49 ワンダリング・モンスター
ユスカダンジョンの道程はひどく単調なものだった。
なにしろ敵と出会わない。アビスだと三歩歩けば敵と遭遇していたが、ここではどこまで歩いても出会わないのだ。……まぁ、近づく前に敵が逃げて行っているからなのだが。
「ここまで出会わないと逆に不吉だな」
トールハンマーの一人、エーリックが身を震わせる。広域索敵で理由を知っている俺はともかく、知らない彼等ならそう思っても仕方ないだろう。
過ぎたる幸運は不吉の前触れ、という言葉がある。多すぎる幸運に恵まれた後には大きな禍があるという故事からきた言葉だ。
「流石に彷徨えるモンスターぐらいには遭遇すると思ったんじゃが、それも無いとはのぅ」
俺を抱っこしているフュルヒテゴットがそう言う。
アンゲーリカに「ずっと抱っこしっぱなしだと腕がだるいじゃろ」と言って交代したフュルヒテゴットは紳士だと思う。
ちなみに俺はすることなくて暇なので、フュルヒテゴットの髭をちまちま三つ編みしていた。
「まぁ、出会わんにこしたことはないから、それはいいんじゃが」
彷徨えるモンスターとは、特定の位置に留まらず、階層中を徘徊しているモンスターで、その強さは下手をすると階層主を上回る。
考えたら、アビスでは彷徨える変異種とは出会わなかったな。階層主が特殊融合型な変異種だったことといい、普通のダンジョンとはだいぶ異なっていたようだ。
なお、普通のダンジョンについての蘊蓄はフュルヒテゴットから教わった。なにしろ暇なものだから、周りの連中も色々と俺に話を聞かせてくれる。だいぶ危機感が薄れてきていることに警鐘を鳴らしたいが、近づくたびに遠くの敵がダッシュで逃げてる現状だと警告しようにも警告できない。
変異種、なんであんなに逃げてるんだろうか?
「さて、そろそろ休憩時間だな」
トールハンマーの一人であるアマドルがそう言って周囲を見渡す。
「まだいけるぞ?」
「駄目だろ、フュルヒテゴットさん。決めたことは守らないと」
「むぅ」
フュルヒテゴットが渋い顔になる。
トールハンマーは、老齢のフュルヒテゴット達の体調を気遣い、一時間に一回休憩を挟むことにしたのだ。最初は「そこまで年寄りじゃない」とごねていたフュルヒテゴットだが、俺が上目遣いおねだりをすると渋々了解してくれた。
以来、トールハンマーは時計をチェックしながら歩みを進めている。
この『時計』は、俺が使っていたような砂時計ではない。
トールハンマーのリーダーであるヘイモは、ダンジョンで見つけたという特殊な時計を持っているのだ。どんな場所に行っても狂うことなく時間を刻み続けるという時計だ。これのおかげで、ダンジョン内でも正確な時間を知ることが出来ている。
ダンジョンだと時間の感覚も狂うから、こういうアイテムは重宝するな。
というわけで、解析だ!
「見せて」
俺は休憩の度にヘイモの所に行って時計を見せてとせがむ。
ヘイモは笑って俺に時計を見せてくれた。
周囲からの干渉を拒否する魔法がかけられている為、俺であっても時計の解析には時間がかかっていた。
素材は、中が精霊銀で、周囲を不砕の性質のあるヒヒイロカネが取り巻いている。時計の針もヒヒイロカネだ。
そのヒヒイロカネにかかっている魔法は単純で、それぞれの針に特定の間隔で進むよう刻まれている。針にはそれ以外に特別な魔法はかかっていないから、これは素材にきちんと魔法を刻めれば同じものを作れそうだ。
一番の難関は、全体にかかっている不干渉の魔法だろう。下手をするとヒヒイロカネに刻んだ推進の魔法も止めてしまうからな。
「レディオンちゃんは時計が好きなのかな?」
「大事だからな!」
「そうかそうか」
ヘイモがわしゃわしゃと頭を撫でてくれる。ああっナデナデは優しくお願いします! 頭巾越しに俺の毛根にダメージがっ。
「自動で動いているのが不思議なのかもしれないな。ヘイモの時計はダンジョン産だからなおのこと珍しいし」
「ダンジョンできちんと時間を計れるのは大事だよな。中にいると今日が何日目なのか分からなくなることがあるし」
大事なその時計を、こっそり解析しているのが俺です。
これは商品化したら爆売れ間違いなしだな。頑張らねば!
