56 密談はひそやかに
◎
教会の前にその馬車が停まったのは、ロードリングの二人がダンジョンを出た翌日のことだった。
華美を極めた馬車の扉が開き、中から背の高い男が出てくる。
赤茶色の髪の、恰幅のいい男だった。貴族というよりは富豪らしいゆったりとした高級な服を身に纏い、磨き上げた靴を履いている。
待ち構えていた神官が恭しく挨拶するのを鷹揚な態度で受け、男は王者のような足取りで神殿に足を踏み入れた。
人に傅かれることに慣れ、それを当然とする者独特の空気が男にはあった。顔立ちだけなら男前と言ってもよい風貌をしているのだが、全身から漂う傲慢な気配がその容貌にも表れている。常に他者を見下したような目つき、嘲笑をはりつけたような口元。ユノス国において絶大な権力を握るドグラス侯爵は、そんな風貌の男だった。
「どうぞこちらへ」
神殿の奥、壮麗な意匠を施された扉前に案内されたドグラス侯爵の前、扉前で待機していた女神官達が扉を開け、恭しく頭を下げる。そのなかの一人を上から下まで眺めて、ドグラス侯爵は口元に歪んだ笑みを浮かべた。
「おい、おまえ」
「はい」
「帰りの馬車に乗れ。大神官には俺から言っておいてやる」
「え、あの……」
「返事は『はい』だけだ」
「……は、はい……」
意味に気づき、青ざめながら頷く女神官を見下ろして、ドグラス侯爵は舌なめずりした。ドグラス侯爵には妻子もいるが、火遊びや若い男女を嬲るのは家族公認だ。家族は家族で好きなようにやっているので、互いに咎めることもない。今日はどういう趣向で弄ぼうかとにやけながら、部屋の中に入った。
「御足労をおかけして申し訳ありません、ドグラス侯爵様」
待っていた男女が丁寧に頭を下げる。それをチラリと眺めて、ドグラス侯爵は鷹揚に頷いてみせた。
「なに。俺とお前達の仲だ。そう畏まる必要は無い」
冒険者にしておくにはもったいないほど顔かたちの整っている二人組は、ずいぶん前から可愛がっている『ロードリング』というパーティだった。久しぶりにこいつらも交えて遊ぼうかと考えたところで、部屋の中にいたもう一人の人物が声をあげる。
「ようこそおいでくださいました。歓迎いたしますぞ、ドグラス侯爵様」
高位の神官であることを示す装いは横幅が広く、着ている本人の豊満な体をゆったりと包んでいる。服の意匠はシンプルなものだが、生地はかなり良いものを使っているのが見て取れた。その指には大きな宝石のついた指輪がいくつも嵌っている。
「……ヴラソヴィチ大神官か。此度のことでは教会も湧き立ったのではないか?」
「はは。久しく現れなかった『勇者』ですからな。私も本国へ連絡するのに手が震えてしまいましたよ」
「ほぅ? もう本国へ連絡したのか。まだ確認はとれていないのだろう?」
ドグラス侯爵の声に、ヴラソヴィチは笑みを深くした。
「大怪我を癒す治癒魔法、高位魔獣すら屠る攻撃魔法、まだ一才ほどにしか見えないのに大人達の会話を理解する能力――それらは勇者の特徴に酷似しています。まず、間違いないかと」
「ふむ?」
「勇者は人類の宝です。――手を打つのが遅くなったばかりに親元で隠されては困りますからな」
嘯くヴラソヴィチの薄っぺらい笑みに同様の笑みを返して、ドグラス侯爵はすすめられる前にソファに傲然と座った。対面側に座るヴラソヴィチに皮肉気な視線を向ける。
「それで? その一才ほどの『勇者』はまだ確保できていないのか?」
「昨日の今日ですからな。居場所は昨日のうちにつきとめています。……これが面倒なことに、冒険者ギルド内なんですよ」
「なに?」
「冒険者ギルドに有事の際の休憩室があるのはご存じですか? どうやらそこに保護されているようです。フュルヒテゴット老がギルド長に相談したのかもしれません。赤ん坊を保護したのはフュルヒテゴット老でしたので」
