67 黄昏の魔王
サリ・ユストゥスという魔王は、七百年以上も昔に、ある日突然現れた魔王だった。
魔王はより強い者が現れた時、代替わりをする。その多くは戦いによって勝敗を決し、戦闘の無い譲位は魔族の長い歴史ですらほぼ無い。
魔族は生まれつき強大な力を有するが、常に強さが一定というわけではない。鍛錬をつめばその分強くなるし、逆に怠けていれば力は弱まる。魔王位を賭けた戦いは魔族にとって神聖で絶対的なものだが、もともと自身の力を高めることが大好きな種族のため、自身の資質を高めて強者に至り、魔王に戦いを挑む者は多かった。戦闘狂の魔王の在位期間においては、四六時中戦いがあったほどだ。
魔族は強き者を尊ぶ。
そのため、よほどの愚物でない限り、台頭してくるだろう次世代の魔族を潰すことは無い。鍛え、育み、自分より強くなるのを心待ちにするのがほとんどだ。――その育成に力を尽くすことを何よりの誉れと思っているから。
だからこそ、魔族は強い資質を持つ子が産まれることを喜ぶ。
だからこそ、その発見に魔族は力を尽くし――誰に知られることもなく力を蓄える者は皆無だった。
だが、サリは唐突に現れた。
誰も魔王となったサリの出自を知らず、魔王となる前のサリがどこで何をしていた何者なのかも知らなかった。
先代の魔王が敗れ、サリが新たな魔王となった時、サリの隣にはすでに死神がいた。だが、一級神である死神は王の代替わりなど『有限の理の中にある歴史』に関わることは出来ない。むろん、サリ個人の危機であればオズワルドは動くだろう。だが、介入すればその時点でサリの負けが決まり、魔王の座を得ることは出来なくなる。先代魔王とサリは、一騎打ちの末によるものだった。――その結末は、決してサリの望むものでは無かっただろうけれど。
突然現れた新たな魔王に対する不信は、当然当時の魔族達の中にうまれた。
異議ある者は全てサリに戦いを挑み、サリは圧倒的な力でそれを降した。百年が過ぎる頃にはもう誰もサリに盾突こうとはしなかった。最強の魔族こそが魔王であり、サリはその力を存分に民に示したのだ。
魔王となったサリは、ひたすら魔族のために力を尽くした。
望んでもいなかった力、望んでもいなかった立場を得てしまったというのに、投げ出すことも放置することもなく新しい時代を築き上げてくれた。
サリは決して、魔族にとってマイナスとなることをしない。
農耕や畜産を率先して自ら行うことで生産力を高めて魔族の餓死者を無くしたことも、
衝突の多い大家の調整に乗り出し、戦死者を無くそうとしたことも、
全て魔王という地位にいるのだから為さなければならないと自身に課したものだ。
例え先行きの見えない困難がそこにあっても、誰もが面倒で投げ出したくなるようなものであっても――
それはサリにとって魔王になってしまったことへの贖罪だから。
なのに――
「サリ!!」
何故、今、
全てを反故にしかねないことをしたのか。
魔王が軍を起こせば、人間達がどう出るか――他の魔族が分からずとも、サリが分からないはずが無いというのに!!
「どういうことだ!!」
「…………」
全速で飛翔し、吹き飛ばされたノーランを受け止めてサリに対峙した。
黒を基調とした鎧。漆黒のマントの裏打ちは深紅。いつもの魔族伝統服と違いすぎて、別人がそこにいるような錯覚を覚える。
焦燥と裏切られたような感情が身の内で荒れ狂っていた。
サリは無言だ。
感情がこそげ落ちたかのような無表情でそこにいる。
「……レディオン様、申し訳ありません」
「ノーラン!」
「お止めしようといたしましたが、力不足でございました」
いつから戦っていたのか、ノーランの体からは魔力がほとんど感じられなかった。ノーランもサリも抜刀はしていない。サリの刀は鞘がついたままだったし、ノーランは無手だ。ノーランはサリを――おそらく、その指揮下にある軍を――ここで止めるために戦ったのだろうし、サリは行く手を邪魔するノーランを排除しようとはしても命をとろうとはしていないのだろう。魔族はいつだって単純で明快だ。どんな問題であっても、戦って最後まで立っていた側が自分の意思を通せる。
「ノーラン、下がれ」
ノーランはこれ以上戦えない。
例えグランシャリオ家でトップクラスの実力者だとはいえ、魔王を倒せるほどではない。
なにより――
「……サリ。その武装は何だ」
サリは今、俺が見たことも無い武装をしている。
「…………」
答えはない。
油断なく見つめながら、一瞬だけ【全眼】を発動させた。途端に脳裏に閃いた内容に比喩で無く眩暈がした。
希少高遺物!
