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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 4 愛しき者と宵闇の魔女
32/196

30 始動



 父の声に、俺は手を変異の境界線上に当てた。他者の結界に、自分の左手が沈むような感覚がする。


 ―浸食エゥロジオン開始―


 魔術回路掌握マハトエアグライフング連結成功アムラィア上位書換オゥルトゥスバー魔力浸染マナ・ファブン空間断裂ロゥムライズン


 一瞬で術式を書き換えていく。より強固に。より精密に。瞬く間に切り替わった結界に、父様が僅かに目を瞠っていた。今にも弾けそうだった肉塊が動きを止め、淡い輝きを帯び始める。


 ふと、視界の端に大地へと降り注ぐ強烈な光が映った。苛烈な光雨は、神性魔法によるものだ。俺にとって神族は敵だが、全ての神族が今敵対しているわけでは無い。行使者がサリ・ユストゥスなら尚更だろう。

 その光に照らされたオズワルドが、難しい表情で引き摺ってきた誰かを結界の際に放る。

 それらを意識の片隅に認めながら、口を開いた。


【変革の力よ、この空櫃に満ちよ】


 紡ぐのは力ある言葉。

 編むのは世界の理を少しだけ変える魔法。

 力を一か所に固定。意識を凝らせば、無数にはびころうとする根が知覚できる。一つ一つ、縮めるようにして元の形に戻していく。根を張る前の形へ。最初の形へ。


「……くっ」


 体内にあった魔素の根が腕へと戻っていく感覚に、父様が苦悶の表情を浮かべた。相当深く浸食されているのだ。

(間に合ってくれ)

 境界に当てていない方の手を心臓のあるあたりに当てる。

 心音同調。血脈を探り、僅かな漏れも無い事を確認し――


(……?)


 奇妙な手ごたえを感じた。右手で感じる鼓動は父のものだ。――だが、左手の側にも鼓動がある。自分達よりも早い脈拍の。

(――もしかして)

 あることに思い至り、それを意識の片隅に留める。

 うっすらと汗をかいている父の額に、自分の額をあてた。


【閉ざせ、贖いは示された】


 境界面となる肩に光る線が走る。まるでそこから光が浸食していくように、膨れ上がった肉塊部分を覆っていく。


 ―贖い―


 何を捧げ、何に祈り、何を得て、何を失うか。

 真性魔法【秘蹟ミュステリオン】が術者を対価に世界を書き換える魔法なら、こちらは対価と効果について、任意に対象を指定して行う黒魔法だ。蘇生以外のほぼ全てを可能にする【秘蹟ミュステリオン】と違い、制約が厳しく効果内容も限られてくるが、これもまた、通常の治癒では起こせない奇跡を起こす魔法に他ならない。

 制約の一つである「力を借りる存在」は、ある一定以上の力を持つ魔族。

 その魔族の呼び名を、魔王と言う。


犠牲サクリフィス


 発動と同時、光が粒子状になって砕けた。輝きを最後に撒きながら消滅していく肉塊に、母様が口を押えて必死に声を押し殺す。咄嗟に抱きついたりしないのは、ここが戦場だからだろうか。――そんなに、思いを殺さなくてもいいのに。


 俺は父様の消えた右腕部分に手を翳す。新たな呪詛とも言える【犠牲サクリフィス】の永続効果がそこにあった。捧げられたものを犠牲にして奇跡を成す魔法であるが故に、例え復活魔法をかけても、父の右腕が復活することは無い。だがそのかわりに、父は二度と変異しない。言わば魔素変異に対する完璧な抗体を持ったようなものだから。


「もう、大丈夫だ」


 微笑むと、ややぐったりしていた父様がちょっと笑った。俺は一度だけその額に自分の額を軽くぶつけ、母様に場を譲るようにしてその背を押してやる。堪えきれず泣きながら縋りつくのを微笑ましい気持ちで見て、立ち上がった。


「変異を消せれるのか……」


 茫然とした声に視線を向けると、土埃と擦り傷だらけのレイノルドがいた。周囲には六名ほどになったベッカー家の生き残りもいる。

 いつのまに――いや、そういえばオズワルドが引っ張って来ていたか。俺が父様にかかりきりになっている間に、サリに命じられるか何かで生き残りをこっちに固めたのだろう。

 ……こっそり刺客が紛れてたらどうするのだろうか……いや、オズワルドは俺の事情は知らないか。


 地面にへたりこんでいるレイノルドを見下ろすと、思いの外しっかりとした眼差しとぶつかった。こうして真正面から見やるのは初めてだ。年の頃は魔族の年齢で二十歳前ぐらいだろうか。子供の頃はさぞ利発で正義感の強い子供だったのだろうと思わせる外見だ。所謂「ああ、直情的でおひとよしの向こう見ずだな」といった感じと言えばいいだろうか……

