39 アゴスティ家
危機というものは、ある日突然やってくる。
日々滅亡への危機対策を行っている俺だとて、万能ではないのだから予想外の危機に襲われることもある。
主に元凶はポムだったりするが、ちょっとした油断や把握ミスで危機的状況となることもあるのだ。
今回、俺がその危機に襲われたのは、やはりこの大陸に入ってすぐに起こった内容の、一定の決着がついたと油断してしまったからだろう。
だが、それを悔やんだところで今の状況を無かったことには出来ない。
まして、その危機が俺の大事にしている者――ジルベルトから与えられているとすれば、なおさらに。
俺はショックのあまり呆然と座り込んでいた。
場所は元アヴァンツァーレ家別宅、現アゴスティ家当主所持屋敷。
人払いのされた部屋にいるのは、扉を守る隠密以外には俺とジルベルトの二人だけ。
とはいえ、ジルベルトが俺に何かしたわけではない。
俺はジルベルトを信じているし、魂の根底的な何かでジルベルトが俺に危害を加えることは無いと確信している。マジでマジで。
しかし、現状、俺はここ数日を振り返ってみても感じたことの無い危機感に苛まれていた。
数日単位でしか危機感を感じずにすむ日が無いという、実にビミョーな現実までも感じてしまったが、それはともかく。
「……」
部屋の中に沈黙が流れる。
なにやらカミサマが通った気がするレベルの静寂だ。
そんな中で、ジルベルトは俺を無言で見下ろしていた。
俺もまた無言でジルベルトを見上げ続けている。
おお、我が愛し子よ。ポカンとした顔で棒立ちになるのはやめたまへ。
ただでさえお人好しでちょっと抜けているところが可愛いお前なのだ。悪い大人に見つかったら浚われてしまうではないか。俺は心配でたまらんよ?
だからほら、ちょっとこう、いつもより縮んで机の上にちんまり座って御菓子を食べている俺を見下ろすのはやめるんだ。
正確に言えば、赤ん坊姿の俺を、だが。
「……」
無音が支配する部屋の中で、俺とジルベルトは熱く熱く見つめあう。
心なしか俺の黒歴史さんまで黙り込んで俺を見つめている気配がする。
こんな事態になったのには、むろん、俺的に重大かつ切実な理由がある。
それは、アヴァンツァーレ家騒動の決着をつけさせた、数刻前に起因していた。
●
アヴァンツァーレ家。
それは、タッデオ地方を収める地方貴族の一つであり、南の隣国と国境を接する国としても重要な位置にいる貴族の家だ。
元々隣国との戦争で名をあげた貴族であったこともあり、地力は十分。
代々の領主も周辺の治安維持に――それこそ隣国との争いが収まった後も――全力を注ぎ、魔物討伐も十全にこなす武人であったという。
今でこそ見る影も無いが、当時は本当に飛ぶ鳥を落とす勢いの名家だったのである。
父様の預けてくれた隠密部隊は、そんなアヴァンツァーレ家の内情をかつて俺達が調べた以上に調べ上げてくれた。
アヴァンツァーレ家が衰退した理由がハッキリと分かったのは、その結果だ。
ぶっちゃけて言おう。
だいたい領主のせいである、と。
別に悪いことをしてたわけじゃない。ただ、ただただひたすらに、武人だったのだ。根本的に。
まず、大きな領地を持つ貴族としての手腕は皆無。
知識も皆無。
基本的にお人好し。
脳筋で戦闘のこと以外普通にヘタレ。色々チョロい。
そしてなにげに酒弱いのに酒好きでお祭り大好き。
……そういや、ジルベルトも新街誕生祝いではだいぶ……いや、何でもない。何でもないとも。俺の可愛い子供の可哀想なところは見守ってやるとも。俺の中でジルベルトは我が息子なのだ。異論は認めんとも。現状の年齢差もスルーするとも。
それはともかく。