兜も鎧も手甲も脚絆も全部それぞれ希少高遺物!!
マントに至っては何故か神器!!
待って!? なんで!? 何があったの!? 人魔大戦開始なの!?
どこから持ってきたのその最終決戦装備!
前世の俺ですら見たこと無いよ!!
「自分が何をしているのか、分かっているのか!?」
俺が分からないから説明ください!
「……レディオン。そこを退け」
「サリ!!」
「邪魔をするな」
魔王が話聞いてくれない!!
「サリ! まずは武装を解いて軍を退けろ!」
「断る」
「こんなことが人間達の目に触れれば、どんな事態になるかサリなら分かっているだろう!?」
「それがどうした」
「!?」
「畏れ、怯え、向かって来るのなら殲滅すればいい。逃れ、竦み、身を縮こまらせているのなら何もしない。だが、あの国は亡ぼすとオレは決めた」
「サリ!!」
「三度は言わない。――退け、レディオン」
ゾッとするような覇気が襲い掛かって来た。
サリが動いたわけではない。ただ、その意思が、強固な思念が、圧力すら伴って俺に向けられただけだ。
「……本気か。サリ」
サリの表情は相対した時から僅かとも動かない。
その赤い瞳だけが炯々と怒りを表している。
「俺がこの国で何を、どんな風に、どんな思いでやってきたのか――知っていてなお、こんな手段に出るのか」
サリが何故こんなに怒っているのか、俺には分からない。
人間の国は、闇が深い。見えていない裏側には、俺では想像もつかないような悍ましく悲惨な事だってあるだろう。今世でも垣間見たし、前世では何度も思い知らされた。だから今の俺が知らない何かが――サリが我を忘れる程の何かが――密かに行われていた可能性は高い。
だが、だからといって今のサリの行動を容認することは出来ない。
俺は、俺の目指すものの為に全力を出すと決め、邁進してきた。それはこれからも同じだ。魔族も、人間も、大事だと思うものは全て守り抜くと決めたのだ。
「――止めさせてもらうぞ」
俺の言葉に、サリが手を振った。
サリの後方に控えていた竜達が一斉に動き出す。進軍の合図に全体に対する魔法を放とうとした俺の周囲を闇色の檻が覆った。重いそれがのしかかってくる。【万有縛檻】か!
