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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
三章 例え数多の苦難があろうとも
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 大海原に雷鳴が轟く。

 大気に溶けるようにして消えゆくその音を聞きながら、ネイサン・ナヴィガトリアは剣を振るって血糊を落した。

 周囲には積み重なるようにして半人半魚の魚人族が倒れ、流れる血が白い甲板を赤く染めている。

 それらを見渡して、ネイサンは小さく独り言ちた。


「……ふむ。襲撃とはこの程度か」

「アルセニオ達が聞いたら泣くザマスよ」


 戦闘終了とばかりに剣を鞘に戻したザマスが呆れ声をあげる。だが、周りにいる隊員の誰もネイサンの発言を注意しなかった。誰もが苦笑を浮かべている。


「まぁ、彼等は守るべき一般人(・・・)だからな。多少の荒事には慣れていても、度重なる襲撃は恐ろしかったことだろう」


 自身で自分の発言を訂正するように呟き、ネイサンはこちらに向かって来ている人物に視線を向ける。


「しかし、聞きしに勝る暴れっぷりだったな、貴殿は」

「褒め言葉として受け取っておこう」


 優雅な動きで剣を鞘に戻し、カーマインが答える。百近い魚人の集団のうち、過半数がカーマインに討たれていた。それだけの戦果をあげていながら、誇るでもなくごく当たり前のような顔をしている。見た目は二十歳ほどにしか見えないのに、その落ち着きは歴戦の将を思わせた。


「……うん? どこへ行く?」


 そのカーマインが船べりに足をかけたので、ネイサンは首を傾げた。カーマインは振り返って軽く眉をあげる。


「敵の装備を奪っておくべきだろう?」

「……『我が愛しのレディオン』号に積み上がっていた武器防具の類はそのせいか……」

「……そのネーミング、なんとかならないんザマス?」


 ザマスがなんとも言いたげな顔で言うが、船上の全員がそっと視線を外してスルーした。


「まぁ、回収するのはかまわんが、すぐに戻ってくるかね?」

「ああ。すぐに戻ってこよう。――では、行って来る」


 宣言して、カーマインは船べりから海へと飛び降りた。その颯爽とした後姿を見送って、ネイサンは甲板に残っているザマスを振り返る。


「かの人はいつもああ(・・)かね?」

「……まぁ、たいていはああ(・・)ザマス」

「……なるほど」


 なにかを察した顔でネイサンは頷く。


「これまで無名だったのが不思議な御仁だな」


 ザマス達がイルデブランド達『我が愛しのレディオン』号の船員と別れ、ネイサンのいる戦艦に世話になってから数日が経っていた。

 その間にも散発的に襲撃があり、そのどれもでカーマインは見る者の度肝を抜くような戦績をあげている。ネイサン達も本職の軍人で、なおかつ上級魔族なのだが、カーマインの動きは彼等をすら上回っていた。敵を屠る姿は優雅だが、その速度が尋常ではない。戦いぶりは苛烈で、守りなどいっさい考えていないような突撃を何度も繰り返す。正直、今も無傷でいるのが不思議なほどだ。


「……これはまた、判断の難しい判決を迫られるな」


 ネイサンが少しばかり渋い顔でぼやく。それを眺めてザマスは肩をすくめた。


「どんな判決が下っても粛々と受け入れるんじゃないザマスかね? 罪の自覚はあるザマスから」

「……まぁ、申し開きは、と尋ねて即座に『無い』と言われたぐらいだからな」

「なんであんなところまで男前なんだか……」


 ザマスのぼやきに、ネイサンは小さく苦笑する。


「君は弁明しないのかね? 情状酌量の余地はあれど、君も罪に問われている者の一人だが?」

「好きに処罰すればいいザマス。どうせ、あの戦闘狂がなんらかの役に服するならワタシもつきあうし。もとから一蓮托生ザマスから」

「そうか。君達も不思議な間柄だな?」

「同じ釜の飯を食った間柄というか、化け物に目をかけられた仲間ザマスからね」

「ふむ?」


 彫りの深い顔をつるりと撫でて、ネイサンは視線を海へと馳せた。深紅の髪があちらこちらへと動いているのが見える。広範囲に散っている死体から装備を剥ぎ取っているのだが、その手際は神がかって良い。何故あんな動作まで洗練されているのだろうかと首を傾げたくなった。


