66 inattendu
感想、レビュー、ありがとうございます!
家族の病状が落ち着いてきましたので、少しずつ再開させていただきます。
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ジルベルトは真っすぐに俺を見ていた。
そう『俺』を――おそらくポムの魔法で第九魔力結晶石の中にある過去の映像を見ている俺を。
何故、俺が見ていることを察せれたのか。
どうやって、過去から未来の事象を把握したのか。
理解が及ばない俺の前で、ジルベルトは穏やかな表情のまま口を開いた。
「侵略してきた聖王国の騎士達はほぼ壊滅させました。……彼等を率いていた者も殺しました。この戦いにはグランシャリオ家の誰も直接には関わっていません。この戦いは、我がアヴァンツァーレ領と、聖王国との戦いです」
そう明言する意味を解らない俺ではない。
だが、これは――
この戦いの結果は――
「……レディオン様。きっと、貴方は『こんなことは望んでいなかった』と仰るでしょうね」
言われて、唇を噛んだ。
そうだ。――俺はこんなことを望んではいなかった。
ジルベルトを人殺しにしたくなかった。
人の世における『聖人殺し』になどしたくなかった。
例え英雄の資質をもっていようとも、そうならなければならないというわけではない。ジルベルトには幸せになってほしかった。あれだけ苦労し続けていたのだ。これからは発展していく街や領地を切り盛りしながら、穏やかな生活を手に入れてほしかった。
全ての辛苦は俺が受け持つから、優しい世界で生きてほしかったのだ。
なのに、俺が――俺達の存在が、ジルベルトを聖人殺しにした。俺がジルベルトの穏やかな未来を奪ったのだ。
「貴方はいつだってご自分が矢面に立とうとされる。ご自分の手を汚し、全ての傷も汚れも受けようとされる。――ですが、貴方がそうなることこそ、私は望んでいないのです」
ジルベルトはただ微笑む。
「忘れないでください。私は――私達は、自分でこの『今』を選んだのです」
覚えていますか、と優しい声が言う。
「最初に会った日に、貴方が言ってくださった言葉を」
覚えている。力尽きかけていたジルベルトの姿と共に。
「貴方は最初から、ご自分の側につくことで負うだろう様々な危険を示唆してくれていました」
――俺は、俺に恭順を示す者に対して庇護を与える。
――だがそれは同時に、俺の敵の目にとまり、俺と共に滅ぼされる可能性も含む
――いつの日にか、俺が何者であるか知ることもあるかもしれない。
――その時に、『騙された』と思うかもしれない。そしてその時にはおそらく、他の者は貴殿の言い訳を聞かず、貴殿を弑するだろう。
「それを踏まえて、吟味して、私はお願いしました」
――どうかあなた様の歩む道の傍らに、私共もお加えください。
あの日の誓いは、ずっと共にあったのだ。
「この結果は、私達の意思であり、私達が自ら選択したものです。……だから、どうかそれを認めてやってください」
ジルベルトの言葉に、俺は何と返していいのか分からなかった。
俺達魔族から見れば稚くか弱い彼等人間が、自分達よりずっと強い同族相手に、俺達魔族を守るために戦った。ちょっと傷を負えば死んでしまうぐらいか弱いのに。俺達に戦いを任せたほうが怖い思いも痛い思いもせずにすんだのに。
俺達のほうがずっと強いのに。
――けれど、ああ、けれど。
その選択を。その行動を。どうして否定なんか出来るだろう。どうして弱くとも心ひとつで立ち向かった彼等の勇気を否定出来るだろう。彼等は自分達の体で、命がけで、俺達に示してくれたのだ。
助け合えるということを。
守り合えるということを。
ともに歩んでいけるということを。
――愛している、ということを。
俺が。否定され嫌悪され敵視され続けていた魔王が。どんなに。どんなに。その思いを欲していたか。願っていたか。
「そして、もし――もし、叶うなら」
ジルベルトはちょっと言い淀んでから、はにかむように笑って言った。
「どうか、褒めてやってください」
その言葉に、怒涛のように無形の感情が押し寄せた。言葉なんて浮かばない。ただただ押し寄せ、溢れ、世界を満たす。温かい光のような、安らぐ闇のような、広がる風のような、包み込む大地のような、熱い炎のような、優しい水のような。その思いのままに、
「――――」
愛し子を、愛する街を抱きしめた。
