幕間 決めた意志
◎
その報告をヤーヒムが受け取ったのは、定期的に行っている報告会でのことだった。
「兵士が減っている?」
「はい。ここ最近、急激にです」
報告をあげたのは南海総督のブロルで、ヤーヒムにとっても頼りになる弟だった。
魚人族はどの形態の魚人であっても、卵と精がそろえば子供は出来る。そのため、鮭魚人のブロルと鮫魚人のヤーヒムという兄弟も生まれる。精をかけた男親が違うだけで、卵を産んだ女親が同じだからだ。
「どこかの好戦的な連中が攻めてきたのか?」
「いえ、どうやら船を襲って返り討ちにあっているようで……」
「なんだと!?」
ヤーヒムは怒りと驚きの混じった声をあげた。
「船を襲っているのか!? まだその時期では無いだろう!」
「一部の魚人が早とちりして襲っているようで……それがここ最近増えて、結果として被害も増えているようです」
「馬鹿な事を! 魔族どもにこちらの動きを悟られたらどうするつもりだ!」
ヤーヒムの怒りにブロルは困ったような顔で胸鰭をすくめる。
魚人の性格や性質は長によって変化する。現在の魚人が好戦的かつ猪突猛進なのは長であるヤーヒムのせいだ。
「警告を出しますか?」
「……その警告を見て、将来の襲撃に躊躇するようにならないか?」
「なるかもしれませんが、このまま兵士が減り続けたり、魔族にバレるよりはマシだと思いますよ」
「あ゛~くそ! 上手くいかねぇ!!」
苛立ちのままにヤーヒムが尾を振る。その一撃で壁際の珊瑚の一部が砕け、ブロルがもったいなさそうな顔になった。
「暴れないでくださいよ。ここの調度品は一級品ばかりなんですから」
「うるせぇ! お前も提督なら兵士の管理ぐらいきっちりしろ!」
「兵士達はヤーヒム様に似て勇猛果敢ですからね。管理してもすぐに飛び出してしまいますよ」
勇猛果敢と評したのが良かったのか、ヤーヒムが目に見えて機嫌良くなった。
「まぁ、俺の兵士達だからな」
「その結果が現在ですが。あと、気になる噂があります」
「噂?」
「なんでも、とんでもない美人が船の襲撃を応援しているとか。それで血気盛んな連中が船を襲撃しているらしいです」
「なんて馬鹿な連中なんだ……まぁ、魅力的な雌の前でかっこつけたいのは魚人の性だが」
「本能的なものですからね」
ブロルも頷いて肯定する。魅力的な雌を求めるのは魚人の性のため、するなと言っても我慢出来ないだろう。
「その雌が誰なのか、分かっているのか?」
「いいえ、全く。というのも、最近では何人もの雌が競うように応援して兵士を船に送り込んでいるみたいなんです。アンヤでしたっけ? ヤーヒム様のお気に入りの雌も参加してるみたいですよ」
「アンヤが!? なにをやってるんだ、あいつは……」
「有力な雄を見つけるための手段として、雌達の間で浸透してきているようです。それそのものを止めるよう警告を発するつもりですが、はたしてどこまで有効やら……」
「なんでそんな馬鹿な真似が流行るようになったんだ?」
「さぁ……? 誰かが流行らせたんでしょうけど、最初にやっていたのが誰なのかは不明です。優秀な雄を探すのは雌の性ですからね」
「くそ……頭が痛ぇ」
ヤーヒムは苛立ったように頭を掻く。
「とりあえず、雄共は無暗に船に攻撃をしかけないこと、雌共には雄共をけしかけないように警告を発してくれ」
「畏まりました」
「全く……まだ計画段階だってのに……」
愚痴るヤーヒムを眺めながら、ブロルは嫌な予感を憶えていた。
魔族の巣に攻撃を仕掛ける計画は、まさに今から準備をはじめようとしている段階だった。それなのに、もう問題が発生している。
(本当に、こんな風に計画を進めていっていいのだろうか?)
