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◎竜魔達は巣作りしたい
「結婚相手を探して欲しい?」
瀟洒な部屋の中に、素っ頓狂な声が響いた。
セラド大陸、アークトゥルス地方、グランシャリオ家。
その邸宅の一室で先の声を放ったのは、グランシャリオ家当主のアロガンだった。その前には身の置き所の無さそうにしている青年達がいる。
「竜魔のことについてはそれなりに知っているが……私に解決策を求めるのは何か違うのではないか?」
アロガンにそう言われて、青年達はますます身を縮まらせた。
竜魔は魔族の一つだ。魔族と一口に言ってもそれぞれで、人魔、妖魔、竜魔、神魔など、その内訳は多岐にわたる。
目の前にいる彼等は人型をとっているが、その本来の姿は名の通り竜だ。
もとは変化能力のある神魔が竜に恋をし、その竜と添い遂げるために自ら竜に変化したのが彼等の祖先だった。
竜族の血と魔族の血が混じったのが『竜魔』だが、これは別に魔族にとっては異例なことではない。なにしろ、そもそも『最初の魔族』そのものが異種族二つが合わさって出来た一族だからだ。
そして竜魔には子孫を残すうえでどうしても越えなくてはならない大きな壁がある。
それが彼等が結婚相手に難儀する理由――『自分より強い者でないと発情できない』だった。
「確かに旦那様はクレア様に食べ――誼を結んでおりますけれど、それと貴方がたの結婚相手を探すこととは別のお話ではありませんか?」
同席していたアルモニーが小首を傾げながら言う。
グランシャリオ家の当主夫妻に見つめられた青年達は、困り切った顔で肩を落とした。
「私達も、そのことは重々承知しております。ただ……私達の事情を一番理解してくださる魔族はグランシャリオ家の方々だと思い、恥を忍んでお願いにあがりました。――というのも、実は以前、ご子息様から集団見合いの件でお話があったのです」
「レディオンちゃんから!?」
呆れとも戸惑いともつかない表情を浮かべていたアロガンの双眸がカッと見開かれた。竜魔達の腰が思わず逃げた。
「は、はい。魔族内で大々的にお見合いをしよう、と」
「……なるほど。そのお話、確かに以前に聞いたことがありますね」
「本当か、アルモニー!」
「ええ」
「私には話してくれてないのだが!?」
やや涙目な夫の言葉に、アルモニーは目元を波たたせながら小首を傾げた。
「旦那様にこれ以上妾をあてがいたくなかったのかもしれませんわ?」
「そうか! 独占欲というやつだな!」
違うと思ったが、アルモニーはにっこり微笑んで言及を避けた。かわりに竜魔の青年達に向き直る。
「色々とあってあの子もお見合いをセッティングするどころでなくなっているようですが、期待をもたせる誘いをしておきながら、それ以降に何の進展もしていないのは当家の落ち度です。あの子のかわりに私達がお見合いの場を設けましょう」
「本当ですか!?」
顔を輝かせた青年達に、アルモニーは絶世の美貌に笑みをはいて言う。
「嘘は申しません。伝手を頼りに集めてくれることでしょう――旦那様が」
「私!?」
笑顔で丸投げされたアロガンがギョッとした顔になる。が、すぐに真面目な顔になって計画しはじめた。
「レディオンちゃんがやろうとしていたことなのだから、無論、私が手助けするのは当然だな。場所は前にベッカー家とやりあった場所がよかろう。独身という条件を満たせば誰でも参加できるようにして――内容はティーパーティーがいいか? それとも狩猟祭がいいか?」
「立食会でよいのではないでしょうか? お茶やケーキより肉が良いという人もいるでしょうし」
「なるほど。……しかし、独身を呼び集めるとしても、竜魔族の嫁となる条件が厳しいな。竜魔の諸兄等は、自分より強い相手でなければ発情出来んだろう?」
「はい」
「女性の竜魔も同じ性質をもつから、同族内では難しい……しかし、武闘派で知られる竜魔より強い女性となると、数が限られてくる……」
「そのことですが、旦那様。レディオンから装備品によって問題が解決できるかもしれないというお話がありましたわ」
「また私にはお話が無いのだが!?」
「ほんのついこの前手紙で知らされたばかりの内容ですもの。カルロッタの王都の騒動が始まる直前ぐらいでしたかしら」
それを聞いて、アロガンが口を噤んで小さくなる。その頃ならば、頭に血が上って大陸侵攻のために軍勢を率いていた。当然、レディオンが連結無限袋に投げ込んだであろう手紙も読んでいない。
「簡単に説明しますと、カルロッタの王族の中に『竜殺し』の異能をもつ者がいたそうです。そのうえ、自身の力を強化する鎧等を着こんでいたとか。その状態で竜魔のナンバーツーであるルーシーが人間相手に発情したということですから、試してみる価値はあるかと」
「ルーシーが!?」
「あの丸呑みルーシーが発情出来たんですか!?」
飛び出したすごい二つ名に困惑しつつ、アルモニーはしっかりと頷いてみせる。
「そのように聞いております。装備品を剥ぎ――減った後だと魅力が下がったとのお話ですから、『竜殺し』だけの作用ではないかと。それなら、他の方々にも同様に効果があるのではないでしょうか?」
「ああ! 有難い……!」
今すぐ跪いて祈りを捧げられそうな勢いに、流石のアルモニーもちょっと夫の背後に隠れた。
「その、ただ、魔道具の制作に少しお時間をいただくかもしれません。ただ『強さ』と一口に言っても、どの能力をどの程度強化すればいいのか、まだ判明しておりませんので……。申し訳ありませんが、皆様方にも試作品での協力をお願いしたいのですがいかがでしょうか?」
「やります!」
「いつでも協力出来ます!」
「何人でも協力者を増やせます!」
「ええ! 是非もありません!」
希望に湧きたつ青年達に、アルモニーは笑顔をそっとアロガンに向けた。
「頑張ってくださいませ、旦那様」
「私!?」
まさかの丸投げである。
「品を作る『ケフェウス』は旦那様の商会ではありませんか」
「確かにそうだが、手伝ってくれても全然かまわんのだが!?」
「私はレディオンの晴れ着を作るという大事な大仕事がありますもの」
「確かにそれは大事だな!」
「装身具の原案ならお力になれるかもしれません。ただ、一番問題となるのは……その……行為に至るために戦力増強品が必要ですから、つけたまま出来る必要がありますでしょう? 衣服に効果をもたせても脱いでしまったら意味がありませんし」
やや言い辛そうにした妻に、アロガンは考える顔になった。
「……そういえばその問題があったな。着衣であれば、靴下ぐらいか?」
なぜ最初にそこに着目したのか、竜魔全員が疑問に思いつつ口を閉ざした。
「チョーカーはどうでしょう? リストバンドとかアームバンドも付けたままで大丈夫そうではありませんか? ……あとは、どれぐらいの数を装着すればいいのか、という問題がありますね」
「能力差は個人個人で違うだろうしな……ルーシーが発情したという相手は竜殺しの異能持ちだったのだろう? 基礎となる能力がそれでかなり相殺されていただろうから、個別に適応するものを作るとして……個体差をどこまでカバーできるかは、相手次第ということになるな」
そこまで考えてから、目をキラッキラさせて自分達を見つめている青年達にちょっと後退る。
