61 contre-attaque
「坊ちゃん、どうします?」
かけられた声に、俺は咄嗟にポムを見た。
ポムはノーランが指示した魔道具――試作第一号『第九魔力結晶石』を持ったまま小首を傾げている。かつてポムとの会話に出て来た、過去の光景すら転写可能な超弩級の結晶石だ。万が一の時に備えてロルカンの監視用ゴーレムに組み込んであったのだが、どういう経緯でかノーランの手に渡ったようだ。
――いや、ロルカン組がノーランに提出し、俺に渡すべきという結論に至ったのかもしれない。
「ロルカンの『結果』が結晶石にあるようです。あと、家令さんが来てますから、あの街が『人間に滅ぼされることはない』でしょう。……まぁ、ちょっと最後の発言を含んで想像するに、坊ちゃんの望む光景がそこにあるかどうかは不明ですが」
「ちょ、ポムさん!? 意地悪してないで早くレディオンに見せてやれよ!?」
ロベルトが物凄い速さで魔道具に手を伸ばしたが、ポムはぬるりと躱して俺の傍らに立った。
……今の動き、微妙に気持ち悪かったんだけど、どうやって避けたのだろうか……
「優先度の問題なんですよ、勇者さん。ロルカンはもう『終わった後』のようです。ここで『ロルカンで何が起きたのか』の一部始終を見るには時間がかかるでしょう。で、今は何が起きている時でしたか?」
「!」
ロベルトがハッとなってリベリオを見る。
王都もまさに詰めを迎えようとしている最中だ。神官長の為人を確認し、緊急事態だと思えばこそ俺達がロルカンに行くのを見送ろうとしてくれたが、すでに終わった後であるのなら話は別だろう。おまけに俺の家人でも最強クラスのノーランまであの街にはいる。
無論、ロルカンが気にならないわけではない。ジルベルトの無事もこの目で確認したい。
むしろ何を投げうってでも先にそれを済ましたい。一目でいい。安心したい。
だが、それは俺の個人的な私情でしかない。
――ジルベルトが生きているのは、言われるまでもなく感覚で分かる。俺の与えた加護が俺とジルベルトを結んでいるからだ。魔眼で繋がっているルカほど確かな繋がりではないが、この世界に生きていてくれていることは分かるのだ。
ならきっと、最悪の事態にはなっていないはず。
――そんな状況下で、私情を優先して今すぐ手を打つべきものを後回しにするべきだろうか。他の誰でもない、この俺が。
「……ロルカンが襲われたことと、王都の動乱は根本が同じだな?」
「状況証拠を揃えないと確定できませんけど、『根っこ』は同じでしょうね」
確認するように呟いた俺に、ポムが頷く。
即ち、敵は『聖王国』。
なら、優先するべきなのは何処だ?
――打つべき手は?
「……ポム」
「はい」
「今、俺が行使できる権限において、実働可能な人員と行為は?」
「……神官長さん達の前ですけど、全部です?」
「全部だ」
どこか薄い笑みを浮かべてこちらを見ていたポムは、ちょっと苦笑を滲ませてから告げた。
「王都の支店や家を守っている三十八名中、十八名は諸事情で動かせません。可能なのは残り二十名と、王都近郊から集結しつつある隠密部隊十七名。行為は隠密・索敵・探索・捕縛・殲滅。あと、たぶん号令出したら竜子さんも動いちゃうでしょうね」
……どうやってその情報を収集したのだろうか……
「坊ちゃんと合流する前に通信でやり取りとかしてたんですよ」
通信なくてもやり取りしてそうで地味に怖い。
あ。神官長とリベリオが絶句してる。
「ああ、むやみに物を壊す者はいませんよ? 王子さんの要望でもありましたが、『魔族イコール恐怖』の図式を消したいのは魔族も同じなんです。神族がらみや聖王国がらみがなければ、これからだって戦力としての使い方は控える予定でしたし」
「そ、そうか」
流石に五十名以上の魔族に集われるのは怖かったのだろうか。ちなみに全員、上級魔族です。
「ルーシー……あの子は、もぅ……」
「まぁ、竜子さんですから。竜魔は基本、戦闘大好きですからねぇ。今、大人しいのがちょっと意外ですよ?」
「命令もまともに聞けないような娘なら、ナンバー2の座には就けませんわ」
微妙に納得顔のポムが俺を見る。
俺の目が一瞬、ポムの持つ結晶石に流れたが、断腸の思いでポムに体ごと向き直った。
