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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 6 王と魔王と操りの神
123/196

幕間 彼方より来るもの

※レディオンとは別視点になります。紅い髪の人です。





 私は走っていた。

 頭の中には、ここまで踏破してきた道を描いている。


(聖都を出て西。平原を通過。林を越え、小さな川を渡る)


 時刻は夕闇がせまる頃。

 薄曇りのせいか光は弱く、忍び寄る闇は濃い。

 道とはいっても、実際に踏み固められた道があるわけではなかった。先導する魔族達は、むしろそれらを避けるように、道なき道をただひたすらに走っている。


(川、二つめ)


 聖王国の聖都は大きな都市だが、外壁を越えればその先にあるのは平原だ。羊や山羊が草をむ長閑な光景は、人族の国も魔族の地も変わらない。平原には幾つもの小川があり、馬車が通るのであろう街道の先には石造りの橋があった。

 だが、私達はその道から外れた場所を駆けている。無論、橋などかかっていない。

 自然のままの小川を飛び越えるのは、魔族である自分達には容易かった。大河であれば水の上を走ることになるが、多少幅がある程度の小川であれば一息に飛び越えられる。

 着地時に唯一気がかりなのは、腕の中の赤ん坊だ。

 出来る限り衝撃が伝わらぬよう、跳躍した先でふわりと降り立つ。魔法が良く効いているのか、赤ん坊はぐっすりと眠ったままだった。視線をあげ、先を行く魔族の背を追ってまた走る。


(草丈の高い草原)


 前方を走る魔族の数は三十二。いずれも外套のフードを目深く被っているため、その風貌は知れない。

 だが、顔を見ずとも身内であることは分かった。全員、身に纏っている魔力がグランシャリオ家のものだったのだ。

 グランシャリオ家は魔族十二大家のうち、光と雷の系譜だ。

 受け継ぐ血に甚大な力を秘める大家の魔族は、その血族はもちろん、配下にもまた加護を与える。その結果、それぞれの大家がもつ魔力と同属性の魔力を彼等もまた己の魔力に帯びるのだ。

 結果として、互いの顔を知らない者同士であっても、その魔力によって所属が分かる。

 先導するように前を駆ける魔族達は、その全員が光と雷の属性を帯びていた。個人の特定が出来ずとも、身内であると判断するのはそれだけで十分だった。

 ――だからこそ、状況が分からないままでもこうして同行している。

 それはつまり、未だに私は現状を把握できないままでいる、ということだった。

 いくら敵地で会った同族とはいえ、今に至るまで一切の説明が無いのだ。状況をみてこちらも無言で付き従っているが、彼等が他の血族であればさすがにここまで大人しく同行は出来なかっただろう。

 ――かつて、レディオン様に刃を向けた魔族もいたのだから。


(グランシャリオの系譜ならば、あの人の害になるようなことはしないだろう。――グランシャリオの家人であれば、だが)


 思い出すも苦々しい限りだが、大戦が始まってすぐに、一部の魔族が魔王であるレディオン様を裏切ったのだ。

 レディオン様が魔王位を継いだのは十歳の時のこと。当時から若すぎる魔王誕生にざわつく者は少なくなかった。それでも本人を前にすれば、その力の差に頭を垂れるものがほとんどだった。

 だが一部の――そう、ほんの一部の魔族がレディオン様を裏切り、よりにもよって罠にかけて殺そうとしたのだ。

 何故、彼等がそんな凶行に至ったのか。

 彼等が何を目的としていたのか。

 それらは、彼等の死でもって永遠に謎となった。

 唯一分かるのは、その忌まわしい出来事さえも、人族を操る神族が関わっていたのだろうということだけだ。

 ――なぜなら、その出来事をきっかけとして、レディオン様の能力を封じる呪いが発動したのだから。


(……この戦いは、分からないことだらけだ)


 戦いの一番の発端がどこだったのか。

 どんな理由でなのか。

 なにを目的とされているのか。

 全てを企んだのはいったい神族の「誰」なのか。

 分からないものだらけの中で、もがく様に抗い、戦ってきた。

 ――その先に逃れようの無い滅亡があることを知りながら。


(……私達は、何も分からないまま殺されていくのか)


 無意識に歯噛みしたのか、口の中に血の味が広がった。乾いてがさついた唇を隠すよう、首元の覆いを引き上げようとして腕の中の命にハッとする。


(――この赤ん坊達は)


 腕に力が入らないよう、力加減をしながらそのか弱い命を確かめる。

 忌まわしい人族の赤ん坊であっても、腕の中の命を憎いとは思えなかった。魔族は人族に赤ん坊ですら惨たらしく殺されたが、それとこれとは別だ。(いとけな)い小さな命は、どの種族の、誰の子であっても愛しみ慈しむべき宝だ。

 そんな赤ん坊を彼等はどうして攫っているのだろうか。この赤ん坊達をこれからどうしようというのか。


(まさか、人族のように人質にするということは――)


