0 タッデオ地方
風が桶を転がす軽い音が響いた。
荷馬車で訪れた村は、規模も人の数も『集落』と呼んだほうが正しいような小ささだった。壁は風雨で漆喰が剥がれたままになっており、端の方では板すら外れかけ、屋根は一部が朽ちている。家は小さく、居間と寝室の区別すら無いだろうものがほとんどだ。
(なんだか、前より寂れてるな)
ロベルトは周囲を見渡しながら密かに嘆息をつく。
かつてこの付近を通った事があった。二年ほど前だろうか。行商の為、北から南へと向かった時だ。通過するだけの村だったが、ちょうど新しい領主が就いたということで、少しばかり活気があったのを覚えている。
(アヴァンツァーレ家……ねぇ)
ラザネイト大陸の北西、タッデオ地方は荒野にぽつぽつと村や町が点在する辺境だ。その中でも、この近隣――アヴァンツァーレ家の治める領地は貧しい。
街と呼べるような場所はほぼなく、西の果てにある港街ロルカン以外には、南と東にある国境の町がかろうじて大きいと言える程度だろう。他には村とも呼べないような集落が、荒野の中に忘れ物のように取り残されている。
「行商の方かね」
どうしようかと思って周囲を見ていると、通りすぎた家の影から声がかかった。振り向いた先に、三十を少し過ぎたぐらいの女が立っている。奇妙な立ち方だ。足を悪くしているのかもしれない。
「そうだ。よかった、人がいたんだな」
「はは、まぁ、廃村一歩手前だけどね」
軽く笑って答えたロベルトに、女は乾いた笑みを浮かべつつ、それでも友好的な声をあげる。ふと女の腰に小さな手がくっついているのを見つけて首を長くすると、どうやら後ろからこちらをうかがっていたらしい子供と目があった。
と思ったら逃げられた。
「人見知りなんだよ」
痩せていたな、と思いながらその声を聞く。首を竦めてみせた女は、ふいに強い目の色でロベルトを見た。
「ところで、行商人さん。何の用事でここに? 大層な荷物みたいだけど」
ロベルトの荷馬車には、ぎっしりと麻袋が積まれている。その麻袋に女が注目しているのが分かった。――いや、目の前の女だけでは無い。
気づけば、いくつもの視線が自分に向けられていた。姿ははっきりとは見えない。窓の奥、戸口の向こう、壁の影――そういったところから、ひっそりとこちらを見ている。
ふいにゾクリとするものを感じた。
飢えた目だ。
まだ極限にまでは至っていないが、下手をすれば襲われて身ぐるみ剥がれるかもしれない。そんな風にすら思った。
ロベルトの荷は、小麦だ。
女や先の子供の様子を見れば、しばらくまともに食事をしていないだろうと分かる。
行商仲間に伝わる逸話に、こんな話がある。
ある時、ひと儲けしようと沢山の麦を運んだ行商人が、無人の村にさしかかった。
寂れたその村には人っ子一人見当たらず、行商人も仕方なしとそのまま素通りしようとした。
その時、家の影から黒い何かが飛び出して来て、行商人の腕を切り、足を切り、首を切り飛ばしてしまった。
黒い何かは、腹ばかりが膨れた骨と皮だけの化け物だったという。
村はいつのまにかその化け物達の棲家となっており、時折訪れる旅人や行商人を殺しては食糧にしていたのだ。
その被害がどれぐらいになった頃だろう、化け物の住む村の噂が伝わり、放置しておけないと領主が冒険者組合に依頼して討伐隊を組み、その村にやってきた。
だが、その村には痩せた村人がいるだけだった。
――化け物は、飢えた村人だったのだ。
かつて、飢饉が襲ったある地方で、実際にあったというその出来事は、今も行商人の間で語り継がれている。ロベルトはそれを思い出した。ゴクリと喉がある。だが、ある意味、だからこそ、ロベルトはこの麦を運んでいるのだ。
「港で依頼を受けてな。北に荷物を運んでいる最中なんだ」
「……ああ、北か」
女の目に深い落胆と諦念が覗いた。逸話のような事態にはならないようだ。だが、この状況――いつそんな状況になるのか、誰にも分からない。
ロベルトは口を開いた。