◎
「……なぁ、ポムさん、なにがどうなってんだ?」
カルロッタ王宮、玉座の間。
唖然とした声をあげたロベルトの視線は、開け放たれたままの大扉へと向けられている。今しがた突風のように走り去ったレディオンの背を追うような形だ。
「…………」
問われたポムはといえば、珍しく呆気にとられたような風情で棒立ちになっていた。
「ポムさんよ?」
「……」
「ポムさん?」
「ああ……えぇ……失礼。坊ちゃんのことですよね?」
「いや、このタイミングで他のこと聞く理由が無ぇよな?」
ロベルトは眉をひそめる。
一瞬だった。ほんの一瞬、ポムの手が――その指が、レディオンの額を押した。それだけであのレディオンが大きくよろめき、即座に身を翻して駆け去ったのだ。
残された者は全員、何が起きたのか全くわからず呆然としている。
「あんたが『何かやった』ってことぐらいは分かるんだけどよ? なにやったら即座に走り去るなんてことになるんだよ? おまけに、ちょっと泣いてなかったか?」
「私がしたのは、送られてきた過去の映像の中に坊ちゃんの意識を放り込んだだけですよ」
「いきなり非常識な事言うのはやめてくれねーかな」
「坊ちゃんほど非常識ではないつもりです」
真顔で返すロベルトに、珍しく真顔なポムが返答する。
「……それにしても、ジルベルトさんがああも……強化されてるのは『未来視』……? 交差した『生命の』の欠片の仕業か、あるいは……」
「ポムさんやー、頼むから事情がさっぱり分からねぇ周囲にも分かるような解説頼めねぇかな」
「私としても、さっきの説明以上に言えることは無いんですけどね……」
僅かに苦笑めいたものを口にして、ポムはいつもの飄々とした雰囲気に戻った。
ロベルトはその様子に無意識に腕を摩る。そこで初めて、鳥肌が立っていることに気づいた。指先が震えている。
その原因であった男は、今はいつも通りに戻っているが。
「まぁ、王様達は何も知りませんから、軽く説明しておきましょうか!」
「……国のことなのだから、儂としては詳しく説明してほしいのだが」
「時間は有限ですから、かいつまんで説明させていただきます! 王都の騒ぎの前にロルカンが聖王国の騎士達に急襲されてました。その時の様子を記録した水晶板が私が持っているコレです」
「なんと!?」
「記録の宝珠のようなものか」
「待て、その前にロルカンが聖王国に襲われただと!?」
にわかに騒がしくなったカルロッタ王族側に、ポムは聞いていないかのような風情で流れるように話を続ける。
「坊ちゃんも急襲されたことは後になって報告されたので早く記録を見たかったはずですが、王都の騒ぎがちょっと無視できないレベルだったので先にこっちを片付けさせてもらいました。そのあたりのやりとりは第一王子さん達に詳しく聞いてください。で、ちょっと落ち着いたので坊ちゃんの意識を記録の中に――というか――これの中にある記録を見てもらったわけです」
「あの一瞬で!?」
「そうです。その結果として、坊ちゃんはすっ飛んで行ったわけです。――行き先はロルカンでしょうね」
その簡単な――それこそ、置いてきぼりになった側からすればあまりにも簡単すぎる――説明に、ロベルトは大きなため息をついた。
「……つーか、レディオンが涙目だったのが気がかりなんだけどよ?」
「あれはジルベルトさんの立ち振る舞いの結果です」
「領主さん、何やった……」
「して、ロルカンの現状は?」
「聖王国の攻撃に関しては、ロルカンは防衛済みです。ちょっと大人げないぐらい防衛力の高い壁と、主にジルベルトさんの力で」
「ああ、あの大人げなさすぎる最終決戦用みたいな壁な……あと領主さん、色々スゲェな」
「凄いですよ。――私の想定からも逸脱してくれましたからね」
詳しくはそれぞれでご覧ください、と水晶板を最初に差し出されて、ロベルトは微妙な表情でそれを国王に渡した。
「うむ。……後始末が色々あるから、実際に見るのは後になりそうだが……勇者よ、先に見るべきはおぬしではないのか?」
「ぎゃぁああ! やっぱり覚えられてる! 聞き流してくれててもいいんですけど!?」
ずっと勇者であることを隠して生きてきたロベルト、渾身の叫びである。
対する国王の返答は一言。「無理」。
「色々と細かく情報をすり合わせたいことも、確認したいことも多くあるが……儂は一度に複数の何かを成せるほど器用では無いのでな。急ぎから一つずつ片づけていこう。――ロルカンは、防衛済みとのことだが、聖王国の騎士を全て撃退したという認識で良いのか?」
