幕間 それぞれの出会い1 ジルベルト・アンブロージ・アヴァンツァーレ
港街ロルカンにある店は、利便性の都合から大通りの両側に構えるのが普通だった。
大通りとはいっても昔に造られたもののため、馬車が鉢合わせればどちらかが後退しないといけない広さしかない。人が多ければさらに身動きがとれなくなることもあって、基本的に大通りへの馬車の乗り入れは禁止されている。何かのきっかけで馬が暴れた場合、被害が甚大になるからだ。
かわりに門を入って少し行った左手に、街壁に添う形で海へと向かう半円型の馬車道が設けられていた。こちらは港であがった荷を積んだ荷馬車が行き来することも多い為、馬車同士がすれ違うことも可能な広さがある。
――ともあれ、町外れが半スラム化しつつある現在、定期的に立ち退き命令を出さないと道に浮浪者が出てしまったりするのだが。
(新しい事業を起こせれば、雇用拡大で彼等も救えるのだけど……)
やや小高い場所にある屋敷を出て、ジルベルトはその馬車道を一路港へと走らせていた。乗っているのは黒い馬車だ。造りこそ古めかしいが、大きさと頑丈さは申し分ない。
その馬車はかつて家が栄えていた時代に造られたものだった。当時は金銀で装飾されていたが、現在は宝飾類を全て外してしまっている。造りがしっかりしているからこそ今も使用に耐えうるが、あと三十年も経てばまともに動かなくなるだろう。それまでに新調出来れば良いのだが、現状では全く見通しがたてれなかった。
(せめて、父様がご存命であれば――いや、思っても仕方ないことか)
一瞬過った思いを押し殺し、ジルベルトはこめかみを揉む。ふと礼服の袖口に色あせた箇所を見つけて、情けなさに唇を噛んだ。
古いのは馬車だけではない。着ている服も随分と古いのだ。それでもこれが今も残っているのは、ギリギリ手放さずとも資金繰りが出来たということだった。
――とある家の恩恵によって。
(……あと一月、遅かったら)
この服も、馬車も、きっと手放していた。
もし、これから行こうとしている商家が出店先を別の街にしていたなら――きっと、今頃自分達は借金まみれになっていたことだろう。
(グランシャリオ家、か……)
ふと視線を感じて前を見ると、家令をしているモナが心配そうな顔でこちらを見ていた。
「爺やは、グランシャリオ家をどう見る?」
「恐るべき資産家かと」
直前まで繰っていた報告書を思い出しながら、それは確かにとジルベルトは苦笑する。
「うちの街にきてから、まだ半年程度……たったそれだけの間にうちたてた記録が、総売上額推定三億ゴールドか」
言いながら、口元が変な風に歪む。
出鱈目な数字だった。年間売上としても尋常ではない金額なのに、それがわずか半年程の稼ぎだと言うのだ。
「……最初、何の詐欺かと思ったんだがなぁ……」
「実際、税収があがってきてましたからな……」
奇妙な笑み混じりの声に、モナも力の無い頷きを返す。
アヴァンツァーレにおける税収は、職業等で変わってくる。
農家は土地税が年一回だが、商家や冒険者組合は近場であれば月毎に、遠方の土地であれば年一回のまとめ払いとなっていた。
そのため、港街ロルカンからの税収は毎月手元に届く。その額が、ある月を境にいきなり跳ね上がったのだ。
(なんだろうね……月の税収が七百万って……)
最初に届いた時、モナと二人で顔を見合わせて「どこかの貴族の策略か?」と真剣に話し合ったほどだ。
税の大半が冒険者組合であった為、即座に確認をとると大型取引によるものだと言う。
その時に聞いた名前が、グランシャリオ家だった。
調べたところ、彼等は船で街にやって来た他大陸の者だという。見たことも無い立派な船で来航し、何故か街中ではなく街外れの小さな倉庫を借り上げ、そこに数名が住み始めた。
その身なりが立派であった為、どこかの貴族がお忍びで来る為の視察ではないか、と囁かれていたが、これまた何故か突然冒険者組合を訪れ、商品の取引を始めだした。
それが、現在のロルカンに大金を呼び込むことになる魔法の薬『エマ・ローズ』シリーズだった。
既存の魔力回復ポーションを上回る高性能の薔薇露。
少量でそれすらも上回る薔薇精油。
どういうわけか、化粧水や香油といった売られ方をしていたが、容器の洗練されたデザインも女性人気に拍車をかけることになった。それを見越しての売り方なのだとすれば、製作者は相当切れ者なのだろう。
