29 魔人
魔人。その存在を【全眼】で見たとき、感じたのは底知れない悪意だった。
人族の変異種と魔族の融合。
異なる二つの種族をどのようにして攫ってきたのかは知らない。だが、まるで何かの実験のように変異させ、融合させている。
ここのダンジョンはおかしい。
災厄の種しかり、狼男しかり、魔人しかり、普通なら存在しないだろう変異種が階層主として配置されている。
ダンジョンコアに思考能力があるのだとすれば、わざと変異と融合を行い、実験を繰り返して新しい変異種を誕生させていることになる。
「ここのダンジョンコアは、ずいぶんといい趣味してるみたいだな……」
「イフリートって、あのバカデカイ人影が? 炎の魔人の?」
「炎に限定されているわけじゃない。炎系が得意ではあるが、神の領域に片足突っ込んでる化け物だ。魔法に長け、変身能力も有している。アレは――人の
変異種と魔族を融合させた末の生物だ」
ロベルトがギョッとした顔になった。
「人の!? 人も変異するっていうことか!?」
「魔族や神族ですら変異するんだ。人族だって変異するだろうよ」
「そ、そう言われればそうだな……けど、なんでそんなのが階層主としてここにいるんだよ……」
「ダンジョンコアの趣味なのかもしれないな。人にしろ魔族にしろ、好きでここに入り込んだわけではないだろうし、な」
――いや、魔族は好きで入った可能性あるか。脳筋だから。
「どこでも繁殖する人族が、唯一嫌厭して住まないのがセラド大陸だ。魔海峡と岩礁に阻まれて、こっちの大陸に来ることがめったにないから、とも言えるが」
「繁殖言うな。――そんな状態なのに、人族の変異種が出る、ってことは……」
「流れ着いた人族を誰かが匿っていたか、誰かが無理やり連れ込んだか、ここのダンジョンコアの呼び寄せが海を越えて別大陸にまで及んでいるか、だな」
俺の声にロベルトが嫌そうな顔になる。
「一のパターンが一番無難な感じだな」
「時々あるみたいだからな、漂流者。今ならうちの船でアヴァンツァーレ領まで運べるけど、特殊な船が出来る以前は命がけの航海だったからな」
「魔族でも海を越えるのは難しいのか?」
「魔海峡の渦が問題でな……あそこを越えたら、ひっきりなしに襲って来る大型海洋変異種を相手するだけだからいけるんだが……」
「後半の内容も危険な件」
「魔海峡の渦の危険度に比べたら可愛いもんだぞ? ちなみに、俺が船に乗っている時は一匹も現れなかった……」
船の上でバーベキューするの楽しみにしてたのに……
「変異種も身の危険が分かってたんじゃねーのか、それ」
「そんな! ちょっと焼き魚や焼き貝を期待してただけなのに!」
「それが駄目なんじゃねーか」
そんなー。
「ちなみに、その魔海峡、どうやって渡るんだ?」
「魔法で船を浮かせて風を操って渦エリアを抜ける」
「力技つーか、魔力技じゃねーか」
ロベルトは呆れ顔だが、魔海峡を侮ってはいけない。あそこは俺でもちょっとヒヤッとする場所なのだ。
「言っておくが、言葉以上に難しい場所なんだぞ? あのエリア、なんでか魔法の精度が落ちるから。変な方向に船体を向けさせられたりするし、ちょっとでも渦に触れちゃったら最後、ものすごい勢いで渦の中央に引きずり込まれるし」
「それ、もう渦の形した変異種なんじゃねーの?」
「俺もそんな気がする」
むしろ変異種であってほしい。
船乗りの間では誰某の怨念がどうとか言われてる場所だからな!