 ――老獪さや小狡さは、どうがんばっても見つけれない。

 なら――


「……此度の仕儀に関して、詳しいことは後で聞く」


 俺は出来るだけ慎重に声を発した。思っていたよりも低い声が出た。


「ただ、先にこれだけは確認させろ。――何を渡され、どう使えと言われた?」


 俺の声にレイノルド達が大きく目を見開いた。


「今回のことは――!」

「お前が『どこまで』関与しているのか如何いかんを問わず、お前達が俺を殺そうとしていることは確かだろう」


 レイノルドの声を遮り、俺は冷たい一瞥を投げた。ルカやクロエのことがある為、そうそう優しくなど出来る筈がない。

 状況と直感から判断するに、レイノルドは変異に関しては関与していないのだろう。だが、俺を殺す為に暗躍していたのは事実であり、暗躍していた家人が変異を自ら起こしたのも事実だ。


「今を除いて過去二度、災厄の種(カラミテ・グレーヌ)は俺達の前に現れた。一度目は我らの村に、二度目は俺の屋敷に。今度で三度目だ。……おまえは今回、その目で見ただろう。おまえの前で、おまえの家人はこれ(・・)を成した」


 恐らく、俺が欲しい情報を知っているのは家人の方だ。だが、家人を問い詰めても答えは得られない。攻めるべき相手は、彼らの主(レイノルド)だ。


「自身を魔素で変異させ、さらに高濃度魔素を吐き出す異常な化け物アノルマル・モンストル災厄の種(カラミテ・グレーヌ)』へと変化する――そんな技術が確立され、実用されることなどあってはならない。だが、お前達はそれを用いて混乱を撒いた。現魔王のいる場で行えば、彼もまた被害にある可能性があるのにも関わらず」

「お待ちください!」


 ――釣れた。

 声をあげた家人の一人に、俺は冷ややかな視線を投げた。目があって、大きく震えた女が怯えながら叫ぶ。


「レイノルド様はご存じないことです!」

「――ならば、お前が何を知っている、と?」


 怯えられていることに少々傷つくが、怯えられるような目つきをしている自覚はある。視線で促すと、女は声を絞り出すようにして告げた。


「ノルンが――仕事仲間が、『お守り』には、もう一つの効果がある、と」

「……『お守り』、か」


 レイノルドが驚いた顔でその女を見ている。そのまま他の家人達を見るが、家人達は辛そうな顔で視線を逸らせた。

 ……主だけ、何も知らされてなかったのか。


「グランシャリオ家の魔法に、私達が耐えるには護符で強化するしか方法が無かった。それで」

「……与えられたのが、『お守り』とやらだったわけか」


 もっとも、与えたのは主では無かったようだが。


「もし、どうしてもレディオン・グランシャリオを斃せない状況になったなら、『お守り』を壊して中の怪物を世に出せ、と、言われました。出した者も無事ではすまないが、上手くいけば殺すことが出来るだろう。それだけの、莫大な力を与えてくれる化け物が出てくるはずだから――と」

「……お前達自身も、自分達が変異させられるとは思ってもみなかったわけか」

「あんなの! ……あんなのが、あの子の言う『化け物』なら……!」


 悲鳴のような返答に、成程と苦笑した。家人達ですら、騙された――いや、上手く利用されたのだ。


「ノルンというのは――」


 言いかけ、その名前に聞き覚えがあることに気付いた。――ルカを浚った実行犯のひとりだ。最後までルカを浚って行こうとしていた――


「――どこにいる?」

「……え?」


 俺の声に、女は狼狽えたように周囲を見た。その様子に目を細める。『居ない』のは最初から分かっていた。あの女の――いや、あの実行犯の気配と魂の波長は覚えている。だからこそ、どこか別地に拘留ないし療養に置かれているのかと思ったのだが――

(違うのか)

 ここに居るはずなのに居ない、という周囲の反応に、ふとした疑念が頭をもたげる。俺の探知すら躱して身を潜めているか、すでに死んでいるか、あるいは変異したか。

(もしくは――)

 ポムに視線を向けると、「心得ていますとも」と言いたげな頷きを返された。

(いずれにしろ、捕らえて吐かせればすむ話だ)