 万に一つも無いはずの可能性に、心臓の裏が冷える気がした。

 そんなことはありえない、と。そう言えるだけの余裕が今の魔族には無い。追い詰められた自分達には、明日という時が本当に訪れるかどうかすらあやしいのだ。人族と同じ戦法をとるという、魔族にとっては忌むべき禁忌を行う者とて出る可能性はある。

 ――そう、非戦闘地である聖都に吶喊した私達のように。


(……レディオン様)


 会いたいと、ふいに思いが過ぎり、血の味のする唇を噛みしめて押し殺す。

 脳裏を過ぎるのは、苦悶の表情で俯いていたあの人の顔だ。

 もう二度と会えないかもしれないと思いながら別れたが、あの人を思い出さない日は無かった。生き永らえた今も、どうしても考えてしまうのはあの人のことだ。

 金とも銀ともつかない月のような色合いの髪。宝石すら色あせる金色の瞳。誰もがひれ伏し頭を垂れるほどの美貌。

 言葉少なく、表情もなく、けれど誰よりも情が深くて優しく、ちょっと残念で少し不思議な可愛い人。

 時々ぶつかって、時々認め合って、けれどいつもどこか隔意を感じずにいられなかった寂しい人。

 彼は今、無事でいるだろうか?

 きちんと食事をとって、睡眠をとって、自分を労わってあげられているだろうか?

 

(……レディオン様)


 世界の敵と言われ、ひっそりと傷ついていた人を思う。

 神族が操る人族を――その首魁である聖王国の上層部を殲滅すれば、いくばくかの猶予が出来るかもしれない。少なくとも、戦えない者達を逃し、彼等を守りきるだけの時間は稼げるかもしれない。

 そのためだけに、私達は立った。

 誰が生き残っても――あるいは誰も生き残らなくても――せめて僅かなりとも時を稼げればいいと皆が命を賭したのだ。

 その覚悟を知ればレディオン様は決して私達を行かせはしなかっただろう。

 必ず生きて帰ると、生き残れる可能性が低いにも関わらず私達は誓った。そうしなければ失う多くのもののために、敬愛する人に嘘をついた。

 誰にどれだけ非難されようと、愛する人達を守れるのであればもはや手段など選んでいられなかった。失わなくては得られないのであれば、自らの命を賭して他の命を救うことを選んだのだ。秘密のまま遂行する卑怯さを抱えながら。


 ――だが、その戦いの先で、こんな事態に遭遇するとは思わなかった。


 私はいったい、『何』を通ってきてしまったのだろうか……?

 大神殿の転移の間。そのどこにも繋がっていないと噂の転移陣に乗ったせいで、奇怪な状況になっている。


(聖都からは脱出した。誰かが追いかけてくる気配もない。気配や魔力も感じられない。振り切ったのか? それとも別の戦場に向かったのか? あるいは私達が上層部を殺したことが影響しているのか……くそ、全く状況が分からない!)


 分からない。どう考えてもおかしい状況なのに、全てがおかしすぎて何がおかしいのかすら分からない。

 だが、敵の気配が無いうちに――そう、今のうちに確認しておくべきではないだろうか?


「――――」


 思わず声をかけようと口を開きかけ、閉じる。

 次いで弱気になっている自分に気づいて唇を噛んだ。

 今までにも尋ねるタイミングはあった。だが、そうはしなかった。誰の子とも知れない人族の赤子を抱えたまま、逃走する道中に説明を求めて足を止めさせることは出来ないからだ。

 彼等が何らかの作戦行動中であることは明白だ。足を止めさせること、鈍らせること、さらに言えば会話を周囲に聞かせることも危ういだろう。

 たとえ追手らしい気配すらも無くとも、少なくとも作戦実行中に足を止めさせることは出来ない。

 なのに――


(誰か、説明してくれ)


 弱い心が悲鳴をあげている。

 誰かこの状況を説明してくれと。何が起きたのか、何をしているのか、その全てを教えてくれと。

 止めさせてはならない足を止めさせて、理解できるまで話してくれと言いそうになる。

 焦燥を抱えて視線を遠くへと馳せれば、遥か前方に密集する木々が見えた。

 森――聖王都に近い、見覚えのある森。


(吶喊前に野営した森か!)


 ようやく見知った場所を目にして少しばかり安堵した。

 位置からすれば、聖王都から南西部。

 出た当初は西に一直線に向かっていたが、途中にあった林や背の高い草原をジグザグと進みながら南下していたのだ。真っすぐ西に行くだけでは追手を――いればの話だが――撒けないからとの判断なのだろう。

 ――そういえば、一度速度が緩んだ時、先頭にいた二人が赤ん坊を別の者に預けて西方面に走っていた。

 では、あれは万が一の時の囮なのだろう。両腕にそれぞれ赤ん坊を抱える男は大変そうだが、赤ん坊を抱えて走るこの一団は魔族の(・・・)行軍にしては(・・・・・・)足がゆっくりだ。赤ん坊を傷つけないように気を使っているせいだろう。