せめてそこそこでも政治的手腕が発揮されればマシだったろうが、報告書を見れば見るほどツッコミどころが満載で、前世では基本的に部下に統治を丸投げしてた俺ですら、アヴァンツァーレ家のやってきたことを知って思わず頭を抱えたほどだ。
周囲の人が頑張って支えたが、代々の当主が揃ってそんな有様だから現状維持すら難しい。
貴族社会の付き合いも下手で、他人を疑うことも大の苦手。
……正直、よく貴族社会で生きていられたな……いやまぁ、だからこそ死にかけていたとも言えるのだが。
浪費と呼べるほどの浪費は無いし、大損というのもそれほど無いのだが、周囲に上手いこと使われたり騙されたりといった情報が出るわ出るわ。アヴァンツァーレ家の不幸っぷりを話し合っていた時以上のいたたまれなさに、全俺が涙した。
……まぁ、魔物討伐費用全持ちとか疫病の流行った街への領主特攻話とかを聞いた時点で、色々と察してはいたのだがな……
そんなアヴァンツァーレ家だが、とりあえず当主達に今まで一人も悪人がいないという、人間の貴族にしては驚異的ともいえる善人性をもっていたらしい。まぁそのせいで逆に苦境に陥りまくっているのだが、それは今は置いておこう。
とりあえず、そんな善人一家だから基本的に周囲の覚えは良い。そのおかげで、苦境時にはあちこちの家が少しずつ便宜を図ってくれていたようだ。
ただし、苦境を見てどうにかしてやろうというほど、深いつきあいのある家はあまり無い。さすがに、そこまでのつきあいでは無かったのだろう。俺はなってやる気満々だがな! マカセロ!
さて。
そんなアヴァンツァーレ家の当主一家だが、外の家に出た人間は家に残った人間と違い、色々と緩んでしまっている。
朱に交われば赤くなる、という諺があるが、正しくだな。
特に、近代においては昔と違って不幸続きだ。家にいる間はなんとか家をもり立てようとしていた者達の中にも、外に出て良い暮らしに慣れると『欲』というものが出てきたらしい。
そうして、『欲』というものは、むしりとれる相手がいればこれ幸いと耳元に悪事を囁くものだ。
――あそこからとってくれば良い。
――なに。同じ血が流れている家族じゃないか。多少、物をもらってもかまわんだろう。
――そもそも、血を分けた兄弟でありながら、片や辺境とはいえ大地主。自分にも分け前をくれてもいいはずだろう。
まぁ、こんなところかな。
無論、そんなものに負けない連中も少なくないだろうが、負けてジルベルトの所からむしり取っていった人間が、今、俺の目の前にも一人いる。
アゴスティ家当主、フランツである。
「私じゃない! 私のせいではない!」
「……ぁー……」
扉を開けて即座に響いたかすれ声に、俺より先に部屋に入ったロベルトが力のない声をあげた。
場所はアヴァンツァーレ領の北東部、アゴスティ家が書類を操作して権利を奪っていった別荘だ。
もともとこの別荘にリベリオ達を招いたことが、『死の黒波』を発生させるきっかけになったといっていい。そのことに気付いた目の前の男が、精神的に追いつめられるのは仕方がないだろう。
「私がやったのではない……!!」
「……」
ああ……うん……
追いつめられてるよな。
まだ何もしてないけど、すでにイッパイイッパイだよ。
チラッと俺を振り返ったロベルトの目も困り切っている。俺は溜息をついて部屋へと一歩踏み入った。
どれだけ追いつめられているのかというのは、元は豪華だったろう部屋が空き巣に入ったかのように荒らされ、窓という窓に厚いカーテンがかかって真っ暗になっていることでも分かる。いつ王都や近隣の領主から断罪の手が伸びるか気が気ではなかっただろう。
騒動後、ほぼずっとテールが見張ってたから、隙を見て逃げるということも出来なかったしな。
もっとも、テールが見張っていたからこそ、他の連中も手出しが出来なかったのだろうが。