計画は、自分達が敬愛する海神族から授けられたものだ。海神からの指示を受けたという人族から武器も仕入れられ、最初のうちは調子よく進んでいた。不安など一切なく、輝かしい未来に向けて動いている感覚に心地よさを感じてすらいた。
だが、今は不安しか感じない。
襲う魔族の船には赤い悪魔が乗っていると噂されている。とんでもなく強い魔族で、すでに何人もの兵士が屠られているのだと。
(そんなに強い魔族なら、おそらく上級魔族だろう。下手をすれば、魔族に計画がバレてしまう)
海を行き来する魔族の船に対し、嫌がらせをしている連中がいるのは知っていた。襲撃はそれが高じてのことだろうとも思っていた。だが、ここまで問題が大きくなるとは思ってもみなかった。責任問題が発生すれば、監督不届きとして処罰されるのは自分だ。
(海神様はあれから何の神託もしてこない……)
最初の神託からおよそ一年。その間に受けた神託は三つ。
来るべき時のために兵力を蓄えること。
神託を授けた人族から武器を購入し、戦力を高めること。
魔族の領土に呪いを放つため、拠点の一部で人族を受け入れること。
その三つはどれも遂行されている。三番目に至っては、今も離れ小島で人族と空飛ぶ騎獣が生活をしていたし、時折人族の船が来ては大きな動く荷物を運んでいた。
全て指示通りに進めてきた。順調であるならそのまま放置でも構わないだろう。だが、こうして問題が発生しているというのに、海神からは何の助言も無い。
(何かがおかしい……)
海神の神託は、本当に海人族を豊かにするためのものだろうか?
海人族にとって、海神は信仰の対象だが絶対の存在ではない。それは長であるヤーヒムになる。
今までは海神の神託とヤーヒムの考え方が一致していた。だから問題無く進めてきた。だが、ブロルは不安を覚える。問題が発生しても放置している海神を信じて計画を進めていってもいいのだろうか、と。
(私達はこのまま、計画を進めていていいのだろうか?)
ブロルは考える。
だが、海人達に警告を発すること以上の策を彼はもってはいなかった。
●
大海原に腹を晒して浮く魚人の姿が幾つも確認出来た。
その光景を満足そうに眺めて、カーマインは胸を張った。
「順調だな」
「順調じゃないよカーマイン!」
途端、後ろにいたアルセニオが半泣きで声をあげる。船の甲板の上には、アルセニオと同じく座り込んでしまっている魔族が大勢いた。全員がもの言いたげな目でカーマインを見ている。
「順調だろう? 海人族の兵を屠れるうえに、連中の武器防具も奪える」
「数が問題なんだよ数が! もうほとんど戦争状態じゃないか!」
「あの程度で戦争はないだろう。せいぜい小競り合い程度だ」
「どんな地獄を経験してきたの君!?」
アルセニオは叫び、次いでカーマインの隣でげんなりした顔をしているザマスを見た。
「ザマスもカーマインを止めてよ!」
「止めて聞くようなタマじゃないザマス」
「諦めないで!?」
アルセニオの叫び声が大海原に響く。カーマインは肩を竦めた。
「まぁ、思った以上に魚人のお嬢さん方が頑張ってくれたんだな、とは思ったな」
「君何やって来たの!?」
百近い群れとの戦いで疲弊しきっているアルセニオに、カーマインはなんでもない顔で言う。
「単なる世間話をしてきただけだ。自分がいい女だと思うなら、男達に船を襲うようけしかけるといい、と。それで動く男がいたのなら、いい女の証拠だろう、とな」
「それでお嬢さん達が男共をけしかけまくって、あの群れになったって!?」
「そういうことだろうなぁ……お嬢さんの間で流行ったみたいなんでこっちを手伝いに来たんだが、来て正解だったな」
「来てなかったら全滅してたよ!」
「それは大げさだろう」