「【時渡】」
子供のままではサリと拮抗はしても勝つのは難しい。しばらくほぼ魔力が空になるが、膨大な魔力を払って大人の姿になった。サリの魔力で作られた檻の柵を掴む。魔力を物質化させた檻は硬く、重い。俺を閉じ込めるために相当な魔力を込めたらしく、この姿ですら簡単には壊れてくれない。空の器に入る水のように回復しはじめた魔力を編みながら、全力で檻を壊す。壊れる寸前にさらに囲む新たな檻。
「サリ!!」
サリは動かない。
俺と相対したまま、俺をここに留めおくことを優先している。
サリは魔王だ。魔王の意思は魔族の総意。サリが滅ぼすと決めた以上、サリの命令は軍によって遂行される。周囲を観察する余裕は無かったが、サリが率いて来た以上、その軍は精鋭だ。俺が止めなければ、誰にも止めることは出来ない。
止める手段は一つだけ。
「サリ……俺は、こんな場所で、成したくは無かった」
魔王の命令を覆せるのは――魔王だけ。
「今、奪いたくはなかった……!」
誰も知らないサリの過去を俺は知っている。
全てではなくとも、サリ本人とオズワルドから語られていた。
サリから魔王の位を譲り受けた時、何が行われるのかも知っていた。
「十年、待ってくれると言ったのに……!」
――サリの望みが何なのかも。
「恨むぞ! サリ!!」
魔王になるつもりのなかったサリ。
魔王になってしまったサリの傍に留まることを決めたオズワルド。
本来であれば決して過ごすことのなかった七百年という長い時を過ごしたふたり。
虚無も、絶望も、悲哀も、諦念も、周囲にもらすことなく地位に対する義務として魔族を導いてくれたひと。
今世において、俺を抱き上げ抱きしめてくれた俺の大事な家族。
【魔力よ!!】
全ての思いを込めた声に、世界が大きく軋んだのを感じた。
手の中にあった檻の柵が砂のように崩れる。サリが身構える前にポーチから得物を抜き放つ。衝撃で火花が散る。間一髪でサリの鞘付きの刀に防がれた。サリと違い、今生の俺は自分の武器と呼べるものを持っていない。だから長物を念頭に取り出した。何を取り出したのか俺も分かってはいない。ただそれを全力でサリに叩きつける。
「……ッ!」
「全軍、止まれ!! 『魔王位をかけた戦い』だ!!」
「レディオン!!」
「サリが始めた戦いだ! 俺はもう覚悟を決めた!!」
分かっている。
察している。
サリは、俺を攻撃できない。
魔力の檻に閉じ込めても、俺の攻撃を防いでも、俺そのものに攻撃を放つことは出来ない。
――サリにとって、俺はまだ小さく稚い赤ん坊だから。
この戦いは卑怯だろう。
サリが攻撃出来ないのを知っていて戦うのだから。
今まであった全ての魔王位をかけた戦いの中で、一番卑怯で卑劣なものだろう。魔族にとって恥ずべき戦いで、神聖さの欠片も無いものだろう。
だが、それが何だというのだ。
俺は全て手に入れると決めたのだ。
欲ばりでいくと決めたのだ。
この汚名を、その卑怯さを――俺は背負うと決めたのだ。
【魔力よ。世界に満ちたる魔女の息吹よ】
解き放つのではなく取り込むように、集め、巡り、放ち、また取り込み、
【集い、巡りて円環を成せ】
世界に遍く揺蕩うその力の最初と終わりを自分と同化させる。
【脈々と続きたる血の末裔にして今世の具現者よ】
思い描くのは真名も姿も知らない高次生命体。
たった一度だけ発現した秘術でのみ繋がった一柱。
【我が呼び声に応えたりし、深き闇の王にして終焉を司る君よ】
何かが壊れる音がした。
痛みすらともなう暴虐な魔力がすぐ傍らにある。一瞬でも気を抜けば魂ごと消し飛ばされそうな絶大な力。
ただ、力を呼ぶだけで、
ただ、その存在を指し示すだけで、
全てを壊しかねないほどの力が世界に触れる。
循環させ、同化させた魔力をもってしても贖いきれるかわからない存在。
古の時代、かつて神と呼ばれた者が肉の殻を被ることになった原因。
真なる魔女。
全ての魔力の根源に佇む者。
「防げよ! サリ!!」
声を放つ。
サリが身構える。
滲むようにサリの傍らに現れたのはオズワルドだ。
その遥か頭上に集めた魔力を具現させる。
【我が手に汝の鉄槌を!】
次の瞬間、世界の全ての音と光が闇に呑まれた。
「サリ様……ッ!」
一瞬の闇に意識が途切れ、無意識に空に踏みとどまっていた俺の耳にオズワルドの声が聞こえた。
魔女の鉄槌は魔女の力を魔力に込めるもの。
