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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 3 死の黒波
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17 悪意の贄

(時間のある時に書いて投稿する、を繰り返していましたので、ある程度一段落したら短いものを纏めたりと調整に入らせていただく予定です。初の作品でお目汚しを致しますが、御寛恕いただけますと幸いです)



 何故、もっと早くに気付けなかったのか。

 沸きあがった感情は、理不尽な苛立ちと深い後悔。

 ――予兆は前からあった。

 答えを知ってしまえば、あからさまなほどに。

 けれど、その当時に気付けていなければ意味は無い。



 俺は、最善の時期をとうの昔に逃がしたのだ。







「『復讐蟻』!? さっきのが!?」

「ああ、お前達の所ではそう呼ぶのか」


 俺のひどく短い説明に、敵が何であるかを察したらしいロベルトが蒼白になって叫んだ。

 顔を覆って「最悪だ……」と呟いていることを鑑みるに、知らないわけでは無いのだろう。しかし、それなら何故見た時に分からなかったのだろうか。

 

「『姿』を知らなかったのか?」

「今までずっと、全力で冒険者関連から逃げてたからな……蟻型モンスターの違いなんて分かるかよ」


 行商人の知識は『道中に襲われる可能性のある敵』に重点が置かれる。討伐等で関わる冒険者ですら、普段遭遇することのない魔物の情報には乏しいのだろう。


「『復讐蟻』なんてのは、人里近くには棲まねぇ。素材の話も聞かない。俺等が知るのは伝承ばかりだ。『蟻型』『追跡型群全体攻撃』『死の黒波』……つーか、せめて赤い髑髏マークぐらいどっかに記載しておいてくれよ……国一つ落とされてんのに……」


 ロベルトの力無い声がちょっと切ない。

 それにしても、『災厄の種(カラミテ・グレーヌ)』といい、『恨執蟻(ランキュヌ・フォルミ)』といい、人間の国はあちこちAMアノルマル・モンストルに滅ぼされてるな……


「ポム達が答えを持って来る前に原因が知れたな。『恨執蟻(ランキュヌ・フォルミ)』が動くのであれば、他の魔物は逃げるしかあるまい。進行方向上にいた為に喰われた、では、たまらんだろうからな」


 一体の『恨執蟻(ランキュヌ・フォルミ)』は弱い。

 それはもう、大人の魔族なら素手で殴り殺せる程度に弱い。他の魔物も一対一であればたいていが勝てるだろう。

 だが、敵の数が膨大だ。

 万を超える群れを殲滅しきれるだけの力が無ければ、生き残ることは出来ない。そして、通常の生き物はそれだけの力を有していない。

 押し寄せる生きた黒い波に飲み込まれれば、人どころか家屋すらも貪り食われる。もはや一つの災害なのだ。そしてそれは、標的を殺し尽くすまで止まらない。


「先の連中が標的であることは間違いない。お前が殺したのは大きさから言って突撃部隊の者だ。あれが迫っていたとなると、本隊もそれほど遠くない。連中の速度で一時間かそこらだろう。今からでは街の人間を逃がすのも無理だな」


 本隊の『恨執蟻(ランキュヌ・フォルミ)』は突撃部隊のような巨体では無い。せいぜい人間の子供ぐらいのサイズだろう。――いや、人族の大陸に居る個体なのを考えれば、もっと小さい可能性はある。なにしろ、セラド大陸の変異種(ヴァリアント)は巨大化する傾向にあるからな。


「街に戻り、ジルベルトに連絡する必要があるだろう。先の連中の安否も気になるが、あの竜車も気になる……行くぞ、ロベルト」

「――いや」


 いや?