「しかし、見れば見るほど不思議な御仁だな。あれだけの逸材が今までどこで埋もれていたのやら……」


 ザマスはその呟きには答えなかった。かわりに船上の魚人達から装備を剥ぎ取る。


「君も剥ぎ取りをするのかね」

「終わらせておかないと、海からあがってきても続けるザマスからね、あの正直者は」

「……なるほど」


 呟いて、ネイサンも近くの魚人の装備を剥ぎ取りにかかる。甲板の血を洗っていた隊員達が慌ててネイサンを手伝いはじめた。


「ただいま。――と、なんだ、こっちでも剥ぎ取り中か」

「終わらせないと誰かさんが船上でも追剥ぎするザマスからね」

「追剥ぎとは失礼だな。武装解除と言ってもらおうか」

「やってることは一緒ザマショ。海は終ったんザマスね?」

「おおむね、な。途中から大型種の変異種(ヴァリアント)が集まりはじめてな。戦うわけにもいかないから戻って来たんだ」

「ほぅ。流石に海の変異種(ヴァリアント)とは戦わないか」

「アルセニオ達に『海の勢力図が変わるからやめて』と言われているからな。そうでなければ腕試しに戦ってみたいのだが……」

「……本当に聞きしに勝る戦闘狂だな」


 ネイサンの呆れ声にザマスが同意の頷きをした。カーマインは軽く肩をすくめてみせる。


「それより、集めた装備の類はまた倉庫に入れておけばいいか? 調べて本土行きにするのだろう?」

「ああ。二番倉庫に入れておいてくれれば、うちの隊員が振り分ける。……だが、いいのかね? あれらの戦果は君のものだし、剥ぎ取った装備や道具の類もそれなりにまとまった額になるが?」

「今を戦時中と仮定するなら、それらは軍でいったん取りあげた上で、戦績にあわせて褒美をとらせるべきだろう? 私の私物にするべきものじゃない」

「……まだ戦時中では無い、と仮定すればどうかね?」

「なおのこと私物化は出来んな。その必要も感じない」

「なら、なんのために襲撃を招くような真似をしていたのかね?」

「敵の兵士を減らすためだ。いかに魔族が屈強とはいえ、軍と軍がぶつかれば嫌でも死傷者は出る。だが、血気に逸った魚人の暴走で、少人数が散発的に攻撃してきているだけならよほどのことが無い限り死傷者は出ないだろう。一人でも多く兵を減らし、後の戦争を優位に進めたい。一人で全員を殺せるほど私は強くないからな」

「……あの暴れっぷりを見ているとその発言に疑問を覚えてしまうが、まぁ、君の思惑というか、考え方は分かった」

「そうか」

「あとの始末はこちらでやっておくから、君は客室に戻るといい」


 ネイサンの声に、カーマインは珍しく戸惑ったような顔になった。


「ナヴィガトリア卿。いいかげん、私を牢に入れなくてもいいのか?」


 カーマインは本来、罪人として戦艦に引き取られたはずの身だった。

 罪状は『一般人の生命を危険に晒した』とする集団殺人未遂罪で、そのことは出会った最初に告げられている。

 だが、戦艦に引き取られた後、過ごす部屋として割り当てられたのは牢屋ではなく客室だった。おまけにザマスとも別室の、完全な個室だ。部屋に鍵はかかってないし、なんなら内側から施錠出来てしまう。食事も専門の料理人が作った美味しい食事が他の隊員達と同じように振る舞われ、船内も自由に動ける。

 はっきりいって罪人の扱いでは無かった。

 敵襲があれば戦力として呼び出されるが、もともと「敵襲」の声が聞こえるや否や飛び出して戦いに出るのがカーマインだ。そんなものは罰にもならない。

 疑問でいっぱいなカーマインの問いに、ネイサンは顔をつるりと撫でてから嘯いた。


「牢は甲板から遠いからな。せっかくの戦力を船の奥深くに閉じ込めておくのはもったいないだろう?」

「……あとで上の方々に怒られたらどうする」

「なに。あの方々はそんな狭量では無いよ。どのような戦いであれ、戦場においては現場の意見が重要視される。君の行いは短慮で危険をはらんだものだったが、戦争の前準備としては合格だ。それに、イルデブランド達にもさんざん援護射撃をくらったからね」


 カーマインが罪に問われると聞いて、『我が愛しのレディオン』号の面々が一斉に反対の声をあげたのだ。自分達のことなら大丈夫だったからなんとか罪を軽くしてくれと、ある種の被害者である彼等から拝み倒され力説され、流石のネイサンも苦笑を堪えることが出来なかった。


