65 La joie venait toujours après la peine.
◎
――光が砕けた。
そう、理解した途端、口元に浮かんだのは笑みだった。
何故、を自らに問うまでもない。
嬉しかった。
だから笑った。ただそれだけだ。
それと同時に、自分の内側でゾロリと何かが這い上がるのを感じた。
足が自然と立ち上がり、城へ取って返そうとする。力を込めてそれを阻むと、体が軋むのを感じた。
二つの意思が体の主導権を争ってせめぎ合う。口元に上るのは獰猛な笑みか、嫌悪すら滲む自嘲か。手に持った武器に魔力を通そうとするのを無理やり断ち切る。焼けつくような痛み。パタパタと地面に落ちるのは赤い血だ。外傷として現れるほどの影響が出たのだと、他人事のように考えて嗤う。
他人事。まさに、他人事ではないか。この体の何をもって『己』と言えばいいのか。
「神父様!? お怪我なさったのですか!?」
ふと声が聞こえて、顔をあげた。痩せた老女が真っ青になってこちらを見ている。
貧民街の一角だった。城の方で起きた異変に誰もが浮足立っている。同時期に裏門から貧民街に入って来た商隊もあり、周囲には喧騒が満ちていた。慌ただしい人の流れは城へと向かっている。
そんな中、人目につかない路地で蹲る自分など捨て置かれるだろうと思っていたのだが、馴染みの人間には通じなかったようだ。
「しんぷのおじちゃん! だいじょぶなの!?」
小さな影が走りこんできて、そのままベチンと音をたてて目の前でこけた。一秒の空白。目にいっぱい涙をたたえた子供に見上げられて、咄嗟に手を伸ばしかけた姿で硬直した神官は恐る恐る声をかけた。
「……だ、大丈夫ですか?」
「へ、いき、だもん。おじちゃんは? おじちゃん、ぱぁってけがなおさないの?」
「……今はちょっと、難しいですね」
「では、せめて薬だけでも」
慌てて駆けつけて来た老女が骨の浮いた手を差し伸べる。か細いそれに捕まっても、太さはともかく背丈のある自分を引き上げるのは無理だろうにと、頭の隅で冷静な自分が苦笑するのを感じた。
「なにか恐ろしいことが起きているようですし、さぁ、早く。せめて体を休めなくては」
城から遠く、商業区からも遠いこの地区では、何が起きているのかという詳しい情報は伝わってこない。それでも、尋常では無いことが起きているのだということは分かる。戦のような激しく争う音や声が聞こえたり、空がコロコロとその天気をかえたり、獣よりも恐ろしい声が轟いたりしていたのだから当然だ。
だが、末端の彼女等がそれでとれる行動など、己の住処で身を寄せ合って震えるぐらいしかない。あるいは、もっと頑丈な避難場所を探して彷徨うか、だ。
「嘘か本当か、ドラゴンが出たという話もあります。街門の方へ逃げた方が、安全かもしれませんが……」
形ばかりは手を借りた風を装いながら、老女の動きにあわせて身を起こした神父はその声に苦笑する。
「……いえ、動かない方がいいでしょう」
「そ、そうですね。どのみち、ドラゴンなんて出れば、どこへ逃げても同じですもの」
「いえ、そうではなく、もう、終わったでしょうから」
「終わった……?」
ええ、と頷く神父に目をやって、老女は見ると無しに見てしまった地面に目を見開く。
――そこにあった、恐ろしい量の血だまりを見て。
「ああ、どうも、何かを捕殺した跡に倒れこんでしまったようでして」
「そ、そうですわね、ええ、鶏など、よく、隅で血抜きすることもありますものね」
「運が悪いにしても、酷いものです」
「そうでしょうとも。ええ」
青い顔で頷きながら、きっとそうに違いないと老女は何度も自分に言い聞かせる。地面の血は、怪我人の血というにはあまりにも夥しい量だった。歩き方をみるに、神父は足に怪我をしているようだ。だが、あれが神父の血だとすれば、とてもではないが今こうして生きて歩いていられるはずがない。