「通信を回す。それと――「ノーラン」」
遠隔用に向けて、俺は声を放つ。即座に『はっ』と声が答えた。
「王都は現在、聖王国の手勢とみられる神殿騎士と神官により、クーデターの真っ最中だ。初動はほぼ封じたが、元凶はこれからだ。神官長の承諾を得れば、直ちに首謀者の捕縛、事態の収束を開始する。――ノーラン。我がグランシャリオ家に仕え、俺を育ててくれている家族の一人であるお前を信じて、俺の愛するその街を一時託す。その街は、俺にとって第二の故郷だ。沢山大切なものをもらった。大切な人達がいる街なんだ。お前にとっては異郷であろうが、頼む……俺の大切なその街を、そこに住む人達を、わけのわからぬ言いがかりをつけてくる連中から守ってくれ。こちらを収めれば、俺もそこに帰るから」
『…………畏まりました』
返答に少し間があった。たかが人間の街を、と思われたのかもしれない。
けれど本当に大事なんだ。
「頼んだぞ、ノーラン!」
『お任せくださいませ!』
即座に私情を排したらしい有能な家令の力の入った返答に、俺はポムへ視線を戻した。
「ポム」
「了解しました。ロルカンのことは家令さんに任せて、直ちにこちらの騒動を終わらせましょう。……家令さん、張り切りすぎちゃいそうですしね……」
ポムの生暖かい笑みの理由は不明だ。
神官長に視線を向けると、リベリオと目を見かわしあってから頷いた。
――許可は得た。
「王都の事態を収束させる」
ピン、と音をたてて遠隔でないほうの通信具を起動させた。隠密中、万が一があってはならないと切っていたが、もう隠れるのは止めだ。
「全グランシャリオ家人員に告ぐ。此度の絡繰りは判明した。我等はこれより聖王国によるカルロッタ王国侵略の尖兵、第二神殿大神官およびカルロッタ王国第三王子、その陣営に関わる全ての者を捕縛し、カルロッタ王国国王へ引き渡す。この声が聞こえし全ての我が同胞よ、もはや隠れて守る必要はない。遠慮は無用、我が朋友、カルロッタの王族を殺害せんとした全ての者を捕らえよ! 邪魔だてする者もまた同様に扱え。ただし、人命には配慮せよ。人間は、我らよりはるかにか弱い」
息を吸う。
――商売で名をあげ、友好を示し、武力を表に出さず、金の力で裏側から世界征服しようと思っていた。
これからすることは、あの時の意気込みに反するものなのかもしれない。
道半ば、だろうか。
いいや、そうではない。
道は続いている。こちらが諦めない限り、必ずどこまでも先へ――例え多少歪んだり曲がったりしていようとも、目指そうとする未来へと。
ならば、躊躇はすまい。
『完璧な理想図』など望むまい。
世界がこうであるのなら、それに合わせて最善を尽くすのみ。
「百八代目魔王『黄昏』の後継者、レディオン・グランシャリオの名において命ずる。友への信義を胸に、我が同胞よ! 世界に我らが威を刻め!」
◎
まず最初に変化を知ったのは王宮、玉座の間に詰めていた兵士達だろう。
「んふー。力の開放許可きましたねー! なら遠慮なくやりますよー!」
通信具からレディオンの命令が届いた直後、豪快に鎧を脱ぎ飛ばしたルーシーは、硬直している人々をすり抜けて部屋の端、外壁へと走った。
目指すは大窓、一直線だ。
「ルーシー!?」
「ちょこーっと失礼しますよー!」
「な、なんなのだいきなり……! それに、さっき、ま、魔王と……!」
「とーぅ!」
止める間もあらばこそ、ルーシーは大窓に向かって飛んだ。
「ルーシー!?」
「なんとのぅ……」
悲鳴をあげる第二王子と、悠然と見守る正妃の目が捕らえたのは、大窓を盛大に蹴り砕いて外に身を投げ出す娘の小さな背中だった。その背があっという間に見えなくなる。
「ふむ。結界をすり抜けて行きおったの。魔族はフリーパスか?」
「何を悠長なことを……! 落ちた……っでなく、飛び降りて無事ですむのですか!?」
「魔族なら飛ぶのではないかの? 羽根とか魔法とかでバサァッと」
「せめて蹴り破らずに開けて出てくれ! 両開きだ!!」
誰もが一瞬思ったことを叫んだ王子の耳に、ズバサァッと想像より遙かに大きな羽音が響く。ついでに凄まじい風圧が突風のように窓から飛び込んできた。窓際が一斉に陰る。
「!」
「なんだ!?」