「ずいぶん、彼等に慕われたようだ」

「怯えられてはいたが、慕われていたのか? 私は」

「それはまぁ、あの戦いぶりと頻繁な敵襲があわされば怯えもするだろうが、な。だが、魔族は強さを貴ぶ。それが自分達を守るために振るわれる力であればなおのことだ。彼等は君を尊敬していたし、敬愛していたのだろう。……どうしたのかね?」

「……いや」


 戸惑いを押し殺して、カーマインは視線を逸らせた。

 ネイサンの言葉に、過去の世界に置いて来てしまった部下達のことを思い出したのだ。おそらくすでに全滅しているだろうが、最後まで自分についてきてくれた良い部下達だった。それが胸の奥の感情を大きく揺るがして、最近緩くなっている涙腺を刺激する。


「……なんでもない」

「そうかね? まぁ、君がそう言うならそうなんだろう」


 気づいたことを追求せずに流して、ネイサンはザマスへと視線を向けた。


「君も部屋に戻るかね?」

「……いンや、船室にいてもつまらないザマスから、後片付け手伝うザマスよ」

「そうか」

「なら、私も――」

「ア・ン・タは部屋に戻るザマス! あれだけ戦ったんだからちょっとは休めザマス!」


 引き返して来たカーマインをくるっと方向転換させ、船室行きの階段に押し込める。何度か押し問答を繰り返し、ようやく扉を閉めさせたザマスに、眺めていたネイサンは笑いをこらえながら声をかけた。


「なかなか、苦労しているようだな?」

「まったく! ちっとも休まないんザマスから!」

「『我が愛しのレディオン号』の時もそうだったのかね?」

「同じザマス。変わらないザマスね。アレはもう性分なんザマショ」


 嫌そうに顔を顰めて吐き捨て、ザマスはネイサンを見上げた。少しだけネイサンのほうが背が高いのだ。


「で? 何かワタシに問いたいことがあるんじゃないザマス?」

「……勘がいいな。話が早くて助かるが」

「どーせカーマインのことザマショ? 本人がいないところで何を聞きたいんザマス?」


 言われて、ネイサンは苦笑を深めた。


「あの御仁は、なんのためにあそこまで苛烈に戦うんだ?」

「……本人が言っていたザマショ。聞いた通りそのままザマス。海人族との戦争の前準備ザマスよ。最終目的は殲滅ザマスかね?」


 腕組みしたネイサンは、自身の腕を軽く指で数度叩く。沈思黙考する様を見守って、ザマスは甲板の縁に背を預けた。


「……確かに、海人族が戦争の準備をしていたことは、君達の集めた証拠や他の船員との戦闘記録から確定している。だから、そのことは疑いようがない。……私が気になっているのは、『何故』『彼が』『戦争の前準備を早く終わらせようとしていたか』だ」

「…………」

「カーマイン殿は、荒事に慣れているとはいえ、一般の魔族を巻き込むと分かっていて、海人族の襲撃を招く真似をするような人にはとても見えない。むしろ、何としてでも魔族を守ろうとする御仁のように見受けられた。だが、実際にやったことは印象とは異なる。何故、ああも急いでいる? 何故、彼が? 何の為に? 彼がやっているのは、戦争の前準備というより――戦争そのものだろう?」

「…………」

「彼だけが、戦争の只中にいる。まだ始まってすらいなかったのに、彼の中ではすでに戦争は始まっているのだ」

「…………」

「私には分からない。これまでの動きから、海人族との戦争を早めようとしている理由が彼にはあるように見えた。だが、それが何なのか全く分からないのだ。『戦いたいから』では無いだろう。彼にとって『戦闘』は目的ではなくただの手段だ。ただの戦闘狂とはわけが違う」

「…………」

「彼は何を見ている? 何を目指している? 何の為に時に危険に身を晒しながら動いているんだ? 彼は、私達には見えない何かを見ているように思えてならない」 


 真っすぐに目を見て問うてくるネイサンに、ザマスは深く息をついた。背を預けた船べりに両腕を置き、空を仰ぐ。

 雲一つない空はどこまでも青く、どこまでも眩しかった。


「……『あの人の行く手を阻むものは、全て私が壊していく』」

「……うん?」

「カーマインの行動理念なんて、そんなとこザマショ。あの人、っていうのは、あんた達の大事な大事な『坊ちゃん』のことザマス」

「…………」

「考えてることなんて一つザマスよ。あの人が幸せになれる世界にしなければならない。あの人が悲しまない世界にしなければならない。――その未来に海人族が邪魔になるのなら、全て殺し尽くしてでも未来を作ろうとするのが、あのおん……んー……カーマイン、ザマス」