もしかすると、野犬などに襲われ、殺した犬の血があそこに溜まってしまったのではないだろうか。死角で見えなかっただけで、その死骸が近くにあったのかもしれない。それならあの量にも納得がいく。幼い子を怖がらせないために、下手な嘘をついたに違いない。
神父の動きはたどたどしく、まるで自由のきかない体を必死に前へ動かしているかのようだ。
おいたわしい、と老女は唇を噛んだ。優しくて誠実な神父を、老女達は誰よりも頼りにしていた。時々ふらりと現れて、食糧や薬を配ってくれる神父。洗練された物腰から神殿でも高位であろうに、決してそれを見せない相手。不信に思う者もいないではなかったが、貧民街はもともと、事情ある者が流れつく場所だ。誰も詮索はしなかった。
(何かあったのかもしれませんね。神官と軍が争っていたとも聞きますし)
もしかすると、神父の負傷もそこに原因があるのかもしれない。
もしかすると、軍や国が神父を探していたりするかもしれない。
だがそれらの思考は、神父を助けることをやめる理由にはならない。
「しんぷのおじちゃん! あのね、あさにね、すーぷつくったの! あとでたべさせてあげるね!」
笑顔の子供が神父の足元をちょろちょろしながら一緒に歩く。朽ちかけの教会につけば、もっと多くの子供達が彼を迎え入れるだろう。大切な家族として。
「ゆっくりしていらしてください。教会は、あなたの家も同然なのですから」
その言葉に、神父は小さく俯く。
幼子は仰ぎ見てしまったその表情に、大きく瞬きして首を傾げた。
「おじちゃん、きずがいたいの……?」
泣きそうな顔だと、そう思った。
●
王都、王宮、玉座の間。
宿敵の気配を察知して頭が真っ白になったと思ったら、玉座の間の天井が消えて何もかもが終わった後だった。
……え……いったい、何が起きたの……?
もしかして宿敵を目にして暴走でもしたんだろうか、と恐る恐る見たカルロッタの面々は無事だ。よかった!!
一番元気そうなのは正妃だろうか。俺的には数秒しか経ってない気がするんだが、妙に痩せてスマートになっている。
どこでエネルギーを消費したの? そしてその凶悪なメイスは何の為に持ってるの?
王と王国軍総帥と宰相は、呆然とした顔で床に座り込んでいた。彼等が見上げているのは青々とした空だ。
……あれ? 雨雲さんは何処へ行ったんだろうか? 俺が正気に戻ったから現地解散でもしたのだろうか?
よく分からないが、それ以前に天井が消えた理由が分からない。
……俺のせいじゃ……ないよね?
リベリオは勝気そうな別嬪さんと小難しい顔で何かを話している。神官服だが内包する魔力が正妃より上だ。
ほぉん。多分、リベリオの彼女である聖女かな?
それにしてはピンクな気配が欠片もしない。リベリオよ、お前はもう少しオトコノコな自分を大事にしたまえよ?
マリウスは頭が痛そうにこめかみを揉んでいる。色々許容量超えていっぱいいっぱいです、といった感じだが、そんな無防備さで大丈夫だろうか? お前を気に入ってる竜娘がすぐ後ろで狙ってるぞ?
……それにしても、竜魔族はどんな場所でもマイペースだな……ある意味尊敬に値するかもしれない。
サリュースはなんだか魂が抜けてしまったような状態になっている。知らぬ間に改心でもしたのだろうか? もうこちらに歯向かう気は無さそうだ。
俺もサリュースに怒っていたはずなんだが、妙に気持ちが凪いでしまっていた。
どうしてだろうか? むしろ、可哀想な気持ちでいっぱいだ。
騎士やら兵士やらは、どういうわけか俺に向かって全員が平伏してしまっていた。
何があったの!? やっぱり俺が大暴走したの!?
その全身で祈りをささげるポーズはどういうことなのだろう……怒りをお納めください破壊神様的な感じなのだろうか?