 見知った森が見えたことで少し心に余裕ができた。思わずホッとすると、先導していた魔族が手振りで停止を指示して来た。全員が一瞬で足をとめ、円陣を組むようにサッと集まる。何があるのかと棒立ちになっていると、手早く人を選んで二人の赤ん坊を持つ者と手ぶらの者に別れ始めた。

 手ぶらになったものは素早い動きでどこに隠していたのか暗器の類を手にしはじめる。呆気にとられた私の手からも赤ん坊を引き剥がし、別の者にそれを持たせようとして「あれ?」と止まった。


「一人、人数が違わないか?」


 どう考えても私が余分の人間だ。


「あ! 俺、王都で同家の人見つけて押し付けた!」

「あぁああほぉおかぁああ!! 所属確かめたのかよ!? リーダー!」

「明らかにグランシャリオ家の一員だろ!」

「いやまぁ、魔力見れば分かるけどよ……せめて報告は先にしろ!」

「やってる暇なかったじゃねーか。それよか、行かなきゃ。論争は後々」


 どうやら私に赤ん坊を押し付けて引っ張て来た男は一行のリーダーらしい。どこかで聞いたことがあるような声だが、すぐに思い浮かぶような顔は無かった。


「赤ん坊を抱えてる奴は内側に。―― 野営地まで一気に突っ切るぞ」

「おう」

襲撃してきたのは(・・・・・・・・)全部片づけろ。――行くぞ!」


 言葉の意味が分からないまま、森に突入した彼等に遅れないよう付き従う。だが、


「!」


 森に入った瞬間、言葉の意味を理解した。


「来た」


 誰かの声と同時、前方で火花が散った。凄まじい速度で向かってきたのは小さな鳥だ。解き放たれた矢のように森の奥から飛び込んで来る。


「ち……てめぇらの巣にゃ興味無いっつーのにもう!」


 すぐ近くで刃を振るっている魔族が悪態をつく。

 赤ん坊を抱えた人員を中央に集めたのは、この襲撃を予期していたからだろう。だが、解せない。昨晩、私達が休憩をとった時にはこんな鳥型の変異種(ヴァリアント)は姿を見せなかった。昨日と今、突入してきた森へのルートも時刻も変わらないように見える。なのに、まるで同じ姿の別の場所へ突入したかのように、今は恐るべき速さの変異種(ヴァリアント)が群れ襲ってきている。


「中央を通すなよ!」

「分かってる!」


 赤ん坊を抱えて戦えない者達を庇い、上から襲おうとする鳥型の変異種(ヴァリアント)を礫が迎え撃つ。対面側が疎かになった彼等の隙は別の魔族が刃を奮って庇う。そうしてゆうに百を数える鳥を撃退した頃、ようやく森から羽ばたきの音が消えた。


「――被害報告」

「赤ん坊に怪我はない」

「こっち側にも怪我はない」

「あいつら、強くねぇけどうっとーしいよ」

「ある程度撃退したら襲ってこなくなるくせに、森に入ると必ず来やがるんだもんな……」


 赤ん坊の様子を確認しながら、めいめいが周囲の状況に目を走らせる。あちこちに鳥型変異種の死骸が転がり、背の低い木は戦闘と移動の影響で滅茶苦茶になっている。折れた枝や幹でひっかけたのか、こちらの服も一部裂かれていたが、被害といえばそれぐらいだ。

 リーダー格と思われる魔族は周囲を見渡してから言った。


「あと少しで目的地だ。念のためこのままいくぞ」








 一行が足を止めたのは、あれから少しした頃だった。

 周囲の高い木が少し開けた場所で、何度か野営をしたのか中央には焚火の跡がある。その焚火を少し離れてぐるりと囲むように、周囲には木の葉が敷き詰められていた。焚火の上には交錯した生木の枝がかけられており、光と煙が目印にならないよう工夫されている。頭上の木々も空が見えないほど葉が生い茂っているから、煙で居場所が分かることは無いだろう。

 少し離れた場所には小さな泉があり、今も水を飲む魔族がそちらに行っている。

 それらを確認して、私は眉をひそめた。

 木の並び、泉の位置。

 それらは私が昨日野営していた場所と瓜二つだった。

 だが、焚火の跡も、木の葉が敷き詰められた場所も、私の記憶には無いものだった。

 違う場所だと思うには、周囲の状況はあまりにもよく似ている。なのに、同じ場所だと思うには違う点が多い。

 どういうことだろうか?


「おい」


 襲って来た鳥型の変異種(ヴァリアント)といい、もしかしてよく似た別の森なのだろうか?

