44 ユスカダンジョン
落ち着け。落ち着けよ、俺。
まずは周囲の情報を整理しよう。
おそらくここはアビスダンジョンとは別のダンジョンだ。
俺が抱き着いている巨大な水晶玉のようなのがダンジョンコアで、階層主らしい変異種の姿は無い。
コアと対峙するような位置にいる冒険者が倒したのだろうか?
冒険者は六人。全員人族のようだから、ここはセラド大陸ではない。
で、だ。
問題なのは、冒険者一行が俺のことをものすごく警戒した目で見ていることだ。たぶん、呼び寄せされてきた新手の敵だと思われてるんじゃないだろうか。
力技でなんとかすることは出来るが、出来ればそんなことはしたくない。
俺は意を決して口を開いた。
「そこの冒険者の人々よ、状況を確認させてもらえるだろうか?」
待って!?
「…………」
「もしかして」
俺、喋れてなくないか!?
「喃語しか口に出来ない!?」
全部喃語になってる! なんでだ? アビスダンジョンのコア、いったい俺に何をしたんだ!?
「……ね、ねぇ、あの子、なにか訴えようとしてるんじゃない?」
「いや、でも、突然現れたってことは、ダンジョンの用意した敵じゃないのか?」
「でも赤ん坊よ?」
やばい。やっぱり誤解されてる。しかも誤解解こうにも喋れない。
「俺は敵じゃないぞ!?」
「ほら! やっぱり何か訴えようとしてるのよ!」
「けど何言ってるのか分からねぇだろ!?」
「でも!」
「ニーナは黙ってて! もしかしたら高度な魔法の呪文を唱えてる最中かもしれないでしょ!?」
「そんな風には見えないわよ!?」
冒険者達が仲間割れを起こしている!
こういう時はどうすればいい!? どれが正解だ!? 前世なら問答無用で一掃してたが、今世ではその方針は無しだ。口で弁解が出来ないんだから、行動で示すしかないのだが――
「!?」
突然頭に痛みが走った。強烈な耳鳴りのような感覚がする。これは――洗脳か!
ダンジョンコアが俺を洗脳しようとしている!
「んきゃあん!」
俺は怒りの声をあげると、全力で小さな拳を目の前のコアに叩きつけた。
バガンッ、と。
形容しがたい音がしてコアが砕けた。
「「…………」」
弱くない!? ダンジョンコア、弱くない!? え、こんなに脆いものなの!?
そして俺は重力に引っ張られて地面に不時着して尻もちついた。赤ん坊の姿だとバランスとるの大変なんだよ……
「え、砕い、た……?」
「うそだろ……」
冒険者一行も唖然としている。
俺も呆然としていたが、はたと気づいて立ち上がった。
ここは逃げるが勝ちだ!
「あっ! ちょ!?」
「逃げた!」
全力で走り、冒険者達と逆側に逃走する。こっち側に道が出来ているのは確認済みです!
さらばだ冒険者達よ! 俺はここのダンジョンとは無関係です!
――そうして走り込んだ道の先には金銀財宝の山が。
え。行き止まり? うそん!?
「待て! って、え、宝部屋!?」
あ。追いつかれた!
「きゃーぅ!」
俺は慌てて方向転換し、部屋の様子に目を奪われた一行の横を通り抜けて再度逃走する。
さらばだ冒険者よ! 宝を分け合って帰るといい!
帰り道を俺は知らないけどな!
「待って!?」
「なにしてるのニーナ! お宝よ!?」
「でもあの子が……!」
「そんなのどうでもいいでしょ!? 敵じゃないのなら放っておきなさいよ!」
そう、放っておいてくれていいのよ!
パッと見、脅威となりそうな宝物は無かったから、俺もそちらを放置します!
