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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 6 王と魔王と操りの神
124/196

幕間 来訪者達の夜

ワールド説明回です。やっと出せました……



 ◎






「やぁやぁ、お疲れさまです、皆さん。実行が早くてビックリしましたよ」


 深い森の影から現れた男は、そう言って周囲を見渡した。

 背の高い男だった。

 闇から切り取ったような黒髪に、黒い服。闇に溶けて一見して黒く見える瞳は、焚火の光を受けてかろうじて夜空のような深い青と分かる。底の無い海を見る様な色は一種神秘的で美しいが、マリーウェザーが驚いたのはその男の存在そのものだった。

 美しかった。

 美しいという言葉ではとても言い表せないほどに美しい男だった。

 美貌という点ではレディオンとて負けてはいない。むしろ、そのレディオンと並びたてるほどに美しい男を見たのは初めてだった。

 受ける印象は全く違う。

 神々しさを感じる神秘的な美しさがレディオンにあるとすれば、この男の姿は凄艶であり、どこか妖しくすらある魔性の美しさだ。

 人に親しむような存在には見えず、そもそも人の常識の範囲に収まっている者なのかどうかすら怪しい。

 なによりも、ただそこにいるだけで世界を塗り替えかねないその『存在』の『力』は、どう見ても破壊や終焉を究極まで煮詰めて実体化させたものなのだ。気を抜くことはおろか、目を逸らすことすら恐ろしくて出来なかった。


(これは駄目だ。全てを滅ぼし尽くす力の化身だ)


 一目見てそこまで看破したが、それ故にマリーウェザーは身動きがとれなくなってしまった。

 正直に言えば、動けば死ぬと思うほどの恐怖を味わっていた。

 そんなマリーウェザーの内心など知らずに、周囲の魔族達は親し気に男に答えを返している。


「あんたの足の速さのほうがビックリだけどよ!?」

「どうやって来たんだよ、マジで」

「前から常識外れてると思ったけど、あんたマジおかしいな?」


 対する男もにこやかに受け答えた。


「私、一度やると決めたことに対してはフットワーク軽いんです」


 聞くだけで肌が粟立(あわだ)つような凄まじい美声にも、聞くだけで精神が削れそうなほど力に満ちている。だが、聞いた者の中でマリーウェザー以外に(おのの)いている者はいなかった。

 マリーウェザーは遠くなる気を必死にかき集めて考える。


(なんなんだ、この存在は……これが生き物のもつ魔力か? 魔力が濃すぎて闇が凝っているように見える。高みはおろか深みすら見えないぞ。顔といい声といい、レディオン様のようではないか。この世にあのレベルの顔面が二つもあるだと? ――いや、違う、問題はそこじゃない)


 残念ながら思考も迷走していた。


「決めたことに対しては、って。他のことには腰を上げない宣言じゃねーの?」

「そうともいいます」

「そうだよな! あんたそういうヒトだよな!」


 むしろこの生物が一部分とはいえフットワーク軽いことのほうが恐ろしい。マリーウェザーは手放したくなる意識をなんとかつなぎとめる。わけのわからない事態がさらに全力で深まっているが、まずは把握しなければ、と思って「……くっ」と呻いた。


(……把握、出来るのだろうか……)


 ちょっと遠い目になった。


「なんとなく、あんたがやればなんでも出来ちまう気がするんだけどなぁ」

「こちらで生きる人達が頑張らないでどうするんですか。私が動いた時点で色々終わってるでしょう」

「あんたが動くと違う意味で終わりな気がするけどな。――つーか、レディオン様の近辺はいいのか?」


 レディオンの近辺――その聞き逃せない単語に、マリーウェザーは目を見開く。

 危険ではないのかと思うより先に「並んだら見ごたえがありそうだ」と思ってしまったのは仕方が無いだろう。次いで思ったのも「私も見たい」という感想で、思わず自分の顔を覆ってしまった。


(正気に戻れ、私!)


「まぁ、大丈夫でしょう。ちょっと本土とロルカン近辺がドタバタしてますけど、カルロッタの王都近辺は一段落つきましたし」

「それならいいんだけどよ。あんたがレディオン様を守ってないとどうも不安だな……」

「大人しく守られてるような人でもないですけどね、あの坊ちゃん」


(坊ちゃん!?)


 なんとか正気を保とうとしているところに重い一撃をくらって再度硬直した。


「それで、そこに並べられているのが攫ってきた赤ん坊の全てですか?」

「ああ、今のところその子等だけだ。咄嗟に攫ってきちまったから、あんまり人数いないんだけどな」

「あなた方が動いてくれたおかげで元魔王さん達を納得させられたのですから、そこは気にしなくていいと思いますよ」

「けどなぁ……。すまねぇ。俺等が動いちまったせいで、連中の警戒を招いちまっただろうからよ……」

「大丈夫でしょう。それどころじゃない怪異が連日起きる予定ですから」

「……それ、あんたがやらかすってことじゃねーの?」

「そうともいいます」


 すまし顔で言う男の無駄に美しい顔を見上げて、マリーウェザーは慎重に息を吐く。周りの空気は弛緩しきったものだったが、男を見てしまったマリーウェザーはとてもじゃないが気を楽にすることが出来なかった。


(次元が違いすぎる……)


 マリーウェザーの『目』はおおよそ全てのものを見通すことができる。伝説にある異能の『全眼』ほど特異な目では無いが、隠されたものや偽りすら見抜く目は敵の隠密や罠を暴くのに重宝していた。

 だが、その目で見ても、黒髪の男を見通すことは出来なかった。

 恐ろしく位階の高い生き物だと、ただそれだけが分かる。

 力の差は歴然で、あっさりと自分如きなら消滅させられるだろう。敵であればどれほど恐ろしいか分からない。この男に比べれば、勇者などまだまだ可愛らしい部類だ。


(こんな存在が、何故、魔族と……?)


 男は親し気な口調で話しているが、その声には何の感情も込められていなかった。美しい冷然とした目は、酷薄を通り越してただただ虚無だけをたたえている。はりついた偽りの笑みは禍々しいほど美しく、笑っていないその目はまるで観察動物を眺めているかのようだ。

 決して安易に近づいていい相手ではない。

 なのに、皆が気安くしているのが恐ろしい。


「まぁ、なんとなくうまくやりますから、そっちは気にしないでください。これからは私達(・・)も動きますから」

私達(・・)? お、そっちも新顔か?」


 美貌の化け物の後ろには、同じぐらいの背丈の男が立っていた。フードを目深く被っているせいで口元しか見えないが、何が気に食わないのか不機嫌そうにむっつりと口を引き結んでいる。

 それはいいのだが――


(口紅?)