「後でお前の『目』で見てみたらいいんじゃねーか?」
「そうだった」
「……ほんっとに宝の持ち腐れだな?」
「こんなの日常的に使ってるほうが頭おかしいだろ。どんだけ病んでたらいつも使うんだよ? 無理やり脳みそに情報書き込まれる感覚って、けっこう気持ち悪いんだぞ?」
「持ってないから分からんが、そんなに気持ち悪いのか?」
「なんかこう、ジュワー、て内容が染みてくる感じ」
「そう聞くと気持ち悪いな……」
そうだろうそうだろう。
「けど、便利には違いないんだから、有効活用すればいいんじゃね?」
「他人事だと思って……」
「激しく他人事だからな」
「ところでそこの二人、そろそろ向こうも戦闘態勢とりそうなんだが、このまま直進でいいのか?」
おっと。サリからお小言が。
ロベルトとの会話に夢中で魔人のこと忘れかけてたよ。
「とりあえず、前衛と後衛に別れようか。魔法に長けた個体、ということで魔法戦になる可能性が高い。あと、変身能力に気を付けろ。この中の誰に化けられても困る」
「相対している相手に化けるのか?」
「分からん。そういう情報は読み取れない。もしかしたら、この前に遭遇したナイトメア・トレーサーみたいなことをやるかもしれないけど」
「やめろ。空飛ぶ尻の悪夢はもういらねぇ」
「「「空飛ぶ尻?」」」
サリとうちの両親が怪訝な顔してる。そしてオズワルドが難しい顔なのが意味不明です。
「この前のラザネイト大陸のダンジョンで、ナイトメア・トレーサーっていう、相対した相手が想像した姿に化けるモンスターが出てて……怖い敵に化けられたら困るから、って神官長が女神官達の尻に化けさせたんだ」
「…………」
あ。母様の視線がツララに。
「そんなのに追いかけられて、もう正直、勘弁してほしかった……」
「それは……大変な目に、あったな……?」
「サリ。笑いたいなら笑っていいんだぞ?」
一生懸命真面目な顔を作ろうと頑張ってるサリに突っ込む。めっちゃぷるぷるしてるんだもん、サリ。もうちゃんと声だして笑っちゃえよ。
「この中でいうと、レディオン殿に化けられるのが一番怖いですね」
え。オズワルドはなんで自分をさしおいて俺の名を言うの?
「普通に考えて、死神のほうが怖いと思うけど?」
「即死に耐性のある人と戦うのは私でも厳しいですが」
ああ、魔族はもともと即死耐性あるんだけど、俺も含めてうちの家族、即死耐性めっちゃ高いからな……
「サリに化けられても困るよな」
サリ本人が強いうえに、下手すると死神様が何するか分からない不安が。
「サリ様に化けた場合、まず私が偽物を滅ぼしますが?」
あ。サリ至上主義すぎて偽物絶対許せないマンだった。
「まぁ、とりあえず初撃に一発撃っておくか」
相変わらず同じ位置から動かず、かといってこちらから目を離さない魔人に俺は手をあげ、振り下ろす。
ガガガガンッ!
「避けた!」
「こっちに来るぞ!」
俺の放った血統魔法を避け、ゆらめく巨体がこちらに向かって突進してくる。
というか、デカイな。
「狼男よりはるかに大きいな!?」
「イフリートの異名に巨人というのがあるのは巨体のせいか」
「そういう情報ももっと早く周知しような!?」
「すまん」
言ってる間に魔人が大きなモーションで拳を打ち出して来た。
狙いは――俺!
「【巨人の力】【魔力吸収】」
強化魔法で自身の身体能力を引き上げ、体技『神魔降臨』『金剛防鎧』でさらに強化する。
やってみたかったことがある。
まだ幼い身だからと、皆が心配するからしてこなかったことを。
「力比べといこうか!」
そう、肉弾戦を!
「レディオンちゃん!?」
ガチのタイマンをやるとは思ってなかったのか、父様が慌ててる。俺も久々に暴れたいのです。
目の前まできた拳に俺のちっちゃい拳があたった瞬間、表現し難い異様な音がして魔人の腕が滅茶苦茶になった。
……あれ、普通に打ち勝っちゃったんだけど……
「意外と体、軟らかいぞ?」
「つーか、お前そのナリで一歩も引かずかよ」
微動だにしてませんとも。
「これでも生まれてすぐの頃から体鍛えてるからな」
「お前の赤ん坊生活が気になりすぎる……」
今も赤ん坊生活なうです。
「お。魔法が来るぞ」
俺に力負けしたから方向転換したのか、紅蓮の炎が魔人の周りを取り囲みだした。範囲攻撃だろうか? 発動までに少し時間がかかる系かな?