「さて、あの男が落ち着くのにまだ時間がかかりそうだが……」
暗い部屋の隅に蹲り、こちらに尻を向けて震えている男に視線を向け、俺は再度溜息をついた。
「脅してどうこう、というのは、あの精神状態では逆効果だろうな」
「まーな……。つーか、街や王子さんが助かったの、伝わってねーのか?」
「いや、テールが伝えたらしいのだが、あのように錯乱状態のままでな……魔法で治すことも可能といえば可能だろうが、今回は色々と手をかけすぎだろ? さすがにテールがそれをするのは拙いってことで、従者達にも声をかけて根気よく伝えることでなんとかしようとしたらしいんだが……」
「……無理だった、と……」
小声で話し合い、二人して小さく息をつく。
正直、自業自得だという気持ちが強くて、哀れな男に対する同情は沸いてこない。こういうところが、俺の器の小ささなのだろう。
だが、かといって相手への嗜虐心も沸いてこなかった。ジルベルトのことを思えば業腹だが、そのジルベルトの代理と称して好き勝手気晴らしをしようという気持ちにはなれないのだ。
本人がやるべきことだろうしな。うん。
「どうする? ジルベルト」
いざという時は守れるよう、俺の後ろに従わせていたジルベルトを振り返った。
獅子身中の虫である男を見るジルベルトの表情は冴えない。
テールに確保してもらっていたアゴスティ家当主の元へは、本来であれば俺とロベルト、シンクレアの三人で行くつもりだった。その方が色んな意味で早いからだ。
だが、ジルベルトの頼みを引き受けない、という選択肢は俺には無い。
俺とシンクレアがそれぞれ飛行術を使って一人ずつ抱えれば、馬の十倍は早く動けるしな。
まぁ、そのかわり、俺達に抱えられてた二人は色々と怖い思いをしたようだが。
「……私が話してみます」
「……。そうか」
部屋と当主の様子にしばし愕然としていたようだが、今のジルベルトに衝撃を受けた気配は無い。直接会ったことで何らかの気持ちが沸き上がらないかと心配したが、表面上は落ち着いたものだった。
「……」
ロベルトがチラッと俺を見る。俺は小さく頷いた。
ジルベルトがやるというのなら、と三者で目配せしあい、いつでも動ける位置に移動しつつ道を開ける。
ジルベルトは一見して落ち着いているように見えた。表情こそ険しいが、アゴスティ家のことを話していた時のモナや家人達の表情と比べればまだ穏やかな方だろう。
もっとも、硬く握られた拳が小さく震えていたから、何も思わないわけでは無いのだろうが。
「叔父上」
「私じゃない! 私のせいじゃない!!」
ジルベルトの声は、けれど男には届かない。
恐怖に囚われすぎているのだろう。本来であれば一発殴るなりして無理矢理意識を引き戻すのだが、あれだけ衰弱した人間にそれをやると、そのまま殺してしまいそうだしな……
……うーん……
そのまま二、三ほど声をかけ、様子が芳しくないのを確認して俺は溜息をついた。
「ジルベルト。少し、替われ」
「……はい」
表情の無い顔で場を譲るジルベルトの肩を軽く叩き、アゴスティ家当主へと向けて手を翳す。
【精神の檻を解き放つ者よ】
俺の【声】に精霊達が集まってくる。
呪文とは、世界の方式を書き換える術式であると同時、力を貸してくれる者への呼びかけだ。
ゆえに、既存にない魔法であろうと、やり方さえ分かっていればアレンジすることも新たに作りあげることも出来る。
【彼の者の恐れを奪え】
ぽぅ、と当主の頭の上に淡い光の草冠が浮かんだ。
「う」
俺は思わず呻く。
暗くてよく見えなかったが、淡光の草冠が軟着陸した当主の頭は、見るも無惨な状態になっていた。
おお……なんということだ……
ジルベルトの敵の分際で、俺の同情心を的確に煽ってくるんじゃないよ……!
