31 “神殺し”
――全てを狂わされたとして 何故 それを甘んじて受け入れられようか。
●
【大地よ踊れ】
オズワルドの静かな声と共に、砲弾のように飛び込んで来ようとした災厄の種達が、突然の大地震に足をとられて動きを止めた。対象の周辺一帯のみを揺らす精霊魔法だ。
すでに耐性を得ていようと、ダメージを負わないというだけで態勢を崩さないわけでは無い。転倒し、もがく蛙を見据え、サリの唇が力ある言葉を紡ぐ。
【万有縛檻】
次の瞬間、重く硬い音が幾重にも響いた。瞬き一回分の時間より早く、災厄の種達が、頑強な黒い鉄格子の檻に一体一体閉じ込められた。魔力を物質化させた檻は硬く、重い。あれだけの硬さであれば、しばらくは災厄の種を閉じ込められるだろう。
「レイノルド!」
俺は鋭く名を呼ぶ。レイノルドが弾かれるようにして準備していた魔法を解き放った。
【淡流波】
【大気流昇】
レイノルドの放った上昇気流を母様の術がさらに増幅させる。檻の中の災厄の種が浮き上がるほどの力。けれど、傷を与えるような魔法にはなっていない。大気すら汚染していた魔素濃度が一気に下がった。巨体から吹き出している魔素が、出る先から上空へと奪われていく。
俺は出来る限り精密に組んだ術式を展開させた。
対象――全ての災厄の種。
効果――運命から逃れ得る年まで。
魔力の回線が通った瞬間、おぞましい何かがそれを逆送して向かってくるのを感じた。その力を押し返す勢いで力を放つ。
【時は、待たない】
ガチリ、と。音をたてそうな強さで魔力の杭が全てを捕らえる。
蛙の巨体が大きく震えた。そのまま身震いし続ける。すぐ傍でそれに触れているような感覚。夥しい量の魔力が吸い上げられるのは、対象の多さと行使される魔法の異端さ故か。
(だが――術が通るということは、『可能』だということだ)
行使すら不可能な魔法は弾かれて消える。導き出される答えは、行おうとしている魔法は実行可能だということ。――その結果がどうなるのかは、不明だが。
【生まれしものは、遍く我らの手中に在りて、等しく其の道を歩みたる】
どよめきがあがったが、誰の声なのか分からない。
右手を差し出す。淡い魔法陣を宿す腕を中心に、光る文言で出来た帯が幾条も溢れた。行使される魔法の大きさに比例して、風のように魔力が吹き荒れ始める。
【告げよ、十二の栄冠。然れど逆巻きし川を上る者よ】
帯は円。
無限の宝冠。
刻まれるのは時の針。
進みを止め、逆しまに動き出すもの。
【告げよ、三柱の神威。時に刻まれし運命の全てよ】
告げる。紡ぐ。重ねる。解き解す。
生まれ、与えられ、育み、与え、一歩一歩歩むが如く、重ねられてきた時の全て。
かわし、かわされ、積み重ねられていったありとあらゆる出来事の、その全て。
生まれ持ってそこに生き、歩む過程で紡ぎ続けたもの。
それら遍く全てを――
【歪まれし運命はここに破棄された。我は時と空間を司る者の名において命じる。――在るべき者は在るべき時に】
光が弾けた。帯を形成していた文字が世界を書き換えていく。
見ている先で、蛙の巨体が縮み始めた。みるみるうちに普通の大蛙のサイズになり、人間の大人のサイズになり――気流の強さに負けて檻の天井に張り付きながら、更に小さく縮んでいく。
ゴトン、と大きな音が響いた。檻が地面に落ちたのだ。見れば、レイノルドが棒立ちになっている。継続魔法行使は、集中が解かれれば消滅する。中の者達が檻の天井に張り付いたままなのは母様の術の効果だろう。
俺は檻の中の状態を観察し――肩の力を抜く。
――魔力は、もはや無い。枯渇には至っていないが、寸前だろう。さすがに人数が多すぎた。
「母様……少しずつ降ろしてやってくれ。……もう魔素は発生しない」
災厄の種は消えた。半永続的に魔素を生み出すものはもういない。
