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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 3 死の黒波
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16 闇の蠢動



 ぼんやりとした白い部屋に、黒いものが(わだかま)っていた。

 『俺達』はそれを見る。

 誰も声を発しない。


 いつ、この部屋に来たのか。

 何をしに来ていたのか。

 誰とここにいるのか。

 ――『何』がそこに『居る』のか。

 そんな疑問は、一切浮かばなかった。



 ――……。



 『俺達』の目の前で、闇は緩慢に蠢く。

 まるで歩き方を思い出すように。

 ――まるで何かを探すように。



 ――もうすぐ、来るよ。



 ■■■が呟く。

 その目元から零れた涙が、頬を伝って落ちる。



 ――君の選択が無ければ、『■■』は滅ぶ。



 蠢く闇。

 そこにある悍ましい程の思い。憎悪。悲嘆。慟哭。怨嗟。絶望。

 ■■■と□□□が俺を見る。

 その顔はもう輪郭すら分からない。



 ――『彼』から目を離してはいけない。



 ただ、声だけが共にある。






 ――生きて。










 新しい壁を造りあげてから、数日が経った。

 大地を見て分かっていたことだが、この付近の降水量はかなり少ない。農作にとっては死活問題だが、こと工事に関しては晴天続きなのは良いことだった。そのおかげもあってか、ロルカンの新街は急速に整いつつある。


 昼日中は人間の大工が街を造り、夜は隠密と遮断系結界を行使しながら俺達が人通りの無い路を整備する。

 すでに人が住んでいる部分はともかく、完全に工事中のエリアは夜間進入禁止にしてガンガン整備を進めているのだ。整うのが早いのも道理だろう。

 そのおかげでか、我が商会は住民一同に『家事精霊(ブラウニー)』のようだと言われている。魔族を『妖精』とは、人間はなかなか豪毅だな。


 とはいえ、全てが問題なくいっているというわけではない。

 旧街に固執する人もいれば、波に乗り遅れたせいで一番いい土地を購入出来なかった人がどうでもいい文句を言ってきたりと細かいことは色々ある。

 だが、それが何かしらの大きな問題になりそうかというと、そうでもなかった。

 細かなイザコザは多々あれど、大きな問題に発展しそうなものはジルベルトや冒険者組合が処理してくれているらしいのだ。

 そう――これだけ急激なことをやってのけた俺が、街の連中に大問題にされていない理由は、二つの大きな後ろ盾にある。


 人々の生活にもある意味根付き、世界的にその立ち位置を認められている『冒険者組合』。

 この街のみならず周辺の地域を治めている『領主』ジルベルト。


 少なくとも、この二つの権力と仲良しな俺を面と向かって非難するのは勇気がいるだろう。

 そして一応、俺自身の力も強大だ。なにしろ一晩で街壁と街の大部分を魔法で作り上げてしまった『大魔導士』であり、海からやってきた大商会のボスなのだ。あらゆる意味で喧嘩を売りたい相手では無いだろう。

 ――まぁ、実際にはただの魔王就任予定者なのだがな。


「しかし、人目のある昼間は出来ることが少なくなってしまったな」


 最近の定位置となりつつある新街門の上で、俺は賑やかな新街側を見下ろしていた。

 大部分が下水道完備の新街に移ったおかげで、旧街の解体もどんどん進んでいる。急速な流れについていけず、かといって場所を移ろうにもどこに移ればいいのか分からない、というお年寄りには個別に対応済みだ。

 手に職ある者は俺の経営する魔物素材加工場ロルカン支部で雇い、財産に応じて救貧院や共同生活施設、アパート等に移り住んでもらっている。旧街の家もそこそこの値で買い取っているから、生活に苦労することは無いだろう。

 ――まぁ、そんなことばかりやっていると、どこにいっても人から注目されるようになるわけだが。


「日中にやっていた旧街の購入や移転手続きも、だいぶ進んだ……というか、ほとんど終りがけだもんな。領主様ン所もだいぶ形になってきたし。商売系は商会の連中が捌いちまってるしなぁ……そういや、旧街の家、新街の家と交換するケースが多いみたいだが、どう考えてもおまえ達側の大損だろ? 少しは利益出さなくていいのか?」


 何故か数日前から俺の護衛のようになっているロベルトが、呆れたように街を見回しながら言う。とある一日を俺達と一緒に我が実家で過ごしたせいか、前より気安くなっている気がした。

 ……ついでに、何故か妙に生やさしい眼差しを向けられることが多くなった気がするんだが……気のせいか?


