインに乗っていたら、それでもきっと完全に逃れることは出来なかったと思う」
混乱のさ中でも、薄く笑うその表情だけが明瞭に感じられ、ケレスは引き入れられるようにカノの声を聞いていた。
「一族の乗り方をしていたら、きっとだめだったんです」
「……落ちこぼれだと言っていただろう」
かろうじでそう返すと、カノは首を縦に小さくふる。そして、横にも大きく振った。
「わかったの。私、こんな盟約を託されたのだからきっと一族にはいらない存在なのだろうけど、本当はたぶんレインの……竜の気持ちがわからないわけじゃないって」
ケレスは聞き捨てならない言葉を聞いた気がしたが、口を挟むことは出来なかった。言葉のひとつひとつに呑みこまれ、どこにどう言葉を返せばいいのかわからなかった。
「ノアを見てわかったんです」
そう言ってノアを見つめた瞬間、カノの目から涙がこぼれたように見えた。
「ノアがあまりに悲しんでいるのが、わかったから」
ケレスがノアに向き直っても、ノアの様子はなにひとつ普段と変わらず定常で、悲しみなど感じなかった。
だがケレスは、自分がひどく愚かであるという感覚が頭をよぎり、それを手放すことが出来なかった。なにも変わらないノアの様子がケレスの心に呼び寄せた感覚は、平素とはもはや全くもって違う。カノの言葉が真実であることを、ケレスの奥底はわかっていた。
ケレスは惑いを浮かべてカノを見る。天稟の力に恵まれた、竜の血を引く存在としてその目に映った。竜に関わる者としての直観だった。彼女のような天賦のものは、己はきっと持っていないだろうけれど。
「カノ」
虚を衝かれたように、返答までに一瞬の間があった。
「なんですか? ……ケレスさん」
「おまえの話が聞きたい」
辺りには薄闇が広がり始めていた。沈んでいく光が一瞬彼女の頬を照らす。その光のおかげで、ケレスはカノの顔に涙が浮かんでいるのが杞憂でないことを知った。
消えゆく光をつかもうとするような、涙をぬぐおうとする手が届かないような、そんなもどかしさがケレスの体を満たした。