 マント越しの体格は男のようなのだが、派手な口紅のせいで困惑する。


(――いや、私も化粧をすれば似たようなものか)


 マリーウェザーはそう思って疑問を打ち消したが、周囲の魔族は別の理由で疑問を消した。

 すなわち『ポムさんが連れてる人物だからな』だ。


「まぁ、そんなところです。そちらにも新しい人が……」


 言いかけて男が途中で言葉を消した。ばっちりあってしまった目を瞠られたと思ったら、先ほどまでのマリーウェザーのように自身の顔を両手で覆ってしまった。

 その瞬間、マリーウェザーが感じていた恐ろしいほどの圧力が消えた。


「…………」

「…………」

「……どしたよ、ポムさん……」

「……いえ……」

「『いえ』って感じじゃねーだろ。どしたよ?」

「これはちょっと……」

「なんだよ? このマリーウェザーさんはポムさんが配置した人員じゃねぇのか? 現地で合流したんだけどよ」

「私ではありませんよ……流石にそんな鬼畜はしません。――グランシャリオ家の方で間違いはありませんが」

「あん? あー、そういや本土でもグランシャリオ家の係累増えてるんだっけな。救貧院を経て部下になりたがる奴が増えたんだっけ?」

「……ソウデスネ」

「だから、その反応はなんだっつの」


 周りの魔族は不審そうに二人の顔を見比べたが、ウェザーはすぐにしたり顔になった。


「だがまぁ、新規なら納得だな。どおりであんだけいい拳してんのに俺が知らないはずだ」

「……なんで殴られる事態になってるんですかねウェザーさん」

「いやぁ、パッと見で男だと思――悪かった! すまんがその拳は仕舞ってくれ!!」


 無意識に拳を握っていたら素晴らしい速度で謝られた。

 本気で悪気がないぶん質が悪い。


「なにやってるんですか……女性に失礼ですよ」

「いやほら、街に潜入するのに本格的に汚してるうえに、ガリガリだろ? 肩も――」

「何回失礼を重ねる気なんですかあなたは。ハイハイ、そっちの女性も腰落して本格的に戦う体勢にならないでください」


 窘められてマリーウェザーは反射的にとっていた攻撃体勢を解いた。

 恐ろしかったはずの人外魔境は、なんとも言えない表情でこちらを見ている。その目に憐憫に似た色を見つけて、マリーウェザーは驚いた。存在の圧力が消えた男は、その美貌を除けばごく普通の魔族のようにも見えた。

 ――そんなはずがないのに(・・・・・・・・・・)


「うーん……これはどこから手をつけるのが正解なのか……とりあえず、私達は転移陣の作成に取り掛かりますので、皆さんは食事を終わらせてください」

「あいよー」

「そろそろ赤ん坊にかけた魔法も解ける頃だし、遮音結界張っておくぞー」

「だなー。食べ終わったら乳やりしなきゃな」

「それならヤギ乳入りの哺乳瓶をお渡ししましょう」

「ありがてぇ!」

「考えたら私一人でやれますね、魔法陣。――あなたもあちらの赤ん坊にご飯をあげるように」

「……チッ」


 男が後ろにいた人物に指示すると、相手は心底嫌そうに口元を曲げて舌打ちした。


「世話出来ないなら攫うんじゃないザマス!」

「そう言いながら向かうんですねあなた」

「命令だからじゃないザマスからね!?」

「知ってますよ」


 フードの人物の声に、口紅を塗っているがどうやら男らしいと知って少し戸惑う。ついでに口調にも戸惑った。他の魔族はどう思ったのだろうかと周囲を見渡すが、ちょっと驚いた程度のようだ。何故か黒髪の男と見比べて納得している魔族もいる。


「……なにか、私的に納得いかないような仕草の人がいるんですが」

「いや、ポムさんの知り合いならちょっと人と違ってても誤差かなと」

「私の評価おかしくないです!?」

「あんた存在そのものがおかしいじゃねーか」

「ザマァザマス」

「本当にむかつきますねそこのザマスさん!」

「誰がザマスさん!? 命名されるいわれは無いザマスよ!?」

「謂れしか無いですね!?」


 小声で怒鳴り合うという器用なことをしながら、口紅の男は意外なほど丁寧な仕草で赤ん坊を抱き上げる。かけていた睡眠の魔法が解けたのだろう、泣きはじめる赤ん坊をあやしながら、実に手際よく乳をやりはじめた。他の魔族が四苦八苦しているのと比べるまでもなく、赤ん坊を抱きかかえて哺乳瓶をあてがうのもなかなか堂に入った姿だ。


「あんた赤ん坊に乳やるの上手いなぁ」

「あんた達は下手くそザマスね。そんなんで育児出来ると思ってるんザマス!?」

「うっ……ぐうぅの音もでねぇ……こんなちっちぇー体でさぁ、やわやわしてるから触るの怖くてよぉ」

「何度でもやれば嫌でも上達するザマス。今までやってこなかったから出来ないんザマス。――はい、一人終わり」

「本当に早ぇな!?」

「手が止まってるザマスよ!? ほらさっさとあげるザマス!」


 徐々に増える赤ん坊の泣き声と、戸惑いながら必死にあやす男達の不器用な声が響く。

 一気に騒がしくなった周囲に、遮音結界があるとはいえ、この声が森の外に聞こえないだろうかとマリーウェザーは心配になった。


「ひぃぃ……ぐにゃってしてるぞ大丈夫かこれぇ……」

「ちゃんと首を支えるザマス! どんだけ不器用ザマス!?」

「いやこれ怖ぇーよ、どっかの軍隊に突撃するほうがよっぽど怖くねぇよ……」

「情けないこと言ってないで背中トントンしてやるザマス!」

「なんかゲプッてやられたー!」

「そのためのトントンザマス!」


 何気に楽しそうな一団を見守っていると、黒髪の男がぽつりと呟いた。


「……あれだけ目の敵にしてたわりに、意外なほど溶け込んでるんですが……」

「黙らっしゃいそこの人外!」

「一応人類ですけど!?」

「「「「えッ!?」」」」

「『え!?』ってなんです!?」


 ギョッとなった周囲一同に男が嘆く。しかし、誰もフォロー出来ない。

 一部は視線を逸らして食事に戻り、残りもわざとらしいほどあからさまに赤ん坊に視線を固定して言及を避けた。残ったのは反応をし損ねたマリーウェザーだけだ。


「…………」

「…………」


(私が対応するのか!?)