まずは安全圏に辿り着くことが先決だ。ダンジョンコアの砕けた階層主部屋も安全圏と言えば安全圏だが、いつあの冒険者一行が来るかわからない。とりあえず広場に戻ったら砕けたコアが放置されていたので無限袋に入れておく。いや、こんなことしてる場合じゃないんだけど。
「んきゅぅ」
俺は周囲を見渡し、頑丈そうな両開きの扉を見つけてそちらに駆けた。おそらく階層主部屋の扉だろう。重そうだったので全力で押したらものすごい轟音をたてて勢いよく開いた。うわ、見掛け倒し!
「なんだ!?」
「いきなり扉が開いたぞ!?」
どうやら扉の前には別の冒険者一行がいたもよう。そして俺は死角になっているのか気づかれてません!
逃げるが勝ちだ!
小さな足の精一杯のダッシュで飛び出す。
「な!? 赤ん坊!?」
気づかれた!!
「なんだあれ!?」
「ドラゴンファングの連中はどうした!?」
「階層主は倒したのか!?」
「なんで赤ん坊が出てくるんだ!?」
冒険者達は混乱している!
それはいいのだが、一部の冒険者が俺を追いかけてくるのはどういうことなの!?
「とりあえず、捕まえろ!」
「ユニークモンスターかもしれないぞ!」
違いますぅー!
「きゃああん!」
何組かの冒険者達が追いかけてくる! こんな時にちょどいい魔法って何があったっけ!?
あ! アレがあった!
くらえ!
「~~~♪」
スリーピングソング!!
ロベルトに言われたことを思い出して歌ったら、後ろでバタバタ倒れる音が。
やったか!?
「どうした!?」
「何があった!?」
時間差で追いかけてきた連中が!!
スリーピングソングは成功したようだが、声が聞こえる範囲で効果が変わるようだ!
とりあえず有効なので囲まれたら都度使うことにしよう。そして俺を追いかける追手が増えてます。
「あのちびっこいのが階層主か!?」
「ボーナスモンスターかもしれないぞ!?」
違いますぅー!
階層主部屋から飛び出したせいで変な誤解が生まれている!
というか、なんでこのダンジョン、こんなに冒険者がいるの!? これが普通なの!?
俺は素早く周囲を索敵すると、人の少ない方へと走った。この短い足では必死に走っても追いつかれてしまう。
仕方がない。気は進まないが闇翼を使うしかない。
俺は意を決して闇翼を広げた。
「天使!?」
違いますぅー!!
だが、これで速度が出せる!
俺はこれでもかと魔力を込め、吹っ飛ぶようにして宙を駆けた。すぐ後ろまで迫っていた冒険者達がどんどん引き離される。分かれ道を曲がり、さらに奥の分岐点を人の少ない方を選んで飛んだ。向かう先にいるのは二つの気配だけだ。
「んっきゅ」
俺は速度を落とすと、編んでいた魔法を展開させる。気配も姿も消す魔法だ。詠唱が出来ないので魔力まかせになるが、これで俺の姿は誰にも見れないはず!
――考えたら、階層主部屋を飛び出す時にこの魔法唱えておいたらよかったんだよな……気が動転してたにしても、うっかりすぎるだろう、俺。
考えにも余裕が出て、俺は闇翼を仕舞いながら岩窟の壁を『見た』。ユスカダンジョン跡地、という情報が読み取れた。
どうやらここはユスカダンジョンという名前だったらしい。跡地、って出たのは俺がダンジョンコアを砕いたせいだろう。……変な固有才能を拾ってませんように……
祈りながら歩いていると、奥の方からかすかに女性の声が聞こえてきた。なにやら切羽詰まっているような声だ。トラブルでも起きたのだろうか?
本当なら関わり合いにならないよう距離をとるべきなのだろうが、聞こえてくる声があまりにも切なくて、俺は駆けだしてしまっていた。いくつかの曲道を曲がって、声の主へと近づく。
途中、血の匂いがした。それは声の場所に近づくほど強くなる。
「おじいさん! しっかりして!」
声は年配の女性のものだ。曲がり角を曲がった途端に飛び込んできた光景は、血塗れで倒れている初老の男と、それを抱き起す初老の女性だった。
他に仲間はいないのか、冒険者の姿は初老の二人だけしかない。
近くに倒れているのは鋭い狂気に似た緑色の猿だった。アビスダンジョンの階層主に酷似した変異種を倒したのだとすれば、この二人は相当な実力者ということになる。
――考えている暇はない。
男の顔色は血の気が引いた蒼白で、落ち窪んだ目が死が近いことを表している。
俺は素早く男の傍らによると、意を決して唱えた。
【祝福せよ!】
魔法もちゃんと言えませんでした!!