 だが、それにしては野営地の場所も似すぎていて――


「おい、って」

「!?」


 軽く叩かれて思わず肩が跳ね上がった。


「うお!? そこまで驚くこたぁねぇだろ? ――赤ん坊の移送を手伝ってもらったついでにさ、ちょっと世話も手伝ってくれよ」


 相手も驚いたらしく半歩下がったが、すぐに赤ん坊を連れた魔族達の方を指さして言ってきた。木の葉を敷き詰めた場所に外套を敷き、その上に寝かしている。


「……世話?」

「おむつ替えたり、乳をやったりしないといけねぇだろ?」

「……乳などあるのか?」

「一応な。哺乳瓶無いからちょっとずつ飲ませるしかねぇんだけどよ」


 困ったように言った男は、寝かせられた赤ん坊の体を軽く起こす。「ちょっと臭うな」と呟きながらぐるぐる巻きにしてあった布をとるとウンチをしていた。


「あちゃ……まぁ、そうなるよな」

「…………」


 横目でそれを見ながら、隣の赤ん坊の体を軽く起こす。嗅いでみると、こちらもちょっと臭う。布をとるとこちらもウンチをしていた。


「拭く葉っぱと新しい襁褓(むつき)はコレな」


 手早くおむつを替えた男がそう言って何枚もの葉を渡してくる。便所草とよばれる柔らかく大きな葉で、文字通り排泄後の尻拭きなどに使われることが多い。また、葉の表面に殺菌効果があるので、水の少ない地区や行軍中の食器もこの葉で簡単に拭っていた。本当なら水で洗いたいが、そんな贅沢は言っていられない状況だからだ。

 一緒に手渡されていた白い襁褓に綺麗にした赤ん坊をくるむ。小さな腕がピコピコ動いて、それがなんとも言えず愛らしかった。


「可愛いよな~。種族は違えど、赤ん坊が可愛いのだけはどこも同じだよな」


 先程の男が鼻の下を伸ばしていそうな声で言う。実際、口元がだらしなく緩んでいるから、よほどに赤ん坊が好きなのだろう。仇敵である人族の赤ん坊というのが少しばかり気になるが、確かに赤ん坊は種族を問わず愛らしい。こうして眺めていると、なんともいえず胸の奥が温かくなる気がした。


「よしっ。いつまでも眺めていてもしょうがねぇな!」


 勢いよく自身の膝を叩いて起き上がった男に、今ならば、と声をかけた。


「ここが野営地か?」

「ん? おう。とはいえ、急ごしらえだけどよ。そこの奥に泉があってな。その泉を利用して赤ん坊達を向こう側に送る予定らしい」


 泉を利用する?

 赤ん坊を送る?

 ……いったい、何の話なのだろうか。


「……すまない。計画を知らないまま同行していたのだが、これはいったい何の作戦なのだろうか?」


 私の問いに、男はちょっと申し訳なさそうに頭を下げた。


「悪い悪い。急ぎだったから話通してなかったな。こっちは聖王国偵察、クリムゾン隊だ」

「こちらはカーマイン隊だ」

「うん? 聞かない名前だな。新しく作られたのか?」

「ああ。新設だ。一応、レディオン様の直属になる」

「ってことは新人か」


 いや、新人と言うほど軍歴は浅くないのだが。


「それで、作戦はいったいどういうものなんだ?」

「あー……それがだな……」


 何故か言い淀んで、男は頭を掻いた。


「端的に言うと、聖王国に囚われている赤ん坊を攫って逃がそうっていう作戦でな」

「は?」

「いや、それがさ、聖王国の教皇ってのがとんだ化け物でな。どうも赤ん坊を生きたまま溶かして飲むっていう、悍ましい行為を繰り返してたんだわ」

「なんだと!?」

「驚くだろ? どうも延命のためみたいなんだが、えげつないことする奴もいたもんだ。とてもじゃないが見過ごせねぇ。んで、こっちに来てる奴らでひとまずその生贄になるっぽい赤ん坊達を攫って遠くへ逃がす作戦に出たんだ。けどなぁ、この状況を知った当主様達が激怒してな……どうも怒り心頭の本土組がレディオン様に内緒で進軍したみたいなんだわ」

「馬鹿な……!」


 あまりにも非常識なことを言われて、頭の中が一瞬、真っ白になった。


「レディオン様に内密で進軍するなど、戦域にどこでどう影響をきたすか分からないだろう!?」

「そうなんだよなぁ……けど、本土の連中はもうカンカンでな。どうにも止まらなかったらしい。ああ、進軍は途中でレディオン様に阻止されたらしいぞ。流石にレディオン様に止められたら強行突破は出来ねぇよな」


 苦笑含みの言葉に、思わず深いため息が零れた。

 今頃あの人はどれだけ心労をためているだろうか……


「……今のこの状況で、レディオン様の手を煩わせるなど、何を考えているのだ……」

「まったくだぜ。一応、俺等の作戦も伝えておいたんだけどなぁ……まぁ、ポムさんが移送手段を確保してくれなきゃ、こっちに来てる全員が赤ん坊抱えてどこまでも逃走する羽目になりかけたから、俺等も偉そうな事言えねぇんだけどな」

「現状で赤ん坊を攫うなど、悠長なことをしていられないとは思うのだが……それ以前に、攫った赤子の届け先を確定させてから行うべきだろう」

「まぁそう言うなよ。何の罪もない赤ん坊が生きたまま溶かされるんだぞ? 放っておけねぇだろうが」

「……その気持ちは分かるが」


 あまりの非道に思わず動いてしまうのは理解できる。滅亡間近のこの状況下でそれを行うのかと、言いたいことは沢山あるが。


「――少なくとも、今そこにいる赤子達はどこかに送る先があるんだな?」

「おうよ。ポムさんが水の精霊女王と取引して移送魔法陣を作るらしい」


 さっきから言われているのだが、『林檎(ポム)』?