顔色を変えた正妃と、風圧に飛ばされまいと身を屈めたマリウスの前、窓の外が一瞬、何か大きなものの姿をとらえた。大きすぎて壁のように見える、巨大な何かの鱗だ。
すぐに消えて曇り空が見えたが、城内は静まりかえり、城外からは凄まじい悲鳴が響いてきた。
「……母上」
「なんぞ」
「今さっき、何かとんでもないものが、見えませんでしたか?」
マリウスはひきつった顔で母に問う。
外から聞こえてくる相手の正体らしき物体名は、出来れば聞き間違いであってほしい。ドラゴン、とか。
だが、実母はいやに真面目な顔で頷いて言った。
「うむ。見事な竜鱗だったな!」
「見えてる……!! 見間違いであってほしかった!」
「現実逃避とは情けないな! しかし、魔力と熱源が爆発的に巨大化したと思ったら、こうなるか!」
「殿下! 妃殿下! 城下は大混乱のようです!」
「魔族は竜にもなれるのか!?」
大広間の騎士達が騒然となるが、ドゴンッという凄まじい音と衝撃の後、誰もの動きが止まった。
「鎮まれ! 貴様等は騎士だろう!」
両手混を床にたたきつけた正妃だ。
「魔族は伝説で語られるような種族であろう! なのにドラゴンごときで驚き騒ぐとは何事だ! だいたい、ドラゴンだぞ!? ドラゴン! ひょーぅ!」
「なんではしゃいでるんです!? 母上!? ――いきなり取り澄ました顔したってさっきの行動は消せませんよ!? く、こんな時になぜドラゴンなど現れるのだ!」
見たことのない母親の奇行に度肝を抜かれつつ、マリウスは周囲に助けを求めて視線を走らせた。
全員に目を逸らされた。
(貴様ら!)
「ゴホン。というか、マリウスよ。グランシャリオ家にドラゴンがいたという噂もあったであろう! アレがそうではないのか!? 『……後で絶対触らなきゃ』」
「! そういえば、そのような噂も……! ……というか、このタイミングでドラゴンを野に放つ意味が分かりませんが。あ! まさか、王都の家が砕かれたとか……!?」
「人間に砕けるレベルの防御だと良いがの……。まぁ、アレはどう考えてもあの娘だと思うが」
王妃のぼやきに、マリウスは目を剥いた。次いで『モンス娘!』『モンス娘!』と小声で叫んでいる母の言葉がよく分からない。
「なんでですか!? ドラゴンですよ!? あとさっきから何の呪文を唱えているんですか?」
「魔族なのだからそれぐらいあっても不思議ではなかろうが?」
「ドラゴンって竜族じゃないんですか!?」
カルロッタ王族親子が仲良く竜議論をしている中、問題の竜は巨大な翼を広げて王城の上空を位置どっていた。その巨躯は城の一部を完全に覆いつくすほどに大きく、さらに今も巨大化を続けている。それはかつてレディオン達を背に乗せた時より何倍も大きい。
力を加減していないのだから当然だ。
(我慢しなくていいって、素晴らしいですねー!)
眼下で人間達が悲鳴をあげ、こちらを指をさして騒いでいるが、気にしない。
あの怖いのっぽさんからは、こう言われていたのだ。
『人間は怖がりですから、坊ちゃんの野望の為にも許可が下りるまで本性を隠し、力は封じておいてくださいね? あと、よっぽどなことがない限り、殺傷力の高い攻撃は禁止です』
次に、レディオンからも内々にこう言われていた。
『竜魔は攻撃力が高い。よほどの相手でない限り、人間は手加減一発で即死だろう。だから、もし敵を無力化する必要がある時は、昏倒させるよう力を操作してくれ。やり方は、まず敵性感知を全ての攻撃に付与して――……』
グランシャリオ家の若様は面白い。
魔法の理論、術式、構築の仕方、全てが画期的で、美しい。
ルーシーは大きく息を吸った。
姿はますます大きくなり、すでに完全に王城は上空に浮かぶ彼女の影に没している。
(魔力力場形成、条件付与、術式構築――)
王を継ぐ者の号は下った。
もう、姿を隠す必要は無い。
ブレスを吐こうとするかのような動作に、それを見てしまった王都中の人々が悲鳴をあげてしゃがみこんだ。
だが、ルーシーがやろうとしているのはドラゴンブレスでは無い。
それはおそらく、人の世界で初めて見る神代の魔法の一つ。
王都全域に意識を広げ、魔力を広げ、編み、重ねて――
(確か、こうですねー!)
