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盟約の竜  作者: こうあま
2/12

盟約の竜 2

 季節が一回りする間に数えるほどしか雨の降らない大地は、黄土の景色を伸展する。

 ただ、見慣れた空の色が今日は濃かった。自分の生活がよほど色を失っていたからか、それとも陽が高い時間に外に出たからに過ぎないのか。

 荒涼な風ばかり吹いてさほど暖かくもないくせに、大地を乾かす力にだけは長けた白日の下に用もなくいることは賢明ではない――無気力さに憑りつかれてからは、そう言い聞かせるように外へ出ていなかったことを回顧する。

 しかしこうして外で過ごすと、やはり竜にとってはそれなりに適切な気候だと思い出す。ケレスがこの大地に愛想を尽かさないただ一つの理由がそれだった。竜たちがこの大地を、風を愛すのならば、それだけでこの不毛な大地に生きることを承認する価値を見いだせた。

 ずっと、そう感じて過ごしていたのだ。


「あの」

 遠慮した声がケレスの背中に触れる。半開きの扉から覗くようにして、カノがそっと立っていた。眩しそうに眼を眇めながら。

「その、お水……もらえませんか」

「調子はどうだ」

「あ、昨日よりだいぶ……ありがとう」

 近づいてきたカノに、ケレスは提げた水筒を渡してやった。カノは遠慮がちに口に含む。

「……ちゃんと飲んだ方がいいぞ。油断してたら干からびる」

「でも」

「いいか。言葉と意識をまともにしろと言っている。昨日の話が終わっていない」

「す、すみません」

 水は中にまだある、とケレスが付け加えると、ようやくカノはまともに呷る。喉を潤して水筒を返してから、またも遠慮、というよりも怯えを孕みながらケレスに声をかけた。

「……ありがとう、助けてくれて」

「俺が助けたのは竜だが」

 カノの方を向くこともなく言うケレスに、カノは頷く。

「うん。私の大切な竜を助けてくれて、ありがとうございます」

 ケレスが振り向き、視線が交わる。陽の下でカノの瞳は輝きを得て、ほんの少し笑っているように見えた。昨日よりは話が通じそうだ、とケレスは一人ごちて、家の中へ戻る。名残惜しそうにケレスの手にすり寄る黒竜から、そっと離れて。

 カノは、その竜を慈しむように一瞥してからケレスを追った。


「一晩たって気づいたが」水を補充しながらケレスは言う。「おまえ、竜乗りの一族だな」

 カノは一瞬驚いて、しかし素直にうなずいた。

「あ、そう……です。……どうしてわかるの?」

「鞍も調教もなしに乗るのはやつらだけだ」

 ケレスはカノに顔を向ける。猜疑を拭おうともしない表情に、カノは一瞬ひるんだ。

「だが、やつらは簡単に落ちたりしないだろう。おまえは尚更に怪しい」

 険しい表情に畏縮して、カノは沈黙を守るばかりだった。ケレスはため息をつく。


 竜乗りの一族という言葉を、カノ自身久々に聞いた。それは外に出てこそはじめて意味を持つ言葉で、己がその内側にいるときには必要としないものだからだ。そして、竜乗りを名乗るに心もとないということも身に染みていた。

 だから己の属性を示すはずのその言葉は、カノにとってどこか遠く響くものだった。


「……わたしは落ちこぼれで」

 ようやく絞り出すように言う。それきりに俯くカノに近づいて屈むと、ケレスはその瞳を覗きこむ。先ほどまで不快な表情を乗せずに目を合わせようとすることなどなかったはずの瞳が、いつの間にそれを拭い、心をつかみ取ろうとするようにカノを見つめていた。

 だから、ケレスの唇が動いた瞬間、カノには嫌な予感が走った。――いけない、引きずり出される。

「――おまえは何者」

「やめてっ言わないで!」

 ケレスが言い終わる前に、叫んだ。ケレスの口を塞ぐように手を伸ばし、無理矢理に声を封じる。

 不自然な沈黙が生まれた。

「あ……」

 カノの息を呑むような呟きが漏れた。手が離れると、ケレスは既に無感動に目をそむけて何も言わない。害意も、心を探る意思もなく、しかしその寂寞が何よりも雄弁に、カノを抉った。

 ――なんて残酷な人!

 カノの頭にさっと血が昇る。恩人に対する躊躇が消えた。自分を脅かす悪人だ。カノは慨然とした。

「よくそんなこと……! あ、あなたには関係ない、放っておいて!」

「ふざけるな」

 ケレスの声は対照的に地を這うように凍っていた。カノは目を見開く。

「竜を落としておいて関係無いだと? おまえこそよくそんなことが言えたな」

 言葉と表情が湛えていたのは猜疑ではなく、ただの怒り。カノはケレスの心の一端に触れた気がした。

「昨日みたいな妙な『寝言』を言いながら飛んで、だから落ちたんだろう?」

 『寝言』。

 その単語はカノの心の底深くまで落ち、音を立てた。

「二度目は俺が許さない。『寝言』について説明するか、二度と落とさせないと誓うか、選べ」

 単語の帯びた氷の冷たさが、深く内側からカノの意識を覚醒させる。

 落とさせない。どうやって?

「――え?」

「あの竜はまだ幼い。今からでも飛び方を正せるだろう」

 そう言って窓の外を見るように視線を逸らした。

 一体全体何を言っているだ、この目の前のひとは。カノは途端に現実の心地がしなくなった。

 氷の冷たさが急速に失せて、残ったのは。ただ竜をひたむきに思う、温度に左右されない強靭な心そのもの。

「……調教、してくれるんですか」

 呆然と呟いたカノの言葉に、ケレスは反応しなかった。

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