 泣かなかった自分を褒めてやりたい。


「え……いや……その、いと高き御位におわす方とお見受けしたが?」

「広義においては人類です!」

「それって狭義においたら違うんじゃ……」

「何か言いましたかウェザーさん?」

「なんでもありませんッ」


 言葉を選んで答えたマリーウェザーは、赤ん坊に乳をやりながら率直な疑問をポロッと零した(ウェザー)のツッコミに頭を抱えた。そういえば思ったことを素直に言う人だったと懐かしく思う反面、頼むから場と相手を選んでくれと強く思う。


(心臓に悪い!)


「そもそも人類というのは――」

「オムツ無いザマス?」

「即、話の腰を折るのやめてもらえません!?」

「おしっこしてる子がいるんザマスぅー!」

「新しい襁褓はこちらですよっ!」


 流れるように脱線していく二人を見守る。

 丁寧に赤ん坊に対処してから、男が大きく息を吐いた。


「……まぁ、いいでしょう」


 どうやら面倒そうな事態は免れたと知ってウェザーが額の汗を拭っていた。


「ウェザーさん、それに皆さんも、ご飯やり終わったのならすぐに仮眠に入ってください」

「おっ、おう。あー、なんか手伝うことあるか?」

「無いですね」

「赤ん坊運んだりとか」

「それぐらいはこちらでやりますよ。あなた方で何かしてほしいことはありますか?」

「あっ! そうだ。赤ん坊の転移の時に、こっちのマリーウェザーさんを一緒に送ってやってくれねぇか? レディオン様に報告があるらしいからな」


 男はたっぷり十秒は考えてから、ため息をつくようにして頷いた。頭でも痛いのかこめかみを揉んでいる。


「……そうですね。行った方がいいでしょう。――ですが、その前に」


 男はマリーウェザーの足元近くを指した。


「先にちゃんとご飯を食べてください」


 食べかけては手を降ろしを繰り返し、結局まだ一口も食べてないパンとスープがそこにあった。


「え」

「ちゃんとご飯を食べてください」

「その」

「ちゃんとご飯を食べてください」

「……はい」


 逆らってはいけない気配を濃くしながら言われ、焚火の近くに座り直す。男を見やりながら恐る恐る口にすると、満足したように頷かれた。


「私は泉に転移陣を敷いてきます。急ぐ必要はありませんので、しっかりと食べておいてください」

「おっ。魔法使うのか。見てていいか?」

「……ウェザーさん。あなたは赤ん坊の世話があるでしょう」

「担当の赤ん坊に乳は飲ませ終わった!」

「他の子も担当すればいいじゃないですか。だいたい、見てて面白いものでもないですよ?」

「いやいや。謙遜しなくていいって! 前見たのは結界だったけどよ、あんたの魔法、変態じゃねーか」

「表現おかしくないです!?」

「いや、あれはどう見ても意味分からん変態結界だろ」

「あ、俺も見たい」

「オレもオレも」

「見せて見せて」

「哺乳瓶のおかげで乳やりもスムーズだったしな!」

「く……哺乳瓶を渡さない理由は無かったとはいえ……この物好きさん達めっ……!」


 乳やりが終わった者から順に集まって来るのに、男は悔しそうな顔になる。結局そのままぞろぞろと泉に移動するのを見て、パンを片手にマリーウェザーも腰を上げた。自分も送ってもらうことになる転移陣だ。見ておいて損は無いだろう。ある意味怖いもの見たさでもあった。


「早く寝て体力を回復させたほうがいいと思うんですけどね……」


 男はため息を零すようにぼやく。

 泉は木々の間に隠れるようにして在った。深さはあまり無い。一番深い中央部分でも膝下だろう。全体の広さも近場に作った野営地より狭いぐらいだ。

 その泉の淵、うっすらと地面に水が染みている程度にしか深さの無い場所で、男はポーチから布に包まれた太い棒のようなものを取り出す。形からメイスの類だろうとあたりをつけたが、マリーウェザーの目を奪ったのはそれよりも男が手にした可愛らしいポーチだ。フリルがふんだんに使われたポーチは、男の手にあることに違和感を覚える程可愛らしかった。


(いい趣味だ)


 出て来たメイスはどう考えてもポーチの大きさに入らないものだったが、容量のオカシイ入れ物については、食糧を配っていた時の雑嚢といい、もうそういうものなのだと思うことにした。考えても無駄なものは、考えないに限る。

 手早く食事を終えると、他の魔族と一緒に横一列に並んで見学する。

 男が布を払うと、儀式用らしい変わった形のメイスが姿を現した。先端は長方形のような形をしている。長方形の四面は扉のような形だ。

 ――そして、そのメイスが纏っている独特の気配。


(――『神器』)


 神族が力をこめた遺物はそれ一つが高位の魔法に匹敵する力をもつ。本来、魔族にとってはあまり馴染みのない品だ。だが、マリーウェザーは戦場で幾度も目にしていた。神騎士と呼ばれる者達が使っていたそれは、非常に強力であり、面倒な武器だったのだ。


(なぜ、『神器』がここに?)