俺が呼びかけたのは原初の魔女のうち、最後に生まれた【宵闇の魔女】。
魔女殺しの魔女にして闇と終焉を司る者。
そして闇は精神ではなく肉の器を司る。
もともとが高位精神体であったオズワルドより、生まれも今も肉の器をもつサリのほうがダメージは大きい。
一点集中ではなく、距離をとって広範囲に滝のように流れ落した鉄槌は、予定通りサリの意識を完全に奪ったらしい。抱き留めたオズワルドの腕の中、ぐったりとしているサリの顔には血の気が無い。一瞬やりすぎたかと肝が冷えたが、死神が心配そうに見ている時点で無事なのは確かだ。もっとも、しばらくは上手く体を動かせない状態だろうが。
サリの様子を確かめ、俺は周囲を一瞥する。
俺が『魔王位をかけた戦い』だと明言した時点で、サリの命で動き出していた軍は止まっている。
魔王位をかけた戦いが始まった以上、この戦いが全てに優先されるのだ。他の魔族は手出しできないし、魔王の命令も一時的に停止状態になる。そして勝った者が全ての命令権を得る。
例え実質一方的な戦場だとしても、異を唱えるためには相手を負かさなければならない。
一対一の戦いにオズワルドが介入した時点でサリの負けが確定したが、俺の勝ちが確定しているわけではない。なぜなら、オズワルドが立っているからだ。
「レディオン殿!」
そしてオズワルドは激怒中である。
「言っておくが、きっかけはサリだぞ」
「ここにいる以上はそうでしょう。ですが、分かっていて真なる魔女の秘術を使うとは何事ですか!」
……あれ? なんかオズワルドの言葉遣いが……
「それでなくては止まるまい。俺はサリと切り合うのはごめんだ」
「サリ様でなければ死に至る一撃でしたが!?」
「おまえがいるだろう、オズワルド。死神の誓約者であるサリに死の魔法は効かない。サリ個人の危機にお前が来ることも分かっていた。肉の殻持つ者の歴史に介入できないお前であっても、誓約者個人を救うための力であれば神族の掟に触れることはない。――『終焉』に対する『死』において、お前以上に防げれる者はいまい? 死神よ」
「……非常に質の悪い攻撃であったと苦言申し上げる!」
「わかっている。全ての非難を受けよう。俺はそれだけのことをした」
大事そうにサリを抱えているオズワルドの非難いっぱいの視線に俺の心が涙目だが仕方ない。
下手に切り合いをするよりサリが安全だからと真なる魔女の魔法を使ったのは俺だ。手出しの出来ない相手と分かっていて戦った卑怯さとあわせて、これから先ずっと背負っていくべき咎だろう。
「オズワルド。魔王位をかけた戦いを続けるか?」
サリとの戦いに介入し、現在も俺と同様に立っているオズワルドは戦いを引き継ぐことが出来る。オズワルドが応えれば、俺とオズワルドとで魔王位をかけて戦うことになる。――だが、オズワルドは応えないだろう。
「……魔族の王には、魔族がなるべきでしょう」
「……そうか」
オズワルドの答えは、俺が想像していた通りのものだ。
サリを危険に晒した俺に思うところはあるだろうが、オズワルドが魔王の位を望むことは決して無い。サリが魔王にならなければ、肉の殻を被って魔族になることさえなかっただろう。魔族の存続や命運でさえ、サリがいなければ気にしない男だ。
「魔王位をかけた戦いについて、異議ある者は俺の前に出よ!」
周囲にいる竜、その上に乗っている者達にも聞こえるように告げる。
魔王の位は不動のものではない。
今こうして俺が奪ったように、他の者も俺から奪うことができる。防衛し続けるだけの力がなければ、魔族最強を名乗ることはできない。まして今回は卑怯な戦いだった。認められないという者だっているだろう。
俺は油断なく周囲を見渡す。
名乗り出てくる者はいない。
竜は竜魔族だ。戦い好きの彼等彼女等がここにいるのは不思議じゃない。不思議なのは彼等が持っているモノだ。何か異様に大きくて凶悪な筒を持っている者もいるが、あれは何だろうか。自らの力のみを誇る魔族が兵器を持つとは思えない。だが、かといって平和的なものには絶対見えなかった。サリの武装といい、俺の知ってる魔族軍と異なりすぎる。
その竜魔族の上に乗っているのは、見間違いで無ければ全員が上級魔族で――……
「…………」
……待って。
待って。
本当に待って。
見たことのある顔ぶれが並んでいるんだけどどういうことなの!?