「あの偏屈な老いぼれか。まだ生きていたとはな」
「かなり高齢ですが、まだまだ健在のようですな。かの老爺の作った剣はどれも国宝級ですから、出来れば教会にも一振りいただきたいものです」
「フン。あの偏屈ジジイが打ってくれるわけ無いだろうが。支払えないような法外な条件を出して断ってくるだけだ」
「侯爵様はそのようにして断られたのですか?」
「こちらから願い下げだ! あんな死にぞこない!」
吐き捨てる侯爵にそれ以上を追求せず、ヴラソヴィチは膝の上で両手を組んだ。わざとらしいほどあからさまに話題を変える。
「ギルドのことですが……運の悪いことに、厄介なギルド長が昨日ギルドに帰ってきています。せっかくアハヴォ王国まで出張していたのに。そのせいで昨日のうちに身柄を確保するのを諦めざるをえませんでした」
「アハヴォ王国……ああ、議題は『職にあぶれた傭兵共への対処について』だったか? 都合のいい駒だけ保護してあとは見殺しにすればいいものを。我が国も酔狂な事だ! ――武器の関連が売れにくくなるから、こっちも痛手だというのにな」
「なに、どうせ停戦なんて長く続きませんよ。今回『商業国家連合』が調停に乗り出したせいで止まりましたが、各国の戦争の火種は燻ったままです。しばらくは大人しくしているでしょうが、水面下の活動はむしろ活発化するでしょうし、そうしたら武器防具の類も――ね?」
「ふん。そうなると良いがな」
薄く笑うヴラソヴィチに皮肉気な笑みを返して、侯爵は背もたれに背を預ける。片足を足の上に乗せた姿は傲慢の極みだったが、誰もそれを咎めなかった。ヴラソヴィチはにこやかに笑って言葉を紡ぐ。
「それよりも、問題は『勇者』の身柄に関してですよ。たった一日で厄介なことになっています」
「ふん?」
「こちらが『勇者』の身柄を引き渡すようギルドに言いにいけば、まず確実にギルド長が出張ってくるでしょう。人望のあるフュルヒテゴット老がいるのも拙いですね。嘘か本当か、今この時期に『英雄テール』もユスカギルドに滞在しているそうですし」
「はぁ? 『英雄テール』だと? あんなのはおとぎ話だろう」
「いえ、実在の人物です。直近での目撃情報は西の果てだったはずですが、所詮は噂のようですな。西の果てからここまでどれだけ離れているやら……報告をあげた者には厳罰を与えないといけませんね」
「本物だというつもりか? 活動記録が数百年もあるなぞ、すでに化け物ではないか」
「確認した者はいませんが、半神の領域にいるらしい、というのが教会の見解です。そうでなければ説明がつかない活動年数ですからね」
「ハッ――まぁ、この際その真偽はどうでもいい。それで? その英雄とやらも絡んでくると?」
「可能性は高いでしょう。かの御仁は魔物の討伐が専門ですが、被害者救済などの逸話も多くありますからね。親元から引き離される、という話を聞けば口を挟みにくるかもしれません」
「教会のほうでなんとかならないのか? 『英雄』も人類の希望だろうが」
「困ったことに、かの御仁は教会に関わるのを忌避する傾向にあるんですよ。かつて聖者の称号を与えようという話もあったんですが、真っ向から拒否されましたしね」
「嫌われているのではないか? それは」
「どうもそのようですねぇ。理由は知りませんが」
「ハッ! 裏の悪事がバレたんじゃないか? 弱者救済を謳いながら弱者を搾取しているのが貴様らだろう?」
「おやおや、人聞きの悪いことをおっしゃる。私達は常に人類の繁栄のためだけに邁進しているのですよ。そのための方法しかとっておりませんとも」
「どうだかな」
