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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 6 王と魔王と操りの神
116/196

―Je pense à toi malgré la distance.―

お待ちくださった方々、感想、誤字報告、レビューをくださった方々、ありがとうございます!

次回はやっとレディオン視点です。



 


 目がつぶれそうなほどの輝きに、思わず腕で目を庇っていたロルカン側の面々は、光が和らぐのと同時に薄目を開ける。そうして、眼前に広がる数多の魔法陣に思わず驚嘆の声をあげ、活人画と化した。


(なんと……おお……なんという……!)


 志願兵達と同じ場所で救護用に待機していた老神父(リヒト)もまた、その光景に震える。

 リヒトは知っていた。目の前の夜空に広がる光の魔法陣を。そこから降り注ぐ無慈悲な光の雨を。

 リヒトは覚えていた。かつて遠い夜空に煌めいていた同じ魔法陣を。死と破滅を打ち砕く狼煙となった奇跡の雨を。

 ジルベルトが使ったのは、かつて死の黒波の脅威を打ち払った際、レディオンが使っていた魔法だ。あのレディオンが――おそらく上級魔族クラスの魔族が――放っていたその魔法は、遥かな昔に勇者が使っていた神聖魔法の奥義。

 ――光天の裁き――

 そう世に伝わる奇跡の術だ。


(使うのですか……人の身で……!!)


 リヒトはジルベルトのことを幼い頃から知っていた。決して天才では無いが努力家で、父親からよく学び、拙いながらも賢明に自分に課せられた使命を果たしていた子だった。

 控えめで穏やかな性格と、こうと決めたらやり遂げるまで絶対に退かない芯の強さ。ある意味アヴァンツァーレ家らしい子供だったと言えるだろう。

 だが、ジルベルトはあくまでごく普通の人間だった。膨大な魔力量を持つわけでも無ければ、隠された魔法の才があるわけでもない。当然、聖女や勇者といった人の枠組みから外れた力など持っていない。

 それでも、彼はやってのけたのだ。

 数多の奇跡を手繰り寄せ、たった一つ――大切な人を守りたいという一念だけで。


「ふざッけるッなァッ!!」


 誰もが息を殺して光の雨を見つめる中、地上から(つんざ)くような声が飛んできた。


「この俺を! 神聖魔法で殺せるかァッ!」

「な、なんだあいつは?」

「光が貫いてるのに死なないだと!?」

「あの一人だけおかしいぞ!」


 胸壁の陰に隠れながら志願兵達は地上を見下ろす。

 門扉の前、おそらく敵の総大将だろう神秘的な鎧を纏った騎士は、壮麗な意匠が施された光る槍を手に構え、何度も光の雨に貫かれながら、力ある言葉を解き放った。


「【穿つは神の一撃(ピアセ・ク・ドゥジュ)】!!」


 膨大な光が槍から放たれ、門扉に激突した。今まで傷つくどころか小動(こゆるぎ)もしなかった門扉が、初めて軋み音をたてはじめる。


「ハァッ! 見るがいい! 小僧! 見るがいい!! 愚かなロルカンの民よ!! 貴様等の拠り所である門扉も、神器の威には敵わぬようだなァッ!」

「神器ですと!?」

「ご、御存じなのですか、神父様」


 思わず声をあげたリヒトに、山賊もどき達と一緒に街に来た元神官家系の男が問う。


「世界に七つあると言われる神代の武器です。あれは槍……ならば、神槍(ジュノース)一光(イヌ・イミリエ)』でしょう。神器を扱えるのは神騎士のみです。まさか、聖王国が神騎士まで動員しているとは……!」


 騎士は名乗らなかった。

 だからリヒト達も気づかなかった。武器や鎧が立派なのは隊長だからだろうというぐらいしか思っていなかったのだ。神殿騎士が来ることは予想出来ても、まさかこんな辺境に聖王国最大戦力でもある神騎士まで派兵されるとは誰も思わなかったのだ。


「領主様……!」


 リヒトは希望が絶望に浸されるのを感じた。

 神殿騎士と神の恩寵を得た神騎士では神聖魔法に対する耐性が全く違う。本来なら光の一筋でも当たれば身命を焼き尽くす強大な魔法であろうと、神騎士相手では『当たった部位だけ焼き貫かれる』だけでしかないだろう。しかも、神騎士は神の奇跡によりほぼ不死だと聞く。さらにその手に神器があるのであれば、いかに魔族の作った門扉であろうと砕かれかねない。事実、彼等の足元でメリメリと不気味な音が響いていた。


(ロモロ……!)


 リヒトは脳裏を過ぎった一人の騎士に心の中で問いかける。


(貴方が言っていたのはこのことですか――!?)


 神騎士が神器を持ち出してくる状況を予測していたというのだろうか。もしや、命が下れば彼自身がこの地に赴かされたのだろうか。それほどに、聖王国は――


(聖王国は、教皇様は、いったい何を考えているというのですか……!!)


 だが、リヒトが焦燥にかられたわずか数秒後に、困惑の声があがった。


「ぐっ……!? ぬ!?」


 同時に光が強まった。リヒトは目を見開く。


「な、なんだ?」

「魔法陣が集まってるデヨ」


 ジルベルトの周囲で矢を払うために集まっていた人々やラクーン族が動揺する。

 空に広がっていた魔法陣が動いていた。

 隣り合っていた魔法陣が重なり、合わさり、それに合わせて光が段々と強くなる。


「ぐぁ!? ――何故だ!? がッ!! 馬鹿なっ! なんだッ、これはッ!!」


 地上の神騎士の声に狼狽が混じった。門に加えられていた圧が弱まる。

 気づき、槍に力を込めた神騎士の手が今までの倍以上太い光に貫かれる。痛み。焼き切られた腕が再生して繋がる。その背を貫く光。聖遺物をも貫き、心臓すら貫く光の束。

 ありえない事態だった。神騎士にとって、神聖魔法の奥義であっても光の十や二十貫かれたところで命に別状はない。肉は削りとられるし痛みはあるが、それだけのはずだった。だが、今、自身の腕よりも太い光が命を刈り取っていく。神の奇跡すら上回りかねない速度と強さで。

 術を行使したのは人間であるはずなのに(・・・・・・・・・・)――!