 決断は一瞬。向けた視線の先で、女を見たまま固まっていたレイノルドがゆるゆると俺を見る。


「利用されたようだな、レイノルド」


 次代の魔王と呼び名が高かったのならば、それ相応の教育も受けていただろう。暴走するに至ったが、逆に言えばそうなるほどに家人からの思いも深い。――御誂え向きだったのだ。その立ち位置も、力も――性格も。


「お前が何を吹き込まれ、何を信じたのかは、今聞くことでは無い。ただ、一つだけ言わせてもらおう――渡された物を捨てろ」


 目が一瞬、何かを探るような気配を帯びた。気にせずに言葉を紡ぐ。 


「魔族を変異させ、魔族同士で同士討ちさせる連中が、果たして信用できるのかどうか、考えてみるがいい」


 俺の言葉が脳に沁み込んだのか、レイノルドの顔色が徐々に蒼白になり、そうして激しい怒りの為にかブルブルと震え始めた。表情が獰猛なものになっている。

 レイノルドが懐から出したそれを放り出すと、家人達も次々に投げ出した。小さな球体が地面に転がる。掌に収まる程度の大きさの、小さな宝珠。――あの小さな卵型礫より、一回り大きな。

 魔族の手の中でなら砕けて魔素を爆散させた物も、流石に地面に落ちた程度では何ともならないらしい。

 全て小型の結界で包み、視線でポムに後を託してレイノルドに背を向けた。サリとオズワルドは最前線で次々に飛びかかろうとする蛙の集団を上手く押し返している。数は半数以下に減っているだろうか。一度くらった魔法に対してほぼ完璧な耐性を持つ異形の大群を、背に民を完全に守った状態で捌き、着実に数を減らしてしまうのだから、流石は現役の魔王と言ったところだろうか。

 この手腕――是非、神族との戦いにも欲しい。今度こそは(・・・・・)


「サリ・ユストゥス――現魔王殿。俺の側はほぼ済んだ。取り調べはいるが――先にこちらを片づけよう。手間をかけた」

「……それはオレの台詞だと思うが、な」


 歩み寄り、魔力を高めだした俺に、サリは苦笑する。そうして、何故かしみじみと俺を見た。……上から下まで見られると、変な格好でもしているのかと不安になるのだが。


「……何か」

「いや?」


 サリは苦笑するだけで答えない。ただ、俺の肩を軽く叩いた。


「行こうか」

「……ああ。ベッカー家の騒動はこれで終わりだ」

「ま、待ってくれ!」


 レイノルドが叫んだ。腕を引っ張られて、否応なく相手を見下ろす。


「あいつらを助けてくれ! あんたなら出来るんだろう!?」

「無茶を言う」

「完全に変異化した者を元に戻す術は、現在では存在しませんよ」


 俺が何かを言う前に、七百年にわたり魔族の頂点に立っていた男とその側近が告げた。同時に軽く手を振り、サリが俺達と蛙の間に巨大な壁を作り上げる。体当たりする轟音が響き、岩の壁が大きく揺らいだ。


「持って数分だ」


 呟くようにして告げたサリが、目線で俺に告げる。決断する時間を稼いでくれたのだ。

 彼等もまた、長い時の中で変異に関する文献を探したことがあったのだろう。古き魔法である【犠牲サクリフィス】を知っていたように。

 だが、長い時を生きる魔族ですら、高濃度魔素が何であるかすら知らない。変異に至った者を完全に元に戻す術など、伝承にすら伝わっていないほどだ。


「だが! さっきは――」

「アロガン・グランシャリオは一部が魔素で変異しただけだった。それも途中で時空魔法で押しとどめていたからこそ、生涯に渡る対価を払うことで変異を逃れたにすぎん。……おまえの家人は、その体全てが魔素で変異種に変っている。そのうえ、別の変異種と融合を果たしては……」


 何を対価としても、『元の姿』に戻ることは出来ない。

 そうサリに告げられた時のレイノルドの顔を、俺は見てしまった。


 ――混ぜられて形成された生物は分離出来ない。


 それは全ての基本だ。合成獣を合わさる前の獣に分離し直すことが出来ないように。

 けれど、思う。

 もし、これが父だったなら、と。

 あの時、あのまま父が変異してしまったなら、自分は何もせずに諦めてしまえただろうか、と。

(無理だ)