 俺の声に首を振ったロベルトは、何かの覚悟を決めたような顔をしていた。


「――レディオン。俺は群れの方へ行く」

「却下」

「そうすれば――はぁあ!?」


 顔を引き締め、大事を告げる相手に一言告げて、俺はロベルトを担ぎ直して飛んだ。


「ちょ……!? 降ろせ! レディオン!!」

「断る」

「おまえな……! 事が分かってるんだろう!?」

「転移も出来ない、空も飛べない、そんな程度の力で何をするつもりだ。勇者だろうが、呼吸できないと死ぬ生き物にあの群れは対応できん。周囲からボディプレスくらってその上に五千匹ぐらい乗っても平気だというなら考えてみるが、出来るのか?」

「出来んわ!!」


 だよな。


「なら、無駄死にもいいところだ」

「けどよ! このままなら……!」

「どのみち、お前以外も狙われている。お前一人が外れたところで、たいした意味は無い。死ぬだけ無駄だ」

「……ッ」


 ハッキリ言い切ると、ロベルトは押し黙った。さっさと街へ向かって飛ぶ俺の耳に、悔しげな歯ぎしりの音が聞こえる。


「アレが動き出した以上、どこかで殲滅させなければ周辺は軒並み食い尽くされる。――群れが一か所を目指して進んでいるうちはまだの対処しようがあるんだ。お前が群れの前に立ち塞がるのは、悪手でしかない。――だいたいにして、俺が認めると思うのか」

「認める、認めないの問題か!?」

「問題だ」


 俺の声にロベルトは虚をつかれたような顔になった。

 俺は鼻を鳴らす。


「お前が一人残ってアレを全て打ち漏らすことなく軽々殲滅できるのであれば、俺はそれを認めよう。だが、時間稼ぎにもならんものにお前を潰させる気は毛頭ない。この俺に関わって、軽々しく命を粗末にするような動きが出来るとは思わんことだ」

「えぇえ……いや、どうよ……?」

「なにが『どう』かは知らんが、お前の特攻は絶対に認めん。どうせなら、生きる為に足掻け。――お前なら、大群でさえなければいくらでもやりようがあるだろう?」


 一人で特攻して、大群に押し潰されればいかに『勇者』といえど死ぬ。だが、堅固な壁で大群を阻み、詠唱を邪魔されずに殲滅魔法を放つことの出来れば、その安全度は格段に跳ね上がる。


「街も、領も、まだ全滅を回避する道はある。――あとは、街の連中が馬鹿なことをしないかどうか、だな」

「……ッ」


 その言葉にどんな『危惧』があるのかを察したロベルトが表情を変えた。俺はロベルトに首を隠すようマフラーを渡して速度を上げる。

 先の竜車達は、すでに街の中に入っている。必死で駆け込んできた彼等の様子に、異常事態を察するのは容易い。

 だが、その後の反応はどうなるか。


「……人は弱い、からな」


 呟いた俺の声は、風に浚われて誰にも届かなかったろう。

 かなりの速度で街へ飛んで戻った俺が見たのは、半分の確率で起こるだろうと予測していた混乱と恐慌だった。


「ちくしょう! なんでテメェら街へ来たよ!?」

「追い出せ! 復讐蟻が来るぞ!!」


 幾つもの刃が煌めいていた。

 剣や槍を突きつけ、駆け込んできた男達を今にも門の外へ追い出そうとしているのは冒険者達だ。行商人や町人ならともかく、さすがに冒険者の中には『恨執蟻(ランキュヌ・フォルミ)』の特徴を知る者がいたようだ。そのうちの誰かが深紅の髑髏に気付いたのだろう。

 ――くそ。せめて誰も知らなければ誤魔化しも出来たのに、目敏い冒険者め。


「やめてくれ! やっと逃げて来たのに!!」

「復讐蟻からは逃げられねぇよ!! 怨敵の印を刻んだ奴を食い殺すまで群れ全部で追いかけてくる化け物だぞ! なんで手ェ出したァッ!!」

「いきなり巣穴に落ちたんだ! 幼虫の群れに荷車ごと落ちるとか誰が思うよ!?」

「ありえねぇ法螺吹くんじゃねぇ!!」


 蒼白な顔で泣きながら叫ぶ男に冒険者の一人が剣を振り降ろすのと、俺に合図して降り立ったロベルトが一瞬で間合いを詰めて剣を斬るのとがほぼ同時だった。

 澄んだ音が一度だけ響き、斬り離された切っ先がほとんど飛ぶことなく地面に落ちる。

 斬り飛ばされることによる他者への被害を防ぐ為、あえてそう処理したのだ。見た目には地味だが相当な技巧だった。

 