 光が強まる。強く、強く、強く、強く、まるで新たな太陽が生まれるが如く激しい光と熱量をもって集束していく。


「何故だ!? 領主!」


 怒りと焦燥と憎悪に塗れた声が轟く。


「――おまえは人間だろう!?」


 叫ぶ言葉の意味はリヒト達には分からない。


「俺が! 神騎士の俺が……おまえなどに……!」

「貴方もただの人間です」


 目も開けていられぬほどの光の中で、ジルベルトの静かな声がいやに強く響いた。


「人間なら、人間の私にも殺せます」


 その言葉に、


「―――――ク……ハハッ」


 何故か、門への圧が完全に消えた。


「ハハハハ! ハハハハハハハハハハハ!!」


 哄笑が響いた。眩しさのあまり誰も目を開けられない中で。白く赤い闇に染められた世界の中で。

 だが、何故だろうか。

 リヒトにはそれが慟哭に聞こえた。泣き声に聞こえた。悲しみに聞こえた。喜びに聞こえた。


「人間か! 俺が人間か(・・・・・)!! ハハハハハハ! ああ、祝福しよう! 同胞よ!! ここに希望があるぞ!」


 叫びが轟く。泣き叫ぶような歓喜の声が。



「聖者殺しが生まれるぞ!!」



 同胞とは誰なのか。希望とは何なのか。目を閉じていてさえ痛みすら感じる光の中で哄笑が響き――やがて眼前の熱が薄れると同時に消えた。








 その光景をドナートは丘の上から呆然と眺めていた。

 弟分のイヴァンを乗せた分、馬の脚は遅い。それでも必死に駆けたせいか魔法が発動する時にはギリギリ範囲から逃れていた。個体追尾型では無いらしく、光の雨は魔法陣の下にしか降らない。わずかに逃げのびた仲間と振り返った先で、伝説の光景が広がっていた。


「……勇者の……御業が……」


 誰かが呟いただろう声が流れた。

 聖王国にも勇者の伝説はある。だが、実在の勇者を見た者はいない。

 当代の勇者に関しては、噂すら聞いたことがなかった。生まれたのがよほどに辺境か、さもなくば生まれていないのではないかとまで言われていた。

 だが、それならば――目の前の光景は何だというのだろう。


「まさか……我々は、勇者に弓引いたのか……?」

「馬鹿な! 猊下がそのような真似をするはずがない!」

「だが! それなら何故あんな魔法を辺境の領主が使うのだ!?」


 もし彼らが歴戦の騎士であれば、これほどに取り乱さなかっただろう。

 だが、ドナートとともにからくも逃げれたのは今回が初陣の若者ばかりだった。だからこそ、今最も優先すべきことが何なのかすら分かっていなかった。

 戦の最中に逃げる罪がどのようなものなのかも理解しておらず、逃げる途中でありながら立ち止まることの愚かさも理解していない。まして、周囲に気を配ることも忘れ、光景に見入る危険にも気づいていなかった。

 ――だが、彼等は幸運だったろう。

 音も気配も殺し、戦場に忍び寄って来た者達が問答無用で殺しにかかってくる輩では無かったのだから。


「放て!」

「!?」


 声と同時に周囲から風をきる音が響いた。矢を警戒したドナート達の頭上から重く硬い何かがのしかかる。


「なッ!?」

「なんだこれは!?」

「縄……網!?」


 かなり勢いをつけて飛ばされてきたらしく、金属のような網を被った騎士達はまともに体勢を崩した。馬が嘶き、その動きに引っ張られて反対側の騎士が落馬する。悲鳴と狼狽の声が響き、ドナートがなんとか落馬を免れ体勢を立て直した時には、いくつもの槍が喉元に突きつけられていた。


「な……っ」


 何者だ、と。誰何しかけてドナートは口を閉ざした。鋭い刃はすぐ近くにある。他の者の喉元も同じ状況だろう。硬く重い網に捕らわれている以上、大きく動けば誰かが引き倒される。下手をすれば、それがきっかけとなって重傷を負う者もでかねない。


「圧倒的不利を悟って即座に逃げるってのは、まぁ、騎士としてはどうあれ個人的には天晴だと思うけどね。戦場でぼうっと突っ立ってるから、とっ捕まるのよ、坊や達」


 どうにも動けずにいるドナート達の前で、闇の中から進み出る影があった。

 ロルカンを背にしたドナート達は、ロルカン上空に打ち上げられたままの光でその影の姿をとらえることができた。が、かえって困惑した。

 女だった。

 しかも自分達とそう変わらない年頃に見える。

 纏っているのが甲冑であることに気づけても、同じ年頃の女騎士という存在に出会ったことが無い彼等は、狼狽と驚愕をもってその人物を見つめる。


「私は神騎士ロモロ・レッチャレッリの副官、ラウラ。王国の侵略者であるあんた達は捕縛される。無駄な抵抗はやめて、大人しくしておくことね」


 ラウラの声に、騎士達に動揺が走った。神騎士、という呟きが聞こえて、ラウラは内心で握りこぶしを振り上げる。


(よっしゃー! うちの馬鹿団長の名前でも効果あったぁああ! 領主様ありがとう! 確かにコレはうちが一番適任だわってゆーか神殿騎士と正面から戦うとかマジ勘弁して!)


