38 ポーツァル領へ
ジルベルトと話があるというユルゲンと別れ、アヴァンツァーレ家の別室に移った俺は、用意されていた資料をめくりながらレイノルドに問うた。
「ポーツァル家に関する資料はこれだけか?」
「はい。今も諜報員が情報を集めていますが、現時点で集まっているのはそれだけです」
本ぐらいの厚みのある資料を見ながら、少ないな、と俺は思った。多分、ポムにもらっていた資料と比べてしまうせいだろう。いつも分厚い資料を用意されていたが、あれはポムが特殊なだけで、本来ならこれぐらいが普通なのだ。
――ポムが優秀すぎたのだ。
「いかがなさいましたか?」
「……いや。よく集めてくれた。礼を言う」
「有り難き幸せに存じます」
本当にレイノルドは俺に対して忠誠が篤すぎると思う。
「魔穴と呼ばれる場所も捜査してくれたんだな」
「ポーツァル家の魔穴は有名でしたから。妖魔の長が封じられるより前からずっとある場所のようです」
「なんでまたそこを封印の地に選んだんだろうな……」
呆れ半分に魔穴の資料を読み、なるほど、と呟く。
「これ、デチルレを起こしてるダンジョンだな?」
「レディオン様もそう思われますか?」
「ああ。実際に現地に行かないと確かなことは言えないが、出てくる変異種が数種類しかいないし、一定期間、外に出た後は穴に戻っている。ダンジョンのための獲物を確保しに出入りしているんだろう」
「デチルレダンジョンは珍しいですから、この国の人々が把握してないとしても仕方ありませんな」
「まぁな」
『自然領域型地下変異種』はある一定の条件を満たすと外との境界を無くし、ダンジョン内の変異種が外に溢れるという事態を引き起こす。これをデチルレと呼ぶのだが、そうなるダンジョンの確率は低い。
俺が知っているのだと、前世で『自然領域型地上変異種』がこれを引き起こし、あふれ出た変異種の大群と、近くにあった変異種の巣のせいでシンクレアが命を落とした。
今世では変異種の巣は父様達が掃討したので大丈夫だろう。『自然領域型地上変異種』も見つけ次第破壊するつもりだ。
「カルロッタは軍が変異種の討伐を行っているようなのだが、魔穴と呼ばれているこのダンジョンには軍が出入りしていないんだな」
「本来であれば領主軍が対応するはずなのですが、当主が倒れ、代理も行方不明、代行も王都に来ていてほとんど対応が出来ていないようです」
駄目じゃないか……
「危機感が無いのか……? なんで代理や代行になった連中まで領地を離れてるんだろうな……」
「一応、領主軍の一部が交代で魔穴の変異種を討伐しているようですから、最低限の処理だけは出来ている……と言いたいところですが、魔穴から出てくる変異種の数が多くて負傷者が増えているのが現状のようですね」
「頭が痛いな……」
デチルレを起こしているダンジョンは、速やかに処理するのが鉄則だ。デチルレ中のダンジョンは頻繁に呼び寄せを行い、領域内で生き物を変異させ続ける。結果として溢れる変異種は多くなり、犠牲者はさらに増える。呼び寄せを防げる者であればいいが、たいていの者は呼び寄せに抗えないのだから、出来るだけ早くダンジョンコアを壊すべきなのだ。
「本土でもダンジョン攻略しているんだが、こっちでもダンジョン攻略しないと駄目なのかな、これ……」
「ご希望であれば、軍を率いて討伐してきますが」
「軍を動かすのであれば、リベリオや王に相談したほうがいいだろうな。要請するかもしれないから、とりあえず準備だけは整えておいてくれ」
「はっ!」
レイノルド、イキイキしてるな。けど――
「お前は総指揮者だから行けないぞ?」
「……はい……」
すごいしょんぼりしたワンコみたいになってる。
「いつか腕を振るえる場所に連れて行ってやるから」
「はいっ!」
復活した。よしよし。
なんだかロベルトが苦笑しているけど、スルーしよう。
「とりあえず、王に連絡しようか。モニターはあっちか?」
部屋の片隅にある装置を指さすと、そうだと頷かれた。