「ま、まぁ、期待にこたえられるようなんとか頑張ってみよう。諸兄等には気の合う方を先に見つけてもらって、その方に装身具を纏ってもらうのがよかろう」
「そうですわね。『どの能力を強化すればいいのか』あるいは『総合的な能力で勝てばいいのか』などが分れば物も作りやすいのですが……」
「前例がまだ一人しかいないからな……」
アロガンは難しい顔になった。
「他の問題は、完全なオーダーメイドとなると作る人手が足りないことだ。かといって汎用品を量産するためにはある程度の目安となる能力値が必要だろう。だが、人の能力値など、そうそう計れるものではないだろう? 相対した時に勘で推測することはできるが」
「?」
アロガンのぼやきに竜魔達が不思議そうに顔を見合わせる。
アルモニーは夫と同じように難しい顔になった。
「確かレディオンが所得した目というのが、能力の数値が見える目だったかと」
「レディオンちゃんは何でもできるからな!」
「そこまで何でもできたりはしないと思いますが……まぁ、色々と器用に出来るのは確かですね。とはいえ、あの子にこれ以上頼ることは出来ませんが」
どんな時でも親馬鹿ぶりを披露する夫に微笑みを浮かべつつ、アルモニーは実の息子の現状を思って首を横に振る。
「分かっている。あの子は一歳なのに仕事が多すぎだ」
「ポムが護衛から外れているのも問題です。レディオンには出来るだけ早く私達の手元に戻ってきてほしいですが……」
「そのポムも、どうも他人の能力をかなり細かいところまで把握出来ている節があるのだが」
「たぶん出来るのではないでしょうか? とはいえ、『出来る』のと『やる』のとはまた別だと思いますが。それにポムは今、聖王国ですよ」
「……もういっそあの国滅ぼして引き上げたらいいのではないかな?」
極端な発想に全面的に首肯しながら、アルモニーは嘆息混じりに言った。
「そうしたいのはやまやまですが、それをするとレディオンが大泣きしますよ。私はもう、あの子が無茶をするのを見たくありません」
「む……確かにそうだな」
即座に考え直し、アロガンはなんとか息子に頼らずに出来る方法は無いかと模索する。
「【分析】ともまた違うからな……能力の数値化……いったい何を基準にして数値化すればいいのか。身動きのとれない零歳児を起点にするのか……いや、しかしそれだと種族ごとに能力値は違う。猫と人間でも違いがあるのだが、その差はどうやって数値化すればいいのだ?」
「レディオンが得たという『目』にしても、私としては何を基準にして数値化しているのか不明すぎて気になります。まさか世界中の全生命の能力値を平均して数値化しているわけではないでしょうし……何をもってして能力値が算定されているのか、レディオンも分かっていないようでした」
「そういえば、一歳になる儀式に里帰りしていた時、サリ様達を交えてなにやら検証していたな」
「まともに使いこなせるようになるまでずっと目を回していましたけれど……あの追求心の強いレディオンが毎日頑張っても、どういう理屈で行われているものなのかは分からないようでした。文献にも一行か二行ある程度でほとんど何も載っていませんし、最古の神の一柱であられるオズワルド様ですらほとんど知らないご様子でしたし……」
「ポムは何か言ってなかったか?」
「『数字そのものはたいしてあてにならないものでしょう』と言われました」
その答えにアロガンは唖然とした。
「なんだそれは? あてにならない数字など、全く意味が無い気がするのだが」
「おおまかな目安になる、程度なのではないでしょうか? 私達でも、相対すれば相手の魔力量や強さはなんとなく肌で分かりますでしょう? その内容をあえて数字にしたようなものなのかもしれません。それに、もともと出会う人出会う人全てを調べてまわる変質者はいないでしょうし、そんなものを前提に世界を『見る』のはよほど頭がおかしい者でないかぎりいないのではないでしょうか。そういう意味では、あの目はあってもなくてもよいものではないかと」
「まぁ、そうだな……普通、会う相手を全員調べてまわるような気色の悪い変態はおらんな」
「いたら気持ち悪いですよ。全世界が敵というのならまだ分かりますが」
息子が聞いたらショックをうけそうなことを話し合いながら、二人はそっとため息をついた。
「使う度に眩暈を起こしていたようだし、もう封印したほうが良いのではないか?」
「ポムはそう思っていないようですけれど……あえて利点をあげるのであれば、何らかの魔術を実行する時、その数値を利用して対象を絞ることが出来るそうですから、持っていればそれなりに役に立つのかもしれません。あとは、相手のもつ異能を見ぬけるようになるので、それは有用ではないかと」
「なるほど、能力値を把握するのが目的なのではなく、魔法を編み出す時に対象を絞り込む条件にするためなのか。あと、個人の異能は確かに把握出来れば強みになるな」
「あ、あのぅ……」
話が脱線していっている夫妻に、存在を忘れられかけている竜魔達がそっと声をかける。
視線を向けると、一人がおずおずと言い出した。
「その……細かい数字とか、能力値とかは考えなくても良いのではないでしょうか? 身につければ『腕力があがる』とか『素早くなる』とか、その程度のふわっとしたものでいいのではないかと思うのですが」
「む?」
「ですが、彼我の差がわからないとどれぐらい能力があがればいいのか分からないのではありませんか?」
「そこはもう、『うんと力があがる』ぐらいに強化してもらうとか、逆に相手側に『力がでなくなる』装備をしてもらうとか」
「なるほど。確かにそうですわね」
何故かその発想が無かった夫妻は一拍置いて互いを見つめ合う。
なまじ息子が能力値の見える目を取得したせいで、つい思考がそちらに動いていたが、実際のところ確かに数字は必要無いのだ。それに、そういった品はすでに彼等の手にある。
「それなら、アレを作った時の要領でやればいいか。『力がでなくなる』のは呪いの装身具とかがあるな」
「変異種素材で装備を作った経験が生かされそうですわね。――とはいえ『鎧を着たまま』というのは嫌でしょうから、そのあたりは新たに開発する必要があります」
「そうだな。――あとは肝心の『お相手』か」
言って、目の前にいる五名の竜魔を見て薄く笑う。
「そちらには、是非とも張り切って気の合う女性を誘惑してもらうとしようか」
「出来るだけ沢山の方をお呼びいたしましょう。ですから、あなた方も頑張ってくださいましね?」
にっこりと笑顔で「一人も口説けないとか無しだぞ」を言外に含めた二人に、お願いした立場である五人は大慌てで頷いた。
こうしてレディオンが発案しながらも実行に移せてなかったお見合い大会が開催されることになったのだが、明文化していなかったためにレディオンにとって肝心であったロベルトとポムの参加は見送られたのだった。
◎救貧院の悩み(セラド大陸)
セラド大陸、アークトゥルス地方、領都。
その一角にある救貧院では、数名の魔族がある問題に頭を抱えていた。
「布が足りない……」
「それどころか糸もだ……!」
アークトゥルスを支配するグランシャリオ家が運営する救貧院は、下手をすると一つの街のようにも見える大規模な施設群だった。