「なんだテメェ!! こいつらを放り出さねェと街が食いつぶされるんだぞ!!」

「……」


 油断なく見えざる剣を構えたまま、ロベルトが一瞬、目線だけを俺に寄越した。

 マフラーで隠したロベルトの首筋にある深紅の髑髏。逃げ込んできた男達の顔や腕にある髑髏も、全て同じものだ。馬や竜車の御者台から引きずり降ろされる間に負傷したのか、それともここまでに疲労がたまりすぎていたのか、怪我は全て治したはずなのにもはや立てずに蹲っている。


「ロ――」

「キャアアアアアアア!」


 俺がロベルトに声をかけようとした瞬間、少し離れた場所から金切声が響いた。

 思わずほとんどの者がそちらへと目を向ける。御者を引き摺りおろし空になっていた竜車の方だ。気配がするから、中に誰かいたのだろう。魔力的に子供だろうな。


「子供じゃないの! 何をしてるの!!」

「うるせェ! 呪われてる奴に女子供もねェだろ!」


 見知った気配へ視線等で指示している間に、人垣が割れて荒くれ者とほとんど変わらない冒険者が乱暴に腕を振るった。放物線を描いて、小柄な体が追いつめている男達の側に投げ飛ばされる。腕に幼子を抱えた男だ。いや、若者、もしくは少年といったほうがいい年齢だろうか。


「いい服着やがって! イイトコの坊ちゃんが手ェ出しちゃならねェバケモンに手ェ出したクチだろうがよ!」


 男はそのまま剣をつきつける。

 ――アレは、切り捨てて良いな。

 俺はそれを冷ややかに眺めていた。気配を完全に断っているせいか、俺に注目する者はいない。

 どうやら子供も呪い持ちらしい。冒険者の怒声に女性を中心として非難の声があがるのは、そのうちの一人が五つにも満たない幼子だからだろう。気配が似ているから兄弟だろうか。自身のことは捨て置き、弟らしい幼子を守る様に抱きしめ、毅然と上げた兄らしき少年の顔はかなり整っていた。服といい、竜車に乗っていたことといい、相当上流の出だろう。……面倒事の気配がするのは、俺だけだろうかな。

 その時、狼狽する声と共に人垣が割れた。


「やめないか!」


 よく通る声に一瞬大きく周囲がどよめき、次いで息を潜めるようにして静まる。

 モナと部下五を引き連れたジルベルトだ。


「いかなる事情があろうと街中での私刑は認められない。街で暮らす者の法を忘れたか!」

「領主様!」

「怪我人に治癒を。危急の事情があるようだが、今は彼等自身も彼等の持ち物も害することは許さない。駆竜が興奮している。主とともに私の屋敷へ」

「おい、領主様よォ! 復讐蟻が来るってぇのがどういうことか分かってるのか!?」


 ジルベルトの声を遮るように、槍を手にした冒険者が怒鳴る。

 その位置と動きから、ロベルトと対峙している冒険者の仲間なのだろう。だが、周囲にいた冒険者も、武器を手にしないながらも険しい表情で遣り取りを注視している。普通に国一つ壊滅するレベルの災害を前に、事態を察した誰もが殺気立っていた。逃げる準備をしている者も少なくない。


「街が滅ぶんだぞ! てめェの街だろうが!!」


 年齢としての差、力の差、数の差。

 様々な意味で圧力を感じずにはいられない状況だったろう。

 だが、ジルベルトは怯え一つ見せず静かに告げた。


「分かっているからこそだ。逆に問おう。『今』『ここで』騒いでどうにかなるとでも思っているのか?」

「はァ!? こいつらを放り出さねェと街が全滅だろうが!!」

「では、これからさして時間をおかずやってくる、数千からなる魔物の群れの前に彼等を置き去りにして、門を硬く閉ざしていれば安全だとでも言うつもりか? 冒険者の姿をしていながら、そちらこそ復讐蟻がどういうものなのか、分かっていないようだな」