……俺はもしかして、盟友になるはずの国を失ってしまったんだろうか……?
そして玉座の間の天井は解放感溢れる青空天井だ。
よく見ると、玉座の間だけでなく他の部屋の天井部分もゴッソリ消えている。玉座の間の上って何があったっけ……人的被害が無ければいいんだが……
そして復興も大変そうです。俺のお小遣いで払えるのだろうか? また本土から「金庫を空にしたことについて、詳しく」と笑顔で迫られるのだろうか? そして何をどうやったらこんなに綺麗に天井部分が消え去るのだろう? 消滅系の禁呪に匹敵しそうな結果だぞ、コレ。
うちの家人一同は、何かの見取り図や設計図を片手にそんな天井を見上げてあれこれ討議している。「素材」がどうのこうの言っているから、早速修復の手続きに入っているのだろう。頼むぞ。本当に頼むぞ……!
残っている人数が少ないのは、城下にも散ったとかだろうか? うちの家人達の動きが素早すぎて俺ですら把握できない。……俺、この土地での責任者じゃないの……?
そして一番問いたいのだが――ポムよ、その、あからさまに嘘くさい笑顔の仮面は、何なの?
「なぁ、ポム」
「なんです?」
「俺は……もしかして、ものすごい大暴走をしたのか?」
ポムは一瞬、素で驚いたような顔になったあと、苦笑して俺の頭を撫でた。
おや。スマイル仮面は終了なの? 何の為の偽笑顔か知らないが、俺は普通のお前の顔の方が好きよ?
「坊ちゃんは暴走しませんでしたよ。……まぁ、暴走しかけてたから、入れ替わったっぽいですけど」
やだ。不穏で意味深。
「俺以外の何が暴走したんだ……? というか、入れ替わったって……」
あ。ちょっと待て。
なんとなくだが、やたらとオレサマなディンさんが大暴れしてた記憶がうっすらと。……え。もしかして人格が入れ替わってたの? そんなこと出来るの!? ディンさん!? もしもし!?
…………。
辛い。黒歴史さんが反応してくれない。無視されまくってる俺は本当に主人格なのだろうか……?
「まぁ、あまり気にしないでいいと思いますよ。局地的なものでしょうし」
ポムはそう言うが、黒歴史さんが出現したというだけで俺の絶望は計り知れない。なにしろ永遠の十四歳を患っていらっしゃる人格だ。きっと俺では考えもつかないポーズやら台詞やらやらかしたに違いない。
おお! 俺の黒歴史が極まった……ッ!!
「……いえ、そうでもないような……というか、なにかこう、色々と不憫な気がしますから、もうちょとこう……いえ、まぁ、いいですけど……」
……なんでポムは同情顔なの?
「……レディオン殿」
「ん?」
呼ばれてそちらを向くと、正妃に支えられながら王が立ちあがったところだった。
おお! 早く謝らなくては!!
「すまないな、カルロッタの王よ」
「う、む?」
「城のことだ。これほどの被害は、そうそうあるまい。もしこの上階に誰かがいたなら、その命とて喪われていただろう」
王は何故か不思議そうな顔で首を傾げ、ややあって「ああ」と苦笑した。
「気にせずともかまいませぬ」
……あれ? なにか、言葉遣いが……
「そも、この上に人はおりませんからな。消えた部分には尖塔もありましたが、あの騒ぎです。兵も全て下に降りておりました故、犠牲はありますまい」
「そうか!」
「強いていうなれば、結界を張る為の魔法陣があったぐらいでしょうな」
ちょ……!?
「なに。消えてホッとしたというものです。なにしろ、神殿におさめられていた神器の力を利用した魔法陣でありましたから」
ギョッとなった俺に、王は苦笑して肩を竦めてみせる。
「神殿――いや、聖王国があのような企みをしていた以上、もはや利用するのも恐ろしい。破棄すべきものが消えたとて、被害とは言えますまい」
「だが……必要なものだったのだろう?」
そして口調が改まってしまってるのは何故なの?