「……レディオンちゃん」
父様ッ!!
何で今まで声をあげなかったのか不明だけど父様ッ!!
絶対こっちの大陸に来ないでと必死に説得していたはずの父様ッッ!!
なんでサリと一緒になって進軍してるの!?
進軍したら俺がギャン泣きするってわからなかったの!?
屋敷の警備をしていた老騎士とかいるし、顔知らないその他一同も身に纏ってる魔力があきらかに雷撃の系譜です!
全然見てなかったけど、あっちにいるテラ光りする頭部はベッカー家の連中か!
竜魔はもしかしなくても父様繋がりの人員か!!
やばい。魔王軍がうちの軍だった疑惑!
「父様……俺が――いや、それより先に全軍、武装をといて地上に降りろ!」
もう手遅れ感半端ないけどこれ以上目立つのはよして!!
色んな思いで震えている俺を見ながら、まず最初に竜魔がその巨体を人の姿に変化させ、全員が静かにロルカンの港へと降りていく。――ワラワラと。
待って。待って。いったい何人いるのこれ。デカイ竜が消えたかわりにその巨体に隠されていた人影がものすごい沢山。音もなく港に降り立っているけどあっという間に黒山の人だかりに。以前ロルカンに寄った王国軍より多くない? どうやって集めたの? そして全員サリと同じく完全武装なんだが、この人数と装備でいったい何と戦うつもりだったのか……いや、人間の国なんだろうけど、そこまでカルロッタを敵視する理由って何なの!? 色々あったけど、カルロッタは俺の中では人間国唯一の友好国なんだけど!?
「…………」
父様が俺の前に浮遊の魔法で浮いてくる。
オズワルドはサリを気づかわし気に見つめながらロルカンの港に向かった。……説明、父様に丸投げなの? いや、オズワルドはさっきまで聖王国の軍に一撃かましに行ってたから、説明してくれと言われても困るのか。いやでも、サリのことでオズワルドが分からないことがあるとは思えない。そしてその場合、カルロッタの上空に現れたらしい時点で現状をまるっとスルーしていたことに。本当にサリのこと以外はどうでもいいのなオズワルド……!
「父様」
「…………」
俺の絶対零度の眼差しに父様がしょぼん顔。
そのまま無言で懐から何かを取り出す。
どこかで見たことのある魔力結晶石だ。……あれか。記録を中に入れたやつか。
「……密偵が、送ってきたものだ」
ぽつりと零すように告げられた。
この中に、この進軍をせざるをえなかった情報があるということだろう。とはいえ、呑気にこれを見ている時間があるだろうか? 聖王国に襲われたあげく魔族まで来襲しちゃったロルカンの皆へのフォローもしないといけないだろうし、うっかり軍勢を見っちゃったかもしれない周辺への対応も検討しないといけない。――うん。後回しだな。
「カルロッタで何が行われていたかは――」
「? カルロッタ?」
ん? なんで父様が不審そうな顔に?
「カルロッタで得た情報を見て、進軍したんじゃないのか?」
「カルロッタでも何かあったのか!?」
え!? なんで気色ばむの!?
「ちょっと待て。事情が全く分からん。サリは『あの国を亡ぼす』と言ったぞ」
「そうだ。聖王国だ」
……。
「は!?」
ちょ。
「聖王国!?」
なんでロルカン沖に展開してたの!?
サリを中心にして完全に戦陣組んでたよね!?
魔王軍襲来だと思って思いっきり迎撃したんですが!?
「ここを一直線に踏破すれば今日中に急襲できるはずだった」
カルロッタ、通過点!!
主戦場じゃなく、進軍路!!
もしかしなくても早とちり……!!
「先に言っ……いや、それ以前に軍を率いてこっちの大陸に来る時点でアウトだろう!?」
「例え軍でもって制圧してでも、あの国を滅ぼさなければならない理由がある!」
軍でもって制圧したら人魔大戦勃発です!!