 その神器を男は左手にもち、右手で上から下まで撫でる。

 そのまま持ち手を下に向け、水の滲む地面に丁寧に突き刺した。


「……近いですね。少し離れてください」


 何人かが身を乗り出していたのを追い払う。

 赤ん坊の近くで警備する者以外、ほぼ全員が集まっているのに男が呆れ顔になるのが見えた。やれやれと言うように頭を振り、地面から突き出てるような形のメイスと向き合う。

 そして――


 パチン――と。


 小さく指を鳴らし、


 その瞬間――


 世界が軋んだ(・・・・・・)


「!?」


 まるでそれは、音に気付いた(・・・・)世界が悲鳴をあげたかのようだった。

 捻じれ、弾け、世界を(つんざ)く凄まじい魔力が一瞬で世界を引き裂き(・・・・)即座に直す(・・)

 後に残るのは仄かに黒く光る魔法陣とメイスだ。そのメイスの四方の扉は全て開いている。

 赤ん坊側にいた口紅の男が悲鳴をあげた。


「なんッたる非常識! 普通、世界を破る(・・)ザマス!?」

「しょうがないでしょう。『私』が実行すれば嫌でもこうなるんですから」

「これだから系譜の連中は嫌なんザマス! 揃いも揃って災厄しか撒かない!」

「あなたももうその一員ですよオメデトウゴザイマス」

「おめでたくないザマス!」


 どちらも心底嫌そうに言いあっている。

 つい先ほど成した非常識に比べれば長閑とさえいえる言い合いに、マリーウェザーは自身の二の腕を摩りながら後退りした。

 他の魔族達は呆然としている。


「すげぇ……見てても意味分からん」

「やっぱり変態じゃねーか」

「呪文無し? 魔法の構築さえ見えなかったぞ」

「どうやって経路(パス)繋いだんだ? このペカーッて黒く光ってるメイスのちっこい扉が繋ぎ合わせてるのか?」

「マジ意味分からん。この陣の――あ」

「「「「「あ」」」」」


 メイスを中心にして黒く光っている陣に触れた一人が一瞬で消えた。

 思わず黒髪の男を見ると、両手で顔を覆ってしまっている。


「馬鹿なんザマス!?」


 口紅の男からは罵声が飛んだ。


「い、いやほら、向こうに無事着くかどうかの確認? になる?」

「……まぁ、そう思うことにしましょう」

「繋がってるんならまた戻ってくればいいしなっ。なっ」

「残念ながら一方通行です」

「おぅふ……」


 隊のリーダーであるウェザーも手で顔を覆った。


「クリムゾン隊は偵察のエキスパートでしょう? 好奇心で人員減らすとかちょっとどうかと思いますよ?」

「すいません……」

「赤ん坊の身辺警護をする者より野次馬のほうが人数多いというのもどうなんです? 隊の中での優先順位は? 偵察任務なのに赤ん坊を攫ってきたことについては、結果オーライでしたのでとやかくは言いません。ですが、これから人間の大国を相手にしようかという時に、今のような気の抜けた状態では坊ちゃんが困るんですよ? それについてはどう考えますか?」

「気を引き締め、精進いたします!」

「遅い!! ですが、坊ちゃんはあなた方のこれからの頑張りに期待することでしょう。二度はありません。いいですね?」

「「「「「ハイッ!!」」」」」


 震えあがった魔族の一団に、マリーウェザーはなんとも言えない気持ちになった。

 男が叱ったように、マリーウェザーから見てもこの部隊は非常に呑気だった。失礼ながら、心の中で(大丈夫なのかこれで)と何度も思ったほどだ。一喝されて目の色が変わったが、それが次につながるかどうかは彼等の本気度次第だろう。


「あなた方がもっと本気になるように、現在の状況を軽く説明します。いいですか? まずあなた方が赤ん坊を攫ってきた聖王国、ここは『完全な敵国』です。敵対するかも、ではなく、すでに敵対しています。理由はいくつかあります。大きな事柄は三つ。一つ。こちら側が力を貸しているカルロッタ王国の港街(ロルカン)に、神騎士の部隊が闇討ちをしかけてきたこと。一つ。カルロッタ王国内部の内通者を使って国にクーデターを起こしたこと。一つ。彼等の背後に神族がいて、坊ちゃんを狙ってきたこと。この三つ以外にも細かい事件がありますが、それは割愛します」

「俺等がやらかしちまった赤ん坊誘拐は?」

「その程度、誤差の範囲です」

「あ、はい」

「この三つに関しては、魔族にとっても、そして魔族の友好国となったカルロッタ王国にとっても、いずれも見過ごせない重大事件です。カルロッタ王国は聖王国からの襲撃を大々的に世界に発信するつもりのようですから、これから大陸規模、あるいは世界規模で騒動が起こるでしょう。いつ聖王国と本格的な戦争が起こるか分からない、そんな状況です。この国の偵察は今までよりも重要な仕事となっています。――あなた方はグランシャリオ家の偵察隊です。あなた方が本来行うはずだった業務は何です?」

「……聖王国の内情を調べ、報告すること」

「そうですね」


 身を縮こまらせていう魔族達。眠る赤ん坊を見守りながら口紅男が「なんで赤ん坊攫ってるんザマス?」と呟く声を聞いて、さらに身を縮こまらせた。


「『力有る者は弱き者を守るべし』――この魔族の流儀を悪く言う気はありません。感情のままに動くことも時には必要でしょう。ただ、その結果については自ら負わねばなりません。あなた方は幼い命を助けるという善行をし、同時に隠密でなければならない命令に背く罪を犯しました。すでに動き出した歯車は止められません。今あなた方がしなければならないのは、次からは旦那様からの命令を遵守することです。なお、任務は偵察から赤ん坊の誘拐に変わります」

「じゃあ、この国の偵察は誰が……」

「別動隊を向かわせてもらっています。今回の件をもって、あなた方は任務に失敗したことになっていますので、その結果だけは背負ってください」

「はい」


 大の男達が揃って気落ちしている姿に、黒髪の男は軽く苦笑を浮かべた。


「まぁ、暴走してる人達を止める理由も出来ましたから、今回の罪はその功績で相殺でしょうね。――ウェザーさん。この後の予定は?」

「二班に別れ、待機組が休息、誘拐組が聖王国に戻って新たな赤ん坊を探す。最初に仮眠を二時間ほどする予定だが」

「分かりました。では、すぐに予定通り休むように。赤ん坊の世話はこちらのザマスが――」

「その呼び方やめるザマス!」

「この口紅が――」

「ちゃんと名前があるザマス!!」

「その名前で嗅ぎつけられたら面倒でしょう。だから当分、貴方の名前はザマスです」

「…………」


 口紅男は物凄く不本意そうに口を歪めたが、嫌々ながらも納得したのか押し黙った。


「なんだ。そっちも事情持ちか?」

「まぁそんなところです。――さ、後はこちらでやっておきますから、皆さんは仮眠に入ってください」

「へーい」


 パンパンと軽く手を鳴らす男に、魔族達がぞろぞろと寝床に入る。

 寝床とはいっても、赤ん坊を寝かせている場所と同じく枯れ葉の上に外套を敷いただけの場所だ。それでも硬い地面よりはマシだろう。


「あなたも一度休んでください」

「え……」


 同じように休むよう言われ、マリーウェザーは戸惑った。


「食事は終ったでしょう? あなたもかなり疲れています。この中で一番休まないといけないのは、あなたですよ」

「だが、私は――」

「急いでも、事態は変わりません。あなたは此処に来てしまった(・・・・・・・・・)。あなたがこれからどんな選択をするにせよ、『この世界』に今のあなたが急がなくてはならない『理由』はありません。――眠りなさい、今は。せめて眠る間の安寧だけは守ってあげましょう」