さらには、高品質の体力回復ポーションや、薬草などが大量に卸され、それらが爆発的に売れた。その効果があまりにも高すぎたために。
無論、窓口で冒険者が買うだけならそこまで飛躍的な売り上げを記録しない。
冒険者組合ロルカン支部は、窓口販売と同時に他支部にこの商品を転売したのだ。
最初は半信半疑であった他支部も、効果を確認するや否や一斉に追加発注を行った。
ロルカン支部は町外れに暮らすグランシャリオ家に追加を願い、同時にいくつかの契約をとりつけたという。
さすがにその時はすぐに補充というわけにはいかなかったが、その半月後に港へ入港した最新鋭と思しき豪華な大型船が、グランシャリオ家を経由して冒険者組合に大量の荷を卸した。完売されたエマシリーズとポーションの追加補充だ。
同時に卸された干し肉もまた今までとは一線を画する美味しさで、瞬く間に冒険者や船乗りに人気となった。冒険者組合だけでなく、町外れにあるグランシャリオ家に直接買いに行く者も続出したほどだった。
特に必死だったのがロルカン支部以外の冒険者組合と、評判を聞きつけた貴族達で、彼等はロルカンの宿に泊まって足繁くグランシャリオ家に通っては取引を願い出ているという。
宿に泊まっているということは、街門をくぐる際に発生する税収も増え、また宿の収入も増えるということだ。そして、そこで発生する税もまた増える。
ジルベルトの元に入ってくる税は絶句するほどの右肩上がりを続け、ついに今月頭には一千万の大台に乗った。
三年かけて親戚達が積み上げてくれた借金の返済には、まだ足りない。けれど、ようやく――本当にようやく、膨れ上がった利子で押しつぶされる事態からは脱却できた瞬間だった。
「なぁ、モナ……私は、実は机で倒れて、今、ものすごく都合のいい夢を見ている最中なのかな……」
「坊ちゃま! 何をおっしゃいますか! 気持ちは分かりますが!!」
「ああ……うん。そして久しぶりに聞いたな、坊ちゃまって」
「し、失礼いたしました」
思わず懐かしい呼び名を口にしてしまったモナに、ジルベルトは乾いた笑いをする。
「別にいいよ。少し嬉しかったぐらいだし。……本当なら、まだそう呼ばれてるはずだったんだよね……父様も若かったしさ。……何が起きるか分からないよねぇ……今も、昔も」
元気そのものだった父が帰らぬ人となって、ジルベルトの日常は砕け散った。
大切なものを次々に失い、忙殺される生活の果てに、いずれ自分も死ぬのだろうなとなんとなく思っていた。
「まさか、いきなりこんな風にまた……ああ、でも、いい夢は悪い夢より覚めるのが早いから、また地獄に戻る可能性は高いよね。あんまり、期待しないで行こうか。この数か月で、数年はなんとかなりそうな目途もたってきたし」
モナはその言葉に悲しそうに頷く。
ずっと今のような奇跡が続くとは、二人とも思ってはいなかった。
グランシャリオ家は、最初にこの街に降り立っただけなのだ。もしかすると他の地区でも事業を展開しているかもしれず、そうでなくとも、これから展開する予定なのかもしれない。こんな特需は、今だけだ。
だから、ジルベルトの仕事は、その特需を与えてくれたグランシャリオ家の――この半年を経て初めてこの地に足を踏み入れたと思われる、グランシャリオ家に連なる人物への――お礼と取引の申し出だ。
蹴られる可能性は高い。自分よりもずっと良い条件を提示できる貴族は多く、知識も経験も自分は足りなさすぎる。
けれど、速さは勝てる。少なくとも、領主自らが『彼』の元に足を運べるのは、この地の主であるジルベルトだけだ。
――レディオン・グランシャリオ。
何故か冒険者登録をした、グランシャリオ家の名をもつ者。
(どんな人物なのだろうか)
冒険者登録をしたということは、武技に優れた人物なのだろうか。この辺では聞かない名前といい、別大陸から進出してきた大家、という情報は確かだろう。海を渡ってまでやって来たことを考えるに、冒険心の溢れる人なのかもしれない。
職業は『剣士』で登録しているらしい。同じパーティには凄まじい美貌をもつ美少女や美女がいたという。
(筋骨隆々とした男もいたというから、きっとそちらが噂のレディオン殿だろうな。それにしても、『英雄』テールがその配下って……どれだけすごい大家なんだろうか)
