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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 4 愛しき者と宵闇の魔女
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幕間 グランシャリオ家見守り隊1




 その話が出たのは、物質界から帰還中のことだった。


<それにしても、あの家はいちいち面白いわねぇ>


 アストラル・サイド、精霊界パラミシア、その入口。

 別件で今も物質界にいるテールに声をかけて後、ラ・メールと共に帰還していたフラムは、その<思念(こえ)>にどうでもよさそうな気配を滲ませつつこたえた。


<グランシャリオ家か>

<ええ>


 肯定の色を滲ませ、水の精霊女王(ラ・メール)炎の精霊王(フラム)に告げる。


<誰もがレディオンに注視しながら、徹底して接触を控えているでしょう? あれのおかげで、私達が接触する機会も相当絞られてしまっているのですけど……何故、あんな奇妙な状態になっているのかしら?>

<肉の殻持つ者の考える事など、分かるはずが無かろう>


 フラムはバッサリと切り捨てる。


<あら! フラムは不思議に思わなかったの? それともまさか、気づかなかったとか?>

<……。そのまま育てば次代の魔王になるだろう次期当主。そんな存在なら、なにがあろうと守らねばならんだろうが。存在に過敏になるのは当然では無いか>


 ムッとした気配の漂う思念(こえ)に、ラ・メールは笑み含みの思念(こえ)を送る。


<ふぅん? その程度の認識?>

<……どういう意味だ?>

<機会を伺って会いに行けない私より、どうもフラムのほうがレディオンと会ってるような気がするのよね。だから、何か知ってるかなぁ、とか思ったんだけど>

<……>


 フラムは答えない。

 何故かやたらと自分が渡した魔法を使われる為、異様に物質界への界渡りが簡単になってしまっていることや、何事かと思って顔をあげたら、界が繋がってレディオンと見つめ合う結果になっていることなど、言わなければバレるはずもない。

 そしてそんなおかしな現象など、誰彼構わず吹聴できるはずもなかった。


(しかし、グランシャリオ家か……)


 フラムはふと思い出す。

 おそらく、歴代最強となるだろう次代の魔王と、少しばかり他の精霊王より縁の深いその生家を。


(確かに、あの家の者は皆、変わっているな)


 それは、つい先ほど後にしてきたある魔族の家のこと。

 そこで生活する、数多の魔族達のことだった。





●ノーラン・メグレズ




 世界の半分以上は、陸地ではなく海で形成されている。

 古の昔、そう記録を書き記したのは、世界を旅することが好きな当時の時空神だったと伝えられている。


 その世界の半分以下しか面積をもたない陸地のうち、最大の面積を有する大陸を『セラド大陸』といった。

 生息している生き物の数は、大陸の大きさに反し、東に位置するラザネイト大陸より少ない。

 セラド大陸の主な特徴は三つ。


 一つ。高濃度魔素の発生地が多い。

 一つ。人型種族以外の生物が大型化する傾向にある。

 一つ。住まう人型種族が、魔族しかいない。


 魔族とは強大な力を有する人型生命体――その高位種族だ。

 位階は種族内でも落差が激しいが、精神生命体の高位種族である神族と同等、というのが一般的な解釈となっていた。内情を知っていると苦い笑いの出てくる解釈だが、誤っているわけでもない為、魔族側がそれを否定することは無い。

 もっとも、魔族が他の知的生命体と交流することは非常に稀ではあるが。


 大陸に住まう人型種族が魔族しかいない、ということは、あらゆる土地に適応する種族である『人族』が存在しない、ということでもある。

 理由は諸説あって定かではないが、一番有力なのは『とても人族が安心して暮らせる環境では無いから』だ。

 なにしろ、セラド大陸に存在する生命体が、ほぼ全て高次生物なのだ。

 それも桁違いの強さで。


 魔族は言うに及ばず、変異種ヴァリアント――人族にとっては魔物モンスター――、あるいはただの動物や家畜といったものまで、他大陸とは比べものにならない程強い。

 大型化もその強さに拍車をかける結果となっている。さしもの人族も、そんな場所に居を構えようとはしなかったのだ。

 そのせいかどうかは知らないが、人族の持つ地図には『セラド大陸』の名はない。

 かわりに書かれているのは、『魔大陸』という名称だ。

 魔族が住むからなのか、魔物が強いからなのか、それとも別の意味があるのかは、不明だが。


(当時の忌避感が伝わってきますね)


