18 黒死の行軍
黒い帯が川のように流れてくる。
時刻は昼過ぎ。
あの速度では『第一ライン』到達まであと十分程度だろう。
「いよいよか……」
俺の傍らで弓を手に立つのはロベルトだ。
近くには大量の矢と食糧が置かれている。これは別にロベルトだからでは無い。
壁上に居る全メンバーの傍らには、街中からかき集めてきた矢と、予備の弓、機械弓、投擲槍、礫、ナイフが所狭しと並べられていた。今も支部長がせっせと近接専門の冒険者を連れて予備や補充品を積み上げている。
――己に出来る事を、最大限に――
過剰であろうと構わない。油断は無い。手も抜かない。時間ギリギリまで全力を尽くす彼等は、初期の攻撃手に回らない代わりに、必要なことを全て行ってくれている。
――力を合わせる、とは、こういうことだ。
まさか、人間と共闘する日が来るとは思わなかったが。
ふと胸に灯った温もりに苦笑し、俺は耳につけてあった魔道具を機動させた。
リン、と機動音を響かせるのを待って、言葉を発する。
「総員、所定地にて戦闘に備えよ。敵陣第一波到達までおよそ五分。『第一ライン』踏破後、遠隔魔法攻撃を開始する。ラインを突破してきた個体に狙いを絞り、撃破せよ。但し、自身が誤射無く葬れる射程を優先することを厳命とする」
遠隔音声伝達魔具『連絡真珠』は、【伝言】の魔法を拡大化したような魔道具だ。同じ『連絡母貝』から生み出された真珠を持つ者であれば、誰とでも連絡をとることが出来る。無論、同時に全員と会話することも可能だった。そう、『今』のように。
「敵の数は膨大だ。魔法攻撃開始前に持続魔力回復薬を飲むことを忘れるな。また、魔力総量が六割になった時点で矢に切り替え、魔力の回復に努めよ。矢には限りがある。無駄撃ちできる余裕は皆無と知れ」
『御意』
対『恨執蟻』戦の作戦は簡単だ。
一体一体は弱く、ひたすら数が問題となる連中との戦いで必要なのは、広域殲滅力、もしくは費用対効果の高い攻撃だ。命中力さえあれば、普通に弓矢で射ればいい。
人族の冒険者はそれぞれの職の力でしか攻撃出来ないだろうが、うちの部下や勇者は違う。
物理と魔法。二つの力を持つのなら、戦い続けられる時間は通常よりもずっと長い。
「ラインに入るぞ……!」
ロベルトの声と同時、地上に蒼い光が弾けた。
『敵先陣、第一ライン<雷圧境界>に接触。先頭二十体強、大破。ただし後続に押されて突破する個体あり』
『一部にて炭化遺骸が足場に。敵、行軍ルートの模索しはじめました』
「構うな」
黒い波がラインに仕込まれた高圧雷撃呪の罠と衝突し、黒い体が弾け飛ぶ。吹き飛び、炎上する姿に冒険者達から驚愕の声があがった。
……この程度で驚かれていては、困るのだがな。
自身の魔法を編みながら、俺は状況から未来を予測する。
「第二波以降、侵入地点が広がる可能性が高い。いつでも分担出来るよう準備しておけ」
『はっ!』
蒼い光の帯は、けれど全てを押しとどめれない。炭化した遺骸を足掛かりにする者。かろうじて残った部位で這い進む者。黒い波は止まらない。疎らになりながらも真っ直ぐ街へと進んでいる。
そこへ、
「――撃て」
短く、告げた。
光が、風が、炎が、石が、弓から放たれた矢と競うようにして降り注ぐ。
風の向き。高低差。それらを利用して未だ遠いその体へと。
「焦るな。狙いが甘い。無駄を無くせ。連中の数はほぼ無限だと思え。急ぐ必要は無い。確実さだけを追求しろ」
外れた幾つかの矢をザッと数え、僅かに顔を顰めて告げる。
その間にも蟻達がラインを越えて来た。第二ラインまでの間に射ぬかれ、吹き飛ばされ仰向けに転がる遺骸を次の蟻が踏み越えて行く。怯まない。ただひたすら突き進む。その数が徐々に増える。何か、見ていると脳裏に奇妙な影が走るような、妙にざわざわする光景だ。第一ラインを越えてきた疎らな個体が、見ている間に即席の陣形を組み始める。
七百二十二…七百二十三…
「どうやら、女王は上位変異済みのようだな」
薄く嗤う。この統率力は、脅威。ならば、
「ロベルト!」
「おおよ」
俺の声に応え、ロベルトが弓を構える。