「……利益ならある。そも、俺達が欲しがっているのは目先の金ではないからな」

「ああ。安全で衛生的で健康的な街で暮らす人々の幸せか」


 ……やだ……何かそう言われると俺がとてもイイヒトみたいで恥ずかしいじゃないか……

 俺は自分と魔族の為にやってるんだからね!

 ついでに人間も幸せになるといいのよ!

 ちなみに勘違いは歓迎です。はやく魔族なのを打ち明けても笑って受け入れてくれるぐらい俺達を好きになると良いよ!


「しかし、魔法でこういうことが出来るとはなぁ……書物で知ってはいても、実在を見ると大違いだ」


 頑強な壁の一部をしげしげと見やり、何を思ったのかロベルトが軽く叩いた。次いでちょっと驚いた顔をして俺を見てくる。

 ……さては、ダメージカウンターが発生したな……?

 おまえの物理攻撃力でコンコンすれば、うちの壁は攻撃判定発生させるぞ。


「おまえは、もう少し自分が勇者であることを考えて行動したほうがいいぞ」

「……おまえにだけは言われたくねェ……」


 どういう意味だ。


「――そもそも、四大魔法が使えれば大なり小なり『創造』は可能だろう? おまえは旅の中で利用したりはしないのか?」

「焚き火の時の火付けや、暴風時の防御ぐらいかねぇ……魔法で建造物作るっていう発想がいまいち分からん。こう、土まんじゅうみたいなやつとかが精々な気がするな」

「勇者のくせに情けない……どうせ魔法は全て上級程度修めているのだろう? 後で指南書を見せてやるから出来るようになっておけ。この前教えたことの発展系だからすぐに出来るようになるぞ。――あと、まんじゅう、ってこの辺りでも食べられるのか?」


 俺の声にロベルトは微妙な表情で溜息をついた。


「……まぁ、もうあえて突っ込まねーけどな……。あと、俺はそんなに上級魔法修めてないぞ。立ち寄った街の図書館で本を見たりと、独学でやってきてるからな。中級がほとんどで、せいぜい上級がちょっとある程度だ」

「勇者のくせに、才能の無駄遣いだな」

「うるせーよ!」


 仕方がない。クレア嬢に押し倒された暁には俺の『魔王の祝福』と『魔王の絶対庇護』と『魔王の書』をロベルトに贈ってやろうではないか。だから遠慮せずさっさと押し倒されるといいんだぞ!


「……なんか、今、すっげぇ嫌な予感がした」


 おっと。邪気は仕舞っちゃおうね。


「ところで、レディオン。日中こっちですることが無くなったのなら、おまえさん、魔――実家に帰ってたほうがいいんじゃないか?」


 魔大陸と言いかけ、律儀に直すロベルトに俺は苦笑した。

 俺達以外に壁上に人影は無いのだが、この勇者はこうして周囲に配慮してくれる。思い返せば、最初の時からそうだった。

 魔族を敵とする『人間』の、最強たる『勇者』のはずなのに。


「実家……か」


 言われて、家で行えるあれこれを想像した。

 ロベルトの言は正しい。実際に、ここにこうしているより家にいるほうが有意義だろう。

 こちら側はジルベルトとモナが異様なほど内政特化に変じ初めているし、冒険者組合という後ろ盾もあってスムーズに事が進んでいる。部下達の活躍も目覚ましいし、しばらくはまた家に戻っていてもいいだろう。魔族側の方は、まだ進めれていない事柄が多い。

 けれど、

 けれど、何故だろう――


「……動いてはいけない(・・・・・・・・)、そんな気がするんだ」

「どういうことだ?」


 ロベルトも眉をひそめているが、俺自身も自分の感覚に眉をひそめているところだ。

 動いてはいけない(・・・・・・・・)

 ここを(・・・)離れてはいけない(・・・・・・・・)

 何の確証も無いのに、ただその感覚だけは漠然と感じている。

 今、目を離してはいけないのは此処なのだと。


「ここ数日、奇妙な感覚が消えない。確証は何も無い。……街そのものに問題が起きているようにも、見えない。――だが、ここを離れてはならない気がする」

「……」

「強いて言えば、俺の直感だ」

「……魔王の直感か。そいつは……ぞっとしないな」


 俺の言葉に、ロベルトは表情を引き締める。

 無意識にだろう、その手が腰にあるはずの見えざる剣の柄に触れていた。

 