「――……」


 マリーウェザーは何かを言おうとした。だが急激に遠のく意識に態勢を立て直す間もなく崩れ落ちる。地面に落ちる寸前、男の手がその体を軽々と抱き上げた。落ちる瞼の向こう側には闇がある。

 意識が落ちきる寸前、男の呟きが聞こえた。


「――運命というには、これはあまりに残酷でしょう」


 あとはただ、黒い闇だけが漂っていた。









 マリーウェザーがレディオンと出会ったのは、彼が魔王位に就いた時だった。

 わずか十歳の子供が魔王になったことに、周囲はかなり混乱していたように思う。

 先代である黄昏の魔王を慕う声は多かった。それゆえの反発もあった。

 だが、魔王となったレディオンの、どこか凄絶でもある眼差しを前に、彼に批判的だった者も次々に頭を垂れていった。

 マリーウェザーはその様子を隠れて見ていた。――同じ環境の子供達と共に。

 マリーウェザーの両親も、レディオンの父親と同時期に海人族の襲撃により喪っていた。グランシャリオ家の屋敷には同じ境遇の子供達が収容され、生き延びた人々の世話になっていた。だから、マリーウェザーはレディオンのことを早くから知っていた。

 ――レディオンの方は自分のことなど知らなかっただろうけれど。


 強く、美しいレディオンは子供達皆の憧れだった。

 そのあまりの美しさに恐怖を抱く者もいなかったわけではない。

 だが、マリーウェザーにとっては正しく『憧れ』であり、同時に決して手の届かない相手だった。

 転機が訪れたのは十四の時。

 背ばかり伸びて女として育つべきところは全く成長しないマリーウェザーだったが、保護されてからずっと身体を鍛え続けていたからかレディオンの妃候補にあがったのだ。

 信じなかった。

 からかわれているだけだろうと思った。

 噂に踊らされたのか敵視してくる女性が増えたが、マリーウェザーの生活は変わらなかった。

 そもそも大戦が始まっているのだ。浮ついた話に現を抜かしている時間などあろうはずがない。

 戦って、戦って、戦って、戦って。

 ボロボロになりながらも常に生きて戻り、また戦場へ向かう。

 そんな日々の中で、いつの間にか自分に嫌がらせをする者はいなくなっていた。昔嫌味を言ってきた女性達に何故か慕われていたりもした。未だに彼女達の心変わりの理由が分からない。

 そして二十を超えた頃、初めて正式に命令が下った。


 魔王レディオンの妃となるように――と。


 一瞬たりとも浮かれなかったといえば嘘になる。

 だが、戦いに次ぐ戦いで結婚式などあげる余裕は無かった。

 書類にサインはしたがそれだけだ。レディオンは幾つもの戦場を駆け抜けていたし、自分も別の戦場を渡り歩いていた。紙切れ一枚で夫婦になったとはいえ、生活は何も変わらなかった。

 そのことにレティシアは呆れていたし、ルカは何故か誰よりも怒っていた。

 同じ戦場でようやく巡り合った時も、激戦のせいで甘い雰囲気になどなれるはずもなく。

 ――ただ、その戦場を生き延びた時、背中合わせでいたその人が言った言葉は今も色あせず胸の奥にある。


 ――お前の背は、安心できるな。


 たったそれだけの賛辞(言葉)

 夫が妻にかける言葉としては随分とおかしなものだったろう。

 だが、マリーウェザーは嬉しかった。

 その背を守れるのならそれでいいと思った。

 だから――

 だから――……



       契約――……










「……破ってしまってもいいと思いますけどね、その契約」


 ふと聞こえた声に、マリーウェザーはぼんやりとして見える視界を揺らせた。

 パチパチと小さく焚火の爆ぜる音がする。

 光のある方へ視線を向けると、座っている誰かの黒い背中が見えた。


「…………?」


 逆光のせいか、それとも他の理由があるのか。目を凝らしても、それは人型をした深い闇のようにしか見えない。

 ぼんやりとそれを見ていると、それは焚火に枯れ枝を放りながら呟くように言った。


「―― 一つ、昔話をしましょうか」


 周りはひどく静かだ。

 まだ上手くまわらない頭の中で、現在地を思い出す。

 聖王国の西、迷いの森と呼ばれる場所。

 起きているのは、どうやらフードを深く被った口紅の男と、この黒い男だけのようだ。

 周囲にいた魔族は、確か其れ(・・)を――『ポム』と呼んだ。


「古い古い、この世界が生まれるよりもずっと前――全ての『始まり』の話です」


 パチリと焚火が小さく爆ぜる。


「真なる魔女のうち、最初に誕生したのは『始原の魔女』でした」


 美しい声音が昔話を紡ぐ。


「何も定まらず、何も生まれていない世界で、魔女は自らが立つ『地』を作りました。『地』が生まれた結果、『天』という存在が生まれ、『空間』という存在が生まれて、『世界』となりました」