 そんな人族の地図を丁寧に丸め、魔族のひとりであるノーラン・メグレズは黒檀の台座に乗せた。

 地図は部下から送られてきた物だった。人間の作製した地図に、部下達が色々と書き込んだ品だ。なかなか面白い発見があった。得た情報は机の上にある自分達の世界地図に書き込んでいく。


 ノーランが居るのは、グランシャリオ家本邸の一角、階下の仕事部屋として与えられたものの一つだった。

 部屋の中には、大きな机が五つ。椅子も同数。壁際には本棚や、巻いて吊られた巨大な地図がある。

 上質の黒檀で揃えられた家具は一級品であり、洗練された細工も相まって、とても従業員部屋とは思えない気品と風格を備えていた。

 それもそのはずで、元々は主の執務室や書斎にあった物なのだ。


 代々の主人が使っていた調度品のうち、古いものは階下である彼等の部屋へと払下げられる。

 古いとは言っても壊れているわけではなく、単に新調したから与えられた物がほとんどだ。

 結果、地方貴族の執務室以上の品が揃った従業員部屋となっていた。先程人族の地図を置いた台座も、三代前の当主が使っていた品である。

 備品を一つ売れば、それだけで一年は遊んで暮らせるだろう。それだけの品を従業員の部屋に回せられるのは、彼の仕える家が非常に裕福かつ強大だからだった。


 グランシャリオ家。――魔族大家十二家の中でも、三指に入る上級魔族の血統。


 主家は雷系最強と呼ばれる血統魔法を脈々と受け継ぎ、総資産も全魔族中で五指に入る。

 武力と富裕、その二つで上位に立っている家は少ない。片方に振り切れているのがほとんどという極端な才能を見せる魔族において、グランシャリオ家は稀有な存在だった。


 現当主の名はアロガン。

 現魔王より軍事の最高責任者に任じられた先代当主の一粒種であり、先代から最高の教育を施された逸材でもあった。

 面白い事に、先代は軍事才能に振り切れた女傑だったが、当代は武技と商才の両方に才能を発揮している。

 逆に軍事才能は別の家が突出した為、軍最高責任者を二代続けて引き受け続けるということは無かったが、家の発展という意味では現在の方がよかっただろう。


 だが、武門で頂点に立てなかったことは、密かにアロガンの矜持を傷つけていたのかもしれない。

 彼が正妻として迎えたのは、彼自身が己の能力上限として密かに気にしていた魔力親和度の高い女性だった。非常に美しいことでも有名な麗人であり、実際に嫁してきた正妻は驚くほどの美貌だったが、アロガンは心からどうでもよさそうだった。ノーラン達などは、もう少し家庭の良さを知ってほしいと密かに嘆いたほどだ。


 アルモニー・エマ・グランシャリオ。


 陽光の如き金髪と、黄昏の煌めきにも似た瞳の美女。ふわふわとした可愛らしい女性は、その優しい微笑みと優雅な姿で階下の者達の憧れになったが、同時にアロガンの妾達には強烈に嫉妬された。

 当然だろう。美貌の桁が違うのだ。

 下級貴族であり、魔力総量が乏しいということも、妾達の心を騒がせたのだろう。自分達より格下のくせに、と度々執事達が八つ当たりされることも少なく無かった。


 妾とは、グランシャリオ家の血統を絶やさない為の存在だった。上級魔族の家には珍しくない存在であり、ある家では妾の数が三桁にのぼるとも聞く。

 十人余りしかいないグランシャリオ家は、家の格式や血統の高さから言えばかなり少ない方だ。せめて倍はもてと、先代が口を酸っぱくしていたのをノーランは覚えている。


 だが、これでよかったのかもしれない。

 なにしろ、正妻アルモニーは弱い。――いや、厳密に言えば、弱かった、だが。


 腹心である侍女クロエや、自分達階下の者の協力と、なによりも比較的早く世継ぎを身籠ったおかげで妾達の攻撃を躱せれたが、少なくとも懐妊が分かるまでの数か月間、ノーラン達は毎日戦々恐々としていた。