 実のところ包囲しているラウラ含めた王国兵一同は、いつ神殿騎士達が暴れ出すかと戦々恐々としていた。なにしろ神殿騎士の実力は他国の一騎士を軽く上回る。鋼蔓草の網で捕縛出来たとはいえ、彼等が実力を発揮すればそんなものはボロい布切れ同然だ。いずれも騎士としてはかなり若そうな神殿騎士達だが、ラウラ達にとっては化け物級の相手である。ロルカンを遠巻きにしながらひっそり近くの村に隠れていたラウラなど、領主から急ぎの連絡が来た時には回れ右して王都に逃げかけた。

 国防がかかっている時に実際にそんな動きが出来るかどうかはともかくとして、それぐらい恐ろしい要請だったのだ。

 なお、こっそり隠れていた彼女達の部隊が領主に発見されていたのは、ロルカンに向かうまでの道筋にある冒険者組合が、ロルカンの支部長に適宜報告をあげていた結果である。


「わ、我々はロルカンに巣くう魔族を倒すために派遣された! だが、領主は我々の前に門戸を閉ざしさらに魔法で攻撃をしかけている。王国の侵略者と言われるが、我々は使命に従ったまでだ。捕縛される謂れは無い!」

「何言ってるの、捕縛される謂れしか無いじゃない。武装して他国に軍隊が入れば、どんな大義名分を叫ぼうと侵略なのよ。それ以外に無いのよ。まさかそんな子供でも分かるコトが分からないって言うんじゃないでしょうね?」

「しかし――!」

「しかしもクソも無い!! あんた達、さっきまで何してた? 明かりもつけずに夜にまぎれて街まで特攻して、門が閉まってたからって門に攻撃してたじゃない! 武装して越境しただけでなく武器使って攻撃までして侵略者扱いされないですむ道理なんて無いわよ! どこの盗賊よ!」

「口上も宣戦布告も無ェんだから盗賊より劣らぁ!」

「この侵略者共め!」

「き、貴兄等は我々の聖務を愚弄する――」

「やめろ!」


 ラウラに続くように周りから次々に怒号を浴びせられ、青ざめた顔のまま抜剣しかけた騎士を別の騎士が制止した。彼等の中で唯一馬に自分以外の者を乗せている若者だ。横向きに乗せられた相手は意識が無いのか、馬の背でぐったりと伸びたままだ。


「我々の負けだ。降伏する。――手当を、とまでは言わないが落ち着く時間と場所が欲しい。我々も混乱している」

「ドナート!? 正気か!?」

「皆、分かってるだろう? 俺達にあの壁は突破できないし、神聖魔法の奥義すら使う聖者に剣は向けられない」

「ドナート! だが、我々は猊下からの命を受けているんだぞ! 先達の騎士達を亡くした今、我々が立たなくてどうする!!」

「その先達の騎士達に、その言動に! 不審は浮かばなかったか!?」


 ドナートと呼ばれた騎士の声に、他の騎士達に動揺が走った。ラウラは目を細める。


(若い、って思ってたけど、こりゃ騎士になりたての新米じゃない? よくこんな強行突破の軍に組み込んだわね)


 ラウラや王国軍の面々は不思議に思ったが、実際のところ彼等はその若さゆえに集められた面々だった。今回の戦を次への足掛かりとするためには、長期的に現地で役に就く者が必要となる。初期の重要な局面は歴戦の騎士や神騎士に任せ、それらの任務を補佐しながら任務地で粛々と聖務に励むための人員として彼等は動員されたのだ。五百人余りの部隊の内、若い彼等が二十人程度なのも、経験のほとんど無い弓騎兵を連れて行くとして、邪魔にならないギリギリの数がその数だったのである。


「ま、魔族に支配された街を開放するのだという聖務に、不審など無い!」

「では何故、宣告はなされなかった!? 街の解放を謳うどころか、夜盗のような急襲だったのは何故だ!?」

「聖務であることを示す旗を立てずに動くのも、我々の軍隊をそうと分からぬようにするのも、魔族に嗅ぎつけられるのを阻む為だと言われていたはずだ!」

「ああ、そう言われていた! だが、本当にそうなのか!? あの街は最初から防衛体制だった。だが魔族の姿などどこにも無いではないか!」

「そ、そんなの……隠れているに決まっているではないか!」

「いや、待て。何故魔族が隠れる!? 連中の一体でもいれば、神騎士はともかく俺達はそれだけで壊滅しかねないんだぞ?」

「そうだ……それだけの力をもつ魔族が隠れるのか!? その理由は何だ!?」

「そんなこと……俺が知るわけがないだろう!?」


 疑問を口にする神殿騎士が増えていく様子をラウラ達は見つめる。そうして油断なく見張りながら、王国軍はじわじわと包囲を縮めていった。戦場慣れしていない神殿騎士達のほとんどはその動きに気づいていない。


「そもそも旗を立てずに進軍するのはおかしいではないか!」

「だから降伏すると言うのか!?」

「違う! 我々が教えられてないことがあまりにも多すぎると言っているんだ! お前は聞かなかったのか!? グレーゲル様は『皆殺し』だと言ったんだぞ!? 魔族が街を支配しているにせよ、無辜の民を助けるのが我々の任務だったはずだ! 神騎士の言葉は聖務を根底から覆す!」