 明かりを願った結果、光が生まれ。

 光が生まれた結果、闇が生まれ。

 景色が寂しいと思った結果、草木が生まれ、水が生まれ、海が生まれ、数多の小さな命が誕生した。

 生まれたばかりの命は、単純な意思疎通は出来ても、『始原の魔女』と同じだけの思考、同じだけの言葉は喋れなかった。

 寂しい、と思った結果、『始原の魔女』と同じ『魔女』が生まれた。


「それが、今日(こんにち)でいう原初の魔女。――すなわち、『黄金の魔女』アウラ、『生命の魔女』セフィラ、『永遠の魔女』メビウスです」

「!?」

「ああ、大丈夫ですよ。名前を口にしても、彼女達は何もしません。どの魔女ももうこの世にいませんから」


 思わず息を飲むと、ポムは何てこともないようにそう嘯く。

 反対側で黙って座っている口紅の男がため息をつくのがわかった。

 ――原初の魔女の名前を知る者はいないとされている。

 なぜなら、『真なる魔女』と呼ばれる存在の名前を口に出来る者がいないからだ。

 軽々しく名を口にするだけで、魔女の不興をかい、世界は滅ぼされる。そんな滅ぼされた世界が実際に幾つもあったせいで、魔女の名前は禁忌として伝えられていた。

 ――それを伝えたのもまた、真なる魔女だったが。


「……ワタシが知ってる魔女は、永久の魔女、黄金の魔女、宵闇の魔女だったザマス」


 口紅の男が焚火の火元を枝でつつきながら言う。


「……今伝わっている伝承であれば、そうなるでしょうね」


 静かな声で答え、ポムは話を続ける。


「順番に話していきましょう。――原初の魔女は、最初は始原の魔女のいる場所に住んでいました。ですが、徐々にあちらこちらに出向くようになります。始原の魔女が戯れに生み出した世界は数多あり、そこへ遊びに行く楽しみを見出したからです」


 世界には様々なものがあったとされる。

 魔法の全く使えない世界。習熟せずとも技能が身につく世界。生まれつき全てが決められている世界。逆に何も定められていない世界。花だけがある世界や、全てが水で覆われた世界、空気も何もない岩だけの世界もあったという。

 実際に見たことのない自分達にとっては、それらは『世界の歴史』というには非現実的で、けれどおとぎ話というにはどこか現実的なもの。


「始原の魔女が生み出した古い世界の一つが、この世界です」

「…………」

「遥かな昔、この世界(・・・・)にも原初の魔女達が訪れました。その魔女の美しさに惹かれ、魔女に添い遂げるために自らの肉体を創り出した者がいました。それが『神族』と呼ばれる高位精神生命体――いわゆる、原初の神と呼ばれるモノです」

「…………」

「魔女は光る泥を捏ねて人型を作ります。これが『従者』と呼ばれる者の原型です。それを真似て神もまた泥を捏ねて肉体を作り、そこに自らを宿しました。この行為を彼等は『肉の殻を被る』といいます。その結果として、無限の生命から有限の生命となりました。その一族をこの世界ではこう呼びます――『魔族』と」


 パチリと焚火の火が爆ぜ、男の端正な横顔に光が躍る。


「幾柱もの原初の神が神族から魔族になりました。その中で、魔女と交わり血を残したのは十二の神です」

「…………」

お嬢さん(・・・・)は知っているでしょう。その血脈が十二大家と呼ばれる一族だと」


 マリーウェザーは黙ってそれを聞いていた。

 魔族が生まれたその起源を、マリーウェザーは知っていた。十二大家の係累であれば誰もが一度は聞かされる話だ。

 ――そう、光神グランシャリオが魔女と交わって残した血脈がグランシャリオ家であり、風神ベッカーが魔女と交わって残した血脈がベッカー家だと。


あなた方は(・・・・・)、魔族であると同時、古の一級神の末裔であり、真なる魔女の血脈です。だから、あなた、『私』が見えているでしょう?」


 謎めいた言葉を紡いで、ポムは手元の小枝を焚火へと入れた。


「この世界にいる魔女の血脈は、ほとんどが『生命の魔女(セフィラ)』の系譜です。あの魔女はあちこちの世界で子孫を残してますから、他の魔女に比べれば圧倒的に子孫(こども)は多いんですけどね」

「生命の魔女なんて聞いたことないザマスけど」

「秘されるのはそれ相応の理由があるんですよ。そもそも、あなたが血を引いてるのも生命の魔女ですよ」

「……その話しぶり、嫌な予感しかしないザマス」


 昔話ですよ、と呟いて、ポムは言葉を続けた。


「ここではない別の世界で、恋多き『生命の魔女(セフィラ)』は恋に溺れ、『黄金の魔女(アウラ)』を殺しました。全ての罪と呪いの始まり――最初の魔女殺しです」

「…………」

「そのことに心を痛めた始原の魔女は、自身の分身とも言える最後の魔女を生み出して消滅しました。それが『宵闇の魔女』――魔女殺しに特化した魔女、エリュエステーラです」

「…………」

「姉であり妹である『黄金の魔女(アウラ)』を殺された『永遠の魔女(メビウス)』は、激しく『生命の魔女(セフィラ)』を憎み、『宵闇の魔女(エリュエステーラ)』の助力を得て『生命の魔女(セフィラ)』を滅殺しました。存在を封印までして呪う念の入りようで、その影響か『生命の魔女(セフィラ)』はその血脈に力と名の継承がほとんど行われません。普通、真なる魔女の血脈は、ある一定の位階に達すれば名と力を継承するんですけどね。まぁ、『黄金の魔女(アウラ)』なんて血脈がいるのかどうかすら怪しいみたいですが」

「…………」

「その戦いの時、『永遠の魔女(メビウス)』もまた全ての世界を呪って死にました。結果として最後に生まれた真なる魔女だけが生き残る形になりました。――この魔女も色々あって血脈を残して死んでます」

「つまり、本当の意味での『原初の魔女』は誰も残ってないんザマス?」

「ええ。全員死んでます。……その血脈がある一定の位階に達して『真なる魔女』を名乗ってる、というのが現在です。血を引いている限り、どの存在もものすごく位階を上げることで『原初の魔女』の名と力を継承出来ます。ただ、たいていそこに至る前に死にますね。そもそも、その前段階とも言える『真なる魔女』に至る生命体というのすらほぼ無いですし」

「ほぼ、ということは、あることはあるんザマスね」

「そうでなければ私も存在しませんよ。原初の魔女がいた時代なんて、幾つもの世界が生まれて消えるほど遥か昔の話ですから」


 確かに、という呟きに、ポムは苦笑を浮かべた。


「まぁ、真なる魔女の子孫、と伝わっていても、実感なんて無いでしょう。実際に自分達が真なる魔女に至るとは誰も思ってないでしょうし、事実、そこに至れる者はほぼほぼいないわけですから」