 ――そんなことは許容できない。

 何か方法を探したはずだ。

 だからこそ、分かる。レイノルドの気持ちが。――ルカの恨みを忘れたわけではないけれど、それでも。

 大切な誰かを助けたいと思う気持ちだけは、無視出来ないのだ。


「……母様。もし、大量の赤ん坊が出来たとして、うちで育てることは可能ですか」


 唐突な俺の言葉に、母様は一瞬きょとんとし、何を勘違いしたのか父様をチラッと見てから頬を染めて「勿論です」と請け負った。


「赤の他人の子供でも?」


 母様がツララのような視線を父様に向けた。家庭崩壊の兆しに父様が慌てる。


「え。待て。たぶん違うぞ。意味が違うぞ」


 俺はそれらを無視し、壁の様子を一瞥してからレイノルドへと視線を投じた。


「レイノルド」

「……ッ」

「……ダメージを与えない風の魔法で魔素を上空へ吹き散らしてくれ。……一度だけ、試してみよう」


 何を、と問いたげな相手の目に、けれど俺は答えない。

 解説している暇はない。おまけに、成功する確率の低い賭けだ。

(『自分以外』に使うのは、初めてだな)

 俺は自分の手を見下ろす。指の長い、大きな手だった。自身の裡から汲めども尽きぬ泉のように魔力が沸いてくるのが分かる。


 【秘蹟ミュステリオン】を使うことが出来れば、話はもっと簡単だろう。一度だけ、誰かひとりだけに施すのであれば、そのひとりは確実に助けることが出来る。そう――伝承にすらない、完全な奇跡の術は確かにあるのだ。例えその後に俺が昏倒しようとも。

 だが、それは出来ない。もしそれで済むのなら、父のときにやっていた。

 厚い土の壁に阻まれた向こう側には、今も二十を超える災厄の種(カラミテ・グレーヌ)がいる。それら全てを一度に、となれば、どうしたところで不可能だ。


(けれど)


 思う。方法は一つだけでは無い、と。

 手が他にもあるのなら、例え確率が低くとも最善をつくすべきだろう、と。

 力及ばず失敗に終わる可能性も高い。そうなれば、自分の責として背負うことになるだろう。けれど、何もせずに後悔するぐらいなら、全てをやってその責を負うほうがいい。生きている限りは。


(成功の可能性は)


 心の中で呟く。背中に誰かの気配。


(――大丈夫)


 誰かにそう言われた気がした。目を瞑る。脳裏に浮かぶ顔はぼやけて分からない。けれど背を押された気がした。大丈夫だと。――独りではないから。

 目を開く。視線の先にレイノルドがいる。その必死な眼差しに。


「救いに行くぞ」

「……!」


 レイノルドの瞳に僅かに光が宿った気がした。俺はその腕をとって引き上げる。


「全ての魔素を残さず上空へと吹き飛ばし続けろ。魔素が僅かでもかかればそれだけで失敗だ。だが、連中が傷つくような威力でもいけない。調整が大事になる。一つたりともミスは許されない。――集中しろ、レイノルド。おまえの家人を助けるためだ」


 背中を叩くと、一度だけふらついたがすぐに顔を上げた。凶暴なぐらい気迫が満ちたいい顔だ。そのレイノルドの背に、ベッカー家の残った家人達が祈るような目を向けていた。

 なんとなく口元に微笑が浮かぶ。そうして、前へと進んだ。巨大な土壁を壊そうとする轟音はますます激しい。


「母様。風のカバーをお願いします」

「分かりました」

「ポムは結界の維持を頼む。上は開けたままでいい」

「これ、開けたままっていうのが逆にしんどいですよね……いえ、やりますけど」

「レディオンちゃん、私は?」

「……父様は安静にしてて。下手に魔素被って倒れられたら大変だから」


 ひとりお留守番状態な父様が指を咥えそうな顔をしていたが、無視だ。この成長した姿でも「ちゃん」付けなのはどうかと思うから、そこは後で話し合おう。


「では、オレは動きを阻害しておこう」

「ダメージを与えないように、でございますぞ」

「……分かっている。おまえ、いちいち細かいぞ」


 こちらが言わずとも察してくれたサリが、神妙な顔のオズワルドに肘鉄入れてる幻影が見えたが、多分きっと気のせいだ。


「ふたりには、もうひとつ――」


 ふたりの隣に立ち、俺がそれを告げ終えるのとほぼ同時、凄まじい破壊音がして巨大な土の壁が砕けた。轟音と共に赤い塊がこちら側へと飛び込んでくる。


(さぁ)


 誰かが俺の中で微笑わらう。もうひとりと一緒に。

 一歩を踏み出す。迎え撃つように。



(運命を変えよう)  



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