【王威の咆吼】が響き渡った。
※ ※ ※
王城前。城門付近。
城門を制し、謀反人として神官や神殿騎士達を捕縛していたミケーレは、目の前の光景に度肝を抜かれて棒立ちになった。
「なん……つー、桁違いだ、こりゃあ……」
ミケーレも長年魔物討伐に携わる歴戦の武将だ。当然、ドラゴンと称される魔物と戦ったことはある。
だが、遥か頭上にいる竜は、自分の知るいかなるドラゴンとも違っていた。
おおよその造形、その体を形作る構成は似ている。だが、違う。なまじ似通っているからこそ、明らかに別物だということがよく分かる。
遠く、空高くにあってなお、押しつぶされそうに感じる膨大な魔力。
疑うべくもなく理解できる、頑強な肉体と、暴虐的な力。
王城すら覆いつくしかねない巨大な体。
――その、畏怖すら感じる圧倒的な存在感。
(位階が、違う)
今、頭上にいる竜とこれまでの竜を比べるなら、今までの竜はどこまでいっても巨大なトカゲでしかない。
遥かなる高みにある存在。――正しく、生命の頂点に立つ生き物。
これこそが、伝承に謳われるドラゴンだと、誰の目にも明らかな存在が、今、自分達の目の前に顕現していた。
(美しいな……)
赤金色の鱗は雲間から差し込む光を浴びて輝き、その造形は猛々しくも実に美しい。頭部にあるのは黄金色の角。左右に三つずつ、大・中・小の順で後に流れるように備わっていた。
おそらく、生きている年数も五百ではきかないだろう。
下手をすれば千年を超えているかもしれない。
(これが……これが、ドラゴンか! なら、我々が今まで相手をしてきたドラゴンとは、何だったのだ!?)
衝撃と混乱は、けれど長く続かなかった。ミケーレはすぐに呆然とした己を叱咤して頭を振る。戦場で何かに気を取られるなど以ての外。激戦で損耗した長剣を捨て、背負っていた戦斧を構えた。
この間、わずか二秒。
「総員! 警戒態勢!!」
竜の咆吼後に響いた怒号に、愕然と空を見上げていた騎士達は反射的に身構えた。
骨の髄まで叩き込まれた騎士団長の物理教育の賜だ。よろめいている者もいるが、誰もが見たことのない超弩級の竜の出現後、すぐに次の行動に移れるだけ立派なものだろう。
「被害報告!」
「報告します! 王国軍に死傷者なし!」
「報告します! 市民への被害、視界内にはありません! 驚いているだけのようです! ご老人が転けてしまっているので起こしてきますね」
「報告します! 捕らえていた神殿騎士に二名、心臓発作と思われる死者発生! 他、大多数が泡ふいて昏倒しております!」
「報告します! 捕らえていた神官も大多数が気絶しています!」
「……どういう状況だ? こりゃあ……」
見渡してみれば、戦っていた相手が軒並み倒れるか腰を抜かすかしている。なかにはただ愕然としているだけの年若い神官もいたが、捕らえられてなお喚いていた連中は完全に沈黙していた。生きているのか死んでいるのかは、これから確認するしかないだろう。
それだけでなく、悲鳴に視線を向ければ、地面に倒れ伏している黒尽くめの姿が見える。特徴的な模様は見えないが、おそらく神官だろう。
「敵だけに、攻撃を……? 咆吼一つで……?」
広範囲魔法は、敵味方の識別など出来ない。
それが世界の常識だった。だが、今のこの状況は、その常識を覆す。
咆吼という、誰の耳にも等しく叩きつけられる暴虐なる音の攻撃ですら、これだけの被害の差が出た。もし、音ですら敵味方の区別をつけて操れるのだとすれば、それはもはや神の領域だ。
「……魔族、か」
知らず、大きく身震いした。
ミケーレには詳しいことは分からない。だがこの状況、大事なのは細かな内容などではない。
「全員、聞けぃ! あの竜によって我が国を害そうとする連中は軒並み昏倒した! この機会を逃すな! 倒れている者、その全てを引っ捕らえろ!」
「おお!!」