「な!? 赤ん坊!?」
声を出したせいで魔法が解け、俺の姿に気づいた老婆が声をあげる。
魔法の発音は全然駄目だったが、発動はしたらしく、老爺の顔がみるみるうちに生気を取り戻す。
「これ……は……」
うっすらと目を開けた老爺に、俺はほっとした。見ず知らずの他人とはいえ、助けられる命は助けておきたい。まして、女性が必死にすがりつくような男なら尚の事だ。
俺は老爺を見つめながら声をかけた。
「大丈夫か?」
相変わらず言葉は喃語だがな!
「儂は天国にでも来たのか……?」
「おじいさん!」
「……アンゲーリカ? お前さんも来てしまったのか?」
「違いますよ、おじいさん。この子が治してくれたんですよ」
おばあさんの名前はアンゲーリカというらしい。おじいさんはアンゲーリカと俺を見比べ、自分の体を見下ろして唸った。ゆっくりと体を起こし、大きく引き裂かれたままの腹部の服を触る。
「あれだけ深手を負ったのに、完治しておるな……」
うん。腸とか出てたけどちゃんと治したよ。
「褒めて!」
胸を張った俺に、おじいさんは表情を緩める。
「ありがとうな、助けてくれて。今度ばかりはもう駄目だと思ったが……」
「ありがとうね。……それにしても、お前さん、一人なのかい? ご両親は?」
おばあさんが目元の涙を拭きながら首を傾げる。
困った。言葉が喋れないから伝えれない。
どうしようかと思ったところで、耳元で大きな声が聞こえた。
『レディオンちゃん!? レディオンちゃん!? 今どこにいるんだい!?』
父様だ!
ここがどの大陸のどの国なのか不明だが、無距離黒真珠が聞こえる範囲らしい。
「父様!」
『レディオンちゃん!? 声が赤ん坊になってるけど、何があったんだい!?』
ああーッ! 伝えたいのに伝えられない!!
「この声、お前さんの耳飾りから聞こえてきてるのかい?」
おばあさんの声に、俺は頷いた。
「ちょっとごめんよ」
おじいさんが俺ににじり寄り、無距離黒真珠に顔を近づけて言う。
「横からすまんね、儂はフュルヒテゴットという者だが、この赤ん坊の親かね?」
『!? 誰だ!?』
「ドワーフ族、黒谷の一族の出、フュルヒテゴットだ。この子に危ない所を助けてもらった者でもある」
『……私はグランシャリオ家当主、アロガンだ。うちの子を保護してくれている、と考えて良いのか?』
少し気を落ち着かせたらしい父様の声に、俺は頷く。父様には見えないけれど、その反応を見たおじいさんも頷いた。
「ああ。儂の命の恩人として保護している。お前さん達はどこにおるんじゃ? 近くにおるのか? この子一人だけのようだが」
フュルヒテゴットの声に父様が唸るのが聞こえた。
『ダンジョンの罠にかかってレディオンちゃんだけが飛ばされたのだ。そこはどこだ? すぐに迎えに行く!』
「それは難儀な……ここはユスカダンジョンの最下層、猿エリアの奥地になる」
『……すまないが、ユスカダンジョンという名前に心当たりがない。もしや、別大陸に飛ばされたのか?』
おじいさんが息を呑むのが分かった。俺は慎重におじいさんの表情を読み解く。
「ユスカダンジョンを知らんと? グウェンダリアで最も深いとされるダンジョンだぞ?」
『東方連合国? カルロッタから遥か東に行った、あの国々の?』
「カルロッタじゃと? お前さん達、西の果てのダンジョンにおるのか」
実は西の果ても果て、セラド大陸にいるのだが、これは秘密にしておいたほうがいいだろう。