裁縫、木工、革細工、彫金、鍛冶、錬金術など、様々な施設が軒を並べ、多くの人々がその中で働いている。
救貧院は文字通り貧しい者を救うための場所であり、ここにいる多くの者は家も家族ももたない魔族達だった。アロガンの呼びかけで、セラド大陸各地の救貧院から集まった職業訓練希望者の一団と言い換えてもいい。彼等はここで住み、働くことで手に職と、それなりの金銭を手に入れることに成功した人々である。
一定の能力を身につけた者は、大別して二つの道のどちらかを選ぶ。
一つはその技能をもって独り立ちすること。
もう一つはそのまま救貧院に残ってさらなる技術を得ようとすること。
前者は領都に小さいながらも家をたて、領都最大の商会であり、彼等の恩人であるアロガンが率いている『ケフェウス商会』に製品をもちこむことで生計を立てている。
ある程度の貯えさえあればもういい、と思う者は、体を鍛える鍛錬をしながら『時々仕事をする』生活を選んだのだ。
後者にしても、体を鍛える時間はあまりとれないが、作った品をケフェウス商会に買い取ってもらっているので資金的に問題はないし、衣食住も保障されている。さらに言えば新しい素材は次々に持ち込まれるしで職人にとっては嬉しい場所だった。
――そう、今までは。
「糸を紡がないと糸が無い……なのに糸紡ぎをしたがる人がほとんどいない!」
「機織りしないと布が無い……なのに機織りをしたがる人がほとんどいない!」
問題点を叫んで頭を抱えているのは、この救貧院で組織の取りまとめをしている魔族達だった。
彼等彼女等は、言うなれば村長、あるいは支店長のようなもので、救貧院の様々な問題の解決に日夜奔走している人物でもあった。
なにしろ赤の他人が百人単位で暮らしているのだ。小さな揉め事は毎日のようにあるし、時には殴り合いの喧嘩が起こることもある。魔族という種族柄、どうしても戦って勝つことで意見を通す、という解決法に傾きがちなのだ。言葉を弄してそれらを宥め、取りまとめる彼等は毎日が戦争だった。
「服を作りたい人は多いのだけれど、糸を紡いだり布を織ったりするのを好む人が少ないのは、これはもうちょっとどころでない大問題ですよね~」
少しのんびりと聞こえる声をあげた一人に、別の一人がため息をつきながら頷く。
「木工でも似たような問題がある。製材する者の数が細工物を作る者に比べて圧倒的に不足しているのだ」
「革細工もですよ。こちらは臭いの件もあってほとんどの者がなめし作業を嫌がっています」
「問題が無いのは彫金や鍛冶だけではないでしょうか?」
「錬金術でも素材採取に難儀していますね。今はまだ子供達が小遣い稼ぎにやってくれているし、他からの補給があるからなんとかなっていますが、現状が続けば素材は枯渇します。……使用する量が量ですから」
「とはいえ、無理やりそれらを行えと言ったところで、嫌々だと長続きしないですよね~」
「買取については各地に声かけしてあるからまだ何とかなるのではないか?」
「糸、布、皮、の問題はどうします? 人手がいりますよ」
「どこかから人員を見繕ってもらうしかないだろうな……とはいえ、もうこっちの大陸ではあらかた声かけし終わってるものなぁ……」
困り顔で頭を悩ませていると、ふと一人が何かを思いついた顔で呟いた。
「ラザネイト大陸は?」
「うん?」
「ラザネイト大陸?」
「ええ。人族です」
「は?」
言われた言葉に呆気にとられ、集まっていた七人のうち六人が発言者を見つめる。
「正気か!?」
「だって、魔族の中から新たな人手を探すのは望み薄なのでしょう? だったらもう、隣の大陸から探して来た方がいいじゃないですか。いっそ素材を向こうに送って、向こうで作ってもらってからまたこっちに送り直してもらうのでもいいのではないですか?」
「…………」
全員、考える顔になった。
人族は何故か昔から魔族をやたらと敵視してくるが、魔族からすれば子猫が威嚇しているようなものでしかなかった。
それに、今はグランシャリオ家の支店があちらの大陸にあるという。
そこに声をかけて人手を募集してもらうことは出来ないだろうか?
「……だが、賃金の問題があるのではないか?」
「むぅ……」
別の一人が言った言葉に、確かに、と全員押し黙る。
この救貧院に来た者は全員ある程度の貯えは出来たが、それは素材が後から後から無料で提供され続けているからだ。彼等自身の作った品をケフェウス商会が買い取ってくれることで小金持ちにはなったが、そのお金を素材確保に費やせば貯えなどあっという間に吹っ飛んでしまう。
「『ケフェウス』の上の方に相談してみませんか~? セラド大陸でも素材買取はしているんですから~、それをちょちょーっと隣の大陸にまで広げてもらえないかな~、と」
「そうですね。それに、私達がここで唸っているよりいい案を考えてくれるかもしれませんね」
「そうだな」
頷いて、彼等は幾つかの案を羊皮紙に記載し、『問題発生』として救貧院の運営者――アロガンへの報告書に添付した。
彼等からすれば苦し紛れの案ではあった。
それがどんな結果をもたらすのか――彼等がそれを知るのは、もう少し後のことである。
●赤ちゃん魔王の悩み
「糸が無いの?」
『そうなんだ。救貧院の世話役から報告書が届いてな』
思わず鸚鵡返しに言った俺に、通信具越しの父様がデレ顔でいそうな声音で言った。
場所はアヴァンツァーレ家屋敷。ちなみに籠城生活二日目である。
無限袋と不思議な亜空間収納のある俺であれば、部屋での立て籠もりも快適だ。かつて暇にあかせて移動式トイレ(おまるではない)を作成しておいた過去の自分を褒めてやりたい。カルロッタの王都への道中でも活躍したトイレは、大容量のタンクを備えた簡易水洗だ。溜まったら最終的にタンクから汲み取りしないといけないが、俺一人だと使用頻度が低いのでたいして溜まらない。俺を着飾ろうとする連中の熱が冷めるまでは、あの扉は絶対に開けてはならんのだ!
『ポムは聖王国にいるから、連絡してもすぐに動けないだろう? かわりにノーランとノアに言うつもりだが、まずはレディオンちゃんに話をしておいたほうがいいかと思って連絡したんだ』
父様! 報告・連絡・相談の大事さを分かってくれたのか!
『もちろん、レディオンちゃんとお話出来るからってわけだけじゃないぞ!? 本当だぞ!? もちろんそういう部分が大きいのは認めるが!』
父様……!!
「それはともかく、糸や布はそんなに無いの? かなりの人がいたと思うんだけど」
「ある程度の力量が認められたら、糸や布の作成から服の作成に切り替わるだろう? 集まってくれた魔族で、ずっと糸や布を作りたいという人は少なくてな。せっかく服を作る職人になれたのに、今更最初の苦行――糸紡ぎとかしたくない、というのが多くてな」
まぁ、ああいう作業が好きな人じゃないと、単純作業すぎてつまらないのだろうな……
「じゃあ、このままだと素材が枯渇してしまうの?」
『枯渇するだろうな。それに、魔族はどうしても強い者が総取りする形になるからな。好きで糸を紡いでくれてる人や布を織ってくれてる人の作品が仕上がると、ものすごい争奪戦になるらしい。というか、強い職人が持っていくというケースが、な』
「ああ……」
魔族、脳筋だからな……
「弱い者を押しのけての取得は厳禁だと思うのだが」
『じゃんけんで勝負しているらしい』
平和的なの??