揺るぎない総帥の号令に、王国軍は武器を掲げて唱和した。
※ ※ ※
王都、教会区、第二神殿。
突如響いた大咆吼に、中にいた少年は驚いて立ち上がった。
「誰か在れ! なんだあの咆吼は! おまけに、空に凄まじい魔力の塊がある! 説明せよ!」
だが、普段ならこちらの声に即座に応える神官が、今日に限っては誰もやって来なかった。シン、と静まりかえった室内に、異様なものを感じて少年は周囲を見渡す。
広い部屋だった。部屋の大きさだけでも第一神殿の神官長の部屋に勝るだろう。調度品の豪華さなど比べものにならない。貴金属や芸術品と呼ばれるものの設置に関し、第二神殿は常に並々ならぬ力を注いでいた。
その芸術品の一部が時折消えていても、新しいのに変わったからか、と誰も気にしないほどに。
「誰かいないのか!?」
気にしない者の一人である少年は、苛立たしげに叫び、それすらも無視されて流石に訝しんだ。
今がどういう状況なのかを考えれば、周囲の様子はいかにもおかしい。遠くの喧噪は未だに続いているが、先程よりも悲鳴が増えた気がする。剣戟の音は、聞こえない。
(……何が起きた?)
そろりと手を伸ばし、近くに立てかけてあった杖を手にとった。錫杖に近い形をした杖だ。昔から使っている愛用の武器に、少しだけ心が落ち着く。
(さっきの咆吼は、何かの術式魔法か? 【咆吼】系は獣人系が得意とするはずだが、どこぞで傭兵でも雇ったか……?)
二の兄は分からないが、一の兄ならいざというときの為に私兵を雇っていてもおかしくない。それに、二の兄には騎士団という優秀な部下がいる。そちらが子飼いを集めて対抗してきた可能性もある。
(そもそも、状況はどうなっている!?)
大神官は「必ず道を開いてみせます。殿下はなにとぞ、こちらでお待ちを」などと言って姿を消してしまった。儀式魔法の準備に取りかかる為だと言っていたが、冗談ではない。もしそんなものを放たれれば、城とて無事では済まないだろう。その費用を考えれば、城は可能な限り無傷で手に入れる必要があるのだ。
(ええい! やはり私が自分で出た方が早いではないか……!)
王子は旗頭。ゆえに前に出てはならない。
そう言われて部屋に留まったが、状況の報告もなくただ待つだけなど、少年――第三王子サリュースには我慢がならなかった。
(だいたい、魔族を捕縛するのならば私が出なくてどうする!)
物語でだって、英雄は兵と共に戦い勝利を得るものなのだ。神の敵対者である魔族をこの手で討伐し、魔族に洗脳されているであろう王や兄達を解放、どうにもならないほどに汚染が進んでいる場合は、涙を呑んで命を絶ち、魂を解放するのが神の意志に従う英雄の進むべき道なのだ。それを想像すると実に様々な意味で胸があつくなる。観客に見せればきっと涙してくれるだろう。劇にした時のことを夢想し、思わず緩んでしまった口元を引き締めてサリュースは首を振った。表情を引き締めて隣室への扉を開け放つ。
「誰か! 何が起きているか説明……」
声は途中で力を失い、消えた。
無人の可能性も危惧していたが、人の姿は一応、あった。ただし全員、倒れ伏していたが。
「なんだ!? 何があった!?」
思わず手近な者を揺すり動かしたが、高位の神官服を来た男は恐怖の表情のまま完全に事切れていた。血の臭いはしない。外傷があるようにも見えない。
(即死系魔法か!?)
思わず飛び退いた。周囲に倒れている者達も、生きているようには見えない。触った体はまだ温かかった。殺されてから時間は経っていない。なら、下手人は近くにいるはずだ。
(【生命探知】……いない!? なんだ、誰もいないのに、何故、こいつらは死んでいる!?)
部屋全体を覆うよう探知範囲を広げても、反応は一つもない。
生きている者は、自分を除いて誰もいない。
なら、この神官達を殺した者は、彼らを殺した後すぐに立ち去ったというのだろうか?
(何が目的だ!?)