「神騎士候補と神殿騎士の一部は捕らえてあるみたいですよ」
「……神騎士候補を捕らえるとか、想像だに出来んのだが……」
「百聞は一見に如かず、ですが……今記録見ると全員呆然としちゃいそうですから、色々と終わった後で確認してもらうほうがいいかもしれませんね。私が言うのもなんですが、色々と非常識ですよ」
「ポムさんに言われたらおしまいじゃないか!?」
「失礼ですね!? 私、坊ちゃんよりはこちらの常識の範囲におさめてますよ!?」
「言外におさめてない部分があるの匂わせねぇでくれねぇかな!?」
うっかりツッコミを入れてしまったロベルトが顔を覆った。
カルロッタの面々はどう反応して良いのか困った顔をし、控えていたグランシャリオ家縁の者達はそっと視線を逸らせる。
「反乱を起こした者共の捕縛ももうすんでいるとみて良いのかな?」
「ええ。この国や王族に害意をもっていた人達はほとんど死にましたし、生き残った面々も捕縛済みです。害意をもっていなかった人はスルーですけど」
「うん?」
「どこぞの変態とか、害意はないけれど無関係ではないのがいますからね。それらに関しては『グランシャリオ家は』手を出しません」
「なるほど……感謝する」
「感謝は坊ちゃんにお願いします。大喜びしますので」
「うむ。そうしよう」
大真面目に頷く国王の傍ら、ポムを見ていたロベルトが訝し気に「『グランシャリオ家は』?」と呟いたが、それよりも別の者の声のほうが大きかった。
「王よ! 事態が収束したのであれば、すぐさま王城のバルコニーより宣言するが良いぞ! リベリオ、マリウス、そこの宰相と将軍を後ろに従えて王の後方左右で姿を見せておくがよい。そこの聖女候補! 行くぞ!」
「ちょ!? え!? 私も!? 何処に!?」
「阿呆! 中庭に決まっておろう! 妾達は負傷者の対応だ!」
「ほとんど治療されてるんですけど!?」
「つまらんいざこざで怪我が出来るのはこれからぞ!」
「ちょっとーっ!?」
片腕で軽々と年若い聖女候補を抱えて走り去る正妃に、レディオンに続いて二度目の置いてきぼりとなった面々が顔を見合わせる。
「……まぁ、あちらは正妃に任せておけば問題なかろう」
「本当に、あの方は、いつもあのように優秀な姿であればどれほど……」
「言うな」
体中からふりしぼるように内心を吐露する宰相に、国王は嘆息をついた。
その隣で呵々大笑するのは将軍だ。
「勇者のいた時代からずっと、妃殿下の真価が発揮されるのは非常時のみですからな! おっと、先代勇者の時代、と言うべきですかな!」
「あの方の才覚はむしろ平時にこそ発揮されるべきだというのに……!」
「愚痴は後でいくらでも聞きましょうぞ。さて! 陛下! 妃殿下の仰りようもごもっとも。まずは御身が無事であることを国民に示しましょう」
「そうだな。勝鬨はすでに各場所で将軍たちがあげておったが、宣言は早めにせねばならんな」
「父上。それが終わりましたら各地への書状もお願いします。ここまで早く終息するとは思っていませんでしたので、諸侯へ放った檄で少なからぬ混乱が起きるかもしれません」
「ふむ。リベリオよ、珍しく表に出たのだな」
「……必要だと思いましたので」
「うむ。これからもそのように、な」
何かを含んで言う父王に、リベリオは一瞬言葉に詰まり、次いで神官長を見た。神官長は意味深な笑みを浮かべている。
その笑みに思い出したのは、神官長の言葉だ。
――この事態になって、ようやくか。
――貴様の肝が据わっとらんせいで、どれだけの回り道をしたと思っておる。
「……!」
「? 兄上?」
「ところでグランシャリオ家の方々よ。あなた方は我が国の恩人だ。一緒に来てはいただけんだろうか?」
いつの間にか入口付近に集まって何やら話し合っていたグランシャリオ家の面々に声をかけると、代表してかなかの一人が進み出た。
「申し訳ございません。この局面におきましては、当主様からも、次期様からもご下命をいただいておりませんので、我々では判断が出来かねます。我々は影より警護に勤めさせていただきますので、どうかそのようにお取り計らい願います」
「あれ? ポムさんは?」
「ポムは急ぎ対応する件があるとのことで、先ほど発ちました。王国の皆様方の警護は我々が引き継がせていただきます」