 主の怒りを承知で言わせてもらえば、諸悪の根源はアロガンだろう。


 モテるのだ。異様に。そして本人は無頓着なのだ。恋愛事に全く興味を抱いていないのだろう。

 世継ぎを作るのは義務であり、結婚もまた同じ。血統を残す為の作業であって、そこに恋愛感情は無い。

 だが、女性側は違う。

 それはもう、温度がまるで違う。

 可哀そうなのはアルモニーだ。能力を文字通り金で買われたようなものであり、そこに恋愛感情というのはお互い無いようにみえた。なのに、嫉妬に狂った妾達の殺意に晒されることになったのだ。よくもまぁ生き残ったものだと、当時を振り返ってしみじみと思う。


 アルモニーが懐妊したことで、過激な行動をとっていた妾達は全員死亡した。

 アロガンは恋愛に興味は無かったし、家の中のことにはノーラン達に丸投げで気づくことさえなかったが、懐妊が分かると行動は早かった。跡継ぎと母体を守る為に対魔法攻撃と対物理攻撃をアルモニーに施したのだ。結果、暗殺を目論んだ妾達が自滅した。アロガンとしては家の外からの攻撃に対する防御のつもりだったのだろうが、実際には敵は内側に居たのだ。

 もっと早くに動いていてくれと、家臣一同が思ったのは秘密である。


 ちまちました嫌がらせをしていた程度の妾は、嫉妬はあるが殺意にまで至っていなかったので現在も生き残っている。いずれ誰かが懐妊すれば、また後継者問題で暗躍が発生するのではと昔は不安に思っていたが、今現在では誰も不安に思っていなかった。

 何故か。



 小さな救世主が、生まれたからである。






 救世主は、レディオンと名づけられた。

 アルモニーの産んだ、グランシャリオ家の後継者である。

 その誕生は凄まじいの一言だった。

 まず、懐妊僅か三か月で魔封じを必要とした胎児など、伝説にすら存在しない。

 胎児の状態での魔封じは、その子供が恐ろしく高い魔力を有していることが原因となる。母体であるアルモニー自身の魔力が乏しかったことも原因だろうが、恐らく母体が誰であろうと――それこそ魔王級でない限りは――同じだっただろうと思われた。


 笑えもしない話だが、懐妊六か月の時点ですでにノーランより魔力総量が多かったのである。産まれてもいない胎児が、だ。

 結局、施された魔封じは十二回。

 魔族史上、最多の魔封じだった。

 そして迎えた出産日。

 世界級呪詛というとんでもない産声を発生させながら、その後継者は生まれた。

 恐ろしかった。

 同時に、感動した。

 奇妙なことだが、後で確認したところ、この時、ノーラン以下執事の全員が深い安堵を覚えていたという。


 魔王誕生。


 誰もがその瞬間に立ち会えたのだと理解していた。厳密に言えば、『魔王』では無い。だが必ず次代の魔王となるだろうという確信があった。

 おそらく、アロガンにもその確信があったのだろう。

 恐ろしい程の呪詛を撒く赤ん坊を驚くほど冷静に見つめ、対応していた。クロエも立派だった。そしてアルモニーも。

 棒立ちになっていたノーラン達の前で、三者に守られた赤ん坊が呪詛を解き、赤ん坊らしい泣き声を響かせる中、執事達は一つの奇跡を見た。

 アロガンが初めて、アルモニーに礼を言ったのだ。自分達が初めて見る泣き笑いの表情で。その腕に妻と息子を抱きしめた姿で。


 そして奇跡は、今も続いている。

 そう――今も、後ろからソ~ッと部屋を覗き込んでいる小さな救世主のおかげで。


(ノーラン様! レディオン様が! レディオン様が!!)


 同じ部屋にいた部下が必死に目配せを送ってくる。

 分かっている。

 分かっているとも。

 だからおまえも、落ち着いて気づかないフリをしろ!