風の弱まりを受け、檻の天井から床へ、ふわりと小さな何かが降りていった。大人の腕の中にすっぽりと収まってしまう大きさだ。
サリが小さく手を振って檻を消す。レイノルドが駆け出すのが分かった。その後を倒けつ転びつ家人達が続く。
賑やかな声が聞こえた。赤ん坊の泣き声だ。……その数、二十八人。
「……成程、赤ん坊」
「運命の定まる前に戻したのか」
察したオズワルドが感心したように頷き、サリが小さく呟く。
ふらつきそうになる体に力を入れ、俺はじっと赤ん坊に戻った二十八人を見つめた。
(……呪いは、発生していない)
魔力も、生命力も、極端に何かがおかしくなっている様子は見受けられない。身体の異常らしきものも、今見える範囲では見当たら無さそうだ。――成功したと、思っていいのだろう。手応えは、ある。
「坊ちゃん」
一瞬、ぐらつきかけた体をいつのまにか傍に来ていたポムが支えた。相変わらず、そこにいてもいないような気配の薄さだ。
「……ポム。母様と一緒に、あの赤ん坊を――」
「この状態の坊ちゃんを置いて、ですか? 勘弁してください。お断りですよ」
バッサリ切り捨てるポムは、少し怒っているように見えた。俺は足に力を入れて立つ。
「放っておくわけにもいくまい。俺は……父様といる」
「その旦那様も本調子じゃないから、私が傍にいるんですが。……分かっているんですか? 因果律の調整なんていう、常識外れをやらかしたんですから、反動が大きいのは当然でしょう」
「……」
後半を誰にも聞こえないだろう小声で告げた相手を、俺は見る。
変異した生き物を、『変異前に戻す』ことは難しい。別の生命になってしまった、という事象を書き換えることが出来ないからだ。
すでに、世界においてその存在は、そのような運命を辿った――その事実を消すことは通常、出来ない。
だが、本来あるべき姿を、その運命を、歪められたものであるならば――たった一つだけ、命を奪う以外の道を示せる魔法があった。それが、辿る運命が定まる前――生命が生まれ出た、その『最初』に戻すこと。
―因果律調整―
生まれ直し、と呼ぶべき魔法。――それまでの魔生と引き換えに。
――カツテト オナジデハ ナイケレド
(……?)
今、何か。
忘れてはいけないものを――そう、忘れてはいけなかったものを――思い出したような……――
「……レディオン」
ポムに向かい、口を開く前に名を呼ばれた。父を支えた母が俺の傍まで歩いてくる。
「私の魔力を分けます。……もう、敵はいないと判断してもよいのかしら?」
「……いや」
僅かに眩む頭に眉を顰めつつ、父を支えていない方の手を俺に差し出す母様に俺は首を横に振った。
「まだ、警戒を緩めないで。……ただ、あの状態になった彼等を放っておくわけにもいかない。……母様、ポムと一緒に彼等を回収してくれませんか?」
「そんな状態のあなたを置いて、動けると思っているのですか」
「ほら、坊ちゃん。奥様もこう仰ってますよ!」
「父様といるから……というか、ポム。おまえは後で話があるぞ」
「あらあら」
鬼の首でもとったかのようなポムにジト目を向ける俺を、微笑いながら母様が支える。
父母がいて、ポムがいる。その安心感に一気に意識が消失しそうになる。魔力の回復は始まっているのに、立っていられないほどの疲労感は何だろうか。
(真性魔法の時のような枯渇とは違うが――なんだ? これは)
「もう結界を解いてもいいだろう。ベッカー家の家人に関しては、こちらの手勢で保護しておこう。アロガン、ご子息のことについては、後で話がある」
やけに遠く感じるサリの声を聞いて、そういえば結界を張ってもらっていたままだったなと頭の片隅で思う。
「……ポム」
「わかってますよ、坊ちゃん。彼女が何をしてきても、守り切ってみせます。……ちゃんと援軍だって呼んでありますからね。今なら沢山赤ん坊がいるから、完璧ですよ」
「?」
どういう意味だろうか?