【阻害陣!】
阻害しちゃおう。
「あ。炎消えた」
【始原の槍!】
魔人の炎の魔法を無理やり阻害してその隙に魔力の槍を作って放つ。
……なんか極悪なぐらい巨大なのが出たんだけど……
「魔人の下半身が吹っ飛んだ……」
「レディオンの槍の巨大さに驚けばいいのか、意外と弱い魔人の体に驚けばいいのか、わからんな」
ロベルトとサリが緊張感のない顔でそれぞれ呟いてる。
槍の大きさは俺も驚いたよ。もしかして、俺の魔力も増えたんだろうか? もとから膨大すぎて差異が分かりにくいんだよな……
「ん? 魔人の上半身が……」
地面に落ちてた魔人の体が粘土のように纏まって丸まり、次の瞬間にロベルトの姿に変化した。
「俺に化けた!」
「よし来い!」
「なんで元魔王さんは笑顔で突っ込むんだよ!?」
戦ってみたかったんだろうなぁ……元勇者として、現勇者と……
そして魔人の化けたロベルトがサリと切り結ぶ。
「……うわ、速度特化型がぶつかるとこうなるのか……」
なんかもう高速で刀と剣がぶつかりあってる。サリの刀が欠けないか心配になったが、よく『見た』ら神器になっていた。……オズワルド……
「こんなものでは無いだろう!? もっと実力を出したらどうだ!」
「俺が言われてる感強くて辛い」
ロベルトがすっぱい顔してる。
「これは間に入れないな……」
「サリ様、楽しそうですね」
速さについていけないうちの両親が観客に回る。オズワルドはと見ると、目をキラッキラさせてサリの雄姿を見ていた。なんでまだ結婚してないのこの人達。
「オズワルド、一つ聞いていい?」
「なんでしょう?」
「ロベルト達も結婚したんだからさ、オズワルド達も結婚したら?」
「今更形から入る年でもありませんので」
……おじいちゃんェ……
「年齢は関係ないと思うんだけどな……」
「サリ様のご意向次第ですね」
あ。サリの動きがちょっと鈍った。慌てて立ち直らせてるけど、あの様子だと聞き耳たててたな?
あとうちの両親。興味ないふりしてるけど体こっちに傾きかけてますよ。
「サリがどうしたいかも大事だけど、オズワルドがどうしたいかも大事だろ? いつまでも受け身してないで、自分の気持ちもちゃんと伝えたらいい。一緒にいても、言わないと分からないことなんていくらでもあるんだから」
「…………」
「オズワルドは神族だったから、誓約者に全部を捧げる神族のやり方しか知らないんだろうけど、もう七百年も魔族やってるんだから、魔族のやり方もだいぶ学んだだろう? そろそろ実践してもいいと思うぞ。それこそ、初心を気どる年じゃないんだからさ」
「……。そうですね」
お。前向きな返事きた。
そして剣戟が乱れる。……サリ……
「……代わろうか?」
「代わらなくていい!」
つまり、もっと焚きつけろ、ですね。分かります。
さて何を言おうか、と考えてると、戦いを注視していたロベルトが怪訝そうな声をあげた。
「ところで、あの偽物、だんだん形が変わってきてないか?」
「本当だ。髪の毛が黒くな……」
隣の死神様が怖い顔になった!!
「痴れ者が」
サリに化けた途端、魔人が一瞬で崩れ落ちた。怒れる死神様が何かやったらしい。
「サリ様、譲っていただきます」
「いや、待て。オレと同じ顔のモノとお前が戦うのも、微妙な気分になるんだが……」
「すでに心臓を握っております。時間の問題かと」
「ん? また変化しようとしてるが……」
黒髪から銀髪になった。
あ、母様が走り込んで行った!
「譲っていただきます!」
「お、おう」
有無を言わさず母様が振りかぶるのは――拳!?