ジルベルトは遠い目になる。
数百年の英雄伝説をもつテールは、一説では精霊と契約した勇者だと言われている。誰もその真実を問うたりはしていないが、その不死性と強さから信じている者も多い。
そんな英雄が配下。
もしかすると、件の人は当代の勇者ではないか、という噂もすでにまことしやかに囁かれていた。勇者クラスの英雄を配下に出来るのは、それこそ王か勇者以外に在り得ないからだ。
(やばい……緊張が増してきた)
大資産家で、もしかすると真なる勇者かもしれない人物。
かつて来航した豪華大型船がグランシャリオ家専属だったという話だから、別大陸の貴族だという説もある。それも王族に匹敵するか、もしくは王族そのものなのかも。
そしてそれらは、大げさでは無く事実に近いのだろうとジルベルトは見ていた。
この街にいるグランシャリオ家の者達も、一人一人が上流貴族にしか見えないような男達なのだ。洗練された動きや、仕立ての良い服。とてもではないが、ただの商家の従僕には見えない。
「ねぇ、モナ」
「なんでしょう?」
「……眩暈がしてきたんだけど」
「……気持ちは分かりますが、私も眩暈がしますから、不安にさせないでください」
逃がすとあまりにも大きすぎる相手であるために、自然に足が震えてくる。いっそ逃げたいと思う気持ちと、逃げたらそこで終わりだという現実から息が細くなる。
「しっかりなさってください。坊ちゃ……いえ、領主様の双肩にアヴァンツァーレ家の未来がかかっているのです。あちらにとって益となる話を誠心誠意いたしましょう。便宜は出来うる限り図る様にして、せめてこの地での活動をずっと続けていただけるよう、お願いいたしましょう」
自身も青い顔の老臣に、ジルベルトも頷く。
欲はかくまい。身の丈に合わない欲は身を滅ぼすだけだ。
こちらが出来ることは全部しよう。足元を見られる可能性はあるけれど、それが何だというのだろう。矜持で生活は出来ない。細々とでも利益を得る事が出来るなら、それで出来る政策があるし、助けられる領民がいるのだ。頭を下げることだって辞さない。
「……ところで、問題が一つだけあるんだが……」
「一つですか? いえ、ええ……そうですね、色々考えても意味がありませんものな」
「うん。だから、一つだけ」
察して口を噤んだモナに、ジルベルトは怖々と問うた。
「私は、グランシャリオ家の方をどうお呼びすればいいんだろうか……?」
●
ロルカンにあるグランシャリオ家は、こぢんまりとしたものだった。
最初の倉庫よりもさらに町外れに設けられたそこは、元は巨大風車だった建物と、その近くにあった穀物倉庫だという。どちらも大きさこそ相当なものだが、古いうえに立地が悪く、倉庫に至っては曰くつきの物件として売れ残っていたものだったとか。
(それを選んでわざわざ購入したうえ、あえて町外れに居を構えるのか。……英断だな)
街の商人に対し、自分は縄張り争いをする気は無い、と態度で示しているようなものだ。おそらく、相当に頭がキレるのだろう。
商人や船乗りはゲンを担ぐ生き物で、傷物物件や曰くつきのものを忌避する傾向にあるが、それにさえ目を瞑れば目の前の建物はどちらも頑強で大きな良い物件だった。
まして、徹底的に手を加えて改装してしまえば尚更に。
(木材で外を覆った建物……か)
ジルベルトは目の前の建物を見上げる。
初代の巨大風車だった建物はまだ手つかずだったが、倉庫はその姿を一変していた。本来なら付近と同様の白い壁と赤茶色の屋根瓦だったのだろうが、今は黒い独特の臭いのする木材で覆われているのだ。黒樫に似た色だが、これは塗料の色だろうとジルベルトはあたりをつけた。
(コールタールか……すごいな。店を覆う量の木材全部に施したのか)
初めて見るやり方だが、防腐剤として優れるコールタールを塗ってある以上、経年劣化で朽ちる速度は遅くなるだろう。塗った当初は酷い臭いだったろうが、今はそれほど臭わなかった。
(それに、品よく見える。こういう建物もいいな)
一応、一度先触れとしてモナが走り、その後での来訪の為か嫌な顔はされなかった。走りづめのモナの苦労は並大抵では無いが、ここが踏ん張り時と老骨に鞭を打っているのだ。その働きに応えられるよう、ジルベルトも覚悟を決めた。
(最低でも、この街におけるグランシャリオ家……商会? の、本拠地化を!)