「それがきっかけでどれだけ大きな戦争が起きることになると思っている!? 国一つ相手にするつもりが、全世界を相手にした戦争になる可能性だってあるんだぞ!!」
むしろ世界大戦以外の可能性が思いつかない!!
「ならば全ての戦いに勝てばいい! あのような国の味方をする者など滅べばよい!!」
脳筋族!
「極端に走るな! 戦になれば戦えない者達にも被害がいくんだぞ!」
「戦えぬ者は後方に控えていればよい! 戦う者同士でのみやりあえばいい話だ!!」
脳筋族!!
「人との戦いで、そんな主張が通用するわけがないだろう!? 父様は人間を知らなすぎる!!」
魔族同士の戦いであれば、父様の主張通りになるだろう。
魔族は基本、戦える者だけが戦い、決着をつける。戦えない者への危害は非難の的となり、決して許されない汚点として語り継がれる。強い者が意見を通せるぶん、『強さ』に対して求められる基準が高いのが魔族という種族だ。
だが、他種族相手にそれは通用しない。
今まで培ってきた常識が全く違う相手に対し、同じ土壌のつもりで戦いを挑んではいけないのだ。
「父様は俺がずっと何をしていたか知っているだろう!? 何を準備し、何を行い、何を目指していたか知っているだろう!? そこに戦争をもちこめば、俺がどんな反応をするのかもわかっていたはずだ!!」
そう――わかっているはずだ。他ならぬ俺の両親ならば。
そうと気づいて、俺は熱くなっていた頭を必死に冷やした。
全く予想もしてなかった魔族の軍勢を目にして、混乱と焦燥の極みにあったことを自覚した。だから展開していた軍がうちの家人や知り合いで纏められていることにも気づけなかったし、サリを止めるために十年後の予定だった魔王位をかけた戦いをするハメになったのだ。
落ち着いて考えれば、見えてくるものがある。
おそらく、軍を最初に率いようとしていたのは父様だ。
軍勢がグランシャリオ家、ベッカー家、竜魔一族で揃えられているので確定だろう。サリはおそらく、父様を止めるつもりで訪れ――何故か父様以上に激怒して軍の先頭に立ってしまったのだろう。……激怒の原因を見るのがちょっと怖い。
生後間もないころから俺が何を行ってきたのか、誰よりも知っている俺の父様が怒りで我を忘れる程の何かが起きているのだ。来襲した全員、異様にやる気が漲っていたから、軍全体が激怒中だったと推測も出来る。……何をやったんだ、聖王国。俺、後でその原因を見せられるんだが、その時点で俺の怒りが振り切れない自信がない。前世のせいで俺の聖王国に対する忍耐力は常にゼロだ。俺が暴走したら誰が止めてくれるんだろうか。
……ポムが傍に来るまで見ないでおこう。そうしよう。
「……わかっていて軍を起こした理由は今は聞かない。たとえ聞いても俺が行軍を認めることは無いからだ」
目の前の、未だ怒りがおさまらない父様に出来るだけ静かな口調で語りかける。
サリとオズワルドが抜けた以上、この場の代表は父様だ。ここで説得しなければ、軍を完全に解体することは出来ない。例え強権を発動させたとしても、有志の小部隊とかを結成させる可能性はある。その可能性は出来るだけ潰さないといけない。
「繰り返すが、俺は現時点で魔族が軍を起こして人の子の国を攻めるのを認めない。これは『魔王位をかけた戦い』を経ての発言だ。それに異を唱えるのなら――俺を倒し、次の魔王となって命令してくれ」
「ッ」
父様が痛みを堪える表情になった。
どこまでも卑怯な発言だと、その自覚は痛いほどある。
だが、退けない願いがあるのなら、最後まで貫くべきだ。俺の魔族としての矜持など、魔族そのものの命運の前にあっては塵に等しいのだから。
そして――
「……父様達が何故動いたのか。その理由は後で存分に話してもらうから」
俺が行軍を認められない理由があるように、父様達の側にも理由がある。
それはきちんと聞かせてもらうべきだろう。許可することは出来なくても、ここに至った過程を――その心情を――受け止めるのは、俺の役目だ。