「それが、変わった依頼でな。麦の売値を出来るだけ安くするから、麦を出来るだけ遠くへ、出来るだけ貧しい村に、多く売りに行って欲しい、って言うんだよ。普通の麦の値じゃお金を払えない、って人のいる場所が望ましいそうだ」
「……は」
女がポカンと口を開ける。自分も話を聞いた時、きっとこんな顔だったんだろうなとロベルトは思った。
だから、笑って言う。商売人として。
「ここは港町からそう遠くない。だから、運搬込で、そうだな……売値は大袋一つで銅貨二十枚だ。あんたらの蓄えで、買い取れる麦は、あるかい?」
●
痩せた腕に大きな瓶を抱えて、ベランカはよろよろと乾いた大地を歩く。
村の中央にある井戸が枯れて、今は水を汲むのに遠い東の外れまで行かなくてはならない。往復で一時間と少し。枯れた丘を越えた先にある古井戸から水を汲み、重くなった瓶を担いで帰るのは、体の小さなベランカには重労働だった。
(あともう一回、汲みに行かなきゃ……)
ベランカは五人兄弟の中の二番目だ。今年十五になる一番上の姉は出稼ぎに行った。十三歳の自分も、そろそろ出稼ぎに行くべきだろう。
この付近には、働き口が無い。水が乏しく土の痩せているこの付近では、自分達が食べる分までの食料は得られない。税として納める分すら怪しいほどだ。お金を稼がなくては、皆飢えて死ぬ。
だが、自分がいなくなれば、残るのはまだ十にも満たない幼い弟妹と、足を悪くしている母親だけだ。自分がいなくなったら、――誰が、水汲みをするのだろう。
この距離を。家の人間が一日に飲む分の水と、田畑に撒く分の水を毎日。
(どうしよう……)
あと一年頑張れば、弟達が出来るようになるだろうか。そうしたら町に出ていける。だが、それまで家の備蓄が持つだろうか。種籾を食べるような事態にならないだろうか。それ以前に、税を治めたら種もみすら残らない状態にならないだろうか。
こんなに生活が悪くなったのは、前の領主が五年前に死んだからだ。
病死だか事故死だか、噂だけは聞いたが詳しい事は分からない。ただ、死んだという話だけが伝わってきた。当時、領主の直系で残っていたのは、まだ成人していない息子だという噂だった。その息子が領主を継げれたのは、成人である十四歳を迎えた二年前。それまでの三年間で、なにをどうしたのか領の治安は一気に悪くなっていた。
魔物の増加。
税の二重徴収。
その税も、どこに持っていかれたのかわからない。領主の部下という人が来たから納めたはずなのに、後日いつもの通り城門に税を払いに来るようにと通達が来たのだ。
騙されたのだと知った時の絶望は計り知れない。
説明された領主の部下という人も絶句していた。少しでも払うようにと言われて、本当にギリギリの量を払った。それでなんとか許してくれたのだから、次の領主となる人物は出来た人だったのだろう。二年前、その人物がようやく正式な領主になったと聞いた時には皆で喜んだものだ。
だが、暮らしは良くならない。
悪い時には悪い事が重なるのか、天候の悪化で作物も上手く育たない。結果、税の払いは遅くなり、自分達の手元に残る食べ物の量も少なくなる。少しずつ溜めていたお金や、お金になりそうなものももう残っていない。
(いつ、楽になるんだろう……)
ベランカは飢えた目で地面を眺めながら歩く。食べられる草や、苔類は見つける度にエプロンのポケットに入れて持ち帰った。そんなものでも食べて凌がなくては、本当に飢えてしまうからだ。だから下ばかりを見て歩く。
ふと、その足が止まった。
風にのって、村の方から賑やかな声が聞こえてきたのだ。
なんだろうか。お祭りでもあるまいに。細く白い煙もあがっている。あれは炊事の煙だ。そうと気づくと、風にほのかな料理の匂いまでしはじめた。小麦の焼ける匂いだ。どうして。口に出来る量の収穫は無かったはずだ。まさか、本当に税や種籾に手をつけたのだろうか。
驚きながらも瓶を落とさないようによたよた歩いて、ふと村の中に止まった荷馬車に気付いた。何を積んでいたのか知らないが、ほとんど物が載っていない。かわりに、大きな袋を抱えた村人が泣き笑いの表情で家に走っている。重いらしくよろよろしていたが、その足取りは力強い。
(?)