「そんなことやってる時間があるなら糸紡げと言いたいんだが……」
『今は服作りにハマッているのが多いのだろう。単純作業に飽き飽きしている者も多いからな。私自身、やれと言われると渋りたくなる作業だ。あまり強くも言えん』
父様や俺が言うとただの押し付けだからな……
「それで糸紡ぎや機織りをする人員を募集したい、ということなの?」
『そうだ。同じく皮をなめす作業なども人手が足りないらしい。そのことについて、救貧院の代表達から面白い案が出ていてな。人族に仕事を回してはどうだろうか、と』
「人族に?」
『そちらでもあの港街に救貧院を作っただろう? 衣食住や賃金を報酬に作業を担ってもらうのはどうだ?』
「いいんじゃないかな。糸紡ぎや機織りなら体力の無い女子供でも行えるし」
『…………』
父様、その沈黙は何かな?
『ゴホンッ。そこでだ、今救貧院にいる人だけを対象にするのではなく、もっと多くの人族に参加してもらうのはどうだろうか? 人族は食べるものにも事欠く者もいると聞く。あの港街に新たな作業所を作るのはどうだろう? 食糧を対価に貧しい人々を多く雇ったりは出来ないだろうか。――溜めすぎた食糧を消費する意味でも』
なにか、最後が一番声に力入ってたんだけど……
「……もしかしてそんなにものすごい量の食糧が溜まってるの?」
『魔族全体の人数を思えばそうでもないが、うちの領とベッカー家の領地で消費するだけでは溢れる一方なぐらいはたまっているな。十年ぐらい養えるぞ』
思った以上にたまってた……!!
「そ、それ、もう俺の作り置きしていた無限袋を使い切ってるんじゃ……」
『大丈夫だ。新たに貯蔵庫を作っているからな』
大丈夫じゃないよね!?
「いったいどれだけ変異種の巣を掃討したの!?」
『いくつ潰したかな……放置していた未開の地に踏み込んだし、前にレディオンちゃんから言われてた場所に行って、大きな巣も潰したからな』
父様達には確実に巣がありそうな場所をいくつか教えてあったんだけど、どれのことだろう……
「どの巣?」
『全部だ』
「ぜんぶ?」
『レディオンちゃんが地図に丸をつけてた場所があっただろう? 広範囲だったから、レイノルドと手分けして虱潰しに全域行ってきた。目につく限りの変異種の巣を潰してきたぞ』
マジで!?
「え。じゃあ、北のも西のも行ってきたの? 丸つけておいた所、全部?」
『そうだ』
じゃあ、クレアが死ぬきっかけになった変異種の大規模な巣はもう無いってことか……!
『長年足を向けて無かった場所だったから、かなりの数の変異種がいたな。目につく限り掃討したから、素材が山のように積み上がった』
「おぉ……」
『今も本土の軍は分担して変異種狩りを行っているからな。王都でも複数の食事処に素材を卸しているのだが、補充される量が多くて消費が追いつかない。他の領地にも店を出せればもっと捌けるのだろうが、今はそちらにまで手を伸ばせていないな』
「消費はしてるんだよな? 日々消費しててそれだけたまってるの?」
「ああ。変異種の討伐隊に志願する者が増え続けていてな……人の多い場所に出店を出して頑張って売っているのだが、それより積み上がっていく肉の量が多い」
「……変異種、そのうち根絶やしにするんじゃないかな……」
『大丈夫だ。討伐しても魔素が枯渇しない限りはまた発生するのが変異種だ。どれだけ狩っても無くなりはせんよ』
それはそれで困りものだけどな……
「そうだ。食糧が余りまくってるなら、まとまった量を竜魔達に渡すのは?」
もうほとんど運命共同体みたいになってるしな!
『むしろその竜魔が討伐戦に参戦してあちこちの巣を殲滅しているんだがな……』
……戦闘狂ェ……
「その人員を糸紡ぎとかに回してほしいぐらいなんだけど」
『無理だな。ああいう作業が好きな魔族は数が少ない。対して、討伐部隊への志願者は増える一方だ。そっちの大陸に七千ほど渡ったが、すでに同じ数の新規討伐参加希望者が集まっているほどだ』
魔族なんでそう戦闘狂なん……?
『まぁ、そのおかげで飲食業は好調なのだがな。今なら支払われた金銀宝石がより取り見取りだぞ。魔石もな』
「領地経営や救貧院につかって。――ああ、そのお金で糸や布を買う方法もとれるか」
『それもいいが、人族は食糧不足なのだろう? こちらは有り余っているのだ。糸を紡いでくれたら食糧を支給するとか、そんな感じで働きかけられないだろうか?』
「やるのはいいんだけど、俺達が魔族だってことはもうほとんどの国民にバレてるだろうから、おかしなことにならないようにこっちでも人族の代表達と話し合ったほうが良さそうだ。これから行ってみる」
『む。またレディオンちゃんの仕事が増えることになるのか……? 出来ればノーランとノアの二人に話をして、現地を任せてあるノアから動いてもらいたいのだが』
俺じゃ駄目なの?
「ノアには全体指揮を頼んでいるから。俺で出来ることなら俺がするけど?」
ノーランはしばらくしたら本土に戻るだろうしな。
『レディオンちゃんは少しどころでなく仕事が多すぎだろう?』
いえ、今はサリの頼みでクッションをチクチク作ってるだけです。ちなみに枕は昨日あげました。あと忙しい方がいいです。忙しいから服の着せ替えとかしてる時間とれないしな! うん!
「――ハッ。というか、糸や布が無いなら俺の礼服は――」
『心配ない。その分は最初から確保してある』
ぬか喜び!!
「俺の服より皆の服の方に生地回そう!?」
『どのみち生地の種類が違うらしいのだが?』
そうだね! レース生地だね!!
「俺は母様の趣味が怖いんだけど……」
『そういえば、この前ずいぶんと小さいが花嫁衣裳みたいなのを作ってたな』
花嫁衣裳!?
「も、もしかして総レース服?」
『うん? レディオンちゃんは知ってるのかな? 子供服サイズだったが、確かにレースがふんだんに使われていたが……』
嫌だ冷汗がひどい! 当たってほしくない勘が当たっている疑惑!!
母様の力作だろうから火を放つわけにもいかないし、引き裂くわけにもいかないし、盗んで捨てるわけにもいかないし――辛い!!
『とにかく、カルロッタの上層部に話を通すのは王都にいるノアを経由して行うから、レディオンちゃんはゆっくり体を休めておいてくれ。港街側についてはノーランから行ってもらおう。それが終わったら、ノーランと一緒に一度本土に帰ってきなさい。寂しいから』
すごい本音できた。しかし今本土に帰るともれなく母様の餌食になる気配がするんだ。
「……母様に内緒に出来る?」
『それは無理だ。レディオンちゃんの領地にいるルカにも会いたいだろう?』
ルカ!