訝しむ俺の前で、ポムがパチンと指を鳴らした。それを合図に広大な周囲を覆っていた黒い結界が溶けるようにして消えていく。
途端に閉ざされていた向こう側の喧騒が聞こえて来た。声高なのは魔王の姿を探す連中か。一旦逃げた面々も、魔王を残してはおれずに舞い戻ってきたらしい。
「陛下だ! ご無事だぞ!」
「あの化け物共は……!?」
「ご無事ですか!?」
「アロガン様! ご子息様達は……!?」
どうやら向こう側には異変は無かったようだ。結界で魔素を留めておいたかいはあったみたいだな。
わらわらと現魔王側を中心に外にいた者達が駆け寄ってくる。やたらと足が早いのはうちの家人一同だ。最近、変異種料理を摂取しまくっていたせいか、基礎体力がだいぶあがっているように見えるな。
「ご子息様は……うぉおおおおおお!?」
視線を向けると、ちょうど目の合った家人が握り拳で雄叫びした。
……何があったのか。
「大きくなっておられる……! やっと見れたぞ!」
「俺は二回目だ!!」
「きゃああああああああ――――ッ!」
「ありがたや……ありがたや……」
……まて。何故、立ち止まる。というか、平伏するな。何故、拝む!?
「……父様」
「なにかな!?」
……おかしい。父様の反応はある意味いつも通りなのに。
! まさか……!?
「……俺は……ちゃんと……服を着て、いる……よね?」
「? 着ていますよ? 立派なのを。私が領主就任の時に着たやつだな!」
そうか! 着ているか!! 魔道具はちゃんと仕事しているか! 俺は裸族にならずにちゃんと魔族のままか!
……なら、何故、拝まれるのだ……
ひとり不可解さに苛まれている俺を余所に、呑気な母様と父様が俺を挟んで鼻息荒い。なんだろうか、その自慢げな顔は。こんなドヤ顔の両親を見るのは初めてだ。
「あ~……私が結界ちょろまかしたせいで、外から中身見えなかったんですね。せっかくの坊ちゃんの晴れ舞台だったのに、勿体ない事しましたねぇ……どうしましょ?」
「……いらんだろ。知る者が増えるほうが面倒だ」
「はぁ、まぁ……そうなんですけどね」
結界がポムの手に渡ってから、結界そのものが黒く塗りつぶされて見えなくなっていた。そのせいで、俺がやったほとんどのことは大多数の者には見えなかったのだろう。そのことに気づいた父様と母様はちょっと残念そうだが、俺としては隠されていたほうが有難い。なにしろ、禁呪のオンパレードだったからな。
……今の俺の姿も禁呪の一つだが。
「そういえば」
母様の逆側から俺を支えていた父様が、呆れ混じりのしみじみとした視線をポムにやった。
「よくよく考えたら、あれだけの結界を受け取って維持できるあたり、おまえ、相当魔力も魔術技能も高いわけだな?」
「旦那様、今更ですか!? 私ちゃんと売り込みしましたよ!? それなりに優秀だと自負しておりますと!」
「それで力量を売り込んだと言われても困るんだが……」
「お給料あげてくださってもいいんですよ!?」
「いや、そこは据え置きだ」
「え゛~」
このふたりの雇用関係も、微妙に謎だな。
なんとなく力が抜けるような気を覚えつつ、苦笑して足に力を込めた。支えてくれる両親に礼を言って離れる。
「レディオン。あまり無茶は……」
「そうだぞ。あとは私や母様に任せて、休んでいてもいいんだぞ」
どこまでも心配げな二人の様子に、何故ともなく笑みが零れた。失わずにすんだのだと思うと、涙が出そうだ。
「そうはいかない。まだ残っている」
――ウンメイハ カエラレタ
変えた先から次々と打たれたものを、変え返した。あとは『詰め』だ。
――ヤツラハ 気マグレダガ シツコイカラ
流れを最後まで抑えきらない限り、次々にまた駒を投入してくる。だから、まだ終わっていない。それさえ切り抜ければ――
「ポム」
俺の静かな声に、ポムは頷いた。
「ええ。旦那様、奥様。坊ちゃんの傍を動かないでくださいよ。――魔王陛下! そちらはお任せします! 赤ちゃんはか弱いんで、守ってあげてくださいね!」