「叔父上」
冠が触れてしばし、呻くようなか細い悲鳴のような当主の声が弱まり、ついに途切れたのを見て、ジルベルトがそっと声をかけた。
今まで何の反応もせず、ひたすら蹲っていた男がぎくしゃくと振り返り――
「……じる……べる…と?」
呆然とジルベルトを見上げた。
●
俺の使った魔法は、対象の恐怖心を奪うものだ。
初めて作った魔法で詳しく調べないと確実な効果は分からないが、恐怖の段階をレベル1から5までに分けた時、3ぐらいまでの【恐慌】状態を消せるだろう。
この手の魔法を施すと脅しが通じなくなる為、尋問を予定している時に使うのはよくないのだが、今回は仕方ない。
ちなみに回復魔法では無い。
効果的に状態異常回復魔法と誤解しやすいが、実際には精神侵略魔法だ。
生き物の生存本能ともいえる恐怖を奪われる、と考えればどういうものなのか察してもらえるだろう。かつての大戦では、人間達がよくこの手合いの魔法を兵士にかけて俺達に特攻させていたからな。
……やだ。思い出すとムカムカしちゃう……
うっかり暗黒面に落ちかけた俺の向こうでは、ジルベルトが視線の高さを男とあわせるよう膝を落としていた。
「ジルベルト……生き……て?」
「ええ。レディオン様に助けていただきましたから」
「……蟻は……」
「やって来ましたが、それも、レディオン様が全て殲滅してくださいました」
「……」
へた、と。
音がしそうなぐらい目に見えて男の体から力が抜けた。血の気の無い顔の、くぼんで黒くなった目元にみるみるうちに涙が溜まる。
「たすか……ったのか……? 王子は……?」
「レディオン様のお力で、皆、助けていただきました。叔父上自身もですが、最悪の事態だけは、免れたかと」
「……」
男はぼろぼろと涙を零しながら「うーうー」と呻くような声で泣き始めた。冒険者組合で最初に会った時の傲慢さは見る影もない。
考えれば、大虐殺の首謀者と見なされる可能性が高かったのだ。人間の精神がどれだけ強靱か――あるいは脆弱か――は分からないが、少なくとも発狂せずにいたのだから見直してやるべきだろう。
……うむ。俺はもうちょっと、人間の心の弱さを学ぶべきかもしれないな。国と敵対した程度で恐慌状態になる心とか、いまいちピンとこないから、尚更に。
そしてジルベルトよ。そんなに俺の名前を強調しなくてもよいのよ……?
「……叔父上。泣いている場合ではありません」
「……?」
幼児退行したかのように蹲り、啜り泣く男に、ジルベルトは静かな表情で声をかけた。
「叔父上を利用し、リベリオ殿下を含む数多の命を奪おうとした大罪人は、叔父上に罪を被せて今回の収束を計ろうとすることでしょう。殿下や商人達に公の場で声をかけていたのは、周知の事実です。叔父上は今も、彼等にとっては最も疑うべき相手でしょう」
「! わ、私では無いぞ! 私は蟻の化け物のことなど知らんかった!」
「ええ。ですが、それを証明できる者は誰もいません。企んだ者が上の位にいる以上、まともな裁判も行われない可能性が高い」
「冗談ではない!!」
当主の叫びは、直近の日々がたたってかかすれていて迫力は無かった。
だが、そこに込められた強い拒絶の意志だけは分かる。
「立場を利用して法をないがしろにするのは、お前も得意とすることだろう?」
薄く笑って言った俺に、当主は血走った目を向けてくる。一瞬、訝しげな表情になったが、ジルベルトの仲間と見なしたのか誰何の声をあげてはこなかった。