「今は従ってくれ。……頼むから」
俺の言葉に小さく息をつき、父様は目を瞑る。
一つ。二つ。
感情に整理をつけるように頭を振って、ため息を零して言った。
「……従おう」
●
父様を従えて港に降りると、先に降りていた全員に跪かれた。見渡す限り黒い鎧で、微妙に死の黒波を彷彿とさせる。
サリとオズワルドの姿が見えないと、巡らせた視線がこちらへ駆けてくるジルベルトの姿をとらえた。
「レディオン様!」
ジルベルトの笑顔が眩しい。
周囲を埋め尽くす黒い人垣の端にたどりついたジルベルトは、そこから身を乗り出すようにして声を放った。
「お二人方は先に屋敷へご案内しています! レディオン様も一先ずは屋敷へおいでください!」
誰の事だろうと思ったら、足元に跪いた魔族から「サリ様とオズワルド様です」と告げられた。どうやらサリを休める為に屋敷に招いてくれたらしい。これだけの魔族を前に全く気後れしていないジルベルトに感心するべきか、その成長ぶりに驚くべきか……
「レディオン様。どうぞ、今はサリ様の元へ」
「アルモニー様麾下、本土グランシャリオ家家人一同、これより周辺諸国の情報収集および情報操作に移させていただきたく存じます。どうぞご下命を」
一瞬戸惑っていたら、傍らに跪いていたレイノルドとノーランが告げて来た。……なにやってるのベッカー家当主。いや、グランシャリオ家当主もいるから、今更だけど……
そして本土にいるはずのノーランがロルカンに来ていたのは母様の命令だったのか。父様達の暴走を止められないとして別の手を打っていたのだろう。
「母様からは、何と?」
「ジルベルト様と、かの方のおいでになるこの地をお守りするように、と。また、此度の軍勢を隠す為、目くらましの魔法をかけること、その進軍をレディオン様がいらっしゃるまで海上にて止めることを命じられておりました」
目くらましの魔法!
母様! そしてノーラン達! いい仕事した!!
「間近にあっては効果が失われますが、遠方からは軍の姿は見えなかったはずです」
「よくやった!」
深く頭を下げるノーランに俺も心の中で盛大に頭を下げた。よくやった! 本当によくやってくれた!! 俺はもう人魔大戦待ったなしかと思ったよ……!!
後の事は母様に任せよう。俺はまずサリの問題に対応しないといけないだろうから。
「父様。そしてレイノルド」
「「はっ」」
ちょ。父様いつのまに跪いてたの!? さすがに実父を跪かせるのは落ち着かないんだけど!?
「以後、母様に指揮を仰ぎ、事態の収拾にあたってくれ」
「「御意」」
完全に受け答えが配下です。辛い。しかし魔王になったからにはこれから慣れないといけない。……なんで俺は二歳になる前に魔王になっているんだろうか。恨むぞサリ。本当に恨むんだからね!?
「ノーラン」
「はっ」
「情報収集、および情報操作についてはお前に任せる。可能な限り人心に配慮せよ」
「畏まりました」
「何かあれば俺に連絡を。――ジルベルト、待たせたな」
ちょこんと待っていたジルベルトの元に飛ぶ。聖王国との戦いを見て様々な思いを巡らしていたというのに、うちの軍勢が迷惑をかけすぎていて抱擁するのも躊躇う。本当に、なんでこのタイミングでやってきたかなサリ達……!!
「御無事で何よりです」
「それは俺の台詞だ。……よく、無事でいてくれた。お前も、この街も」
「レディオン様が守ってくださっていますから」
ジルベルトの柔らかな微笑みが胸にくる。
この厚い信頼を裏切らないためにも、俺は今まで以上に強く、賢くならなければならないだろう。別大陸にいるうちに本土から把握していない軍勢が攻めてくるとか、ちょっと予想外すぎて対応が後手に回ったけれど。
「お二方はレディオン様が整えてくださった南の客室においでです」
「そうか。……迷惑をかけてすまない。此度の事、迫りくる大軍に心労も大きかっただろう」
「いいえ」
いいえ?