「今までは有用でありましたが、これから先も必須であるかと言えば、否でしょうな。聖王国が敵なのであれば、どのみち通用せん類のもの。別の防衛方法を模索するのが急務ですな」
それに、と王は笑う。どこか吹っ切れたような顔で。
「あのような人智を超えた者同士の争いが目の前で行われたのです。この程度の被害で済んだのは……まぁ、僥倖、でありましょう」
目の前で行われたのか……! そうか! 俺の黒歴史は目の前で行われたのか……!!
「く……謝罪の言葉すら、空しくなるな……」
「うん? 待たれよ、なぜレディオン殿が謝ろうとなさる? 神代の争いが起きたのです。むしろ我々は守ってもらった身ですが?」
「え?」
「え?」
俺達は思わず見つめ合ったが、残念ながら相互理解は深まらなかった。
「神代の戦い?」
「ふぅむ……あれほどの存在を気にも留めておられぬとは……」
流石ですな、などと変な誤解が発生しているが何のことだろうか?
あと、どうしてそんな口調になってるの? まるで一歩引いて他人行儀な……ハッ!? もしや、おまえの所とはもう無関係貫くぞっていう意思表示!?
そして俺の知恵袋さんは隣で苦笑してないで説明してくれていいのよ!?
「坊っちゃんはどうしてそう、マイナスな方向にばかり思考が突っ走るんでしょうかね……。死神さんが来てたんですよ。粛清に」
オズワルドぉおおおッ!!
「オズワルド、何やってるんだ!? やるにしても城を壊すとか……!」
「あ。それは私が力を反転させたせいです。下手に流すと王都まるごと死の街になっちゃうんで空へ向けてスパーンと」
ポムぅうううッ!!
「だいたい察した! 察したが、お前なら対消滅とか隔離とかできたんじゃないか!?」
「暴走しそうな子供が近くにいましたからねぇ……留め置くのにちょっと力の大半を使ってまして」
……原因、俺か……
「……ごめん……」
「全部が全部ってわけではありませんよ? 面倒だから空に放ったっていうのもありますしね!」
「……それ、黙ってたほうがよかったんじゃねーか……?」
即座にオシオキ用クッションでボッフボフにする俺と逃げるポムを見て、ロベルトが呆れ顔で呟く。
ポムよ! 正直なのは良いことだが、だからって許されることと許されないことはあるぞ!? 面倒だからって理由で被害増やすのはやめような!?
「つーか、死神さんは何処に行ったんだ? なんか別のがどうとか言ってたけど」
ひとしきり俺とポムの攻防(一方的)を見守ってから、ロベルトが思い出したように問いかけた。
「あ-、ハイハイ。その説明してませんでしたね。ちょっと距離はあるんですが、こっちに向かってる聖王国の軍がいるんですよ。なので、そこに向かってもらいました。軍隊に入り込んでる神族とか、流石に問答無用で粛清対象でしょうしねぇ」
「おい、待て、それ、目的地この国なのか!?」
「ええ」
あっさりと頷いたポムに、周囲が騒然となったのは仕方がない。
「な、なんと……! ミケーレ! 防衛の準備を急げ……!」
「なんたる……!! ここにきて、さらに聖王国の軍じゃと……!?」
「此度の件で諸侯の招集をかけておった分、手遅れにすぎるということはあるまいが……」
「あー……あのー……多分ですが、とんぼ返りすると思いますよ? 聖王国に」
血相を変えた人々に、非常に言いにくそうにポムが口を開く。
「……は?」
「いえね? ですから、先ほどまでの騒動でお分かりいただけたと思うのですが、人の世に関わっちゃいけない類のヒト達が、聖王国に関与してるわけですよ。で、さっき上空に現れたのが、それを取り締まるヒトでして。見つけ次第粛清して行ってるんですよね」
「は……はぁ」
「こっちに向かってきている軍の中にも、該当者がいまして」
「……と、言うことは、つまり」
察したミケーレが強張った顔を頑強な手でつるりと撫でて言う。
「先程の、あの御方が、その、今こちらに向かっているという、聖王国の軍に」
「怒りの一撃を叩き込んでると思いますよ」
あちこちで呻き声があがった。神官長など神に祈りを捧げるポーズになっている。