……というか、前に会ったことがあるというのに、俺のこと完全に忘れてるな……
「忘れられているようなので、名乗っておこうか。俺が貴様の行動がきっかけで起きた大災害を防いだレディオン・グランシャリオだ。ジルベルトの要請を受けた故、今回の騒動を収束させるべく動いている」
「わ、私は……!」
「聞け。貴様がとれる行動は二つだ。一つ。ジルベルトから不当に奪った全ての財をジルベルトへ返せ。その次に、お前がリベリオ達を別荘へ誘うまでのありとあらゆる情報を寄こせ。主に会場での話や第三王子の陣営との遣り取りだな。必要な情報の判断はこちらで行う。有益な情報をこちらの指示した通りに王の前で証言しろ。それら全てを完遂出来たなら、今回の騒動に限り、貴様と貴様の一族の命、奪われぬように救ってやろう」
男はポカンと口を開いている。
思わず向けたのだろう視線を受け、ジルベルトがしっかりと頷いた。
俺の背格好やらなにやらに疑問も不安もあっただろうが、少なくともジルベルトが頷いたことで縋れる綱は俺だというのが半ば本能的に分かったのだろう。即座に男は床に伏せた。
「お、おねがいします! 私は……私は……!」
「必ず、完遂せよ。銅貨一枚隠すことも、僅かな情報の秘匿も貴様自身の首を絞めるものと思え」
「は……ははぁ……ッ!」
這い蹲るようにして床に伏せている男を俺は淡々と見下ろす。
同じようにして男を見るジルベルトの目が、どこか疲れて見えたのがひどく印象に残った。
●
こちらの支配下においたアゴスティ家当主は、落ち込んだ眼窩の中で目をギョロギョロさせながらひたすらしゃべり続けた。
「アヴァンツァーレ家の話は、サロンで幾度か尋ねられました。ああ、相手ですか? この近隣では目立った話題といえばそれぐらいでしたので、会う貴族のほとんどから問われましたよ。主に目立った貴族?……ああ、パトリツィア家の領主やコンスタンティナ家の次期領主ですな。近隣の情報を探るのはお互い様でしょう。派閥、ですか。パトリツィア家の領主は第三王子、コンスタンティナ家の次期領主は第二王子の陣営です。ああ、そういえばポーツァル家の護衛頭とやらと話したこともありましたな……場所? どこでしたかな……ポーツァル家の当主代理殿とお会いしたのは王宮の夜会でしたし……あとはコルニオラ卿の夜会でも話をしましたな」
尋ねられたこと? 街の規模や状況、旅人の数、領主の状況ですな。
頻度はそれなりに……といってもサロンなどで会った時に、ついでのように問われる程度ですが。
魔物の数の増加も話をしましたな。
ええ、この近辺の数が多いというのは周知の事実ですので。
隣国の様子も、我々で察知できているような類の話であれば、それなりに。旅人の様子や噂で多少は耳にしますから。
「グランシャリオ商会の話も幾度か。むしろ、ごく最近はその話題が常にのぼってましたな」
「……ほぅ」
俺の渡してやった蜂蜜檸檬水で喉を潤しながら、男は力の無い声で喋る。
憔悴し判断力が低下していた状況だったからか、魔法をつかったかのようにペラペラ喋ってくれていた。まぁ、満足に寝てもいなかっただろうし、まともな判断力はオヤスミ中だろう。そのぶん、実際にあったことをしゃべる分にはスムーズだ。いらんことを考える余裕も無いしな。