「ダンジョンを出て、日にちのズレに気づくことも多いからな。お前さん、それ、大事にしろよ?」
「フュルヒテゴットさんほどの人でもコレは作れないか?」
「ドワーフの国にいれば作れるだろうが、人の子の鍛冶場ではなぁ……まずヒヒイロカネが溶けんからの」
どうやら人族の鍛冶の炉ではヒヒイロカネは溶けないらしい。
まぁ、あの鉱物、ただの炎じゃ溶けないからな……
ちなみに魔族の炉では普通に溶けます。オリハルコンだって溶かせるからな。
――よし。解析完了!
あとは素材を準備して作ってみるだけだ。
「むふん」
「うん? もういいのか?」
「ありがとう!」
「よしよし。見たくなったらまた来いよ」
最後にナデナデをもらって、俺はアンゲーリカに向かってほてほて歩いて行く。アンゲーリカが満面の笑みで腕を広げてくれた。
「儂の方に来てくれてもいいんじゃぞ?」
おっと。フュルヒテゴットよ、それは紳士力が足りないな。
アンゲーリカはこの中で唯一の女性だぞ?
当然アンゲーリカの元に向かうに決まっているではないか。貴重なレディなのだから!
「レディオンちゃんは男の子だから女性のほうがいいのよねー?」
「当然!」
「おのれ勝ち誇りおって……」
フュルヒテゴットが真剣に悔しそうな顔をする。レディと張り合っても男は負けるだけだぞ。
――ん?
「…………」
「うん? どうした? レディオンちゃん」
展開している索敵に反応があって、俺は背伸びした。フュルヒテゴットが問いかけてくるので、片手でそれを制する。
広域に展開している索敵の端っこに引っかかったその反応は、今までの変異種と違い、うろうろしながらもこちらに近づいてきている。たぶんだが、彷徨える変異種だろう。
「敵が来る」
「?」
ああっ喃語のせいで伝わらない!
俺は彷徨える変異種のいる方角を指さす。
「敵が来る」
「何かいるのか?」
「きゃう!」
大きく頷く俺に、トールハンマーが素早く立ち上がった。次いでフュルヒテゴットとアンゲーリカが立ち上がる。速度の差はそのまま年の差だ。
「イルモ、気配を読めるか?」
「いや、何も分からない」
どうやら俺を除いたメンバーで一番索敵範囲が広いのがイルモらしい。そのイルモが困ったように俺を見る。
「何かいるのか?」
「来るよ」
まだ距離は開いているが、このままずっとここにいれば必ず会う。気配的に竜種よりは弱そうだが、この前のナイトメアなんとかさんより強そうだ。このメンバーの強さが分からない以上、巡り合っていい敵なのかどうか判断できない。
こういう時は逃げるが勝ちだ!
どうにかして危険を伝えれないかと身振り手振りをするが、周りは困った顔で首を傾げるばかりだった。
アンゲーリカが出来るだけ俺と視線の位置をあわせながら問いかけてくる。
「レディオンちゃんは、何かがあるってわかるのね?」
「だっ!」
「それは危険なもの?」
「だっ!」
大きく頷く俺に、フュルヒテゴットもしゃがみこんで問いかけてくる。
「モンスターかの?」
「だっ!」
トールハンマーの面々が顔を見合わせた。その表情は硬い。
「俺の索敵には引っかからないが、レディオンちゃんの言うことだからな」
イルモが言い、ヘイモが頷く。
「斥候に出てこようか」
「ぎゃん!」
危険なことを言い出したヘイモに、俺はアンゲーリカの腕から飛び出し、駆け寄ってその足をべちっと叩いてやった。
「いてぇ!?」
「駄目だぞ!? 危ないだろ!」
「駄目だそうだぞ、ヘイモ」
「わ、分かったって。つか、すげぇ痛かったぞ今の!?」
【祝福せよ】
「うわ、一気に痛み消えた。すげぇなレディオンちゃん!」
高い高いされてしまった。こ、こんなことじゃ騙されないんだからな!?
「きゃっきゃっ」
「機嫌もなおったみたいだな」
くっ……赤ん坊ボディはこれだから……!
