23 un choix vital
※この話以降、残酷な表現が入るようになります。苦手な方はページを閉じられますことをお奨めいたします。
※物語のテンポを重視する為、固有才能等の用語解説は今回本文内に入れておりません。次話『24 魔王』に含ませていただく予定です。
一度目を瞑って、もう一度開いた。
毒が入っていた。
間違いなく、毒が入っていた。夢でも幻でも無いらしい。……なん……だと……
どんな理由でこうなったのか。――自慢じゃないが、サッパリ分からなかった。
クロエとは生まれた時からのつきあいだ。俺にとっては今生の人生全ての月日と言っていい。年月にすると約九ヶ月。……あれ……年月にすると少なく感じる……い、いや、絆は年月じゃない。濃さだ。
クロエからすれば、俺は生まれた直後は怨嗟の固まりで、自分も子供を産んだばかりの母親なのに我が子を見れないレベルで面倒をみさせられた相手であり、大食漢なせいで息子のための母乳すら与えてやらなくてはならなくなり、その息子まで四六時中奪われた相手だ。……どう考えても良い所がないな……俺はクロエの邪魔でしかない……あ、涙が。
頑張って良いところを見つけよう。そう――給金が良い。あと、俺がルカを確保したことで堂々と我が子の面倒もみられるようになったこととか。うん。大丈夫だ。ちょっとぐらいは良いことがある。親戚の問題も、完璧では無いがなんとかしたのだ。「しょうがねぇな、我慢してやろうじゃないか」ぐらいには思ってもらえるはずだ。多分、きっと。……お願いそうであってくれ……
しかし、現実は毒である。
明らかに「殺してやんぜ」という毒である。
どう見ても猛毒にしか見えない。俺の固有才能【神眼】がそう囁いている。あえて目の前の紅茶に説明文をつけるなら、こうだ。
《徐々に魔力が回復する美味しいお茶。上級解毒魔法でも解除できない猛毒が入っている》
やだー! どんだけ強い毒用意したのこのひと! 殺す気満々じゃないか!! うあーん!!
酷い。あんまりだ。俺が何をした。……いっぱいした気がするけど、どれか分からない。
やはり、最愛の息子であるルカを愛しすぎたのがいけなかったのだろうか。クロエにすれば、息子の魔生に多大な害を与えると考えたのかもしれない。なにせ、ルカと俺はラブラブだ。母様はルカに三百六十五日分の総レースのパンツを贈ったほどだ。あれは俺の指示では無いのだが、俺の嫁計画を企まれてそうな気配はしている。冤罪だ。俺はルカを嫁にする気は無い。前世の俺はルカの嫁さんとも仲良かったのだ。まだ生まれてもいないはずだが、将来は料理の腕を競い合う友達になる予定なのだ。しかも今生は「さしすせそ」も覚えたから勝てるはずだ! 頼むから早まるな! すでに毒を提供されているけども!!
それに、俺はクロエが大好きだ。ご飯をもらった恩もある。ひもじい時に与えられた飯の恩を俺は忘れない。たっぷりもらったのだ。心なしかクロエの胸が小さくなった気がするほどに。
……俺はもう少し控えめにご飯をとるべきだ……
クロエへの恩はご飯だけでは無い。生まれた直後にも面倒をみてもらった。俺にとっては第二の母だ。母同様に愛していると言っても過言では無い。しかも愛するルカの母親だ。「お母さん」と呼ぶ準備は出来ている。いつでも大丈夫だ。ドンと来い。
……いやまて、ルカを愛しすぎたことが原因なら、逆に悪手だ。しかしルカもクロエも俺にとっては愛する家族なのだ。諦めてくれ。俺にはふたりを幸せにする権利がある。嫌だって言っても権利は主張するんだからね! ああ! だから毒を盛られるのか!?
おお! ルカよ。おまえは何故ルカなのだ……
……俺の魔生が九ヶ月未満で真っ黒だ……
俺はのろのろと顔を上げた。視界がややぼやけているが、大丈夫だ。俺は泣いてない。
クロエは俺を見ていた。ばっちり目があった。何故か両手が妙な形で上がっている。
俺を突き飛ばす気だろうか。なんという追い打ちだろうか。クロエの物理と精神への攻撃が留まるところを知らない。
給仕の為にすぐ近くにいたクロエの顔は蒼白だった。青いを通り越して白い。ルカと同じ綺麗な黒い目が苦悩と絶望と涙に濡れている。クロエのほうが今にも死にそうな顔だ。
――あれ、これ、明らかに苦しんでないか?