「よぅし! 儲けた!!」
……おい。神官長。
「まぁ、粛清されるのは該当者だけなんで、残りの人間の軍は放置ですけどね」
「待て! それでは問題は解決しとらんではないか!」
「そうですかね? 人外の力が排除されただけでもだいぶ違いますよ?」
「いや、それは確かにそうではあるが……!」
「さっき、神族が扇動してた時、変に力が沸き上がってきたでしょう? ああいう、人ならざる者からの力の付与とかが軍に与えられたらどうなると思います?」
言われた言葉を理解して、二人の横で話を聞いていたミケーレが「成程」と呻いた。
「それが、聖王国の『神の加護』の絡繰りか……!」
「なんとまぁ……あのような人外な力を借り受けたのが軍単位で相手となれば、戦になるはずが無いではないか」
「神の恩寵だの加護だのという言葉に騙されておったな……つまるところ、人外の力を借りて好き放題しておるということか。なにが『聖王国』やら」
「まぁ、高位生命体から力を借りて戦争で使うのは、どの時代、どの世界でも行われてることですけどね」
悔し気な総帥達に、ポムはどこか苦笑を浮かべて言う。
「それに、連中の力は精神に作用しますから、力を借りるということは精神を汚染されるのと同義なんですよ」
「ま、待たれよ! それでは、先ほどの……!」
ミケーレが顔色を変えて叫ぶ。
見れば、他の連中も青ざめた顔になっていた。俺には意味が分からないのだが、何かあったのだろうか……?
ポムは首を傾げる俺に視線を向けてくる。
……うん?
「坊ちゃんがいるでしょう?」
俺が何だって?
「神族よりも前に、精霊を通じて庇護の欠片を与えていましたから、ある程度の精神汚染は防いじゃいますよ」
「おお……!」
ものすごい尊敬の目があちこちから突き刺さって来た……!
なんなの!? 俺の知らない出来事を言われても困るぞ!?
<……いや、坊ちゃん、大々的に精霊を呼び寄せて治癒とかやったでしょ?>
あ、アレか。
え。あの程度で庇護扱いになるの!?
<あー……無意識でしたかー……>
ポムは何やら呆れ顔だが、俺は心からポカン顔だ。
回復魔法で庇護付与とか、前世で発生したことなんて無いよ!?
俺は確認の為に即座に正妃に【全眼】を向けた。
前にしっかり見たことがあるし、確認するなら正妃が一番手っ取り早――
『マリアベラ・リリー・イリリア・フィリス・リリン・カルロス(東野春子) LV52 種族:人間
性別:女 職業:聖女
≪高位呪発動中≫《栄養拡散力場発動中》≪魔王の庇護の欠片≫
HP 523/523
MP 1021/1021
STR 1037(+801)
DEX 513
CRI 37
VIT 1072(+801)
DEF 1148(+801)
AGI 53
INT 763
MND 61
CHR 57
LUK 436
固有才能:【並列思考】【異界知識の欠片】【重力操作】【医術の心得】【風霊の加護】
固有能力:【暗算】【四則演算】【話術】【演説】【精神防御】<【怪力】><【鉄壁】><【腐心】>』
色々増えてる!?
「そんなわけで、あの時関わった人々に関しては、まぁ、よほどのことがない限り神族に汚染されることはないと思います。なので同士討ちとかも起きないでしょうねぇ」
「同士討ち、って?」
「うーん、人間同士の争いはよく分からないのですが、こういうのあってありませんか? 突然『信仰に目覚めた』とか『神の声を聞いた』とかで聖王国に味方したり寝返ったりとか」
「あー……」
愕然としている俺の後ろでポムとロベルトが聖王国を分析している。
「そういう、聖王国や関係者に都合のいい出来事を量産してしまえるのが、彼等の力なわけなんですよね。意思のある汚染物質みたいなもんだと思ってくれば早いかもしれませんね」
「旧約聖書の悪魔みてーな連中だな……」
ロベルトの声にポムは半笑いだ。
「高位存在なんて大なり小なりそんなものですよ。うちの坊ちゃんだって本気だして演説すればやれちゃいますよ、たぶん」
なんか俺に飛び火した!