一の兄の陣営か。あるいは二の兄か。
だが、戦力を削ぐためだけに凄腕の暗殺者を使い、トップである自分を放置する理由が分からない。
それとも、王族を害することだけは出来なかったのか……
(とにかく、大神官を捜さねばならん……!)
サリュースは舌打ちして部屋を飛び出す。
廊下にも生きている者は誰もいなかった。
廊下の途中、その隅、曲がり角。そこここで高位神官が息絶えている。何故か金の燭台を抱えている者もいたが、サリュースは気にしなかった。必要なのは生きている者だ。もっと言うならば、こちらに現状を説明出来る者だ。
「大神官! 何処だ!!」
声がだんだん荒くなるのを自覚しながら、サリュースは神殿を走り廻る。
通り過ぎた廊下や部屋の中、本来ならあるはずの価値ある芸術品がごっそりと消えていることに、彼は気づかなかった。
※ ※ ※
王都、商業区、グランシャリオ邸宅前。
突如響いた大咆哮とその後の変異に、息を切らせながらも魔法を放っていた指揮官は咄嗟に周囲を見渡して叫んだ。
「なんだこれは!?」
バタバタと神官達が一斉に倒れたのだ。中には恐怖に目を見開いたままの者もいる。
「おい! 確認しろ! 神官ども! 何があった!?」
「ボ、ボルス隊長! こいつら、息をしてねェ!」
「はぁ!?」
新たな命令をこれ幸いと、魔法を打つのをやめて神官に群がった神殿騎士達は、揺すり起こした相手がすでに息絶えていることに気づいて腰を抜かした。
指揮官も手近の一人を乱暴に起こし、ギョッとなって突き放すように手放す。まだ温かい死体の恐怖と苦悶の表情に、背筋に嫌な怖気が走ったのだ。
「くそ……! 結界は破れんし、どうなっている!?」
悪態をつく男の様子を、遠くから冷ややかに見る者達がいた。街の住民達だ。
彼等にとって、ここ数日は生きた心地がしなかった。有名な大商会が王都に進出して来たと喜んだのも束の間、その商会にいるのが魔族だという噂が流れたせいだ。王子と誼を結んでいるという噂も商人達から聞こえていたのに、どういうことなのかと訝しみ、同時に何か悪いことが起こるのではないかと戦々恐々としていた。
――そして迎えた今日だ。
突如集まった神殿騎士や神官による、広範囲攻撃魔法の連打。
屋敷近くに居を構えていた人々の家は余波で砕け、不穏を感じて避難していた家主の目の前で瓦礫と化した。絶望に声もなく崩れ落ちた人はすでに両手の指の数より多い。
「そこの者! 鉈でも斧でもなんでもいいから持ってこい!」
そこへ、魔法では効果が薄いとみて一際偉そうな神殿騎士が命令してきた。
遠巻きに見る人々を、ちょうどいい調達員だと思ったのかもしれない。神の威を背負う神殿関係者にたてつく者は少ない。余程のことが無い限り面倒を避ける為に従う者が多いため、いつもと同じように命じたのだ。
「いいかげんにしてくれ!!」
だが、ここにきて民衆も我慢の限界が来ていた。
「あ?」
「俺の家が! あんたらの魔法で粉々になったんだぞ! 俺の! 死んだ親父の書斎も、おふくろの大事にしていた家財道具も、全部パァだ!」
「オレの家もだ!」
「あたしの家だってそうだよ!!」
次々に怒号があがる。だが指揮官は顔を顰めると、手に持った錫杖を地面に叩きつけた。
「やかましいぞ愚民共! 貴様らは、栄誉ある神殿騎士の我々を何と心得ている!」
「神殿騎士なら人の家を壊していいのか!? あんたらが俺達に何をしてくれた!? 金をせびって威張り散らすだけじゃねぇか!」
「なんだと……!」
ボルスが気色ばんで民衆側に一歩踏み出す。上手くいかない苛立ちと、突然の神官達の不審死に対する動揺で常以上に平静さを失っていた。それは指揮官の行動を止めないといけない他の神殿騎士達も同じだ。
次々に持っていた武器を民衆に向けて見せる神殿騎士に、人垣からどよめきと悲鳴があがった。ボルスは残忍な笑みを口に浮かべる。様々な感情が混じり混ざって、奇妙な高揚感を覚えた。冷静に考察すればそれが恐怖の裏返しであることに気づいただろうが、すでに彼等に正しい判断をする力は無い。