 ……知らない名前だな。

 いや、それよりも――


「精霊の力を借りるのか……」

「おう。水の精霊女王はことのほか赤ん坊が大好きらしいからな」


 初耳だ。


「そのこともあって協力してくれるらしい」

「……罠では無いのか?」

「ナイナイ。俺も水の精霊女王を見たことあるけど、なんつーかもう顔ツヤッツヤにしながら赤ん坊保護しててなぁ。なんつーかもう母性本能の塊っていうか……まぁ胸は母性に反比例してたけどよ」

「?」


 よく分からないが、こちらに友好な精霊と誼を結べたということなのだろう。それは朗報だ。ルカを風の精霊王に殺されて以降、レディオン様の精霊への憎悪は計り知れないものになっていた。憎む気持ちはよくわかる。私にとってもルカは、その妻のレティシアと同様、顔馴染みの大事な同僚だったのだから。

 ――だが、レディオン様の憎悪はあまりにも深すぎた。

 自身の精霊魔法を封じるほどにその種族を拒絶したのだ。

 けれど、今の現状でその状態のままというのは拙い。ただでさえ、人族は神族の力を借りてこちらを追い詰めにかかっている。そんな中で精霊族にまで敵意を向けては魔族は立ち行かなくなる。

 水の精霊女王が手を貸してくれる程度にこちらに友好であるなら、これをきっかけとしてあの方が憎悪を乗り越えてくださればいいのだが……

 ――だが……それでも……


(ルカ……)


 きっと、レディオン様は精霊族を許さないだろう。

 ルカはレディオン様の最側近だった。寄れば冷ややかな言葉の応酬をするような間柄だったが、傍からよく見ていれば互いに根っこのところは繋がっているのだなと分かる仲だったのだ。

 ルカにそれを言えば嫌そうな渋い顔をするし、レディオン様に言えば呆れ返った顔をされてしまったが、実のところ仲良しだろうと思っている。

 ルカは幼い頃に起きた事件がきっかけでレディオン様に鬱屈した感情を抱いていたようだが、なんだかんだ言いながらその背を守り続けてきた男だ。実はレディオン様大好きだろうと思っている。

 ――だが、そのルカも死んだ。

 裏切った風の精霊王のせいで。

 レディオン様が罠にかかるのを防ぐために、自ら死地に飛び込み、自分の死と引きかえに風の精霊王を道連れにして。

 あの時のレディオン様は見ていられなかった。

 風の精霊族をほぼ根絶やしにするほどに、復讐と、希望すら潰えたような虚無に囚われていた。ルカの子を宿していたレティシアが必死に止めたからなんとか収まったが、今も憎悪と虚無という、破滅に向かいかねない感情を抱えている。


(……あの時告げた私の言葉は、レディオン様に届いているだろうか?)


 あまりにも見ていられなくて、思わず動いてしまった。

 ほんの少しでも気持ちを癒したいと思ったのだが、私では力不足だったろう。出来れば気持ちが落ち着くまで傍にいたかったが、ただでさえ数の少ない魔族、さらに少ない戦闘員だ。しなければならないことは多くあり、心の傷を癒す時間すらまともに捻出できない。どうにもままならない有様なのだ。この先、いったいどこまで戦い続ければいいのだろうか?


(もし……)


 ――もしも、この先の未来に絶望しか無いのであれば。

 私は、何をすればあの人を助けられるだろうか?


「よーし。だいたい全員清め終わったな。おーい、集まってくれ!」


 思考が内に沈んでいる間に、男が周囲に声をかけていた。


「終わった奴から一旦こっちで食事にしてくれ! 食事をとったら赤ん坊の乳やりだ。そのあと二時間ほど仮眠。そこからこっちの半分はポムさんが来るまでここで待機。残りの半数は悪いがまた聖都だ。出来るだけ多く助けたいからな。次の赤ん坊を連れて来たら、こっちで残ってた連中と交代だ。だから食べたらすぐ赤ん坊に乳やって寝ろよ?」


 居残り組、と指定された中に私もいた。

 作戦行動に組み込まれてしまっている感じがする。


「すまないが、私はレディオン様への報告がある」

「おう。じゃあ、ポムさんが来たら赤ん坊と一緒に向こうに送ってもらうといい。それまでよろしくな!」

「あ、ああ……」


 明るく言われ、その声に戸惑う。

 彼等は存在そのものが不可解だった。

 何度も絶望的な戦場を潜り抜け、必死に生きている魔族の気配が彼等には無い。まるでちょっとした遠征をしているような――まるで、この戦いが始まる前の日々の延長にあるような、言っては悪いが能天気でのんびりとした気配が強い。

 確かにクリムゾン隊といえば長く偵察を担当していた部隊だが、偵察隊ということは最前線に近いはずだ。なのに、殺伐とした気配が無いのはどういうことだろうか?