俺よりクロエの方が危険な状態になってないか?
「……」
俺は落ち着いた。落ち着かざるをえなかった。
毒を入れたのはクロエだ。それは間違いない。他に誰も給仕していなかったのだし、態度を見ても明白だ。
だが、クロエは望んでない。
俺を殺すことも、こうして毒入り紅茶を出すことも望んでない。
何故だ。――自分以外の誰かの指示で動いているのか。
『いつから』だ。――クロエの様子がおかしくなったのはいつだったか。
最近のはずだ。少なくともこの三週間内。
いや、クロエが俺に怯え始めたのはここ数日だ。一週間にも満たない。
その間に、何があった?
クロエの生活上で、クロエが俺を殺さないといけないのは、何がどうなった時だ……?
ルカだ。
ルカ以外に、クロエを動かす原動力は無い。
それとも、クロエの両親だろうか。――だが、少なくともクロエの両親のことなら、母様達の耳にも入っているはずだ。最近は俺達の貿易に組み込んだ為に、うちの家人達が向こうを訪問することも多い。何かあれば報告が来るだろう。それに、クロエの両親ならば大人だ。いざという時は自分で対応もするし、クロエも自分ひとりで抱えずに母様に相談するだろう。それだけの絆はあるはずだ。
けれど、ルカはどうだ。
ルカは赤ん坊だ。俺と違って、前世の記憶があるわけでもない。多少なりとも成長は早いが、自衛すら出来ない赤子なのだ。
もし、ルカに何かあれば――クロエは逆らえない。
だって、あんなに小さくて、弱くて、守ってやらなければ、すぐ死んでしまう生き物なのだ。俺とは違うのだ。
「クロエ」
俺の唇から言葉が零れた。無意識だった。
だが、どうする。
どう声をかける。何があったか、と、今この場で聞いていいものか。クロエの様子は尋常では無い。切羽詰っているのが分かる。同時に、俺はこの家の跡取りだ。毒をもっただけで死罪だろう。現に、前世のクロエは殺された。クロエを殺す父様は、夕刻には帰る。
時間は無い。
だが、このことを他に広めるようなことになっても、困る。
――あ!
「母様に」
気づいた。気づいたぞ。そういうことか。
俺はクロエの目をしっかり見直して言った。
「母様に言って、お砂糖、持って来て」
クロエが大きく目を瞠った。
震えながら見つめてくる目に、俺は頷いた。大丈夫だ。俺はお前とルカを助けるとも。
俺は屋敷のことはまだあまり知らない。中にどれだけいて、誰が何処にいるのかを知らない。
だが、母様なら知っている。そして、母様なら、クロエを助けてくれるはずだ。ついでに上手く事情を聴きだしてくれるだろう。母様とクロエは仲のいい乳姉妹なのだから。
毒入り紅茶をチョイと体から離した俺に、クロエは明らかにホッとした。だがその目には苦渋の色がある。二つの感情がせめぎ合っているのが見て取れた。
一つは、俺を殺すことだろう。
もう一つは、俺を殺さなければならない『事情』だろう。
クロエは呼吸を思い出すように浅く小さく二度ほど息を吐いて、震える声で「はい」と言った。ほとんど無声音に近かったが、ちゃんと聞こえた。もっとも、足が震えているらしく上手く動けないみたいだが。
すると、扉の前にいたメイドが口を開いた。
「私が代わりに取って参ります」
「お前は動くな」
咄嗟に口から声が出た。赤ん坊のわりには異様に低い声だった。
え? という顔でメイドが俺を振り返る。なかなか可愛らしい娘だった。クロエより年下だろうが、胸と尻が大きいのでクロエより色気がある。キョトンとした顔は、男の保護欲をくすぐるだろう。俺は全く心が動かないが。
その時、廊下の向こうから賑やかな音が響いてきた。鈴だ。
げ! ポムが来た!!