噂のレディオン・グランシャリオがグランシャリオ家の直系だということはすでに店にいた者の話から判明している。ここが本当に踏ん張り時なのだ。
(それにしても……本当に凄いな)
こちらでお待ちください、と通された部屋で待ちながら、ジルベルトは周囲の様子に驚きを隠せなかった。
木の匂いのする内装に、品よく配置された趣味の良い調度品。扉の無い待合室のようなその部屋は、本来は従業員の休憩室だという。だが、そこに配置されたソファや調度品は、滅多にお目にかかれない逸品だった。
(……どう見ても、うちの応接室より立派なソファなんだが……)
あまりにも素晴らしい手触りに、密かにソファの表面を撫でまわしてしまったほどだ。いつもなら注意するモナも、思わず同じ行動をしてしまっていたのだから、その素晴らしさが分かるというものだろう。
「領主様……」
「うん……」
従業員の休憩室ですら、上流貴族レベル。
こうなると、本当に別大陸の王族という可能性が高くなる。それとも、別大陸の民は自分達よりも遥かに優れた文明をもっているのか。
(ああ! 落ち着いていたのにまた緊張してきた!)
おまけに、自らを従業員だと言っていた従僕達の姿がまた素晴らしすぎた。立ち振る舞いは完璧で、身に包む物も一級品。おまけに全員が美形なのだ。男ばかりだが、圧倒的だった。どうやって揃えたのだろうかと小一時間悩んだほどだ。
しかも、いつ帰って来るか分からないからと飲み物や軽食まで出された。紅茶と、鴨のローストサンド。摘まみやすいように小さく作られているが、あまりにも美味しそうで思わず目が釘付けになる。
(食べたい……けど、出された物をがっつくのは……いや、食べないと、逆に失礼だ……!)
食べてみた。
天に召されるかと思った。
「爺や……これ……すごく美味しい……」
「領主様……」
「ごめん。でもな、泣けてきた……」
あまりにも美味しいものに出会うと、感動で涙が出るのだと初めて知った。最近の貧しい食生活が祟っていたのかもしれないが、生まれてこのかたこれほど美味しいものに出会ったことが無いのだ。
「できれば、爺やも座って少しだけでも疲れをとってほしいんだけど……」
「なりませんぞ。それだけは」
「でも疲れてるのは爺やのほうだろう。もう年なんだから」
「しーっ! 疲れなどどうということはありません。それに、そういう話を外でするものではありません」
律儀に立っている老臣に、ジルベルトは居心地が悪くてたまらなかった。
「グランシャリオ家の人は、爺やの分も用意してくれているじゃないか」
「領主様がお食べください。従僕たる私が手をつけることはなりません」
「出されたものを頂くのも大事なことだと思うんだ」
「領主様。身分というものをお考えください」
「誰も見ていないから、こそっと食べてもバレないよ。きっとバレても何も言わないと思うけど。私が二つ食べたことにして、爺やも食べよう。なんだか疲れが少しマシになった気がするよ。美味しいよ」
「領主様……」
モナが壮絶に渋い顔をするのに、ジルベルトは誰も手を付けていないサンドイッチを摘まむと背後に立っていた従僕に向かい合った。
「領主さもがぅ」
口を開いたのを見て一口分突っ込むと、モナの目がカッと開かれた。
「……。……。……今、お迎えが来たかと」
「……うん。分かるけど、すごく現実的に不安になるから、やめてね?」
ふと、どこかから笑い含みの視線を感じたが、振り返っても誰もいなかった。嫌な感じの笑みでは無く、なにやら微笑ましいような視線だったが、もしかして誰かに見られていたのだろうか。
(まぁいいか。取り繕っても仕方がないし)
これだけの家なら、領主家の窮状も知られているだろう。そう考えると、なんだか前より気持ちが落ち着いてきた。
(美味しいものを食べたからかな?)
