21 ― La main sanglante ―
夜の闇を走っていた。
空には薄ら笑いのような細い月。
広がる雲が星を隠し、地上には常よりも闇が深い。
間に合ってくれと、祈るように願っていた。
走りづめの体が軋む。どれだけ走っただろう。喉が焼けるように痛い。
こうなった理由は枚挙に暇がない。
嘘の情報を掴まされた。
盟約を結んでいた精霊族が裏切った。
かの国に残したままの我が民は、
古くから仕えていた家人達は、
どうなったのか、ようと知れない。
待ち伏せしていた混合軍は全て倒した。
とって返す道での追手も同様に。
正面からの戦で負ける気はなかった。事実、俺とルカだけでほとんどの者は討ちとれる。
だが、裏切り者の国に残してきた民は違う。
彼等は、俺達とは違うんだ。
駆けこんだ転移遺跡は静まり返っていた。
まさか俺達が生き残るとは思わなかったのか、警備の数は少ない。それでも千はいただろうか。数える余裕もなく殺してまわった。ただ一直線に、転移門へのルート上の全てを。
何故、気づかなかったのだろう。
こちらを恐れる相手が、ここで罠を仕掛けなかった理由に。
頭に血がのぼりすぎたのか、あまりにも殺しすぎて血に酔っていたのか。
考えればわかる簡単なことに思いつけなかった。
先に飛ぶ、と。
ルカが俺を止めた時も「何故だ」と苛立った。
――トテモ カンタンナ コトダッタノニ――
待ち伏せの可能性。
罠の可能性。
そんなものは力で払えると思っていた。
俺はただ、愚かだった。
「あなたは、我々の王だ」
真っ直ぐなルカの目を覚えている。
研ぎ澄まされた刃のような、傍によることを躊躇う程の。
「何があろうと、あなただけは倒れてはいけない」
例え荒野の果てに独り佇むことになっても、
例え他の魔族が全て滅んでも。
魔族の血は濃い。
俺さえ生き残っていれば、必ず魔族は蘇る。
だから、
「あなたは、常に、私達の屍の上に立て」
―― ダメダ ――
俺の前でルカが踵を返す。
―― ダメダ ――
俺は見送った。
―― トメロ ――
転移門は一度使えば冷却期間が必要になる。この転移門であれば数分。たったそれだけの時間だ。何もなければ戻って来る。だからそれまでは――安全が確認されるまでは――飛ばないでくれと――ダメダだめだ駄目だとめろ止めろ行っては駄目だ行かせては駄目だ分かってるもう分かってるそこにあるのは罠だ誰も助からない助けられない人質がつきつけられて抗ったルカが集落中の精霊達にとめろやめろ俺が行く俺が行けばせめてせめて
ルカ
「あなただけは」
いやだ
血の赤を覚えている。
大地を染め抜いたその黒と赤を。
最後に見た眼差しも。
「私達の屍の上に」
●
「――――――ッ!」
悲鳴で目が覚めた。魔力が荒れ狂うのがわかった。
力が、怒りが、願いが、悲しみが、渦を巻いて世界を薙ぎ払う。
零れていったものがまざまざと蘇ってきた。
特別親しかったかと言われれば躊躇する間柄だった。
あまり話をしたことはなかった。衝突したこともあった。強く、冷静で、いっそ冷酷なほど理性的な男だった。あまり口を開かなかった。他愛のない会話なんてどれぐらいしただろう。
それでも、俺は好きだった。
信頼できた。安心できた。何があろうとも魔族を裏切ることのない男だった。例え俺への感情に憎しみめいたものがあろうとも。
世界が裏切り魔族全体が辛酸を舐めようと、掌を返すことなく最後まで傍にいた。最期まで。あんな、最期を迎えるほどに。
――何故。
繰り返し思った言葉が渦を巻く。
――どうして。
誰も答えを返さなかった問い。
誰も答えを見いだせなかった切望。
――何の為に 殺されていくのか
(嗚呼)
世界が滅びろと叫んでも
俺達は生きる為に生きるしかない
例え生の果てにあるのが死だとしても
生まれたならば生きなければならない
例え 世界に 呪われても
「レディオン!」
声が聞こえた。
父だ。
ああ、父だ。
そこにいる。呼び捨てとは、初めてだな。
ふとそんなふうに思って、俺は微笑った。
意識が遠のく。
誰かが名前を呼ぶ。
――悪夢の去る足音が聞こえた気がした。