「……全てはレディオン様の為に、か?」

「そういうことザマス。ああ見えて単純なひとザマス。他のことは何も考えてないザマスよ。ワタシからすればとんだ狂気ザマス」


 ザマスは思う。よくあれほど『たった一人』のために生きれるものだ、と。

 カーマインにとって、生きることも死ぬことも、全てその人のためだった。

 どんな出会いがあれば、あれほどに人を愛せるのだろうか?

 息をすること、食べ物を食べること――生きることの全てが愛する人の未来のためで、死に場所も死ぬ時すらも愛する人の未来のためだ。他には何の望みも無い。

 ただ、愛している。

 ただ、守っている。

 此処にはおらず、触れることすら出来ない唯一人のことを。

 そして、それは――決して、愛されている本人には知られることが無いのだ。


「……馬鹿ザマスよ。すこしは自分の為に楽しく生きればいいものを。ずっと、ずーっと、ただただひたすらに、見返りを求めない愛を捧げ続けているんザマスから」


 いっそ早く出会ってしまえ、と思う。

 早く知られてしまえばいい。その愛一つで、滅びる世界すら救おうとしている馬鹿者のことを。その胎の中に宿した命と共に。


「……なるほど。鮮烈だな」

「眩しくて嫌になるザマス」

「それで、ザマス殿はそんなカーマイン殿を愛していらっしゃるのか」

「はぁあ!?」


 途端、この世の全てに裏切られたかのような顔になったザマスに、ネイサンは目を丸くした。


「違うのか?」

「全ッ然ッ! 違うザマス! あんなのが思い人とか、絶対嫌ザマス!」

「それにしてはよく理解しているなと思うのだが」

「こっちは化け物の縁のせいで嫌でも理解してしまう立ち位置にいるだけザマス! 言っておくザマスけど、アレの頭の中にあるのは億パーセント『レディオン様』だけザマスよ!? そんなのに片思いとか人生何回棒に振る罰ゲームザマス!? 冗談じゃないザマス! ワタシが好きなのはもっとお馬鹿で元気で純粋な子ザマス!」

「そうか」

「そうザマス!」


 力説しすぎて肩で息をするザマスに、ネイサンはなんとも言えない微苦笑を浮かべる。


「そこまで力説されると、かえって邪推してしまうな」

「キシャアアアアアアッ!」

「すまない。公用語しか分からないから、人の言葉で話してくれ」


 威嚇するザマスに笑って、ネイサンは「決めた」と呟いた。


「カーマインに対する罰だが、この艦にいる間、ずっと便所掃除当番だな」

「それ、今もやってるザマショ」

「それと、海人族との戦争に際し、一番槍を務めてもらおう」

「大喜びザマスよ、きっと」

「そうか。――まぁ、以上で刑罰は終わりだ。たぶん、誰からも反対意見は出ないだろうよ」


 自信をもってそう言うネイサンに、ザマスは呆れ顔になった。


「いいんザマスか? 殺人未遂犯の刑罰がそんなに軽くて」

「情状酌量の余地がある。なにより被害者一同から減罪の嘆願もある。これぐらいで済ませても、文句を言う者はいないだろう。――私達だって、レディオン様の為に何を犠牲にしてもなりふり構わず勝利をもぎとりに行く時がある。それを考えると、な……カーマイン殿の行動を非難出来なくてな」

「……とんだ狂信者集団ザマス」

「くくっ。狂信者集団か。言い得て妙だな」


 げんなり声で貶したのに楽し気に笑われ、ザマスはいっそうげんなりとした顔になった。


「気を付けるザマスよ? アンタ達が愛し、その幸せに全力を尽くすように、アンタ達が愛してる相手だって、アンタ達に幸せになってほしいって祈ってるだろうザマスから。与えられるだけ与えられ、同じだけの思いを返すことが出来ないっていうのは、けっこう辛いものザマス。ちゃんと相手の思いもくみ取ってやれザマス」