嘲笑を浮かべ、ドグラス侯爵はにやけ顔のままヴラソヴィチに顎をしゃくる。
「貴様らの所が赤子や身元の不確かな幼子を絶えず引き取っているのは何のためだ? 引き取った数のわりに、孤児院の人数は増えて無いそうだがなぁ?」
「引き取りまでの健康状態が悪すぎる子が多いですからね。悲しむべきことです。もっと早く引き取っていればと皆が痛感しているところですよ」
「ハッ! いつまでその言い訳が通用するか、見ものだな!」
「孤児院経営にご興味がおありでしたら、ご案内いたしますよ。――侯爵のお気に召すような子供も、少しは揃っておりますから」
言われて、ドグラス侯爵は笑みの質を変えた。
「ほぅ? ……まぁ、そこまで言うなら見てやらないこともない」
「後でご案内いたしましょう。――それで、『勇者』の件ですが」
やや前のめりに言葉を紡ぐヴラソヴィチに、ドグラス侯爵は「フン」と鼻で嗤ってから告げた。
「俺の後押しが必要なら言うといい。金も、多少なら融通してやろう。――だが、分かっているな? 俺が口添えしたということは、聖王国にもきちんと伝えてもらうぞ」
「ありがとうございます。勿論でございますとも。本国も侯爵とは良い取引をさせていただいていると、喜んでおりました。此度のことも、きっと深くお喜びになるでしょう」
「そう思うならもう少し旨味をもらえると嬉しいんだがな?」
「おや。なにかご不満なことがおありでしたか」
「なに。もう少しばかり取引額を上げてもらえればいい、という話だ」
「これはこれは……本国へそのように伝えておきましょう」
互いに表面だけはにこやかに笑って、ヴラソヴィチはドグラス侯爵の背後に視線を向ける。受けて進み出た神官が数枚の羊皮紙を二人の間にあるテーブルに置いた。
「こちらで集めた『勇者』の情報です。肖像画はヴァレリアンが描いたものです。年齢は一才ほど。自分で立って歩くことができますが、ずいぶん小さい体だったそうです」
「ほぅ、相変わらず絵が上手いな。……なんだ、ずいぶんと可愛らしい顔をしているじゃないか。コレが『勇者』か?」
「ええ。将来が楽しみな容貌かと。保護したフュルヒテゴット達の話をまた聞きした結果では、貴族家でも家門のトップの子供だろうということです。もしかすると侯爵家、あるいは公爵家の出かもしれません」
「ハッ、俺の助力を期待したのはそのせいか」
「おそらく西国の貴族でしょうが、面倒なことに変わりはありませんからね」
「フン。西の貧乏国なぞものの数では無いわ」
嘯いて、羊皮紙に書かれている情報を流し読む。途中で顔を顰めた。
「ぁあ? モンスターアタックだと?」
「情報を届けるために走っている途中、ワンダリングモンスターに絡まれたようですな」
「なんでその場で倒さなかった」
「かなり強力なワンダリングモンスターらしいです。兎型ですが、ユスカダンジョンの通路を塞ぐほどの巨体なうえ、敏捷値もかなり高かったと。下手に相手にすると後ろから追いかけてくるフュルヒテゴット達に捉えられる恐れがあったため、やむなく逃げた結果、そのようなことになったようですな」
「馬鹿め。面倒事を増やしおって……。まぁ、いい。一度捕まっておけ。俺がすぐに外に出してやる」
「「ありがとうございます」」
頭を下げる冒険者二名をチラリと見て、つまらなそうに鼻で息を吐く。久しぶりに遊んでやろうと思ったが、ギルドが捕まえようとしているだろう罪人を屋敷に招くわけにもいかない。今日のところは女神官一人で我慢するしかないだろう。