「なんだとッ」


 激昂した冒険者が槍をジルベルトに突きつけた瞬間、その槍が左手ごと宙を舞った。


「は?」


 ぽかんとした冒険者の横に、部下五が立っている。宙に舞った槍を優雅に空中で掴むと、ぷらぷらと槍を掴んだままの『斬り飛ばされた左手』を揺らしながら冷ややかに言った。


「領主に対して武器を突きつけたのですから、死罪も妥当かと思われますが。いかがなさいますか? ジルベルト様」

「ひ……ひィイイイ!」


 何故か血が吹き出ない手のない左腕を抱えて冒険者が悲鳴をあげた。後ろに下がろうとして転び、這いずるようにしてロベルトと対峙している冒険者の方へ行く。やはり仲間のようだ。


「いや、今回は命まで奪う必要は無いだろう。どのみち、街全体に危機は迫っている」

「畏まりました」

<レディオン様も、構いませんでしょうか?>


 部下五の【伝言(メッセージ)】に、俺も頷く。色々思うことはあるが、まぁ、後だ。

 ジルベルトはモナに「危険を知らせる狼煙を上げよ」と命じ、視線を周囲へと向けた。


「街の人々よ! 聞いてほしい。今、そこの冒険者が告げたように、この街には危機が迫っている。『復讐蟻』――おとぎ話で聞いた者もいるだろうか。全てを呑みこむ『死の黒波』だ」

「!」


 その瞬間に、ジルベルトの声が聞こえる範囲の人々が悲鳴をあげた。恐らく、民間には『復讐蟻』ではなく『死の黒波』として伝わっているのだろう。


「これは最早、原因を取り除けばどうにかなる、という問題では無い。『死の黒波』は発生したが最後、周辺を全て食い潰す。蟻達が地上に出た時点で、この領の滅亡は秒読み段階に入ったと言っていい。――今、ここにいる彼等を殺せばなおの事、被害は甚大なものになるだろう。『死の黒波』の群れ次第では、他領も滅亡する可能性とてある」


 数は力だ。

 『恨執蟻(ランキュヌ・フォルミ)』の恐ろしさはその群れの数にある。

 連中の望む『仇』を群れの前に置き去りにしても、その破壊行動は止まらない。『仇』を倒すまではそれを目印に一糸乱れぬ行軍をするが、『仇』を倒せばその群れは周囲へと散り、目につく全てを食べつくし、そこに巣をつくる。

 彼等が『地上に出て移動した』時点で、すでに周辺の滅びは必定なのだ。


「じゃあ! どうするってェんだよ!! てめェは領主だろうが! 街の連中を守る義務があるんじゃねェのか!」

「最善は尽くす。だからこそ、被害を拡大させる私刑は認められない。彼等が逃げてきた方角からは群れの本隊が来るだろう。蟻達の脚は早い。下手をすれば逃げる途中を襲われる」

「いや――そうと決まってねェ!」


 剣を構えていた冒険者は即座に走った。仲間だろう者達が慌てて続き、次の瞬間、それに続こうと何人かが悲鳴をあげて走った。何か逃げれる手段があると察したのだろう。

 ――まぁ、妥当に考えれば、馬、だろうがな。


「街の人々よ! 聞いて欲しい!!」


 一気に恐慌に陥りかけた場に、ジルベルトの凛とした声が響いた。

 思わず振り返って注目してしまうような、強い力を秘めた声だ。


「この街から離れられる手段は乏しい。まして、その先に災害級魔物(ハザードモンスター)の脅威が無いとは言えない。我々がとれる手段は、防衛と、海への避難だ。防衛には私も就く」


 ちょっと今、聞き捨てならないことを聞いた。


「街門は群れの姿が確認されるまでは開いておく。地を駆っての逃亡はそれぞれの判断に任せる。だが、群れが確認されれば最早猶予は無いとして閉ざす。私はこの街を食い荒らさせるつもりはない。その為に、誰が止めようと群れが目視出来た時点で門を閉ざすことを宣言しておく」

「うちの親は足が悪くて動けねぇ! どうすりゃいいんだ!」


 あがった悲鳴に、ジルベルトは頷いた。酷く落ち着いた様子だが、よく見れば顔が青白い。


「グランシャリオ商会から船を借りた。ただし、荷物を積む余裕は無い。――街の人々よ! 動けない者に手を貸し、港に出てグランシャリオ家の船に乗れ! 荷は持たず身一つでだ! 急がずとも、身一つであれば皆が乗れると請け負ってくれている!」