「…………」


 気持ちの悪い違和感に、問い質そうと顔をあげ、とんでもない光景を目にした。

 リーダーが食糧係も兼ねているのか、男は寄って来た魔族達に次々に食糧を渡していたのだが、問題はその様子だ。


 ――待て。今、どこから食糧を出した?


 男の手には厚みのない雑嚢しかない。中身が入ってないようにしか見えないそこから、何故次々に食糧をとり出せるのだろう?


「ほら、あんたも」


 唖然としていたら押し付けるように同じものを渡された。その大きさにも驚いた。最近は満足に食事もとれなかったが、渡された包みから察するに大きめのパンが三つは入っている。


「これは?」

「あんまり匂いがする食い物は出せねぇからな。悪いが冷めたいまま齧ってくれ。本当は焚火で肉を炙りたいけどな」

「まぁ、冷めてても美味いけどな!」


 どうやってこれほどの食事を? という意味の問いは、別の意味に受け取られたらしい。

 量が行き渡るかどうかの心配をしていない男と、会話に入ってきた別の男の声に困惑している間に「座って食べろよ」と近くに座らされた。焚火の近くだ。慣れた手つきで火を起した男は、焚火の様子を確認しながら座り込む。


「あん? ほれ、食べて休まねぇと」

「ああ……」


 困惑しながら包みを開けると、やはり大きなパンが三つほど出て来た。上下で二つに割ったパンの間に具材を挟んだサンドパンだ。瑞々しい野菜などいつぶりか。より困惑が深まって周囲を見ると、それぞれ普通にそれにかぶりついていた。珍しくないもののようだ。――そんなはず、ありえないのに。


「…………」

「だーかーら、ちゃんと食えって。スープのほうが良かったか?」


 何故か食糧が増えた。受け取った椀からうっすらと湯気があがっている。

 温かい食べ物……だと……?

 より困惑が深まった。しかも誰もそれに驚かない。いつものことのような空気に戸惑って視線を彷徨わせると、一部の者が少し離れたところに大きな穴を掘っているのが見えた。


「……? あれは?」

「おん? ああ、さっき襁褓(むつき)をとりかえただろ? 汚れた布を埋めるんだよ。汚れたやつを放置しておくのはやべぇからな。燃やすにしても時間がかかるだろうから、深く穴掘って埋めんだよ。――ああ、クソがしたくなったら向こうの木陰にでも行って穴掘ってからやってくれ。風下だから臭いもこねぇんだ。しおわったら穴を埋めてくれよ」

「ああ……」

「にしても、おめぇ、周囲に溶け込む為とはいえだいぶ風呂入ってねぇだろ。確かに人間の都市で小奇麗にしてると悪目立ちするが、そこまで本格的に薄汚れる必要は無かったんじゃねぇか? ――いや、本格的で凄ぇとは思ってるんだけどよ」


 やや呆れたような顔で言われて、自分の姿と相手を見比べた。

 長い戦乱で忘れがちだったが、確かに魔族は人族に比べると綺麗好きだ。平和な時代には毎日風呂に入っていたし、遠出の時も水浴びぐらいはしていた。だが、今はそんな余裕すら失っていたのだ。それを呆れ半分に称賛されるのは不可解だ。


「汚れたくて汚れているわけではないのだが」

「まぁそうだよな。悪ぃ。そっちがどんな任務についてたのか、俺も知らねぇもんな。いや、ほら、俺等ももうちょっと本格的に薄汚れる必要があるかもってちょっと思ってな。――つーか、おめぇ、ちょっとヤバイぐらい痩せてねぇか? 首とか手とかガリガリじゃねぇか」


 その指摘も意味不明だった。

 満足に口に出来る食べ物が無いのだ。痩せるのは当然だろう。

 食糧を奪う為に敵を襲うことも多く、そうして手に入れた食糧は出来るだけ戦えない者達に回している。だから誰もが飢え、痩せていた。だが、よく見てみればここにいる全員、小ざっぱりとしているだけでなく非常に血色が良さそうだった。太っているわけではないが、彼等に比べれば自分など骨と皮だけだろう。


「本格的すぎるのも考え物だな。ほれ、これも食え。これもだ。ああ、果物もあるぞ。さすがに酒は出せねぇが」


 また増えた!


「――待て。そんなに食糧があるなら、他に回すべきだろう」

「おめぇ、ちょっと自分の姿見てから言えや。あきらかに今必要なのはおめぇだろ」

「いや、戦える私はいざとなれば敵から奪うことができる。本土にいる幼い子達や子を抱えた母親達にまわすべきだと言っているんだ」

「ああん? そんなのとっくに食糧回してるぜ? むしろ今は貯め込みすぎて大変な状況になってるぐれぇだ」

「なんだって?」


 本当か?