蒼銀の光を宿す優美な強弓――魔法の威力を拡大化させる効果をもつ俺の特製魔具だ。
「【雷雨】」
ロベルトが呪を乗せて放った瞬間、地上が雷光に染まった。
魔具によって拡大拡散された雷が雨の如く広範囲に降り注ぐ。
効果が予想以上だったのか、驚いたようにこちらを見るロベルトを一瞥してから、俺は気配を探った。
――残っている。
拡散された為に雷が当たらなかった個体がいるのだ。その個体を部下達が的確に射抜いていく。余裕があるうちは、魔力の温存も兼ねて弓を併用する気のようだ。
「ロベルト。エリア個数が百を超えたら都度、放て。回復薬を飲むのを忘れるな」
「わ、わかった」
「千を超えたら俺が叩く。――連中、本気を出してきたぞ」
千四百八・千四百九・千五百……
雷雨の収まりによる光の消滅と同時、黒い波がうねりをあげて押し寄せてきた。見ていると嫌に心がざわざわする。一気に数を減らしたと思っていた冒険者達が悲鳴をあげた。
「なんでだ!? 増えてる!?」
「仲間を踏み台に越えることを覚えたからだ。この程度、驚くに値しない。落ち着いて撃て。あれだけいれば、射れば当たるぞ」
青ざめはじめていた連中が、こちらを見て何故か慌てて矢を番えはじめた。
魔法の呪文と争うようにして弓音が響く。ロベルトが魔法を乗せた拡散弓で集団を薙ぎ払い、零れを他の冒険者達が駆逐していく形だ。魔法部隊は部下達の号令にあわせて交代で行っているが、魔力総量の少なさで苦労しているようだ。
後方に下がって回復薬を呑む魔法使いが、チラとこちらを見るのが分かった。未だに一度も魔法を放ってない俺が不思議なのだろう。おまえ何してんの? 的な気配もするな。
二千十八・二千十九……
「……レディオン。なぁ、後続が全く途切れてないように見えるのは、俺の気のせいか?」
二千百五十二・二千百五十三……
「いや? 俺の目から見ても延々と続いているように見えるな」
二千三百三・二千三百四……
「なんでだ!?」
「規模が大きな群れだったのだろう。動きの良さから判断するに、女王の位も高そうだ。……これなら、呼び出すのはもう一つ上の位が良さそうだな」
後半を口の中で呟いて、俺は一歩前へと進み出た。
次の呪と矢を放とうとしていたロベルトを手で制する。
目の前の黒が増える度に、奇妙な気持ちが沸きあがるのを感じた。だんだんと笑い出したいような気もしてくる。
理由は分からない。
ただ、さらに前へと進む。
「全員、回復を優先へ。俺が撃つ」
音が途絶えた。
空に手を伸ばす。
編んでいた魔法はすでに広範囲を覆っている。あとはただ、放つだけ。
範囲――ライン間約六百平方メートル。
威力――弱。
発動期間――込めた魔力が尽きるまで。
発動に併せて空に幾つもの魔法陣が出現する。
百でも二百でも無い。まるで咲き誇る花のように空に撒かれた、およそ千近い光の陣。
地に在りしあらゆる者を無差別に射抜く、広域持続殲滅魔法――
「【光雨】」
その瞬間、地上の全てを光が染め抜いた。
○ ― meanwhile ―
目が潰れそうな程の強烈な光に、悲鳴に近いどよめきがあがった。
船上。
港街から大型船で沖に避難していた人々は、目を庇っていた腕を降ろし、背けていた顔を恐る恐る街へと向ける。
戦いが始まったと思しき時から、どれだけの時が経過しているのか誰も把握していない。船から街までは遠く、古い町と新しい町の間にある昔の街壁のせいもあって、どのような戦いが行われているのかすら分からなかった。
だが、今の光。
今までも雷光らしき光や轟音が響いていたが、その比では無い。しかも高い街壁の向こう側は今も光で満たされている。空に輝く無数の魔法陣など、おとぎ話でも聞いたことがない。
「……光天の裁き……」
喘ぐように呟いた老人の声に、周囲の視線が集まった。
よろよろと夢遊病者のように縁に歩こうとしているのは、街の教会の片隅で細々と孤児を世話していた老神父だ。年を理由に数年前にやって来た神父が教会のほとんどを牛耳っている為、その姿を久しぶりに見たという者も少なくない。