 歓声よりは悲鳴の色合いの濃い声があがり、我先にと人々が走り出した。だが、完全に目の色変えているのが一部であるのを見るに、ジルベルトの言った『皆が乗れる』の言葉が多少は効いているのだろう。そうでなければ、この騒動だけで人死にが出てもおかしくない。


「……おい、大丈夫なのか。あんな豪語して」

「何がだ?」


 見張るべき対象がいなくなったことで俺の傍に戻ってきたロベルトが、マフラーで念入りに首を隠しながら俺に小さく問う。


「全員が乗れる、とか。おまえの家の船、いくらなんでもそこまでデカくは無いだろう?」

「外から見たらな」

「……」

「空間拡張してあるから、中に入れる人員は外で見るより遥かに多い。だがまぁ、一隻であれば無茶な数だ」

「……おい」

「と、言うことで、複数用意させた。【伝言(メッセージ)】はある程度の距離なら離れていても会話出来るのが便利だな。今頃、うちの大型船が何台も、連結済みの『無限袋』から取り出されて海に放たれているだろう」


 連結済みの『無限袋』が無ければアウトだったが、屋敷一つ分の許容量を誇る『無限袋』であればそこそこの大きさの大型船移送が可能だ。聞いたロベルトが「なんだそのチート……」とかぼやいている。

 ――ふと、賑やかな音がして、馬車通りから何台もの馬車が門を出ていくのが見えた。それよりも先駆けて走るのは馬に乗った先の冒険者達だ。どこかから馬泥棒と叫ぶ声が聞こえるから、どこかの商会か何かの馬を奪って行った可能性もある。

 ――危機的状況で犯罪を犯す者は多いが、彼等もそのうちの一人なのだろう。ならば、その逃げた先が安全で無かろうとこちらが責を負う必要は無い。


「……連中、大丈夫なのか」

「ロベルトは人が良いな」

「いや、さっきの冒険者連中じゃねェ。馬盗んだらしい連中には何があっても同情しねェよ。……あの馬車の連中だ」

「どこぞの商会の連中だろうな。群れとは逆側に逃げれば可能性はあるだろう。己の荷の無事を優先させ、船よりも積荷の詰まった馬車を選んだのだ。ならばその選択は己で負うべきだろう」


 ジルベルトは人命を優先させた。身一つで、というのはそういうことだ。

 発生すれば滅びは必定な状況下でのそれは、命以外は失う可能性が高いが、命だけは助かるという内容だ。それ以上を望めば船での離脱は出来ない。うちの船も無限では無い。街人全員を収容しようと思えば、荷を認めるわけにはいかないのだ。


「ジルベルト様!」


 ふと知った声が聞こえて、俺達は視線をジルベルトの方へ移した。支部長だ。その周辺には、冒険者達がいる。先の騒動から居続けている者もいるあたり、一般の冒険者にもなかなか剛毅な者がいるらしい。

 ……いや、考えたらかつて魔王(おれ)を殺す為の準備をしてたこともあるのが、人間という種族だ。それを考えたら納得は出来るな。

 ……やだ。前世の憎しみがもやもやっと蘇りかけたわ。封印封印!


「職員で手分けして騒動を知らない人々の誘導を行っております。――しかし、例え街の者達が逃げれても、この街は……」

「……」


 支部長の言わんとすることを察して、ジルベルトは唇を噛んだ。


「……冒険者の方々を雇うのは難しいですか」

「一応の募集はかけます。ですが、『復讐蟻』は『災害級』と認定された魔物です。我々冒険者組合も冒険者達をみすみす殺すような戦いには赴かせれません」

「……そうですね」

「どのように対処なさるのですか」


 支部長がそう問うのを見るに、彼もジルベルトが自身も防衛に就くと言ったのを知ったのだろう。

 領主は確かに領民を守る義務がある。その為に一応は軍隊を――

 ん?