 ――いや、彼等が嘘をつく理由は無い。

 それに、その情報が正しいなら、彼等が全員痩せていないことも頷ける。だが、私達が聖都に向かった時には食糧不足は改善されていなかった。あれから何らかの手段をとったということだろうか? 離れた場所で情報が滞っていたせいで、私達が知らなかっただけだろうか?

 だが――

 ああ、だが――

 もし本当なら、これほど喜ばしいことはない。

 もう、幼い者達が飢えることは無いのだ。

 満足に動けなくなった者が、他の負担とならないよう自ら命を絶つ必要も無いのだ。

 皆がちゃんと食べているのなら、きっとレディオン様もちゃんと食べるようになるだろう。周囲がどんなに言ってもなかなか食事をしてくれなかったあの人も、皆と一緒に食べていてくれるだろう。

 もう苦しまなくていいのだ。

 悲しまなくていいのだ。


「そうか……」

「おい、なんだ、その、泣くほどのことじゃねぇだろ!?」

「……泣いてない」

「ウッソつけぇ。ホラ、これも食えよ」

「……そんなには入らない」

「無理にでも食っとけよ。傍から見てたら骨皮筋男じゃねぇか」

「――――」


 今。なにか。

 聞こえたくない単語が聞こえたが気のせいか?


「……私の名前はマリーウェザーだ」

「マ……? え、おめぇ、女――」


 ふんぬっ!!


「ごふぅッ!?」

「――何か言ったか」

「ゴホッ……い、いい、パンチだぜ……」


 わき腹を抱えてうずくまった男の視線が、外套越しに私の胸の位置に。


「もう一発喰らうか?」

「いい! スマン! 悪気はない!」


 なお悪い!!


「いや、確かにほら、姿を隠すなら男の姿をとっていたほうがいいよな! さらしまくと息苦しいだろ!?」

地胸(・・)だ」

「スンマセンっ!!」


 ゆらりと立ち上がると土下座された。

 踏んでやろうか。――いや、やるまい。

 こんなことで怒っていてはあの人の妻は務まらない。あの人も度々女性の胸を見るのだ。誤魔化しているが、男の視線は分かりやすい。あと、私の胸を見て神妙な顔になるのは腹立たしい。


「ぶはっはっは! アルコルよぅ、そんなんじゃ奥さんに怒られるんじゃねーか?」


 焚火を挟んで反対側にいた男が笑いながら相手を指さした。そこここで笑い声が聞こえる。

 だが、私はその言葉に驚いていた。

 アルコルは私の実家だ。

 もうすでに私以外の血族は死に絶えている。


「ばっかやろう! マリアはそんなことで怒るような女じゃねぇ……いや、怒るか? 怒るな?」


 マリア……

 マリア・アルコルは私の母の名だ。

 これはどういうことだ。

 何故、この男は母の名を口にする。

 マリアの夫ということは、まさか――


「別れたら言ってくれよ! いつでも俺がもらってやる!」

「誰がやるか! こちとら新婚だぞ!?」

「人妻っていいよな!」

「てめぇ! 決闘すっぞ!?」

「やってやるぜウェザー・アルコル! ノアの兄だからって遠慮はしねぇぜ! 俺達の憧れの女性を手にした果報者め!」


 父だ。

 嘘だ。

 ありえない。

 何だこれは。

 父は死んだはずだ。母もそうだ。

 幼かった私達を逃がす為に囮になって死んだはずだ。

 もういないはずだ。

 なのに、何故――!!


「ぐ――」

「え。おい!?」


 ふいにせりあがってきたものに慌てて立ち上がり、逃げるようにして茂みに飛び込んだ。喉を焼いて口から出たそれはほんのわずか。食べ物をほとんど口に出来ていなかったからか胃液だけだ。だが鼻をつく饐えた臭いにさらに胃が激しく跳ねたような感覚がした。熱く、痛く、苦しいものが喉をやいていく。


「馬鹿野郎! 気分悪くさせるから! おめぇらのせいだぞそこの馬鹿二人!!」

「おい、水無いのか、水。口洗わせてやれよ。あと、ヤギ乳無いのか。絶対胃に負担かかってるだろ」

「え、えぇえ? お、俺等のせいか?」

「悪い……悪ノリしすぎた……」


 茂みを挟んだ焚火側で次々に声があがる。

 見当違いな断罪と謝罪に、ふいに笑いがこみあげてきた。喉につっかえたそれが、笑い声なのか泣き声なのかわからない音をたてる。

 何を見ているのだろうか?

 私の前にある光景は全部夢なのだろうか?

 もしかすると、本当はあの転移陣で私は死んでいて、今は都合の良い夢を見ているのだろうか?

 まるで幸せだった過去(むかし)を思い描くように、失った人達の姿を幻視しているのだろうか?

