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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 4 愛しき者と宵闇の魔女
26/196

24 魔王



 大気が軋む音がした。

 何を言われたのか、真っ白になった頭で考える。


 ルカの右目。


 磨きあげた黒曜石の黒。俺の大好きな色だ。見ているだけで落ち着くような。

 嘘だ、と。頭の片隅でもう一人の俺が絶叫をあげている。

 ルカが目を失うはずがない。そんなことはありえなかった(・・・・・・・)


 だが、冷静な部分がそれを否定する。

 ありえないなんてことこそ、ありえないのだと。


 俺は何を勘違いしていたのだろう。俺が滅ぼされる記憶を持って生まれ、生まれてから今まで阻止する為に動き続けた結果が、これではないのか。

 前世の、記憶にない赤ん坊の時代にどういうやり取りがあったのかはわからない。だが、我が子を盾にされても俺を殺せという脅迫に屈しない行動をとらせたのは、少なくとも、今生において深まった縁に原因があるのは間違いない。


 守る為に生まれた。

 守る為に力を蓄えた。

 傍にいて、日々を共にし、絆を深め――未来を変えようとした。


 その先に、より良いものがあると信じて。


 愚かだ。あまりにも愚かに過ぎる。

 変わる物事は一つでは無い。人も物事も全て繋がっている。世界は閉ざされていない。自分だけの思い通りになんていくはずがない。誰かが、そう、俺が動けば(・・・・・)、世界もその分、変化して(・・・・)動く。誰かにとっての善し悪しを問わずして。

 世界とは、畢竟、運命とは、全てそうであったのに(・・・・・・・・)


「クロエ」


 すまない、と。言うのは後だ。謝って解決する問題でもない。

 気が狂いそうな程の怒りを、思いのままに表に出すのも後だ。何よりも先にしなければならない大事なことが他にある。


 急がないといけないのは何だ。――ルカの奪取と回復だ。

 とるべき手段は何だ。――捜索と敵の撃破だ。


 俺は手をクロエの額にあてる。

 ルカの肉親。この世で最も近い(・・)存在。


借りるぞ(・・・・)。――それと、ポム」


 俺の声に、クロエは訳が分からないままであろうが頷き、ポムは恭しく「は」と答える。


「お前はクロエを絶対に守れ。相手が(・・・)誰であろうとも(・・・・・・・)だ。また、信頼できる者を動かして、話に出ていた互助会の担当窓口の者を捕縛しろ。俺は、これから俺を殺そうと企んだ連中を倒す。おそらく同じ魔族、お前の同僚ないし部下である可能性も高いが――」

「御心のままに」


 ポムは一礼した。否を唱える気配はまるで無かった。

 殺す、とは言わない。それはまだ、確定していない。だが、それも視野にいれている。――それは、ポムも理解しているだろう。それでも、否は言わない。

 理由は簡単だ。魔族であるならば、必ず教えられる不文律がある。


『命を奪おうと行動するならば、命を奪われることも覚悟しなくてはならない』


 連中は、命の遣り取りをする盤上に、自ら上ったのだ。


【血と肉による繋がりを持つ者よ】


 クロエの側に立ったポムを意識の端に認めながら、俺は呪文を唱える。

 クロエに触れている手が熱をもつ。読み取るのは情報。脈々と受け継がれし血の系譜。


【告げよ。汝に近し幼子の居る場所を】


 瞬間、クロエの体がビクリと震えた。見開いた目は焦点が合わない。戦慄く唇が動き、言葉を紡いだ。


「屋敷。馬小屋の裏。別棟との境。地下。奥から二番目」


 同時に光景が流れ込んできた。繋がりが術者おれに譲渡されたのだ。


「ポム! クロエを頼んだぞ!」

「ちょ!? 坊ちゃんは!?」


 即座に窓側へ(・・・)と踵を返した俺に、力なく倒れかけたクロエを抱きとめてポムが叫ぶ。俺は振り返らず、掌を前に突き出した。


【来たれ、深き水底にてかいなに世界を抱く者。全ての源にして母なりし根源の王】


 ひやり、と全身が水に浸されたような奇妙な感覚があった。同時に掌に人肌にも似た温もり。

 繋がりを感じた。

 異なる世界に存在を置きし者。

 薄皮一枚隔てた向こう側の誰かと、手を合わせる感覚。


【古の契約に基づき、我は汝を召喚す。出でよ、水域の支配者、ラ・メール!】


 青が弾けた。

 巨大な何かが身をくねらせ、部屋を砕く轟音と共に現界する。ついでに俺の張っていた結界も砕かれたが、仕方あるまい。クロエの自供を他に聞かせないためのものだから、惜しくも無い。