「おお……生きて、秘蹟を目にするとは……」
「馬鹿な! あれが神聖魔法奥義だと!? 『聖人』しか使えんはずだぞ! あの聖女ですら使えんのに……!!」
ふらつく老神父の肩を掴み、揺するのは現在の教会に坐す神父だ。がっしりとした体躯の壮年だが、その顔は青ざめている。
強大な魔法なのは誰もが理解していた。
未だに光が放たれ続けているのを見るに、自分達が知りうる魔法とは次元の違うものであることも。
けれど、これは。
まさに、これは。
「……まるで、神話のようじゃないか……」
伝説級の大魔導師がいると聞いた。だが、これはそんなレベルでは無い。
巨大な街門と街を一夜で築き、膨大な魔物の群れを聖女ですら使えない高位の神聖魔法で滅ぼしていく。
人間の行えるレベルを超えた偉業。
圧倒的な力。
そして魔物を駆逐する者――
「……勇者……?」
ぽつりと、誰が最初に呟いたのかは分からない。けれど声は加速度的に、むしろ爆発的に、息を呑んで光景を見つめる人々の心に染みこんでいった。
勇者――世界を救う人々の希望。
魔を滅し、神の威を示す者。
「勇者だ……俺達は、勇者の誕生を目にしてるんだ……!」
●
なんか今、凄まじい悪寒がした!!
広域殲滅魔法を放ち終わり、さて『零れ』を掃討して休憩時間を稼ごうと弓を手にした所で背筋が凍り、俺は慌てて周囲を見渡した。
……別に異変は無い……なんだったんだろうか、あの悪寒は。
……うわ、すごい鳥肌たってる……
「神聖魔法って……聖者クラスじゃなきゃ使えないんじゃなかったっけ……」
腕を摩っている俺の隣で、ロベルトが茫然と呟いている。
壁の上にいる冒険者一同は――ああ、駄目だな。絶句して立ち尽くしてやがる。
まだ戦いは序盤なうえ、奇跡的に魔法の範囲から逃れた蟻があちらこちらにいるというのに……
「手が疎かになっているぞ。――神聖魔法も基本はただの『魔法』だ。本質を理解していれば職種関係なく使えるに決まっているだろう」
「聖職者スキルじゃなかったのかよ……!」
なんか顔を覆って嘆かれたが、魔法の本質を理解してれば簡単な話だ。
だいたいにして、戦場にありながらこの程度のことで動きを止めるなど、愚かにすぎる。せっせと次の魔法の準備にかかっている俺を見習ってほしいものだ。
……まぁ、休憩を挟む予定だったから、多少は目を瞑ろう。
「それよりも、今のうちに小休憩しておけ。食事と、魔法職の者は魔力回復を飲んでおくように。――支部長!」
俺の声に、茫然と立ち尽くしていた支部長が飛び上がった。慌てて俺の所に駆け寄ってくる。
「体力回復用の食事をしたら、補充を再開してくれ。矢が空になったら御終いだ。――お前達、そちらの様子はどうだ」
後半を部下に向けて言えば、パールから声が即座に返ってきた。
『レディオン様の魔法に度胆を抜かれていたようですので、叱咤して食事と回復薬で休憩をとらせております』
『同じくです』
『こちらも同じく。ああ、矢が尽きかけておりますので、『袋』経由で補充させてもらいました』
『私の方は魔力回復薬が心許なくなってきておりましたので、同じく『袋』から』
『こちらは矢の消費が少ないですので、『袋』へ入れて補充に充てさせていただきます』
うむ。部下達は立地やメンバーの動きを見て補助しあえてるな。試験的に作った複数と連結済みの『無限袋』がかなり役立っているようだ。……容量を考えると、地味に損な気がしてたんだが、物は使いようだな。
「全員、今のうちに先の戦いで把握した欠点の洗い出しと、庇い合う為のローテーションに対し最適化を行え。第二ラインに到達する者が出た場合、次の段階に入る」
『畏まりました』
「え……どういう、ことです!? もう決まったも同然なのでは!?」
おっと、支部長。早合点が過ぎるぞ。
「決まるも何も、戦闘はまだ序盤だ。先陣は壊滅させれただろうが、本陣はまだまだ続く」
「そんな!?」
未だ光の雨を浴びせている魔法陣と俺を交互に見やる支部長に、俺は苦笑した。手早く俺の近くの矢を『袋』に放り込む。ええい、面倒だ。支部長! この袋に矢を補充し続けて!