 それとも、今までの事も今のこれも全部夢で、目が覚めたら自宅の寝室にいたりするのだろうか。

 焼け落ちて失ってしまった実家の部屋で、朝を告げる母の声を待っているのだろうか。


(ありえない――)


 ありえるはずがない。

 痛みすら鮮明なこれが、夢であるはずがない。

 だが、現実だとも思えない。

 幻だとすれば残酷だ。だがこれほど残酷な幸せは無いだろう。会いたかった人にもう一度逢えるのなら、僅かな貯えであろうと投げ出す者は多いだろう。

 だが――

 だが――


 それがいったい、何の役に立つというのだろうか。


 そう遠くない未来で死出の旅に出るだろう自分に、失った人達の幻が見えたとてなんの意味があるというのか。心は温まるだろうが、ただそれだけだ。一時幸せになるだろうが、ただそれだけでしかない。

 生かしたい人を生かすための『何か』にならない幻ならば――私には必要無い。


「……すまない」


 私は、私だ。

 例え何処にいようとも、何を見ようとも私がなすべきことは決まっている。

 戦えない者達を守るために、そしてあの人を支える為に、自分の幻想(ゆめ)希望(ねがい)も全て捨て去ったのが私だ。

 だから――


「……最近、まともに食べて無かったせいで胃が拒絶反応を起こしたみたいだ」


 口元を拭い、何でも無かったように装って茂みの向こう側へと戻った。

 心配そうな顔がいくつも私を見上げている。被っていたフードを落したその顔のいくつかには、確かに見覚えがあった。

 ああ――ああ、確かに、父だ。そして父の仲間達だ。

 もうずっと前に死んでしまった人達だ。

 この姿を、この光景を、レディオン様が見たらどれほど喜んだだろうか。――そしてどれほど悲しんだだろうか。

 なら、これを見るのが私で良かったのだ。わけがわからない混乱も、何が起きているのかわからない焦燥も、これ以上あの人に負わせてはいけない。


「食べてって、一口も――いや、うん! 悪かった! もっと消化にいいものを出す!」


 視線を向けるととたんに背筋を伸ばす父が可笑しくて悲しい。


「山羊乳な、ちょっと待ってろよ、クロエさんの所の天魔山羊の乳があるはずだ」


 ――クロエ?

 その名前は私達の中では禁忌にされていた。

 友であるルカの母親だけれども、そのことも口にしてはならないと言われていた。

 ――かつて生まれてすぐのレディオン様を殺そうとした女性ということで。


「あれ? 無ぇな?」

「おいおい。自分で飲んだんじゃねーだろーな?」

「レディオン様も愛飲してるっていう乳だぞ? とっておきだ。置いてあるに決まってるじゃねーか。……おっかしいな、確かに二本ぐらいあったはずなんだが」

「それ、中身共有してる袋だろ? 共有先で使用されたってことじゃねーの?」

「あー! そうか。そういうことがあるか。うーん。残しておいてほしいものはメモでも張り付けておくかな。まぁ、牛乳ならあるか。悪いな、粥の系統があればよかったんだが……」


 父の声に、首を横に振る。

 もうこれ以上はやめてくれ、という意味だったのだが、かまわない、という意味にとられたらしく人好きのする笑みで一抱えもある巨大な缶を出して来た。

 ――なんだその大きさは。


「……これが一本か?」

「おう。全部飲んでいいぜ!」


 確実に腹下す。


「……こっちに移し替えてくれ」

「あいよ。――って、えらく年季が入った水筒だな? 俺が使ってたやつとそっくりだけどよ」


 そうだろうとも。

 (あなた)の形見だ。


「ありゃ? そういや、俺の水筒はどこだ?」

「どっかに紛れてるんじゃねーか?」

「マリアが買ってくれた新品を腰に吊るしといたはずなんだがな……失くしたらどやされちまう」

「怒られろ怒られろ~」

「クソヤロウ! 本土に戻ったら決闘だかんな!?」

「やってやるぜ!」

「繰り返すな馬鹿二人!」

「「ハイッ」」


 ワイワイと賑やかな周囲にふと笑みが零れた。

 焚火の向こう側にいた魔族が笑いながら言う。


「あまり騒がしいと他から気づかれるんじゃねーか?」

「おっと! ここまで来れば大丈夫と安心してうっかりしてたぜ」

「確かに。食べて赤ん坊にもご飯やらねぇとな」

「早く寝ないといけないしな。急げ急げ」

「食べてる間にポムさんには連絡しておくぜ」

「任せた。赤ん坊もいるから出来るだけ早く到着してほしいよな」

「あの人ならすぐに来るだろ。――どうやって来るかは知らんけど」

「来そうだよな……カルロッタからここまで、俺達でさえ着くのに一週間近くかかったもんだけど」

「呼びました?」


 声量を落しながらもどこか賑やかな一団が、ふいに聞こえた声に一瞬で黙り、次いで森の奥を一斉に見た。


「ポムさん!」


 凄 い の が 来 た。




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