「借金をしていた商人ですか……あれは、コンスタンティナ家とも懇意にしている商人でしてな。ちょうどこちら側に来ているし、第一王子も来ている。コンスタンティナ家のサロンなら顔を出すだろうからとパトリツィア家の領主が手を回してくれたのですよ。ああ、借金を返すのにちょうど良いだろう、と……」
……おや。
「叔父上……商人達の話を叔父上にしたのは、パトリツィア家なのですね?」
確か、コンスタンティナ家やアヴァンツァーレ家と同じくタッデオ地方を治める領主だったな。
「ああ。昔からの、まぁ、知り合いでな。昔は一緒に冒険者をやったものだ……ヨーゼフも、兄上も……」
兄上、という言葉にジルベルトの肩がピクッと動いた。
俺はその肩を小さく叩いてやる。
ふと、ドアの近くで周囲を警戒しながら話を聞いていたロベルトが、不思議そうに声をあげた。
「そういや、なんでこの家も借金もぐれになってたんだ? アヴァンツァーレ家に押し付けてる連中が多いってのに」
「……軍は金喰いだからな」
ぽつりと言われた言葉に、一瞬、シンと部屋の中が静まり返った。
ロベルトが驚いた顔をしてから、苦笑して俺を見る。やめろ。察してしまったからやめろ。
分かってるよ。維持費のかかる軍と別荘をぶんどっていったんだろ。別荘は欲全開だったろうけど、軍は違うんだろ。借金出来たってことは使ってたんだろ。治安維持だろ。ロルカンが『死の黒波』みたいなのに襲われるのは想定外だから、最低限の人員だけ残してもってったんだろ。支部長のいる冒険者組合があれば、軍なくてもなんとかなる部分はあるって信頼してたんだろ。知り合いみたいだし。
……ちくせぅ。コッコさんGO! も勘弁してやろうではないか……
でも許さないからな。絶対なんだからね!
だが、必要な情報は得られた。
その後もぽつぽつと話すアゴスティ家当主を――いや、フランツの調書をとって、俺達は色々と限界の来ている男を解放した。といっても、見張り付きの寝室で眠らせるというだけだが。
きちんと証言することを再度約束した男は、疲労と睡魔でふらふらしながら執事――に扮した、うちの隠密の一人――に支えられつつ歩く。
呆とした声がとつとつと語る声が流れた。
「私は、兄上の領地が欲しかった……その地位も。街と領地を豊かにしたかった。私の方が、兄よりも領主に向いていた。兄は剣術は得意だったが、貴族社会を渡り歩くことも税の計算も苦手だった……私がやりたかった……私が欲しかったのに……」
嘘偽りのない本心だろう。
ふらふらと連れられて行く後姿を見送って、俺達はため息をつく。
フランツの欲望は確かだ。同時に、言葉の中に潜む実の兄への思いも確かなように思えた。
俺は隣のジルベルトを見る。
ジルベルトはただ、何も言わず、ずっとフランツの消えた扉を見つめていた。
●
別荘を訪れた時は夕方前だったが、フランツがちゃんと寝入ったのを確認した頃には夜もだいぶ更けていた。
ジルベルトも疲れ果てていたようなので、今日はこのままこの別荘で休むことにする。明日は王宮だ。未だに会ったことのない第三王子の陣営も気になるし、早めに寝て動いたほうがいいだろう。
部屋割りは、ジルベルトと俺がそれぞれ個室。ロベルトとシンクレアは同じ部屋に放り込んだ。
めっちゃ色々言われたが気にすまい。シンクレアは俺の護衛をするつもりだったようだが、俺としてはさっさとロベルトとどうにかなってほしいのでオーク薬もたんまり渡してGOサインを出しておいたとも。頑張れロベルト! お赤飯を炊く準備は万全よ!