 その言葉に反論していた騎士が息を呑んだ。

 戦場から離れた暗闇に潜んでいたラウラ達には遠すぎて聞こえなかったが、どうやら戦場ではそのようなやり取りがあったらしい。ラウラ達王国軍の表情が一段と険しくなった。


「俺達は何を相手にさせられる予定だったんだ!? お前は知っているのか!? 知っているなら教えてくれ! 俺達はなんのために集められたんだ! イヴは……神騎士候補はなんのためにこんな大怪我までさせられたんだ! そもそも魔族相手だというのなら、聖戦が発動されるはずじゃないのか!? なんで数人の班に分けてまで隠れ動かないといけなかった!? 本当に魔族に気づかれないためか!? 魔族だけじゃなく、人間相手にも気づかれないためじゃないのか!?」


 仲間に問うドナートの声は、詰問というよりも悲鳴に近かった。

 聖王国からこの国までの道は長く、さらに辺境のロルカンは遠い。長い長い旅の中で沸き上がっていた疑問が、弟分の負傷と神騎士の発言で爆発したのだ。彼等を言いくるめるはずだった老練な神殿騎士も傍にいない。彼等はすでに神の威光を背に負った神殿騎士ではなく、初戦に惨敗を喫した敗残兵であり、心を支えるべき信仰という土台を一時的に見失った者達だった。いずれ時間と共に自身のもつ信仰心を取り戻しただろうが、今は様々な要因によって混乱の極みにある。

 神騎士が放った「皆殺し」という言葉は、街も人も国も全部壊してやると言った言葉は、それほどまでに衝撃的なものだったのだ。そして――


「……神聖魔法の奥義が、神騎士を討ち滅ぼしたんだぞ……」


 その事実は、あまりにも意味深い。


「神が否定されたと言うのか……? この遠征を?」

「馬鹿な!」

「……いや、しかし、そうでもなければ、神の奇跡を身に宿す神騎士が神聖魔法で(・・・・・)斃れるなどありえん……!」

「そんな……なら、俺達は何のためにここまで来たんだ……」

「まさか、聖戦を宣告されなかったのもそのためか……?」

「我々を呼び集めたのはヨーナス様だ。猊下の命だと言われたが、本当にそうだったのか……?」

「滅多なことを言うな!」

「だがそうでなければ、猊下が神の意に背かれたということになるではないか!」


 呆然としていた若い神殿騎士達までもがめいめいに騒ぎ出すのに、王国兵達は警戒を深めながらも困惑した。

 農兵などの一般の民から徴兵された者ならともかく、仮にも聖王国の精鋭であるはずの神殿騎士がこれほどまでに揺らぐとは思ってもいなかったのだ。彼等にとって『神殿騎士』とは、何物も恐れず神の威光を背にガンガン戦い、どんな甘言や誘惑も通じない神がかった精神力の持ち主だ。物語や吟遊詩人の歌に感化された彼等の想像は、現実の若い神殿騎士の実情からかなりかけ離れていた。


(うーわ、グラッグラじゃない。これ狙って神聖魔法の奥義使ったんだとすれば、あの領主、とんでもないわね……)


 ラウラは引きつった笑みを浮かべて遠くで光っているロルカンを見る。

 実際、神騎士を神聖魔法の奥義で下すというのは、どんな高名な神官の言葉より雄弁に彼等の行いの是非を世間に問うだろう。

 神騎士は神の恩寵を得た『神の騎士』。神聖魔法は光属性をもつ浄化系魔法だ。そして『神』の文字が使われている通り、そのほとんどの魔法は神の力を借りて行われる。中でも奥義ともなれば、神性魔法――即ち、第一級神の御力を借りて行われる魔法とされている。


 その『神の力』が神の騎士であるはずの男を滅した。


 その意味はあまりにも重い。

 そしてその重さをあの年若い領主が分かっていないはずが無い。


(最初に見たあの時も、年の割に妙な貫禄のある子供だと思ったけど……馬鹿団長が『優良物件』って言うだけのことはあるわ)


 最初に出会った頃の事を思い出しつつ、ラウラは意識を切り替えた。

 領主が隠れていた王国軍(ラウラ達)に依頼したのは二つ。

 進軍に際し、神殿騎士が近隣の村を襲うようなら村人が逃げる為の手助けが一つ。

 そしてもう一つは、戦いの後の神殿騎士達の捕獲だ。

 神騎士をトップに抱くラウラ達であれば、神殿騎士達も――冒険者達に捕獲されることに比べれば――耳を傾ける確率が高いから、と。


(耳を傾ける確率が高いからって、思い通りにはいかない可能性も高かったんだけど……あの領主様、運があるというか、『持ってる』っていうか――素直そーな新米騎士達ばっかりが残ったことといい、やっぱり『持ってる』のは確実よねぇ)


 そんなことを思いながら、ラウラはせいぜい神殿騎士達を刺激しすぎないように声をかける。


「議論は後で存分にやってちょうだい。……まぁ、あんた達にあらゆる意味で天意があったなら、神聖魔法の奥義であんた達の部隊が壊滅することなんて無かったわよね。神の威はあんた達も見たでしょう? 悪いことは言わないから、大人しく連行されなさい。あんた達が行儀よくしていれば、これ以上の無用な争いは回避できるわ。少なくとも、この国には宣戦布告もなしに戦いを仕掛ける人間も、騙し討ちみたいに夜襲を仕掛ける人間もいないからね」


 普通に辛辣な言葉だった。






 ※ ※ ※






 街壁の前に集まっていた光の魔法陣が消えた。

 ロルカンの街壁の上、誰もが息をつめて次の動きを待つ中、ジルベルトは手を下ろす。そろそろと胸壁の合間から地上を見下ろした者達は、そこに横たわる騎士達の屍に喉を鳴らした。今も空で灯りをともす光玉に照らされたそれらは、どこか白々として現実味が無い。