「今の段階でギルドに踏み込まれるのは面倒ですから、二人には出頭してもらいましょう。教会からも『勇者確保のためにやむなく行ったこと』だとして免罪を申し出る予定です。聖王国からの書簡が届き次第、こちらも動きます。ちょうどいいので、二人にはギルド内の動きを逐次報告してもらいましょう。ギルド内の牢屋に入れられるでしょうが、補償金の支払いや罰を受けることに積極的であればそこまで酷く拘束はされないでしょう。教会が使っている魔法の通信鳥を使えば情報を送ることは容易です」
「フン。邪魔されないといいがな」
「ずっと見張られたら難しいかもしれませんが、ギルドもそこまで暇ではないでしょう。ただでさえ『英雄テール』が来ているのです。そちらへの対応もあるでしょうし――それに、ユスカダンジョンが攻略されたようですからな。冒険者の稼ぎ場の一つが消えたのですから、それに関する対応にも追われているでしょう。知り合いの冒険者達にも騒ぐよう伝えてありますし、しばらくは対応にかかりきりでしょうね」
「ふむ。なら、こちらでも何人か送り込んでおくとするか」
「それはいい。是非、お願いいたします」
その後、二、三会話してドグラス侯爵は神殿を後にした。ついでに見目麗しい神官が一人連れていかれたが、これはいつものことなのでヴラソヴィチは黙認した。ただし、いなくなった後に文句を言うのは忘れない。
「ふん。これがあるから、あの男が来る時に貴族家からの預かり者を表に出せんのだ」
教会には奉仕活動の一環として貴族が訪れることがある。なかには寝泊まりをして奉仕活動をする貴族の子女もいて、今も三名ほど預かっている。そんな子女を公爵が見初めてお持ち帰りした日には、瞬く間に社交界にスキャンダルが流れるだろう。まだまだ利用価値のある侯爵の汚点が広がるのは、教会にとっても好ましくない。
「……『勇者』に関することだ、本国も最速で対応するだろうが……書簡が届くまでには三、四日かかるだろうな」
ソファに深く座り直し、ヴラソヴィチは両手を組む。そうして、口元に薄い笑みを浮かべた。
「……さて。それまでに打てる手でも打っておくとするか」
●
「――という感じだったわ」
「あ、はい」
ユノス国、ダンジョン街ユスカ、冒険者組合組合長室。
つらつらと報告するラ・メールの声を最後まで聞いてから、ダーヴィトは魂が抜けたような顔で頷いた。
……というか、教会とか諸々の行動が完全に俺達に筒抜けなんだが……
いいのか? 精霊王。こんなに人の世に関わっちゃって。
「さ、流石は精霊女王様でいらっしゃる。よく、そんな詳細に連中の動きを調べられますね……?」
「ふふん。空気中には目に見えない水が沢山漂っているからね! こんなの朝飯前よ」
その目に見えない微細な水を使って情報を集めれるの、お前ぐらいだろ、水の精霊女王。風の精霊ならともかく、なんで水の精霊のおまえが諜報活動してんだよ……
「まぁ、『風の』が仲間になったら情報収集はそっちに任せるけどねぇ」
「こういうのは、あやつのほうが得意だからのぅ」
なんか精霊王二人は仲間に引き込む気満々みたいだが、俺としては風の精霊王とは仲良くなりたくない。だってルカを殺したんだぞ? 出会った瞬間殺し合いが始まる予感しかないんだが。
「そうだ、レディオン殿、コレをちょっとそこで焼いてはいただけませんかな?」
胡乱な目で精霊王達を見ていた俺に、テールが生肉の刺さった串を手渡してくる。
これは、あれか。フラムを呼び出してくれってことか。
「……きゅ」
これ以上精霊率が増えることへの懸念より、テールとラ・メールがやらかすのを止めるストッパーが欲しくて大人しく言うことをきく。肉串を手に組合長室の暖炉に行き、さくっと遠赤外線グリル魔法を発動させた。
「…………」
「…………」
……なんで一瞬で現れるんですかね、炎の精霊王さん。あと、その暖炉の中、狭くない? 詰まってないで外に出て来ていいのよ?