「……そういや、ポムさんは?」

「テール達と一緒に周辺を探索してもらってる」

「……」


 ロベルトの表情が険しくなった。

 この顔は、いつからポムの姿を見ていなかったのかを思い出している顔だろう。次に考えるのは、何処へ行ったか、あたりだろうか。


「――外か」

「そうだ」


 ロベルトの声に俺は口元を笑ませた。

 街の中に、俺の気になる『何か』はなかった。

 【探査(エスペラント)】の魔法で念入りに調べたものの、大なり小なり問題はあろうとも、魔王(おれ)が焦燥を抱くほどの『問題』は見当たらなかったのだ。

 時期が来るまで発生しないものなのか――あるいは、街の内側には無いものなのか。


「――『何』が『来る』?」


 慎重に問うロベルトの目は、俺の言葉を一切疑っていなかった。

 こんなことで嘘をつくとは思われていないのだろう。――と、いうか……


「お前は、疑わないのだな……?」

「何をだ?」

「ああ……例えばだが、俺が何かを企んでいて、密かに手を回しているとかそういう類のことをだ」

「……」


 うわ。ロベルトに凄まじく変な顔された。

 いや、普通に考えるだろ? むしろ常識的な感じで考えるだろ?

 俺は魔族で次期魔王だぞ?

 お前は人間で当代勇者だぞ?

 普通考えないか?

 ちょっとは考えないか?

 というか、いつのまにそんなに信頼勝ち得てたの!?


「……あのな……ここ数日のあほっぷ……いや、突き抜けっぷりを見させておいて、それで今更悪巧み疑惑とか言われてもな……?」


 ――なにか今、聞き捨てならない単語が混じろうとしてた気がするんだが、気のせいだろうか。


「だいたい、あの大人版のお前を俺は見てるんだぞ。あれに勝てるとはとても思えねーよ。それだけの力があって、なんでわざわざこそこそ悪巧みするよ? お前なら、一発魔法ぶちこんだら全部殲滅させれるだろ? 実力で簡単に大陸制覇できるような奴に、ちまちました悪事の疑い抱けるかよ……」

「……そういうものか?」

「そういうものだ」


 何故か胸を張って言われ、俺は首を傾げた。

 少々腑に落ちない気もするが、偽りなく本音だと分かるので何をどう言えばいいか分からない。


「それになぁ……俺に先入観なしの見方がどうとか言っておきながら、おまえこそ思い切り俺を先入観で見てるじゃないか。俺が勇者の資質持ちだとか、人間だからとかで見てるだろ」


 う゛っ。


「言葉に責任、持てよな? 確かに俺もおまえを先入観で見るし、どうしたって根っこのところではなかなか難しいだろーけどよ。……それでも、お前が『そういう奴』なのは見て知ってるからよ。そっちも根っこはなかなか変えられないだろうが、ちょっとは信頼しておけよ」

「……そうか」


 ようようそれだけを喉から絞り出し、俺はロベルトを見上げた。

 前世では会うどころか存在も知らなかった『勇者』。

 ――こんな『勇者』も存在していたのだ。

 およそ俺の知る勇者らしからぬ価値観と、冷静さ。

 真っ直ぐでありながら愚直では無い強かさ。

 ある意味において深い教養と、諦念に彩られた第三者としての視点。

 ――ロベルトは、まだ勇者として真に覚醒していない。だが、すでに最終段階に至る為の下地は出来ている。そもそも、勇者とはその存在に至る為の資質でしか無い。


「ロベルト」

「おん?」


 覚えておこう。この姿を。

 もしかすると、人類史上初めて真に魔王と同等の位に至るかもしれない人間の、なんの飾り気も無い今の姿を。

 そして、大きなことを言いながらも、自分自身が言葉に反していた――己の愚かさを。


「――すまなかった」

「ちょ!? よせ! 魔王に頭下げられるとか人類が滅ぶ……!」

「……をい」

「いや、うっかりというか! 深い意味はなくってな!? どう見ても敬愛されまくってる王様に頭下げられても困るっつーの! 怖いわ!!」


 だからって、お前もしれっと先入観的な言い方してるよな!?


「おまえン所は、真面目にお前の為に血の道作りそうなのがいるんだよ……!」


 誰の事か不明……あ、いや、父様がいたわ。探せば他にもいてくれるかもしれない。母様とか、ルカとか……やだ……俺の為に動いてくれる人達が身内しかいない疑惑。


「……まぁ、おまえさんはもうちょっと自分の周囲に気付いてやったほうがいいとは思うけどな」

「?」


 何か俺の周辺に異変でも感じているのだろうか?