 目の前に居るのは、それだけの力を持つ存在だった。

 日の光に輝く鱗は海の蒼。

 燐光のような鬣は淡い水面の青。

 重力を無視した動きで蛇に似た長大な身体を滞空させ、深い瞳で見下ろしてくる龍――水の精霊女王。


<助けを請いましたか、レディオン>

「請うた。ラ・メール、俺の乳兄弟が浚われた。命の危機なんだ。手を貸してくれ!」


 俺の言葉に、ラ・メールの目が強烈な光を帯びた。


<赤子を、害する者がいたと……!>


 凄まじい怒気に大気が軋んだ。激怒だ。当然だろう。

 ラ・メールは『母性』の具現だ。水の歴代精霊王の中で唯一『海』の名を持つ。彼女の敵は、稚い者を虐げる全てだ。俺の選択は正しかった。


<乗りなさい! 私の力で、全てを灰燼に帰してさしあげましょう!>


 ……いや全部を灰燼に帰されたら困るよ。


「裁きは俺の仕事だ。手助けを頼む!」

<危険があれば、遠慮はしませんよ!>

「そこは頼む!」


 素早く長い首に駆け上がった俺を乗せて、ラ・メールは部屋の周囲を吹き飛ばしながら外へと飛び出す。……登場と同時に行われた破壊より、外に出る時の破壊部分の方が遥かに大きいのだが、遠慮とか配慮とかしてくれないのだろうか。……無いだろうな。赤ん坊が害されたんだものな。失敗だったかもしれない。

 だが、彼女がいれば、少なくともルカの安全は確保してくれるだろう。ラ・メールよりも、むしろ、俺のほうが、全てを破壊しそうなのだから。

 そう――


 コロサナクテハ


 心が溢れだしそうになるのを、必死に止めているのだ。


 コロサナクテハ


 思い知らせたい全てを壊したい滅ぼしたい泣き叫び命乞いはおろか死を望む程の絶望と苦痛を与えたい。

 やり方は知っている。覚えている。その全てを叩きつけたい。それが正しくないと分かっていても。


 ――全てを灰燼に。


 それは、俺の気持ちだ。


「ラ・メール! あそこ!」


 荒れ狂う感情を切り離し、俺は魔法で得た情報を直接映像でラ・メールに手渡す。精神魔法のリンクが発動すると、ラ・メールは過たずその場所に向かい術を解き放った。

 巨大な半球にも似た水が大地を掬うようにして抉り取った。何の目印も無かったが、問題ない。大地を抉って地下を掘りあげた水が、そのまま生き物のように動いて中の建物部分を外側へ向けて砕く。