「しかし、レディオンちゃんの反応からすると、危険な相手なのかもしれないな。こっちに向かってきているのか?」
イルモが難しい顔で問いかけてきたので、俺は大きく頷いてみせた。
「急いで離れたほうがいいな」
ヘイモが告げ、全員が頷く。
一同の中では索敵の広いらしいイルモが先頭に立ち、俺を抱っこしたアンゲーリカを他のメンバーが取り囲むようにして陣形が組まれた。その状態で速足で道を歩いて行く。
「フュルヒテゴットの爺さんに、アンゲーリカさん、きつくなったら言ってください。抱っこしますので」
「絶対嫌じゃわ」
「あらあら。その時はお願いしようかしら」
正反対の返事をする二人に笑って、ヘイモは最後尾で後ろを警戒する。
「レディオンちゃん。その怖い奴はついてきてるのか?」
俺はじわじわ近づいてきている反応を確認し、頷く。
一同が険しい顔になった。
「偶然か、狙っているのか……どっちだろうか」
「人の匂いを嗅いでついて来る彷徨えるモンスターもいるからな。この辺はボスのいた階層から近い。強いモンスターがいても不思議じゃない」
俺が寝ている間に何階か上がっていたらしい。フュルヒテゴットの発言に、俺は注意深く周囲を探った。――あ。
「みゅ」
「あら? どういう反応かしら?」
俺が背伸びしたのでアンゲーリカが首を傾げる。
俺は後方を指さした。
直後、後方から微かな悲鳴がここまで聞こえてきた。
「誰か接触したのか!?」
「ん」
索敵範囲の外から範囲内に入ったばかりの生命反応が、こちらを追いかけて来ていた彷徨える変異種に接触したのだ。ちなみにロードリングの二人である。マーキングしていたから気づけたけど、してなかったら気づかなかったかもしれない。
というか、あいつら、後方にいたんだな。
俺が寝ている間に追い越したんだろうか?
「フュルヒテゴットさん達はここにいてくれ。加勢しに行ってくる」
「危ないぞ」
「レディオンちゃんも二人を守っていてくれ。頼んだぞ」
言うや否や、トールハンマーの面々が今来た道を引き返した。俺はフュルヒテゴットを見る。フュルヒテゴットは険しい顔をしている。
「どうする?」
「……儂等が行っても邪魔になる可能性が高い。ここで待つとしよう」
「……分かった」
フュルヒテゴットの判断に首肯し、俺はジェスチャーで下に降ろしてと伝える。アンゲーリカが俺を降ろしてくれたので、ポーチからよさげな大きさのスティックを取り出し、地面にゴリゴリと魔法陣を描き始めた。
「ん? 魔法陣かの? ……というか、ダンジョンの床を削るほどの力とは……」
呆れたような感心したような声をあげるフュルヒテゴットは、描いている俺越しに魔法陣を見ているようだ。
「結界かの?」
「だっ!」
魔法陣内に物理攻撃を一切通さない結界だ。ブレスとか魔法は通しちゃうから、この魔法陣の外側に改めて対魔法用の陣を描くとしよう。
「まぁ……これは凄いわ。こんなに精密で美しい魔法陣は初めてよ」
魔法使いであるアンゲーリカが目をキラキラさせながら称賛してくれる。俺は最後の一文字を描ききってから胸を張ってみせた。
「んきゃ」
「すごいわ、レディオンちゃん」
「美しいものだな。見事じゃ」
フュルヒテゴットにも褒められた。俺は嬉しくなって両手をフュルヒテゴットに差し出した。意をくみ取ってくれたフュルヒテゴットが俺を高い高いしてくれる。
「きゃっきゃっ」
「将来有望じゃのぅ」
「おじいさん、爺馬鹿の顔になってますよ」
「そういうお前さんだって婆馬鹿の顔になっとるじゃないか」
「仕方ありません。こんなに可愛いんですもの」
「だな」
優しい二人にかわるがわる抱っこされて、俺は大満足でアンゲーリカの腕の中におさまった。
――と。
「ぅん?」
「ん? どうしたレディオンちゃん?」
後方の戦場に動きがあった。マーキングしているロードリングの二人がこっちに逃げてきている。それを彷徨える変異種が追いかけ、さらにそれをトールハンマーのメンバーが追いかけてきている。
……これ、途中でぶつかるな。
「だっ」
俺は「降ろして」とジェスチャーで伝え、降りた地面にしっかりと立つとポーチから杖を取り出した。昔実家で魔道具をせっせと作っていた頃、お遊びで作った精密作業用の杖である。
これを持ってると魔力の制御がちょっと楽になるのだ。俺の魔法は強すぎるから、これで制御しながら行うほうがいいだろう。
分かりやすく戦闘態勢をとった俺に、事態を察したらしいフュルヒテゴットがハンマーを構え、アンゲーリカも杖を具現化させる。
遠くから足音と唸り声が聞こえ始め、視界の端に転びそうになりながら走ってくる二人組の姿が見えた。ロードリングの二人だ。
「何を連れて来とんじゃあいつらは」
「あらあら」
呆れ声をあげた二人は、次の瞬間顔を強張らせる。
逃げる二人組を追いかけてきたのは、獰猛な二つの顔をもつ犬のような生き物だった。かなり大きい。
「双頭狗!?」
なんだ。双頭狗か。
「なんてものを連れて来とるんじゃあいつらは!」
ん?