俺が一人になるのはだいぶ拙いと言われたが、寝入る時にはラ・メールを呼ぶからということで納得してもらった。赤ん坊大好きなラ・メールなら本体に戻った俺を完璧に守ってくれそうだしな。
しかし、それにしても疲れた。
うん。疲れたですよ、ココロが。
俺は休憩用にと選んだ部屋の一つに入り、アゴスティ家家人に扮した隠密に部屋の前を守らせてため息をついた。
人間にも色々あるな、と。
そう思うとなんとも言えない気持ちになる。
……まぁ、分かっていたことだ。生きているのだから、皆がそれぞれに事情を抱えている。
復讐や怨嗟で突き進んでいれば、きっともっと楽だっただろう。きっと、死んだ時の気持ちそっくりそのままで生まれなおしていれば、こんな風に疲れずにただ自分の復讐を楽しんでいたことだろう。そちらの方が確実に楽だっただろうと確信している。
だが、復讐のみに生きるというのは、己の気晴らしだけに生きるというのと同じなのだ。
救えるものも何もかも無視して、自分が気持ちよく気を晴らせるためだけに他をないがしろにするということなのだ。
……かわりに、こっちの道だとめんどくさいうえに疲れ果てるけどな……
「……人間、か……」
俺は力ない苦笑を零す。
――それでも、やはり、こちらの道に進んで良かったと、そう思う。
大事なのは自分だけの気持ちでは無い。本当に大切なものを、見失わずに済むよう、調整してもらったのだ。
そういう意味では、■■■やディン、『――』には感謝してもしたりないだろう。
もっとも、一番のきっかけは、やはり母様の声だったと思うのだが。
「……ん?」
あれ? 俺、今何か妙なことを思わなかったか?
『それよりも、おまえ、そろそろ姿を解除してねーと、体ヤバイんじゃね?』
おっと、ディンさんが声をかけてきたぞ。
相変わらず、俺の別人格さんのくせに大事な局面でもインナースペースにこもりきりだな。なんなの? 引きこもりなの?
『……おまえはオレに精神乗っ取られたいのか? 必要な時以外は大人しくしてるに決まってるだろ』
……やだ。なにか怖いセリフがポロッと……
『というか、解除は。大きくなっておくのは、一日八時間までって決めたんだろ』
う、うむ。
最初の頃と違い、ある一定から全くといっていいほど成長しない本体の為に、魔法で大きくなる時間を限定することにしたのだ。
そうしないとそろそろ母様が怖いし、俺も身長とかいろいろ増えて欲しいしな!
そういうわけで、早速赤ん坊の姿に戻った。
おお、視線の高さが一気に下がる。この体だと世界の全てが大きく見えるから面白い。
そして、大きくなると出来なくなることも、この姿だと平気で出来るというのも良いものだ。
俺は亜空間収納から睡眠の朋『おうしちゃん』を取り出すと、しっかりと抱えたまま走り出す。目指すはソファだ。
とぅ!
「むふー!」
ぼふん、と宙を飛んだ俺の体が綺麗にソファの上に乗っかる。
ソファダイビングだ。小さくないと出来ないが、前世では一切出来なかったことだからな。やれる間に存分に堪能するとも!
俺の『おうしちゃん』はもふもふのふかふかで、我が家のソファより格段に寝心地の悪いソファでも快適な睡眠を提供してくれる。思わず頬ずりしたらうっかり寝入りそうになったほどだ。
「……ま……で……しょうか?」
「んー」
おっと危ない。本気で寝かけた。
うとうとしつつ、俺は体を起こす。
お。机の上にお茶菓子発見。
部屋割りを決めた時に隠密部隊が用意してくれたのだろう。連中は何気に配慮が行き届いている。こっそり用意してこっそり提供することのエキスパートだからな。
しかもアヴァンツァーレクッキーではないか。俺の気持ちをよく分かっているな!
早速机の上に飛び乗り、大喜びで食べ始めた。むふふ。俺は疲れているのだ。甘いものに飢えているのだ。それにしても、かなり眠い。寝る子は育つというから、これは成長の兆しかもしれないな。むふー!
「!? レディオン様!?」
ん? 隠密よ、なにを驚いているのだ。
部屋に入る前に俺言ってたよね?
それに、アゴスティ家家人を装っているのだから、あまり俺に対して――……
「……」
「……」
「……」
やだ。なんでジルベルトがそこにいるの。
俺の危機が唐突に始まった。