 同時、人影が飛び出した。小さな何かを掴んでいる。


 ルカ。


 頭の中に名が浮かんだ瞬間、俺の感情が限界を突破した。

 力を。

 祈りを。

 願いを。

 一つの方向へと集わせる。

 操作は一瞬だった。瞬き一つ分程も無い。姿を見た瞬間には始まり、終わっていた。


「が……っ!?」


 漆黒の槍が一瞬で男の全身を串刺しにした。肩、腕、胴、脚、足先。頭部や心臓等の致命傷だけは外してある。


<レディオン!?>

「ルカを」


 どこか遠く感じるラ・メールの声に、俺は四散しそうになる意識を総動員して言葉を紡いだ。

 怒りがあった。

 憎しみがあった。

 即死しないのが不思議な攻撃を受けて、男の手から力ない小さな身体が落ちる。その血に塗れた小さな体にラ・メールが力を放つ前、飛び出してきた何かがルカを浚って走った。


<貴様!>


 ラ・メールが吼えた。

 凄まじい水柱が地面から噴出し、ルカを奪って逃げようとした者――メイドの姿をした女の行く手を遮る。だが、女は一瞬の躊躇もなくその水柱へと突っ込んだ。


<!!>


 無謀な突進に、けれどラ・メールは慌てて水柱を消した。ルカまでその高威力の水撃範囲に入りかけた為だ。赤子(ルカ)に耐えられるような力では無い。

 向かう先にあるのは、屋敷の隙間ともいえる細い通路だ。

 俺は飛び降りた。


<レディオン!>

「ルカの保護を」

<待ちなさい!>


 待てない。

 待てるはずがない。

 荒れ狂う感情のせいで、魔力までも暴れ狂う。傷つけないように精密な操作をするのはもう不可能だ。だからルカを直接魔力で包むことはできない。それはラ・メールに託すしかない。

 今の俺が出来るのは、制御の手を離れそうな膨大な魔力を纏め、ルカを手放させることだけ。

 落ちるような形で、けれど両足でしっかりと地面に降りる。痛みは無い。身に纏った魔力が伝説級レジェンダリー・の鎧(アルミュール)を凌ぐ防御を付与している。破れるとすれば、それこそ精霊王クラスの攻撃でないと無理だろう。


 顔を上げ、前を見据えた。

 水面を通して見る景色のように、視界が奇妙に歪んでいる。感情に意識が引っ張られているのを感じた。覚えがある。同時に眩暈がした。精神力を総動員して感情の波を抑え込む。

 視界に女。手にルカの体。

 ラ・メールの力がルカを包み込むのが見えた。突如生まれた水色の球体の中、その境界を切断面として女の手がルカを掴んだ形のままぼろりと落ちた。ルカと世界を切り離す為に振るわれたラ・メールの力だ。

 悲鳴があがった。だが、女は諦めない。身を捻り、残った方の手を伸ばそうとする。


 ――愚かだ。

 誰の前で、そんな動きをしていると思っているのか。


 生み出すのは闇の礫。

 硬さは全てを貫く程。

 速度は光を超える程度。


 編み出し、放つ。


 ドパンッ!


 濡れた何かが叩きつけられるような、弾けるような、奇怪な音と共に女の上半身が半分近く吹き飛んだ。魔弾は小指の爪程度の大きさだったが、速度の問題だろう。

 血と臓器が壁と壁を赤く染め上げ、雨のように地面に降り注ぐ。だが、強靭な肉体と生命力を持つ魔族はこの程度で死にはしない。激痛に絶叫をあげる女を見て、行動力は奪ったと判断する。上級回復術を行使しても回復には時間がかかるだろう。それだけの呪いを込めたのだから。


「ルカ!」


 ラ・メールの守護珠に守られている個体へと、俺は足を進めた。短い手足が呪わしい。だが、細い通路に巨体のラ・メールは入れない。走るしかない。――いや、ラ・メールに水球を動かしてもらえば距離は縮まるか。

 気づき、声をあげようとした俺の背後で叫び声が響いた。


「ノルン!」


 声は男だった。見たことがない顔だ。

 強張った顔は血の気が無い。何か袋を持っている。

 ――何か。

 それを見た瞬間、怖気が走った。理由は不明だ。強いて言えば直感か。


 男は血塗れで倒れている女と俺を交互に見、引き攣った顔に決意を閃かせて袋を放る。

 同時に二つのことが起きた。


 俺の放った魔弾が男の右肩を弾き飛ばし、

 吹き飛びながら男が逆側の手に握っていたらしいものを砕く。


 そこに握っていたのが何であったのか、正確なところは後日になっても解明は出来なかった。

 だが、結果として三つ目のことが起きた。


<魔素!?>


 突如発生した高濃度魔素の颶風にラ・メールが驚きの声をあげる。即座に俺の方にもルカと同じ結界を張り、ルカの結界を強化した手腕は流石だったろう。それ自体が凶器とも言える高濃度魔素を直に被った男の体が膨張するようにして膨れ上がった。肉が皮を裂き盛り上がりさらに割けて無限に増殖するようにして巨大化していく。悪夢のような光景に、俺は目を瞠った。