「――忙しないな」
「全同胞に告ぐ! 総員、敵襲に備えよ!!」
すでに察知しているらしいサリの隣で、オズワルドが大音声を発する。一瞬で全員が身構えたあたり、流石の貫禄だ。跪いたり拝んでいた我が家の面々も瞬時に剣を抜き放って身構えた。
「来るぞ!」
空を見上げて俺が告げる。
戦いの直後には隙が出来る。弛緩した空気に落とす毒は、引き締めが遅ければ遅い程致死率を上げる。
――ならば今回の手は、ことごとく不発に終わったと言えるだろう。
おそらく、『彼女』は見くびっていたのだ。
現魔王達の実力も。俺の力も。――なにより、我々魔族という種族がどういうものなのかを。
「――ッ!」
咆哮が轟いた。複数の影が頭上に落ちる。遥か上空にいたものが、俺達の真上へとやって来たのだ。
「魔素が影響しているな」
「上空に景気よく放出しましたからねぇ」
「地上の魔素を散らそうと思ったら、空しか方法がありませんからな。罠を仕掛けるにはうってつけかと」
「姑息な知恵ばかりが回るようだな。しかし、まぁ――ドラゴンとはな」
父様、ポム、オズワルド、サリが頭上を見上げてそれぞれの感想を零す。どこか失笑混じりに。
気持ちは分かる。
俺は薄く嗤った。
視線の先には変異を果たした七頭のドラゴン。遥か頭上から落下するかのように降りてくる体が、近づくにつれてどんどん大きくなっていく。いや、もともと大きいのだ。一頭ですら、先の大蛙の二十倍近いだろう。
けれど――
「馬鹿にしているな」
声に、薄い笑み。
空を指す。
強大な魔力が世界を軋ませる。
分かっているのだろうか。
空には、同胞の姿は無い。
遠慮する理由が、何一つ無い。
そんな状況で、この場に集った面々がどのような反撃をするのか。
どれ程の反撃が出来てしまうのか。
「たかだか変異した程度のドラゴン如きで、どうにかなるとでも思ったのか?」
光が天地を繋いだ。一瞬遅れて響く轟音を切り裂くように、オズワルドの生み出した巨大な闇の鎌が虚空を切り裂く。
「ギャ……――ッ!」
一撃。父様の雷撃を避けて横から飛来しようとしたドラゴンが両断され、絶叫すらも切り裂かれて地面へと落ちる。
「地表には同胞がいる。気をつけろ」
静かに告げるサリが、両手の間に生み出していた小さな闇の光を自らの手で潰した。
直後、凄まじい闇の波動が天地を駆け抜けた。衝撃に吹き飛ばされた三頭が声すら発する間もなく塵と化して消滅する。
「坊ちゃん、あと、一頭しかいませんけど、素材、どうしましょ?」
「お前も大概、余裕だな……今回は罠かもしれないから、確保は考えなくていい」
「了解しました」
ポムがにこっと笑って指を鳴らしたのを最後に、ドラゴンの羽ばたきが止まった。力を失って落下する先には誰もいない。即死魔法系が得意というだけのことはある。そうして、笑顔のまま俺の体を突き飛ばした。
「結局、最後はこうなりますか」
手に刃。
「そうなるな」
父様に抱き留められる形で俺が呟いた。
●
光が幾つもの軌跡を描いた。金属の高い音が連続して響く。
「ポム!」
「わかってますよ!」
俺の声に半円を描くようにして振り返り、ポムが叫んだ。
「旦那様は周囲を! アストラル・サイドからです!」
俺に向かって放たれた光刃をポムの刃が弾いた。速い。見えない位置から放たれる斬撃を悉く防いでいる。
<ちィ……!>
「アストラル・サイドから出て来てはいかがですかね。いい加減、こそこそしすぎですよ」
<何故、邪魔をする!>
「だって、雇われてますから。旦那様に雇われている以上、坊ちゃんの身を守るのは当然でしょう」
響く肉声ではない<声>に、ポムはけろっとした顔で答える。
<ならば――!>
ふいに殺気が別の場所で弾けた。ポムが腕を振るい、光刃を弾く。だが、死角になった側には手を出せない。
【圧撃】
母様の術が、ポムの死角から父様に向かって放たれた光刃ごと何者かを地面に叩きつけた。
殺気が緩む。
その瞬間を狙ったかのように、視界の片隅で何かが光った。