「いらっしゃーい! フラム!」
「……貴様ら……」
炎の狼の姿で暖炉に詰まっていたフラムは、のっそりと這い出て唸り声をあげる。じっと見つめている俺をチラと見て、ちょっと頬ずりしてから二人の元に向かった。あいかわらずふわっふわの毛並みだな!
「こ、こ、こ、この、方、は!?」
「炎の精霊王よ~」
ダーヴィトの顔色がすごいことになっている。
うん。ごめんね……俺と関わったばかりに精霊王の圧に晒される羽目になって……
ちなみにグリルしたお肉は美味しくいただいてます。無駄にはしないとも。あと、俺の精霊召喚方法がおかしすぎるんだけど、誰もそれについてはツッコミしてくれないのね?
「貴様らがなんでここに現れているのかは理解している。仕方のない部分もあるから、それについては不問にしてやろう。……だが、貴様ら、なにを喜び勇んで人の世に関わろうとしている!? 精霊王だろう! 少しは慎め!!」
規則の番犬フラムさん、激オコである。
「だってぇ、私達の可愛いレディオンを聖王国なんてとこに連れ去ろうとする馬鹿がいるのよ? レディオン泣いちゃったし、やっぱりここは愛し子のために元凶を滅ぼすべきだと思わない?」
ちょ!? 泣いたのを何度も口にされると恥ずかしいんだけど!?
「どうせ聖王国はあの化け物の手から逃れられん! どのみち汚泥に沈む国なんぞ放っておけ!」
「んー、聖王国はそうなんだろうけど、この国の馬鹿とか、この国の教会にいる馬鹿とか、殺しちゃってもいいと思わない?」
にこっと笑顔で言った途端、フラムの前脚が炸裂した。
「人の世に直接かかわるなと何度言わせる気だ!!」
「いった~い。もう、フラムは暴力的なんだから~。もちろん、レディオンにお願いされてるから九割半殺しで抑えるつもりだし、よくない?」
「どこがいいんだ!? ちっとも抑えてないだろうが! だいたい、貴様等、なんでこのタイミングで俺を呼び出す手伝いをした!?」
「え。ちょっと『風の』を拉致ってくる間、レディオンの守りをお願いしようかと思って」
「『風の』まで巻き込む気か!?」
「だって情報収集するのに一番向いてるの『風の』なんだもの。ついでに初顔合わせさせたいし~」
「……。……初顔合わせ、か。それは、確かに、しておいたほうがいいと思うが」
ラ・メールの言葉にフラムが考える顔になる。
え。そんなに俺と風の精霊王を会わせたいの? なんで?? 会ってもろくなことにならないと思うよ?
「お前が捕獲しに行くわけか」
「ええ。行って来るわね~」
「チッ……急げよ、俺は長居せんからな」
「ハイハイ~」
するりとラ・メールが姿を消した。精霊界に戻ったのだろう。
そしてフラムのジト目が甲冑姿のテールに向かう。
「……テール」
「皆まで言うなよ? フラム。儂はレディオン殿の保護者代理としてここに来ておるのでな」
あえて人の世で活動している甲冑姿でいるテールに、だいたいの事情を察したのだろう、フラムが深い深いため息をつく。
「アロガンが死に物狂いでこちらに向かっている。数日たてば保護者代理は不要になるだろう。そうしたら戻るぞ。いいな?」
「さぁて。儂が必要な戦場は多いからのぅ」
「も・ど・る・ぞ?」
「そう凄まんでもよかろう。レディオン殿の周りに危険がなくなれば戻るとも」
「……それまでの間、大人しくしていることを願うばかりだな」
「ちょっとその願いは叶えてやれんのぅ」
目にも留まらぬ速さでフラムの前脚が炸裂した。素早く避けたテールが壁際で「やれやれ」と首を振る。
「直接危害を加えるようなことはせんよ、儂はな。ちょっと土地の内容を弄るぐらいだ」
「……貴様等の『ちょっと』は信用ならん!」
……ほんとにな……