 ――魔族が変異する。


 説はあった。実在することも。だが、その変異体を見たことも、変異の一部始終を見たことも無い。

 しかもそれだけでは無い。男が放った袋のあった側から、膨れ上がるようにして巨大な蛙が姿を現した。その姿を見て、俺の中で何かがカチリと音をたててハマった。


 ――猛毒大蛙ポワゾンモルテル・フロッグ


<レディオン! 気を付けて!>


 ラ・メールが警告を放つ。その声と重なるようにしてこの場に相応しくない素っ頓狂な声が響いた。


「ぼっちゃぁあああん!? なんッですかコレぇ!」


 ポムだ。明らかにポムだ。あまりの情けない声に沸点超えた怒りまで鎮火しそうだ。ポムの傍には父とクロエの姿もある。クロエはまだ無事だ。


(待っていろ)


 三者を認めた途端、視界がクリアになるのを感じた。世界との間に感じていた薄皮一枚分の距離感が消える。鈍かった音が近くなった。――ああ、感情に振り回されている場合では無い。そうだ。いかにこの幼い体が感情の起伏が激しいとはいえ、こんな状況下でそれにつられるなど元魔王の名が恥じるというものだろう。

 なにしろ、状況はますます切羽詰ったものになっているのだから。


 巨大な肉塊と化していた変異魔族の体が赤色化(・・・)した。

 膨れ上がった体が歪な姿をとる。

 それは巨大な蛙に似た異形。かつて見た個体に似て、けれど奇妙な歪さと悍ましさを付け加えたもの。

 だが、恐らくそれを見た者は、そうしてその特徴と個体情報を知識として持つ者は、こう呼ぶだろう。




 異常な化け物アノルマル・モンストル――『災厄の種(カラミテ・グレーヌ)』と。






 魔族と変異種ヴァリアントの融合。

 ただの変異種化では無く、異種融合の変異。それについては禁忌の法にて実例があると聞いている。

 魔族は身体・魔力ともに強大な生命体だ。その変異種であるだけで凄まじい力を持つ。前世の大戦後期には、その手段を用いて対抗しようとする勢力も生まれかけていた。だから、そういった技術が実際に手段として存在することは知っていた。

 だが、俺はそれを許可しなかった。変異は呪いだ。戦いに勝つためとはいえ、同族をそんな存在に貶めるのだけは嫌だった。


 その技術の結果が、こうして目の前に現れる。

 

 驚きをもって見開いた俺の目に、巨大な真紅の大蛙が映った。吹き出す高濃度魔素は、以前に見たものよりも遥かに濃い。魔族の体を取り込んでいるためか、それとも、そういう術式だった為か。


(『両方』)


 俺の固有才能タレントの一つ、【神眼ディヴァィナ】がそう見切る。

 固有才能タレントとは、個人が所有する能力の一つだ。その中でも、特に『先天的なもの』を指す。

 後から授かる能力は固有能力アビリティと呼ばれ、自身が鍛錬を積んだ職業や研鑽を積んだ技能などで発生するものが多かった。一度習得した固有能力アビリティはどれだけ年数が経とうと素地として身に持ち続けることが可能だが、取得した能力を使うことなく怠けていると発揮し辛くなる。

 【神眼ディヴァィナ】は察知系ないし直感系と呼ばれる固有才能タレントの一つだ。

 物々しい呼び方だが、平たく言うと『見たり触れたりしたものの内容が、なんとなくこういうものだと見抜ける』という力でしかない。見抜けるものと見抜けないものがあり、特に自分の知らないものに対しては著しく見抜きが低下するという欠点も存在した。


「ラ・メール! ルカを治癒してクロエの元へ!」


 災厄の種(カラミテ・グレーヌ)がギョロリとした目を開くのを見て、俺は叫んだ。完璧に目があった。素となった男の意思が反映しているのかどうかは分からない。

 ラ・メールが何かを言いかける気配を感じながら、俺は首にかけていたものを掴んだ。

 銀の鎖に繋いだ赤い石。一度だけだ、と言われて手渡されたもの。


【赤き輝きの王、全てを清めし炎の主よ、我が呼び声に応えよ!】


 石を砕く。呪を乗せた言葉は魔力の契約。絆を補強するもの。

 ――俺の魔力を喰らって、界渡りを強化させるもの。

 名を呼ぶまでもなく凄まじい業火と共にその巨体が具現化した。赤き炎の巨狼――炎の精霊王フラムだ。


<なんだ、これは>


 巨狼は出現と同時に炎の渦を生み出す。熱と共に発生する気流が、地表で滞りかけた高濃度魔素を竜巻のように空へと散らした。だが、そんなものが一時凌ぎにすぎないことをフラムも分かっている。なぜなら、目の前にかの災いの元が座っているのだから。