カーマインの言葉に甲板の一同は一斉に首を横に振る。百近い群れを前に悲鳴をあげなかったのはカーマインとザマスだけだ。あとは全員、死を覚悟した。
「連中の武器、かなりいいモノだったから、本当にへたしたら死人が出てたかもだよ」
「確かに武器はいいモノが多かったな……海人族にそんな技術があっただろうか?」
「というか、この独特の形状、聖王国のものザマスよ」
敵から奪った金属製の銛を手にザマスが言う。
カーマインの目がその銛を見つめる。
「連中が手引きしている、と?」
「そこまでは分からないザマスけど、関わってはいるザマスね。メッキだと思うザマスけど、精霊銀製ザマス。海の資源で武具をあつらえてただろう魚人族には似合わない武器ザマス」
「海人族の後ろに聖王国の影があるのは間違いなさそうだな」
「そうザマスね。――獰猛な笑顔になるの、やめるザマス」
「そんな顔になっていたか?」
ザマスに言われ、カーマインは自分の顔をつるりと撫でた。
「まぁ、戦争に欠かせない武器を聖王国から仕入れているのなら、聖王国を滅ぼす理由にもなるかもしれないからな。報告にあげておこう」
「君、そんなに戦争がしたいの?」
「逆だな。戦争を起こさせないために滅ぼしたいんだ」
「一緒に思えるよ!?」
アルセニオの声にカーマインは苦笑する。
未来を知っているカーマインと、知らないアルセニオ達との溝は埋まることは無い。それを分かっている故の苦笑だった。
「それで、また魚人に化けて煽りに行くザマス?」
「いや、そろそろ海人族も兵士の減りに気づく頃だろう。情報もそれなりに集まったし、グランシャリオ家からの指示があるまでは船を沈めに来る連中の相手をしよう」
「まぁ、それがよさそうザマスね……」
甲板に伸びている魔族達を見渡して、ザマスは嘆息をついた。
「ひとまず、武器防具を押収するか。船長、地図はあるか? 後で判明した連中の巣の位置と規模を書き込みたい」
「あいよ~」
船の縁でぐったりしていたイルデブランドが片手を挙げる。それに頷きをかえしてから、カーマインは水上歩行の魔法を唱えて海に飛び降りた。様子を見ていたアルセニオ達が嘆息をつく。
「あれだけ戦って、まだ元気だなんて……やっぱり上級魔族は違うなぁ……」
ザマスはその言葉に首を傾げる。だが、何も言わずにカーマインに続いた。
「ザマス殿か。すまない、そちらの無限袋にこれを入れてもらえないか?」
腕いっぱいに武器を抱えたカーマインに声をかけられ、ザマスは軽く眉を跳ね上げる。
「アンタの袋にはもう入らないんザマス?」
「ああ。もういっぱいのようだ」
「あとで船に押収した武器類を出すべきザマスね」
嘆息をつきながらカーマインから武器を受け取り、無限袋に入れていく。そうして、何気ない口調で尋ねた。
「ところで、上級魔族とそれ以外の魔族って、どういう風に決まるんザマス?」
「ああ……主に魔力量や武技魔法の強さだな。あまりその分類分けは好きじゃないが」
「強さが基準なんザマス?」
「そうだ。生まれとかは関係ない。まぁ、血統魔法もあるから、良い家の者が上級と呼ばれる力量を持ちやすいが、下級と呼ばれる人達の間から上級と呼ばれる者が出ることもある」
「で、アンタはその呼び方は嫌いだ、と」
「力だけで上か下かが決まるというのは、違う気がしてな、……まぁ、だからといって、何が出来るわけでもないのが悔しいが」
嘆息をつきながら浮いている海人族の装備を剥ぎ取る。精霊銀で作られた胸当てを軽く叩き、「メッキか」と呟いてザマスに渡した。
「人の認識を変えるのは難しい。良識のある者も多くいる反面、自分より下の人間をあえて作り、自分の価値を相対的に上げようとする連中もいる。全ての者がそうというわけではないが、そういう人は少なくない人数いるからな。彼等の認識を変えれればいいのだが……難しいな」