ああ! それは会いたい! 会いたいとも!!
今だと一番可愛い盛りだろう? よちよち歩くルカも可愛かったが、ちょこまか歩くルカも可愛いに決まっている。ここのところ会えていなかったのだからじっくりと愛を育む義務が俺にはある!
「わかった。ちょっと前向きに考えてみる!」
『待ってるよ!』
うれしそうな父様の声をバックに、俺は意気揚々と部屋の扉の鍵を開けた。
「レディオン様。少しお話が」
アッ――!
捕まった。
鍵を開けた瞬間に捕まった。
なんでノーランがそこにいるの!? 待ち構えてるのがデフォルトなの!?
あやうく仮縫いにつきあわされるところだったが、捕まった直後にかかってきた父様からの通信でノーランの意識が削がれたのが幸いした。
もちろん即座に逃げたとも。待ったは無しだとも。振り返らないとも。
そんな俺が向かったのは、アヴァンツァーレ家の庭である。さっきまでアヴァンツァーレ家の客室にいたから、目と鼻の先とも言う。
何故ここに向かったのかというと、どうやらそこに王都から転移装置で戻って来たロベルトがいるらしいからである。
カルロッタの王都に置いてきてたんだが、どうやらうちの屋敷に設置した転移装置を使ってこっちに来たようだ。王都にいれば勇者としてチヤホヤされるだろうに、なんだってすぐにこっちに来たんだろうか?
――まぁ、勇者であることを知られるのが嫌だったようだし、ロベルトもロベルトで色々と大変なのだろう。うむ。
屋敷の魔改造の時に手を入れた瀟洒な庭に降りると、東屋の近くの木陰にロベルトがいた。
――麦わら帽子と作業着姿で。
「……ロベルト……お前……」
「なんでそんな目ぇするよ!? 草抜きぐらい誰だってするだろ!?」
勇者……お前、お前ぇ……
「レディオン、そう咎める様な目を向けてやるな。王都にいると騒がしいからとこちらに来たのだ。こういった息抜きも大事だろう」
「サリ……」
横手からかけられた声に顔を上げると、元魔王であるサリが微苦笑を浮かべて立っていた。
――麦わら帽子に作業服姿で。
「なんでサリも草抜きしてるのかな!?」
「書類仕事から解放されたからな。以前からやってみたかった家庭菜園をだな――」
サリはもう長いこと芋畑の大元締めだったでしょ!?
「レディオン殿、ご寛恕いただきたい。サリ様もこれまでの心労から解放されて少し浮かれておいでなのです。些事ならば私が片づけますので、どうか」
言われて声の方を見ると、オズワルドがティーセットを持ちながら軽くお辞儀していた。
執事服で。
よかった! オズワルドは普通だ……!!
…………普通かな……?
「お二方、お茶が入りましたよ。レディオン殿もどうぞ」
いただきます!
「ああ、お二方はちゃんと手を洗ってください」
「はいよー」
「拭うぐらいでいいと思うんだが?」
「サリ様……」
素直に魔法で手を洗う勇者と、布で拭って終わろうとする元魔王。
性格が表れているのかな、この違いは。
「元魔王さん、意外とものぐさ?」
「……はい。昔からわりと……」
「オズ、心底遺憾そうな顔をするな。だいたい魔族の大半は血塗れ・泥まみれのまま宴会とかも普通だっただろ」
「サリ様までそれに倣おうとしないでいただきたいのですが」
「多少汚れていたところで死ぬわけでもなし……」
「サリ様……」
「……わかった。わかったからその目はやめろ」
オズワルドのなんとも言えない眼差しにサリが折れて手を洗いだす。先に着席してお茶を飲んでいた俺とロベルトが顔を見合わせた。
「なんか意外だな?」
「几帳面そうに見えるだろう?」
「ああ。なんかこう、カッチリしてそーなのにな……」
「いや、カッチリはしてるんだぞ? ただまぁ、あんまり細かいことは気にしないというか……」
「まぁ、細かいことにこだわる魔王ってのも……あー、うん」
なんで俺を見て口ごもるのかな??
「ま、まぁ、王様業なんて責任は重いは仕事は多いはで大変だったろうから、これからはのんびりしたらいいんじゃねぇかな!」
「そうだよな。せっかくもう魔王じゃなくなったんだし、サリはオズワルドと一緒にどこか遊びに行ったらいいのに。それかだらだら寝て過ごすとか」
ロベルトと俺の言葉に、サリではなくオズワルドがしみじみと頷いた。
「のんびり寝て過ごすのも良いと思うのですが、もともとサリ様はこういう土いじりが好きですから……」
ゴロゴロするより草抜きがいいっていう人も珍しいよな……
「まぁ、サリがそれでいいならいいけど……」
「ちょい待て、レディオン。俺は駄目なのかよ?」
「お前は先に勇者として覚醒しようよ。俺も魔王になったんだし」
「全然別問題だろ!? それ!」
「じゃあ百歩譲ってシンクレアと結婚して魔族になろうよ」
「さらに別問題じゃね!?」
「人族から魔族になるための儀式の準備はもう整えてるからさ」
「外堀から埋めていこうとしないでくれ! それよりなんか用事があったんじゃねぇのか!? わざわざ俺を探して来たってことは!」
あ。忘れるところだった。
「うちと商売することに関して、人族としての意見を聞きたくてな」
「意見? 今更か? すでに商売してるだろ?」
「うちの商品を『売る』のではなく、人手を募集することについてなんだ。糸を紡いだり機織りしたりする人員を募集したいんだが、うちが魔族の商会だってことバレてるだろ? 人族から見た時、どう見えるかなと思ってな」
「どう見えるって……?」
「無理やり仕事させてるとか、奴隷扱いとか、そういう偏見の目で見られるかどうかなんだが」
「ああ、そういうことか」
紅茶で口を湿らせて、ロベルトはちょっと考える顔になった。
「うーん……どう見えるか、っつってもなぁ……例えば、この街でならいくらでも募集かけられるだろうし、人も集まるだろうし、変な見方する奴もいないと思うんだよ。お前達が魔族だってわかってても好意寄せてる人が多いからさ。これからこの街に移住してくる人も、街の雰囲気に流されそうだからさほど問題にはならねぇと思う。――まぁ、変な誤解する奴が全くでないか、っつったら断言出来ないけどよ」
「ふむ……」
「それで、まぁ、この街で大規模な工場――人を集めて製品を作る場所を作るのはいいと思うんだよ。あとは口コミでここ来れば仕事がある、って感じに集まるようにすればいいんじゃねぇかな。逆に、他の場所でやるのはあまり薦められねぇかな。過激な魔族排他主義者――まぁ、そんなのがいれば、だけどよ――魔族が嫌いだっていう連中に襲撃されるかもしれねぇだろ?」
「……やっぱりその危険はあるか」
「あるだろうな。魔族が悪だ、っていう教えが根付いちゃってるからな。まぁ、王様達が頑張ってるカルロッタの王都でもやれそうな気はするけどな」
そこまで言って、ロベルトが「あ」と何かに気づいた顔になった。
「なぁ、レディオン。俺、王都から逃げてくる前にチラッと聞いたんだけどよ、今回の騒動のためにカルロッタにかなりの額の資金とか商品とか渡したんだって?」
うん?