「ぐはっ……!」
あ。父様に化けた魔人が吹っ飛んだ。
「さぁ! アゲていきましょうか!」
「…………」
母様がノリノリだ。
父様がすっごいすっぱい顔してる。
「アロガン殿……夫婦円満のコツは、女性を立てることだそうですよ」
「肝に銘じておきます」
オズワルドと父様がひそひそ言い合ってる。
俺は気の毒すぎて父様に化けた魔人を見ていられなかった。だってもう、笑顔満面の母様が怖くて怖くて……絶対何か含みあるだろ、あの怒涛の拳。速度特化型じゃないはずなのに母様の一撃一撃が速くて重い。どんだけ思い込めて殴ってるの?
「アロガン……何をやったら妻をあんなに激怒させれるんだ?」
「分かりません……」
父様、魔境となっていた当時の家の状況すら把握できていなかったもんな。母様の鬱憤がいつから溜まってたかしらないけど、下手したら結婚直後から溜まっていた可能性あるぞ。
「あ、また変化――うちの嫁になるとはどういうことだよ!?」
ロベルトが腰から光る風みたいな剣を取り出した。本気モードじゃないか。
母様とバトンタッチしてロベルトがシンクレアに化けた魔人と切り結ぶ。
「ここにいない者にも化けられるんだな?」
「そうみたいだな」
観客にまわっているサリと魔人について検証する。めったに会わないだろう変異種だが、一度会ったということは二度三度が無いとも限らない。情報は集めておくべきだ。
「本体の時はそう強くなかった」
「相手がお前だから『強くなかった』部分に疑問が残るが、変化した相手の方が強いのは確かだな」
「魔法に長けているのに魔法を使ってないのも気になる」
「初撃でお前に阻害されたからだろう?」
「魔力でゴリ押ししないか? そういう時は」
「そんなことが出来るのはお前ぐらいのものだ」
「そうかな……?」
サリもやろうと思えば出来そうなんだけどな……
ちなみに魔法が効かない時は物理で殴り、物理が効かない時は魔力で殴るのが魔族流だ。
「普通、変化で誰かに化けた場合は弱体化するものだが、切り結んだ手応えを考えるに、能力値は本人と同等だな」
「そしてその場にいない者でも変化は可能。――一番気を付けないといけないの、変身能力だな」
「特にこの場にいない者の場合、コアの呼び寄せで連れてこられたのか、変化したものなのか、変化の瞬間を見てないと分からないのが辛いところだな」
「本人と切り結んでいる場合、どちらが本物なのか分からなくなるのも危険といえば危険か」
「俺達の場合、変化見てすぐに交代してるからな……」
「……お前の母親、おっかなかったぞ……」
「ごめん……」
俺も笑顔全開の母様が怖かったよ……
「それより、ロベルトだ。覚醒してるからか、シンクレアに勝っているな」
「心情的に致命傷は与えられないみたいだが、勝ってるな」
「ロベルトの気持ち的に追い詰めてもとどめはさせないだろう。代わった方がいいか」
「いや、パターンだとそろそろ別の者に変化するんじゃないか? 勝ち筋が見えなかったら変わっているようだから」
「確かにな」
「そろそろ俺になってもいい頃だと思わないか?」
「やめろ。本当にそうなったらオレは全力で逃げるぞ」
「酷くないか?」
「妥当な対応だろう。この中で一番危険なのはお前だと自覚しろ」
言い合いながら見守る俺達の前、魔人の姿がまた変化し始めた。
俺か!? ついに俺の番か!?
豊満だった胸が平らになり、服は軍服に似たものに変わり、しかし髪の色は――……
「あ……」
嘘だ。
それはない。
それはないだろう。
抜き放った刃のような凛とした気配。
時に男と間違われる細身の体。
強い意思の宿る瞳。
そして――目に鮮やかな深紅の髪。
「嘘だ……」
どんな女性にあっても、ここまで心臓は強く激しく鳴らない。痛いほどに脈打たない。
――どれだけ会いたいと願っただろう。
彼女だからそうなるんだ。
――どれだけ触れたいと思っただろう。
俺の愛した人だからそうなるんだ。
――どれだけ夢に見ただろうか、その姿を、その声を、その存在を。
「マリーウェザー……!」
――俺の最愛の妻が、そこにいた。