一歩踏み出すボルスに、人垣が割れる。逃げようとする者、立ち向かおうとする者、だが決定的な動きをする前に絶叫に近い悲鳴が響いた。割れた人垣の奥から転ぶような勢いで娘が飛び出す。
「お母さん! お母さん!!」
「いかん! 行くな!」
「お母さんが家に! ああああああ! なんで!? なんで家が!? お母さんは!? お母さん!!」
「駄目だ! きっともう逃げてる!」
「お母さん、病気で動けないのに!」
悲痛な悲鳴にどよめきがあがった。逃げようとしていた者の足が止まる。目が、顔が、体が、一斉に神殿騎士達に向き直った。
「人殺し!!」
誰かが叫んだ。金切声が続いた。石が飛んだ。買ってきたばかりの野菜が鎧にぶつかり、汁気を多量に含んだ赤い色を散らす。
「なにが神殿騎士だ!」
「てめぇらこそ悪魔じゃねぇか!」
「王都から出ていけ!」
「おまえ達なんかいらねぇ!」
「何もしてない病気の婦人を殺して正義面か!?」
「帰れ!」
「お母さんを返して!!」
次々に投げつけられる声と礫に、頭から冷水を被ったかのように騎士達は震え、迷うように視線を彷徨わせた。
頭部を覆う甲冑の隙間、その狭い視界は怒りに顔を紅潮させ、手に石をもって投げつけてくる民衆の姿で埋まっている。見渡すまでもなく、砕けた付近の家屋は十を超えている。弾劾してくる人の数は百に近いだろう。騒ぎを聞きつけてさらに続々と集まってきている。
いつものように、邪魔をするな、と、怒鳴ることは出来なかった。
自分達の部隊と神官達の行いの結果が目の前にある。
逃げることも出来ず、巻き込まれた民は一人だけだろうか。
そのことにようやく思い至れた瞬間、騎士達は真っ青になった。
魔族という神の敵を倒すためだと謳おうにも、『敵』には何のダメージも与えれないまま民にだけ甚大な被害を出している現実。そして『敵』からは未だに何の反撃も無い。暴れていたのは、騎士と神官だけなのだ。
「ぁ……ぁ」
何か言おうにも、喉の奥に声がひっかかって出てこない。それは、初めて民衆と、そして自身の行いに恐怖を覚えたせいだ。彷徨う視線が、ふと王城の方向に巨大な何かをとらえたが、目の前のことでいっぱいな彼等の意識には残らなかった。
投げつけられた壊れた家の欠片が鎧にあたる。また野菜が飛んできて、今度は指揮官の兜に当たった。ベシャッとトマトの赤い色が飛ぶ。
「この……不信心者共がッ!!」
怒声と共に、指揮官が錫杖を振るいながら駆けた。激昂したせいで手元が狂ったのか、転ぶようにして避けた民衆の上を凶器が通過する。悲鳴と怒号が増した。止めるためか、加勢するためか、反射的に騎士達も走った。もはや自分が何のために動いているのかも考えれず、ただ衝動と強迫観念に押されて走る。
「正体現したなエセ騎士が!」
「なんだと!?」
「人殺し!!」
声に、またトマトが兜にぶつけられた。ボルスは錫杖を振りかぶる。角度から相手を捕捉し、一歩で距離を詰めた。投げた体勢のまま睨んでいる娘と目があった。高く振りかぶっていた錫杖を振り下ろす。
悲鳴があがった。
娘もとっさに目を瞑る。自分の頭が叩き割られる光景を幻視した。
だが、いっこうに痛みも衝撃も襲ってこない。
「……?」
「――見ていられませんね。これ以上は」
嘆息混じりの声と同時、目の前に温かい壁があることに気づいた。
惨劇の予感に一瞬目を逸らせていた民衆も視線を戻す。錫杖を叩きつける姿でボルスの体が固まっていた。いや、小刻みに震えている。必死に力を込めているのか、憤怒の赤ら顔をしていた。
「邪魔です」
ボルスの体が真横に吹き飛んだ。砕けた家屋にぶつかり、半ばめり込むんだ相手を声の主は一瞥する。
「……え。え?」
その背中を間近で見る事になった娘は、目を丸くしてよろめき下がった。目の前に突然現れた黒い壁が、人の背中になり、長身の男になる。
「ご無事ですか?」
「は……は、い?」