「ああ、色々と大変そうだったからな。昨日のうちにノアに指示しておいた」
たぶん今頃、連結無限袋経由で色んな物資が王宮に届いてるんじゃないかな。
「あれって、言っちまえば国が借金背負ってるんだよな?」
「そうなるな。契約書も作成してもらったが、かなりの額が計上されていたな」
利息は無いに等しいし、支払期限とかは決めてないけどな!
「だったらさ、カルロッタの国営事業として糸紡ぎとかやってもらえばいいんじゃねぇか? そこで出来上がった糸やら布をカルロッタから買い取るかわりに少しずつ借金から帳消ししていけばいいじゃねぇか。どうせお前、借金の取り立て方とか考えてないんだろ?」
バレてる!
「……お前のザル勘定とか大雑把な所はもう知ってるからな……」
「ザルとは失礼だな。ちゃんと大枠は考えているんだぞ!?」
「実は枠しかねぇだろソレ。どんだけ細かく決めてあるか言ってみ?」
「……ポムに丸投げデス……」
聖王国に出張してるけど、通信具と連結無限袋を駆使してそれは綺麗な契約書を作成してくれたとも。相変わらず甘やかされているとも。
「……あのヒト絶対分身とかいるだろ……絶対一人じゃ出来ねぇ量の仕事こなしてるぞ……」
ちょっと遠い目になったロベルトを見ていると、サリが小さく首を傾げて言った。
「レディオンが気にしているのは人族の反応か?」
「ああ。サリならだいたいの想像はつくだろう?」
「まぁ、おおよその反応は分かるが……ああいうものはその時の世情に左右されるからな。相談するのなら、誼を結んだカルロッタの王族や、ここの領主に話をふってみたらどうだ?」
「それはノアとノーランがやるらしい。俺がやるって言ったら『仕事しすぎだ』って言われて却下された」
「そうだな。お前は少し働きすぎだからな」
七百年、年中無休で働いていたのは誰だったかな?
「『人族に下請けを頼む』という大筋が出来たなら、細かい調整は部下に任せておくといい。今回の騒動で、カルロッタには奴隷落ちした連中が多くいると聞く。鉱山奴隷や農奴にするより作業所の人員にしてもらうという手もあるだろう。おまえの所の連中ならそれぐらい思いつくだろうから、大人に任せてお前はどっしりと構えておくといい。魔王になったことだしな」
「サリだって魔王なのに自分で動いて無かったか?」
俺の疑問に、サリは苦笑した。
「オレの場合は、率いている家門や一族といったものが無かったからな。お前にはグランシャリオ家があるだろう? 任せられる人員がいるのだから、任せておくといい」
「むぅ」
「部下を信じて任せるのもトップの仕事のうちだ」
そう言われると何も言えない。俺の課題でもあるし、しばらくお仕事は大人に任せておくとしよう。
「じゃあ、その間に新しい『無限袋』でも量産する」
「……オレが言うのもなんだが、少しは『休む』ことをしたらどうだ?」
「睡眠時間と食事時間は十分にとってあるぞ」
「御昼寝とおやつの時間もちゃんととれよ」
「任せておけ!」
胸を張った俺に、何故かロベルトが遠い目になった。
「子供らしく遊ぶ時間ってのは無ぇのか?」
「子供の遊びって何をするのか分からないんだが……」
「追いかけっことか」
狩猟練習かな?
「陣取りとか」
防衛戦かな?
「カードゲームとか」
賭博かな?
「……なんかお前の顔見てると、どれもこれも別の内容になりそうな気配が」
どういう意味かな!?
「一口に遊びといっても色々あるだろう。基本、魔族の遊びだと変異種狩りでの討伐数を競うとか、魔法や剣の試合とか、そういうのになるからな。レディオンの反応を見ていれば分かると思うが、人族の子供の遊びは魔族には想像し辛い」
くつくつ笑いながらサリが言うのに、ロベルトは遠い目のまま肩をすくめた。
「狩りの腕を競うとか試合とか、むしろもう大人の遊びだもんなぁ……」
「レディオンの場合、魔道具を作るのを楽しんでいる節があるから、あれもある意味遊びと言えば遊びだろう。金儲けが趣味みたいなところもあるしな」
「寝る前に金貨数えたりしてねぇことを祈る」
なんでバレてるの!?
「あれは数え切る前に夜が明けるからチラ見するぐらいに抑えているぞ!?」
「嫌だこんな物欲にまみれた魔王……!」
ロベルトに顔を覆われてしまったが、何故だ!
貯まっていく金貨を眺めていたら心が満たされるだろう!?
「そのうち金貨風呂とかやりそうで怖ぇよ」
「アレは意外と重くて硬くて楽しくないからな!」
「もうやったのかよ!?」
「一歳の誕生日を迎えてすぐ、父様から宝物庫の鍵をいくつか渡されてな……」
「一歳ってどんだけ昔から金好きだったんだよ!?」
いえ、数か月前の話です。
人目のない時にそっと見に行って金貨の山に飛び込んだとも。当然だとも。何故か零歳児の時から狙っている秘密のルートでたどり着ける宝物庫へは未だに到達出来ていないけどな!
……あの仕掛け、実はまだ作られてないとかいうオチは無いだろうな……
「おまえン所、豪勢な屋敷もあったし、絶対そこらの王侯貴族より金持ちだろうに、なんでこう守銭奴になっちまったんだよ?」
「守銭奴とは失礼だな。うちの一族は確かに魔族の中でも裕福な方だが、魔族全体を養えるほどの富豪じゃないんだぞ。金などいくらあっても足らないに決まってるだろう」
「そういうのは普通、魔王になってから考えるもんじゃねーのか? お前、前から金に目がなかったじゃねーか。なんで魔王になる前から守銭奴なんだよ。まるで魔王になるのが最初から分かってたみたいじゃねぇか」
「!」
おお勇者よ、俺の秘められた事情を察するとはちょこざいな。
「おれのじつりょくならみらいなどかんたんにわかるというものだ」
「こっち見て言え」
ああっ! ロベルトにほっぺ両手で挟まれてぐりんって顔向けさされた!