「お話の中にだけ存在する化け物ザマスからね」

「あなたもその化け物の一人になりましたけどね」

「なりたくてなったわけじゃないザマスけど!?」

「いいじゃないですか、どのみちほぼほぼ他人の手で作られた生命体だったんですから。むしろあの滅茶苦茶になった器から新しい器になったんですし」

「いっそ殺してほしかったザマス!」

「ある人の言葉ですが、生きている限りは生きろ、だそうですよ」

「生きる苦痛を知らない者の言葉ザマス!」

「いやぁ……どうでしょうね。誰よりも知ってると思いますよ?」


 軽く言って、ポムは遠くを見る様な目をした。


「……死が安らぎになる時間は、もう終わってしまったのでしょうね」

「永遠の十四歳を患ってるんザマスね」

「その『ははぁん?』的な目線やめてもらえます!?」

「痛ぁ!? ちょ、あんたの腕力で小枝ぶつけてくるのやめるザマス!」


 途端に子供のように小枝を投げ合う男二人に、マリーウェザーは呆気にとられた。

 先程まであった怖いほどの静寂が嘘のように霧散している。


「つまり――お二方は、『真なる魔女』に連なる方というわけか」

「他人事のように仰ってますけど、あなた自身、真なる魔女の血脈ですからね? 『真なる魔女』の位階に辿り着いてはいませんけれど、血は相当濃いですよ」

「位階に至るまでたいして影響のない魔女の血より、一級神の末裔というほうがワタシ的には重大だったザマスけどね。神殿が知ったら発狂するザマス」

「人族は自分達の都合のいいように他種族を解釈しますからね。まぁ、そういう風に仕向けたのは一部の神族でしょうけれど」

「なんで魔族はそれを公表しないんザマス?」

「外の世界に興味が無かったからでしょう。セラド大陸だけで完結してしまえますからね、魔族。わざわざ人族のいる大陸に行く必要も無いわけですし。公表する必要性を感じていなかったとしても、仕方ありません」

「その結果、外の世界で人族に諸悪の根源として憎まれてるんザマス? 放置してる側にも問題があると思うザマスけど?」

「人族が魔族をそういう風にみなしはじめたのは、ここ七百年ぐらいの話ですよ。魔族にとっては『ここ最近の話』程度の年月です。交流も無いのですから、それで気づけというのもどうかと思いますよ」

「時間に対する感覚がまるで違うザマスね」

「寿命が違いますからね。それに、人族は臆病ですから、交流があったとしても今とそう変わらない状況だったでしょう。強者に対する恐怖は、相手を排除しようとする気持ちに変わりやすいですから」

「……待ってくれ」


 静かな口調で話す男二人に、マリーウェザーは咄嗟に声をかけていた。


「まさか……そんなことで(・・・・・・)、人族は、魔族を排斥しているのか!?」

「『そんなこと』がどの範囲までを指しているのかは分かりませんが、理由の一つではあるでしょう。他にもあると思いますよ。肥沃な大地が羨ましいとか、豊富な鉱山資源が妬ましいとか。人族の欲にはきりがありませんからね」

「人族同士でさえ争うんザマスから、他種族相手であればなおのことザマス」

「だから滅ぼすというのか!?」

「――それが、自分達の益になるのなら、滅ぼすでしょう」

「そんな……」


 マリーウェザーの脳裏に幾つもの情景が浮かんだ。

 生まれたばかりの小さな子を亡くした魔族を知っている。

 戦いから退いた老人や幼い子供すら嬲り殺しにした人族の姿も。

 魔族同士の戦いであれば決してありえない非道も、虐殺も、人族は皆狂ったような笑みを浮かべて行っていた。守るために戦い、集団を殺し、援軍を殺し、軍団と呼べる規模の人族を殺してもまた同じような人間があらわれた。

 どれだけ殺し、殺されたのか分からない。

 年月と共に死体は積み上がり、もはやどちらも引けない状況にまで陥っていた。

 その、虐殺の理由が――魔族が強いから? 肥沃な土地をもっているから? 自分達の利益になるから?

 なんだそれは、と思った。そんなものがあの悍ましい虐殺の理由になるのか、と。


「そんなもののために……老いた者や、赤子まで……ッ」

「っ」


 ふいに世界が軋むような音が響いた。

 口紅男が身構える。

 マリーウェザーの周囲の空間が歪んでいた。口紅男が何かをしようとするのをポムが手でおさえる。

 空間の歪みは膨大な魔力によるものだった。弾ければ周囲を一瞬で蒸発させるだろう。だが、激情のまま溢れ、周囲に撒きそうになる魔力をマリーウェザーは必死に抑え込んでいた。この地には赤ん坊がいたはずだ。それを思い出した。荒れ狂う感情のままに魔力が漏れれば、か弱い命がどうなるかわからない。自分の中の冷静であろうとする部分が叱咤する。感情を抑えろと。弱い者を危険に晒す気か、と。だがそれで収まるほど、心に積み重ねてきた怒りや絶望は軽くない。


(私達は……!!)


「…………」


(レディオン様……!)


 ふと、頭に何かが触れた。

 人の掌のように感じるそれが、ゆっくり動いて頭を撫でる。

 それが誰の手なのかに気づいて、マリーウェザーは息を飲んだ。驚きすぎて思考すら停止した。


「本来、この役目は私ではなく坊ちゃんだと思うんですけどね」


 幼子を慰めるように頭を撫でているポムが、なんとも言い難い表情で言う。


あなた方(・・・・)の怒りも、悲しみも、正当なものだと思います。あなたはうんと怒っていいし、悲しんでいい。けれどそれが自身の体を壊す原因になってはいけません。あなたは今、大事な時期(・・・・・)なんですから」

「…………」

「押し殺すことに慣れすぎて、あなた方は自分で自分を苦しめすぎる。泣きたいときは泣いていいんです。叫んだって、暴れたっていい。でも、あなたも坊ちゃんと同じで、周りを思って自分を殺してしまうのでしょう」

「…………」

「自分を制するのは立派なことでしょう。けれど、それは自分自身を殺してしまうことではありません」

「…………」

「結界を張ってあげますから、そこで思う存分発散していらっしゃい。そこには誰もいませんし、誰も見ていません。あなたがどれだけ暴れても、他に力がもれることもありません。――今のあなたには、それが必要でしょうから」