「俺の精神が削れるからやらないぞ」
「――と、坊ちゃんはこう言ってますけど、国が立ち直るのに必要なら頑張ってくれるはずですから後で交渉してくださいね。で、話は戻しますが、死神さんが動いた以上、この国に来ようとしてた軍は十中八九とんぼ返りします。次の行動がいつになるのかはまだ読めませんが、少しは時間が稼げるでしょう。聖王国とこの国はかなり離れていますしね」
「本当に『向かってきてる軍』が行動を中止して聖王国に帰ってくれるならそうだろうけどよ……死神さんに将軍だが偉人だかが殺されたとしても、だ。一度出撃した軍が、一人犠牲になったからって何の成果も出さずにとんぼ返りするとは思えねーんだが」
ポムと差し向かいで話をするロベルトは真面目な顔だ。ミケーレ達もそれを食い入るようにして見守っている。軍がこの国に向かっているのなら、当然の反応だろう。【全眼】で見てしまった内容で相談したいことがあるのだが、とてもじゃないが口を挟めそうになかった。
「いやぁ、どうでしょうねぇ? 多分ですが、神族憑きのって、将軍とか偉人とか聖人とか、そういう立場で出張って来てたと思うんですよ」
あ。しれっと過去形で言ったぞ、今。
「そういう人がいきなり神の怒りに触れて死んだら、戦いに赴くどころじゃなくなると思いますよ?」
ポムの一言に、耳を澄ませて話を聞いていた神官長が考える顔になった。
「ふむ……確かに」
「いや、それだけでは無いな。仮にも神を奉ずる『聖王国』の軍が、その行軍半ばで偉人を神罰で失うなど、尋常では無い事態だ」
「うむ。当然、周辺諸国は何が起きたのかと注目するであろうな」
神官長、王国軍総帥、国王の三者が悪い顔になる。
「二つ三つ国を隔ててますから、道中の国にはバッチリ把握されちゃってるかもしれませんしねぇ。遠路はるばるの遠征途中での不慮の事故ですよ。や~、一級神の怒りに触れた聖王国の軍とか、考えると笑えますよねぇ」
「うむ。うむ」
「然り。然り」
「神の威を示すために『聖戦』を行う聖王国が、神の怒りに触れるなど、誰も想像だにせなんだことであろうのぅ」
利用する気満々だな。カルロッタの首脳陣。
「ちなみに死神さん、真面目な方なので、軍とかそういうのに対しては、宣戦布告のように大真面目にきっちり罪状を述べてから粛清を実行すると思いますよ」
「おお! それは素晴らしい」
「こちらの大陸に来る前に、人間世界での戦の作法もおさらいしてきましたからね。当時、周囲一帯に宣言するレベルで≪声≫を放ってから行うのが良いですよ、と進言もしておきましたので、きっと真面目にそうしてくれると思います」
ポムと国王ががっしりと握手した。
神官長と総帥とも握手してる。
……お前はいったい、いつから何を予見して色々根回しをしていたの……?
「……つーか、神族とか目の当たりにして、もうちゃっかり利用すること考えてるこの国の連中が怖ェ……」
俺も同意だよ、ロベルト。
勇者や聖女ならともかく、国王達は普通の人間のはずなのに、この対応力と順応力の高さはなんだろうか?