首を傾げたところで、ふいに店の中にハッとするような気配が流れた。
なんだろう、と思っていると、しばらくして店の表から声が聞こえてきた。
「お帰りなさいませ! レディオン様!!」
ジルベルトは思わず立ち上がった。
「え!? 音、聞こえた!?」
「い、いえ、馬車の音などは全く……」
外の気配を探っていたのに、全く音が聞こえなかったのだ。そういえば、恐ろしい程の騒音をあげているはずの風車の音もこの部屋にいると聞こえない。内装の立派さに驚いてそのことに今まで気づかなかったが、考えてみれば色々とおかしな話だ。
(完全遮音!? 魔道具か……いや、それよりもお出迎えを……!)
待っていてくださいと言われていたことも忘れて、ジルベルトは反射的に走った。だが、いきなり動いたのが悪かったのだろう、戸口で自分の脚に躓くことになる。
「うわぁ!?」
その瞬間、終わった、と思った。
初めての顔合わせで、躓く領主。色々と駄目だろう――と。
だが、覚悟したより軽い衝撃と共に体が止まる。
やや青みがかってみえる銀が目の前にあった。月の光を糸にして紡いだような。
ふわりと優しい匂いが鼻腔をくすぐる。
そして――
「――で、こちらが、件の客か?」
思ったよりも若い声に、弾かれるように身を離した。
きちんと非礼を詫びれたかどうかすら意識に無い。声の張り、雰囲気、周囲の気配、それらで自分が抱きついてしまった相手が『誰』なのか察したのだ。
(終わった……!!)
走馬灯のようにこれまでのことが頭を過る。
だが次の瞬間、ジルベルトはその全てを忘れた。
美しかった。
目の前に立っていた存在は、あまりにも美しすぎた。
陽光を受けて輝く銀の髪。
夜空の月を宿したような金の瞳。
感情を感じさせない貌は、神が特別な思いをこめて作り上げた傑作であろうとも、これほどまでに美しく整うことは無いだろう程。
目の前にいることが信じられないような、
ただただ平伏しなければならないような。
それほどの力のある美貌だった。
この世で最も完璧な美貌――おそらく、神々と呼ばれる存在の。
(神は、実在したのか……)
真っ白になった頭の中で、それだけを茫然と思う。
協会の訓示や教えを生活に取り入れてはいても、神を信じてはいなかった。
けれど、もし、
もし、神という存在がいるのなら、
目の前にいる者こそ、きっとそうだろう。
誰もがそう思うに相応しい存在。そこに在るのが奇跡のような。
祈りを捧げたい気持ちで――実際、次に何もなければ平伏していた――ジルベルトの耳に、その時強い音が飛び込んできた。
手を鳴らした音。何故か意識を引っ張り上げられるような。
ハッとした時には、目の前の存在はフードを目深く被っている。
幻だったのかとも思ったが、僅かに覗く口元だけでもその美しさは健在だった。相手が生きた人間であることに、これほど戸惑ったことは無い。
その時自分がどうやって謝ったのか、ジルベルトは記憶していない。ただただ頭を下げたのだけは覚えている。
それが、ジルベルトの人生を大きく変える相手――レディオン・グランシャリオとの出会いだった。