むーむー暴れている俺とロベルトの攻防を見守って、サリが笑いながら言う。
「レディオンの資質については、生まれてすぐ顕著だったからな。オレもレディオンが一歳になる前から譲位を考えたほどだ。――そのレディオンのことだ。いずれ魔王位を継ぐと決め、そのための準備を早々と整えようとしていたとしても不思議では無い」
「零歳児の頃から目をつけてたのかよ……青田買いどころの話じゃねーだろそれ……」
「魔族から新たな魔王が出るのをずっと待っていたんだ。有望そうな子供に目を配るのは当然だろう?」
「そんでそこから十年ぐらいまで待ってたってことか」
いえ、ほんの数か月前の話です。
「ゴホンッ……まぁ、一歳になる前から話はもっていっていたんだが、流石にもうちょっと待ってくれと言われてな」
「当たり前じゃねーか。赤ん坊になに託すつもりだったんだよ元魔王さん……」
なお、赤ん坊なのは今もです。
「……えらくせきこんでるけど、魔族って風邪ひくのか?」
ゴホゴホいってるサリにロベルトが心配そうな顔になる。サリを介抱しながらオズワルドが実に微妙な表情をしていた。
「いやほら、サリはこう見えてわりと年寄りだから」
「ああ、そういや魔族って、基本、不老なんだっけ。つーことは、お前もそのうち外見年齢止まるんだよな?」
「ああ。二十代で止まるな」
「なるほど。魔族って二十代で止まるのか」
あ。やべ。
過去でそうだったからポロッと口に出ちゃってた。
まぁ、十代後半から二十代ぐらいで止まるのが多いから、そうおかしな風にも聞こえないだろう。たぶん。
「永遠の若さか……羨ましがる人間は多いだろうなぁ」
「不老不死、あるいは不老長寿は人族の昔からの夢だからな」
「元魔王さんがいた時代からやっぱそうなんだ?」
「……まぁ、あの時代の人族の、およそ富裕層と呼ばれる連中の願いの大半はそれだったな」
サリがちょっと目を逸らしながら答える。
ロベルトからすると『その時代の人族のことも知ってる魔族』っていう印象なんだろうけど、実際は、その時代の人族の国で暮らしてた王族だからな、サリ。それはよく知っているだろう。
――というか、
「今も人族の金持ちは欲しがってるんじゃないのか? 不老とか不死とか」
「まぁ、『持ちたる者』が最終的に欲しがるのはそれだからな。世界中で大飢饉が起こったり伝染病が流行ったりしない限りは、願い事の第一位じゃないか?」
飢饉が起こればまず食糧が願いになるだろうし、伝染病がはやれば病が癒えることが願いになるだろうからな。
「そういや、怪しげな術とか、儀式とか、俺が旅してた時も噂はよく聞いたもんなぁ……」
「自ら位階を上げて寿命の軛から解き放たれるのならともかく、それ以外の方法ではただ人の枠組みから踏み外すだけなのだがな……」
「人族は、昔からよく、高位生命体と取引して寿命を引き延ばそうとしていましたな」
ロベルトの声に、サリとオズワルドが素知らぬ顔で答える。
過去の俺が教えられた話が正しければ、オズワルドがサリの時代に召喚されたのも、確かそういう取引がきっかけだったはずだ。まぁ、術に直接関わった奴は全員死んだらしいけど。
「お前も魔族になるのなら、今の外見年齢で止まるのではないか?」
「話そこに戻るのかよ!?」
茶のお代わりをもらいながらサリが言うのに、真っ赤になったロベルトが叫ぶ。
「どのように命を終えるかを選ぶのはお前だ。――だが、決めるのは早い方がよかろうよ」
揶揄するように嘯いてから、サリは「さて」と切り替える様に言った。
「レディオン。王都には部下が行っているのだったな?」
「ああ。ノアがいる。俺の代わりに指揮をとってくれている」
「グランシャリオ家の家令も来ていたはずだが、あの男にはロルカンを任せてあるのか?」
「今は国境線に散った魔族を統括するためにレイノルドと連携をしてもらっている。一旦落ち着いたら俺と一緒に本土に戻る予定だ」
「本土か。……そうだな。あのポムとかいう男がいない以上、お前は出来るだけ本土の親元にいたほうがいい。そのほうが安全だろう」
「神族がどこにどのタイミングで現れるか分からないけどな」
「オズがいるのに出てくる気概のある神族がいるか?」
「サリの傍ならともかく、オズワルドは俺の傍にいるわけじゃないだろ?」
「お前の安全が確保されるまで、出来るだけ近くにいるつもりではいるが」
え。俺、お邪魔虫にはなりたくないんだけど……
「せっかく自由になったんだから、サリはもうちょっと自由奔放に生きていいと思うんだが」
「何もすることが無いと逆に何をして過ごせばいいのか分からなくなるものだ。年よりの暇つぶしみたいなものだから、お前は気にしなくていい。のべつ幕無しにひっついているわけでもないしな」
まぁ、同じ地方や同じ地区にいるだけでも強烈な抑止力になるだろうし、サリとオズワルドがいいならそれでいいかな?
「じゃあ、しばらくお願いする」
「任せろ。――勇者、お前はどうする? お前の事はもうだいぶ噂になっているから、いっそセラド大陸にいるほうが騒がしく無くていいと思うが」
「そうなんだよなぁ……」
「ロベルト! 部屋の鍵は開いてるからいつまでも泊まれるぞ!」
「『いつでも』じゃなくて『いつまでも』ってところが怖ェよ!? 下手すりゃクレアさんの部屋だったりするだろそれ!」
「……何故それを……」
「分かるわ!! お前のやりそうなことぐらい!!」
やだ。ロベルトが俺を知り尽くしすぎてる!
「まぁ、勇者の(下半身)事情をオレ達がとやかく言うことはあるまい。出来るだけ早く魔族になったほうが良いとは思うが、こういうのは本人の意思次第だからな。――出来るだけ早く、といえば、ヴェステン村のことがあったな。あれもまだ詳しい調査が出来ていないから、本土に戻ったら再度地下に潜ってみるか」
「そういえば、ヴェステン村に掘った地下道、もう通れるようになってるのか?」
「洗浄に時間がかかったが、もう通れるだろう。一時、肥溜めみたいになってしまったからな……」
その節はうちの母がすみませんでした……
「ヴェステン村は俺も視察したいから、行くときは一緒に連れて行ってくれ」
「お前は出来るだけ休んだ方がいいと思うが……まぁ、今更か」
「絶対だぞ? 絶対だからな!?」
「分かった分かった。……お前は親元でゆっくりすればいいと思うのだがな」
「今、家にいるともれなく母様の着せ替え人形にされるんだ……」
「渋い顔をしていたと思ったら、それはまた可愛らしい悩みだな。お前は親元に留まりたくて魔王位を断ったぐらいの家族好きだ。衣服を選ぶ程度、いつでもつきあうものだと思っていたが」
「サリは母様達につかまったことないだろ!? 一度着せ替え人形になるといいよ!?」
「オレを着せ替えさせても楽しくなかろうに……」
「いや、たぶん楽しむ」
「いえ、たぶん楽しみます」
「……なんでお前達二人、声をそろえるんだ……」
即座に断言した俺とオズワルドに、サリは胡乱な目をしている。
サリは一度、俺のかわりに母様達の着せ替え人形になるといいよ!
「こっちの大陸でも大変だったが、生まれ育った大陸でも大変そうだな、レディオン」
「うむ。ロベルトも一緒に行くだろう!?」
「まぁ……こっちに残ってても煩わしそうだから、一緒するのはいいけど……そっちの大陸だと、俺、ほとんど役に立たねぇと思うぞ?」
「役に立つ立たないはどうでもいいだろう? お前が一緒なら楽しそうだし、お前にはぜひ我が大陸のいい所を知ってもらいたいからな!」
そしてあわよくば永住するといい! 魔族になってな!!