騎士達はまだ床にへたりこんでいるが、神族という高位生命体の顕現に居合わせればそうなるのが当たり前なのだ。直視せずとも、その力の波動を浴びただけでまともな思考はしばらく出来なくなる。己を取り戻すのに一昼夜かかるということすらあるほどなのである。
「よほどの精神防御を施しているか、高次の守護がなければ意識を失う者も多いはずなのだがな……」
ロベルトと俺の声に、件の三名は顔を見合わせる。
「と、言われてものぅ」
何故か王は俺を見てからロベルトに視線を向けて言った。
「まぁ、慣れ、であろうな」
「……ああ。成程」
え!? なにが成程なの!?
「はいはい。坊ちゃん。庇護の欠片のこともすでに意識の外な坊ちゃんには理解できない事柄ですから、もう考えるのやめましょうね? 今重要なのはそこじゃありませんからね?」
「い、いや、それはそうだろうが……」
「重要と言えば……ポムさんや、どうやったらそこまで広域の情報を集めれるんだ?」
「それは秘密です」
にこー、と話す気ゼロな嘘笑顔を向けられて、ロベルトが呆れ顔でため息をついた。
「まぁいいや……じゃあ、その謎情報網で把握してたら教えて欲しいんだけどよ、『聖戦』って発動してるのか?」
「いやぁ……流石にそこまでは分かりませんよ」
「あ、やっぱりそこまでは分からねーか……」
ロベルトが拍子抜けな顔になったが、俺も含めて全員同じ顔だったので誰も余計なツッコミはいれなかった。いやだって、ポムだしな……
「一応、グランシャリオ家の隠密部隊が逐一報告してくれてますが、あの国の命令系統の全てを把握しきれていませんからねぇ。大きな動きが無いので多分していないと思いますけど、そもそも『神敵』と『聖戦』の発動ってどういう過程で行われるのか不明でして」
情報網、うちの隠密部隊じゃないか……!!
というか、秘密をさらっと暴露してないか!?
「な、成程。レディオンの所の人達が見張ってくれてるなら、安心だな。今回みたいに、軍の動きとかも分かるだろうし」
「ああ、そっちは別口とかからの情報です」
「別口、どこだよ……!?」
ロベルトが顔を覆ってしまっている。もう細かく考えないほうがいいんじゃないかな。ポムだし。
というか、うちの隠密部隊以外の情報網って、何があるんだろうか……
<一つは炎の精霊王さんからの情報ですよ。野営にも火は使いますし、戦意や闘争は炎の精霊に馴染み深いものですから、あっさり把握しちゃうみたいなんですよね。あ、秘密ですよ?>
こっそり教えられた情報に、俺は唖然となった。
フラムよ……人の世のことには関わらないとか、色々言って最近ずっと姿すら現していなかったのに……お前は……
<ちなみに水軍は動いてないそうです。こっちは水の精霊女王さんからですね。大地の精霊王さんはヴェステン村やら何やらで忙しくて動けないみたいですけど、虫の居所が悪いらしくて、時々あちこちで地割れとか起きちゃってるみたいですよ。大変ですねぇ>
どこか笑い含みの<声>に、俺は視線を床に落とした。
精霊は、召喚され命じられない限り物質界には顕現しない。特定の誰かに加担することもなければ、人の世に関わりすぎることもない。
だから、俺も不必要に彼等を頼ろうとはしなかった。魔法という、魔力を代償にした契約の行使は行うが、それすら馴染みの者を名指しで呼ぶのを避けて行っていたほどだ。
……しばらく会っていないのを、寂しいと思っていても。
<今度会ったら、お礼をしましょうか、坊ちゃん>
<……うん……>
フラム。ラ・メール。テール。
会いたいよ。
今すぐ呼び出して、抱き着いてしまいたいよ。
きっと、本体の赤ん坊の姿ならいくらでもやれるだろう。だから早く全てを終わらせて、あの優しい精霊達のいる場所に還るのだ。
ラ・メールとテールは嬉々として抱き返してくれるだろう。フラムはきっと、そっぽ向いて「知らんな」とか言うに違いない。
「ただ、どちらの情報からも把握できないのが、聖王国の命令系統なんですよね。ちぐはぐ、とはまでは言いませんけど、どうも系統が分かれているというか、バラバラのような感じを受けました。そのせいで余計に発動が分かりにくくなってるんですよね」
「ふぅむ……教皇が大きな権限を持つとはいえ、あそこも長い時をかけて派閥が増えたからのぅ……」
「神官長さん。後で知っている分だけで構いませんから色々教えてもらっていいですかね? さすがに内部組織に紛れ込むのは難しいので、他より情報を集めにくいんです」
「うむ。心得た。美女以外の裸に興味無いが、あの国を丸裸にするのは楽しそうだ」
……神官長よ……
「こっちで把握した女神官の生息エリアは全部お教えしますね」
「よしきた!! 任せよ!!」
……お前達……
というか、ポムよ、生息エリア、ってお前の中では人間の女性は魔物と同じカテゴリーなの?