「……やった……のか?」


 恐る恐る誰かが呟く。倒れ伏した人馬はピクリとも動かず、堀の水は静けさを取り戻している。門から続く橋代わりの地面に密集するように積み重なった死体は、どれもが胴や頭に穴を空けていた。馬も同様で、その屍は踏み荒らされた畑にも点々と転がっている。

 沈黙が流れた。先までの騒乱の気配は欠片も無い。訪れた静寂に、誰しもが顔を見合わせ、判断を仰ぐために領主に視線を向ける。

 辺境にとってはおとぎ話の住民に等しい神殿騎士や神騎士なら、死んだと見せかけて突然躍りかかって来ても不思議では無い。

 そこへ早馬が駆けてくる音が響いて、壁上の一同はビクリと大きく震えた。


「伝令! 伝令!! 第七王国軍ラウラ副団長より領主殿へ! 聖王国の敗残兵は捕らえられた由!」


 その声を聞いて、ジルベルトは張っていた気を僅かに緩めた。


「―――っ」

「領主様!?」


 その瞬間、意識が消えかけるのを左右から支えられる。背中にもモフッとした感触がして、ジルベルトは小さく息をついた。


「すま、ない……流石に、無理が……」

「薬っ薬っ!」

「飲むデヨ!」

「すぐに飲むデヨ!」

「ゴクゴクするデヨ?」


 何故か前後左右にモフッとした感触が増え、口元に冷たい瓶の口があてられた。震える手で瓶のあるだろう位置を掴み、一息に飲み干すと臓腑から全身に熱が伝わるような感覚がした。その時初めて、ジルベルトは自身の体が氷のように冷たくなっていたことに気づいた。


「……やはり、代償なしに奥義を使うのは無理ですね」

「無茶が過ぎますよ! 領主様は勇者様では無いのですから!」


 非難というより心配が勝る声をあげたのは、いつの間にか傍にいた冒険者組合のロルカン支部長だった。


「あれでなければ、神殿騎士の仕掛けてくる戦を撥ねつけられないから、仕方ない。……ところで、さっきの薬は?」

「グランシャリオ家の方がもしもの時用にと預けてくださった秘薬です。なんでもレディオン様のご母堂がお作りになったとか」

「レディオン様のお母上が!? ……使ってよかったのかな……」

「使わなければ逆に怒られますよ! さっきまでどれほど酷い顔色をされていたことか……! 魔法の効果が終わるまで手出しはするなと言われていましたが、あんな風になるのなら流石にこれからの戦いについては手出しも口出しもさせていただきますからね!」

「……そんなにひどい顔色だったんだ?」

「死人みたいでしたよ!!」


 怒ったように言われて、ジルベルトは困り顔で笑った。無理をした自覚はあるので、これ以上そのことに触れるのは募穴を掘るだけにしかならない。


「それよりも、予定通りラウラさん達と捕虜を受け入れて。神殿騎士達には魔封じの腕輪と足輪をつけるのを忘れずに」

「分かっておりますとも! ……それにしても、本当になんとかしてしまったのですな……我々冒険者達に門の内側にある広場の左右で待機しろと言われた時は、門を突破されることを踏まえての防衛戦用だと思いましたが……思えば、作戦会議の時、領主様は最初からご自身が初手の魔法で倒すことを前提に話されていましたな」


 何かを思い出すような支部長の声に、ジルベルトは苦笑した。

 聖王国の軍が近づいているという一報が入ってから、冒険者達には街人の避難や護衛を優先してもらい、防衛に関しても細かく指示を出していた。最初から応戦の構えでいた冒険者達を説得し、射かけられる矢を防ぐ者以外は門内側の広場で待機してもらっていたのも、下手に弓や魔法を放つために身を乗り出せば、高確率で地上の神殿騎士達に殺されてしまうからだ。それが分かっていた(・・・・・・)ジルベルトはほとんどの者を堅固な壁の内側に配した。俊敏で危険察知に長け、積極的に攻撃する気勢が乏しいかわり矢や魔法に対する防御や回避が得意な者を選び、護衛として傍に置いた。

 結果として、街側は誰一人傷を負うことなく勝利したのだ。支部長が何かもの言いたげな顔をしているのも、彼の言葉が何を揶揄しているのかもジルベルトには分かった。けれど、それを説明するわけにもいかない。

 ――夢の中で何度も自分が死んでいることも含めて。


「門が突破される可能性も考えていたんだけど……レディオン様の作ったこの街壁や門が想像以上に彼等に対して特効があったみたいでね……」


 そのため、微妙に言葉を濁したジルベルトに、支部長は「ああ、あの」と納得した。


「一番強い騎士の一撃を跳ね返したというやつですな」

「そう。魔法を吸収することもそうなんだけど……槍や矢といった攻撃を跳ね返してたからね。レディオン様からは『俺を倒せる一撃以外はほとんど効かない頑丈な壁だ』と聞いていたんだけど……門も含めて、ちょっとその言葉だけでは説明がつかないぐらい色々あったよね」