 ノーランは眼差しに力を込めてそう命じた。

 レディオンという名前の救世主は、生まれた時から異常だったが、生まれた後も異常だった。

 生後一カ月と少しという状態で、なんとひとりで歩いてしまっているのである。

 乳母として世話をしているクロエからの報告では、三週間目の状態ですでにつかまり立ちが出来ていたというからとんでもない。普通は、ようやく起きている時間が多くなるとか、表情や反応が出始めるといった時期なのだ。歩く、立つ、といった行動が出来るはずがないのだ。


 しかし、今も自分達の部屋の扉を――どうやって開けているのか分からないが――開けて、こっそり覗いているのは生後一か月と少しを迎えた赤ん坊だ。

 魔族の子供は、能力が高ければ高いほど無防備な期間である『赤ん坊の期間』が短縮される。だが、それにしてもこの成長速度は異常すぎた。

 しかし、執事達はその異常性に全力で目を瞑る。

 目を瞑って、気づいてませんよ? おかしいとか思ってませんよ? というポーズをとる。

 そうしていながら、密かにそっと観察するのだ。小さな手足でよちよち歩き、自分達を見ている恐ろしく可愛らしい生き物を。


(くっ……!!)


 そろそろ歩くその姿をこっそり見てノーランは呻いた。

 ぱっちりとした金色の目。母親と父親から譲り受けただろう完璧な美貌。わずか生後一か月でありながら、彼等の次の主であるレディオンは、奇跡的なまでに愛らしかった。


 執事達が赤ん坊の異常さに目を瞑っているのは、何故か。

 可愛らしいからだ。


 執事達が赤ん坊の一挙一動に密かに注目しているのは、何故か。

 可愛らしいからだ。


 敬愛するアルモニーや、この家の現状を救ってくれたレディオンへの忠誠というのも、勿論ある。家内部の不穏さは階下にとってはある意味存亡に直結するレベルの大問題なのだ。それを解消してくれた存在であるなら、多少の異常はいくらでも我慢できる。

 しかも、可愛いのだ。

 自分達が気づいてないらしいと思って、ちょこちょこと足音を殺して部屋に入ってくるその姿もまた、叶う事なら雄たけびをあげて転がりまわりたいほど可愛らしいのだ。例外的なひとりを除いて執事一同、魂の奥底からメロメロだった。


(ノーラン様! 協定は、いつまでですか!? まだ駄目なんですか!?)

(控えなさい! 勝手に触れるのは禁止です!!)


 同室の部下が必死に訴えてくる。分かっている。だが、家令である自分だって我慢しているのだから、部下だって我慢するべきなのだ。

 現在、家令、執事、メイドを問わず、全ての階下の者には徹底した命令が施されている。

 それは、レディオンに直接声をかけ、あまつさえ抱き上げたりすることは禁止、という命令だった。


 直接接触が許されているのは、乳母のクロエと、あとは当主アロガン奥方アルモニーから許可された場合のみ。


 でなければ、全員レディオンの元に一日中入り浸って仕事にならないのが分かっていた。なにしろ、不可侵協定が無ければノーランが真っ先に馳せ参じるからだ。仕事など空高く放り投げてしまうだろう。自分で予想がつくから、協定は解除できない。

 だが、そんな風に密かに自分達が耐えているのに、レディオンは度々恐ろしい罠を発生させてくるのだ。


「きゃぅ!」


 ころん。と。

 部屋の片隅で件の魔性レディオンが転がった。何もないのに転がった。可愛らしい悲鳴つきで、である。


((ひィイイイイイイイイイ!!!!))


 ノーラン達は悶えた。声を全力で押し殺して悶えた。ピクリとも動かない不動の姿勢で。ありとあらゆる理性を総動員して。

 なにしろ、まるいフォルムの小さな生き物が転がっているのだ。今すぐ駆け寄りたい。抱きしめたい。痛かったかどうか尋ねてレディオンを転ばすという大罪を犯した床や壁に物理攻撃(セイサイ)加えたい。なにより、思う存分萌え悶えたい。しかし出来ない! 


 自分達はレディオンに気付いていないフリをしているのだ。

 気づいてはいけないのだ。


 今、こっそり身を起こして涙目になっていようと、

 自分の存在を知られたかな、とこちらを伺っていようと、

 不動を維持している自分達にホッとしてこそこそよちよち部屋を出ようと、

 声をかけることは許されていないのだ。もちろん、そこで痛いとか泣いてくれたら全力で構い倒すのだが、それはしてくれないし!