「これは耳が痛いな。だが、我々はあの方が嬉しそうに笑っているだけで満たされるからな」

「……これだから狂信者は……」


 九割諦めが入った声で呟き、ザマスは首を振る。


「とりあえず、刑罰が確定したのならカーマインに伝えてくるザマス。こういうの、正式な書類とかでやらないんザマス?」

「書類はこれから作ろう。君の名前も載ることになるが、かまわないかね?」

「かまわないザマス」

「カーマイン・ザマスとザマス・ザマスだったな」

「ぐぬぅぅ」

「なんで嫌そうに唸るんだね?」

「なんでもないザマス!」


 心底嫌そうな顔のまま、ザマスは船室に向かう扉を開けた。引き留めず、ネイサンはその後ろ姿を見送る。


「彼氏によろしくな」

「カレシじゃないザマス!」







 あてがわれた客室は、船室らしいこぢんまりとしたものだった。

 やや小さめの円形の窓は、硬質化されたインビジブルスライムで作られている。そこから入る日の光が船室を優しく照らしだしていた。

 私物を入れられるチェスト。

 ゆったりと寝ることが出来る大きめのベッド。

 窓際にはテーブルと椅子があり、テーブルの上には籠いっぱいのお菓子が置かれていた。

 それを見てカーマインは微笑(わら)う。


「……どうやら、ここも私を太らせたいらしいな」


 だいぶ太ってきたと思っているのだが、健康的な魔族達(かれら)から見れば、自分はまだまだ痩せすぎらしい。日に三度の食事だけでなく、少し席を外している間にこうして部屋にもお菓子を送り込まれている。それがなんだか過保護な親のようで、思わずくすりと笑ってしまう。


「…………」


 目を閉じ、開け、窓から差し込む日差しを眩しく感じながら見上げる。

 ――この世界は、希望に満ちている。

 今だ絶望は訪れておらず、魔族達(ひとびと)は穏やかな日々を甘受している。

 それはとても嬉しく――同時にとてもせつない。


「……最初から分かっていたことだ」


 それらが決して、自分の手には入らないものだということを。

 自分が彼等に混じることは無い。最初から道は分かたれていて、最終的な到着点は大きく異なる。分かっていてこの道を選んだ。選択した以上、引き返すことも思い悩むこともない。

 これでいい。このままで問題無い。

 それでも時折世界が眩しく感じるのは、決して手に入らない望みが世界を隔てた向こう側にのみあるからだ。

 後悔は無い。

 ――ただ、少し寂しいだけ。

 ……ほんのすこしだけ、せつないだけだ。


「……ルカ。生きることは、難しいな……」


 死んでしまった友。置いてきた最愛の人と、友の妻である親友。

 そして――自分と共に敵地に乗り込み、死んでしまった部下達。

 部下達は自分で自分の生き様を選んだ。だから、すまなく思うのは彼等の意志を汚す行為だろう。それでもその死を悼むのは、部下の死は隊長である自分が背負うべきものだからだ。

 決して慣れることのない悼み。……忘れることのないもの。

 きっと、この辛さを感じられなくなった時が、人から化け物に変わる瞬間なのだろう。

 そしてこの痛みを何千何万という数抱えているのが、レディオン様だ。


「…………」


 カーマインは首にかかっているドラゴンの髭で作られた紐をたぐる。そうして服の中から出てきた指輪を手にとった。

 質素な指輪だった。魔王との結婚指輪だというのが信じられないほどに。

 けれどその飾り気のない指輪が好きだった。

 同じものは今もかの人の指にはまっているだろうか?

 それとも、自分がそうであるように――痩せすぎてサイズがあわなくなり、首飾りになってしまっているだろうか?


「……ごめんなさい……」


 本当に救いたいのは今も苦しんでいるあなたなのに、あなたに訪れる『死』を防ぐことが出来ない。

 未来への救済があったとしても、あなたの一度目の死を防げない無様な私に、愛を語る資格など無いだろう。あなたの傍にいる資格も、存在する価値すら無い。


「ごめんなさい……レディオン様……」


 それでも祈ることだけは許して欲しい。

 願うことだけは許可してほしい。

 どうか苦しい思いをしませんように。

 辛い思いをしませんように。

 暖かい世界に包まれていますように。

 沢山の人に愛され、天寿を全うしますように。

 ――その傍らに自分は存在しないけれど。


「……どうか、あなたは未来へ……」





 ――どうか全ての未来が、優しい光に満たされていますように。



 




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