 不思議なことを言うロベルトに視線で問うてみたが、自分で気づかないといけないと言わんばかりの目を向けられた。……やだ。ロベルトが厳しい……


「それで、ポムさん達に調べてもらってるのって、どの方面の『何』なんだ?」


 話題を変えたロベルトに、俺は嘆息をついてから口を開く。


「全方向の、魔物分布だ。異変を調べろ、といっても『異変』が『何』なのかすら分からん有様だからな。ポム達には、俺がこの大陸に来た初日に『回った場所』を重点的に、どこにどれだけの魔物がいて、どこに魔物がいないのかを調べてもらっている」

「……それが、何かの異変に関係してるのか?」

「逆にお前に聞きたい。――この大陸は、どれほどの魔物が生まれ、生息している?」


 俺の声にロベルトは考える顔になる。

 次いで何かに気づいたように俺を見た。


「……おまえがこの街に来たのって、数日前なんだよな?」

「そうだ」

「おまえが『冒険者』として魔物の討伐に行ったのは?」

「到着した初日だけだ。時間にしてたかだか数時間程度だな。お前に会ったあの日が、それだ」

「……ありえない」


 ロベルトが愕然とした顔で呟く。

 その様子に、どうやら考えは正しかったようだと嘆息をついた。

 ロベルトは俺の――俺達のパーティーが出した戦果の一端を知っている。

 巨大蛇(アガジャラ)巨唇箆鹿(アクリス)睡魔蛇(アスプ)角鹿馬(イッペラポス)小型毒蜥蜴(コカドリーユ)虎頭蛇(マフート)一角黒狼(メラン・リュコス)

 冒険者組合の支部長との話で出てきただけでも、これだけの魔物の種類。「凄まじい量」とまで言われた膨大な討伐数。それが数時間での討伐で叩きだされた戦果だ。

 俺が次期魔王で、パーティーメンバーが精霊王達であろうと、膨大な数の魔物を掃討するには一つの条件がいる。

 それは、どれだけの大群が近くに固まっているかという、ごく基本的なことだ。

 例えどれほどの力をもっていようとも、遠い場所にいる魔物を討伐しようとすれば移動に時間がかかる。まして、魔物の群れはそれぞれ勢力範囲をもっている。同じ場所には決していない魔物もいる。

 例え俺の【探査(エスペラント)】で的確に群れの場所を調べ上げ、突っ込んで行ったとしても、その探査内に異常な数の群れが集まっていない限り、あれほどの成果を上げることは不可能なのだ。


「多少は遠出したものの、領からは出ていない。この近辺だけであれだけの種類、あれほどの数がいた。俺は人間の大陸で魔物が膨大な数になっていると聞いていたから、そういうものなのだろうと初日には思ったが……違うようだな?」

「そんな状況なら、俺はともかく普通の人間が旅とか出来るわけねぇって……いくらそっちが魔物の多い森とかを重点的に回ってたとしても、数が増えれば連中は森から出て平野に居座るからな……」

「実際、一角黒狼(メラン・リュコス)の群れは平野部にいた。人里とは離れていたが、時間の問題だったろう」


 違和感を覚えたのは、ロベルトが無力な子供達を乗せて旅をしてきたのを見た時が最初だ。

 あれだけの魔物が沸いて出ているのなら、いくら勇者がいる旅とはいえ楽なものでは無いはずだ。だが、彼等の様子には悲愴なものも怖れや怯えも無かった。

 次いで取引に来た商人だ。この近隣の魔物分布について、多少は危険だが、盗賊と襲われるのと同程度の危険度という話を小耳に挟んだ。

 なら、俺達が遭遇したあの膨大な量の魔物は何だ?

 他の地区から長旅をしてきた連中が、あの脅威を知らないのはどうしてだ?