「モニターにまで来れなくても、会話できる状況だといいんだがな……」
とりあえず、無距離黒真珠のスイッチを入れて話しかける。
「こちらレディオン、カルロッタ王はいるか?」
『…………。…………。レディオン様?』
少しの空白を経て、カルロッタ王の声が返ってきた。
「今、時間いけるか?」
『かまいません』
よかった! 会議中とか謁見中とかだと大変だからな。
「ポーツァル家のユルゲンを保護した連絡はいっているか?」
『はい。アヴァンツァーレ領主からリベリオ経由で連絡が来ましたな』
「それはよかった。アヴァンツァーレ領から王都に送る予定だから、便宜を図ってやってくれ」
『かしこまりました』
「それと、ポーツァル領の『魔穴』のことなんだが、あれはダンジョンの可能性が高い。しかもダンジョン内の変異種――お前達の言うモンスターが溢れてくる現象を引き起こしているようだ」
『あの魔穴がダンジョン!? しかも、溢を起こしている、と!?』
「『溢』?」
詳しく話を聞くと、どうやらデチルレのことを人族は『溢』と呼んでいるらしかった。
「出来るだけ早くダンジョンコアを砕いたほうがいいんだが、その領域内に妖魔の長を封印しているらしいんだ。とりあえず、ダンジョン攻略しながら長の解呪を試みたいんだが、勝手にやるわけにもいかないからな。許可をくれるか?」
『本来であればポーツァル領主に通達してからになるのですが、それでは遅いでしょうな……王命で現地協力を要請しましょう』
「幸いユルゲンはこっちにいるからな。ダンジョンの件を話して対応してもらう。長の解呪についてはもう話してあるから、たぶん受け入れてくれると思う」
『では、早速軍を動かす準備を整えましょう』
王がそう言ったので、俺はちょっと慌てた。
「それなんだが、ロルカンにいるうちの軍をそちらに回すつもりだ。全員上級魔族だから、たいていの変異種に対応できるだろう」
『上級魔族の方々を? ……確かに、そのほうが効率は良いのですが、大丈夫でしょうか? ポーツァル家は妖魔王の封印や当主の寝たきりのこともあって、魔族に対して否定的なのです』
「なんとなくそんな気はした。だが、デチルレ――『溢』を起こしているとなれば、早めに対処しないと駄目だろう。どうせ妖魔の長を開放するのに赴かないといけないんだ。ユルゲンと話し合いながらなんとかしよう」
『申し訳ありません。本来であれば我々が対応しなければならないところを……』
おっと。王がしょんぼりモードに入ってしまった。
「気にしなくていい。こちらも行方不明だった妖魔族の長の居場所が分かったんだ。妖魔の長をこちらに引き取る際のおまけでダンジョンを破壊する。それぐらいのつもりでいるから」
『ありがとうございます。私共で出来ることがありましたら、連絡くだされ』
「わかった。その時はよろしく頼む」
『はい』
その後、二、三言葉を交わして通信を切る。
さて、と。
とりあえず、目をキラッキラさせてるレイノルドに軍を作ってもらって、ユルゲンに許可をもらってダンジョンに行くとするか。
「本当に、お前はどこにいても忙しそうだな」
ロベルトに苦笑しながら言われた。否定できなくてちょっと辛い。
「代わってくれてもいいんだぞ?」
「そんなことを言って、実際には『俺がやらなきゃ』って無茶するのがお前だからな」
ぐぅ……ロベルトが俺を見抜きすぎてて辛い……
「レディオン様。ちょうど編成済みの一大隊が出撃可能です」
無距離黒真珠で部下と連絡をとっていたらしいレイノルドが報告してきた。
俺は頷き、読み終わった資料を閉じる。
「その中に竜魔はいるか?」
「はい」
「よし。それなら、竜魔の諸兄等には足になってもらうか。一大隊はすぐに発てるよう準備しておいてくれ」
「はっ!」
敬礼し、踵を返して出ていくレイノルドの背を見送って、俺も椅子から立ち上がる。
「ロベルト、ユルゲンの所に行くぞ」
「あいよ」
とはいえ、ユルゲンの現在の居場所は分からない。廊下を歩く魔族に居場所を聞いてまわり、客室の一つに行くと、椅子に座っているユルゲンがいた。頭を手の甲に乗せて俯いている。