「フラム! 周囲の猛毒大蛙ポワゾンモルテル・フロッグだけを滅ぼせ! 周囲の者と屋敷は出来る限り傷つけずに!」

<……面倒だが、応えよう>

「ラ・メール! 周囲一帯の守護を頼む!」

<……。了解ですわ!>


 二大精霊王の魔法が赤と蒼に世界を塗り替える。その中で、ポムが小さく呟く声が何故か耳に飛び込んできた。


災厄の種(カラミテ・グレーヌ)は?」


 相変わらず、気味悪いぐらいに気づくのが早い。

 ギョッとした気配はフラムから。


<種族魔法は使うな!>


 どこか切羽詰った声。思わず苦笑しそうになる。意外と心配性だ。

 だが、こちらも失敗を元に学んでいる。同じ過ちを犯すなど、魔王の沽券に係わる。

 フラムが力を振るおうとするのが分かったが、それよりも俺の方が早い。

 フラムからすれば、変異種を殺しながらAMを相手にするのも、さして難しいことでは無いのだろう。


 けれど、アレは――あの化け物は、あんな姿でも、魔族のなれの果てだ。


 ならば――引導を渡すのならば、俺でなくてはならない。ただの個人的な拘りだとしても、こればかりは譲れない。

 俺は、魔王なのだ。

 今はまだ位を継いでいずとも、それでも――全ての魔族の象徴たる力と肉体を持って生まれた者なのだ。


「借りるぞ、父様!」


 振るう。真なる死をあたえる魔法を。

 ビクンッと大きく体を震わせ、災厄の種(カラミテ・グレーヌ)の巨体が揺らいだ。

 だが――


<馬鹿な!>

「何故、倒れない!?」


 フラムと父様の声が響いた。

 【真死ヴェリタブル・モール】は確かに発動した。俺ではなく父様の力を借り受けたおかげか、俺へのダメージも無い。力の発動は一定以上の領域にいる者には把握出来ただろう。一体に焦点を絞った魔法は確かに発動し、災厄の種(カラミテ・グレーヌ)の心臓は確かに止まった。

 だが、災厄の種(カラミテ・グレーヌ)は動いている。


「何が……」

<!>


 目の前の光景に一瞬愕然とした俺の前に、紅蓮の塊が立ち塞がった。衝撃音が響く。


「フラム!」

<下がれ! この個体、何かがおかしい!>


 わずか一瞬の隙をついて放たれた災厄の種(カラミテ・グレーヌ)の攻撃を、巨狼フラムの巨体が防いだ。身を捻るようにしてフラムが強靭な前足で巨蛙を吹き飛ばす。受けた攻撃に痛痒を感じて無さそうだが、激しい警戒を込めて巨蛙を睨み据えていた。彼の知識をもってしても、こんな個体は初めてなのだろう。

 俺は魔力を編みながらその背に飛び乗った。


<レディオン!>

「災いは、俺が摘み取る!」


 分かっている。この幼い体で動くのが拙いということは。

 理解している。例えどのような形であれ、幼い自分を誰もが案じていることも。

 乗った背からさらに飛び降りる。

 フラムのものとは違う、毒々しい真紅の巨蛙が身を起こすのを見た。刻まれた深い爪痕が見る間に癒えていく。

 超回復――魔族のものをさらに強化したような。


(こんな力は、やはり、あってはならない)


 かつて拒否したことは、間違ってなかった。こんな力は、禁忌だ。世界の理から著しく外れている。

 フラムがその口で俺の服の裾を挟み、後ろに放ろうとする。その動きを僅かな足捌きで避けた。


<!?>


 踏み出す。走る。

 この体では上手く動けない。

 思い出せ。思い出せ。

 こんな時用の魔法があったはずだ。

 覚えた当時は何の役に立つのかと思っていた魔法だ。古い遺跡の中にあったものだ。

 思い出せ。時を操る魔法の一つを。

 俺が身の内に抱え込んだ力を。

 そのことばを。

 呪を。


時渡エクセリクシ


 呪文と同時、地を踏む足の力が増した。

 グン、と視線の位置が高くなる。銀色の髪が一瞬視界の端で閃いた。纏っていた部屋着が別のものに変わる。何故か。――存在そのものが(・・・・・・・)その瞬間の(・・・・・)時代のものに(・・・・・・)変わるからだ(・・・・・・)