錫杖の先端を片手で持った男が振り返る。驚くほどの美貌に、思わず呆けた顔のまま頷いた。背中が黒いのも道理で、男が着ているのは執事服だ。生地も仕立ても一目で一級品と分かる。
「人を悪し様に言いながら、無抵抗の者の家屋に周囲への配慮に欠けた攻撃魔法を叩き込む蛮行の数々。おまけに付近の人々の安全にも全く頓着しない粗暴さ、傲慢さ、冷酷さ。どれをとっても我々には到底真似できない蛮族の所業です。嘆かわしい……これが、我々の大切な若君が大切にしている人間と同じ種族だとは」
非常に遺憾そうな顔で呟いた男が、手に持っていた錫杖を放る。
軽い動きに見えたのに、一瞬でボルスのすぐそばの瓦礫を貫き、根本まで埋まった。
「なんの配慮もしておられなかったようですので、こちらで把握している被害を申し上げましょう。近隣で被害にあった家屋は二十三棟。うち全壊が十二棟、半壊七棟、一部損壊が四棟。家屋に取り残されていた人々の数は七名。そのすべてが自力歩行の難しい方々でした。その方々がいた家は、全て全壊しています」
淡々と告げられた声に、娘は悲鳴をあげた。意識してあげた声ではない悲鳴は、驚くほど悲痛さに満ちている。その様子に男は少しだけ申し訳ない顔になった。
そうして手を斜め横に向けた。
「その方々は、あちらに」
自然、視線がそちらへと向く。
揃いも揃って黒い執事服の美形達が、年老いた男女を抱きかかえて立っていた。若く美しいメイドに両脇から支えられて立っている老人もいる。
「お母さん!」
その中に病気の母の姿を見つけ、娘は弾かれたように駆け出して転び、即座に跳ね起きて母親を抱えている男ごと母親を抱きしめた。
「お母さん……! お母さん!!」
「だいじょうぶよ。だいじょうぶですよ」
「……おかあさん……ッ!」
泣き崩れるのをしばし見守って、男は視線を騎士達へと向け直す。避難させていた人々を家族に渡し終えた者達が次々にその背に並んだ。自然と人々より前に出た彼等に、民衆の視線が集まる。
「我々は、あなた方になんの含みもありませんでした。あなた方は我々に何の痛痒も与えることが出来ず、我々はあなた方に興味が無いからです」
その言葉が過去形であることに、何人が気づけただろうか。
上流階級に仕えていると一目で分かるいで立ちの男女は、武器一つ持たずに騎士達と対峙する。その表情はいっそ見事なほど無表情で、武器を持つ相手への警戒や恐怖は皆無だった。
「改めて、名乗りましょう。私共の主は、グランシャリオ家当主。レディオン・グランシャリオ様は私共の次期当主にして、こちらの商会の長をされている方。我々は、グランシャリオ家に仕える者です」
ざわめきは小さかった。
助け出された人々は、家族と共に彼等の背を見守る。
「我々は、あなた方の愚行に関与する気はありませんでした。人が人同士でどのように争いあおうと、それは人同士の問題。我々が関与すべきことではないからです。ですが、無辜の民が身勝手な者達の暴力に虐げられ、命を散らすのを看過することは出来ません。我等もまた、親をもつ者であり、喪う悲しみを知る者――ゆえに、差し出がましいとは思いましたが、救出させていただきました。我らがレディオン様も、ことのほか命を大切にされる方。犠牲者を知れば涙されたことでしょう」
ピリ、と空気が震えた。
グランシャリオ家家人一同の気配と表情が変化する。
「あの方を傷つける者を、私達は決して許しません」
一歩、踏み出す。
「先程、そのレディオン様から号令が下りました」
さらに一歩。
近づいた距離に、騎士達が後ずさる。
指揮官は起きない。
「あなた方は、聖王国の尖兵。この国を侵略しようとする『敵』」
「な!?」
「親愛なる王国への信義を胸に、我等はレディオン様の号令の元、あなた方侵略者の蛮行に対し、反撃を開始させていただきます」
「ま、待て! 待ってくれ!!」
神殿騎士が叫ぶ。
彼等には寝耳に水の話だった。
だが、執事服の男にはどうでもいいことだ。
ただ無造作に一歩を踏み出す。
「魔族十二大家筆頭、グランシャリオ家に代々お仕えする執事が一人、ノア・アルコル。――参ります」