「自分の優位が確保できないと不安に思う輩も一定数いるザマスからね」
「目の前にいれば根性を叩き直してやるんだが、人数が人数だからな……」
「あんたに叩きのめされたら余計に上級魔族に平伏しちゃうんじゃないザマス?」
「そんな腐った者はいないと思いたい」
言って、最後の武器を手に取る。見た目に反して軽いそれをザマスに渡し、カーマインは船へと足を向けた。
「死体は放置でいいんザマス?」
「変異種が食べるだろうからな。この辺の海域の変異種は大きい。巻き込まれないうちに上がったほうがいいぞ」
「そういうのはもっと早く言うザマス!」
追いかけ、追い越し、一足先に甲板へ駆け上ると後ろの方で大きな水音がした。振り返ると、続いて甲板に駆けあがって来たカーマインの姿越しに巨大な鮫の姿があった。
「化け物ザマス」
「あれはまだ小さいほうだろう。大型種の縄張りだからな。船には忌避効果のある魔法を纏わせてるらしいから、こっちまで襲って来るということはないだろう」
「襲われなくても余波だけで転覆しそうなのが来るんじゃないザマス?」
「時折現れるらしいが、まぁ、アルセニオ達の腕がいいから、転覆はしないんじゃないか」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、あんまり大型種の餌になるような死体を増やさないでおくれよ? 本当にシャレにならない大型が出ることがあるんだから」
「なんなら、倒そうか?」
「海の勢力図が変わるからよして」
言われてカーマインは苦笑した。ザマスが肩を竦める。
そこへイルデブランドから声がかかった。
「カーマイン! 地図を持って来たぞ」
「写す紙もあると嬉しいが」
「直接書いていいやつを持ってきた」
「それはありがたい」
イルデブランドから地図を受け取り、甲板に置いてある樽の上で広げる。用意してくれたインクとペンを借り、丸印や文字を書き始めた。
「ここにいるのがヤーヒムという名の魚人族の長だ。一番兵力が多い場所でもある。こっちの巣には若い連中が多い。集めている兵力の一部とみていいだろう。それと、この島には人族が時折来るらしい。飛行型の騎獣もいるようだ」
「よくまぁ、細かく調べ上げれたもんだな」
「魚人にとって私達は美人らしいからな。ちょっと尋ねたらペラペラ喋ってくれたぞ」
「……まぁ、確かに見てくれは上等だからな、あんた達」
「含みもたすのやめるザマス」
ザマスの不服そうな顔に笑って、イルデブランドは書き終わった地図を受け取る。
「それじゃ、報告書と一緒にこれをグランシャリオ家に送ろう。他に何か連絡する内容とかあるか?」
「…………。いや、ない」
言葉を飲み込み、カーマインは首を横に振った。ザマスがもの言いたげな顔になりつつ沈黙する。
「そうか? じゃあ送っておくぞ」
中身が別の場所の無限袋と連結している、という袋に地図類を放り込むのを見守り、カーマインは未練を打ち切るように視線を海へと向けた。
ゆったりとした動きで大型の変異種が浮き沈みしている。あれだけ周囲に浮いていた魚人達の姿がほとんど見えなくなっていた。
(後悔は無い)
敵は滅ぼす。その覚悟が無ければ命のやりとりなど出来ない。殺そうとしてくる相手を殺すことに躊躇すれば、愛する人達が苦しむ羽目になるだけだ。
(だから、これでいい)
海人には恨まれるだろう。憎まれるだろう。それだけのことをしてきたし、これからもすることになる。だから憎悪を向けられるのはかまわない。
(これでいいんだ……)
カーマインは海を見つめ続ける。
その背中をザマスがそっと見守っていた。