「阻害魔法を強めに唱えますよ」
アンゲーリカが宣言して呪文を唱え始める。
双頭狗は犬の変異種のなかではかなり上位に入る。ロベルトの再三の注意を思い出して『視て』みると、ファイアブレスと咆哮の二つが固有才能にあった。広範囲に影響があるブレスが厄介だろうか。
アンゲーリカが足止めのための魔法を唱え始めているのを横目に、俺は風魔法を発動させる。
【風よ】
またきちんと言えなかった……
それでも魔法は発動し、アンゲーリカの足止めの魔法でたたらを踏んだ双頭狗の右足をスッパリと切り取る。
「ギャォウ!」
む。睨まれた。負けないぞ!?
「フュルヒテゴットさん!?」
「何を連れて逃げておるんじゃこの馬鹿者が!」
「仕方ないでしょう! あんな化け物倒せませんよ!」
んん?
「よくそんなことでボスに挑もうなんぞ思ったもんだな!?」
「わかっているでしょう!? アレはここのボスより強いんですよ!」
えっそうなの!?
驚きすぎて追撃を忘れちゃった。アレがこのダンジョンのボスより強いなんて、どんだけ弱かったのこのダンジョンのボス。
ちなみにアビスでも双頭狗は出て来た。特段珍しくもない変異種だったので、名前すら話題にのぼらない雑魚敵だったけど。
「来ますよ!」
アンゲーリカが警告を発する。
後ろから駆けてきているトールハンマーの姿が見えた。だがそれよりも突撃してきた双頭狗の動きのほうが速い!
【重硬刃陣!】
そこへ俺の魔法が炸裂した。反射的に避けた双頭狗の後ろ脚をごっそりと削りとる。よろけた双頭狗の頭が迫り、フュルヒテゴットのハンマーがその頭部をとらえた。
「ギャン!」
鈍い音がして双頭狗が反対方向に吹き飛んだ。ハンマーも頭部で弾かれたが、フュルヒテゴットはよろめきもせずに魔法陣の中で体勢を整える。
魔法陣からは出ないでね!
「このやろう!」
あ。イルモが追いついた。
素早く繰り出された長剣が双頭狗の後ろ脚に傷を刻む。――む。浅い。イルモは斥候タイプっぽいから力が足りないのだろう。これがサリやロベルトならさっきの一撃で両断してただろうな。
……いや、元魔王や元勇者と比べちゃ駄目だな。反省。
俺も力を最小にセーブしてるから致命傷与えれてないしな。
「グルァ!」
双頭狗が唸り、大きく息を吸い込む。ブレスだ!
「レディオンちゃん!」
「みゅ!?」
アンゲーリカが俺を抱きしめ、フュルヒテゴットが俺達の前に立つ。ちょ!? あ、でもギリギリ魔法陣内だ。セーフ!
トールハンマーのメンバー達が血相を変えたあたりで双頭狗がブレスを吐いた。
おお……意外と広範囲。
ちなみに炎は魔法陣の前で綺麗に左右に分かれて後方で消えた。
「……おあ?」
覚悟を決めて立ちはだかってくれたらしいフュルヒテゴットが奇妙な声を零す。うん。まじまじ俺と魔法陣を見比べなくても、原因はその魔法陣ですよ。
双頭狗はと見れば、ブレスを吐いた姿のまま固まってしまっていた。ブレスを浴びせても無傷な俺達を見て驚愕したらしい。完全に目を剝いている。
【雷よ!】
そこへ俺の雷撃がバリバリッとな。
「は!?」
トールハンマーの一同が驚愕の表情でフリーズした。黒焦げになった双頭狗が、硬直したままコテンと地面に倒れる。
あ。俺がとどめさしちゃった。変な固有才能拾ってないといいんだけど……
そして周囲の視線が俺に集中する。
「……きゃむ!」
とりあえず杖を振り上げて雄たけびのポーズしておこう。