父が動く。俺の前に。
刃が見えた。その煌めきが父の体に触れ――
キンッ
――硬い音を響かせて、弾かれた。
……明日から筋肉痛コースだな。
<ばかな…… !?>
動揺の呟き。その直後の驚愕を俺は至近距離で感じた。
目と鼻の先。例え次元を隔ててはいても。
「『無敵化』を目にするのは……初めてか?」
声よりも早く、俺の腕が相手の体を貫いた。
<が……があ! ぁああああああッ!!>
空間に亀裂が走った。おそらくそのように見えるだけで、実際の現象としては別の何かだろう。だが、そうしてそこから引き出されてきた『女』の姿に、ベッカー家の家人達がいる方角から驚愕の叫びがあがった。
「ノルン!?」
「馬鹿な……! だが、あの姿は……!」
俺の腕に胸を貫かれたまま、『女』は苦悶に身を捩った。白い光を帯びた体が、僅かに欠けるように端から崩れていく。
それは異形の女だった。――人型種の常識に照らし合わせれば。
上半身は八本の腕を持つ女。
下半身は蛇。
翼のように蜘蛛の脚の如く長い腕を生やし、それぞれに鋭利な短刀をもっている。アストラル・サイドから引き摺り出されたことで、半物質化した刃だろう。先程から攻撃してきたのもコレだ。
<なぜ……どうやって……ッ!?>
「アストラル・サイドにこちら側から攻撃できたか、か? やり方を知っているから、としか言えんのだが」
引き攣った表情に驚愕とも恐怖ともつかないものを浮かべる女に、俺は冷ややかに答える。
アストラル・サイド。
それは、言うなれば薄皮一枚向こう側の世界だ。
時と空間の狭間にあり、決して他とは交わらない場所。精神世界と物質世界。特殊な転移門を通らない限り、物質世界の生き物が行き来することの出来ない場所。
「だが、そもそもの成り立ちを思えば、不思議ではあるまい。忘れたのか? 我々魔族がどういう生き物なのかを」
貫いた腕をそのままに、俺は女を見下ろす。刃を持っていた腕がボロボロと崩れていくのが見えた。【核】を貫いたのだ。もってあと数分といったところだろう。
「我々魔族は、肉の皮を被ったそちら側の生き物だ。もっと詳しく言うならば、物質世界で生きる為に、敢えて肉の皮を被り制限を設けて脈々と血を継いできた生き物だ。――忘れたのか、そんなことも。もともと、俺達魔族とお前達の違いは、肉の殻を被っているかいないか、それだけの違いしか無かったのに」
なぁ、と呼びかけた。
今で無い時、ここでは無い時空間で、誰よりも憎んだ者達に。
「神族よ」
女の顔に恐怖という名の亀裂が入った。俺はそれを見下ろす。
喜悦があった。愉悦があった。
ああ。
嗚呼。
どれほどこの瞬間を望んだろうか。
どれほど願っただろう。神族を殺す瞬間を。
どれほど祈っただろう。神族を滅ぼす力を。
ここに一柱。――最初の一柱。
魔族に罠をしかけ、滅びをもたす為の布石を置こうとしていた一柱を。
やっと 殺せるのだ
「おまえが、最初か。それともお前よりも先に誰かいたのか。――そんなことは、まぁ、いい。まずは、そう――俺にとっては、お前が『最初』だ」
力を体に満たす。
神族を滅ぼす方法は一つ。その耐久を上回る相手の属性とは別の高位魔法を叩き込むこと。その力を一点に集中し、体に纏わせれば、こうして貫くことも可能だ。
この女の――ノルンと名乗る女の属性を俺は知らない。だから、全属性の力を高めて貫いた。そのうちのどれかが弱点だったのだろう。女の腕はもはや崩れ、一本しか残っていない。
そして、本体が精神体であるが故に、虚をつかれた神族は弱い。
「滅ぶがいい、我ら魔族を滅ぼさんとするのならば、自らが滅ぼされることも覚悟していただろう?」
<ひ……ッ!?>
体が崩れた。蛇の尾のような下半身が消える。光の粒子に変っていく。
<いやだ! 嫌だ……!! こんなはずじゃ……>
腹が崩れ、肩が崩れ、頭が崩れはじめる。僅かに原型をとどめる腕が俺の頭を掴もうとし――
<おまえを殺せば! 私が時空……――>
消えた。
跡形もなく。