「あとで滞在費とか請求すんなよ?」
「せんとも。むしろ土地と家と嫁をやろうじゃないか!」
「いらん! そういうの狙いだったら行かねーぞ!?」
「わかった。お前が望まない限り押し付けるのは(表向き)やめておこう」
「……なんか微妙に不穏なんだが」
「約束しよう。俺は約束を破らない魔王だとも! だから来るよな!?」
「わかったよ」
渋々ながら頷いたロベルトに、俺は力いっぱい断言した。
「赤飯用の小豆は確保しておくからな!」
「その準備はいらねぇよ!」
◎救貧院の悩み(ラザネイト大陸)
港街の片隅にある救貧院には、かつて路上で生活していた人々が暮らしていた。
清潔な服と食べ物が支給され、毎日のようにお風呂にも入れると言う夢のような生活だが、無論、何もせずにそれを享受することは出来ない。
救貧院で過ごすには一定のノルマがあり、それをこなさないといけないのだ。
とはいえ、そのノルマも厳しいものではなく、与えられる食べ物や服の質を考えればかなり優遇されていると言える。しかも、ノルマを超えて作業をすれば賃金ももらえる。そのため、救貧院に収容されてから真面目に働く様になった者も少なくなかった。
ただ、一つだけこの救貧院にも問題があった。
それは、入りたいと願う人の数に対して、この建物の面積が狭いということだった。
もともと、スラムと化しつつあった場所にいた人々を収容するために作られたのが、この新街の救貧院だ。だが、この救貧院の噂を聞きつけ、周囲の村から人が集まりつつあるのだ。
スラムの人々を収容することで手一杯だった救貧院だったから、今では廊下はおろか軒先にまで希望者が溢れている。これには領主はもちろん、治安維持を頼まれている冒険者ギルドも困っていた。
「――というわけでして、むしろ糸紡ぎ等の人員は簡単に確保できるのですが、彼等が生活する場所が問題なのです」
グランシャリオ家家令であるノーランの前、寝込んでいる領主のかわりに答える老執事は困った顔でそう言った。
グランシャリオ家から糸紡ぎや機織りを募集したいという話が来たのは、むしろ街からすればかなり有難かった。なにしろ、もとから人手は沢山あるのだ。働き場所が無いせいで人が余っているのだから、仕事を与えてもらえるのなら皆喜んで従事するだろう。
だが、その彼等が寝泊まり出来るだけの部屋が街には無い。
無論、宿屋の部屋であれば空いている。だが、今、この街に集まってきているのは日々の食べ物にも困った人々なのだ。当然、宿にとまれるような金はもっていない。
「今までは教会とかで面倒を見ていたのですが、それで対応できる数を超えてしまいまして……」
このままでは治安も悪くなってしまう。それに、せっかくなくなっていたスラムが復活してしまいそうな勢いなのだ。早めに何とか手を打ちたいが、領主が保護しようにも限界がある。しかも、集まって来る人の数は減ることなく増える一方なのだ。
「救貧院の経営者が我々魔族なのは皆様ご存じなのでしょうか?」
「はい。希望者が出るたびに一から説明しております。今日食べる食べ物にも困っている人達にとっては、誰が経営していようとあまり関係は無いのでございます」
老執事の声に、ノーランは「成程」と頷いた。
「彼らのような人々が街に押し寄せることについて、領主様は何かご懸念などありませんでしたか?」
「住む場所を提供できるわけではないことを気にしておられました」
「集まること自体に対しては忌避はおありでない?」
「どの村の者であれ、アヴァンツァーレ領の民です。救いたいとお思いでいらっしゃるようですが……」
「成程……」
しばし考え、ノーランは呟くようにして言った。
「……では、作業所兼宿場として新たに建物を建てましょう」
「おお……ですが、新街側の土地はほぼ建物で埋まってしまっていますから――」
「外に建てます」
「外?」
きょとんとした老執事に、ノーランは頷く。
「先だっての襲撃で、街壁の外の畑は滅茶苦茶になってしまったと聞きます。せっかくですから、さらに一回り大きな壁で周りを囲んで、その中に非常時の食料を作る畑と、集まって来る人々の作業場兼宿場となる建物を作りましょう」
「え? え??」
「すべてが出来上がるまでに二日ほどかかりますが、その間だけ我慢していただいてもかまいませんか?」
「二日、二日?? え、二日で壁と建物が?」
「出来ます。問題は、大規模な糸紡ぎ――そうですね、製糸工場と呼びましょうか。製糸工場を作ることが裁縫組合などの既存の組合に悪い影響を与えないかどうか、ですが」
「そ、それなら、裁縫組合の方にこちらから連絡しておきます。そのセイシコウジョウというのは、糸や布を作るだけの場所ですよね?」
「そうですね。あとは皮なめしなども行うと思いますが」
「では、革細工組合にも声をかけておきます。出来ればそれらの組合にも仕事を回していただけると助かります」
「そうですね。出来れば組合の方々にも協力していただきたいです。素材は沢山あるのですが、なにしろ人手が足りないようですので」
「そ、そうですか……」
「まずは外の土地を購入させていただきたいのですが……」
「申し訳ありません。領主様の裁可を仰がなければなりませんので、今しばらくお待ちいただけますでしょうか?」
「かしこまりました。ご領主様は体調を崩されていると聞きます。お加減のほどはいかがでしょうか?」
「過労だろうということで、今はひたすらお休みいただいているところです。病のような気配は無いのですが……」
「お部屋に、レディオン様からと思われる薬があったかと思いますが」
「はい。有り難く使わせていただいております。そのおかげか、顔色もとてもよくなられまして。……疲れのせいか、何度となく長く眠っておいでですが、それ以外の時はかつてないほどにお元気そうでいらっしゃいます。ただ、寝ている時間が多くなっているだけで……」
困ったような、迷うような、どこか不安の色を濃くしながら、老執事は自分に言い聞かせるように言う。
「……幾つか回復薬がございます。よろしければ、こちらもお使いください」
「ありがとうございます」
名前の知らない赤い色の秘薬を恭しく受け取り、老執事は二、三打ち合わせをしてから領主の部屋へと戻って行った。
それを見送って、ノーランは首を傾げる。
(襲撃騒ぎの後からずっと臥せっておいでと聞きますが……)
領主が寝込んだのは、只人の身では決して使えない大魔法を無理やり行使したためだと聞く。
仮縫いから逃げ出したレディオンが、今いる部屋に立て籠もる前、こっそり領主の部屋に入り込んでいたのをノーランは知っていた。
レディオンのことだ、寝込んでいる領主の体調が悪ければ魔法なり薬なり、何かしかの手を打つだろう。実際、領主の部屋には何本ものエリクサーが置かれていた。四肢欠損すら治す薬は、重い病であっても癒すことが出来る。大魔法を無理やり行使した体であっても、全く効かないということはないはずだ。
(……ですが、まだ臥せっておられる)
たしかに、まだたった二日だ。
アヴァンツァーレ領の状況はここに来るまでに資料で見てきた。不運と不幸に塗れていた領主であれば、これまでの不養生もあって体調を崩してもおかしくない。たとえエリクサーで体を癒しても、休養が必要なことだってあるだろう。
アヴァンツァーレ領の領主は、ただ一日に何度も深く眠るだけ。一見して体を損なっているようにも見えず、病の気配もない。
(……なにもなければいいのですが)
奇妙な胸騒ぎを覚えつつ、ノーランはモナの後を追うようにして屋敷の奥へと足を踏み出した。