 力を編む。

 赤ん坊の時とは比べものにならないほどスムーズに魔力が動いた。


 手を振り上げる。


 ――覚えている。父の動きを。その魔力を。魔術回路を。術式を。


 振り下ろす。


 ――この身に宿る力を込めて。


 凄まじい光が天地を繋ぎ、一瞬後に轟音が鳴り響いた。

 魔族の魔法が一つ、かつて学べず、今生にてその全てを見たもの。



 雷の章 第七座【とどろき



 第一座から第十七座まである血統魔法の一つ。素早さと熱量に優れた天からの一撃。


「……ばかな」


 父の声に、俺は振り返る。

 視線の高さは、まだ合わない。能力的な理由で、そこまでは渡らなかった(・・・・・・)

 動きにあわせて、マントが翻る。懐かしさを覚える装備――かつて持っていたもの。十歳の誕生日用にと、父が作ってくれたもの。――そうして、受け取る前に喪ったために、遺品となったもの。


<時空魔法……>


 ラ・メールが小さく呟く。

 俺は鬱陶しく眼前を塞ぐ銀の髪を後ろに払う。後ろは気にしなかった。一点に集中させ貫通させた雷撃に、異形の中の異形とも言える魔族融合型災厄の種(カラミテ・グレーヌ)は完全に絶命している。一部が完璧に炭化してしまっているが、超回復させない為の措置だから仕方ない。


「ルカを」


 俺の声に、ラ・メールが息を詰まらせた。ふよふよとルカを守っている水球が俺の方へ漂ってくる。


「?」


 ラ・メールの反応に訝しさを覚えながら、球体を受け止めるべく俺は両手を伸ばす。すらりと伸びたそれは、まだ若いものの赤ん坊のものとはまるで違う。

 魔族年齢にして十歳。――俺が魔王の座を得た年齢。時渡エクセリクシの魔法で一時的にとることのできる、未来の俺の姿だ。

 茫然とした顔で俺を見る周囲の反応は、おそらくこの姿のせいだろう。そう予測することは出来たが、俺の念頭にあるのは最早倒した異形のことでも周囲の反応でも無かった。

 ルカだ。

 高位の回復魔法を使えるラ・メールの手であれば、失った肉体の復活も可能なはずだ。赤ん坊の俺では使えないものでも、水の精霊女王であるラ・メールなら使える。


「ル――」


 俺は受け止めた水珠を抱きしめ――愕然とした。


「な……」


 ラ・メールは水珠の結界を解かなかった。俺が受け止めたのに、俺の手に直接触れさせはしなかった。

 それどころか、水珠の中の赤ん坊は未だ酷い状態のままだった。


「ラ・メール!」

<駄目です、レディオン>

「何が!?」


 俺の声に、ラ・メールはその巨体で力無く項垂れる。


<致命傷と病魔は、同時に回復させれません>


 声に、俺は確かに一瞬、時が止まるのを感じた。

 それはクロエにルカの惨状を聞いた時に似て――それ以上の重さを俺に与えていた。


 致命傷――それは、高位回復術ならば治せることもある(・・・・・)

 病魔――それは、高位浄化術ならば、治せることもある(・・・・・)


 時と場合により施しても治癒させれないそれらは、それでも一つずつなら適切な魔法を使うことで九割の確率で治癒できる。

 だが、二つを同時にということは出来ない。

 致命傷を癒す高位回復術は、病魔を著しく活性化させる。

 病魔を駆逐する高位浄化術は、深い傷を著しく悪化させる。

 奇跡と呼ばれる秘術系魔法でない限り、同時に癒すことは出来ないのだ。

 そしてその秘術とは、今は最早伝承と化した真なる魔女の力を借りて行われるものだ。


「ぁ……あ……」


 声が聞こえていたクロエが崩れ落ちる。

 俺はルカを見下ろした。

 ラ・メールの魔法が世界から断絶させ、その体の時を止めているのが分かった。仮死状態に近いだろう。――その体は、あまりにも酷かった。


 怒りと憎しみがまた溢れそうになる。ギリギリ命を残してあるふたりを、捕らえているひとりを、そして捕らえるように指示してある役員を、思うさま八つ裂きにしてやりたい。一時的な爽快感は得られるだろう。獰猛な気持ちのまま、全てをぶつけてやりたい気持ちは確かにこの胸にある。それこそ、先とはレベルの違う残虐さで。