 パタン、と。

 こっそり入って来ていた愛し子がこっそり退出した音が響いた次の瞬間。



 ノーラン達は思う存分、部屋で悶えつくした。







 しかし、そんな協定は、ある日ひとりの男によって破られることになる。

 アロガンが自らスカウトしてきた上級魔族と思われる男。

 家令である自分の部下にとつけられたものの、貿易の為に外に出てしまった為人ひととなりも能力もほとんど把握できていない者。

 それと同時に、彼らの愛する平穏もまた、破られることになる。



 その者の名を、ポム・ド・テールといった。




●エンゾ・メラク




「エンゾさん、ここにいらっしゃたんですか~」


 エンゾ・メラクがそう声をかけられたのは、主であるアロガン・グランシャリオに帳簿を見せに行く途中だった。


「ポム殿ですか。レディオン様もご一緒で」


 振り返った先にいたのは、特徴の無い牧歌的な姿をしたひょろ長い執事と、その腕に抱えられた恐ろしく愛らしい赤ん坊――次期当主であるレディオン・グランシャリオだ。

 ポム・ド・テールという名前の同僚は、アロガンがどこかから拾ってきた新参の執事だった。だがその高い戦闘能力と演算能力は一同の知るところであり、その能力故にアロガンからレディオンの護衛にと傍仕えを許された者でもあった。


 その結果、レディオンが誕生してからずっと続けられていた『レディオン不可侵協定』がいきなり破られることになったのだが、乳母クロエに続く『例外』として嫉妬しながらも周囲には認められた。

 正直、何故こいつが、と恨み言を言いそうになることも多い。

 ただ、わりと嬉しい誤算も発生していたので、ポムに対するやっかみは少なかった。


「ほら、坊ちゃん。エンゾさんにあのお話してみてはいかがです?」

「ん」


 執事達の誤算――それは、ポムを介することでレディオンと触れ合えるという事だった。

 今もポムに促されて、くりくりとした綺麗な目で自分を見ていたレディオンは、内心喜びで震えているエンゾに向かって声を発する。


「エンゾ。おれのとちにはたけをつくりたいのだが、おまえはどうおもう?」


 赤ん坊の言葉づかいでは無かった。

 無論、赤ん坊からされるべき会話でも無かった。

 だがそんなことは、エンゾ達にはどうでもいいことだった。


「是非、行うべきかと。レディオン様の計画に基づき、私の方から旦那様に計画書を提出しておきましょう。開拓計画および実行員はいかがいたしましょうか」

「むぎをそだてる。たがやすのは、おれのゴーレムだ」


 ゴーレム。何かすごい台詞が来た気がする。無問題だ。


「畏まりました。管理と税収等はいかがいたしましょうか」

「いまはふようだ。かんりしゃをやとうようになってから、こまごまきめていく。いまはまだ、おれがおれのとちでけんきゅうしてるだけ、だからな」


 相変わらず、会話をしていると赤ん坊相手とは思えない。恐らく目を瞑ってやりとりしていたら、アロガンや仲間達と会話していると錯覚してしまうことだろう。勿論、目を瞑るなんて勿体ないことはしないが。


「かあさまとも、はなしをすすめているんだ。あとでいろいろたずねることになるが、かまわないか?」

「是非とも!!」


 全力で頷くエンゾに、レディオンはきょとんとしたあと、それはそれは可愛らしい笑顔を浮かべて言った。


「よろしくたのむ」


 自分は天に召されるのではないかと、エンゾは本気で思った。





「――と、いうことがあったのですよ!」


 階下の仕事場――別名、執事部屋。

 その中で行われる報告会、もとい『今日のレディオン様惚気会』で、エンゾは肌をツヤツヤさせながらそう締めくくった。

 レディオンに会えた者は、須らくその日一日肌をツヤツヤさせている。精神的なものもあるのだろうが、なにやら物理的にも肌ツヤが良くなるような気がしている。

 ――何故かポムだけは影響無いようだが。


「いいなぁお前! なんでだよ、なんで俺の所には来てくれないんだよレディオン様! というか、ポムてめぇええええええ!!」

「ジュールさんはワイン蔵担当じゃないですか。坊ちゃん、お酒飲めないんですから接点ないですよ。今は麦畑創るのに夢中ですし」

「そこをなんとかして来てくれてもいいだろぉおおお!? だいたい、なんで抱っこしてるんだよ! 抱っこだぞ!? 俺達を嫉妬で殺したいのか!?」

「あの小さな体でよちよち歩かせるわけにもいかないでしょ? 足短いから遅いですし」

「足遅いって言うなよ! それが可愛いんじゃないか!!」


 萌えを解っていないポムの言葉に、その場にいた全員が合唱して抗議する。

 後継者にメロメロな自分達が不可侵なのに、全く無頓着なポムが触りたい放題なのはなんとも言えないものがあった。腹立たしいが、逆に優越感に浸ることの無いポムだからこそ我慢できているという一面もある。