「私達はずっと守られていましたから」
首を傾げる俺に、前に立って案内をしてくれながらジルベルトは少し可笑しそうに微笑む。
まるで、何か小さな秘密を大事に温めるように。
「あなたに御自覚がなくとも、私達は守られていることを知っています。そして、あなたの繋いでくださった縁にかけて、私達は同胞を見誤りません。例えどのような姿であろうとも」
どこか謎かけのような言葉で。
「私達は、あなたの民ですから」
●
サリが休んでいたのは暖色系の色で纏めた南側の部屋だった。
深紅を基調とした部屋の中、大きな天蓋付寝台にサリは横たわっている。傍らの椅子に座っていたオズワルドは、入室した俺に一度だけ視線を向けたがすぐにサリへと戻した。
意味深な台詞を言ってくれたジルベルトとは部屋の前で別れている。これからの話が魔族の秘事であることなど知らなくても、大事な話があるだろうからと配慮してくれたのだ。
部屋の中にはサリとオズワルドと俺だけ。
暖炉にいた炭喰スライムも気配を察してか、素早い動きで煙突の外に逃げて行った。
「……サリ」
オズワルドの反対側、ベッドの傍らに着いて声をかける。
サリの長い睫毛が揺れて、静かに目が開いた。こちらに顔を向けようとして、僅かに顰める。
「サリ様」
気づいてオズワルドがサリの身を起こした。魔法の影響でまだ体を上手く動かせないのだ。ウェストポーチ型の無限袋から大きなクッションを次々取り出すと、受け取ったオズワルドがそれをサリの背にあわせて配置した。あ。うっかり俺の睡眠の朋『おうしちゃん』がサリの背中に。どうしよう。
「……お前に止められるとはな」
ため息を零すようにサリが呟く。
様々な思いが込められているとわかる声だった。
伏せられた目が見ているのは、サリ自身の過去か、それともまだ俺が見ていない聖王国の所業か。
今更背中のおうしちゃんを取り払うわけにもいかず、俺もそっと目を伏せた。どうしよう。ものすごく真面目な話をしないといけないのに、サリの背中のおうしちゃんが異彩を放ちすぎて落ち着かない。オズワルドもなんで真面目な顔でそれをそのまま受け取って配置したかな!? うっかり出しちゃった俺も俺だけど……!
「あの場で意識を失った以上、魔王の位はお前のものだ」
そう告げる声は、どこか安堵の色さえ滲む優しいものだった。サリの心情を思えば、ようやく、といったところなのだろう。僅かに微笑むサリをオズワルドが不安そうに見つめている。
「そして」
そのサリが決定的な言葉を
「俺がもっている『魔王』の力を――」
「いらない」
紡ぐその瞬間に、俺は強い口調で割り込んだ。
「前にも言ったぞ、サリ。俺は言ったはずだぞ。――『生きてくれ』と」
「っ」
オズワルドが弾かれたように俺を見る。
口を閉ざしたサリの表情は静かだ。
「あの日、あの時、願ったことは俺の本心だ。あれが変わることは無い。なにがあろうとだ」
「……やはり、知っているのか」
サリが嘆息がつく。
かつてサリから魔王の位を継がないかと言われた時の話から、サリも気づいていたのだろう。俺が知っているということに。
「知っている。サリがずっと、魔族の中から新しい魔王が生まれるのを待っていたことも。それまでの間だけと、魔族にされてしまった身でその座を守ってくれていたことも」
「……」
「七百年。人であった身では決して過ごすことのない長い時を、王座に対する義務としてずっと俺達のために尽くしてくれていたことも」
サリは元々魔族じゃない。
「勇者サリシオン・ユスティニア・ファラ・アンリユストゥス」
七百年前、魔王を倒すために向かわされたラザネイト大陸の覇者。
かつて大陸を統一した魔導国の王の双子にして、隠された真王。
そして、有史以来初めて人王となったであろう覚醒した真なる勇者。
「百七代目魔王『転変』のオリヴィアによって『魔王』の力と転変の力を無理やり受け取らされた者。――お前の言う力の譲渡は、命を含む存在そのものの譲渡だろう?」