東方連合国という名前は俺にも馴染みが無い。ラザネイト大陸を調べた時にチラッとでたぐらいだ。確か、東国の中で最も影響力をもつ商業国家の連合だっただろうか? 関わり合いがなかったから、今まで話題にあがることすらなかった国だ。
『なんてことだ……』
無距離黒真珠から父様の絶望した声が聞こえてくる。
『どれだけ急いでも十日はかかってしまうではないか……』
……早いのか遅いのか判断に迷うな。
「西の果てから十日で渡って来れるのか!?」
『最速でそれぐらいかかってしまう。すまない、フュルヒテゴット殿、無事に会えれば必ず礼をする。だからその子を保護しておいてくれないだろうか?』
「それは勿論、儂の命の恩人だからの。必ず親元に届けると金槌に誓おう」
『恩に着る。――レディオンちゃん』
後半は俺に向けての連絡らしい。おじいさんが目配せしてくれたので、俺は無距離黒真珠に触れた。
『必ず迎えに行く。すぐに行くから、少しだけ待っていてくれ』
「わかった」
…………この喃語、どうにかならんかな……
『絶対すぐに行くからね!』
父様の力強い声で通信が切れた。俺はおじいさんを見上げ、おじいさんは俺を見下ろす。
「お前さん、ナリからして上等な家庭の出だと思ったが、かなり上の貴族の御子息か」
「魔王です」
「それに、こちらの言葉も全部理解しているようじゃな。よほど高度な教育を施されてきたのだろう」
フュルヒテゴットのごつごつとした大きな手が俺の頭に乗る。正しくは俺の頭を包む頭巾の上だ。これだけは死守せねばならん俺のトップシークレットです!
「十日で来る、というのは誇張だとしても、親御さんは大急ぎで来るつもりらしい。儂等も地上に戻るか」
「……そうですね、おじいさん。この子を連れて深部に行くわけにもいきませんからね」
おばあさんが立ち上がり、おじいさんに手を貸す。そうして俺の前で膝立ちになった。
「おいで」
「ぁい」
抱っこしていただきました!
「小さくて可愛いねぇ」
おばあさんが嬉しそうな声をあげる。よしよししてくれる手が温かくて、俺も嬉しいです。
「ひとまず、正規ルートに戻るとするか」
フュルヒテゴットがそう言って倒れている緑猿に近づく。その体に手が触れると、一瞬で緑猿の姿が消えた。無限袋のようなものを持っているのかな?
「あまり驚かんな」
ちょっと残念そうなおじいさんの声に、おばあさんが呆れた顔になる。
「この子のびっくりした顔が見たかったんですか」
「いきなりデカイのが消えたら驚くじゃろ? 期待しとったんだがなぁ」
すまんね。見慣れてるから驚かなかったよ。
「さて、一応自己紹介しておこうか。儂はフュルヒテゴットだ」
「私はアンゲーリカよ」
「お前さんはレディオンでいいのかの?」
フュルヒテゴットの声に俺は頷く。フュルヒテゴットは苦笑した。
「賢い子じゃな。親御さんが来るまで、よろしくの」
「ぁい!」
頷いて親愛を示すために頬ずりする。フュルヒテゴットが相好を崩した。
「あら、レディオンちゃん。おばあさんにはしてくれないの?」
アンゲーリカがそう言うので、レディの頬にも頬ずりする。アンゲーリカも相好を崩した。
「あの子の小さかった頃を思い出しますね」
「そうだなぁ……」
アンゲーリカは嬉しそうだが、頷いたフュルヒテゴットは少し複雑そうな悲しみ混じりの声をあげた。なにか事情があるのかもしれない。
「まぁ、ともかく。地上に戻るか」
フュルヒテゴットがそう言って俺が走って来た道を戻り出す。
あ! このまま行ったら、もしかして。
「いたぞ! 赤ん坊だ!」
ああー……まだ追手来てたよ……