「あっ……!」
クロエが悲痛な声をあげた。メイドがサッと扉を開ける。俺はテーブルに手をついて、
「ポム! その女を逃がすな!」
声と同時に魔力を展開させた。
廊下に出ようとしたメイドが見えない何かに弾き飛ばされる。悲鳴はあがらない。開けられた扉がゆっくりと閉る音だけがした。そして――
「坊ちゃん。何事ですか」
ポムがメイドを抱えて立っていた。メイドはぐったりとしている。一瞬で意識を刈り取られたのだ。俺でも防げるかどうかといった手腕だった。
……こいつ、実は暗殺術とかも身に着けているんじゃなかろうな……
ポムは周囲をぐるりと見渡して、軽く眉を上げる。
「見事ですねぇ。魔力で部屋一つ閉ざしたんですか。これなら、ここでどんなに暴れても大声をあげても、他には伝わりませんねぇ。精霊王が来てもバレないレベルですよ」
……こいつ、絶対アレコレ気づいてたな……
何やら意味深な台詞に、俺は明後日の方向を見つつ結界をきっちり結んで独立させた。これで、俺が意識飛ばしても結界が消えることは無い。
「あ……ぁ……」
ポムの声に、クロエが大きく息をしながら床に崩れ落ちた。だが気力を振り絞り、這うように俺の傍に来て件のコップを弾き飛ばす。――決して、俺が飲まないように。
ポムはそれを見て、「おや」と小さく呟く。少し険しい顔をしたが、それだけだ。何も言わないし、何もしない。
ただ、クロエと俺を見ている。
「クロエ。母様を呼んだほうがいいのなら、呼ぶ」
俺はへたりこんで肩で息をするクロエに声をかける。ポムが此処にいるのは、ある意味丁度いい。こいつは執事だ。父様の信用も厚い。その知識は、家のことであっても母様を凌ぐ。
「だが、急ぐのなら、話せ。――何があった」
俺の声に、クロエは大きく息を飲み――俺を見て顔をくしゃくしゃにした。
そうして、俺に、何が起きたのかを語ってくれた。
●
クロエは寡婦だ。
クロエの夫は、人族の大陸に出る船に乗り――行方知れずとなった。
出た船は大破したことが分かっている。死体はあがらなかったが、大渦と大型海洋変異種の襲撃を受けては、生きていられないだろうと判断された。
魔族では、死亡が濃厚な状態から七年が経過すると、その者の籍を一旦『死亡』として処理する。本人が帰還して訴えれば書き換えられるが、それまでは死亡者とするわけだ。
これは、残された家族への配慮もあった。
行方不明のままでは補助が下りないが、死亡が確定すれば残された家族には遺族手当として一定額の補助が下りる。子供がいれば子育ての為の補助金等、様々な措置がとられるのだ。
クロエもその補助を受けていた。七年どころか一年も経っていないが、事情が事情である為に『生存は著しく困難である』と認められたからだ。
だが五日前、その担当窓口の者がやって来て、旦那の死亡認定と相続に関して手続きがあるから来てほしいと言われたのだそうだ。
ルカはメイド達の館に置いて来た。時間が無い為その事情は割愛されたが、ルカにとってもクロエにとっても不本意なものだったらしい。
兎も角クロエはルカを置いて外に出、手続きをして帰ってきた。
すると、ルカが何処にもいなかった。
代わりに、メイドがひとり部屋で待っていた。
「息子を返して欲しければ、手を貸せと、言われました」
震える声でクロエはそう告げた。
彼女の最初の発言は一言だった。「ルカを助けてください」――それだけしか言わなかった。毒を盛った自分の身のことは何も言わなかった。
突然の脅迫に、クロエは抗おうとした。だが無駄だった。
ルカが何処にいるか分からない。
そんな状態で母親に何が出来るだろうか。メイドはルカの髪を持っていた。まだぱやぱやの、貴重な髪だ。騒いだり他に知らせれば、別の部位を切り落とすと言われれば相談も出来なかった。
それでもクロエは必死に自分で出来ることを探した。それとなくルカの気配を探った。だが、クロエの能力はそれほど高くない。必死になったとしても、それで劇的に能力が向上するわけが無い。
孤独に、他を頼れず、けれど隠れて死にもの狂いにルカを探すクロエに突き付けられた要望は、一つ。
レディオン・グランシャリオを殺すこと。
クロエは断った。それだけは出来ない、と。
愛する息子と天秤にかけても、俺を殺すことを拒否したのだ。
その反応に、メイドは一度あっさりと退いた。試しに言ってみただけだと言わんばかりに。
だが、違った。
土産を手に戻り、クロエにもう一度迫ったのだ。俺を殺せと。
それが昨日の事。
クロエは拒否できなかった。
メイドの土産は、ルカの右目だった。