わけが分からず、キョロキョロと周囲を見渡しながら歩くベランカは、家の戸口で嬉しそうに話している母親を見つけて目を丸くした。あんな笑い声なんて、いつぶりだろうか。母の前にいるのは、青年と言って差しつかえない年齢の知らない男だ。近くには大きな袋。小麦の袋だろうか。
なら、あの男は行商人だろうか。
しかし、家には麦を買えるだけの貨幣なんて無かったはずだが……
「ベランカ!」
茫然としていると、気づいた母に名を呼ばれた。瓶を抱えたままたどたどしい足取りで家に戻ると、男が気さくに礼をした。
「やぁ、これは可愛らしい御嬢さんだ」
「そうだろう。うちの子の中でもいっとう別嬪なんだ。――ああ、ベランカ、瓶を置いておいで。それからご飯の準備をしよう。麦だよ! ベランカ。沢山麦が手に入ったんだ!」
「麦……って……」
ベランカは信じられないものを見る目つきで母と麦を交互に見る。
「そんなお金、無いでしょ。どうして……」
「麦一袋で銅貨二十枚なんだ。それぐらいなら、なんとかなる。それに、干し肉も安かったんだよ! なんてことだろうね……生きていて、こんなの初めてだよ!」
「待って……待って、銅貨、二十枚!?」
思わず悲鳴になった。銅貨二十枚では、パンが四つ買えるかどうかといったところだ。そんな値段で、小麦の袋が買えるはずがない。買えるとしたら、財布がわりにするような小さな袋程度だろう。母達が抱え込んでいるような大袋ではありえない。明かにおかしい。
「その麦、大丈夫なの!?」
「あんた! なんてこと言うの!」
「食べてみたけど、平気だったよ」
売人の目の前で叫んでしまったことに真っ赤になったが、行商人はけろっとした顔だった。疑われることは百も承知らしい。
「気にしないでいいよ。話を持ちかけられた時、俺も驚いたから、信じられないのは当然だと思うんだ。ごく最近、港町に店をかまえた家でね。麦の取り引きに関しては近場の組合を刺激したくないから、うちみたいな行商人と取引したいと言うんだ。あと、出来るだけ都市部では無く、働き手を失ってしまっているような村に売りに出て欲しいって言われてね」
「貧乏人に売りに行ってくれって言われたんだ、ってさっき言ってなかったかい?」
「流石にちょっと言葉を濁そうと思ったんだが、まぁいいか。どういう理由があるのかは知らないが、ありがたい話だろ? ただ、まぁ、ちょっとお願いもしてほしいと言われたから、安かった分、恩返しの気持ちで誰かその家のお願いをきいてやって欲しいんだが」
その言葉に、逆にベランカはホッとした。麦を異様に安く売っているのにも、ちゃんと『理由』があるのだ。そう思うと、薄気味悪さも和らぐ。
「お願いって、なんだい?」
「いや、店の従業員を探しているんだそうだ。なにしろ、別の大陸のお家らしくて、こっちに人員が居ないんだそうだ。出稼ぎに来れそうな人がいたら、来てほしいんだと言っていたな」
「……それは、若くて綺麗なの限定で?」
母親が何を警戒しているのか察したのか、行商人は苦笑して首を横に振った。
「いや、村の負担にならない程度の働き手なら、誰でも構わないそうだ。流石に働けない者はいらないそうだが、年齢の指定も無かったな」
ベランカは母親と顔を見合わせた。
「それは、足を悪くしていても出来る仕事なのかい?」
「あー……どうだろう……流石に、それは厳しいんじゃないか? 麦の取り引きもやりはじめたってことは、重い荷物の持ち運びもあるかもしれないし」
「……そっか……」
がっくりした母に、ベランカは迷う。
自分が行くと、そう言いたい。けれど、水はどうすればいいだろう。
「……。ヴァレリ!」
迷い。意を決して、ベランカはすぐ下の弟を呼んだ。
様子を伺っていたのだろう、家からひょろりとした少年が飛び出してくる。
自分より細い手足。――けれど、食糧が手に入ったなら。
「ヴァレリ。お姉ちゃんが外に働きに行ってる間、水汲みできる? 今の瓶より小さいのでいいから」
体つきは、自分より少し小さい程度。力は強くないが、足は速いし、体力は自分と同じぐらいだ。瓶を小さくすれば、往復する数が一回か二回増えるかもしれないが、ヴァレリでも出来る。最初はきっと辛いだろうが、毎日しているうちに体も鍛えられるだろう。自分がそうであったように。
それに――男手はこれからも必要だ。成長したら力になれるヴァレリより、外で働くのは自分の方がいい。村には男手が足りないのだから。
「うちからは、あたしが行きます。えっと……それって、何人ぐらいが、行っていいんでしょう?」
「十人ぐらいは欲しいと言っていたよ。一つの村で全員揃えなくていいとも。ただ、俺が接触した時の感触では、あの家に働きに行くのはお奨めだな。……うん。あそこは、信じる価値があるかもしれない。それに、対応してくれた人の服や身のこなしが、ここらじゃ滅多にお目にかかれない品の良さだった。あれは、相当な資産家か、大貴族に縁があるね」
勘だけど、と笑う声に、思わずゴクリと喉が鳴った。
相当な資産家。もしくは、大貴族。