「ジルベルト」


 俺の上げた声に、ジルベルト達を除くほぼ全員が初めて気付いたように俺を見た。気配を断っていたせいだが、俺を見て恐ろしく驚いた顔で固まっている。

 ……いや、ちょっと待て。いくら今まで気配を絶っていたからといって、その反応はだいぶ酷いのではなかろうか。なんで息まで止める!?


「……領主軍は何処にいる?」


 周囲の反応は気になるが、急ぎの問いをジルベルトに放った。ジルベルトは想像通り苦みとも悲しみともつかない表情を浮かべる。


「……街の門等を守る一部隊がいるだけで他は……我が叔父が」

「……」


 俺は沈黙した。事情はよく分からないが、事態は察した。

 ジルベルトは、最小限の護衛や警備兵を有してはいても、軍隊としての領主軍を有してはいない。蟻には対抗出来ない。

 ――ならば、彼が街を防衛する為にとれる手段は、あと一つしか残されていない。


「レディオン様」


 ジルベルトが俺を真っ直ぐに見た。

 絶望に歪むことも、悲嘆にくれることもなく、真っ直ぐに。

 ……いい顔をするようになった。つい数日前まで未来に絶望し、半ば諦め、疲弊しきっていた少年は此処にはいない。

 たった数日。

 されど数日。

 この少年は、確かに成長してのけた。俺という規格外の援助者を得たとはいえ、それに甘えることなく、楽に逃げることなく真っ直ぐに頑張り続けたその行動は、確かにジルベルトの中で力となり、こうしてきちんと現れたのだ。この大事な時に。

 己ではなく誰かの為に、何をすべきかを判断し、実行する為に。


「私は、貴方にすでに返せないほどの大きな恩を受けています」


 静かな表情で、ジルベルトが言う。

 ――俺の前に跪いて。


「そのうえで、あつかましくもさらに貴方にお縋りすることをお詫び申し上げます」


 名より実を。

 許しを請うのではなく、謝罪を。

 必ず対価を払うと覚悟を決めて。――例えそれが後の一族で払い続けることになろうとも。自らが守るべきものの為に。


「レディオン様。この街を救う力を、私にお貸しください」


 堂々とした声と、冷静な表情。

 ただ、その目の色だけが違っていた。

 今にも泣きそうな目だと思った。

 ――それは、そうだろうな。

 ジルベルトは、今までもずっと「借りが大きすぎる」と言っていた。それだけ俺の行動に恩を感じていた。その分の支払いだけでも膨大だと気にしていたのに、更にまた俺に頼らざるを得ない状況になったのだ。

 これ以上また頼らなくてはならないのか、と。

 返すことの出来ない借りばかりを作ろうとしているのか、と。

 それは寄生と何が違うのか、と。

 ――そう、その苦しげな目が告げていた。出会ってそれほど立っていなくとも、庇護を与えた相手と俺の間には明確な絆が出来ている。その感情は、思いが強ければ強い程俺に伝わってくる。

 ――そんなこと、思い詰めなくても良いのに。


「ジルベルト。俺は、お前に告げたな?」

「……」

「お前がお前の信念に則り、俺にとって信頼に値する者として共に歩み続ける限り、お前に庇護と繁栄を与えると」

「……」

「例え自身の力だけで対処出来ぬ物事が起こったとて、それはお前の咎では無い。生きていれば、そういうことはある。そして、例え他者の力であれ、対処出来る手段が目の前にあるのなら……ジルベルト、それは、お前の功績だ」

「……え」

「お前の行動が、言葉が、それを己の側に引き寄せる縁を生み出したのだ。それが功績でなくて、なんだと言う。ジルベルト。お前は、お前自身の力で『俺』という『力』をこの街に結びつけた。――誇るがいい、ジルベルト・アンブロージ・アヴァンツァーレ。お前は、確かにこの俺を動かした」


 手を差し伸べ、俺は微笑んだ。



「お前の望み、この俺が叶えよう。我が名の下に」







 街の人々のほとんどが海へ逃げ、船が一隻一隻、沖へと遠ざかっていく。

 避難中に何人か怪我人が出たり、誤って海に落ちた者がいたようだが、かろうじて重傷を負った者はいなかった。避難中のみ限定で雇い、治癒術が使える冒険者に海側へ行ってもらったのが功を奏したようだ。船の中で何が起きるかまでは分からないが、そのまま船に乗って避難していいと伝えているのでこっそり『ついで』を期待しておこう。