「え、え!? まさか、魔道具ですか!?」
「そうだ。――ロベルト! 風の矢は使えるか!?」
「使えるが、また弓で拡散させるのか?」
「ああ。そろそろ突破口を変えて来るぞ――気配が左右に分かれて移動している。動きが早い。右を任せる。――持って行け!」
「っと、了解!」
手持ちの連結済み『無限袋』を放った俺の指示にあわせ、空中で『袋』を受け止めたロベルトが迷うことなく右へと駆ける。
光が強すぎて敵陣の様子が見え難いのは、あの魔法の欠点だ。今まで俺達の近くにいた冒険者達がおろおろしている。
「お前達は零れてくる奴を殺せ! 【光雨】は範囲外への敵には反応しない。交互に休みながら撃ち漏らしの殲滅を頼む!」
「は……はい!」
光雨エリアから離れた場所へと駆ける俺に、気づいた部下が部隊を連れて合流する。目線で一部隊だけと断り、交代用としてもう一部隊近くに控えてもらううちに、視界の端に黒い帯が見えた。
――やはり、突入口を変更して対応して来たか。
「第二突破口確認! これより殲滅に入る。他からの侵入に注意せよ!」
『はっ!』
魔法の破壊音を押しのけるようにして、ざわざわと大気が震えはじめるのを感じた。
ラインに阻まれていた本隊が、本格的に踏破を目指しはじめたのだ。接触することにより発動する<雷圧境界>の雷光が、どんどん左右に広がっているのが分かった。あの光の下には蟻達がいる。犠牲を下敷きに、その体の上を橋のように渡って。ただ一つの復讐の為に。
ああ、
ナンテ、
――ナツカシイ憎悪。
「だ、大魔導師様! これほどの大魔法ですら、殲滅させれないのですか……!」
部下と一緒について来ていた冒険者の魔法使いが叫んだ。
呼び名が大魔導師になっているが、この様子では俺の職業が『大魔導師』になる日も近そうだな。
「どのみち、一万ほど殺したらあの魔法陣は消える仕様だ。そもそも、休憩用の時間稼ぎだからな。完全に殲滅し終えたなら俺がそうと告げる。余計なことは考えず、目につく敵を確実に葬ることだけを考えろ」
「そんな……!」
答えに絶句した冒険者は置いておいて、俺は目当ての場所へと走り込む。陣取ると同時に術式を天に刻みながら、意識の端で行っていたカウントを確認した。
七千七百六・七千七百七……
まだ足りない。最低でも一万は欲しい。
だが、これだけの規模の群れ……果たして、一万の贄で呼ぶ者で足りるだろうか?
「レディオン様。外側は私が」
さらに左奥へと部下が走る。あちらは任せておいて大丈夫だろう。ロベルトの側へも別働隊が動いているはずだ。距離が遠いせいで気配も朧気だが、着実に死をまき散らしているに違いない。
「――任せる」
「は!」
もっと。
――もっと。
耳の奥で潮騒が鳴っている。
誘うように、呪うように、誰かが呟いている。誰よりも知った声で。俺の声で。
――モット
光を避けるようにして黒い波が流れてくる。物量戦の真骨頂――『死の行軍』の『大海嘯』。
口元が緩むのを感じた。
何故だか可笑しい。
蟻が集まれば集まる程に、思考の片隅が麻痺していくような、懐かしい何かに浸るような。
「さぁ、これからが本番だ」
術を解き放つ寸前、ふと誰かが泣いているような気配を背に感じた。気にならない。きっと、どうでもいいことだ。
――何処かで何かの鍵が開く音がする。
俺は嗤う。
サァ 我ガ 仇ニ
――コノ世界ニ
死ト 滅ビヲ