「刺突系の反射をする品なぞ、おとぎ話にしか聞いたことがありませんですなぁ」

「反射の盾だったかな? あの英雄伝は私も好きだよ」

「私もですよ! 子供心に憧れたものです。しかし、その盾が何万何十万と集まったような壁が現実にあるなど、実際に目にしなければ誰も信じないでしょうな」

「レディオン様達の大陸ではこれが普通かもしれないよ?」

「想像もつきませんな……」


 支部長の声にジルベルトの周囲にいた面々も笑う。


「まぁ、命を守ってくれるモンならなんでもいいさね!」

「あの別嬪さんは規格外だったからなぁ……その規格外な人物が作った物も規格外だろうよ」

「皆が無事ならいいデヨ!」

「細かいことは気にしないデヨ!」

「キラキラも気にしないデヨ?」


 ピョコピョコ跳ねるラクーン族に囲まれ、動く度にモッフモフと柔らかい毛に埋もれながらジルベルトは苦笑を深める。


「……彼等が最初に勧告を受けてくれれば、殺さずにすむ命ももっと多かっただろうけど……うわっ!?」

「気にする、駄目デヨ!」

「自業自得デヨ!」

「言葉通じないデヨ!」

「アレは駄目デヨ!」

「人で無いデヨ!」

「無理デヨ!」

「会うのも無理デヨ?」

「……ラクーンにこれだけ駄目だしされるってこたぁ、連中、相当だなぁ……領主さんよ、こりゃ、気にするだけ無駄ってこった。最初から消極的だった連中だけでも捕虜に出来たんだ。それ以外のこたぁ、どうしようもなかったと思うしかねぇですぜ」

「そ、そ、うぷ、ちょ……分かった! 分かったから……むぐ!」

「おーい、ラクーン、ちょっと領主様を離してやってくれや。つーか、領主様に飛び掛かりすぎだろおめぇら」

「いやぁ、あんだけ無茶をしたんだからさ、領主様にはちょっとラクーンに埋もれててもらおうじゃないか」


 全方向から飛び掛かって来る柔らかく温かい毛玉に埋もれて、ジルベルトの手だけが助けを求めて大きく振られている。苦しくはなさそうなので、マーサ達はそのままにすることにした。


「えぇーと、王国軍は用事が終わったら宿屋に入ってもらって、神殿騎士達は魔封じをしてから牢屋だったよねぇ?」

「そうですな。そんなに数がいないようなら、出来るだけ人数を分けて牢に入れたほうがいいでしょう。冒険者組合の牢もお貸しいたしますぞ」

「あと、人をやって門の外の死体の始末をしなきゃなんねぇよな。下手に時間かけちまうと盗賊だの野良の死体漁りだの呼び寄せちまうし。あー……武具とか持ち物とかの所有権は、この場合領主様だよな?」

「前もっての取り決めで、騎士達の武器防具等の財産は全部領主邸に集めることになっています。財布も同様ですが、こちらは一度領主様の所に集めた後、防衛に参加した人々で分け合う形になるそうですよ」

「マジか!」

「やった!」

「ですが、かわりにその他の物――死者の衣服等は剥がさないように。死者と共に埋める決まりですので」


 本来、戦――それも侵略兵との戦いであれば、斃れた他国兵の死体から略奪することは合法とされる。かわりに死体は大地に埋めてやるのが習いで、略奪品はその代価ともされていた。ちなみにその場合、下着以外は全部剥ぎ取られることが多い。下手をすれば下着も奪われることもある。このあたりはその場の司令官次第だ。


「服も着せてやるなんぞ、自国兵の弔いと一緒かよ?」

「それなりに礼を尽くしている、という建前が一つ。下手に奪って呪いがあっては困るという懸念が一つ。あとは領主様のお気持ちですかな」

「んー……ちなみに馬の死骸は?」

「馬具は領主邸に集めますが、馬そのものは解体して肉は皆で食べることになるかと」

「ひゃっほぅ!」

「肉だーっ!」

「あと、皮は革細工組合に卸される予定ですな」

「へぇっ? 冒険者組合には卸されねぇんで?」

「グランシャリオ商会から魔物の皮が大量に卸されてますからなぁ」


 馬の革ならば上等の鞄になるが、それらを欲するのは身分の高い者達だ。冒険者が欲する頑丈な革製品は魔物素材に多いため、魔物の皮がある時に馬の皮を卸されても喜ぶ組合員はほぼいない。


「んじゃ、まぁ、ささっと動くとしますかね」

「防衛についてはあたし達たいして働いてないからねぇ。その分後始末はあたし等の仕事さね」

「違ぇ無ェや!」

「おーい! 野郎共! 手分けして死体の処理にかかるぞ!」

「手押し車出せー! 荷馬車もいるぞー!」

「革の組合頭! 馬は任せたぜ!」

「おおよ! 行くぜ野郎共!」

「ちょいと! 女もいることを忘れんじゃないよ!」


 笑いさざめきながら賑やかに周囲が動き出すのに、ようやくラクーンの小山から頭を出せたジルベルトが目を白黒させた。そこへすかさず声が飛んでくる。


「領主様は休んでてくだせぇ!」

「こっからは儂等の仕事でさぁ!」

「リヒト様! しばらく領主様が動かんよう見張りを頼みます!」

「領主様ぁ! 出来れば屋敷に戻っていてくだせぇよ! 後で報告にあがりまさぁ!」

「おうラクーン! おめぇらも行くか?」

「行くデヨ!」

「行くデヨ!」

「もう危険は無いデヨ!」

「安全デヨ?」


 何故かモフモフとジルベルトの体にすり寄ってからラクーン族も階段へと向かう。最後のラクーンが周囲をクルクル回ってから離れて行くのに、ジルベルトは呆気にとられた顔で立ち尽くした。


「……えぇと……」

「皆も心配しているのですよ」


 笑いを堪える声にそちらを向けば、温和な老神父が、こんなときにも変わらない柔和な笑顔で立っていた。


「まずは戦勝をお慶び申し上げます。そして民を守ってくださいましたこと、有り難き事と御礼申し上げます」

「……神父様」


 流れる様な仕草で跪拝する老神父に、ジルベルトはやや狼狽えた。


「――リヒト、とお呼びください。この老体に、様をつける必要はありません。神の威を借る者達を神の威でもって退けた領主様は、すでにこの街の英雄の一人。いずれその武勇と名は国中に広がることでしょう。貴方はもう、誰に憚ることのない立派な領主です。どうぞ胸をお張りなされ」