「ユルゲン殿、少しいいか?」
「ッ!?」
開け放たれたままの客室のドアをノックしつつ声をかけると、飛びあがって驚かれた。度々すまんね。
「貴殿の領内にある『魔穴』だが、ダンジョンの可能性が極めて高い。その討伐に向かいたいのだが、領主代理として許可をくれないか?」
「…………」
ユルゲンは驚いた顔で俺を上から下まで見つめ、ややあって嘆息を吐いた。
「そんなことをして貴方に何の得があるのか、と聞いたところで、困ってるだろうからだ、とか返事が返ってくるんでしょうね」
「よく分かったな?」
その通りだったので頷くと、ユルゲンが深いため息をついた。そうして、椅子に深く腰掛けながらもう一度深いため息をつく。
「大丈夫か?」
「……あまり大丈夫ではありません……」
なんだか疲れ顔だったので問うたら真面目な答えが返ってきた。
「俺でよかったら愚痴でも聞くが?」
「……そうですか。実は、長年敵だと思っていた人達が、ものすごく親切にしてきてて困っているんです」
「そうなのか? 貴殿は相手を敵だと思っていたようだが、相手にとって貴殿は敵なのか?」
「どうなんでしょうね? 思われてないかもしれません」
「じゃあいいじゃないか。困ること無いだろ? それとも、嫌がらせとか受けてるのか?」
「いいえ。非常に親切にされています」
「どこに困る要素があるんだ?」
首を傾げていると、ユルゲンが渇いた笑いをした。なんだか諦めの入った目をしている。
「そうですね……困る要素はありませんね……」
「?」
よくわからなくてロベルトを見ると、ロベルトは苦笑していた。
「ロベルトはユルゲン殿の気持ちがわかるみたいだな?」
「まぁ、だいたいわかるかな。教えられてきた内容と現実の違いに困るというか」
「その通り!」
ユルゲンが救世主を見る様な目でロベルトを見る。
「今まで教えられ信じていた内容は何だったのか、という気持ちと、もしかしてこれも罠なのだろうか、という気持ちと、今までが誤解だったのだろうか、という気持ちでいっぱいな状態なら、俺も経験がある」
「そう! まさにそれなのです!」
ロベルトを見るユルゲンの眼差しが旧知の朋を見る目になっている。俺にはさっぱり分からないが、二人には通じるものがあるらしい。
「おまけに相手が底抜けにお人よしっぽいのがまた混乱を招くんですよね?」
「そうです! どう見ても裏がなさそうだからよけいに……!」
「あぁ……分かります、その心境。認めてしまっていいのかの葛藤まで生まれて最後にはもうどうにでもなれという気持ちに至るという」
「まさしく!」
二人でがっちり握手する。
なんなの? なんでいきなり友情が爆誕しているの?
そして俺は除け者なの?
「二人だけで分かってないで、俺に教えてくれてもいいんだぞ?」
「さっきからお前のことしか話してないぞ、俺」
「え!? 俺のことなの!?」
どのへんが!?
「……これだから天然は困るんだよ……」
「……本当に……」
二人してなんとも言えない顔で言われたが、俺の方が困っている。なんで俺を置いてきぼりにして二人で分かち合ってるの??
「とりあえず、領主代理さん、こいつはこういう奴だから、裏とか探っても無駄だから」
「そうなのだろうな……しかし、我々が信じていたのは何だったのか……」
「いもしない虚像としか言いようがない……俺もレディオン達と会ってから驚きの連続でしたよ」
「この方個人だけの内容ではない、と?」
「一見して計略に長けたように見える外見してますが、基本的にお人好しな脳筋です」
「……イメージが……」
ユルゲンが頭を抱えた。
これは、あれか。ロベルトがよく言っていた「僕の考えたかっこいい魔王像」とかけ離れているという類の。
「ユルゲン殿も、俺達魔族に何か夢というかイメージをもっていたのか?」
「一応、父は教会に認められた聖騎士でしたし、幼いころから教えを受けてきましたから」
あー。魔族が悪辣で非道な連中だとかいう例の嘘話か!