そして神官長よ、そんな情報仕入れても、聖王国行く予定なんてないだろうに。
そんな風に呆れ顔で見守っていると、ふと奇妙な感覚が体を駆け抜けた。
俺は弾かれたように西を見る。
同じく西を見たポムが、薄い笑みを浮かべて言った。
「ああ……粛清したみたいですね」
遠い空の下で、名も知らぬ神族が消滅した瞬間だ。
「……こんなに、出張っているのか……」
無意識に言葉が零れた。
死神が今倒したのが、一柱。
城の上に現れて俺が倒したというのが、二柱。
うちの大陸で倒したノルンを含めて――すでに四柱。
「探せばもっともっといるでしょうねぇ……いっそ一塊になっててくれれば早いでしょうに」
ポムがなんとも言えない顔でため息をつく。俺も同意見だが、前世の記憶で覚えている出現ポイントですら、世界中に散っている有様だ。今の時代であれば、なおのこと正確な位置は分からない。
「聖王国に殴り込みかけたらいっぱい出てきたりしねぇかな?」
「一番可能性高そうなのは確かに聖王国ですけど、そこに全部集まってるとは限らないですからね。もしそうなら、とっくに死神さんが動いてますって」
「そういやそうだな……」
「まぁ、魔王さんの傍を離れたがらないから出不精気味なのは確かな気がしますけどね、あのひと。あとは連中が尻尾をなかなか出さなかったりとか?」
「見つけ次第全部粛清すりゃいいんじゃ? こっちの世界に来てるのなんて、ろくなのいなさそうだし」
「……そんなこと言ったら、死神どうなるんですか……七百年居候ですよ、あのひと……」
「……盛大なブーメランだな……存在そのものが……」
揃って遠い目してやるなよ、二人とも。おじいちゃん達はおじいちゃん達で色々大変な事情背負ってるんだぞ。前世の知識だから今の俺は口に出来ないが。
「まぁ、後は魔王さん達とやり合えば、ひと段落つけそうですね」
やれやれと言いたげにため息をついて、ポムは俺を見下ろした。
……ん? というか、サリ達と「やり合う」って、なんだ?
「坊っちゃん」
ポムが俺の正面に向き直る。
うん?
「何かを選べば、別の何かは選べない。けれど、坊っちゃんは、魔族も人間も、大事だと思うものは皆、大切に守り抜くと決めたんですよね?」
それは問いではなく、確認だった。
だから俺は素直に頷く。
「ああ。そう決めた」
前世で全てを奪われた俺だからこそ。
「無理だと言われようと、俺は欲張りに生きると決めた」
その俺の言葉に、ポムは微笑む。ちょっと困ったような、苦笑の勝った顔だ。
「坊っちゃんが欲張りなのは、知ってますよ。……そして、貴方はそれでいい」
微妙に意味不明なことを言って、ポムは何処からともなく水晶板を取り出した。
――あ!
「コレはご褒美ですよ、坊ちゃん」
どこか優しい笑みになって、ポムは俺の額に手を当てた。
ぐらりと大きく世界が揺れる。
「さぁ――行ってらっしゃい」
その言葉を聞いた次の瞬間、俺の意識はどこか遠くへと吹き飛んだ。