「…………」


 その掌は暖かかった。

 その言葉もまた、暖かかった。

 軋んだ心に沁み込むような言葉に、ふと、誰よりも大切な人の姿が思い浮かんだ。

 マリーウェザーは停止した思考のまま呟く。


「……頼む」

「はい。ここに設置しますね」


 パチン、とポムが指を鳴らすと、人ひとり通れるぐらいの黒い空間が生まれた。何も見えない真っ黒の空間に、口紅男が嫌そうな顔になる。


「なんでこう不気味なんザマス?」

「部外者が文句つけないでもらえます!?」


 その不気味な空間に、マリーウェザーはよろめきながら立ち上がると、躊躇なく足を踏み入れた。あっという間に黒い闇の中に消えるのに、口紅男が呆れたようなため息をつく。


「あれだけあんたを怖がってたわりに、度胸ザマスねぇ」

「あの女性が怖がってたのは、『私』を視認したせいですよ。魔族の中でも相当、魔女の血が濃い(・・・・・・・)ですからね、彼女」

「あんたを見る(・・)なんて、なんて可哀想な……」

「猥褻物を見る様な目で見ないでくれません!?」

「あんた絶対人様の目に触れさせちゃ駄目なアレじゃないザマスか。顔面だけでも相当ザマスのに」

「顔は関係ないですよね!?」

「大アリザマス。むしろ顔が破廉恥ザマス」

「酷ッ!?」

「そもそも――ん? もう終わったザマス?」


 ここぞとばかりに何かを言おうとした口紅男が動きを止めた。黒い空間から幾分かすっきりした顔のマリーウェザーが出て来たのだ。


「もういいんですか?」

「……ああ、感謝する。ずいぶんと長く喚き散らさせてもらった」

「ちょっとしか時間経ってないザマスけど?」

「ちょっと……? いや、正確には分からないが、だいぶ長い時間だったと思うが……?」


 マリーウェザーの返答に、口紅男があきれ返った顔でポムを見た。


「あんた、時間弄ってたんザマスか」

「当たり前でしょう。女性が激情(きもち)を落ち着かせるまでにどれだけ時間がかかると思ってるんですか。この程度の配慮は嗜みですよ嗜み」

「キーッ! すまし顔がむかつくザマスね!」

「……仲が良いのだな、お二人は」

「仲良くないですよ!?」

「仲良くないザマス!!」


 二人揃って叫ぶのに、マリーウェザーは思わず笑ってしまった。その目が赤くなっていることには、二人ともいっさい触れなかった。

 焚火の傍に誘うと、しっかりとした足取りで歩き、地面に座る。その座り方が実に男らしくて、口紅男が微妙な表情になった。

 ポムは気にしない顔で焚火に枯れ枝を投入する。


「溜めていたものを吐き出すのも、なかなかいいものでしょう?」

「……ああ。あれだけ大声で喚いたのは、幼い頃以来だ……何を言っているのか、自分でもわからない罵詈雑言を吐き出してきた」

「それはよかった」

「いいかげん怒鳴り散らせば、語彙も尽きるし感情も凪いでくるのだな……あそこまで喚いたことが無かったから、今は何か、胸の中がぽっかり穴があいたような変な感じだ」

「ははぁん。賢者タイムザマスね」

「賢者……?」

「女性に何を言ってるんですか。――あぁ、その、情動が落ち着いて気持ちが平穏になっている状態みたいなものですよ」

「そうか」

「坊ちゃんもそうですが、あなた方は、もっと我儘になっていいんですよ。誰かのために、何かの為に、身を粉にして働くのは美徳でしょう。けれど、自分自身の幸せを求めてもいいはずです。生きて(・・・)いるのですから」


 ポムがふと何かを思い出したような顔で言う。


「ああ、そうだ。マリーウェザーさん(・・・・・・・・・)。ちょっと手を出してもらえますか?」


 その言葉を聞いた時、何故か体が勝手に手を差し出した。

 まるで何かを受け取るように、掌を上にして、両手で。

 そして――


「贈り物です」


 ボトッと。

 光る泥のようなものがその両手に落された。


「!?」


 気持ち的に思わず振り払いそうになったが、体は全く動かなかった。泥はすぐに体に吸い込まれるようにして消える。ほんの一瞬の出来事で、マリーウェザーはあまりのことに口を開け閉めしながらポムを見た。


「……!」

「ザマスさんに使っちゃった後なので残り少ないですが。差し上げます」

「なっ、なん、何?」

「私を構成していた所謂(いわゆる)『受肉の泥』とやらの残りですよ。私よりあなたのほうが必要でしょうから、差し上げました」

「受肉の、泥っ!?」

「この先、あなたには必要になるでしょう。……流石にあなた方の運命に関与することは私には出来ませんが、少なくとも無いよりはあったほうがあなたを守る力になるでしょうから」

「…………」


 光る泥が消えた両手を見下ろし、マリーウェザーは慎重に声を出した。


「……何故、助力をしてくださる?」

「……何故でしょうね?」


 逆に不思議そうに首を傾げられて、マリーウェザーは困惑した。

 ポムは首をひねりながら言う。


「未来の『私』が何を思ったのかは知りませんが、今の私(・・・)は、ただ偶然、此処に『在る』ことになって、なんとなく契約して――」


 そこで言葉を途切れさせて、ポムは微苦笑を浮かべた。


「……坊ちゃんは、きっとあなたに会いたいでしょう。あなたに何かあれば、きっと悲しむでしょう」


 たぶん、そのせいですよ、と。そう呟く男の顔は、とても優しかった。


「あなたが受け継いだ『生命の魔女(セフィラ)』の権能は、一人分の生命と魂を別の生命に移すこと。あなたの能力では、おそらく一度だけしか行えないでしょう。自身を移してもいいですし、別の誰かを移してもいいでしょう。誰を移すか(・・・・・)はあなたが選ぶことになります」

「私の、権能?」

「ええ。あなたは魔女の血が濃いですから」


 言って、ポムはため息をつく。

 どこか憐れむような目が困惑したマリーウェザーの顔を映す。


「――機会は一度だけです。後悔しないよう、よく考えて実行してください」


 何故か、痛みを堪えるような声に聞こえた。












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[気になる点] 1.「黄金の魔女アウラ」は血脈が残っているかも怪しい 「生命の魔女セフィラ」は存在を封印して滅殺したから力と名の継承がない →現存の「真なる魔女」は「永遠」と「宵闇」のみでOK? …
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