物語のような存在だ。正直、ちょっと胡散臭い。
それでも――これは、きっと、チャンスなのだ。
「行かせてください。港町、ってことは、ロルカン?」
「そう。領主街であり、港街であるロルカン。行くなら、ついでに乗っていくといい。ここで全部売れちゃったから、俺も一度戻ってまた取引しようと思ってるんだ」
手数料が美味しいからなぁ、と笑った男は、明るい声で最後にこう言った。
「店の名前は、グランシャリオというらしいよ」
●
ジルベルトは霞む目を必死に凝らして書類を眺めていた。
南側に大きな窓のある、小さいが品のいい部屋だった。
だが、かつてこの部屋にあった調度品は、今は机ぐらいしか残っていない。先祖代々伝わっていた大時計も、昨年売ってしまった。父や母の思い出のある時計だったが、仕方がない。ただ時折、あの時を刻む古めかしい音が無性に聞きたくなった。
(疲れてるんだな)
ぼんやりと自己で判断する。
タッデオ地方、アヴァンツァーレ領の領主としてこの椅子に座ってから、まともに睡眠をとったことが無い。机にかじりつくようにして書類と格闘し、気絶するようにして眠り、また戦う。そんな毎日だ。
もしここに、父母がいればこんな苦労は無かっただろう。
古くからの家臣がいてくれれば、もっと楽だっただろう。
あるいは、信頼できる後見人がいれば――だが、それらのほとんどは決して手に入らないものだ。
父は、五年前に亡くなった。母はそれよりも前に。
領主の位を正式に譲り受けられるまでの間に、親戚によって領内はめちゃくちゃにされた。家の財産もずいぶん持っていかれた。他家に引き抜かれて家臣は減り、今ではギリギリの人数で奔走してようやく領を運営している有様だ。
(いや、まともに運営なんて出来てないな)
先祖代々の――といっても、それすらさほど高価なものでもないが――家財を売ってやりくりすることも多く、修繕費を捻出できないせいで家そのものも痛みだしてきたほどだ。領地をきちんと治めているとも言えないし、そもそも、領民に顔を見せたことなんて、いったいいつが最後だったろうか。
(けど……最近は、少し、マシになったか)
ジルベルトは目頭を揉みながら嘆息をつく。
ごく最近、港街からあがってくる税収が増えたのだ。それも、およそ倍近い金額に。
港街からあがってくる税は、領地の財産のほとんどを賄っている。逆に言えば、それぐらいしか稼ぎが無いのだが、そのおかげでジルベルトでもなんとか領主の仕事をこなせていた。親戚達から必死に港と街の権利を守り切ってよかったと心底思った。
税収があがっているのは、街の冒険者組合からの収入と、宿屋からの収入、そして街に入る為の城門からの収入が一気に増えたからだ。
その全ては、ある一つの家がこの街で商売を始めたことに起因する。
今まで聞いたことの無かった名前だが、その家がもたらした恩恵は計り知れない。特にジルベルトにとっては恩人と言ってもいいレベルだった。仕事が一段落つけば――それがいつになるのかは分からないが――ぜひ一度訪れてお礼を言いたいほどだった。
だがきっと、それが出来るのは数年後だろう。
そんな風に思いながら、疲れた体に活を入れて書類に向き直る。
だが――
「?」
賑やかな足音が聞こえてきて、ジルベルトは手に巻きつけようとしていた布を置いた。最近では指がまともに動かなくなって、文字を書く為にはペンを手にくくりつけなくてはいけなくなっていたのだ。
「領主様!」
待つことしばし、ノックすら忘れて飛び込んできたのは、老齢を理由に家に居続けてくれた家臣――幼い頃から爺やと呼んでいる小柄な初老の男だった。
「どうしたんだ? 慌てて」
「それが、今、冒険者組合に行っておりまして、噂を耳にしまして」
「なんだ。ドラゴンでも出たのか?」
まさかな、と思いながら笑って言うと、違いますぞ、と爺やに大真面目に言われた。
「冒険者組合に、登録が! まさかとも思いましたが、同名の方の登録が! 組合の方も今混乱状態にあるようですが、もしかすると本家の方がおいでになったのではないかと言う噂が」
「……いやまて、誰の話だ。国王でも登録したのか」
何か一番大事な部分が抜けたまま話をもってこられている感じに、ジルベルトは眉を顰めた。主語やそれに相当するものが抜けていると、意図を掴むのに難儀するのだ。
ほら、と冷めてしまっているが自分のコップを渡すと、反射的に受け取って飲み干してしまった爺やが何か物言いたげな顔をしてから、呼吸を落ち着かせて言う。
「最近、組合や街を賑わせている店と同名の方がおいでになったのです。今朝がた、冒険者組合に登録されたとか。数か月前から、わが領に多大な恩恵を与えてくれている家です。今は、確か港の外れに大きな倉庫と店舗を構えられた」
そこまで言われれば、対象は一つしかない。
ジルベルトは立ち上がろうとし、座り続けていた結果固まってしまった体のせいで机に突っ伏し、かろうじて上体を起こして身を乗り出した。
「――グランシャリオ家か!」