「それは根が深いな」
「百聞は一見に如かずと言いますが、ここまで違っているとは……」
言って、諦めの宿った目で俺を見つめてくる。
「おまけに伝説に謳われる魔王とは……」
しみじみと言われると、申し訳ないような気持になるな。すまんね? こんな魔王で。
「話は戻すが、ユルゲン殿、ダンジョンの破壊を俺達に任せてくれるか?」
「……任せましょう。むしろ、よろしくお願いしたい。領地にいる者が妨害しないよう、一筆書いておきましょう」
「そうしてくれるとありがたい。それと、もし一緒に行ってもいいんだったら、ポーツァル領まで竜魔の翼で送るぞ?」
「はい?」
ユルゲンがきょとんとした顔になったので、簡単に事情を説明する。
上級魔族の話が出た時には諦めを通り越して無の表情になっていたが、なんとか『是』を引き出した。
「で、何人か竜魔がいるから、彼等に乗ってポーツァル領に向かおうと思うんだ。その方が断然早いからな」
「竜魔……竜といことは、ドラゴンですか」
「そうだ。乗り心地は保証できないが、速さは保証するぞ」
「ドラゴンに乗る……」
あ、ちょっと嬉しそうな顔になった。男の子だもんな。ドラゴンに乗るとかちょっとカッコよく思うよな。
「じゃあ、一緒に行こうか!」
「はい!」
ユルゲンは子供みたいに顔を輝かせて頷いた。
なお、ロベルトはすでに死んだような目になっていた。
……高所恐怖症は辛いな……
カルロッタ王国、ポーツァル領、魔穴付近。
レイノルドから渡された地図を頼りに向かったそこは、竜魔が降りるのにちょうどいい広場のある小高い丘だった。
地上には幾人もの騎士がいて、一様に空を見上げて騒いでいる。あれはたぶん、魔穴から出てくる変異種を倒しに展開していた領主軍の一部だろう。
「ユルゲン殿。あちらに見える騎士達は、貴殿のところの騎士ではないか?」
「ええ! そのようです!」
竜に乗って意気揚々としているユルゲンが声を弾ませて答える。
「さすが、竜は早いですな! もう着くなんて!」
なんだかもっと乗っていたいと暗に言われている気がする。駄目だぞ、これからお仕事の時間です。
「とりあえず、彼等との交渉は任せる」
「はい!」
竜魔に合図して、小高い丘の端に降り立つ。うちの軍の連中が次々に竜魔から降り、ユルゲン殿が地面に降りるのを手伝ったりした。俺はといえば、死んだように竜魔の背に転がっているロベルトを担いで飛び降りた。
「ぐぅ……」
「しっかりしろ、ロベルト。もう陸地だぞ」
「陸地……地面……生還……」
「大げさだな」
地面に降ろしてやってる間に、こちらを確認しに来た騎士の一行が馬でやって来た。
ユルゲンが前に出る。
「私はユルゲン・クレメンス・ポーツァルだ。そちらの所属を言うがいい」
「ユルゲン様!? 何故、空から!? というか、後ろの竜と、その軍勢はいったい!?」
五百を超えるうちの軍に、騎士達が緊張と警戒の混じった目を向ける。大丈夫だ。手出ししない限り噛みつきはしないから。
「彼等はグランシャリオ軍だ。魔穴の撃破に協力してくれることになった」
「魔穴を!? ですが、グランシャリオ軍とは、どこの領地でしょうか? 聞き馴染みのない名前ですが……?」
「死の黒波を防いだレディオン・グランシャリオ殿の麾下にある軍だ」
ユルゲンの声に、おお、とも、ああ、ともつかない声が漏れる。だがその中で顔を強張らせる人間が何人かいた。
「そ、それは、彼等は、魔族ということではありませんか!?」
「そうだ」
「そんな、待ってください! 何故、ユルゲン殿が魔族を連れてくるのですか!」
やっぱり騒ぐ人はいるよな、一定数。
ざわめく騎士達の不安と疑惑の眼差しが俺達にふりそそぐ。
ユルゲンは騒ぐ騎士の前に立って言った。
「確かに彼等は魔族だ。だが、我々の窮地に駆けつけてくれた人々でもある」
「ありえません! ユルゲン様! 騙されてはなりませんぞ! 床に伏しておいでの当主様のことを思い出してください! あれらもきっと妖魔王の仕業に違いありません!」
「そこの。憶測で物を決めつけるなよ」
一番騒いでいる初老の男の前に進み出る。凄まじい目で睨まれたが、フラフラのロベルトがよろよろと追いかけてきていて、俺としてはそっちのほうが気になる。
「なんだ! 貴様は!」
問われたので、俺はフードを払って笑いかけてやった。
くらえ! 俺の! 八百回鏡の前で練習した渾身の笑顔を!!
「百九代目魔王、レディオン・グランシャリオだ」
「…………」
あ。倒れた。