「つーことは、今頃ロルカンかな?」
やや不審顔ながら納得したロベルトに、家人は丁寧にお辞儀をして言う。
「ロベルト様に伝言です。『せっかくなので国王陛下と一緒にバルコニーに出て勇者発言しちゃってください』とのことです」
全員の視線がロベルトに集中した。
「ふむ。どうするかの?」
「断る!!」
●
王城を飛び出してすぐ、一足飛びに王都の拠点へ向かった。
後のことや、今すぐしなければならない諸々のことは頭から完全にすっぽ抜けていた。
ずっと脳裏を占めるのはジルベルトの顔だ。
稚い赤子がはじめて伝い歩きした姿を親に誇るような、喜びと希望がそこにあった。
何故だろうか。
その姿に生まれることの出来なかった我が子を思い出した。
――何故だろうか。
我が子は誕生することすら出来なかったというのに。
裂かれた妻の胎から引きずり出され、原型も留めぬほどに刻まれた俺の初めての子。傍らの妻もあまりにも無残な姿だった。周囲に散った小さな肉片は妻のものなのか我が子のものなのかすら分からないほど。ただただ赤黒い血の溜まりの中で、妻の白い顔と鮮やかな深紅の髪がいつまでも記憶に残った。我が子を偲ぼうにも、その縁となる姿は皆無だった。
なのに、なぜ。
なぜ、今、見たこともない我が子の『姿』を思うのだろうか。
何故、あのジルベルトのはにかんだ笑みに、見たこともない幼い顔を幻視するのだろうか。
あの子は俺と妻のどちらに似たのかすら、わからないというのに。
誰も見ることも知ることも出来ないというのに。
(俺は――)
飛び込んだ拠点を駆けるなか、家人の誰かが声をあげた気がした。
だが、聞こえない。
足が転移陣に乗る。
魔力を込めるまでもなく、転移が始まった。
脳裏に在りし日の妻の姿が過ぎる。
(ああ、妻よ――)
もし、君がここにいれば、俺になんと言うだろうか?
いつもの冷ややかな目で見上げて言うだろうか。
なにを馬鹿なことを考えているんですか、と。
あるいは、たまに見せてくれる呆れたような苦笑を浮かべて言うのだろうか。
――そんなことも分からないんですか、と。
女性らしい曲線やたおやかさとは無縁の、抜き放った刃物のような凛として美しい妻。強く、気高く、他者よりも自身に厳しかった俺の最愛のひと。
彼女に似ていれば、きっと凛々しく美しい魔族だっただろう。
髪は赤で、瞳は――できれば俺と同じ金であってほしい。
俺に似ていたら残念な顔だろうが、ほんの少しぐらいは俺に似たところもあってほしいから。
――きっと、これは俺の願望の発露だ。
見たこともない我が子の顔を――もしかしたらありえたかもしれない未来の姿を――その光景を、あの子の姿に重ねてしまったのは。
――生きていたらこうだっただろうと。
かつて夢見る事すら出来なかった幻覚を。
はにかんで「褒めて」と言ったあの子の姿に。
(ジルベルト)
揺らぐようにして景色が一変した。
見慣れたロルカンの転移部屋。異変らしいものは見当たらない。けれどそこに転移してきた瞬間、全身を圧迫するほどの膨大な魔力と戦いの気配を感じた。
「っ!?」
家人の姿は無い。
ロルカンの報告をしてきた家令の姿も無い。
そして外から感じる圧力すらおぼえる気配――
「ノーラン!」
『無距離黒真珠』に触れて呼ぶ。
聖王国との戦闘は終わっているはずだ。ポムが見せたのは過去の光景であって、現在のものではない。ノーランだって大丈夫だと言ったのだ。あの時、すでに戦いは終わっていたはずだ。
なのに、なぜここにこんなに戦いの気配が満ちている?
強大な魔力と夥しい数の敵意ある人の気配は何だ!?
「ノーラン! 聞こえるか!」
駆けだすなか、焦ったせいでドアノブが壊れ、扉が壁にめりこんだ。いつもなら飛んでくる家人が誰もいない。消音結界のせいで外の音も聞こえない。外へと続く扉を吹き飛ばした時、先にモニターで街の様子を見てからにすべきだったことに今更ながら気がついた。
だが、その考えは飛び出した外の光景に一瞬で掻き消えた。
ロルカンの港の先、海上一面に広がる竜の群れ。
沖で繰り広げられる強大な魔力をもつ者同士の戦い。
衝撃が痛みとなって頭を大きく揺さぶった。
ありえない光景が広がっている。
決してあってはいけない光景が。
「何故だ!」
俺は声を放った。
遥か先で同族と戦っている者を見据えて。
「何故なんだ! ――魔王!!」
完全武装の魔王軍がそこに在った。