「この短期間に、何かが起きていると考えるべきだろう。――魔物の分布図が変わるほどの何かがあるなら、それを把握しておかなければならない。あの時討伐した魔物がいた地区は、他の地区と比べて特別魔素が濃かったわけでは無い。すぐさままた魔物が沸くということはありえないだろうが……そこに新手が居ても、居なくても、嫌な予感はするな」

「魔物の群れが、それも複数の種族の群れが、一か所に集まるような『何か』か?」

「そうだ」


 考えられる理由は二つ。

 だが、そのうち一つには違和感がある。なぜなら、そうであるのなら、あの日あの時に俺達がそれを見逃すはずが無いからだ。


「いずれにしろ、ポム達の報告を待とう。一応、ジルベルトには異変の兆候として連絡をしてある。こうなると、強固な壁を作っておいたのは良い投資だったな」

「……やめろ。変なフラグにしか聞こえねェ」

「俺の防御力を突破する程度の攻撃力が無ければ砕けん壁に文句が――」


 あるのか、と。

 言いかけた瞬間に、突如背筋を走った悍ましさに鳥肌が立った。


「!?」


 突然飛び起きるように壁から身を離して外側の壁に走った俺に、ロベルトがギョッとして後に続く。


「どうした!?」

「何か来る」

「!」

「――悍ましいものが来るぞ」


 ぞわぞわと背筋を這う奇妙な何かに歯を食いしばった。

 怖くは無い。そんなものは全くといって感じない。

 ただ、悍ましい。汚らわしい。許容しがたい。そんな感覚だ。

 険しい眼差しで見据える地平の一部に、ふと砂塵らしいものが見えた。遠い。だが、走ってくる。


「あれか」

「竜……? 竜車じゃねェか!? それに……馬?」

「あの様子では、何かに追われているな……」


 敵と思しきものの姿は見えない。

 必死に駆けているのは、その砂塵の量で分かる。逆にその砂塵でほとんど何も見えない状態なのだが。


「呑気にしてる場合か! 行ってくる!!」

「待て。どこから行く気だ」

「どこって――ぇえええええええ!?」


 何故か呑気に階段の方へ走ろうとしたロベルトの襟首を引っ掴んで、俺はひょいと壁を越えた。

 外側へ。


「ぎゃああああああああああ!?」

「掻きつかんでも、飛べばよかろうに」


 俺は呆れつつ五歳で所得する闇翼を顕現させ――あ、翼開くと問題あるから駄目だわ。勇者の飛行スキルに便乗でもするか。


「飛行スキルもっとらんわぁ!!」

「はぁ!?」


 驚いてる間もなく地表、目の前。慌てて態勢整えて着地した。

 ――やだ……足が踝まで地面にめり込んでる。

 ダメージは受けなかったけど、地味に足の裏が痺れるな。


「し……死ぬかと思った……心中させられるかと思った……」

「勇者のくせに飛行スキルが無いとは……笑えんな?」

「いきなり飛び降りられた俺の方が笑えんわッ!!」


 何も涙目にならんでもよかろうに……

 というか、何で勇者が飛行系スキル持って無いの? ありえなさすぎて俺ですらうっかりそんな状況想定しなかったレベルだぞ。びっくりしすぎて自分のスキル使うことすら忘れてて、ちょっとそこは恥ずかしい。

 そして、おまえ今、思いっきりお姫様抱っこ状態なんだが、それはいいの?


「ッと、こうしちゃいられねェ!」


 慌てて俺の腕から飛び降りたロベルトが砂塵に向かって駆け出す。む。ありがとうは無いのか勇者よ。いやまぁ、落下させたのも俺なんだが。……あれ、これ、俺が謝らないといけない場面? タイミング逃したけど。そして気になる事がいくつかあるんだけど。