 ノーランが「ごほん」と空気をかえるためにあえて咳払いをした。


「ポムの特権待遇はともかく。本日もレディオン様がつつがなくお過ごしになっているようで何よりです。ポムは出来る限り階下の不満を無くすため、それとなくレディオン様を皆の動いているルートにお連れして機会を設けてあげるように。お姿を拝見するだけでも皆の励みになるのだから」

「……我慢せずに声をかければよろしいのでは?」

「使用人心得をなんだと思っているのですか。主の許可なく発言することは本来許されていないのですよ。――まぁ、当家は代々そのあたりの制限が緩くされておりますが」

「はぁ」


 分かっていない返答に、イラッとくるも仕方ないと諦める。

 苛立つのは、自分の望む回答では無いからだ。逆に言えば、自分の望む回答を寄越すべきというこちらの傲慢さでもある。それを自覚しているから、押さえこむ。


「あまり我々の感情の動きをあの方に見せるのは、良くないという判断でもあるのですよ。我々は正直、魅了されている状態にあります」


 ポムを除く全員が深く頷いた。


「その状態で、秩序を手放せばおそらく醜い争いになるでしょう。嫉妬、見下し、傲慢、冒涜、陰口、排除……そういった面を見せてしまう可能性が高い。それはとても危険なことです。我々階下は、一丸となってこの家を支えなければなりません」


 今度はポムもしっかりと頷いた。

 満足してノーランは続ける。


「例外は、例外。それ以外は皆等しく。完全な平等というのは無理ですが、出来る限りお互いに我慢しあいましょう。でも、ご褒美はあると嬉しい。我々の仕事の配分も、ルートも、ポム、あなたには全て渡してあります。一目見るだけでも癒されますので、是非、協力を」


 是非、の部分に力を入れるノーランに、ポムがあるかなしかの笑みを浮かべて頷く。

 その様子に、エンゾはホッとしていた。

 エンゾは、農地と税収を担当している。ポムの言が確かならば、これからしばらくレディオンとの接点が増えることだろう。そのことは嬉しい。だが、同時に仲間達からの嫉妬が怖いのも確かだった。


 エンゾは、自分達がある意味狂信に近いレベルで魅了されていることを自覚していた。

 強い個体が自然ともつ魅力カリスマのせいだ。

 レディオンが黒と言えば白でも黒と言いだしそうな己に恐ろしさも感じるが、そう自覚しているだけマシだろうとも思っている。

 強力な魅了ではある。

 だが、強制的な服従では無い。

 あくまで、自主なのだ。

 抵抗レジストする気が無いのは、次から次にと新しい魅力を見せてくれる小さな未来の主人が、どんな時でも一生懸命だからだった。あの小さな体で、時間を無駄にするまいと動き回っているのを見ていると、ついついなんでもしたくなる。

 可能な限りこちら側からの不干渉をうちたてるのは、自分達の暴走を抑える防波堤の意味もあった。


 そういう意味では、ポムだけが自由にレディオンに接せれるのは至極当然でもあるだろう。

 ポムは、自分達と違いレディオンに心酔しているわけではない。言動はふざけているとしか思えないが、仕事はきっちりやるし、盲信することもない。

 だから、諦められる。

 ただ一つ心配になるのは、ポムは言動に反して真面目だが、純粋では無いということだった。

 正直、執事の中で一番邪悪じゃないだろうか、とエンゾは思っている。

 なぜなら、時々、こちらを試すかのように爆弾を投下してくれるのだ。



「坊ちゃんも、皆が積極的に話しかけてくれないから寂しそうだったんですけどね」


 

 エンゾはそっと目を逸らす。

 一瞬目の色を変えた執事や家令達を見たポムが、こっそり楽しげな笑みを零すのを見て。

(……アロガン様、なんでこいつをスカウトして来たんだろうか……)

 これからしばらく、レディオンと会えるという至福の時が続くのと同時に、悪魔ポムとも接点が増えてしまう我が身をどう思えばいいのか。

 一度アロガンにポムを見つけた時の状況を聞きたいと思いながら、エンゾは人知れず深いため息をつくのだった。


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