まるでそこに存在したのも嘘だったかのように呆気なく。
俺は冷めた眼差しでそれを見届ける。これが、アストラル・サイドの生き物の『死』だ。
腕を軽く振るう。不思議なことに、あの虚脱感が消えていた。逆に僅かながら『満たされた』感覚がする。熾火のように魂の奥底で燻り続ける復讐を、ようやく一つ果たせられたせいだろうか。
ふと気づけば、周囲が静まり返っていた。
ただ視線だけが俺へと向けられている。
そんな中で、
「『ノルン』……時空系神族の一柱ですか。殺した相手の能力を奪うのって、そういえば神族の十八番でしたねぇ。ははぁ……それで坊ちゃん狙ってたんですか~」
ポムの妙に気が抜ける呑気な声が響いた。
勢い視線を向けた俺達に、ギョッとした顔になる。
「え。なんです? 私何かしましたっけ? あ、坊ちゃん! 拾い喰いとか駄目ですよ! ペッしなさい、ペッ!」
「してない。そしてこの姿の時に子ども扱いやめろ。――口の中を覗こうとするんじゃない!」
「だって坊ちゃん、魔法でおっきくなってますけど実際には赤ちゃんじゃないですか! 誤飲とかされたら私が怒られるんですよ! ほら、エチケット袋あげますから、景気よくここに拾い喰いしたものペッしてください!」
「し! て! な! い!!」
どう見ても俺が作った連結済み『無限袋』を構えるポムに、俺は全力で怒鳴った。いったいこいつは、俺に何を、そして何処に吐き出させようとしているのか!
「……それで、気配は消えたが――これで終わったとみていいわけか?」
無限袋を挟んでポムと押しあいをしている俺に、静かな眼差しのサリが声をかける。何故かしばらく観察されていたような気がするが、多分関わっていたのが神族だったからだろう。よく見ると、オズワルドを背に庇う立ち位置だ。
……別にオズワルドを殺す気は無いんだがな。
「恐らく、終わっただろう。アストラル・サイドを調べてみないと確証は持てないが――」
<それは私が確証の為に『誰もいない』とお伝えできるかと>
俺の声に、肉声ではないがどこか懐かしい<声>が響いた。
「ラ・メール!」
<まぁ! レディオン! また大きくなって! これなら迂回なんかせずにもっと早く来ればよかったわ!!>
なんで水の精霊女王がいるんだ?
……あ! 赤ん坊云々は、そういうことか。
「……ポム。もしかして、父様達が戦ってる時に……」
俺の声に、ポムは連結済みの『無限袋』を手ににこにこ笑う。
「屋台の所に『無限袋』がありましたからね。そこで大地の精霊王に通信を。空間が繋がってるって楽でいいですねぇ」
「……と、いうことは」
<なんというか、儂、一度も召喚されてなくて寂しいんじゃがのぅ>
「テール!」
のそっと地面から生えてきた巨大な文字通り巌の老人に、俺は唖然とした顔になる。
そうして、そっと視線をスライドさせた。
――いた。
無言で。ものすごい不本意そうな表情で。真紅の輝きをもつ巨狼姿の炎の精霊王が。
「……フラム……おまえもか……」
フラムは感情がこそげ落ちたみたいな目で俺を見て、チラッチラッとラ・メールとテールを見てから、もう一度俺を見た。
……ああ。言わんとすることは分かったとも。事情も完璧に把握したとも。
「……連れてこられたのか……」
酷いな炎の精霊王。最近ずっと、二精霊王のお目付け役状態だ。
<もう終わっているようだから……帰ってもいいか?>
その虚しい声に、俺はなんとも言えない気分になる。
手を伸ばして、そのふかふかしている炎の毛並に触れた。
「足労をかけたな。あとでまた、礼をしよう」
<……そうか>
密かに毛触りを楽しんでいたのだが、察したのかスッと体を引かれた。残念だ。
と、思ったらヌッと頭が近づいて頬ずりをされた。
<……ひとまず、無事でなによりだ>
そのままさっさとアストラル・サイドに引っ込んでしまった巨狼に、俺は苦笑を零す。なにげに面倒見がいいのは、やはり俺が赤子だからだろう。なんだかんだ言って、精霊族は赤ん坊には優しいものが多い。筆頭はラ・メールだろうがな。