「ところで、ロベルト。ろくな防具もつけずに飛び出している形なのだが、そんな装備で大丈夫か?」

「ヤメロ! なんかフラグくさいからそういう言い方するな!!」


 ただの老婆心だというのに。今の言葉のどこに何のフラグがあったというのだろうか。

 ちなみにロベルトの足は速い。身体能力が化物級なのだから当然だが、砂塵側もこちらに近づいて来てることもあって俺達と向こうの距離はあっという間に縮まった。

 悲鳴をあげるような竜車の軋みと、馬蹄の轟き、それの合間にギチギチという奇怪な音も響いている。

 ――なにか嫌なものが脳裏を過りそうになる、金属の軋みのような音だ。


「! !! !!!!」


 竜車の御者台にいた誰かが、こちらに気付いて血相を変える。

 家紋の入った竜車一台。馬三頭、馬にはそれぞれ負傷した行商人。……あれは、うちと取引した商人じゃないか。片足が真っ赤に染まっているな。

 すぐ後ろに二頭引きの荷馬車一台――半分砕けているな。積荷も見えないが、逃げる為に捨てた……か。

 ふと、御者台にいた者と目があった。

 蒼白になった顔に、返り血なのか自分の血なのかわからない赤い染み。強張った顔には恐怖が張り付き、血走る目が俺達に必死に訴える。


 ニゲロ。

 タスケテ。


「レディオン! 彼等を頼む!」


 ロベルトが見えざる何かを引き抜く動作をした。濃密な魔力は、神聖系の力だ。おそらく、かつてポムに刃をつきつけられた時に引き抜こうとしていた見えざる剣だろう。


「頼む、というのは、治癒と護衛か?」

「そうだ!」

「まぁ、どちらであれ、やれはするが……」


 というか、なんでこの勇者は俺に守る方を託すのだろうかな……

 一応、攻撃力も防御力も、この体の時点なら俺の方が上だぞ?

 あれかな。勇者としてというよりも、ロベルトも男の子ってやつかな。


「……なんか今、すっげぇ子ども扱いされた気がする……!」


 おっと。微笑ましい気持ちは仕舞っちゃおうね。

 一層速度を上げるロベルトに苦笑してついていきながら、距離の縮まった相手側に意識を向ける。

 魔法を解き放つのは一瞬。呪文すら必要ない。


「!?」


 突然自分達を包んだ力が治癒だと分かったのだろう、あ、と誰かが声をあげるのが聞こえた。

 馬車と馬が勢いよく擦れ違う。刹那、縋るような、必死の眼差しの男達が横切り――


「!!」


 強烈な後悔に一瞬、愕然とした。

 しまった。

 失敗した。

 いや、これは仕方がない。

 ――だが、嗚呼……もう遅い!


「ロベルト! 敵を斬るな!!」


 せめてと声をあげた時には、既に追いすがっていた黒い巨体はロベルトの見えざる剣で斬り飛ばされていた。

 砂塵で僅かに白くなった黒い甲冑。

 特徴的な黒い脚。

 切り飛ばされた頭部には黒い触角と――深紅の髑髏に似た模様。

 咄嗟に手を伸ばし、ロベルトの服を引っ掴んで飛翔する。落下中はうっかりして使わなかった飛行術だ。全力で飛ばした。だがもう遅い。


「おい! レディオン!」


 まだ敵がいる中での敵前逃亡のような俺の行動に、ロベルトが血相を変える。だが、構っている暇は無い。

 高く、高く。

 ひたすら高度を稼ぐ。

 そして――


「【炎波陣(ヴァグラム)】」


 灼熱の炎が猛烈な勢いで地表を舐めた。砂塵に隠れていた『追手』が次々に断末魔の悲鳴をあげて塵と化す。それを遥か上空から一瞥して、すぐにロベルトを見た。

 ――駄目だ。


「……遅かった……」


 このぐらい離れていれば、範囲からは逃れられる。だが、ロベルトは至近距離だった。即座に離したが、敵は即死状態だったのだ……やはり、逃れられなかった。


「どういうことだ!? なんでわざわざ……おい? レディオン?」


 俺の表情に何かしらの不穏を感じたのか、ロベルトが詰問口調を途中で変える。

 だが俺は苦い顔をしながらも、咄嗟に応えられなかった。

 視線はロベルトの首に注がれている。おそらく、切り飛ばされた敵が最期に見据えただろう場所を。――そこに刻まれた、真紅の髑髏の紋様を。


「……ロベルト」


 砂塵が流れる。

 黒い煙は俺が焼き殺した蟻のものだろう。

 竜車達はひたすら街へと逃げ込んでいる。

 ――分かっている。

 街の安全を守るのであれば、彼等を行かせてはいけないことを。

 ここで殺させておいたほうが良かっただろうことを。

 けれどそれは、おそらくロベルトやジルベルトは認められない行動だろう。


 ロベルトが殺したのは、二メートル近い大蟻。

 ならばそれは、突撃部隊のものだ。脚力と体力に優れ、戦の一番手を務める個体。

 名は『ランキュヌ・フォルミ』。下手をすれば万の群れをもつ魔物。

 強さで言えば、一体一体は一角黒狼(メラン・リュコス)にも劣る者。

 ただし、その恐ろしさは、連中の性質にある。

 一体が全体。

 一匹を害せば、その群れが全て敵対し襲い掛かってくる。

 それゆえに、一匹であろうと弱かろうとこう呼ばれるもの。


 


 異常な化け物アノルマル・モンストル――『恨執蟻ランキュヌ・フォルミ』。





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