 冒険者もその大半は避難した。

 ロルカンに来るのは辺境に棲む魔物を狩ろうという中堅どころが多く、初心者は逆に少ないが、さすがに災害級の魔物を相手にしたくは無かったらしい。

 俺としては、逆に街に残る者がいたことに驚いた。討伐の金額もたいして高いものでは無いので、命と天秤にかけるような依頼とは思えないのだが。


「噂の大魔導士殿がどんな技を見せてくれるのか、近くで見たいからな!」


 残った者にそう言われ、俺は唖然とした。

 死の恐怖より好奇心が勝ったというところなのだろう。人間は時たまこういったおかしな行動に出るな……

 俺達がいるのは街壁の上だ。残った人数は百人いるかいないかだろうか。ちなみに、近接武器しか使えないメンバーは遠隔攻撃者に対する支援と、万が一の時の護衛だ。彼等が剣を抜かなくてはならない事態になれば、ある意味『詰み』である。


「……いいのか?」

「何がだ?」


 部下達が遠隔攻撃者を何人かずつ率い、長大な壁のあちこちに散っていくのを見守っていた俺に、ロベルトがこっそりと声をかけた。


「おまえ、大人になったほうが強いんだろう?」


 街壁を作った時に見た俺の最強版を知っているロベルトからすれば、今の子供版の姿のまま動かざるを得ない状況は不安なのだろう。人目さえなければ、あの大人版になれるのではないか、と言いたいわけだ。


「どのみち、今あの姿になる魔法を使えば、一時的に俺の魔力は激減する。必要な魔力が膨大なのでな。……あの姿だと時間経過とともに魔力は回復していくが、それも急激に回復するようなものではない。時間が差し迫っている時に使うのはかえって難だ」

「それなら、今のままのほうがいい、ということか」

「敵はもうすぐこちらに到着する。おそらく大魔法の連発になるだろう。そんな状況で、悠長に魔力の回復なぞ待っていられないからな」

「そうか。それで……それで、おまえ、その食事なわけか?」


 大量のデザートとドリンクを用意している俺に、ロベルトがちょっとげんなりした顔で言う。

 ふと見ると、階段口にジルベルトが見えた。「防衛に就く」という宣言通り、律儀に俺達と一緒の場所にいるつもりらしい。その後ろにいるのは、竜車から引き摺り出された子供の一人だろうか……? 流石にあの小さな幼子は安全地に置いてきたようだが、ロベルト同様、囮としてこの場所に居る、ということだろうか。


「こんな状況でよく悠長に菓子パクつけるな、って多分皆思ってるぜ?」

「そうか。やたらと見られるのは欲しがっているのかと思ったのだが、違ったのか。魔力持ちには支給しておいたのに、何故だろうかと思っていたのだがな」

「……そ、そうか」

「魔力を回復する手段は持っておいたほうがいいからな。うちの特産品だ。菓子(ドルチェ)は魔力効果を高めるものを用意したし、ドリンクは持続回復のあるものを用意した」

「……これが終わったら、定期的に購入したい、ってせっつかれんじゃねーか?」

「ふ。勿論、喫茶店で提供するとも」

「おまえ、こんな時でも商人だな!?」


 当然だとも。商売のチャンスは逃がさないとも。

 胸を張ってみせた俺に、ロベルトはあきれ返った目を向けていたが、ふいに肩の力を抜いて苦笑した。


「おまえは、勝つもりなんだな」

「当然だろう。誰にものを言っている」


 持続魔法回復薬を飲み干し、俺は笑った。

 ロベルトのすぐ後ろにまで来ているジルベルトが、そんな俺に微笑む。


「この俺がいる限り、この街を滅ぼさせはせん。見ておくがいい、ロベルト」


 持てる魔力を高めながら俺は言う。

 外へと向けた視線の先に、土埃。先のとは明らかに規模の違うもの。訪れる死と破滅の群れを前に、せいぜい悠然と微笑んでみせた。



「この俺の力がどんなものであるのかを」


 この大陸に俺という力を刻む為に。





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