そのラ・メールはといえば、ベッカー家の赤ちゃん集団をその長い胴体に囲いながら、何故か俺を見てほくほくしていた。
……だから、何故、俺を見るのだろうか……
「……精霊王と誼を結んでいるのか」
「……少し、縁が、あって」
いつの間にか俺の傍に歩いて来ていたサリが、残った二柱の精霊王を交互に見上げながら言う。
まさか土鍋作っていたら出て来たとも言えず、そっと視線を逸らす俺と、それを見つめているサリを見下ろして、テールが愉しげに眼を細めた。
<当代殿と、次代の魔王に同時にお目にかかれる日がくるとはのぅ……長生きはするものじゃ>
「『次代』か」
<素質は、見たのではないかな。当代の魔王よ>
サリは目を細める。口の端が僅かに笑みの形に上がった。
「魔族の営みに、精霊族が僅かなりとも関わるか」
<さて。はて。それもこれも、これからの動き次第>
覇気のある笑みを浮かべ、テールは俺を見た。
<神族は、遊び半分に他の一族を滅ぼす。――過去、千年の間に、どれほどの少数民族が滅ぼされてきたことか。退けられたのは、重畳。結界のせいで大回りした儂等は、何一つ手を貸せなんだが――折角じゃ。大地の穢れを払って行きましょうかの>
「……テール」
<覚えておいてくだされよ、レディオン殿。儂は、大地の精霊王。精霊族以外の者の為に動く気はこれっぽりもありませんが、貴殿の願いが精霊の掟に添う限り、この老いぼれの力は貴殿の為に振るいましょう>
伸ばされた大きな手に、こちらからも手を伸ばす。指一本が、大人に変わっている俺の体よりも大きい――巨大な大地の精霊王。
「次からは、助けがほしい時は声をかけよう」
<そうしていただけると、爺も安心できますな>
<私もですよ!>
「分かっている。ラ・メール」
満足そうに身を反らす巨龍の鱗が日差しに輝く。その様子は、いっそ荘厳で美しい。
風で吹き散らしたとはいえ、高濃度魔素に一度さらされた大地を根本から癒すため、テールがその巨体を大地からゆっくりと持ち上げる。山のような巨漢に、どよめきながら他の魔族達が三々五々散って道を開けた。
「凄まじい仲間をもっているな」
その様子を見ながらサリは言う。少しだけ面白そうに。
『仲間』。
そう呼んでいいのか、少し迷うこともあるけれど。
「そう……だな」
言葉を交わして、互いの心配をするぐらいには距離が近くなって、こうして駆けつけてくれる。
仲間だろう。例え種族は違っても。
――かつて、仲間と思った末に、裏切られた過去をもってはいるが。
不思議なものだと思う。かつての憎しみはこの胸にあるのに。
今生でもまた、こうして。もう一度。
「しかし、神殺しか」
「売られた喧嘩は、買う流儀でな」
「魔族であるならば、当然」
気負うでもなくあっさりそう口にしたサリに、俺は微笑う。
目の前で実際に神族を殺した同族がいるというのに、ある一点以外は全く気にしていない魔王に好感をもった。
だからこそ、告げる。
「俺にとっては、魔族を滅ぼそうとする者全てが敵だ。たまたまそれが神族だったにすぎない。敵対しない者に、刃を向ける気は無い」
「……そうか」
魔王が一度だけオズワルドを見て、俺に視線を戻した。
「アロガンと話をするべきだと思ったが――この様子では、おまえ自身と話をしたほうがいいようだな。……後で時間をとろう。聞くべきことも、告げるべきことも、余りある」
「わかった」
頷きに、サリは軽く手を挙げる。その拳に、俺も小さく拳を作って当てた。
「では、後で」
そうして踵を返す。魔王として今も残っている騒ぎの後始末をする為に。
きっと、本来なら俺の負うべき責であり役目で――彼にとっては、俺の為に果たすべき魔王の役目を。
ふ、と体から力が抜けた気がした。その体が倒れることなく支えられる。
「……ポム」
「終りましたね」
「ああ。今回の分は、な」
そのまま背を預けた俺に、ポムは微笑う。
「お疲れ様でした」
長い『始まり』が、終わった。