「ですが……」


 領主という地位にあるだけで居丈高に振る舞うのは、ジルベルトにはむしろ難しかった。この戦いに先立っていくつかの会合を行ったが、そこでの態度も『司令官としてこうあるべし』と頑張った姿でしかない。地位に相応しい姿や言動が、自分には未だ備わっていないことをジルベルトも実感していた。


「どうか立ってください。……幼い頃から敬愛させていただいた恩師を、そう簡単に呼び捨てになど出来ません」

「そういうところは、お父上によく似ていらっしゃいますね」


 促されるままに立ち上がり、リヒトはほんの僅か、苦笑めいた笑みを零した。

 老神父には、年若い領主が必死に気を張って、常に背伸びしているのがよくわかった。領主育成の為の人材も、時間も足りなかったせいで、圧倒的に領主としての経験が足りていないのだ。それでも、多くの為政者を見て来たリヒトからすれば、そういった姿は気がかりであると同時、好感のもてるものだった。少なくとも、努力することを知っている領主は、惰性で領主をしている者より遥かに尊い。

 ふと、街壁の下を冒険者達が慌ただしく駆けていく音が聞こえた。重い荷車を引く音や馬の鳴き声も聞こえる。手元をもっと広範囲に照らすためだろう、松明や篝火が至る所に設置され、東側が濃く深い闇の色から薄まる空の下、地上に赤い光が増えていく。


「父がリヒト様をお招きしたのは、私が小さい頃でしたね」

「……ええ。あの時のことはよく覚えております。行き倒れ、介抱されていた私の部屋に領主様がいらっしゃった日のことも。訪れたお父上の後ろから、目をきらきらさせていらっしゃいましたな。回復して神殿に席をいただいてからは、お屋敷を抜け出して教会においでになったり、こっそり書庫に忍び込んで本を読みふけったり。あの頃はやんちゃなお子様でした。木登りも得意で、屋根に登ったのはよいものの降りられなくなって――」

「いいいいいイロイロと忘れてくださいすぐに。すぐに!」


 昔の話をされそうな気配に、ジルベルトは慌てて言葉を遮った。他に誰も聞いている者がいないのは幸いだが、出来れば昔のやんちゃについては黙っていてもらえるとありがたい。


「あの小さなやんちゃさんが……立派になられましたな……」


 まるで眩しいものを見つめるようにするリヒトに、照れをごまかすための咳払いをして、ジルベルトは神父を見つめ返した。


「私は、まだまだです。……この戦いに先だっての話し合い……神父様に意見を言っていただけて幸いでした」

「……魔族の方々とのお話のことですね」


 改めて姿勢を正して言ったジルベルトに、リヒトは頷く。


「当然のことを言ったにすぎません。彼等はこの戦いに出向いてはいけません。あらゆる意味において、です」


 報せが届いた当初、ロルカンに残っていたグランシャリオ家の面々は、自分達が戦うと言ってくれた。ロルカンには手を出させないと。守ると言ってくれた。

 それを突っぱねたのはロルカンの市民だ。


「人の戦いは、人同士で行わなければなりません」


 リヒトの静かな声に、ジルベルトも頷く。

 魔族は強い。

 誰もが伝承で謳われる魔族の威容を知っている。

 けれどその力は、決して人との争いに使うべきものでは無い。


「彼等が戦場に出て来てしまったら、聖王国は彼等の存在を理由にますます戦を仕掛けてくるでしょう。それに、神殿騎士のみならず神騎士が来ていましたからね……神騎士の持つ武具防具は魔族に相対した時にこそ真価を発揮すると聞きます。彼等が戦に出てこないことは、神騎士達を強くしないことにも繋がります。……まぁ、こちらは結果論ですが」


 苦笑するリヒトに、ジルベルトも淡く苦笑する。


「……彼等は強い。恐ろしい程に強い。彼等の助力を得られれば、辺境の領主から一国の王になることも不可能では無いでしょう。その力を得られたなら、大陸を支配することも可能かもしれません。……けれどそんな力は、誰も望まない力です」


 ジルベルトに野心があったなら、彼等の力を借りたかもしれない。

 その縁と優しい心につけいり、周辺を平らげ、世界に覇を唱えたかもしれない。

 けれどジルベルトにも、この地に残った領民にも、野心は欠片も無かった。自分達が強い立場に立つことよりも、楽な立場になることよりも、自分達を助けてくれた『彼等』を守ることばかり考えていた。

 欲したのは、大切だと思う人を守る力だ。

 そしてその力は『彼等』自身の力であってはならない。


「私は、私の民が、彼等のもつ力を欲しなかったことを――誇りに思う」


 弱いからこそ弱いなりの力で。

 借り物に頼る形にはなってもせめて自分達の意思と自分達の体で。

 守ろうと思い、願い、集ってくれたことが誇らしい。


「……ですが、だからといって、領主様があんな無茶なことをするのは考えものですが」

「うっ……いや、あれは、その、あれが一番誰も死なない方法で――それに、これからのことを考えれば、あの力で撃破するのが最も効果的というか、成功率が高いというか、残った騎士達を黙らせられるというか……」


 苦言にしどろもどろになったジルベルトに、リヒトは作っていた厳しい顔を崩す。


「分かっておりますよ。……皆も、遠からず分かることでしょう。何故、無理をしてでも神聖魔法の奥義を使ったのか。――実際に、人の身で使う偉人(・・・・・・・・)を見たのは初めてですが、あの力を目にしてはこの街を攻めるのに神の聖名(みな)など使えますまい」