「レディオン、お前からもこいつらに言ってやれ」
「無茶しないでね?」
「もちろんですとも」
「……なんで喃語になってるんだ……」
にこにこ声のテールと違い、フラムはがっくりと肩を落とした。そうして、俺の周りを囲むようにして寝転ぶ。
「まぁ、いい。ようやく『風の』との初顔合わせが出来るんだ。多少のことは目を瞑ってやる」
「おお、寛容になったのぅ、フラム」
「貴様は少し自重を覚えろ!!」
カッと怒りの声をあげるフラムの腹毛に埋まりながら、俺はちょっと遠い目になった。
本当に、なんでこいつらは俺と風の精霊王を会わせたがるんだろうか? 風の精霊王だって敢えて俺のところに来てないんだし、そっとしておいてくれてもいいんだけどな。
――と思っていたら、フラムが突然虚空を見上げた。
「フン。捕まえてきたようだな」
「暴れておるのぅ……」
どうやら精霊界側の世界を見ているらしい。こっちに具現化してないから俺達には分からないけど、精霊界では水対風のバトルでも繰り広げられているのかもしれない。……風の精霊王、そこまで俺に会いたくないのか。まぁ、俺も同じだから気持ちは分からなくもない。
というか、大丈夫か? 俺の理性。
ルカを殺された時の怒りも絶望も、俺の胸の内にまだしこりのように残っている。爆発したらこのギルドぐらい簡単に吹き飛ぶぞ。ポムもいないのに、精霊王達はどうやって俺の暴走を鎮める気なんだろうか?
「……ふむ。諦めたようだな。レディオン、ラ・メールが風の精霊王を連れてくる。ちょっと臆病なやつだが悪いやつではない。会ってやってくれ」
フラムの声に、俺は胡乱な目のまま答えた。
「……ここで断っても何度でも機会を設けられそうだな?」
「アレにも立場があるからな。まぁ、恐慌状態になったらこっちで抑え込んでやる。とりあえず、お前が無害であることをアピールしておいてくれ」
恐慌状態って、風の精霊王のほうが精神状態ヤバイの!? 俺まだ何もしてないんだけど!?
「ラ・メール。連れてこい」
フラムが虚空に声をかける。
その方向の空間が大きく歪んだ。巨大な龍の鱗が一瞬見える。どうやら水龍の姿で風の精霊王を捕まえてきたらしい。翡翠色の輝きがチラと見えた。
「――――」
ドクン、と。
鼓動が大きく鳴ったのを感じた。
風の精霊王。俺のルカを殺した怨敵。
覚えている。奴の翡翠色の翼を。
一度たりとも忘れたことは無い。
猛り狂う暴風のような翡翠色の鷲を。その精霊としての姿を。
俺が憎み、俺の手で八つ裂きにしたその姿を。
「――――」
前世のルカの顔が浮かぶ。何度も言われた言葉を思い出す。
落ち着け。殺すならこのギルドを出てからだ。今じゃない。今は暴れてはいけない。多くの無辜の民が巻き添えになってしまう。例え犠牲になるのが魔族でなくとも、それだけはしてはならない。だから――
「――――」
痛いほどに拳を握り、俺は水の龍に絡めとられた翡翠色の羽根を睨みつけた。まだ抵抗されているのか、上手く像が結べていない。チラチラと見えるだけでちゃんと具現化していない。
「チッ……いいかげん出てこい!」
フラムが焦れて声をあげた。体を起こしたフラムの影で俺は呼吸を落ち着かせながら身構える。
注視する先で水龍が水で出来た美女に変化した。巨大な網のようなものを握っている。
「よいっしょーっ!」
そうしてそれを思いっきり引っ張った。ズルリと音がしそうな勢いで巨大な網に囚われた鳥が俺の前に投げ出される。
俺の目が極限まで開かれた。
見覚えのある翡翠色の翼。
圧倒的な力の気配。
全体的にコロンとした丸っこい体。
それは美しい翡翠色の翼をもつ――
巨大なシマエナガだった。
「…………」
「…………」
誰ェエエエエエエエエエエエ!?