 けれど――そんなことをしても、ルカは元に戻らない。

 この傷は癒えない。助けられない。


 だから――俺は、今この瞬間に使える全てを、助ける為だけに使わなくてはならないのだ。


「……ラ・メール」

<……なに……?>


 クロエの慟哭が聞こえる。

 迷い、一度俺をとり、けれど息子の酷い姿を思って脅迫に負け、そうまでして助けようとした我が子の至る未来(さき)を悟った母親の。


「この結界を解け」

<駄目よ。……病魔は、健常者ですら蝕むわ>

俺には効かない(・・・・・・・)


 胸が痛い。あんな悲痛な声をあげさせない為に動いていたのに。

 俺は失敗ばかりだ。何一つ上手く事を運べない。

 ――前世(むかし)も、今も、何も変わっていやしない。

 それでも――


「ルカを癒す」


 守りたいものが、俺にはある。

 これだけは譲れない、というものが、この胸にある。

 その方法が、今の自分にとって危険であろうとも。


 息を吸う。

 魔力を編む。

 息を吐く。

 大気に溶かす。


 十歳の体。赤ん坊のそれとはまるで違う肉体。魔力の通りも、魔力親和度も、行使力も、質も明かに違う。

 時空魔法は恐ろしく魔力を喰う。【時渡エクセリクシ】は一種の禁呪だ。あまりにも膨大な魔力を必要とする為に、使える者すら長くいなかった。

 おそらく、赤ん坊の体から一足飛びに渡れば、俺ですら数分と維持できず魔力を枯渇させるだろう。

 だが、十歳の体がもつ魔力親和度と行使力をもって魔法を使えば、無駄に消費される力は削減できる。

 

 息を吸う。

 全身に魔力を浸す。

 息を吐く。

 世界に働きかける。


 魔法とは世界の法則を書き換える力だ。力を借りる対象が高位になれば高位になるほど、その力は強まる。万物の創生すらも可能になる程の力――無限の可能性をもつもの。

 俺の様子を食い入るように見ていたラ・メールが、苦渋をにじませながら水珠の結界を解く。最終的に信頼することにしたのだろう。無残な赤子を助ける為に。


 俺は愛する者の体を抱き留める。小さな体に、惨い傷――無理やり罹患させたであろう、病魔の影。


時渡エクセリクシ


 力を己に放つ。体が一回り大きくなるのを感じた。――まだ足りない。

 体内で凶悪な程の魔力が荒れ狂うのが分かった。――まだ足りない。

 衣服が変わる。年代を経て変化するもの――その時代に身に纏うことになる装備。

 無限にも思えた魔力が恐ろしい勢いで減っていくのを感じた。体中から力が抜けようとしているような感覚。だが、まだ足りない。

 窪んだルカの右手に添える手がまるで丸みのないものに変わった。長い指。広い掌。指輪がある。懐かしい。――ああ、自分はまた、それを身に着けるのだ。


 指が瞼の下にあるべきものが無いことを伝えてくる。

 呪文を唱えず、ただ魔力を編む。

 讃えるべきは偉大なる世界の主。けれどその名すらも口にしてはならない高位生命体。

 差し出すべきは己が身そのもの。

 無から有を生み出すのではなく、血肉を分け与えて創る魔法。

 時渡りの魔法以上の魔力が吸い上げられる。力を借りる者のあまりの高位さに。

 意識が消えそうになる。魔力が枯渇しかかっているのを感じた。

 名も呼べず、存在すら世界に示せず、ただ力ある言葉だけを告げる。



秘蹟ミュステリオン



 真性魔法――真なる魔女【宵闇】の秘術が発動した。




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