 神の威を借りる者達にとって、あの魔法ほど痛く恐ろしいものは無い。


「彼等は神の威光を背負っているという誇り、あるいは欲がある。真っ向から神に否定されるような戦いほど、怖いものは無いでしょう。たんに死が迫る以上に恐ろしいはずです」

「死、以上に……」

「ええ。神に仕える者であれば、神に否定されることほど恐ろしいものはありません」

「……リヒト様は、聖王国の騎士達は怖くありませんでしたか?」


 問うて、すぐにそれが愚問だと気づいた。だが、老神父はそれを咎めず、穏やかな表情のままで言葉を紡ぐ。


「私の信仰は、彼等とは違うところにありましたから」

「…………」

「死は恐ろしく、戦いもまた恐ろしいものです。それは生きている者であれば誰もが当然思うことです。ですが、領主様も――いいえ、領主様こそが、最も危険な場所で立っておられた。……怖くないからでは、ありませんね?」

「……はい」

「神の名の下に、自分達の欲望のために――戦を仕掛けてくるあの者達から、守らなくてはならないものがある――だからこそ、領主様はそこにいらっしゃった。あの時、この街で防衛につこうとしていた者は、みな、その思いをもっていたのだと思いますよ。……覚えていらっしゃいますね? かつて、私達は迫りくる確実な死から、確定した死の未来から、おおいなる力で庇われました。――あの、死の黒波の時に」


 ジルベルトは頷く。


「忘れてはならないものは、常に私達の心の中にあります。……私達は、逃げなかった。彼等が魔族だろうということも、いつかこのようにして軍隊が差し向けられるかもしれないことも、領主様が前もって伝えてくれていました。ですが、私達は逃げなかった。逃げない理由は人によって様々でしょうけれど……。私達は、逃げないという選択をし、今日ここにあり、この戦いに直面するという未来を選択したのです」


 そうでないのなら、とっくに逃げていた。

 ――とっくに心は決まっていたのだ。


「あの時助けられた命を、今こそ私は使いたい。ここで示したい――そう思ったのです。私達を助けてくださった方に。『貴方が助けてくださったことを忘れていません』と。今度は私が立つ番です、と」


 例え吹けば飛ぶような小さな存在であろうと。


「ちっぽけな私でも、思い一つでこうして立ち向かえるのですから」

「…………」

「領主様も、お気持ちは同じでしょう?」


 微笑んで言われて、ジルベルトは淡く笑った。


「はい」

「……良いお顔をされるようになりましたな」


 穏やかに笑う老神父が、地上から呼ばれる。

 死者を動かす時に神官の祈りを捧げれば、その地に呪いは残らないとされている。死者を移動させるのに、老神父の祈りが必要なのだ。

 こちらの体調を気遣って他の誰かを呼ぼうとするリヒトを断り、それよりもと死者の弔いをお願いする。やや困った顔をした老神父は、ふと地上の話し声に気になる言葉を見つけたのかしばし身を乗り出し、ややあって悪戯めいたものを浮かべた笑みを見せた。


「あの……私は大丈夫ですから、本当に。死者の弔いに向かってください」

「ええ。……ところで、領主様。敬虔で慈悲深い領主様が侵略者の遺体を自ら指揮して領地に埋葬した、という噂も広がれば、ここ最近この地を離れる人が増えていたのと逆に、新たに人がやってくる可能性がありますので、どうかお覚悟を」

「……え?」

「発展する街があり、強固な街壁があり、その壁は神騎士の攻撃にも耐え、神の力でもって彼等を斃した者がいる。――人は英雄を好み、英雄譚を好みます。此度のことは、死の黒波の時同様に広く人の口に登る英雄譚となるでしょう。遠からずそうなります。さすればこの街はこう呼ばれることでしょう――そう、『英雄の住む街(ヘルトシュタット)』と」

「……ヘルトシュタット……」

「避けられぬ道ですよ。貴方は、ご自身で選ばれた。――ここから先は、貴方の人生(物語)です」


 優雅に一礼して去るのを見送って、ジルベルトは一度海向こうに視線を向け、やがて反対側の陸地へと視線を投じた。

 誰にともなしに口を開く。


「……私は、自分の判断を正しいとは思っていません。きっと、領主としては失格でしょう。……ただ、我が一族は私を含め、愚直なまでに自分の思いに嘘はつけないのです」


 西の果てにあるロルカンでは、太陽は海からではなく遥か地平線の向こうから昇る。広すぎる荒野の果て、遠い山々の向こうから黄金色の光を投げかけてくるのだ。――今まさに、深い藍色の裳裾を淡く染めかえ、輝きを放とうとしているように。

 その光に目を細め、そうして、ジルベルトは胸壁の上へと視線を向けた。

 微笑んで、告げる。



「――見ておられたのですね。レディオン様」



 ――と。








Je pense à toi malgré la distance.(会えなくても貴方の事を思っています)

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― 新着の感想 ―
[一言] 何回読んでもすきです!!まだまだ謎がいっぱいですけど、レディオン様が大好きな人達とギュッギュできるようになるのを祈っています!!更新まってます!!!
[良い点] 文章が分かりやすく、読みやすい! 坊っちゃんの心の呟きが最強に面白 可愛い❤️ [一言] 坊っちゃん…大好きだー♪(´ε`*)
[良い点] 坊っちゃんと魂の質が似ているとされた領主様は、その他にもおなじくするところが多々あるようで。 もはや自身の身すらままならないであろう神騎士達の物語などなど今後の展開が楽しみです。
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